展覧会のご案内です。

『秋のアート三人展』

夏も終わり、秋草の花が咲き乱れる箱根の山の秋は澄んだ空気、穏やかな陽射し、爽やかで気持のよい日がつづきます。

とてもラブリーな展覧会を我が家『やまぼうし』で10月4日(金)~7日まで開催いたします。

ニットアートの石井麻子さんはグラフィックを学び、その後ニットデザイナーとして活動を続けておられます。京都・山科でショップを30年続け、世界を旅しながらその風景や花や天使など・・・誰からも愛されるニットを創り続けてこられました。

私も大ファンの一人です。カジュアルで着心地がよく、ラブリーな気持ちにさせてくださるニットやタペストリーなど、今回はどんな作品に出逢えるのでしょうか、今から楽しみです。

そして、考古学的なアクセサリーデザイナーの田部洵子さんの作品も楽しみです。ニューヨークで彫金を学び、イスラエルやシリア、インドなどを旅して探し出した貴重な石を細工し、豊潤を意味する葡萄を銀細工で表現し、ローマングラスのネックレスも魅力的で興味深いです。

もうお一人は石井さんのお嬢さんのAYUMIさん。まだ、誰も取り組んだことのない分野を開拓し繊細で透明感のある作品を創り上げておられます。素材は紙を用い糸で幾何学柄を刺繍すると、光線により濃淡が現れるそうです。私は今回はじめて出逢います。

箱根に暮して40年の私。近くには美術館や素敵なカフェもあります。”ちょっとお洒落して”の箱根暮らしにはラブリーなこのような作品が似合います。カジュアルに着られ、優しい気持になれるニットやアクセサリー。女性はいくつになってもお洒落を楽しみたいですよね。

10月4日はお三方と私のギャラリートークが「やまぼうし」で行なわれます。(参加費・無料)

ご予約はメールまたはお電話で。予約優先で、満席になりしだい締め切らせていただきます。お三人にはアートに対する想いなどを伺います。もちろん会場には作品も展示しております。

「秋麗・あきうらら」そんな秋の箱根にお越しくださいませ。お待ち申し上げております。

展覧会ホームページ
http://mies-living.jp/events/artexhibit.html

奈良大和四寺のみほとけ

東京国立博物館本館で「奈良大和のみほとけ」展が9月23日まで開催されております。

安部文殊院・長谷寺・室生寺・岡寺。奈良県北東部にある4つの古刹の名宝があつまりました。国宝4点、国の重要文化財9点が一堂に会しました。

奈良市内の大寺に比べれば地味なお寺さんです。これら四寺はいずれも7~8世紀に創建された古刹です。その中でも私が一番心惹かれるのは”室生寺”。それにはわけがあるのです。

写真家の「土門拳の古寺巡礼・第五巻 室生寺」に出逢ったからです。もう半世紀ほど前のことです。「室生寺はいつ行ってもいい。ぼくは ただ室生寺のあれこれを、また撮られずにはいられない」と記され、「釈迦如来坐像」(国宝)を「日本一の美男子」と称えた平安初期の仏像です。

10代だった私が土門先生に出逢い『本物と出会う』ことを教えられてはじまった骨董や仏像に出会う旅。今回の展覧会でも流麗な衣文線がなんとも美しく、女性的で優しい雰囲気をたたえた十一面観音菩薩像(国宝)など・・・時のたつのを忘れて魅入りました。このような”みほとけ”を拝観できるなんて・・・なんと贅沢なことでしょう。

「魅かれるものに魅かれるままジーッと眺める。モノを長く眺めれば眺めるほど、それがそのまま胸にジーンとしみて、僕なりの見解が沸く。要するに余計なことを考えず、ただ胸にジーとこたえるまで相手をじっと見る。見れば見るほど具体的にその魅かれるものが見えて来る。よく見るということは対象の細部まで見入り、大事なものを逃さず克明に捉えるということなのである。」(土門拳「私の美学」あとがきより)

古寺も仏像も、土門さんにとっては、ひとしく、美たりうるものであったのでしょう。

写真集「古寺巡礼」の撮影中に一度倒れられ、不死鳥のように立ちなおり、強い意志でもって復帰なさったのですが、再度、倒れられ、車椅子の不自由なおからだになった土門さん。

奈良の病院で療養をなさりながら、1939年(昭和14)初めて室生寺に行ったときから30回近く通うも「雪の室生寺」が撮れない、撮りたいとの執念で3月に寒波到来を知り、定宿にしている橋のたもとの橋本屋に移り、雪を待ち続けました。

