映画・裸足の季節(仏、トルコ、独)

原題は英語の「mustamg」 野生の馬
黒海海岸の小さな村を舞台に美しい五人姉妹の物語。封建的な思考や因習。私が大都会のイスタンブールからカッパドキアや小さな村々、遺跡など10日間ほどの旅をしたのは、もう30年ほど前のこと。そうした旅ではまったく見えてこなかったトルコの現在でも、このようなある意味重いテーマがあることを知り、多少の衝撃を覚えました。
はつらつと美しい少女たちの受難の物語なのですが、閉寒的な環境に反抗する彼女達の姿を軽妙かつ瑞々しいタッチで描いた監督が素晴らしいのです。しかもこの映画が長編デビュー作とは信じられません。5人姉妹の少女のうち1人をのぞいてまったく演技の経験がないなんて信じられません。少女たちの溢れんばかりの存在感が各国マスコミに賞賛されたのは当然でしょう。
第88回アカデミー賞外国語映画賞受賞(2016年)
ゴールデングローブ賞受賞(2016年)
トルコ・アンカラで生まれ、フランス・パリで映画を学んだデニズ・ガムゼ・エルギュヴェン監督。彼女が少女時代に実際体験した出来事が投影されているそうです。脚本も手がけ、撮影中は自身の妊娠も重なり、プロデューサーの交代など大変な現場だったとか。無事クランクアップし、米バラエティー誌が選ぶ「注目すべき映画監督10人」に選ばれています。世界がその才能の誕生に狂喜し絶賛した監督。これから目が離せません!。カンヌ国際映画祭では並みいる強豪をおしのけてアカデミー賞フランス映画代表に選ばれ、自国語以外の作品がフランス代表となったのは『黒いオルフェ』(59年)以来、56年ぶり2度目の快挙。
自由を奪われた美しい5人姉妹の。甘美でほろ苦い反逆の青春映画です。
10年前に両親を事故で亡くした5人姉妹が祖母の家で叔父と一緒に暮らしています。13歳になる末っ子のラーレの大好きな担任の先生がイスタンブールの学校に転任する日の帰り道、姉妹は海で男子学生と一緒に遊びます。艶やかな髪、光を浴びていきいきと輝く姿。生命力溢れる存在を縛り付ける大人の世界。反逆する美しい少女たち。いまだに女性を家事に従事させて子供を生産する機械に・・・そのような思考が存在するのです。
監督は語っています。「トルコのすべての人が同じ考え方をしている訳ではありません。保守的で家父長制度がいまだに根付いているところもあれば、とても自由な女性がいることもあります。しかし、女性自身で男尊女卑の掟をつくり、その存在に加担しているのです」と。中東の女性たちにも言えますね。
それらを見事にはねのけ、瑞々しく、チャーミングに未来へと向かう少女たち、繊細で力強く生きる姿に大人の私たちが勇気づけられます。
ストーリーは詳しくは書きませんね。重いテーマなのに観終わったあとの清々しさはなぜなのでしょうか。久しぶりにみた素敵な青春映画ですし、若い彼女達の演技に乾杯!
監督、ありがとう!素晴らしい映画を観ることができました。
和光裏のシネスイッチ他で上映中。
映画の公式ホームページ

甲府への小さな旅

先日、山梨中央銀行さまのお招きで甲府へ行ってまいりました。
この頃は、慌しくその地にお邪魔するのではなく、なるべく前日入りをして その街の空気や風、どんな暮らしをなさっておられるのか・・・そして食べ物などを楽しむ時間をつくるようにしております。


講演会の前日、早く箱根の山を下り、新宿からあずさ号に乗り甲府にお昼頃着き、荷物を置いてまず向かったのが、武田神社に参拝いたしました。甲斐の名将・武田信玄を祀っている神社です。信虎・信玄・勝頼の三代が63年に渡り国政を執った由緒ある館跡。境内には当時からの堀や石垣、古井戸などが残っています。


そして山梨県立美術館へ。1978年の開館以来「ミレーの美術館」として広く親しまれています。常設でミレーの絵が観られます。あの有名な「落穂拾い・夏」「種をまく人」など約70点のミレー作品を収蔵。収穫された穀物の大きな山を背景に描いているものの、ミレーは落穂を拾う貧しい女性たちを描いています。いつも農民に寄り添って描く姿が共感をよぶのでしょうね。緑豊かな公園の中にあり、岡本太郎らの彫刻作品も随所にみられ、富士山も見えました。南アルプス、八ヶ岳など四方を山々に囲まれた盆地甲府。時間がゆるせばたくさんの美しい山があるので次回はぜひ楽しみたいです。


