マイ・ベストフレンド


素敵な映画を日比谷で観てまいりました。
女性にとって、時に本当に必要なのは、
恋人より夫より家族よりも、何でも話せる女友達かもしれない。
人生の途中でどんなことがあっても、信頼できる友達がいれば、
笑顔の力で乗り越えていけるーーーー。
(パンフレットより)
オーストラリア出身の女優トニ・コレットとアメリカ・カリフォルニア州出身のドリュー・バリモアの二人の友情を描いた作品です。
トニ・コレットの母親役には、あのイギリス出身のジャクリーン・ビセット。1944年生まれ、ロマン・ポランスキー監督の「袋小路」(66)で正式デビュー。
フランソア・トリュフォー監督の名作「映画に愛をこめてアメリカの夜」(77)に出演しフランスの最高位勲章レジオンドヌール勲章を受勲するなど、私は以前からとても興味を持って拝見してきた女優さん。
女の友情は移ろいやすく、もろく、でも確かな人生での友情は存在することを教えてくれます。
親友の二人。対照的な人生を送りつつも、それぞれ幸せに暮してきた二人に突然、ある日ミリー(トニ・コレット)に乳がんが見つかる。
ジェス(ドリュー・バリモア)は不妊治療が実をむすび・・・。「幸せ」と「不幸」が同時に訪れ、周りの人々の想いや「死生観」を監督のキャサリン・ハードウイックが女性監督ならではの繊細で、でもユーモアをもって、まるで主人公の二人が子どものころからの親友であったかのような(二人はこの映画で初競演し、本当の親友になったそうです)自然体の演出に喝采!です。
暗くなりがちなストーリーを癌になったあとのミリーが圧巻の演技。ヘア&メイクも素晴らしいです。トニ・コレットは役のためには美しい髪をバリカンで実際に刈ってしまう・・・女優根性がスゴイ!また美しい。笑ったり、涙したり、考えたり・・・素敵な午後の映画鑑賞でした。
何よりも『愛の尊さ』を教えてくれます。
11月18日より、東京・TOHOシネマズ・シャンテほか全国ロードショー
映画公式サイト http://mybestfriend.jp/

小春日和

日ごと寒さも深まりつつある時期ですが、そんななか暖かく穏やかな日の訪れは幸せをもたらしてくれます。ある日、友人からこんなメールをいただきました。(ご本人の承諾を頂き載せさせたいただきますね。)
草木国土 悉皆成仏・・・・・。
たましいのある者だけでなく
草や木のようにたましいがないものにも
仏性があり、成仏できる、ということだそうです。
自然をいつくしみ
自然に自分を投影して、観照するという
日本人の性のようなもの
その辺りからきているのかもしれません。


秋が深まって黄葉や紅葉が天を舞い、早朝庭に出て肩に葉が落ちてくれる姿には幸せを感じます。
まもなく小雪が舞う季節をむかえる箱根の自然。この自然の中で暮して40年が過ぎようとしています。この自然の中での子育てに感動もありました。通常の感性で自然を切りとることが、子どもは得意なんですね。
『寒い朝 ステンところんだ 痛い朝』
小学生だった長女がつぶやいた言葉。五、七、五・・・
霜柱が立つ朝は、彼女にとって痛い朝なんだなぁ、へえーと関心しながら子どもの素直な情感に感動したことを思い出します。


本格的な冬を迎える前のこの穏やかな”小春日和”箱根はとても美しい季節です。
『箱根やまぼうし』で明日から素敵な展覧会が始まります。
ぜひ紅葉を愛でながらの散策にお越しくださいませ。
詳しくはHPで。
http://www.mies-living.jp/events/2016/exhibit201611.html