12日、二月堂のお水取りの日の早朝、橋本屋の女将が「先生、雪が・・・」と。土門さんは涙を流したといわれています。うっすらと雪の鎧坂が表紙になっております。私の宝ものです。

雪降るなかの五重塔、杉の木立の階段、梅の匂いに包まれた季節、椿、石楠花、そして紅葉、と何度訪れたことでしょうか。”みほとけ”に出会うために。

今回は博物館でこんなに身近で出会えました。優しいほとけさまたちと。

そして、みほとけ のなかから土門先生が現れました。先生が仰られた「胸にジーンとしみてきました」

もう次の旅を計画している私。箱根から室生寺、そして高野山への旅を・・・晩秋かしら、初冬かしら、令和になったのですもの、やはり大和の紅葉の季節かしら、万葉の心にふれる旅をしたいです。

東京国立博物館サイト
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1966

原三渓の美術

横浜美術館に「原三渓の美術展」を観に行ってまいりました。

横浜・本牧の三渓園には何度か足を運び、四季折々の美しい庭園や三渓自身が京都や鎌倉などから移築した古建築や茶室など楽しんでまいりました。

これらの美の世界を構築したのが原三渓自身であったこと。その美意識に感嘆し、庭を歩き「原三渓」という人物にとても興味をもっていました。

なによりも私利私欲を超え将来有望な画家たちを物心両面で支援した本当の意味での”パトロン”であったことなどは良く知られていました。その「芸術のパトロン」は明治・大正期の精神風土が生み出したものです。この時代にはそうした本物のパトロンが存在していたことは他でもみかけられますが、今回の展覧会ではその全貌を観ることができました。

原三渓は慶応4(1868)~昭和14(1939)、本名・富太郎。生糸貿易で財をなした実業家です。古美術コレクター、茶人、そして近代美術を支えたパトロンでもあります。広大な土地に「三渓園」を造園し、自らも書画など描いたアーティストでもあります。

そしてその三渓園を市民に無料で開放しました。『美術品は専有するものではなく他者と共有するもの』との考えがあり、その審美眼で集めた作品は5千点以上といわれます。

1923年の関東大震災が起き横浜が焼け野原になった時には一切の収集を止め復興に私財を投じ心血を注いだといわれています。関東大震災が起きなければ「原の美術館建築」が実現していたのでしょうが、今回の展覧会でそれらを一堂に観ることができました。

今に伝わる名品の一つ、孔雀に座る明王が静かなまなざしをむける「孔雀明王像」(国宝)。色彩がよく残っていて荘厳。私がびっくりしたのは宮本武蔵の「「眠り布袋図」です。構図といい、穏やかな布袋といい宮本武蔵像がかわりました。

尾形光琳の「伊勢物語図・武蔵野・河内越」。平安時代の「古今和歌集巻第五」。茶器では朝鮮時代の井戸茶碗の「銘・君不知」。「信楽茶碗」。そして本人の描いた「白蓮」。三渓愛蔵の名品の質の高さに驚かされます。

そして三渓が支援した近代の日本画家の作品が並びます。横山大観、下村観山、今村紫紅、速水御舟の「京の舞妓」など。これら三渓はすべて高い値段で買い上げ、生活費を渡し、それだけではなく新進画家や美術史家らを自宅に招き夜を徹して芸術論を戦わしたそうです。

この時代に素晴らしい絵画、美術品が海外に渡りました。今回の展覧会では『日本美術』を守り育て、そうした情熱と審美眼を知ることができました。

コレクターでありパトロンであり、自らも筆をもち、才能を支援し、岐阜の豪農の家に生まれながら、”芸術にたいする愛”を惜しみなくそそいだ『原三渓』に敬意を表しました。

秋になったら紅葉した美しい三渓園を歩きたいと思いました。

井上陽水英訳詩集~ロバートキャンベル

日本文学研究者のロバート・キャンベルさんが歌手の井上揚水さんの歌詞を英訳し『井上陽水 英訳詩集』をお書きになり出版いたしました。

キャンベルさんはハーバード大学大学院・東アジア言語文化学科博士課程終了後、初来日からすでに40年がたつそうです。

最初は1985年、学びたい教授のいる九州大学文学部研究生として来日。江戸時代終わりから明治の前半の漢文学に関連の深いジャンル、芸術、メディア、思想などに感心をよせておられます。

