うたたねの湯・古湯温泉

佐賀市富士町・古湯温泉に行ってまいりました。
38℃ほどの「ぬる湯」が湧く、山あいの静かな温泉郷です。

旅館主、地域住民、商業者の皆さんを中心に行政も一体となり、どうしたら来てくださったお客さまたちに喜んでいただけるか、どのような「おもてなし」ができるのかを官民一体となり熱心に研究なさっています。
そんな勉強会にお招きをいただきました。
温泉地域活性化をテーマに「田舎らしさ」をアピールしていきたい。
地域住民が自主的にまちづくりをしていきたい。と、皆さん本当に熱心です。

旅館の女将会が中心となり、地域の農家と連携し「日曜朝市」も開催しています。千曲荘の若女将・岸川恵女さんは、女将仲間と市内のアロマサロンとアロマオイルを共同開発。アロママッサージの研修も終えてお客様に施術もしているそうです。
佐賀市街から30分~40分くらいで到着。
約2200年前から湯治場として栄え、画家の青木繁や歌人・斉藤茂吉らにも愛されたと伺いました。

当日は佐賀では珍しい雪景色でした。
嘉瀬川沿いに12軒の旅館があります。
15分も歩けば一周できるほどのこじんまりとした温泉地です。

古湯には「もてなしの心」がありました。
歴史も文化もあり、そして何より豊かな自然があります。
とかく日本人はもてなし下手といわれますが、この「喜んでもらえたら嬉しい」という気持ちこそ、本来日本人が昔からもっていたものではないでしょうか。
そして、今回、素晴らしい出会いがありました。
出発するまで宿でコーヒーを飲みながら話をした行政の若者達です。
佐賀市商業振興課の 田代 健二さん、辻田 朋群さん。
佐賀市保険年金課の 菅 祐亮さん
どの地域でも官民一体というのは非常に難しいものです。でも全国を歩いていて感じることは、ネクタイを外し、住民の中に飛び込み情熱をもってその町のために汗をかいている若者達が必ずいるということ。心強いではありませんか。
今回もそんな爽やかな若者達にお会いできたこと、とても嬉しく思いました。
どうぞ、これからも頑張ってください。
そして貴方達が描く「ふる里・古湯」にまた伺いたいです。

伊勢市横輪町をお訪ねしました

この桜、ご覧ください、見事でしょ。
と言っても今年の桜ではなく昨年、見事に開花した横輪桜です。横輪桜は、今から150年ほど前に、集落の桂林寺にあったものを村人が各々の家に持ち帰り増やしていったそうです。特徴はおしべが変化し、花びらになり、開花とおなじくして葉も付き始めるとのこと。花の大きさもソメイヨシノの2~3倍はあるそうです。

横輪町は三重県伊勢市の南部に位置する山々に囲まれた谷あいの隠れ里。人口は97人で、その4割が65歳以上の高齢者です。
「このままでは自分達の地域が崩壊してしまう」
という危機感から立ち上がりました。
「地域を、文化を次世代に継承していきたい」
「経済的に活性化し、若い人達の就労場所を確保したい」
前回ご紹介した周南市もそうですが、こうした気運が全国に広がり始めました。地域の活性化は一朝一夕にできるものではありません。何よりもそこに住む住民の「熱き思い」が大切です。この横輪にはそうした人達ばかりなのです。
その道のりは簡単ではなく、苦難の道のりも「地元を良くしたい、何とかしたい」という強い思いがあったからこそ。この町の石垣の景観は見事です。それは強風から家屋を守るだけではなく、田畑にも多く存在します。よく見ると、石組みの間には風穴があり先人の技がしっかりとあります。しかし、そうした石工もいまではいなくなりこれからが大変です。
「正直、活性化を始める前は辺地であるという劣等感が多くありました。しかし、活性化がマスメディアで報じられると自信につながるのです。最近は「横輪の人達頑張っていますね」・・・と声をかけられると、自信と誇りがもてるようになりました」と皆さんがおっしゃいます。いまでは桜の季節には7万5千人ほどの人が集まるようになりました。

