浜美枝のいつかあなたと ~ 板倉徹さん

文化放送・『浜美枝のいつかあなたと』
毎週日曜日・10時30分~11時まで「やわらかな朝の日ざしにつつまれて、今朝も素敵なお客さまを、我が家にお招きいたします」で始まります。
先日素敵なお客さまをお迎えいたしました。
板倉徹さん。
和歌山県立医科大学脳神経外科教授で「脳の専門家」です。
これまでも数多くの発言をされ、現在は著書「ラジオは脳にきく―頭脳を鍛える生活習慣術」(東洋経済新報社)が発売中です。番組の中では、人間が誰しも持っている「脳」。しかし、「脳」の機能はまだまだ未知数、計り知れないともいわれます。
「便利すぎる文明社会は脳を活性化させない」
特に脳の中の「前頭前野」はとても大切で人間の「やる気」にも関係がある場所とか。その「前頭前野」を鍛えるためには、「ラジオを聴く」「落語を聴く」など音経由で想像力を働かせる脳の使いかた・・・など、「ラジオの「ながら聴き」は脳によい」、「インターネットより新聞を読む方が脳にはよい」等など大変興味深いお話を伺いました。
日本は超高齢化社会にすでに入っています。
何歳になっても、はっきりした頭で生活したい・・は誰もが願うことです。
どんなことを心がけるべきか・・・ぜひ番組をお聴きください。
放送は2月1日(日曜)10時30分から11時までです。

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NHKラジオ深夜便「大人の旅ガイド~酒田・室生寺」

今夜ご紹介するのは山形県酒田にある”土門拳記念館“です。
その前に、年末奈良の室生寺を訪ねました。
私と室生寺の出会いは10代の頃に遡ります。
私を骨董の世界へと導いてくれた写真家・土門拳先生が、「室生寺はぜひ見に行ってごらん」といってくれたのでした。それ以前に、土門拳写真集「筑豊のこどもたち」に出会い、私の宝物のようになっていました。
定価100円のザラ紙に印刷された、一枚一枚のなんという悲しさ。なんという愛らしさ・・・。表紙になっている、るみえちゃんの美しさと底知れない悲しみ。心がくぎづけになりました。
「一度でいい、土門先生にお会いしたい」と当時、思いつづけておりました。念願がかない京都で雑誌の表紙の撮影。が、その日は光の具合がよくなくて中止。そこで先生が誘ってくださり、ある骨董屋さんに連れて行ってくださいました。
その道すがら、土門先生はこうおっしゃられました。「本物に出会いなさい、モノには本物とそうでないモノと、ふたつしかない。これから本物を見に行こう」・・・と。
それが先生との出会いでした。
それ以来先生は、何度病に倒れても不死鳥のように甦り「室生寺」「古寺巡礼」などを世に送り続けました。「女人高野室生寺」の撮影時は3度目の大きな発作に見舞われ、車椅子の上からの撮影となりました。
特に私の好きな
「精神ヶ峰の朝霧」
「雪の鎧坂金堂見上げ」
「室生寺弥勒堂」
「釈迦如来坐像左半面相」
など、数えきれないほどの”室生寺”を先生は正に執念で撮り続けられたのです。
私は奈良での仕事が終わり何故かふっと室生寺に行きたくなり予定を延ばし訪ねてきました。
JR奈良駅から桜井線に乗り、途中で近鉄線に乗り換えました。単線を走る2両仕立ての各駅停車の桜井線はトコトコ、のんびり走り、窓から冬の奈良の景色をゆったり眺めることができました。早朝の朝霧の中、雪はありませんでしたが、先生の作品「雪の鎧坂金堂」の石段にたちたくなったのです。なぜなのでしょうか・・・。

新しい年を迎え、新しい人生のステージに足を踏み入れるとき、人は祈りの場所を求め、心を整理し、大いなるものに背中をそっと押してもらいたくなるのかもしれません。
まだ他に人もおらず、室生山を仰いで清流をゆっくりと渡ると室生寺。仏様を拝み、建物を鑑賞し、堂内を散策してきました。
先生は写真集「室生寺」のまえがきで、このように記しています。
「この本が祖国の自然と文化に対する日本民族の愛情と誇りを振るい起すささやかなよすがともなるならば、ぼくたちの努力の一切は報いられるのである」
室生寺の別名は「女人高野」といいます。
「室生寺は寺伝にいう女人高野の名にふさわしく、可愛らしく、はなやかな寺である。伽藍も仏像も神秘的で、しかもあやしい色気がある。深山の杉の木立の中に咲く山ざくらにもたとえられよう」(「ぼくの古寺巡礼」小学館)
仏様たちと静かにひとり対話し、元気をいただきました。たった一泊延泊しただけですが、ひとり旅っていいなぁと、その醍醐味を味あわせてもらいました。ひとりでお訪ねしたからこそではなかったか、とも思います。
さて、そんな旅のあと、たまたま1月に入り山形での仕事があり、奈良の旅の延長に酒田の「土門拳記念館」に行ってみたくなりました。
仕事が終わり夕暮れの中、奥羽本線で新庄まで、そして、陸羽西線に乗り換え甘目(あまるめ)。今度は羽越本線で酒田へと。凍てつく冬の旅ですが、車窓から遠くにぼんやり民家の灯りが見え東北を旅している・・・と実感できます。
山形県酒田市の「土門拳記念館」は最上川が日本海に流れる河口間近の川ぞいに位置し、飯森山文化公園の中にあります。遠くに雪をかぶった鳥海山。人口の池(草野心平が「拳湖」と名づけた)にはカモが気持ちよさそうに泳いでいます。
水面に浮かぶように建てられた記念館の設計は谷口吉生。
イサム・ノグチの中庭の彫刻、亀倉雄策による銘板、勅使河原宏の作庭による庭園、周囲の素晴らしい自然と調和した建物です。

