CCS15周年アニバーサリーパーティー

先日、日曜日の夕暮れ帝国ホテルで素敵なパーティーに出席してまいりました。
NPO法人カクテル・コミニュンケーション・ソサイティー(C・C・S)
「15周年アニバーサリーパーティー」
会場ではジャズがながれ、全国からカクテルファンが集いました。そして銀座テンダーの上田和夫さん、モーリ・バーの毛利隆雄さん、福岡からは長友修一さん、大森のバー・テンダリーの宮崎優子さん他、全国から「カクテル・アーティスト」が勢揃いし、それぞれが得意のカクテルにシェーカーをふってくださいました。
サイドカー、マティーニ、モヒート、ジャックローズ、ダイキリ、ギムレット、マンハッタン、バンブー、同じバンブーでも上田さんのバンブーと女性の宮崎さんのバンブーでは微妙にニュアンスが違い両方とも楽しませていただきました。
カクテルについては昨年のブログに載せておりますのでお読みください。
カクテルは幸せなときには、そっと寄り添ってくれます。ちょっぴり寂しいとき、辛いとき、心がいたんでいる時は背中をほんの少しおしてくれます。
「大丈夫、そのままで」・・・と。
バーテンダーはアーティストです。31名のアーティストのカクテルをほんの少しずつ、梅雨の合間のひととき夕暮れ時を楽しんでまいりました。ほろ酔いかげんで箱根の山を上って家路につきました。
皆さん、ありがとうございました。
これからも大人のカクテルを期待しております。

NHKラジオ深夜便「大人の旅ガイド~長野県・信州松本」

今回ご紹介するのは長野県信州松本です。
倉敷とともに、信州松本も私にとっては民芸の故郷です。
松本は安曇平の向こうに北アルプスが屏風のようにそびえ、昔ながらの城下町の面影が色濃く残る町です。松本市は平成17年に合併し、県下で最も広い面積の自治体となりました。
西に日本の屋根といわれる「北アルプス」、東に日本一高いとして名高い「美ヶ原高原」を望む大自然に囲まれた盆地です。安曇地区・奈川地区・梓川地区・四賀地区・旧松本市、豊な緑、澄んだ空気に恵まれた大変美しいところです。
今回は国宝松本城を中心に市内をご案内いたします。
国宝松本城は現存最古の天守閣・戦国時代の姿を残します。1593年頃に石川数正親子により造られました。五重六階の天守・渡櫓・乾小天守は現存する天守の中ではわが国最古のものです。天守閣からは美ヶ原高原・北アルプスなどが一望できます。
今回、松本をお訪ねしたのは「池田三四郎生誕100年~特別展示」を見るためです。
もともと松本は木工で栄えた町でした。特に家具製作は松本藩の商工業政策の一つとして奨励されました。日本有数の豊かな森林、伐採された木を運ぶことができる河川、材木を貯蔵したり自然乾燥するのに適した湿度など、自然条件も揃っていました。江戸末期には、家具に使用される鉄、金具類の飾り職や錠前職も増え、明治初期には町にそうした仕事場が数十軒も店を構えていたそうです。
しかし悲しいことに松本の家具作りは第二次世界大戦後に衰退します。そんな中で、かつての松本の家具作りの栄光を復活させようと力を注がれたのが、池田三四郎さんでした。その池田さんが生み出したのが松本民芸家具です。
池田さんは、欧米の家庭で使われていた家具のデザインを踏襲し、高度な和家具の技術を持つ松本の職人に、洋家具を作らせたのです。松本民芸家具は、美しく完成されたデザイン、確かな作り、年を経るごとに増す味わいで、長く愛されている家具です。
私は松本駅に降りると、いつも女鳥羽川沿いにある喫茶店「珈琲まるも」に伺います。私はこの喫茶店の落ち着いた雰囲気と家具が大好きです。珈琲が薫り高く美味しいことは言うまでもありませんが、この店の椅子に座ると、ほっと力が抜けるような気がします。