四季を通じたイベントを開催し、横輪の桜まつり、夏にはホタルまつり、秋にはお月見会など、また活動拠点「郷の恵・風輪」もオープン。積極的に情報発信をし、都市との交流も行われています。
「しかし・・・これからが大事です。今は過渡期です」とおっしゃいます。
そうなのです。ゼロからスタートし、来訪者の増加は地域への経済的メリットにとどまらず、耕作放棄地の減少や「景観の保全」「高齢者の生きがいづくり」などにつながります。相乗効果が増加するでしょう。
今回も「美の里コンクール」の審査でお邪魔させていただきました。
その日は珍しく横輪の冬の西風もなく穏やかな一日でした。
横輪のお芋で伊勢うどんや、五平餅も美味しかったです。
風と共に生き、人の手と知恵によって美しい風景が創られてきました。
皆さん住民の方々の”ふるさと”です。
日本中が、熱気を欠き、心の拠りどころを失って、ポカン顔しているような昨今。横輪の方々のいきいきした表情の、なんと眩しかったことか。他力本願せず、おもねず、甘えず、寄り掛からず、人のせいにせず、しっかりと自分達の足で立つことで、「横輪」という誇らしい集落を作りあげてきたのでしょう。
今の日本人に、今の日本に、必要なことはこうした自立のありようだと思うのです。戦後60年、日本が政治・経済・私たち一人一人の意識も変革を求められている今日。
これからも美しい横輪の町が都市の方々との交流の輪を広め”ふるさと”を守ってほしい・・・と願いました。

お伊勢さんへお参り

みなさま~。聞いてください。わたくし、ショックです。
せっかくお伊勢参りをするからには五十鈴川を渡る宇治橋からの朝焼けを見たくて朝4時に起き、神聖な景色と澄んだ空気に感激しながら内宮、外宮と歩き、何枚も何枚もシャッターをきったはずなのに、写っていなかったのです。
原因は…いつもより長めにしていた爪のせいでシャッターが上手に押せていなかったようです。ショックです。
お伊勢さんにお参りをなさった方は、あの美しい情景を思い出しながら、まだの方は想像をなさりながら、今日のブログはお読みいただければ幸いです。
私も近いうちにもう一度、お参りをしにいってまいります。今度こそ。
大寒の20日、夜明けとともに伊勢神宮に参拝してまいりました。
私の母方の祖母は伊勢の出身。幼いころ祖母に手をつながれて「お伊勢さん」にお参りしたことが記憶の奥深くにあります。
ず~っと昔、遥か昔、大和の国。古代にあっては、太陽の昇る地、
それが伊勢の国。
倭姫命はなぜ天照大神を伊勢の地に祀ることにしたのでしょう。
清らかな水の流れ・・・ゆったり、ゆったりと流れる五十鈴川。
その川にかかる宇治橋を渡り、朝日に輝く参道へと進みます。
その前に五十鈴川にそっと手を入れてみました。
そこから眺める上流の景色は素晴らしいです。
宇治橋は、人の世と神さまの聖地をつなぐ橋だそうです。
まぶしいほどに輝いていました。
五十鈴川のほとりに鎮まる伊勢神宮内宮。
長い参道の奥にあります。
三十段あまりの石段を上り、参拝するのは南御門の前。
拝殿はありません。
神さまが住まい、人々が祈りを捧げる社殿。
高床の穀倉を思わせる社殿の前でからだごと、五感の隅々までが清められていくようです。
その前にたたずむと、自然に頭が下がります。
神さまは20年に一回お引越しをなさいます。次は平成25年。再来年ですね。
20年に一度の「式年遷宮」、東から西へ、西から東へと神さまはお移りになられるのです。
神宮の森を抜け参道に戻ると「ここは神さまをお迎えする森なのだわ。木霊が宿っている」とつぶやきました。
9時すぎの参道は人で溢れています。五十鈴川のほとりのカフェで一休み。
陽だまりが暖かく幸せな気分になり、またぼんやりと五十鈴川の流れに見ほれていました。
「そうだ、お昼は牛丼だわ!牛鍋かな・・・」というわけで、早起きしたので11時にはお腹がすいてきました。「豚捨」で「牛鍋とお酒をお燗していただき少々いい気分」、「こんな贅沢していてはいけませんよ!・・でも、去年よく働いたご褒美です」などと言い訳をして神さまの食を司る「外宮」へ。
1500年間、毎日欠かさず1日2回、神さまにお食事を差し上げる祭りがあります。この外宮はJR伊勢駅から歩いて5分ほどです。
外宮は「農業の神さま」でもあるのです。
お供えする食事は原則的には自給自足だそうです。
縄文時代後期に日本に伝わった稲作文化。
でも私達の食習慣は大きく変わりました。
米の消費量はますます少なくなってきました。
高度成長期がもたらした食事の変化。
でも、この外宮では神職が1500年変わらず神さまに差し上げておられるのです。「米は神さまからお預かりしたもの」といわれます。
森の木々、石には人知を超えた何かがあります。耳を澄まし、触り、小声で話しかけると応えてくれます。それが”お伊勢さん”なのです。
最後に五十鈴川の河口から白砂青松の浜へ。夫婦のように二つの岩が並ぶ「夫婦岩」は「岩の鳥居」の役目をはたしています。二見浦はあまりの美しい景色に倭姫命が名残惜しく、二度も返り見られたことでついた名前といわれています。
私の伊勢神宮参拝は全て逆のコースでまわりました。
でも、宇治橋から伊勢湾に浮かぶ夫婦岩まで、心おきなく大和の国を旅させていただきました。
日本人の旅の原点、お伊勢参りができました。

