秋の箱根の美しさに誘われて

黄金色の稲穂がたわわに実り、日本の農村風景の中いちばん似合う秋。そして最も馴染みの深い花”コスモス”。農家の庭先に、楚々と咲きながらたくましいコスモスの花。私の好きな花です。

秋の冷たい空気や寒さを感じるこの頃。空気が日増しに冷えて晩秋を迎えるまえの箱根はことのほか美しいのです。毎朝の早朝ウオーキングで湖畔から拝む霊峰富士は”身に入む”・・・という表現がぴったりです。そんなある日思い立ち、そうだわ、箱根散策をしましょう!とバスで出かけてきました。

我が家から仙石原界隈は1回のバスの乗り継ぎで約1時間です。

まず向かった先は『箱根湿生花園』。

子供が幼い頃はよく連れて行きましたっけ。ここは山野草を知るには四季折々とてもよいところなのです。仙石原に生息する湿原植物、高山のお花畑と岩場植物、落葉広葉樹林の植物、そして低層湿原の植物、川や湖沼の周辺で咲くミズバショウなどは春にそれは見事です。コナラ、ケヤキ、ヒメシャラ、箱根ならではの”ヤマボウシ”。

この時期は、イワヒバやホトトギス、リンドウ、ダイモンジソウなどが咲き、日本で始めての湿原植物園には日本各地に点在する湿地帯の植物200種のほか、草原や林、高山植物1100種が集められています。この日は穏やかな秋の柔らかな日差しの中をゆったりと歩き植物との対話ができました。

そして歩いて20分ほどのススキ草原へと向かいます。

日曜日ということもありかなりの人出でしたが、皆さん銀色に輝くススキに笑顔がこぼれます。私の後ろを歩く方は箱根登山鉄道で湯本から強羅まで来てからバスでみえたようで、『すごいよ、スイッチバックで上ってきたよ~』と聞こえます。急勾配を克服するための手段。いまや大変な人気でわざわざ乗りに来る方もいらっしゃるようです。

11月初旬からは箱根の紅葉も見ごろを向えます。大涌谷と駒ケ岳にある二つのケーブルカーも新たな車両が運行され賑わっております。子供の小さな頃のピクニックコースでもありました。頂上に着いたら、お弁当。大きなおむすびをほうばり、美しい景色を眺めての散策。この箱根での子育てはかけがえのない時間でした。

さて、ススキ草原を後に、また30分ほど歩いて今度向った先は私の大好きな美術館『箱根ラリック美術館』。

現在「オパールとオパルセント・魔性の光に見せられて」が開催されています。ルネ・ラリックの心を奪った魅惑のオパール。ラリックは独創的なデザインをアクセサリーで表現しています。ジュエリーと、計算されつくした輝きを放つ・・・と解説されていますが、オパルセントガラスを使ったラリックの作品の数々は繊細で、優美で、観る側を虜にするミステリアスな美・・・です。

カフェでお茶をいただきながら、つかの間の散策に心が満たされ”幸せ”とつぶやいておりました。

夕暮れの芦ノ湖の向こうに霊峰富士をみて家路につきました。

皆さま、どうぞ美しい晩秋、箱根に紅葉をぜひご覧にいらしてください。そして、箱根にはポーラ美術館、ガラスの森美術館、星の王子様ミュージアムなど多くの素晴らしい美術館があります。強羅からは巡回バスも出ております。

なんでもない日常がほんとうにいとおしく感じるこの頃です。”やりたいと思ったら、行きたいと思ったら”、いつか、と先送りせず、即、行動。それがご自分への”ご褒美”ですよ。

長野 上田・東御(とうみ)への旅

以前私が長野ひとり旅をブログへ掲載したのをご覧になった女友だちが『私も行ってみたい~!』ということで、3人旅をしてまいりました。

忙しい友人達は1泊2日の旅でしたが、私は前日に上田入りをして、上田の街を存分に散策いたしました。

なぜって・・・この街には何度も・何度も駅に降り立ちそのまま行く場所があるのです。でも30年ほど前は子育てや仕事で目的の場所を訪ねたらとんぼ帰りでした。

その場所は神川(かんがわ)小学校。校門を入り中庭に山本鼎の碑があります。1882年10月24日に愛知県岡崎町で生まれ、漢方医の父が神川村大屋(現上田市)に医院を開業、一家で移住します。

その前に西洋医学を学ぶために一家は浅草に住んでいました。9年間木版工房で修行し、版画職人を目指し自立する道を歩むのですが、恋にやぶれた鼎はパリへと旅立ちます。

貧困の生活の中での勉学。渡仏中、島崎藤村との親しい交友関係もでき滞在中に得たことは「リアリズム」と鼎は後に語っています。ロシア経由で帰国の途につく。モスクワに半年ほど滞在し、そこで目にした「農民が農閑期に作る工芸」に魅了され、帰国後”農民美術運動”を興します。

