『柳家小三治独演会』

箱根の山から小田原~東京~上野、そして三ノ輪。
サンパール荒川の大ホールに落語を聴きに行ってまいりました。
ネットで必死に取って手に入れた貴重な一枚。今回はなんと前から2番目、端の席でしたが師匠の表情がよく拝見できます。私、浜美枝は落語家の柳家小三治師匠のおっかけに夢中です。「もう恋なのかもしれない」と想うほどの”ときめき”です。
15年ほど前でしょうか、友人に誘われて師匠の高座を拝見したとたんに、胸がときめきました。この年で出会えるとは思いませんでした。新宿末廣亭、上野の鈴本演芸場の高座に上がられるときにはもちろん、独演会にも駆けつけます。人間国宝になられても、あの飄々とした語り口、何ともいえない可笑しみ、師匠がまくらを語りはじめるともう舞台の上には『柳家小三治の世界』が広がります。
24日は「え~又聞きの又聞きのそのまた又聞きの話によるとですね、2050年の世界はえらく変わるそうですよ」からはじまり、目覚まし時計の話、師匠の暮らしぶりから見えてくるさり気ない日常。とにかくワクワクするおかしさ・・・。
会場のファンは古典落語はもちろんですが、この”まくら”も大きな魅力のひとつなのです。いったいいつお考えになるのかしら、と思っていると「何にも考えちゃ~いませんよ、本当に思ったことをこうしておしゃべりしているだけです」と。
そして師匠が落語を話し始めると、登場人物のもつ空気感というものまでじんわりと伝わってきます。その人物像、時代背景、場所の雰囲気、人々の息遣いまで感じ取れるのです。高座が進むうちに、こちらもどんどんのめり込んでいき、気がつくと首を伸ばして、体を前に傾けて、目で耳で一心にその世界を堪能させていただいて・・・そして師匠の扇子を持つ姿、お茶の飲み方などのしぐさにも胸がキュンとしたりして。落語のハつぁん、熊さんの世界は今の時代には貴重ですし、必要なのかも知れませんね。今回の演目は 「小言念仏」と「転宅」でした。
同じようにして山に戻り、しばらくはその余韻に浸り眠りにつきました。
至福の夜でした。

仕事帰りの寄り道 美術館

いつもより早く仕事が終わったら
美術館目指して歩いてみよう。
ちょっと遠回りでも
ちょっと面倒でも
子どもの頃のように「寄り道」してみよう。
きっと、心の宝物に出会えるよ。

(自由国民社「仕事帰りの寄り道 美術館」 プロローグより)
そうですね、私はお気にいりの美術館をいくつも心の中のリストに持っています。ちょっと疲れたとき、何となく鬱々しているとき、美術館の建築をみたいとき、美術館にはオシャレなカフェも併設されていて、ときにはそこでお茶をいただくときも。
私にとって夢のような美術館から現実の暮らしに戻る、さながら架け橋のような存在が美術館です。素敵な本に出会いました。
それが「仕事帰りの寄り道美術館」です。
たしかに、この20年近くで街にはアートがあふれ身近な存在になりました。
大きな展覧会だけではなく日常的にアートにふれる機会ができました。だから・・・ふらっと寄り道がしやすくなりました。この本には東京の美術館がエリアごとに写真とイラストマップ付きで掲載されています。カフェの情報も素敵です。仕事、仕事、仕事・・・そんな日常、隠れ家的なアートスペースから、明治期のオフィスビルが復元された展示室、新しい才能を発掘しつづける美術館など等、満載です。
つい先日気になっていた展覧会に仕事を早めに終えて娘と一緒に丸の内にある「三菱一号館美術館」に行ってきました。


ここの素晴らしいところは、作品との距離が近く、じっくり作品と向き合えるところ、明治の建築が素晴らしく建物、廊下、鉄筋階段、天井など、まるで個人の館に招かれたよう。
9月23日で終わってしまう『冷たい炎の画家 ヴァロットン展』です。
1865年ローザンヌで生まれ、一時期フランスに帰化し、「アンダーグランドのスイス人」ともいわれ、20年ほど前にブリジストン美術館で版画作品を観て感動したことを覚えています。けっして、広く知られてはいませんが、今回のこれほど大きな回顧展は日本で始めてです。しかも「三菱一号館美術館」での開催はもっともふさわしい場所のような気がいたします。絵の感想は申し上げません。ただ本にあるように「仕事帰りの寄り道」にはふさわしい美術館です。なぜって、アートの余韻をたっぷり楽しめるカフェがあるからです。


クラシカルな雰囲気の中で、明治時代のハイカラ文化も味わえ、私は”白ワインとナポリタン”をいただきました。陽が落ちての中庭のライトアップも素敵でした。心がとても豊かになりました。