この記事をご覧いただいたブログの読者の北本朋子さんが、昨年に伊勢神宮へ行かれた際のお写真をお送りくださいました。
北本さん、夜明けの鳥居、五十鈴川など・・・本当に素敵な写真をありがとうございました!

美しい棚田

すり鉢状に広がる棚田。山口県周南市中須北集落にお邪魔してきました。
5集落全住民を会員として「棚田清流の会」が平成13年に発足し、
“やすらぎの里づくり~くらしがいをみつけられる郷へ~”を実践しています。
「なんて美しい棚田なの」・・・と思わず声がでました。
村の方が「ここは基盤整備していない自然の棚田ですよ」と教えてくださいました。先人のご苦労がしのばれます。
この美しい集落は農林水産省と農村開発企画委員会主催のコンテストで選ばれ、我々も現地調査でお訪ねしました。「美の里づくりコンクール」以前の「農村アメニティーコンクール」をあわせると今年で26年目を迎えます。私は1回目からの審査員をおおせつかっておりますから、随分と全国の農山漁村をお訪ねしていることになります。
標高300メートルの中山間盆地。
5つの集落は、幾重にも広がる田んぼで結ばれています。
「ご先祖さんから受け継いだすり鉢の米づくり、不便と言やぁ不便だが昔しゃこれが当たり前。米が実のりゃ苦労も癒える。うまい飯にゃぁ幸せ宿る」・・・と。住民の暮らしや農地を自らの手で守る、つまり自主活動なのです。
「中須の棚田自然米」のファンが増えているそうです。米の名前は中須にひっかけて「泣かす米」だそうです。なかなかウイットがあり素敵です。
都市交流やオーナー制度も導入されています。「若手が(といっても50代・60代)生産グループに加入し世代交代が円滑に進んでいますよ」とおっしゃるリーダーの佐伯伴章さん(51)の本業は獣医。兼業農家です。「コミニケーションを大切にしよう、自分達もやればできる!という自信ももてました」と佐伯さんはおっしゃいます。
お昼ごはんは全て村のおばあちゃんたちの手づくりです。「このこんにゃくも豆腐も、しいたけも野菜もぜん~ぶ、味噌も私らが作ったんよ。食べてみて、美味しいよ!自給自足だね。なんも買ってないよ」と元気よく笑顔でおっしゃいます。
地域の絆が深い集落です。
しかし、全国各地過疎化・高齢化が進む中、「私らは生涯現役」と話してくれたおばあちゃんは82歳。
神事を大切にし、美しい黒石川の清流を守り、棚田を守る。田植えの頃の満々と水をたたえた水田は古来日本の原風景として日本人の心に刻まれてきました。
「TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)」が盛んに議論されています。工業と農業がお互いに対立ではなく共存し、支えあっていくことは不可能なのでしょうか。
米を食糧、とだけ捕らえていいのでしょうか。
日本の食糧の安全保障はどうなるのでしょうか。
さまざまな事を考えさせられた今回の中須北集落への旅でした。

