幻の名城を訪ねて

列島縦断「幻の名城」を訪ねて 山名美和子 (集英社新書)
城は攻防の砦である。戦国動乱の時代、城を舞台に幾多の戦いがくりひろげられ、勝者と敗者を生み、次第に姿を変えていく。やがて数百年の歳月が過ぎ、たくさんのドラマを秘めたまま、草木に埋もれ、土に覆われ、開発の波にさらされ、城址は朽ち果てていった。
で、始まる本です。
山名さんは、東京のお生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、教員を務め、作家になられました。1994年、「梅花二輪」で第19回歴史文学賞入賞。これまでにも数々の歴史小説があります。
今回はご自分の足で全国を歩かれ、地図を片手に国宝や重要文化財に指定されている城ではなく、今は石垣や土塁を残すだけという歴史に埋もれた城や後に再建された城がほとんどの旅です。
今は形として残っていない「幻の名城」の典型が安土城。京都に向かう東海道新幹線に乗ると、進行方向右側の琵琶湖の湖畔の山に「安土城跡」と看板があります。私はそれほど歴史には詳しくはありません。ただ鉄筋コンクリートの造りのお城には魅力を感じません。
安土城、津和野城、会津若松城、はじめ南海の王国「琉球」の今帰仁城など・・・山名さんほどはぜんぜん歩いてはおりませんが、旅の途中での城跡めぐりは大好きです。戦国時代の息づかいを感じ、思いを馳せ、金沢城など石垣の美には惚れ惚れいたします。
東京にも江戸城をはじめ随分たくさんのお城があったのですね。そして、ご本の中に出てくる私の住む箱根の足元の「小田原城」。現在の立派な城は明治の廃城で解体され、新たに江戸時代の外観を基に再建された3層4階の美しいお城ですが、現在の城址より西に1.2kmの位置に築かれていたのですね。周辺の城址公園には何度も桜を観には行っているのですが、緑に覆われた木立の中へは行ったことがなく、今回はじめて土塁と大堀切が残っている道を歩いてきました。
そうか・・・謙信、信玄、秀吉も落とせなかった城・・・。関八州を支配した北条五代の権威と栄華の跡に立ち、600年の歴史を感じることができました。


箱根と足柄の山々に囲まれ、海を見渡し、「いいところに築城したのね~」と、ひとりつぶやいておりました。私にとって小田原の街は城下町の面影を残した心地よい町です。かつては薬種商、呉服商、鍛冶屋や木工職人なども呼び寄せたとのこと。町には現在でも寄木細工の職人さんや、伝統を受け継ぐ職人さんが活躍している町なので、ちょくちょくバスで下山し散策し、買い物をし、お茶して帰る、そんな小田原が好きです。
丘を下り帰りには昨年5月に工事を終了した美しい小田原城をひとめぐりし、箱根のわが家に戻ってまいりました。
ということで、ラジオのゲストにお招きし、山名さんから全国の「幻の名城」のお話をうかがいました。
文化放送 日曜日 10時半~11時 明後日7月2日放送です。
そして、ご本で日本全国の城址を訪ねてください。


映画「セールスマン」


イランの名匠アスガー・ファルハディ監督作品「セールスマン」を観てまいりました。
日常生活が外部の侵入者により突然破壊される生活。仲のよい若い夫婦の穏やかな暮らしが一変していく。演じるのは夫・エマッド(シャハブ・ホセイニ)とテヘランで暮す女性・ラナ(タラネ・アリドゥスティ)。
この映画は本年度アカデミー賞「外国語映画賞」受賞。第69回カンヌ国際映画祭脚本賞&男優賞W受賞作品です。
素晴らしい映画でした。緊張感に満ちていて、実にリアルな演技によって引き込まれていく。仲の良かった夫婦の間に溝をつくり、復讐に燃える夫。なぜタイトルが「セールスマン」なのか・・・。映画をみて初めてわかりました。アーサー・ミラーの「セールスマンの死」からひもとかれていきます。
主人公は高校の国語教師。自由時間には妻のラナとともに地域の小劇場で役者活動もしている。舞台は劇作家アーサー・ミラーのピューリッツアー賞受賞作「セールスマンの死」からはじまります。監督と主演女優はトランプ大統領の入国制限令に抗議して受賞式をボイコットしながら「別離」に続いて2度目の外国語映画賞を受賞して話題をよびました。
乱開発により隣の建設工事で崩壊の恐れが生じ、二人は新しいアパートに引越します。公演にむけ稽古をし、ひと足早く家に帰ったエマは悲劇に襲われます。名誉を重んじるイラン社会。作品では夫は一人で犯人を捜し、悲劇的な結果になるのですが、主演したラナ役のタラネ・アリドゥスティはインタビューでこのように語っています。
「暴行された女性は自分の行動に問題があったのかと悩み、何か発言しても相手に受け入れてもらえないのではと自信をなくしてしまう。それは世界中かわらないはずです」。
とにかく脚本が素晴らしいです。そして現代のイランの状況、現代的なライフスタイルと伝統的な価値観の狭間で生きる人々、夫婦の姿を監督は見事な作品に仕上げています。
映画が始まると女優達がスカーフを髪にまいていなければ、どこかヨーロッパの映画かと思わせる洗練されたセンスの良いスクリーン。しかし、しばらくすると「名誉と恥」という伝統的な世界が見えてきて、人間の根源的な愛、生き方を深く静かに考えさせられた映画でした。そして、そこには紛争のたえない民族対立がくすぶる現代に監督は”ヒューマニズム”をこめてこの映画を現代のわれわれに問いかけてくれました。
渋谷のBUNNKAMURAル・シネマで観たのですが、観終わってからはしばらくサスペンスから抜け出せず、白ワインを飲み、心を静めてから箱根の山に戻ってきました。
映画公式サイト
http://www.thesalesman.jp

