亜麻の花咲く里づくり

10月下旬、北海道当別町に行ってきました。
この町は札幌都心部から約15~25kmに位置しています。当別町では、明治初期より始まった亜麻の栽培が、化学繊維の普及により除々に減少し、やがて姿を消してしまいました。その美しい景観をもう一度取り戻し、地域の活性化につなげようと復活に取り組んでいます。
(亜麻とは、中央アジア原産でアマ科の一年草のこと)
約40年も栽培が途絶えていたこともあり、亜麻の栽培方法の研究から始まり、海外の文献などを参考に試行錯誤を重ね、8年目の現在は約8haの作付けをするまでになりました。生産者の輪も広がり、商品開発も進み、フォトコンテストや亜麻まつりなどで町は賑わいます。亜麻の種子から抽出される「亜麻仁油」は身体によいといわれています。

初夏には薄紫の亜麻の花が咲き乱れ、収穫時期を迎える秋には、一面黄金色に色づき美しい風景を作り出すそうです。
廃校となった小学校を亜麻の資料や木工家具のアトリエなどに使われており、何だか懐かしい光景がよみがえりました。

「亜麻の花咲く町」・・・今度はぜひ夏に行ってみたいです。

NHKラジオ深夜便「大人の旅ガイド~岡山県・勝山」

今回ご紹介するところは、岡山県北部に位置する真庭市勝山です。
勝山は、瀬戸内と山陰を結ぶ交通のかなめにある美しい町です。
町を囲む蒜山(ひるぜん)三山をはじめ、山々が檜や杉など森が深く、日本の滝百選に選ばれた、神庭(かんば)の滝は、湯原奥津県立自然公園の一角にあり、落差110m、幅20mの勇壮な滝です。

てっぺんから流れ落ちる滝の姿はなんと美しいことか。滝の水しぶき、樹木の匂い、辺りに漂う樹齢の空気に清清しさを感じ、思わず深呼吸をたっぷりしました。きっとマイナスイオンが身体中にいきわたったでしょう。一帯には約180匹の野生の猿が生息し、訪れる人に愛嬌をふりまいています。私が訪ねたのは10月でしたので、今頃は紅葉が一段と美しいことでしょう。
勝山はかつて出雲街道の宿場町として栄えた町で明治までは木材で賑わっていたそうです。けれども時代が経るにつれ、その賑わいは失われていきました。それが今、再び、近くの湯原温泉のお客さんをはじめ、大勢の人が集う町になりつつあります。勝山の何が人々を惹きつけているのでしょう。
3月の「勝山のひな祭り」の頃は3万人ほどの人が集まるとか・・・。どこの家々もお雛さまを飾って観光客を楽しませてくれるとのこと。そんな暖かい気持ちが伝わっているのですね。
さらには、白壁の土蔵や連子格子の家々が連なる城下町の風情でしょうか。そして、町並み保存地区の通りに面した軒先にかかる草木染めの暖簾。商店はもとより個人の住宅にも暖簾が揺れています。一軒ごとに違う大きさや柄、たとえば自動車修理工場の軒先にはモダンな自動車の絵柄、幾何学的な自転車柄、タイヤのわだち、野菜、野の花、櫛模様・・・まあ、にぎやかな事。でも全体がシックにまとまっています。今では110軒中92軒が暖簾を揚げています。

約13年前、東京・女子美術大学でテキスタイルを学び教えていた草木染め作家・加納容子さんが、家業の酒屋を継ぐためにUターン。店に自作の暖簾をかけたのがきっかけで、その美しさにひかれ「うちにも」「うちにも」と暖簾をかける家が増え、今の姿になったといいます。
私が訪ねた時には、どの暖簾の下にも野の花が飾られ、訪れる旅人を出迎えてくれます。その見事な組み合わせに思わず足を止めると、「お茶でも召し上がりませんか」と何人もの方に声をかけられました。それがまた、気負いを感じさせない、自然な雰囲気なのがとても嬉しかったのです。