バスで駅まで戻り新しく生まれ変わった北口広場に隣接した「甲州夢小路」を散策しました。古民家の移築、明治・大正・昭和の城下町を再現したレトロな雰囲気を楽しみました。しっかり職人さんたちの手で造られたことが分かります。私は・・・といえば、まず入り口の”甲州ワイン”を一杯!白ワインをいただきました。駅前のちょうちん横丁にも行ってみたかったです。夜は郷土料理”ほうとう”野菜もたっぷりの家庭料理で心がぽかぽか、幸せ気分でした。果物も野菜も、そして水の美味しさで豊かな気分になれる山梨。翌日が本番ですから夜遊びは出来ません(笑)


当日、会場には600名近い皆さまが迎えてくださいました。
「明日を素敵に生きるには・・生きがいとアンチエイジング」がテーマでした。このごろ、つくづく思うことは”ご縁”って大切、ご縁があって人は生きていられるのですね。皆さまは50代、60代、70代、そして80代の方もいらしたかも知れません。穏やかで明るい雰囲気が会場いっぱいに広がっていました。70代になって思うことは「誰かの助けになることを考える前に、誰かのためになることを考える!その方が、前を向く行動になる」としみじみ思うようになりました。
「三六五日・三六五人に会いなさい」
画家の岩田専太郎先生の教えです。演技のイロハも知らずに、飛び込んだ映画界は、決して私にとって居心地よい場所ではありませんでした。「背中を伸ばして」と言われればピンと背筋をたて、「もっと颯爽と歩いて」といわれれば膝をひっこめて歩き・・・まるで自分が自分でないようで、やりがいを感じることのできない10代後半。「先生私女優をやめたいのです。ちっとも上手にできないし、今なら違う職業につけそうな気がします」と。すると先生は「そうだね、あまり君は上手ではないね。やめてもいいよ、君はなにをやってもいいんだ。ただひとつ、これだけは覚えておきなさい。人生というものは、生涯学ぶものだよ。毎日ひとり、365日で365人の人に出逢いなさい。人に会うことで、君は何かを見つけていくことができるだろう。そして答えは自分でさがせばいい」と。
その言葉が、自分を縛っていたカセから自由にしてくれたように思います。
 何をやってもいい。
 答えは自分で探すもの。
 人生は学びの連続。
 これからどう生きていくかで人生が変わる・・・。

岩田先生が教えてくださったのです。
仕事に恵まれ、愛する家族もいますが、これまで思い通りにならないこともたくさんありました。苦しいこと、哀しいこと、悔しかったこと、そうしたものをバネにして生きてきました。様々な経験が私を磨いてくれてきたのでしょう。
人を愛し、何よりも自分を愛してあげる・・・大切なことのように思います。
あっという間に1時間半が過ぎました。
今回も素敵な出逢いをいただきました。
皆さま『ありがとうございました。どうぞお元気で!そして、人生を楽しみましょう!』

沖縄に恋焦がれて

沖縄に行ってきました。
初夏、沖縄の祭り~海人の祭典・ハーリー(爬竜船・はりゅうせん)競漕が終わると梅雨が明けるといわれます。3泊の滞在中は真っ青な空と海。街路樹には沖縄の花・ホウオウボク(鳳凰木)が赤色五弁の花を咲かせ出迎えてくれます。

なぜ私がこんなに沖縄に魅力を感じ、第二の故郷に戻ってきたかのような安堵(あんど)感を覚えるのでしょうか。その理由は”人”だと思います。特に沖縄の女性たちの辛いことがあっても空を見上げてスクッと立ち続ける明るさとたくましさ。その全てに強くひきつけられるのです。
まだ、舗装されていなく砂埃のたつ国際通りに立ったのは半世紀以上前のことでした。
『民藝のふるさとは沖縄にあり』と民芸運動の創始者である柳宗悦氏は語っています。壷屋焼や宮古上布、芭蕉布、紅型など、沖縄の手仕事の健全さに心を奪われた柳宗悦。沖縄は自分が思い描いた民芸の理想郷「美の王国」だと思い通い続けたのでしょう。
沖縄にいると”今の私””未来の私””そして”過去の私”に出会えます。
今回は敬愛してやまない読谷村に暮らした今は亡き与那嶺貞さんの13回忌、どうしても与那嶺さんがひたすら機を織り続けた仕事場の跡にたってみたかったのです。そして、仕事が終わる夕方、ご一緒に手をつなぎ歩いた道を歩いてみたくなったのです。1984年のこと、読谷村で与那嶺貞さんにお会いしました。人間国宝になられてからも何ひとつ変わることなくひたすら『花織』を織りつづけていらした貞さん。