同時に私が感銘をうけたのは子供たちへの”自由画運動”でした。神川小学校で子供たちに自由に絵を描かせます。校庭の碑には友人の画家、中川一政の文字でこのようなことばが記されています。

自分が直接
感じたものが尊い
そこから種々の
仕事が生まれて
くるものでなければ
ならない               鼎

そうなのです。仕事をしていて迷ったり悩んだり・・・どのようにして前に進めばいいのか・・・そんな時に、このことばに出逢いたくて神川小学校に何度も通ったのです。

ですから上田の街はまったく知りませんでした。今回はたっぷり楽しみました。お薦めを何ヶ所かご案内しますね。

まずお昼は由緒ある古民家でのこだわりのお蕎麦。趣のある部屋でゆったりいただけるのが嬉しい『くろつぼ』さん。私は結局2日ともお昼はここでいただきました。

『BOOKS&KAFE NABO(ネイボ)』
NABOとはデンマーク語で「隣人」ということだそうです。約5000冊の本が美しく置かれ、本好きであろうスタッフが静かに迎えてくれる空間は旅の寄り道には最高。

珈琲の香りと古本の中から見つけた本『老いの語らい』。今は亡き私の尊敬する女優さん沢村貞子さん。幸田文さん、戸板康二さん、山田太一さんなどとの語らいと沢村さんのエッセー。

1996年夏、沢村貞子さんは八十七歳の生涯を閉じられました。”あとがき”には生前の望みどうり、二年まえに逝った最愛の夫・大橋恭彦氏とともに、夕日の映える墓地、相模灘で眠っておられます。と、あります。

沢村さんのエッセーはほとんど読んでいたつもりが、なぜか見落としておりました。と、いうよりこの年齢になったから出会えた本なのでしょう。いつか、沢村さんとの思い出は書かせていただきますね。ほんとうに・・・今出逢えてよかった本に上田で出逢いました。

旧北国街道沿いの柳町へと向かいます。

農民美術の家と称する「アライ工芸」には農民美術が静かに佇んでいます。映画のセットに紛れ込んだようですが、そこは人々の暮らしがしっかりあり匂ってきます。

パンの幸せな香りがしてきます。天然酵母自然派のパン屋さん『ルヴァン』。奥と2階にカフェがありひと休み。どの店からかジャズの響きがしっくり調和し、ワインを軽く飲める古民家でも農民美術のこっぱ人形が迎えてくれます。

駅前に戻り100年続く伝統の味 『飯島商店・上田本店』へ。大正モダニズムの建築は、落ち着きます。季節のジャム「ほおずきジャム」や「ブルーベリージャム」、そして上田銘菓「みすゞ飴」を。私大好きなのですこのゼリーのような飴、果実の甘味と酸味がほどよくやみつきになります。

街を散策して最後は『サントミューゼ 上田市立美術館』で11月11日まで「ウィリアム・モリス展」が開催されていましたので観ました。

19世紀を代表する芸術家・詩人・作家・思想家・社会運動家、どの分野でもリーダーでしたが、今回の展覧会はデザイナーとしてのモリスに焦点をあてている素晴らしい展覧会。美しいイギリスの風景もデザインされている一方でモリスの人間関係での悩みを乗り越えたデザインには興味がわきます。隣接して「山本鼎展」も観られ充実した一日でした。

翌日は友人を駅で迎え、上田城・資料館を見る人、街を散策する人。夕方には前回と同じ上田駅からしなの鉄道3つ目の田中まで行き、「農の家」のご主人の迎えをいただき、宿へ。

心おきなく宿でおんな3人くつろぎ、おしゃべりにワイン!「農の家」は自給がほとんど。耕起せずに作られた野菜や果物の美味しいこと。また帰って来たくなる宿です。

翌日は北国街道・海野宿へ。江戸時代に中山道と北陸道とを結ぶ街道。かつては宿場町から蚕種業で栄え、”うだつ”のある家々がおおいのはまさに”うだつがあがった”のでしょう。

旅の最後は楽しみにしていた玉村豊男 抄恵子ご夫妻のヴィラベストでのランチ。葡萄畑や美しい花々を眺めながらの食事は至福のときです。

健康で美味しくいただけて、素敵な友人との旅はこれからもつづけたいです。

帰りの新幹線では沢村貞子さんの『老いの語らいを』を読みながら 『あるがまま』に生ききった沢村さんにはとうてい近づけませんが、旅は続けていきたいです。

特別展「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」展

鎌倉時代に建てられた木造の本堂が国宝に指定されている「大報恩寺(だいほうおんじ)」。古刹に伝わる慶派のみほとけ展が10月2日から12月9日まで上野の東京国立博物館平成館で開催されています。