そして、私にとっての旅の魅力のひとつに地酒があります。
ここ勝山には創業二百年余年の、この町にただ一軒残る酒屋があります。
辻本店の酒です。
旭川の伏流水がまろやかさを醸し出します。仕込みの陣頭にたつのは辻家のご長女。酒蔵は女人禁制の世界でしたが、現在では見事に長女の麻衣子さんにより酒造りが行なわれているといいます。歴代の杜氏が惜しみなく技を伝えてきたのでしょう。
この勝山には水のよさから、美味しい蕎麦屋もあります。当日私は残念ながら休日にあたり食べられなかったのですが、この蕎麦やは何でも倉敷から、この水のよい勝山に食道楽の人たちの求めに応じてやって来たとのことです。
酒蔵・蕎麦や・そうそう・・・美味しい饅頭屋さんもあります。
もう、これだけあれば、すっかり旅気分。
ところで、この町並み保存地区には一切、ゴミ箱がないのです。そのかわりに旅人がゴミを手にしていると、町の人が「お捨てしましょうか」とすっと手を差し出す。それぞれ数万人もが訪れるひな祭りや喧嘩だんじりこと勝山まつりでも、それで、まちは少しも汚れないといいます。
勝山は旅人と町の人がお互いを慮り、理想な形で交流ができているのではないでしょうか。相手のことを慮り、誠意を尽くして行動する勝山の人々。そして、訪ねる観光客もけっして土足で入らない・・・理想の町をみました。
勝山の見所はいろいろあります。神庭の滝 町並み保存地区では暖簾や土蔵や格子、旭川沿いには往時を偲ばせる高瀬舟発着場後が残っています。郷土資料館には、縄文時代からの民族資料、旧藩主・三浦藩に関するもの、戦時中に勝山へ疎開していた谷崎潤一郎の資料も展示しています。入り口を入ると、休憩所があり暖かいお茶で迎えてくれます。武家屋敷は往時の姿で現存しています。
のんびり、ゆったり・・・勝山の町を散策してください。
岡山駅前から直通のバスが出ていて便利です。勝山まで約2時間の旅です。
JR岡山駅から伯備線で新見駅へ。姫新線に乗り換えて中国勝山駅下車。
岡山駅から津山線で津山へ向かい、姫新線に乗り換え勝山駅で降りる方法もあります。
どちらも所要時間は約3時間。
駅を出て左方向に「檜舞台」と書かれた門をくぐると暖簾の町並み保存地区。
小さな町なので歩いて充分愉しめます。
【お問い合わせ】
真庭市役所勝山支局総務振興課まで。
TEL 0867-44-2607
今夜は暖簾が風にゆれ、暖かなおもてなしで迎えてくれる勝山をご紹介いたしました。

「パリに咲いた古伊万里の華」に寄せて

日経新聞 第18回 10月31日掲載
旅先で、知らない町を歩くのと同じくらい楽しみにしているのが美術館巡りだ。何度も通ううちに、親しみを感じるようになった美術館もある。東京にもお気に入りの美術館がいくつかある。そのひとつが、1933年に建てられた朝香宮邸をそのまま美術館としている東京都庭園美術館だ。

建物の存在自体が美術品といっていい。日仏のデザイナーや技師が総力をあげて作り上げた独特の格調高いアール・デコ建築で、すみずみまで美しい。さらに名前の通り、美術館は東京都心では珍しいほど豊かな緑の庭園に囲まれている。

今、こちらでは「パリに咲いた古伊万里の華」(~12月23日)が開催されている。オランダ東インド会社が日本の磁器に注目し、公式に輸出された1659年から今年で350年、それを記念した大展覧会だ。仕事の合間を見つけ、駆けつけた。
当時のヨーロッパの王侯貴族たちを魅了した有田の磁器がこれほど展示された例はない。乳白色の素地に施された色絵、金襴手の豪華な大皿や大鉢…どの作品からも精進して作成した先人の思いが伝わってくる。ヨーロッパの厳しい注文に応え、技術を磨き、高い評価を得るまでに成長していく過程も見て取ることができた。と同時に、作品と建物が交感し、共鳴しあっているようにも感じた。遠く海を渡り、時を越えて里帰りした古伊万里を、建物が優しく迎えているような、そんな雰囲気が会場に満ちていたのだ。
帰りに秋風を頬に受けながら庭を歩き、カフェでお茶を飲み…心が充実し、活力がみなぎるのを感じた。力ある芸術は、人を勇気付けてくれる。秋が深まった午後の昼下がりにでも、足を運んでみてはどうだろう。

能登演劇堂のマクベス

日経新聞 第17回 10月24日掲載
パーソナリティをつとめているラジオ番組『浜美枝のいつかあなたと』(文化放送・日曜10時~11時)に8月、仲代達矢さんをお迎えした。仲代さんはご存知のように、日本を代表する俳優の一人であり、75年より舞台俳優養成のための私塾「無名塾」を主宰している。
「今は私にとって赤秋の時。真っ赤な秋を真っ赤に生きようとこの秋、石川県七尾市の「能登演劇堂」で能登でしか観られないシェイクスピアの「マクベス」を演ります」
仲代さんは目を輝かせつつ、76歳の新たな挑戦について語ってくださった。
その仲代さんの言葉に誘われ、先日、能登中島の森に抱かれた「能登演劇堂」で、まさしくこの劇場でしか見られない「マクベス」を堪能してきた。舞台後壁が開くや、馬に乗ったマクベスが駆け下りてきてストーリーが展開する。本物の森が動き、舞台装置の一部となるのだ。ダイナミックな演出、そして仲代さんの深みある演技。心にしみる素晴らしい舞台だった。
能登演劇堂は、日本では珍しい演劇専門のホールだ。無名塾が中島町で合宿していたことが縁で、当時人口8,000人の町の年間予算の約3分の1を投じて、1995年に開館した。そこには石川県能登半島を演劇文化エリアとして定着させたいという地元の思いがある。開館から14年、東京など県外からも人が集まるようになり、50日間のロングランの「マクベス」は切符も完売であるという。
芝居を見た帰り、能登七尾から金沢まで1時間45分鈍行列車に揺られた。舞台の余韻を味わうには、特急ではなく各駅停車に流れるゆったりした、そして人の匂いがする時間がふさわしいように思ったのだ。