英国ウィンザー調のテーブルや椅子、美しい音楽と上等なコーヒー。その喫茶店はかつては松本深志高校(旧制松本高校)の青年たちが文学やロマンを熱っぽく語り合った場所とのこと。今でも店内の雰囲気に、そこはかとないインテリジェンスが漂っていて、ただ座っているだけで心が落ち着きます。以前、池田さんに「珈琲まるも」の椅子についてお聞きしたことがありました。
「あの椅子はね、私がウィンザー朝の椅子にのめりこんだ最初のころに作ったものです。五十数年のあいだに、浜さんも含めて十万人以上が座ったんじゃないかな。たくさん人に座ってもらって、自然に磨かれて、なかなかの味が出ているんですよ」
池田さんはにっこり笑って、そうおっしゃいました。
中学時代、図書館で出会ったのが柳宗悦さんの本でした。中学卒業後、女優としての実力も下地もないままに、ただ人形のように大人たちに言われるままに振舞うしかなかった時、私は自分の心の拠りどころを確認するかのように、柳宗悦の「民藝紀行」や「手仕事の日本」をくり返し読みました。
柳さんは、大正末期に興った「民芸運動」の推進者として知られる方です。柳さんも松本には何度も足を運ばれています。柳さんを師と仰ぎ民芸家具に打ち込んだ池田三四郎さん。池田さんとは30年あまりのお付き合いでした。お会いするだけで心が安らぐ、そんな懐の広い人でした。
心にふと迷いが出たとき、自分の生き方を見失いそうになったとき、私は列車に飛び乗り、松本に向かいます。
「よう、浜さん、来たかい」と笑顔で迎えてくださいました。
池田さんは、柳宗悦氏との出会いによって民芸の道にはいられた柳先生のお弟子さんでもあります。
「柳先生に私は、『その道に一生懸命、迷わず努めていれば、優れるものは優れるままに、劣れるものは劣れるままに、必ず救われることを確約する』と教えられたのですよ」・・・と。
池田先生はよく柳宗悦のお伴をして松本の町を歩かれたといいます。時々周辺の山々を見渡せる丘に登っては、ただじっと一点をみつめたまま長い間考え事にひたっている宗悦の横顔を思いだされると話してくださいました。
「あの頃の柳先生はいつも『自然というものは、仏か、仏でないか』と同じ言葉を呟いていらした」
そのエピソードに、いつも神の宿る自然というものに敬虔な気持ちを抱きながら、深い思索を繰り返していたであろう、ありし日の柳宗悦の姿がしのばれます。また同じく宗悦に心酔していた版画家の棟方志功は同じ丘にのぼりながら「自然以上の自然が描けたら、それがまさに芸術と呼ぶに値するものなのだろうなあ」と繰り返していたといいます。
私の目の前で、ストーブに薪をくべながら池田先生は、「一本のねぎにも、一本の大根にも、この世の自然の創造物のどんなものにも美があるんだ。問題は、人間がそれを美しいと感じる心を身体で会得しているかどうかなんだ」と淡々と語られました。何も問わずとも私の心の内を見抜かれているようでした。
平成11年12月15日。池田三四郎先生はその生涯の幕を閉じました。
松本の町にはそんな精神・文化が今なおしっかり受け継がれています。朝、喫茶店に入ると初老の方々が珈琲を飲んでいるお姿に「いい町!」と思わず呟いてしまいます。
松本市内は時間があれば、のんびり散策ができる広さです。国宝松本城へは松本駅から徒歩20分余り。その松本城二の丸跡にある博物館。途中昔の城下町の風情を残す縄手通りの商店街は千歳橋の左手女鳥羽川沿いに広がる古風な感じの商店街。お店は江戸時代風の建物で懐かしくそして楽しいお店が約40軒。白と黒のなまこ壁が美しい蔵造りの中町通り。ここは、かつて善光寺街道として大勢の人びとが往来した歴史ある道です。土蔵造りのノスタルジックな町並みが広がっていますが、モダンなカフェやクラフトのお店などもあり楽しいエリアです。

さすが、工藝の町です。そして故丸山太郎氏が、日常の生活用品にある逞しい美に魅せられて収集した民芸品が展示されている松本民芸館。駅からも近いアートミュージアム。城下町松本はこんこんと湧き出る名水の街。いたるところに名水が今も湧き出ています。
“われらの青春ここにありき”旧制高等学校記念館はあがたの森公園にあり懐かしい気分に浸れます。(国の重要文化財に指定されています)
明治9年に建てられた旧開智学校(昭和38年まで小学校として使われていた)。そして深志神社は暦応2年(1339年)の創建で古くからの由緒正しき神社。私が訪れた時は境内に真っ白なやまぼうしの花が満開でした。信州手打ちそばのお店もいろいろあります。
8月8日(土)には国宝松本城で薪能が開催。さぞかし幽玄な世界のことでしょう。また8 月22日(土)にはサイトウ・キネン・フェスティバル松本で「武満徹メモリアルコンサート」が開催されます。
近くには「日本書紀」に登場する名湯・美ヶ原温泉、松本の奥座敷・浅間温泉、市内を巡るバスが松本駅バスターミナルを拠点に色々なコースがありとても便利です。(1乗車大人190円/1日券大人500円・小児半額)
街を歩いていると住民の方々が気軽に声をかけてくれます。そんな触れあいとやすらぎの街・・・松本をご紹介いたしました。
【旅の足】
《電車・JR松本駅》
東京(新宿)から中央東線(特急2時間30分)
名古屋から中央西線(特急2時間)
大阪から新幹線・中央西線(特急3時間10分)
《車》
中央自動車道経由→長野自動車松本IC
《飛行機》
大阪から55分
福岡から1時間35分
札幌から1時間35分

