映画『大地と白い雲』

大自然の最大の魅力は、私たちを癒してくれることです。どこまでも続く大きな空。そして、穏やかな稜線は見る人の心を落ち着かせてくれます。そんな非日常的光景が、モンゴルの果てしない草原にありました。

中国の最も北に位置する内モンゴル自治区。そこで繰り広げられる若い夫婦の夢と不安の心模様を、映画「大地と白い雲」はじっくり描きます。

内モンゴルの大平原で、若い夫婦のチョクトとサロールは牛や羊の放牧で生計を立てています。緑あふれる夏も、凍てつく厳冬の季節も、昔ながら遊牧民としての日々が続きます。しかし、現代は都市化やITが爆発的に進み、モンゴルも例外ではありません。そこに住む若者たちはそれをどのように受け止め、向き合おうとしているのか?

馬を上手に乗りこなし、牛や羊を追いかける夫のチョクトは外の世界のあこがれを捨てきれず、オートバイで突然姿をくらまします。しかし、妻のサロールは、このまま今の生活を送りたいと願います。未知の世界への挑戦を諦めない夫。大地に根を張り、厳しいけれど穏やかな暮らしを続けたい妻。若い二人は、これからどのような未来を切り開くのでしょう?

内モンゴルの面積は日本の約3倍。人口は東京都と神奈川県を合わせた数とほぼ同じ。最大都市・フフホトの人口は大阪市と変わらない300万人弱。

圧倒的な大自然の美!圧倒的な大都市と大草原の乖離。若夫婦のすれ違いは、決して二人だけの問題ではないのですね。

この作品を作った王端(ワン・ルイ)監督にとても興味を持ちました。王さんは北京生まれの漢民族。彼は北の辺境・モンゴルにそっと寄り添うように、この物語を紡ぎました。モンゴル出身の俳優を見つけ出し、モンゴル民謡を流しながら大草原を描くのです。

字幕翻訳者によれば、会話はほとんどがモンゴル語で、中国語は僅か2割程度でした。都市化、デジタル化に翻弄され続けるモンゴルの人々の心と生活。時代の流れは仕方がないと切り捨てない王さんの姿勢はやはり少数民族や異文化への理解と共生することへの興味や関心なのかもしれません。

王さんは、企画立案や様々な交渉を担ったのは妻だったと語っています。完成まで10年もかかったのは、制作費の調達などもあったようです。奥様は、文字通り戦友、同志だったのですね。

エンドロールには驚かされました。
「本作を亡き妻に捧げる」
完成を見ずに亡くなった奥様への、最大限の感謝と謝辞だったのです。

チョクトとサロールの人生の後半は、きっと妻の意見を入れてモンゴルの大草原に戻り、穏やかに暮らすのではないか?そんな想像を、一人勝手に巡らせていました。

映画公式サイト
https://hark3.com/daichi/

沖縄

沖縄は私の第二の故郷です。

民芸に魅せられてからおよそ50年、何度通ったことでしょう。友人もたくさんできました。しかし、コロナ禍は人々の心を千々に乱しました。この2年間、私は沖縄を訪れることができませんでした。

観光客の数が1000万人と、一時はハワイを抜くほどだった沖縄は今、大打撃を受けています。

そんな時、親友の下地貴子さんから連絡をいただきました。下地さんは沖縄観光コンベンションビューローの幹部の方です。彼女は観光振興の当事者として、文字通り、獅子奮迅の活躍をしています。

その彼女が話し出しました。「浜さん、とても嬉しいニュースがあります!」と、いつもの弾んだ声が聞こえてきます。「いろいろ大変なこともあるけれど、将来に希望が持てることもあるのよね!」

何か伺ってみると、こんな話でした。

山形市の私立・明正高校は、今年1月に予定していた沖縄への修学旅行を中止しました。それまで一生懸命、旅行の準備を進めてきた生徒たちにとって、コロナのためとはいえ、中止は大きなショックでした。

沖縄への興味と関心を諦めきれない生徒たちは、専門講師によるリモート講座なども含め、勉強を続けました。沖縄の歴史や文化、更には環境問題などについて考え続けたのです。そして、「今は沖縄には行けないけれど、何かこれまでの学習の集大成を残したい!」、生徒たちは、そう判断したのです。

「私たちの想いを、たくさんの人に伝えたい。コロナ蔓延の真っ只中に高校2年生だった私たちの想いを残したい。いつか、きっとお訪ねします!」

生徒たちは、数え切れない「千」もの想いを、「千羽鶴」に折り込みました。その折り鶴を使い、大きなモザイク画が完成しました。そのモザイク画は今、動画に収められています。

千羽の鶴は動画でどのような変化を遂げたのか?
生徒たちの心が、そして沖縄の明るい光がコロナの後の世界を照らそうとしているようです。

映画「モロッコ、彼女たちの朝」

地中海に面するモロッコ最大の都市、カサブランカ。ここを舞台にしたハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマンの名画「カサブランカ」を、これまで何回見たことでしょう。

でも、先日の映画は同じカサブランカが舞台ですが、描かれる世界や登場する人々は全く異なりました。男女の物語というよりも、女性の生き方を女性同士が考え、悩み、そして自ら切り開いていくというものでした。

「モロッコ、彼女たちの朝」。
モロッコの劇映画が日本で公開されるのは、今回が初めてとのことです。

カサブランカの雑踏を、臨月のお腹を抱えた若い女性が一人歩いていきます。職も住居も失った彼女は、生活の糧を探し求めていたのです。ようやく一軒の手作りパン店にたどり着いたものの、すぐに色よい返事はもらえません。

お店の主人は女性でした。一人娘を抱えて、毎日を生きることに懸命です。しかし、臨月の女性の話を聞きながら、手を差し伸べてあげたいという気持が芽生えてきます。モロッコは昔ながらの男性中心社会。未婚の母は今もタブーなのです。それが容易に想像できる女性店主は、夫を事故で亡くしていました。

二人の女性が、これからどのような将来を目指していくのか?

