ラジオ深夜便-「箱根」

今回ご紹介致しましたのは、私が住んでいる箱根です。
箱根は、夏がハイシーズン。
箱根のあちこちでたくさんの観光客に出逢います。
そして、山の花や植物を見にいらっしゃる方々も多く、殆ど、女性です。
40代、50代、60代の仲良しグループが、楽しそうに花と一緒に写真を撮ったり、俳句を詠んだり、スケッチをしたり皆さん女学生のように楽しく山や草原を歩いていらっしゃいます。
私の家族が箱根に引っ越したのは、昭和54年、1978年の事でした。
まだ家が6~7分できた頃。
「なんで山の中に住むの?」と、良く言われましたが、これは私の夢でもありました。
箱根に住んで30年がたとうとしております。
小学校を箱根で過ごした子供たちは、お陰さまで、皆な、植物好きな子供に育ちました。
箱根の植物は、私の子供たちの、もう一人のお母さんだったかも知れません
もう皆社会人になっておりますが、小学生の頃、長男は学校帰りに山ほどのつくしを帽子にいっぱい摘んで帰り、
「ママ、つくし、煮てちょうだ~い」って、帰ってきたのも昨日のことみたいです。
箱根の自然は、私自身にも多くの恩恵がありました。
木々や花々、雲や富士の山々はどんな時もやすらぎをくれます。
箱根で暮らしながら、子供たちとしょっちゅ行っていましたのが、
今回ご紹介する「箱根湿生花園」です。
小田原駅又は湯本駅よりバス{湖尻桃源台行き}仙石案内所前下車、徒歩8分くらい。
新宿駅よりバス(小田急高速バス)仙石案内所前下車・徒歩8分
車の場合は東名御殿場ICより20分
強羅からもバスがでています。
施設めぐりバスでのんびり・・・もよいかもしれません。
開園期間  3月20日~11月30日(上記期間無休)
開園時間  午前9時から午後5時まで
標準見学時間  約40分
駐車場    無料
この季節は夏の日差しを浴び、コオニユリが一層色鮮やかです。
園内には、低地から高地まで日本各地に点在している湿地帯の植物1,100種が集められているそうです。
その他、珍しい外国の山草も含めると1,700種の植物が四季折々に花を咲かせます。
園内は
 ○ 落葉広葉樹林区
 ○ ススキ草原区
 ○ 低層湿原区
 ○ ヌマガヤ区
 ○ 高山の花畑区
 ○ 高層湿原区
 ○ 仙石原湿原区 に分かれています。
この仙石原は、江戸時代「千石原」とか「千穀原」と呼ばれていました。
古文書によると、慶長十六年(1611年)には五名の村人が二町歩余りの土地を耕していて、
「耕せば千石はとれる」ということが、ここの地名の由来だそうです。
この地に立つと、昔の人びとの苦難がどんなものだったか、千石の米を収穫することの困難さが、偲ばれます。
山に囲まれた仙石原は、二万年前は湖の底だったそうです。
今は干上がった状態ですが、一部残った湿原が湿生花園として私達を楽しませてくれます。
この時期は、コオニユリ、ヤマユリ、レンゲショウマ、ミソハギ、フシグロセンノウ、シシウド、コバギボウシ、ハス・・・等が咲いています。
そして、夏の企画展「世界の食虫植物展」が8月31日まで開催されています。
今、ガーデニングが盛んです。
湿生花園は巨大な寄せ植えガーデニングです。
初期の湿原から発達した湿原まで、順に見て回れるように設計されています。
いつ行っても、植物の多様な生命に感動してしまいます。
花や植物のにぎわいに鳥や虫、それからきっと、イタチやタヌキやカヤネズミなども棲み、夜になればにぎやかに鳴き合うのでしょう。
箱根に住んでよかったなあ、と、しみじみ思うひとときでした。
植物とふれあって帰る道すがら、もう気持ちが癒されているのを感じました。

そして、もう一ヶ所
私のお気に入りの場所をご案内いたします。「箱根ラリック美術館」です。
私は、ルネ・ラリックの作品には目がありません。
中でもグラスはどれも造形的に美しく、思わず手にとってしまいたくなります。