私は特に定慶作のほとけさまが好きで行ってまいりました。

運慶晩年の弟子の肥後定慶の「六観音菩薩像」(重要文化財)」は優美で、気品があり、快慶、行快作の秘仏本尊釈迦如来坐像はお寺以外で拝観できるのは今回の展覧会が初めてです。

大報恩寺は、応仁の乱の西軍総大将・山名宗全邸から至近距離にあったので、以前訪ねたときに本堂には応仁の乱の際についた刀傷が残されていましたが、よくこれら「みほとけ」が無事であったことにあらためて手を合わせました。

会場は鎌倉彫刻の宝「快慶」の一番弟子、行快が制作した釈迦如来坐像に快慶最晩年の十大弟子立像が周りをかこみます。このような見方はお寺では無理で博物館の展覧会ならではです。そして、次の会場に入ると定慶による六観音菩薩像が360度、ぐるっと後ろのお姿も拝観できるのです。

2020年には開創800年を迎えられる大報恩寺。北野天満宮の近くなのでたびたび訪ねますが、今回秘仏本尊「釈迦如来坐像」を拝ませていただき、当時貴族から庶民まで信仰を集め親しまれたことがよくわかります。

そして足を進めると私が憧れている定慶による六観音菩薩像に出逢えます。

後期(10月30日から)は観音像の後背が取り外しになり展示されるとのこと。こうした取り組みは国立博物館初めての試みだそうです。これも博物館の展覧会だからこそできるのでしょうね。

12月9日までにはもう一度行きたいと思います。透かし彫りの後背のシルエットの美しさと取り外したお像の後ろのお姿・・・と両方覧ることができるのですものね。

最後の最後に出逢える定慶の『聖観音』(撮影可)の前に立ち心静かに、この時代を生きた慶派”快慶・定慶”に。そして『みほとけ』に心のなかで手を合わせ会場を後にしました。

会場に若い女性たち、外国人の姿も多くみられました。

東京国立博物館公式ホームページ
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1914

「徹子の部屋の花しごと」

今回のラジオのゲストは花を活けた回数1万回以上。テレビ朝日『「徹子の部屋」の花しごと」』をお書きになられたフラワーアーティストの石橋恵三子さんです。

石橋さんは1940年、東京・文京区のお生まれ。日本のテレビ黎明期から、様々な番組作りを支えてこられました。テレビや映画で使用される花や食べ物を指す業界用語「消えもの」を日本で始めて担当し、放送開始から42年を迎えた名物番組「徹子の部屋」では、その日のゲストに合わせて初回からずっと花を活け続けていらっしゃいます。

テレビをご覧になった方々も、ゲストのお話はもちろん、中央に飾られている花に目がいきますよね。事前に調べておいたゲストのイメージメモをもとに、アレンジを組み立てていくのだそうです。

その日のお花の状態を見ながら、そしてご自身の直感を信じながら、アレンジしていくとのこと。まさに番組や黒柳さんの伴走者でもあります。番組で飾った花は毎回アルバムに保存し、活けた花の名前も全て専用ノートに毎日記録しているとか。

ラジオではゲストとの”石橋ミラクル”と呼ばれる奇跡を呼ぶお話もうかがいました。事前にゲストが誰かを調べて、その人の最近の出演作や近況からイメージを膨らませて飾る花をきめるのだそうです。

時には季節はずれの花(たとえば桜など)もそろえます。特に想い出深いのは高倉健さん。とおっしゃいます。高倉さんの好きな花が「都忘れ」であると聞き、収録に間に合うように頑張って房総まで調達しに行き、生けたそうです。

せっかくなので花束にして収録後に差し上げたら、その都忘れの花束から1本抜いて「ありがとう」と石橋さんに差し出してくださったとのこと。「なんて粋で素敵な振る舞いでしょう!」とおっしゃいます。

結婚や出産、女性がそれらを仕事と両立させていくにはどれほどのご苦労があったことか。一番の理解者はご主人。輝きながら仕事をする石橋さんを精神的に支えてこられたのですね。

『私にとって花とは何か。あらためて考えてみると、それはやはり「人生そのもの」。花がきっかけで人と出会い、仕事になり、その仕事が私の生活を支え、何にもかえがたい生きがいをもたらしてくれました。花があって生かされた私。死ぬまで花に囲まれていたいと思っています。』と目を輝かせて語る石橋さんはまるで少女のような美しさと、仕事をする女性として凛とした姿。眩しいほどでした。

私も「徹子の部屋」には何度か出演させていただきましたが、白と赤の花がいつもバリエーションを変え徹子さんと私の間、真ん中に生けてくださいます。

そして、収録の日は素敵な花束を頂戴いたしました。テレビスタジオとはまた違い濃いローズ色のダリアとユリなどシックな大人の色の花束でした。

素敵なお話をうかがえました。
ラジオをぜひお聴きください。そしてご本を手にとってください。

放送日は10月14日(日)、10時半~11時
文化放送「浜美枝のいつかあなたと」