やねだん~人口300人、ボーナスが出る集落~

先日、立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科主催の「やねだん学事始」のシンポジュームを聴講してまいりました。
鹿児島県鹿屋市の柳谷(やねだん)が今注目を浴びています。この柳谷を取材したドキュメンタリィー番組は南日本放送で放映され、数々の賞を受賞しました。韓・中・英語にも訳されています。私も選考委員をしております「農業ジャーナリスト賞」でも受賞されました。
日本中で問題になっている過疎集落。この集落は人口減に歯止めをかけ、独創的な地域再生を目指しました。行政の補助金に頼らず自立した集落再生を見事に描いています。
この日のパネリストは
リーダーの豊重哲郎氏 (鹿児島県鹿屋市柳谷自治公民館館長)
山縣由美子氏 (南日本放送キャスター、デレクター)
佐野眞一氏 (ノンフィクション作家)
椎川忍氏 (総務省地域力創造担当審議官)
コーディネーター
高橋紘士氏 (立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科教授)
製作者である山縣さんとは授賞式でもお話することができました。12年近く現場に足を運び、住民に寄り添うようにカメラを回し、痛快に!なによりも明るく、小さな取り組みを丹念にとらえています。
人口300人、うち65歳以上が4割。耕作放棄地も空き家・廃屋も目につく農村集落をボーナスが出るほどの集落へと導いたキッカケ、人々の思い。番組を上映し、それぞれのお立場からの発言は大変興味あるものでした。
これからの私たちが暮らす、この日本のあり方を再確認し、地域づくりの在りようを考えさせてくれるシンポジュームでした。
MBCからDVDが出ています。  《やねだん》3,000円

田植えとなんじゃもんじゃの花

先日久しぶりに若狭の我が家へ帰ってきました。
福井県大飯町三森に私の家があります。この家も箱根の家同様、壊される寸前に出くわし譲っていただいたものです。背後に竹林、前に田んぼと佐分利川が広がります。

この20年余り、都会に生きる消費者の一人として日本の農業というテーマに深い関心を抱き、あちこちの農村を訪ね歩くうち、私の中で少しずつ、生産に対する限りない憧れが募っていったのです。
私自身は生産者と呼ばれる者にはなれなくても、自分のこの手で無農薬米を作るという行為に挑戦してみたら、実際の米作りの苦労や喜びがもっと理解できるのではないか、農民の方々のお心に、もう少し近づけるのではないか・・・そんな思いが膨らんで、若狭の私のお米の先生・松井栄治さんの手ほどきで素人の私も田植えから収穫までの経験をさせていただきました。
10年間・10回の経験でした。
日本のふるさとの原風景そのものの若狭三森。松井さんの田んぼの田植えもほぼ終わりました。そして、まもなく、この田んぼや木々に蛍が見事な乱舞を披露してくれます。
帰り道、近くの集落で生まれた作家・水上勉さんの”若州一滴文庫”に寄ってまいりました。
「家には電灯もなかったので、本も読めなかった。ところが諸所を転々として、好きな文学の道に入って、本をよむことが出来、人生や夢を拾った。どうやら作家になれたのも、本のおかげだった。」と水上先生語っておられます。
この文庫には所蔵本・水上文学にゆかりの深い作家の絵画作品、水上作品に登場する人物の竹人形などが展示されています。
何度も通った場所です。今回は、新緑に映える「ヒトツバタゴ」別名「なんじゃもんじゃ」が満開です。まるで雪化粧のような美しい花。20年ほど前に植樹したそうです。「ヒトツバタゴ」はモクセイ科の落葉樹。中部地方や対馬地方に自生し、4つの花びらをつけます。
なぜ「なんじゃもんじゃ」なんて名前がついているのでしょうか。岐阜県瑞浪在住の方がわざわざ自動車に積んで、この花の苗木5本を一滴文庫に運んでくださったそうです。水上さんのエッセイにこのように書かれています。
「天然記念物の学名は、『ひとつ葉』となっているようですが、瑞浪市はみななんじゃもんじゃといっています。ある学者の説によりますと、冬が去って、春が逝き、ようやく青葉の頃がきたというのに、急にこの木にだけ雪がつもるようなので、これはなんじゃもんじゃ、と岐阜なまりでたまげることから生まれた名だときいています」と。
美濃の国では、おっ魂消(たまげ)た時に”なんじゃもんじゃ”というとか。