全日本大学駅伝

6日の日曜日、伊勢神宮へと向かう「全日本大学駅伝」が開催され、晩秋の清々しい秋の光を浴び選手たちがひた走りました。私もその様子をテレビで観戦いたしました。
青空のもとでのシード権争い、早稲田が6年ぶりの日本一か・・・昨年の雪辱をはらし青山学院大学か・・・アンカーの勝負でした。伊勢路を走りぬけ、内宮に飛び込んできたのは青山学院のアンカー「一色恭志選手」でした。
「タスキには先人たちの無数の哀歓がつまっている」「その凛とした布は瑞穂の国の正月をこれからも彩りを続けるだろう」と書かれたのはノンフィクション作家・早川隆さんによる『昭和十八年の冬 – 最後の箱根駅伝 – 戦時下でつながれたタスキ』です。
今、話題の一冊!です。
早坂さんは1973年愛知県岡崎市出身。2011年「昭和十七年の夏 幻の甲子園」で第21回ミズノスポーツライター賞・最優秀賞をはじめ、数々の著書があります。素晴らしいノンフィクションに出会いました。昭和18年は、私が生まれた年。そして箱根に住んでいる私は箱根駅伝がないと1年が始まりません。その箱根駅伝の歴史を丁寧に掘り起こした早坂さんをラジオのゲストにお招きして、じっくりお話しを伺いました。
知らないことばかり・・・。箱根駅伝は来年で93回目です。大正9年(1920年)2月14日・15日に始まり、東京師範学校(現在の筑波大学)の金栗四三をはじめ、多くの人物が大会創設に尽力され、その後の関東大震災、昭和恐慌などを乗り越え継続されてきた箱根駅伝。
しかし、1941年、42年は中止になりました。軍部が国道の使用許可をださなかったためとか。そこで青梅で開催されました。それでも選手達は、箱根駅伝の復活に向けて軍部と粘り強く交渉し、許可がおります。昭和18年の箱根駅伝は、1月5・6日開催で、靖国神社と箱根神社の往復だったそうです。伴走は自転車。11校が参加し、1位は日大、最下位は青山学院。1月6日の箱根は凍てつくような寒さだったそうです。多くのランナーが戦争に行き、亡くなった方もいます。また戦争に行くから「これが最後!」と思って走った箱根駅伝。
日曜の「全日本大学駅伝」では爽やかに走り抜ける若者の姿に感慨深いものがありました。
『タスキには先人たちの無数の哀歓が詰まっている』・・・という言葉。
今日の隆盛の陰に「生」と「死」の沁み込んだタスキがあった・・・・・心に響きます。
放送は1月1日
文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」
日曜10時半~11時


ポーラ美術館

箱根・仙石原の自然の中に佇む「ポーラ美術館」で現在素敵な企画展が開催されています。
『ルソー、フジタ、写真家アジェのパリ(境界線への視線)』です。

出典:ポーラ美術館公式サイト

20世紀初頭の都市の周縁には、移民や貧困者が住み付き首都が拡張されていったのだそうです。現在のパリを歩くと、都市の風景はその当時の面影を絵画や写真では見るこたができても産業革命以前の”古きパリ”を見つけることは中々できません。この展覧会では19世紀末から20世紀初頭にかけての「境界の時代」を観ることができます。パリは変革のときだったのですね。
パリに1913年到着した越境者レオナルド・フジタ(藤田嗣治1886-1968)もまた境界線に惹かれた一人です。展覧会ではフジタの「巴里城門」が展示されています。パリに着いて翌年に描かれた作品。城壁の外側からの寂しい情景は寂寥感がにじみます。フジタの越境者としての原風景なのでしょうか。
また、フジタの働く子ども達を描いた「小さな職人たち」の小作品も素晴らしいです。少年少女の頃から生活のために働き始め、仕事に打ち込む姿を優しいまなざしで描くフジタ。パリという都市の変革を支えてきた子ども達。「乳白色のフジタ」にはない初期の作品は心に響きます。
そして、今回の展覧会で一番興味をもったのは「写真家アジェ」でした。アジェは古い都市のみではなく、消えゆく運命にあるすべてに目をむけました。アジェの写真が、フジタをはじめルソーや多くの芸術家たち、アヴァンギャルドの一派にもいかに影響を与えたかがよく分かる展覧会です。パリの下町、マリー橋、サクレ・クール寺院、くず屋・・・などなど、現在は感じることのできないパリの郷愁を見せてくれます。
強羅からバスで、ひめしゃら林道、こもれび坂を抜けその先にあるポーラ美術館は光の降り注ぐ自然と共生している美術館です。アプローチブリッジを渡り、ガラス張りのエントランスホールを抜けると地下2階まで太陽の光が降り注ぐホール。この美術館は常設展も素晴らしいです。ルノアールやピカソ、クロード・モネなど印象派の絵画を堪能できます。
今回は午後からでしたので散策できませんでしたけれど”風の遊ぶ散歩道”が全長670メートル、ブナやヒメシャラ、ヤマボウの木々を小鳥達がさえずり、自然の中で心休まる散策ができます。


箱根に住み40年の私は、この晩秋から初冬にかけての季節がとても好きです。紅葉の美しい季節、のんびりと散策と美術館にいらっしゃいませんか?
小さな旅ができます。
2017年3月3日まで
開館時間 午前9時~午後5時(入館は4時半まで)
会期中無休
ポーラ美術館公式サイト