生誕120年記念  濱田庄司展

駒場東大前の「日本民藝館」で濱田庄司 生誕120年を記念して展覧会が開催されており、初日に行ってまいりました。


作家言「個人の作家の仕事には香りが欲しい」  濱田庄司
民藝運動の創始者・柳宗悦は「私の解する限り、濱田ほどすべてに均整にとれた人物はすくない」と濱田を賞し、濱田自身は「自分は或技術を修得するのに十年みっしりかかった。しかし、それを洗い去るのに二十年でも足りない」と語る。「このという事こそ作家としての大きな良心だと言って良い」と柳宗悦は語っています。
十代で民藝(民衆的工芸)運動に出会い、民衆の(地方の)日用雑器の中から美を見出した民藝運動。柳宗悦を中心に濱田庄司、河井寛次郎、バーナード・リーチなどその友情は生涯続き、民藝館の初代館長が柳宗悦。そして柳亡き後二代目館長を務めたのが濱田庄司です。


民藝館の玄関に立つとそのざわめきが聞こえてきます。
生前濱田庄司の奥様を益子に訪ねたことがあります。「夜遅く、からころからころ・・・と下駄の足音でお客さまの人数が分かり大忙しで酒のつまみを用意したものですよ」と優しく微笑みお話してくださったことが忘れられません。
濱田は二十二歳の時に河井のいる京都へ。そしてリーチとともに渡英。セント・アイヴィスという古い小さな港町の丘に日本風の窯を築き、リーチと共に作陶生活を三年半にわたり続けます。陶芸家というよりご本人は「陶工」と称していたそうです。沖縄・英国・京都・益子・・・それぞれの土地でその土地の土・空気・水で作られた作品の数々。蒐集した作品。それらは無垢の美に裏打ちされています。観るものの心にその美がどれほど大切か・・・を語りかけてくれます。暮らしの大切さを教えてくれます。
時間をかけてのんびり民藝館にいらしたらいかがでしょうか。椅子にかけ吹き抜ける風の爽やかなこと。
五十年、慕いつづけてきた民藝の世界。幸せなひとときでした。
2014年6月17日(火)~8月31日(日)まで
開館時間 10時ー午後5時(入館は16時30分まで)
休館日   月曜日(ただし祝日の場合は開館し、翌日振替休館)
京王井の頭線駒場東大前西口から徒歩7分

やまぼうし


やまぼうしの花が満開です
箱根の山が
ふんわりと
山法師の花で
おおわれる初夏
見事な開花は
十年に一度とか
結婚して四人生んで
たちまち流れた十年の歳月
私も山法師(やまぼうし)のように
咲きたいのです
これは32年前、育児エッセイ「やまぼうしの花咲いた」という本を出したときに冒頭で書いたことばです。
箱根の森の中に家を建てて、40年になります。
“やまぼうし”は十年に一度見事に開花すると聞き、私もそうありたいと願ったことでした。今年はその十年の一度にあたるのでしょうか・・・。庭一面、箱根の山全体にまるで夏の真っ白な帽子をかぶったように美しく咲き誇っています。中央の丸い花穂を坊主頭に、4枚の白い花びらを白い頭巾に見立て、比叡山延暦寺の「山法師」になぞられたとか。中国では「四照花」。枝いっぱいに花が咲いたときの、四方を照らす様子を表現しているそうです。花言葉は「友情」。
子どもたちは次々に社会へ巣立っていきました。ハッと気が付くと60代でした。さらに、70代になった現在明日何が起きるかわからない、もしかしたら元気なまま駆け抜けていくかもしれなし・・・文字通り、まったく予想がつかない年代、それが70代です。
自分たちの時代から次の世代へ世の中が移り変わるという一抹のさみしさをふと感じたりすることもありますが、息子たちと住みはじめ、家がもう一度、若やぎ、華やぎはじめました。何百年もの間、人々の暮らしを見守ってきた柱や梁を使った12軒の家に宿っていた”木の精”がそこここに優しく息づいているような・・・そんな家での暮らし。70代に入ってからいっそう丁寧に日々暮らしたいと思うようにもなりました。これからの十年、いくつもやりたいことはありますが、もっとも心惹かれるのはやはり私の原点「本物と出会う旅」といえそうです。
人々に出会い、ものに教えられ、思索する・・・旅は私にとって学びの場。命に限りがあることを深く実感できる年齢になった今だからこそ、新たに感じたり考えたりできることがあるのではないかしら。そう信じながら、常に新鮮な気持ちで、でも無理をせずにこれからも進んでいきたいとおもいます。
この「箱根やまぼうし」はパブリックスペースとして、アーティストたちなど広く活用していただいております。そう・・・80代になったら、90代になっても皆さまを笑顔でお迎えできるよう、せっせと山歩きもいたしましょう。 やまぼうしの花を愛でながら。