この美しい棚田の風景がおさめられたポストカードは「棚田清流の会」を通じて販売されているそうです。ご興味のある方は周南市役所「いのち育む里づくり課」(0834-22-8245)までお問い合わせください。

仕事はじめ

今年の仕事はじめは1月7日。
「週刊ポスト・古都 逍遥」で建仁寺の庭での撮影と対談です。
小雪舞う両足院書院庭園は想像していたよりずっと男性的。
詳しくは1月最終のポストをご覧ください。
対談のお相手は随筆家の白洲信哉さん。
早朝からの撮影でしたので対談は場所をホテルに移し行われました。
「不思議ですね、今日は祖母(白洲正子さん)の生誕101年。1月7日は誕生日なのです」・・・と。ほんとうに不思議です。「20年ほど前にご自宅に伺い鴨なべをご馳走になったのですよ」と申し上げました。とても緊張していたことをよく覚えています。
仕事が早く終了したので、「今日はこれから何処にいったらいいでしょうか?」と信哉さんに伺うと「上賀茂神社などいいかもしれませんよ」と教えてくださいました。

ホテルからバスに乗り久しぶりの上賀茂神社へ。
「そうだ!今日は7日、七草粥がいただける日だわ」とこれまた偶然の出会いです。
上賀茂神社(賀茂別雷神社)は下鴨神社(賀茂御祖神社)と共に、賀茂氏の氏神を祀る神社で、葵祭りで賑わいますね。境内を進むと競馬会の馬が迎えてくれます。「手水舎」で清め、桜門をくぐり御祭神に手を合わせ、境内を流れる御手洗川の清い水にそっと手を入れると、何だかすごく幸せな気分になり、七草粥をいただき下鴨神社に向かいました。

私は下鴨神社の「たたずの森」をゆっくり歩くのが好きです。
緑深い木々には精霊が宿っているようです。
砂利道を進むと遊歩道があり、神話の世界に足を踏み入れたよう。
そして東西の二殿の本殿はともに国宝。
冬の暖かな陽射しの中の散策でした。
1月18日、文化放送の私の番組に白洲信哉さんがご出演くださいます。小学館から出版された「白洲家としきたり (小学館101ビジュアル新書)」についてや、旅、日本の美など伺いたいことばかり。
そうそう、御著書の中に大阪・堺市の大鳥神社のことが書かれておりました。「日本武尊」は故郷を見ることなく望郷の歌を詠んで戦死したこと、人気のあった「日本武尊」は人々に悲しまれ、埋葬しても、埋葬しても魂は白鳥になって飛び立ったそうです。大島神社の起源はこの白鳥に由来すると信哉さんのご本に書かれています。
やっぱり行きたい!ということで京都から大阪へ。天王寺からJR阪和腺「鳳駅」下車。そこから歩いて5、6分で着きました。大鳥神社でもお参りができました。
来週は伊勢市に仕事で行くので「お伊勢さん」にもお参りしたい・・・と何だか今年の新年は神様のお導きがあるようです。
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箱根駅伝

私のお正月は箱根駅伝で始まります。
今年も新春の箱根路を選手達がゴールめがけて登ってきました。私はコースとなる国道1号をバスで家路につきますから、そのコースがとてつもない山路であることを承知しております。
今年も往路では東洋大学の柏原竜二選手が「3度目」に挑み、見事逆転劇を演じました。東洋大は往路新記録樹立。「やったぞ、田中」と叫んでいた彼のインタビューを聞き思わず涙がこぼれました。

一昨年の3日早朝、スタート地点で復路を走る仲間を見つめていた彼の姿が思い出されます。そして、どれほどのプレッシャーがあったことでしょう。その精神力は彼だけではなく箱根駅伝を走る全ての選手達に言えることです。
復路は東洋無念・・・21秒届かず早稲田大学が箱根駅伝18年ぶりの優勝。渡辺監督、おめでとうございます。努力がむくわれましたね!シード権を得た10校。逃した大学は来年に向けもうスタートしていることでしょう。「箱根駅伝」にはドラマがあります。みなさんのひたむきな姿にどれほど励まされたか。
選手の皆さん、ありがとう