ルネ・ラリックは、当初、アールヌヴォーを代表する宝飾品の作家として名声を博していました。
豪華なダイヤやルビーではなく、エナメル(七宝)細工や金といった身近な素材をモチーフに、軽やかで繊細なアクセサリィーをつぎつぎに発表しました。
それまでの宝飾界の常識を破る斬新さに魅了されます。
きっと当時のパリジェンヌたちは、さぞ熱狂したことでしょう。
1500点に及ぶコレクションから230点が常設展示されています。
ラリックの生涯の業績を見ることができます。

今、ラリック美術館では特別展として「しあわせの髪飾り・ラリックの櫛、日本の櫛」展が開催されています。
ヨーロッパの伝統と日本的要素、独創性が結集したラリックの髪飾りと
江戸から昭和初期にかけて製作された日本の櫛。
蒔絵や螺鈿、象嵌といった工芸から、ラリックはどのような影響をうけたのでしょうか。
女性の夢やロマンチックな気分をかきたてる、
「しあわせの髪飾り」
11月25日までの開催です。
場所は先ほど申し上げた「仙石案内所前」すぐです。
開館時間 午前9時~午後5時
営業日    年中無休
(展示替えのため臨時休館あり}
私は美術館をひとまわりした後はCAFEで、窓に広がる風景を見つめながら、
軽くシャンパンかワインを飲みながら「私の人生に乾杯!」と、独り言。
箱根にいながら至福の時を頂きます。
箱根湿生花園とラリック美術館をご紹介いたしました。

ギャルリー田澤の展覧会

京都のギャルリー田澤の展覧会を昨年に続き今年も我が家を舞台に開催いたしました。
本日が最終日。
今年は「藤井勘圿絵画展」と「洋燈と卓上の美」
藤井先生の絵を中心に、オイルランプ(舶来・国産)の灯りが室内を優しく包みこんでくれます。
テーブルには、ラリック、シュナイダー、バカラのランプ。
花器、グラス、デキャンタ、等々。卓上の美を演出して頂きました。
田澤夫妻の厳しい審美眼で選び抜かれた素晴らしいものばかり。
私は毎日は在宅出来ませんでしたが、夜帰宅すると会場行き、静かに鑑賞させていただきました。
古民家の柱や梁を生かして建てた我が家とのコラボレーションは本当に楽しみです。
私は藤井さんの作品に出会った瞬間、新しい日本画だと確信しました。
泊や墨、水彩、鉛筆、岩絵の具など多彩な画材と技法を使い繊細にして華麗、古きものへの憧憬も感じさせる作品の世界。
我が家の広間に藤井さんの「蓮」の絵を求めたのはその力に魅惑されたからに他なりません。
この10日間はまさに至福の刻でした。
風の匂い、そして今このときの光に照らされた空間の中で多くのお客様との出逢いをいただきました。
我が家も喜んでいるかのようです。
紫陽花の満開の箱根にて
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ラジオ深夜便-「美瑛町」

今夜ご紹介するのは 北海道 美瑛町(びえいちょう)です。
”丘のまち・・びえい”と言われる一面麦畑の広がる美しい町で旭川と富良野の中間に位置します。
わたくしはJR富良野線でまいりました。
このJR美瑛駅は全国駅100選にも選ばれている美瑛町の石山の美瑛石で建築した名駅舎です。わたくしが以前訪ねましたのは真冬でございました。
旭川から美瑛、そして、あの富良野まで片道100キロの旅を致しました。
旅の目的のひとつは、私の大好きな風景写真家・前田真三さんの写真美術館を見たかったことと、南富良野にある映画「鉄道員」の舞台になった駅も見たかったからです。
その時は、降り積もる雪の真っ白い世界が永遠に続きそうな道を行きました。
行けども行けども雪。白銀の世界は、自分がどこにいるかを見失いそうになる様でした。
前田真三さんのフォトギャラリーは「拓真館」といいます。
この写真ギャラリーは廃校になった小学校の跡地で、地元・美瑛町の協力を得て開館。
上富良野町付近に広がる丘陵地帯に位置し、周囲は見渡すかぎりの丘です。
1万坪に及ぶ敷地には白樺の並木道やラベンダー園などがあり、今回は早咲きのラベンダーが風に揺れいい香りが漂っていました。これから8月上旬まで咲いているそうです。
「二人の丘・前田真三・前田昇作品集」にはポピー、ひまわり、カラシ菜、そして一面のラベンダーなど初夏の丘を彩る様々な花があり、目と心を楽しませてくれます。
今では、観賞用に、アロマテラピーにと日本にも定着した
ラベンダーは、地中海沿岸地方原産のハーブだそうですね。
上富良野では、1950年頃から栽培がはじまったそうです。
 