「土門拳記念館」は日本最初の写真専門の美術館として、また個人の写真記念館としては世界で唯一のものとして昭和58年10月にオープンしました。土門先生の育った自然が望める場所にあります。
個人的には私は冬に訪れるのが好きです。今回は何度目になるでしょうか・・・。
「土門拳の風景」「文楽」「古寺巡礼―日本の仏像」が展示されており、もちろん「室生寺」もありました。
展示室の一画にメモしたノート、使ったカメラが展示してあります。そして1974年6月に65歳の土門拳先生が左手で書いた色紙の前で私は体が動かなくなりました。”逞しく・優しく”という文字。
車椅子に乗り、お弟子さんに背負われ、待ち続けて撮影した「雪の鎧坂堂を見上げる」を見るとき、10代に「本物に出会いなさい」と仰っていただき、「日本人の美」を学ばせていただいてから五十年近く経つのに、まだ耳元に先生の声が聞こえてきます。
そんな酒田の「土門拳記念館」をご案内いたしました。

2009年・・・ 土門拳生誕100年を記念して三人三様展・勅使河蒼風・土門拳・亀倉雄策」が開催される予定です。2009年6月12日~8月23日まで。
旅の足
庄内空港
 東京―庄内空港・・・約60分
 大阪―庄内空港・・・約75分
JR線
東京―新潟(新幹線)―酒田(羽越本線)・・・約4時間
酒田駅より
タクシー約10分
バス約16分

ばっちゃんからの贈り物

大切なものは、土と太陽の匂いがする
ばっちゃん・・・ふるさとだよりの品々が届きましたよ!
栗の渋皮煮、豆糖(みそ味)手づくりジャム、凍りもち(ついた餅を寒風で乾燥させ、砂糖醤油で味付けしたもの)おたっしゃ豆(まめで達者での願いを込めて)にんにく醤油・・・そして、おみ漬け(山形名物のつけ物・青菜の浅漬けは、納豆を混ぜたりお茶漬けでも美味しいとか)


先日、山形県西村山郡大江町に伺ってまいりました。
県のほぼ中央に位置する村山盆地。
柏倉吉代さん(74歳)、横山みつよさん(77歳)、JA高取部長さんをはじめ30代・40代の女性達「JAさがえ西村山」のみなさまの活動を知ることができました。
加工所がある18才(じゅうはっさい)という集落名は、月布川に注ぐ十八番目の沢「十八沢」に由来したとも言われていますが、ばっちゃん達はまさに18歳!そのもの。
28年前にはじめた「もったいない、無駄なく」との思いはまさに今、求められていること。
地域の伝統を大切にし、大江町らしさをだした女性ならではの知恵と技によって、「我が家に伝わる秘伝の味」「子や孫に食べさせたい味」をモットーに受け継がれてきたのです。
“おみ漬け”・・・のなんと美味しいこと。
山形青菜はボカシ肥をいれた土づくりを条件にしているそうです。

「土」が総てを知っています。
私は40年にわたり、日本の農山漁村を訪ねてきました。
最初は民藝に惹かれての旅でした。
やがて、農山漁村の現場を知ることになりました。
第一次生産者が誇りをもって農業・漁業・酪農などに従事できるように、そして消費者が確かな目を育てられるように、ひいては「安らぎの食卓」を支える安全な食品を誰もが当り前に手に入れるようになればと、私なりに情報を発信し、提案を重ねてきたつもりでおりました。
ですから、近年続出した食をめぐる数々の事故・事件は衝撃そのものです。「損得」でビジネスを考えるのではなく、「善悪」という視点から捉え、信頼で生産者と販売者と消費者が互いに切磋琢磨できる関係を作り上げる。
「体に悪いものは作らない・売らない・買わない」という関係をつくりましょうよ。
けっして夢物語ではありません。
だって”ばっちゃんの贈り物”が証明してくれていますもの・・・。
全国には、こうした”正直な味”がたくさんあります。

成人の日によせて・・・ “どんぐりに乾杯”