そして、4日早朝、夜明けと同時に私は箱根神社に参拝いたしました。
三が日が過ぎ静謐な神社境内。心静かに「今日まで生きてきた道すじは、本当にこれで良かったのかしら」と、年の始めというのは自分自身の進むべき道をいつになく真面目に考えてしまいます。希望がわき上がる反面、心が揺れたり理由もなく不安になったり・・・。
「そう・・・昨日の選手達のように前を向いて進もう!」
そんなことを考えました。

夜は上野・鈴本演芸場へ。
平成23年正月初席「吉例落語協会初顔見世特別公演」。
5時半から始まる客席は立ち見のでる盛況。
柳家三三さんから、はん治、権太郎師匠。ものまねの江戸家猫八さん。
お正月らしい太神楽、紙切りの正楽さん。
そして、トリは柳家小三治師匠!
最高でした。
小三治師匠は今年の干支・うさぎ年生まれなのだそうです。
今年もおおいに”追っかけ”させていただきます。
皆さま 今年も宜しくお願いいたします。

「JA横浜・FOODで風土フェア」

先週末、晩秋・晴天の下、素敵なフェアに参加してまいりました。
「食と農のとの距離を近づけるために」をテーマに消費者と生産者が一緒になり、収穫体験をいたしました。ご存知ですか?神奈川県の中でも横浜は農地と住宅街が混在した都市なのです。「横浜のどこに農地があるの?」と首をかしげるかも知れません。それが、びっくり!ランドマークなどの商業施設が並ぶ西地区を除いてすべての区に農地があるのです。野菜・果樹に花き・畜産。港町ヨコハマのもうひとつの顔は「農業都市」でもあるのですね。

当日は仲町台の駅に皆さん合流しました。今回の催しに文化放送の「浜美枝のいつかあなたと」も参加してくださいました。番組リスナーの方、一般から応募された方、150名のご参加です。寺島アナウンサーの号令のもと歩いて、いざ畑へ。「コマツナ・ニンジン・ダイコン・ホウレン草・」を収穫。生産者の方に収穫の仕方を教えていただき、子供連れの皆さんも一生懸命収穫。

そして、JAよこはま きた総合センターに集合し、生産者の方から生産する喜びや大変さ、心がけや工夫などお話をうかがい、消費者の方からも熱心に質問がありました。私も「食と農への想い」についてお話させていただきました。
その後「ヨコハマ・ヤサイ・ワークショップ」が行われました。
講師は 柴田香織さん(フード&コミュニケーション代表)
ヨコハマ・ヤサイと食文化
ヨコハマ・ヤサイと日本の伝統
ヨコハマ・ヤサイの強み
手づくりトマトケチャップのテイスチィングや大根・ホウレン草の食べ比べなど新鮮な野菜(採れたて)がこれほど”美味しい”の!との声・声・声。
賢く食べるのは、よりよく生きること。
農は命に直結している。
と私は考えています。
生産者・消費者という枠を超えて「食は命を育む」・・・こと、と実感した一日でした。生産者の平野フキさん、城田朝成さん、そして柴田香織さん。寺島アナウンサー、JAの皆さま、参加してくださった皆さま。有意義で楽しい一日を有難うございました。
抱えきれないほど野菜を手に帰路につく皆さんの笑顔が眩しかったです。

67歳の誕生日

奈良を旅してまいりました。
賑わう奈良の街から離れたところにある奥深い山と渓谷に囲まれた室生の地、女人高野・室生寺。かつて土門拳先生が1ヶ月近く、雪舞う室生寺を撮影するために逗留した橋本旅館の前を歩きながら・・・想いました。
「魅かれるものに魅かれるままジーッと眺める。モノを長く眺めれば眺めるほど、それがそのまま胸にジーンとしみて、僕なりの見解が湧く」
(私の美学・あとがきより)
先生はどんな思いでシャッターをおされたのでしょうか・・・。

奈良から桜井、そして近鉄(大阪線)で室生口大野へ。
バスで15分ほどで室生寺へ到着します。
大自然と調和して、いつ訪れても四季おりおり移ろう佇みの美しさ。
楓の紅葉や銀杏の黄葉が深山の緑に錦を織り、夏に訪ねた涼風とはまた違った室生寺。