前田真三さんの作品の中で、私はやはり冬の世界が好きです。
雪の原が永遠に続きそうな風景の中に、整然と林立する落葉樹。
自然の見事さに感動しました。
なかでも私が好きな作品は「落日の詩」という、淡い夕日が地平線に落ちていく風景。雪ぐもりの中に太陽が煙った光であたりを包み込む、なんともいえない詩情あふれる作品す。
今は2階に展示されています。
写真集の年譜に今は亡き前田真三さんの生涯が綴られていました。前田さんは大正11年生まれ。14歳のときに初めて、当時人気のカメラ、ベビーパールを手にして夢中で野鳥を撮っていました。
戦争の時代を経て戦後、サラリーマンに。
やがて結婚し、お子さんが生まれてから写真を撮り始め、どんどんのめり込んで・・・。
42歳でプロの道を選択します。
「二人の丘」のあとがきに、ご子息である前田昇さんは、こう仰っておられます。「風景写真は技術ではない」というのが父の心情であったから、私自身写真について教わった記憶は、一度もない。
ただ長年撮影現場に立ち会った中で、父から学んだことが、ひとつある。
それは「ものの見方」である・・・と。
「風景の見方」「写真の見方」さまざまな「事物の見方」を学んだと思っている。
前田先生のご本を見ていましたら、こうありました。
ずいぶん時間をかけて撮るんでしょうね。と、言われることがある。が、私の写真は基本的に待つことはしない。出会った瞬間に撮っていくのが身上だ。しかしながら、 「長い時間をかけるかどうか」について聞かれれば、長い時間がかかっていますよ。私の人生と同じだけのと答えることにしている。・・・そして、こうもありました。
 「風景はただ眺めていても見えてこない。」
積極的に風景に働きかけて、やがて風景を見出すことができ、出会いの瞬間がある。
ステキな言葉だと思いませんか。
風景を見る目、それは私たちひとりひとりの人生そのものが関わっているのですね。人生を重ねることは、ものの見方を学ぶことでもありますね。
風景がそこにあるのでなく、自分なりに風景を見出すのだと前田先生は写真を通して教えてくださいます。
写真美術館で、ラベンダー園で、五感を刺激される旅でした。
「拓真館」は入場無料・年中無休   
開館時間・5~10月まで、午前9時~午後5時
11~4月  午前10時~午後4時
車の場合は国道237号線から入ります。
美瑛駅からタクシーで10分ほど。
スポットは四季の塔から地上32、4mの十勝岳連峰に広がる丘の町美瑛が楽しめます。
郷土資料館では、開拓時の農業器具や石器、昭和初期の生活と風俗や商店開拓画なども見られます。
お時間のある方は美瑛から42キロで富良野へ。
さらに30キロ走って、やっと南富良野です。
高倉健さん主演の「鉄道員」はご覧になりました?
浅田二郎原作、降幡康男監督。
あの最後のシーンが忘れられません。そうなんです。映画のクライマックスはなんといっても最後のシーン。そのシーンは根室本線の幾寅駅
この駅が「幌舞駅」となって、ラストシーンが撮影されたそうです。幾寅駅には今も幌舞駅の看板がかかげられているそうです。
私は雪の舞う中で、健さんのようにホームにジッと立ち尽くしましたが、20秒くらいで駅の中に逃げ込みました。
もう凍ると思ったのです。
健さんは零下30度の外のシーンで30分、立ちすくんで、完璧にそのシーンを撮り終えたそうです。
想像を絶します。
高倉健さんの役者魂を見た思いでした。
待合室はあのまんま。そんな寒さの中で町の人たちは、男爵芋をゆでてつぶして、少し澱粉をはたいてこねて、芋饅頭にして油で焼いて、健さんに差し入れしたそうです。健さんは大層喜んでくださったそうです。
駅は、思い出を紡ぐ場所です。
私にも忘れられない駅があります。
それは、初めてひとりで行ったローマの駅、テルミニ。
私は17歳。憧れと好奇心とをバッグに入れて、自分探しの旅に出たものです。
その駅を舞台にした映画、「終着駅」は1953年、アメリカとイタリアの共同制作でした。
監督=ビットリオ・デシーカー、主演=ジェニファー・ジョーンズ、モンゴメリー・クリフト。
テルミニ駅でアメリカ女性とイタリア青年の叶わぬ恋が描かれます。
情感あふるるその映画に、私は夢中になりました。
17歳の自分にどうしてそんな感情があふれ出たのかわかりませんが・・・。
そこが「駅」だったからかしら。
私が大人になっていく途上の駅。まだ恋愛も知らない17歳の頃の駅の思い出です。
こうして、深夜皆さまとお話していると美瑛駅から、テルミニ駅までが繋がってまいります。
故郷、出逢い、別れ・・・。そんな大切な思い出のつまった「駅」が皆さまそれぞれの心の中に一つはあることと思います。
旅っていいですね。
おやすみなさい。