著書も多数だされております。ご承知のように陽水さんの曲は名曲ばかりですけれど、歌詞が独特で、例えば「傘がない」や「いっそセレナーデ」など、どのように英訳されるのか・・・など等、大変興味深く、”なぜ陽水さん”なのか・・・などお聞きしたいことばかりです。

そして、本の陽水さんの詩を文字であらためて読んでみると正直に申せば”分からない!”とかんじる詩、声や歌い方が、ある種の魔力となって歌詞の本質から、私たち遠ざけている気もします。でも、心に響く。

たとえば  「傘がない」

都会では自殺する若者が増えている
今朝来た新聞の片隅に書いていた
だけれども問題は今日の雨 傘がない
行かなくっちゃ 君に逢いに行かなくっちゃ
君の町に行かなくちゃ 雨にぬれ

つめたい雨が今日は心に滲みる
君の事以外はかんがえられなくなる
それは  いい事だろ?

キャンベルさんはこの詩をどう捉え訳しているのでしょうか。

陽水さんとキャンベルさんはお互いに理解し合える仲間、ディスカッションをしながら、ということもあったと本に書かれております。

ぜひ直接お話を伺いたくラジオのゲストにお迎えいたしました。本のこと、ご自身のこと、文学を通しての日本、江戸文学について・・・など。

まず、ロバート・キャンベルさんの美しい日本語に、表現の豊かさに、語彙の豊富さに、人への優しさに魅了され、このブログでキャンベルさんの言葉をお伝えするのは非常に難しいです。

ぜひ、直接お聞きいただきたいです。日本人の私たちが忘れてしまっている「日本語」を私は学ばせていただきましたし、江戸文学をきちんと読みたくなりました。

直接ぜひ彼のことばでお聞きいただきたいのです。

文化放送 日曜日 10時半~11時
「浜 美枝のいつかあなたと」
9月1日・8日と2週にわたり放送いたします。

韓国と私

あれは17、8年前ころでしょうか。コスモスの美しい季節でした。まだ夏の暑さがすこし残っていましたが、ピンクや濃桃色、真っ白なコスモスが群生していて、風が柔らかにそよいでいました。

ソウルのインチョム空港から東に、80キロ、忘憂里(マウリー)の丘にある淺川巧(あさかわたくみ)の墓に詣でる旅でした。

巧は1891年(明治24年)山梨県に生まれました。山梨農林学校を卒業したあと、朝鮮総監府農工部山林課の技師として、ソウルに渡りました。緑化運動に成果を上げるかたわら、半島各地を歩き、日常に民衆が使っている道具に、健全な美を発見したのです。

巧は、普段から朝鮮服を身に着け、朝鮮料理を食べ、朝鮮語をマスターしていました。そして、お給料の大半を学生たちに援助をし、朝鮮の人から慕われ、朝鮮人と間違われることもたびたびだったそうです。

朝鮮半島の七百ヶ所近い窯跡を調査しつつ、「朝鮮の膳」、「朝鮮陶磁器名考」といった著書を著し、韓国陶磁器の全体像を明らかにしました。残念ながら、巧は四十歳の若さで、肺炎をこじらせて、還らぬ人となりました。

ソウルを眼下に望む忘憂里の丘のお墓は今でも韓国の方が守ってくださっています。そして墓には、巧が愛した朝鮮白磁の壷が花崗岩でかたちどられており、林業試験場の方々によって作られた記念碑には「韓国の山と民芸を愛して、韓国の人の心の中に暮して生きて去った日本人、ここ韓国の土になりました」とハングル文字で刻まれています。

あちらでは人が亡くなったとき、三角形のお煎餅を配る習慣があるのだそうですが、巧の葬儀の日、大勢の人々が見送りに来てくださり、ソウルの煎餅がすっかりなくなったという逸話を、以前、私は墓を守ってくださっている韓さんから聞きました。韓さんは、お父さんから、その話を聞いたそうです。

あれから幾度となく訪れた韓国。

私は韓国の家具にも強く心惹かれます。隅々まで、びしっと計算されつくし、完成された日本の家具と比べると、李朝の家具はほんとうに素朴にみえます。心がふっとなごんで落ち着く柔らかさを李朝の家具に感じるのです。

朝鮮半島は、何度も戦いにさらされました。その中で、人々は打ちひしがれ、ときには恨みや悲しみを抱くこともあったでしょう。そうした辛い、激しい、感情が昇華したときに、はじめて心のなかに表れる静かさというような、落ち着きとたたずまいを私は李朝の家具に感じるのです。陶磁器も多くは朝鮮半島から渡ってきています。