我が家の子ども達はとうに巣立っていきました。
次女が成人の日を迎えた時の写真が仕事部屋に飾ってあります。
そう、あれはその頃の話です。
森を歩くことは人生を歩むことに似ていると、その日もしみじみ思ったことでした。軽井沢の野鳥の森で馬場さんという森の先生にお会いしました。野鳥の名前や習性や木々のはなし・・・。うかがいながら歩く森は、生き生きと生きる森。なかでもドングリの話は、本当に感動的でした。
ドングリの実って、ほら、先がつんととんがって、まあるく台座にのっかっていますね。あの形にはワケがあるのだそうです。
馬場さんのお話によると、こうです。
「ドングリが地面におちるときが種の旅立ちです。どうおちるかで、種の生存、繁栄が約束されます。もしドングリがただまんまるというのでは、溝やくぼみにはまって枯れてしまう。まんまるではないことで、ドングリは遠くへころがっていけるのです。親木の下にいたのでは、葉が繁ってくると成長できません。できるだけ遠くへ飛んでいくことで、ドングリはぐんぐん成長できるのです」
すごい話だと思いませんか。
“親は永遠に思い続ける”
子育てには、3つの段階があるのではないでしょうか。
おなかに命を宿してから、小学校に入るくらいまでは、親にとって子どもは守ってあげなければならない存在です。そして、小学校2~3年生から17~18歳までは親子が共に育っていく時期。子どもは反抗期などを経験しながら自分自身を発見していく時期であり、親はそうした子どもと正面からぶつかり合うことが求められるのではないでしょうか。それから、20~22・3歳までは、子どもが自立して大人になるのを、親は陰ながら見守る時期だと思うのです。
これら「肉体・精神そのすべてを守る→共に育つ→精神的に見守る」という3段階を通して、親は子どもを社会に送り出すことを、私は4人の子育てを通して学びました。そうはいっても、子育ては1本の道ではありませんから、悩んだり苦しんだり、ときには立ち止まったりしました。
子育てを通して、自分の至らなさも見えました。子どもが自立して親の元を離れていくのが、寂しいという人がいますが、私の場合はむしろ安堵感のほうがはるかに大きかった感じがします。そう思えるのは、子どもが巣立っても、母親としての役目は完全に終わるわけではないと思っているからかもしれません。
永遠に親は親であり、子どもの幸せを願い続けるものなのでしょう。
“成人の日”
親は、遠くから「がんばって」と祈るだけでいいのではないでしょうか。それ以上の親の介入は、子どもにとって障壁になりかねないものではないでしょうか。 ”ドングリの世界のように”

謹賀新年

2009年、新春のお慶びを申し上げます。
みなさまはどのような新年をお迎えでしょうか。

年の初めというものは自分自身の進むべき道をいつになく真面目に考えて、希望がわき上がる反面、心が揺れたり理由もなく不安になったりするもの。そんな癖は、私だけのことでしょうか。
子どもたちが巣立った後に、これからは思いきり自分自身のための人生に出発しなければ・・・この辺でもう一度自分をみつめ直さなければいけないな・・・とそんなことを考えつづけてきた年の初め。
今は亡き「松本民芸家具」の創始者である、池田三四郎先生のことを思いだします。先生にお会いしてたっぷりとお話をうかがうと、いつも魔法をかけられたように元気になって箱根の山に戻ることができました。
ある晴れたお正月、新宿から「あずさ号」に飛び乗り松本まで。
駅前の喫茶店に入り、クラッシックを聴きながら香ばしいコーヒーの香りを楽しみ、心のウオーミングアップをするのです。
富山県八尾の入母屋造りの大きな農家を移築して、昭和44年に建った家。
私はよく先生のお伴をして周辺の山々が見渡せる丘に登ります。
民藝運動の創始者、柳宗悦も、また、宗悦に心酔していた版画家の棟方志功も同じ丘に登っては、ただじっと一点をみつめたまま「自然というのは、仏か、仏でないか」、「自然以上の自然が描けたら、それが、まさに芸術と呼ぶに値するものだろうなあ」と繰り返していたといいます。
秀れた先人たちは皆、自然に対して深い畏敬の念を抱きながら、大自然を父として、母として生きてきたのです。
そして池田三四郎先生はそのご著書のなかでこう書かれています。
「人間が自己の力を過度に評価し、科学を過信し、一切を知性によって合理的に究め得ると錯覚した時代は、その後の日本が歩いた道であった。自然に対する人間の勝利とは虚妄の勝利であったのではないか。近代精神のもたらしたものは人間の傲慢であった。その傲慢さの故に、自己の創った科学文明のために自分自身が復讐されつつあるとは言えないか・・・」と。
しかし、目の前の先生はストーブに薪をくべながら
「一本のねぎにも、一本の大根にも、この世の自然の創造物のどんなものにも美があるんだ。問題は、人間がそれを美しいと感じる心を身体で会得しているかどうかなんだ」
と淡々と語られました。
私は、年の始めに自分自身の過去と未来を見つめ直しているうちに、この先どういう場所に身を置くべきかを考えます。
いたずらに過ぎてしまった過去や未知の未来を思い慕うよりも、
いま自分の手にしている現在を、いま身の回りにあるものを真摯にみつめて、それらを大切に暮らしていきたいと思います。

世界中から、戦争がなくなりますように・・・。
人々の暮らしが穏やかでいられる世の中でありますように・・・。
そんなことを願った新年です。
2009年がみなさまにとって良き年になりますように。