ラジオ深夜便-「大人の旅ガイド」

今回は、能登半島をご紹介させていただきました。
東京から金沢へは、新幹線越後湯沢乗換えも、米原乗り換えもございますが、私は時間がある時は上野から寝台特急「北陸号」で7時間半かけて参ります。
仲間達とワインを持ち込んでおしゃべりしながらの長旅も楽しいものです。
早朝6時に到着後市場に直行。市場の中の食堂で朝食を頂くのです。
刺身定食、煮付け定食など・・・どれもこれも美味。
その土地の活気と旬を味わえるのでどこへ旅しても市場は大好きです。
 
さて、右の親指を反らして、能登半島に見立てますと、その付け根の所が加賀市橋立町です。
私が初めて橋立を訪ねたのは、日本女性として初めて単独でヨットによる太平洋横断に成功した、小林則子さんとご一緒の旅でした。
「北前船の海を行く」をテーマに旅をなさっておられましたので、同じ興味を持つ者として胸が高鳴りました。
北を目ざした男達、船底一枚下は地獄という荒れた海に乗り出す男と、それを見送る女たちのドラマが、時を越えて目の前の海に見えるような気がいたしました。
橋立には往時の北前船のあとがそこここにみられます。
氏神の出水(いずみ)神社には北前船主らが寄進した鳥居や灯篭、こま犬など、絵馬堂には14枚の船絵馬、いずれも航海の無事を祈ってのものです。この町の中には堂々たる風格の船主の屋敷が目につきますが、その中の一軒が現在の「北前船の里資料館」です。
まさに明日資料館へとご自宅を手放す前日に、私達は酒谷さんのお宅にお邪魔いたしました。大きな土塀、広壮なお屋敷の中に静かに佇む酒谷さんがお部屋をご案内くださいました。玄関を入ると上がり框、柱、梁は総ケヤキ。天井にはすす竹が一面にはりめぐらされています。
たくさんの旅をしながら思うのです。
旅は未来であり、過去であり、そして今であり・・・何百年の歴史を持ち、今もそれを色濃く漂わせる場所に出会うと、自分が異次元からやってきたタイムトラベラーになった気がするのです。
その地で出会うおばあちゃん達は、いつも旅立ちの案内人でした。たくさんのことを学んできました。
この港町で出逢ったその方からも貴重なお話を伺いました。
この地方独特の習慣では、家に御仏壇が二つあるのだそうです。男達が、三月梅の頃から船に乗り、年の瀬近くに帰ってくるまで、大きい仏壇は扉をしめておきます。
小さいほうは、夏用のご仏壇といって、留守を守る女たちの仏壇。
男たちが帰って、航海の無事を先祖に報告するときに、初めて大きいほうをあけるのです。
「船がついたぞ!」という声が聞こえると、腰に紐をまいた女たちが、あっちこっちの家々から港へ向かって一斉に走り出すんです。その輝くような顔を今でも忘れられないそうです。
北前船の表むきの仕事を支えていたのは女たちです。
「でも、過去帳に、女の名前はございませんね」そうつぶやく、おばあちゃんの一言が私の胸に響きました。
そして、北上していくと、富来町(とぎまち)があります。
羽咋(はくい)駅からバスで50分、富来駅下車、福浦港行き10分。
この福浦港も大好きな港町です。
日本最古の木製の石垣を含めると約5mの高さがある旧福浦灯台。