鎌倉 明月院

梅雨に入り、まだ雨は少ないですが、この時期はあじさいの花が満開になり、しっとりとした美しい季節でもあります。
先日、早朝バスで箱根の山を下山し、大船経由で北鎌倉の「明月院」に行ってまいりました。駅から路線伝いを歩き途中から左に山合いにおれ10分ほど歩くと「紫陽花寺」とよばれる明月院に着きます。ちょうど見ごろを迎えていました。


明月院は臨興寺の庵として約850年前に北条時頼公によってこの地に建立されました。江戸時代には、既に住職がいない状態だったので、現在は明月院のみが残されています。国指定史跡です。
6月上旬から7月中旬頃が開花時期ですが、今年は1週間ほど遅れているのでこの週末から来週までが見頃だと思います。
『明月院ブルー』といわれるように庭一面、どれも濃い青色です。院内には約2500株が咲くと言われています。どれも「ヒメアジサイ」という日本古来の品種です。土地の酸性が強いと青くなるといわれます。そんな環境で「明月院ブルー」になったのでしょう。


禅寺である明月院には「悟りの窓」と呼ばれる丸窓があります。ここからの眺める本堂裏のお庭も美しく四季折々の風景はまさに「悟り」の窓にふさわしいです。裏には枯山水。さらに奥には今が見ごろの「花菖蒲」が美しいです。


この季節は訪れる観光客が多いので、朝早めに行くことをおすすめいたします。そして、この季節は、足元が滑りやすいので履き慣れた靴、動きやすい服装でお出かけください。
アクセスは大船駅から横須賀線で1つ目の「北鎌倉駅」で下車します。
拝観時間は(9時~16時まで)6月は(8時半~17時まで延長)
秋はキンモクセイ・ヒガンバナ・ハギなど、モミジの紅葉もとても美しいそうです。また秋になったら出かけてみたいです。

映画「光」ひかり

久しぶりに日本映画を観ました。
今年70回目を迎えたカンヌ国際映画祭で”コンベンション部門”に選出され、今やカンヌ映画祭ではなくてはならない存在感をみせる河瀬直美監督が挑んだ映画。
1997年に『萌の朱雀』でカンヌ国際映画祭新人監督賞カメラ・ドールを受賞し、数々の賞を受賞してきた監督の最新作が『光』です。
多少かつては映画の世界に身を置いた経験のある私としては映画ついての感想は簡単には語れません。ひと言、言えることは『河瀬監督”ありがとうございました”』・・・ということ。
視力を失いゆくカメラマンとひとりの若き女性のまさに珠玉のラブストーリーなのですが、美佐子(水崎綾女)は視覚障害者に向けた「映画の音声ガイド」の仕事をし、平凡で単調な生活を送っています。そこで出会った、弱視の天才カメラマン・雅哉(永瀬正敏)との物語です。
これから映画をご覧になる方もいらっしゃるでしょうからストーリーはこれ以上書きませんが、映画を観ていて私は錯覚しました。これって映画?ドキュメンタリー?って。
主役の写真家を演ずる永瀬正敏さんは撮影1ヶ月くらい前から準備をはじめ、(もちろんその前から視覚障害者の方々から教わり、ビデオを観たり、と研究は重ねています)2週間ほど前からロケ地の奈良に入り実際撮影するアパートに住み、主人公の雅哉としての生活をします。彼女もそうだったそうです。撮影もシーン毎に順番に撮っていったそうです。
永瀬さんは語ります。
「僕はありがたいと思います。順撮りで撮影していただき、気持ちの流れをとても大切にしてもらえますし、こういう現場は他にあまりないので、また、役を演じるのではなく、役そのものになって生きられる、そうゆう現場を僕たちの為に必死になって作って頂ける、本当に感謝しかありません。」と。
撮影が終わってからもなかなか社会復帰できなかった・・・。とか。そして「あの現場は確実に”光り輝く爪痕”を残しました。」とも語っておられます。
撮影は『対岸』で第38回(2012度)木村伊兵衛写真賞を受賞した写真家・百々新(とどあらた)氏。これが劇場用映画デビュー。カメラワーク・光り・構成、なるほど「そうなのね~」と納得しました。とことん光りにこだわったロケ地、セットとなる部屋、「用意、スタート」の掛け声のない現場。。。
河瀬直美監督の映画への深い洞察力、愛情・・・20代でカンヌ映画祭デビュー、そして20年の時を経てカンヌに集まる人々を魅了する理由(わけ)が多少わかりました。視覚障害者の「音声ガイド」というジャンルも私は始めて知りました。劇中映画「その砂の行方」に登場する藤竜也さんも素晴らしい存在感です。
クランクアップは11月14日午後7時半、その日は68年ぶりに月が地球に再接近するエキストラ・スーパームーンの日だったそうです。あの月の『光』も祝福してくれたのですね。
おつかれさまでした。
そして、”ありがとう”
映画公式サイト
http://hikari-movie.com/