与那嶺さんは、5~600年前に南洋から伝わってきた織物「花織」を再現することに一生懸命でした。与那嶺さんがその織物を蘇らせようとしたとき、その織り方を知る人は一人もなく、昔から残されていた一枚のちゃんちゃんこがあるだけでした。織り方が複雑で難しく途絶えてしまったのでしょうから、再現するのも大変なご苦労だったそうです。与那嶺さんは、あの沖縄が焦土と化した戦争を生き延び、涙も涸れてしまった戦後を子供を抱えて再び生きなおした方です。ご主人は戦争で亡くされておられます。”戦争で何もかも失ったけれども、父親が私に授けてくれた教育だけは、誰も奪えませんでした”とおっしゃられました。工芸学校で学んだ技術が、後年、幻の「花織」再現に結びついたのです。
手をつなぎ歩きながら私にこう語りかけてくださいました。
「浜さん、女の人生はザリガナね」・・・と。こんがらがって織れないからといって切って捨てたら一生布は織れません。女としてそれを丹念にほぐしていきましょう。そうすれば「ザリガナ サバチ ヌヌナスル イナグ」”もつれた糸をほぐして、ちゃんとした布にする女”。もつれた糸を一心にほぐしながら、美しい美しい布を織り上げる。泣く涙も涸れてしまった沖縄の女性たちは、こうして自らを励まして戦後を生きてきたのです。
こんがらがった糸を切りたくなるとき、私はいつも与那嶺さんの優しいまなざしを思い浮かべます。
丹念にほぐしていけば  花のヤシラギ(布)をウイルサビル(織ることができる)”
読谷村では焼き物を見て、読谷のソーキそばを食べ、風にふかれ、村を後にしました。


4月下旬から行方不明となっていた女性が遺体で発見されました。
それは、日常普通に暮す界隈で起きた残忍な事件でした。このようなことが起こりうるのでしょうか。どんなにか恐怖だったことでしょう。人の命がこのように扱われてよいのでしょうか。これまでにも、米軍人・軍属による事件は多発しています。
私の滞在中に県議選が行われました。「平和で豊かな社会を築く」「日米地位協定の改定を」「基地縮小着実に進める」など。それぞれの思いを胸に新たな一歩を踏み出しました。今回のような許すことの出来ない事件、基地問題など・・・本土にいて感じる感覚の温度差も強く感じた沖縄滞在でした。
93歳で現役のまま亡くなった与那嶺貞さんたちのご苦労が、現代へときちんと受け継がれているでしょうか。私たち日本人の一人ひとりの問題だととらえているでしょうか。
最後の夜は働くボランティアグループの30年来の女友達たちと飲み、食べ、沖縄の未来について語りあいました。

謎のアジア納豆

納豆って、日本だけで作られているんじゃないの?と思われる方がいるかもしれません。私もアジアの国々、インドなどを旅すると豆の料理はふんだんにありますから、納豆があっても不思議ではないのですが、まさか・・・こんなにアジアに納豆があることは知りませんでした。
『壮大な納豆の旅』に出かけた方がいらっしゃいます。それも3年もの時間をかけ、辺境作家が目指した最後の秘境。タイ北部チェンマイで食べた納豆スープ、ミャンマー北部カチン州のジャングルの民家で食べた納豆卵かけご飯。
旅に出かけたのはノンフィクション作家の高野秀行さん。高野さんは、1966年、東京生まれ。1989年、早稲田大学・探検部の活動を記した「幻獣ムベンベを追え」で作家デビューしました。
『誰も行かないところに行き、誰もやらないことをやり、それをおもしろおかし
く書く』のがモットーだそうです。
著書も数多く、2013年、「謎の独立国家ソマリランド そして海賊国家プラントランドと戦国南部ソマリア」で、第35回講談社ノンフィクション賞と梅棹忠夫・山と探検文学賞受賞。そして「謎のアジア納豆: そして帰ってきた〈日本納豆〉」をお書きになりました。
納豆は「トナオ」というのだそうです。せんべい納豆、蒸し納豆、納豆味のタレに野菜をつけて食べる「ナッピング・トナオ」タイのシャン族は、納豆をせんべいのように薄くするのだそうです。
あまりにも面白く興味がわき、ラジオにお招きし直接お話しを伺いました。スタジオには薄いせんべいのような納豆を高野さんが焼いて持参してくださいました。(写真に写っているもの)
スタジオ内は香ばしい納豆の香りがします。
インドとミャンマー国境の山岳地帯にあるアジア最後の秘境「ナガ族のエリア(元・首狩り族)にも納豆汁があり、納豆は味噌とダシの代わりに使われているとのこと。
そして、「日本の納豆」を探し求めての旅がはじまります。
私のイメージする「日本の納豆」は稲藁に包まれた納豆・・・が思い浮かびますが、最近は中々見かけなくなりました。それは何故?岩手や秋田、そして京都の山深い集落へ・・・・と、納豆の奥深さに感動しました。
2週にわたり放送いたしますのでお聴きください。そして写真も載っている「謎のアジアの納豆」をお読みください。食文化って素晴らしいですね!
「浜美枝のいつかあなたと」
文化放送 日曜10時半~11時まで。
6月12日 19日の2回です。