この映画で、”心の介添え役”を演じたのが、店主の娘です。あまりに自然な演技は、監督が偶然にみつけたという、素人の少女でした。彼女なしには、この映画は成り立たなかったでしょう。女性二人の仲を取り持ったのですから。

そして、スクリーンに時折現れる、一枚の絵画を思わせるような映像。フェルメールの「牛乳を注ぐ女」の、まさにオマージュともいえました。監督はモロッコ生まれのマリヤム・トゥザニ。彼女は初めて長編映画に挑みました。

全編静けさが漂うスクリーンで唯一”心の躍動”を感じさせたのが、アラブ世界では有名な歌手・ワルダの歌声でした。彼女は夫に歌うことを禁じられたために離婚し、なお歌い続けました。聞く者の胸を揺さぶる彼女の愛と希望の旋律は、この作品の重要な”羅針盤”ともなっていました。

男性との対立を前面に押し出すのではなく、それよりも、女性の自立や自律を大事にしたい!「女性の、女性による、女性のための映画」。監督のそんな思いが、強く感じられました。

今から20年ほど前、私はカサブランカから車で2時間半ほどのところにある小さな集落を訪ねたことがあります。わずか4日間の滞在でしたが、そこではベルベル族(北アフリカの先住民)の女性たちが、家事の合い間に、アルガン樹の実を手で割り、オイルを採取していました。昔から食物であり、治療薬として大切にされてきたオイル。「生産協同組合」もでき、アルガンの木の保護や女性の自立支援、社会的地位向上も目指していました。

アルガンの実を”人生の実”と称されるほどです。

彼女たちは今、どうしているかしら?
コロナ禍が一段落したら、また行ってみたいと夢見ています。

映画公式サイト
https://longride.jp/morocco-asa/

藤戸竹喜  木彫り熊の申し子     ~アイヌであればこそ

木彫りの熊は離れて眺めても、その魅力が伝わってきません。近寄って見つめると、思わず触れたくなるようなリアリティーに驚かされます。毛一本一本の質感、そして何かを訴えかけるような表情にも、芸術性と熊の存在感が溢れ出ているのです。

今、東京ステーションギャラリーで「木彫り熊の申し子」と題された企画展が開かれています。”申し子”とは彫刻家・藤戸竹喜(ふじと・たけき)のことです。

「アイヌであればこそ」の副題が付けられた展覧会は熊を中心にした動物、そしてアイヌの先人たちの、まるで生きているかのような立像など、80点余りの作品が周囲を圧倒しています。

50年ほど前、東京・駒場の日本民藝館でアイヌの工芸品に出会いました。どうしても、その手仕事の現場を見たい!その後、テレビの仕事で北海道のアイヌコタン(アイヌの人々が住む集落)を訪れ、素敵な女性にお会いしました。

貝沢トメさん。

アイヌの大切な祭り・イヨマンテ(クマ送り)で熊を寝かせるための”花ござ”を編んでいました。彼女はアイヌの人々の暮らしぶりや織物の素晴らしさなどを、3日もかけて丁寧に教えてくださったのです。

今回の木彫り熊の企画展は、衣装や装飾から出発した私のアイヌ芸術への関心を一層広げ、深めることになりました。

デッサンも下絵もないまま、たった一つの木片から熊を彫り上げていく。なぜ、このようなことが可能なのか?それは、アイヌの人々の精神性に因るものだと感じました。

お寺も神社も持たない彼らは、動物なども含めた山や川、つまり自然そのものを神と崇めているのです。彫刻家の藤戸竹喜は、一つの木から魂を彫り続け、そして堀り当てたのでしょう。

「木彫り熊の申し子」展の会場として、ステーションギャラリーはぴったりでした。

かつての東京駅のレンガ壁を利用した展示場は、出展作品との息遣いがとても似ていたのです。昭和の観光ブームでお土産物として主役の座を維持し続けた木彫りの熊は、今では芸術・文化作品として、アイヌの手仕事の魂を代表する存在になりました。

その立役者の藤戸竹喜は、決して頑固一徹の人物ではなかったようです。会場には、若い頃の彼が大型3輪バイクに乗って微笑む写真が照れくさそうに飾られていました。自宅の工房には、趣味でジャズ喫茶が開かれていたとのことです。

藤戸竹喜さんは3年前に、84歳で亡くなられました。

アイヌの歴史と伝統に限りない誇りと愛情を持ちながら、別の文化にも理解の翼を広げていらしたのですね。

尊敬と合掌

東京ステーションギャラリー
http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/202107_fujito.html