三層になった内部。ここから見事な夕日が一望できます。
日本海に面し、能登金剛の名で知られる断崖、荒々しい海岸線は絶景です。
そして、私の大好きなお地蔵様があります。
「腰巻地蔵」です。
旅立つ船員にかなわぬ恋をした遊女が、地蔵に腰巻をかけたところ海がしけ、出航できなかったというロマンティックなエピソードを持つお地蔵様です。そんな昔話に思いをめぐらせながらの、のんびりとした旅の仕方も「大人の旅」ならではではないでしょうか。
この辺りは日本海が一望できるホテルや旅館もございます。
最後になりましたが、この度の災害から一生懸命復興に頑張っておられます、輪島には、私も職人さんや民宿の仲間がおります。大好きなまち輪島は、またの機会にラジオ深夜便でご案内いたします。

やまぼうし

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箱根の山々の緑が日一日と、濃くなっています
とご挨拶してからちょうど一年がたちました。
我が家の庭の”やまぼうし”の白、ピンクの花が美しく咲いています。
この季節は箱根の山々の緑も濃く、早朝の山歩きをしておりますと、
何とも言えない緑の匂いが心地よく山暮らしの幸せを実感いたします。
”やまぼうしの花咲いた”を出版したのは昭和57年の今頃の季節。
箱根の山が
ふんわりと山法師の花で
おおわれる初夏
見事な開花は
十年に一度とか
結婚して四人生んで
たちまち流れた十年の歳月
私は山法師のように
咲きたいのです
箱根の森の中に家を建てて、三十年になろうとしています。
ここでは日時計がなくて、年時計があって、春が来るたびにひとまわりするような時計に支配されているよう感覚があります。
樹々の色味の変化で春の訪れを感じ、台所から見える富士山も、刻一刻と変化します。
思い出がたくさんつまった台所も、巣立っていった四人の子供たちの台所から、”私のための”台所にリホームしよう・・・と思いたち山法師の花ではないのですが、10年一区切り・・・と思いきりました。
私には何十年に一度こういうことがあるのです。
”ああ、ほんとうに親としてひとつの役が終わった”
63歳になり、人生のしまい方を少しずつ、考えはじめたのかもしれない
とも、感じます。
思い出や家族と暮らした豊かな時間は、私の中でしっかりと刻まれているから・・・
役目を終えたものを処分し、身軽になる。
そこからまた新しい自分が見えてくる。
時間に迫られて、ゆったりと木々と語れなかった時代から今又
こうして、山法師の花を見ていると、忙しさの中で落としてきてしまった
ことも見えてきます。
まだまだ旅の下、これからも素敵な出逢いがあるでしょう。
多分終の棲家になるはずの我が家で、
「私らしく生きるために、現実としっかり向き合うことが必要なのかも・・・」
と、そんなことを思っております。
爽やかな緑の風を仕事場から感じ、
思わず”カンパリグレープ”をつくり”やまぼうし”の樹の下で飲みました。
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