有次と包丁

皆さまはご自宅の包丁ってご自分で研いていらっしゃいますか?
ステンレスなら大丈夫でも和包丁だとそうはいきませんよね。
今回は、京都の老舗包丁・料理道具店「有次と包丁」を上梓なさった大阪・岸和田生まれ・岸和田育ちの江弘樹さんをラジオのゲストにお迎えいたしました。
江さんは、1958年のお生まれ。神戸大学農学部を卒業後、京阪神エリアの情報誌「ミーツ・リジョナール」の創刊に携わり、12年間編集長を務めました。主な著書に
「岸和田だんじり祭り だんじり若頭日記」
「街場の大阪論」
「うまいもんからの大阪論」
「飲み食い世界一の大阪」などがあります。
食い倒れの大阪!江さんならではの関西事情を伺うことができました。江さんは長年、京都や大阪の街場について書き雑誌や本を編集して、今回有次の物づくりに密着し書き上げたのが「有次と庖丁」です。
その始まりは今から450年年以上前の戦国時代!には驚きます。
様々な用途に応じた包丁の種類は、何と400以上もあるそうです。
「有次の包丁」には思い出があります。私は23,4年前に京都の台所「錦市場」にある「有次」の店内に入るとびっくり!左壁は奥まで一面ガラスのショーケースになっていて、中にはびっしり包丁が並んでいます。
私にとって京都は道具屋さん、その他、敷居の高いところ。「有次」の包丁は40年近く「あ~買いたいな!使いたいな~」と憧れでした。思い切って店内にはいり丁寧なご説明をしていただき2本購入いたしました。「包丁は、まだそんな古ない」と十八代当主の寺久保進一郎社長はぶっきらぼうに言う・・・と書かれています。包丁が主力商品となるのは明治から大正にかけて。でも、百年は超えているわけです。「いつまでも小刀・彫刻刀ではあかん」と包丁になり京料理の洗練された料理。仏・伊料理、そして中華料理は京都ならではの味。それも”筍”など京の食材を切る包丁が必要になってくるのです。
錦市場、その原型「錦小路」が作られたのは平安遷都(794年)今から1200年ほど前。スゴイですよね!歴史のスパンが。長さ400m、幅3mおよそ150店舗がひしめき合う場所。朝9時にはお客でいっぱい。鮮魚・野菜・かしわ屋(鶏肉店)、鶏卵店、そして錦市場で唯一、包丁と料理道具を扱うのが「有次」なのです。この頃は外国人が多く訪れています。
さて、料理人から私のような主婦までもが絶賛する切れ味。今回、江さんのお話を伺って包丁の日々のお世話と定期的な「研ぎ」がいかに重要かを考えさせられました。最初に買った包丁でキャベツの千切りをしたときの切れ味の良さに感動したことを今でも思い出すのですが、こと「研ぎ」となると自分では無理!と決め付けて日本橋のデパートに入っている「有次」さんに持っていっていました。
でもお話を伺い研石を買い自分で「研いでみよう」、そして日々の手入れはクレンザーで磨こう!と決心しました。道具は丁寧に手入れすること・・・当たり前のことを私は怠って人に任せていたのですね。深く反省(笑)したしだいです。今回は2回に分けて放送いたします。包丁は堺の職人さんの手で作られていること。大阪と京都の文化の違いなど興味あるお話が伺えました。
そうね・・・今度京都に行ったら小さな出刃包丁を買おうかしら。そして使い終わったら、しっかり洗って磨いておかなくては職人さんに、道具に申し訳ない・・・と思いました。
ぜひラジオをお聴きください。
文化放送 「浜 美枝のいつかあなたと」日曜日 10時半~11時
6月29日と7月6日です。


横浜イングリッシュガーデン

まるで絵本の中に紛れ込んだよう、イギリスの田舎のガーデンにいるようです。先日早朝オープンが6月8日までと知り行ってまいりました。
(8:00~9:30まで)通常は10:00~18:00までです。


植物に出逢うのは早朝にかぎります。庭一面、バラの香りに包まれていい匂い。ローズウォーターのシャワーを浴びているようです。横浜駅からわずか15分の都会の中にこんな素敵なガーデンがあるなんて。初めて行きました。1100品種、1600本以上のバラを中心に、横浜の気候風土にあった草花や樹木がちりばめられています。


色ごとに5つのエリアに分かれて植栽されています。白バラを主役に、白いろの宿根草や白の植物の組み合わせは楚々とした美しさです。純白・象牙色・酔白・青白・・・なんて素敵なの。クレマチス、箱根の紫陽花はこれからですが、アジサイとバラの競演も初夏の装いです。ピンク、紫、黄色、ブルー、オレンジさまざまな色の組み合わせがほんとうに素晴らしいです。早朝だったのでカメラのシャッターを押す方々が6名。そして私と娘。


帰り際ガーデナーの方々が脚立に乗り、剪定をしている姿を拝見し、細やかな手入れがなされていることをしりました。


植物は私たちに心の豊かさ、優しさ、潤いを与えてくれます。7月、8月、9月はエキナセアやカンナやダリア・トロピカルブランツなどが見頃だそうです。横浜駅から無料直通バスが運行しているのでアクセスも便利です。
素敵なお花を皆さまにおすそ分け。