上野の森 恩賜公園

上野公園に行ってまいりました。


目的は、東京博物館の建物を改めて観ること。
国立博物館平成館で開催されている「茶の湯」特別展を見ること。
そして午後からは津軽三味線、高橋竹山さんの二代目襲名二十周年記念コンサートを聴くこと。
どっぷり上野の山の緑と美術と音楽を堪能できた一日でした。


皆さまの中には東京国立博物館へ行かれた方も多いかと思いますが、この博物館を旧薩摩藩士が創ったことご存知でしたか?
私はまったく知りませんでした。明治15年(1882年)に完成したのですが、そこに至るまで、時代の流れに翻弄されながら外交官の道を断たれ男のもうひとつの夢が実現したのです。これは『日本博物館事始め』という教科書には載っていない明治の物語です。
作者は西山ガラシャさん。西山さんは1965年、名古屋市生まれ。10代のころから小説を書き始め、8年まえから本格的な活動をされておられますが「ガラシャ」インパクトのあるお名前はやはり、戦国の世を生きた明智光秀の娘「細川ガラシャ」に強く惹かれたからだそうです。
小説 日本博物館事始め」(日本経済新聞出版社)は、薩摩藩士だった町田久成という男が主人公です。これが、何ともかっこいい(姿かたちだけではなく)私好みの殿方なのです!
時は明治。新政府は神道を国教として保護したため、廃仏毀釈が吹き荒れ、数多くのお寺が打ち壊されました。さらに、西洋に追いつけ追い越せという風潮のもと、日本伝統の貴重な文化財が海外に流れていきます。町田久成はそうした光景に心を痛め、幕末、イギリス留学中にみた大英博物館のような場所を日本で創ることを決意し、奮闘が始まっていくのですが・・・それはぜひ本をお読みください。
私はいっきに読み終えました。なにしろ町田久成の魅力的なこと。現代ではどうでしょう・・・これほどの志をもって国家の文化財に情熱を注げる人がいるでしょうか?なんて少しミーハーですね、私。そこで、やはり直接お話が伺いたくてラジオのゲストにお越しいただきました。


改めて、この小説を読み、お話を伺い”なぜ上野の山”に博物館を?の疑問がとけました。入館し常設展「日本の美術の流れ」を観ながら建物をじっくり拝見し、それから外のケヤキの樹の下のベンチに座り当時の様子を想像しました。
「ガス灯が、上野公園内を照らしはじめた。精養軒で開かれる舞踏会に向かうのか、着飾った人たちの姿が見える。人力車も数台集まっている。」
「開館式に噴水の池には、目に鮮やかな錦鯉が放たれた。午前九時五十分、明治天皇が馬車にて黒門にご到着になった。」と書かれています。
久成は心に決めていたとおり博物館完成後、館長を辞し仏門にはいるのです。館長の職についていたのはわずか七ヶ月でした。建物の横に”初代館長”とある像の名前は別の人物でした。


そして、隣の建物、平成館で特別展「茶の湯」を拝見。日本の美の粋・国宝「曜変天目」はじめ名品がずらり、私は少し荒々しく力強い高麗茶碗がとても好きでした。
初夏の日を浴びてそよぐ若葉や枝や幹を渡る風が心地よく木陰を歩き、上野駅前の文化会館の小ホールへと向かいます。


ホールは満席で、高橋竹山さんの津軽三味線の音色に唄に、聞き惚れました。17歳で初代竹山師匠に弟子入りし、師匠とともに25年間世界を舞台にさまざまなジャンルに挑戦し続けている二代目竹山さん。まさに初代竹山の魂を引き継ぎ、観客とともに紡ぎだす津軽三味線の新たな夜明けを感じるコンサートでした。コラボした作曲家でピアニスト、ヴォーカリストの小田明美さんも素晴らしかったです。
一日の休養日で、こんなにたくさんの幸せをいただける・・・感謝しながら箱根の山に戻りました。