石段を上ると金堂(平安初期・国宝)へ。一本造りの御本尊、釈迦如来立像(平安初期・国宝)、薬師如来像、そして地蔵菩薩像。檜皮葺きの屋根、朱塗りの柱や白壁の五重塔(平安時代初期・国宝)が私を迎えてくれます。
私のもっとも好きな客仏の釈迦如来坐像が静かに・静かに佇まれており、じっくり対話ができました。
幸せな67歳の誕生日。
限りある命であることを正面から受け止めなくてはならない辛さもあるでしょう。でも、そうした孤独もつきつめていくと、その奥には、生きていることに感謝する気持ちが隠れているのですね。私は奈良の旅でそれに気づいたとき、それまでよりもいっそう、人が恋しくなったような気がします。
なにごとも、いいことだけではなく、悪いことだけでもないということなのでしょう。自分の生命を丸ごと慈しみ、おもしろがり、楽しんでいきたいと思っております。

映画「クレアモントホテル」

映画「クレアモントホテル」を観てまいりました。
ロンドンの古い街角にある、時代から取り残された小さなホテル。
その小さなホテルでくりひろげられる人間ドラマ。
主人公パルフリー夫人が語ります。
「これまでの人生、私はずっと誰かの娘で、誰かの妻で、誰かの母親だった。だから残りの人生は、私として生きたい」・・・と。
初老の未亡人と青年との出会い。
主人公パルフリー夫人を演じるのは、アカデミー賞ノミネートやトニー賞を受賞したベテラン、ジョーン・プロウライト。(故ローレンス・オリビエ夫人)
原作 エリザベス・テイラー(イギリス人作家)
監督 ダン・アイアランド
青年役にはロンドン生まれのルパート・フレンド
老夫人と青年の心あたたまる交流が描かれています。そこには限りない愛が存在します。孤独と、より良い人生を静かに演ずる主人公の生き方に、私自身の生き方を重ねてみます。
歌手の小椋桂さんがテレビ番組のインタビューに答えておられました。「人生年を重ねれば、坂道を下りてゆきます。ただ、その道を上がり道と捕らえるか、下がり道と捕らえるかで随分違う。もう・・・なのか、まだ・・なのかでも違う」と。
私は、箱根の山を時間が許すかぎり歩いておりますが、ときにはだらだら道を歩いておりますと、足元に咲く可憐なスミレを見つけたり、急な山道を息を切らしながら上がっていると、雲の流れに目を奪われたり、その日、その日の自然を体ごと受け止めている自分に気づきます。
そうなのですね。この映画は、いかに自分らしく行き抜くかを問われているように感じました。そして、最後まで自立して生きる。あきらめない。そこには老いも若さも互いに共有できる愛があるのです。気品ある生き方に感動いたしました。

12月4日(土)より、東京・岩波ホールで公開。
オフィシャルHP http://www.cl-hotel.com/

「小林桂樹さん お別れの会」

「小林桂樹さん お別れの会」に出席してまいりました。
小林桂樹さんは86歳でご逝去されました。
映画、テレビ、舞台と俳優道ひとすじに歩まれてこられました。
18歳で俳優としての人生を歩み始め、翌年徴兵され戦場へ。
会では多くの方が故人を偲び献花しご冥福をお祈りいたしました。
俳優の中井貴一さんは、大学生の時に小林さんと出会われ、40日間撮影でご一緒になり、毎晩夕食を共にし「俳優の道」に進むことを決断されたことなど、祭壇の着物姿であの優しい微笑みの小林さんに語りかけられておられました。八千草薫さんはご主人を亡くされた時に励まされたことなど、しみじみと語られておられました。
私はひょんなことで女優になって「若い素肌」でデビューしました。 
右も左も分からず、私の生活は一気に嵐のような春を迎えました。
急に眩しいライトの下に身をおくことになりました。
そんな私を小林さんは昼休みなど、さりげなく声をかけてくださいました。
「大丈夫?困ったことはないですか・・・」と。
それから「社長シリーズ」などでご一緒させていただきました。どんな役をなさっても、そこには庶民の人間としての優しさに溢れた素晴らしい演技があり、多くのことを学ばせていただきました。
安らかにお眠りください。         合掌