ラジオ「浜美枝のいつかあなたと」に出版社・自由国民社の徳田祐子さんにご出演いただき企画された意図などお話を伺いました。
『夕方の美術館は、自分を見つめる場所かもしれませんね』というお話が印象てきでした。
放送は文化放送・9月21日(日曜・10時半~11時)
「浜 美枝のいつかあなたと」


鍋島段通展


300年の歴史を誇る鍋島段通。
かつて江戸時代は鍋島藩の御用品として徳川将軍家にも献上されていた日本の伝統工芸の段通。
9月27日(土)~10月3日(金)まで我が家の「箱根やまぼうし」で展覧会を開催いたします。
囲炉裏の間、玄関、座敷に鍋島段通が敷かれると、その織の確かな技術とともに、手ざわりのよさ、温もり、毛足の長い柔らかな風合い、その図案の素晴らしさに魅了させられます。
伝統のもつ豊かさを実感し、どんな思いで織られているのかしら・・・と想像します。
日常の暮らしに優しさや華やぎ、そして日本の美を感じさせてくれます。
秋の夜長、こんな素晴らしい段通に座り、静かに響く虫の音を聞きながら一献!なんて素敵でしょうね。
9月27日には鍋島段通の創り手・吉島伸一さんとのギャラリートークもございます。作品に込めた思いをたっぷりと聞かせていただきます。
ぜひお越しくださいませ。
お待ち申し上げております。
http://www.mies-living.jp/events/2014/dantsu.html

湯布院映画祭

先日、大分県湯布院で『第39回湯布院映画祭』が開催され行ってまいりました。「東宝映画特集」でした。


かつて助監督で活躍され、その後湯布院に戻られ、お父さまの跡を継がれ名旅館「亀の井別荘」のご主人として、また町づくりの中心的存在で活躍された中谷健太郎さんからご案内状が送られてきました。東宝の60年代から70年代の映画19本が上映されるとのこと。「懐かしい・・・行ってみたいわ」と思いました。60年安保、ヌーベルバーグの嵐。
私は、10代の終わりから20代半ばにかけての7年間に、「日本一のホラ吹き男」「ホラ吹き太閤記」「日本一のゴマすり男」など14本の映画に、植木等さんの相手役としてご一緒させていただきました。前夜際では広場にシートを敷いて、湯布院駅前に大きなスクリーンを設置して・・・映画を観る。”懐かしいわ~”皆さんご記憶にありますか?野原の大きなスクリーンを座り込んで観た映画。私は多分「路傍の石」だったと記憶しております。その前夜祭で「日本一のホラ吹き男」が上映されました。
暗くなってから8時スタート。
周りの商店街では上映に協力し全ての照明を消してくださいます。
「映画館のない町、湯布院」での映画祭。皆さん町のボランティアの方々で運営されています。素晴らしいですね。60年代、70年代・・・60年安保を撮影所の食堂で見つめていたり、ヌーベルバーグの嵐、等など。50年前の自分自身に対面しました。映像というのは、時空を超えるものなのですね。
実はあのころの私は、いつも居心地の悪さを感じていたのです。演技の勉強をしたわけでもなく、女優志願でもなく、スカウトされるまま映画に出ることになってしまって、これで私はいいのか、私がいるべき場所はここではないのではないか・・・。けれど、画面の中の私は、そんな愁いのようなものは全く感じさせず、つたない演技を、ぴちぴち弾けるような若さで補って輝いていました。あのころの私も、精一杯頑張っていたんだなぁと胸が熱くなりました。そんな風に若かった自分をいとしく思ったのは、もしかしたら初めてかもしれません。約半世紀という時間のおかげで、ようやく客観的になれたのかもしれないと思います。
ばかばかしいといわれればそれまでですけれど、人のかわいさ、おかしさをお客さまも喜んでくださり、映画を観ながらお腹を抱えて大声で笑ったりできる時代でした。無我夢中で生きたあの頃に胸が熱くなりました。「せっかくですから、シンポジュームにゲストとして出てください」と、事務局からのお誘いに、同時代を一緒に映画作りをした監督やシナリオライターの方、中谷さんとお話をさせていただきました。公民館のホールには全国から映画好きの方々が会場をうめて和やかな一日でした。


翌日は仲代達矢さんもお越しになられました。早朝には宿屋の周り金鱗湖や裏道などを散策し、幸せをかみしめました。


ボランティアの方々が湯布院駅に見送りに来てくださいました。
湯布院の皆さま”ありがとうございました”
私の『追憶の旅』はこうして終わり帰路につきました。


【お知らせ】
先週のお伝えした「徹子の部屋」は9月25日の放送になりました。
ぜひご覧下さいませ。