現在、韓国と日本は政府間でたくさんの問題を抱えております。伝統、文化の違いもあるでしょう。巧が民の中に飛び込み、民とともに生き、民によって守られていることも事実です。

どうぞ、よい方向に向っていただきたい、と願うばかりです。私には韓国に大切な友人達もおります。またコスモスの美しく咲くころに忘憂里の丘に詣でたいと思います。

『リーチ先生』

今、原田マハさんの「リーチ先生」(集英社)を読んでおります。

7月にイングランド西端の港町・セントアイビスに念願だったバーナード・リーチの工房を訪ねたことはブログでも以前ご紹介いたしましたね。

何故、英国人のリーチがこれほどまでに”日本の美”に魅せられたのか・・・が不思議でなりませんでした。

最初は60年ほど前に民藝運動の創始者、柳宗悦の本でリーチのことを知りました。まだ中学生だった私が手にした本「民藝とは何か」。わけも分からず読み、その人が宗教哲学者であり「白樺」の同人であることを知ったのは女優になってからのことでした。

映画界はいっけん華やかな世界、でも私自身は居場所を見失い心細い日々が続いていた10代。また「民藝とは何か」のページを開きました。

「あの平凡な世界、普通の世界、多数の世界、公の世界、誰も独占することのない共有の世界、かかるものに美が宿るとは幸福な報せではないでしょうか」とありました。

高価なものではなく、民衆的工芸、つまり「民藝」の心は「美しいと心に響く、感じる心が大切」とも理解しました。「そうなのだわ、心に響く何かを見つければ心の安定が得られるはず」そう思い民藝の世界へと誘われていきました。

「真に美しいものを選ぼうとするなら、むしろあらゆる立場を超えねばなりません。そうしてものそのそのものを直接に見ねばなりません。立場は一種の色眼鏡なのです。ですから知識で見たり概念で見たりしたら、末葉の性質に引っかかって、本質的なものを見逃してしまうのです。ものの美しさは何よりも直感に依らねばなりません。」(民藝とは何か)より。

バーナード・リーチ、濱田庄司、河井寛次郎、などなど、そのときに知った名前でした。それから現在まで「民藝の旅」は続いております。

原田マハさんの本は大分県小鹿田(おんだ)にリーチが訪ねてきたところから始まります。現在でも窯元が多くあり、小鹿田の土は豊かで「陶土」には適しているといわれます。1ヶ月ほど滞在しリーチはその土で作陶を続けます。

半分ほど読んだところでしょうか。もう止まりません。柳宗悦がリーチを訪ねてきて、時には美について激しい口論になったとしても、お互いを認め合い、濱田庄司たちとの友情を育んでいったのです。この「リーチ先生」を読んでいるとまさにその場に居合わせたかのような錯覚におちいります。

ちょうど深沢のギャラリー・セントアイビスで「夏のコレクション展2019」が始まりバーナード・リーチの1950-60年代の作品を中心にギャラリー所蔵作品などが拝見できるので行ってまいりました。

オーナーの井坂浩一郎さんはたびたびセントアイビスはじめイギリス国内でのリーチ作品を巡っておられます。

そうそう興味深かったのはリーチのエッチングです。本の中にも出てきますが、英国を代表する芸術家リーチは陶芸家でありエッチングも素晴らしく、日本に来て生活のために「エッチング教室」を開こうと思いエッチングの展覧会を開催し、そこに柳宗悦が見にきたのが出会いでした。

マハさんの本の中に登場するバーナード・リーチは濱田庄司との友情、柳宗悦と親友になったことなど、その人間味溢れる描写には東洋と西洋の架け橋になった人間「リーチ先生」が描かれております。

”読み終わるのがもったいない!”とおもいつつ読み続けております。

ギャラリー・セントアイビスの公式サイト
http://www.gallery-st-ives.co.jp/Top.htm

長野・東御町の旅

梅雨が明けて、私のお気に入りの信州・東御(とうみ)市へ友人たちと1泊の旅をしてきました。

東御には30年来の友人ご夫妻、エッセイストとして旅や料理、食文化、田舎暮らしの達人である玉村豊男さんご夫妻が住んでおられます。

当時は軽井沢から東御町に移り住んで間もないころでした。「のんびり畑でもやりながら療養をかねて道楽で自分が飲む分のワインでも造れたら・・・」が始まりだったとお聞きしました。

そして、お気に入りの宿「農の家」に泊まるのも目的のひとつです。上田から「しなの鉄道」ローカル線に乗り3つ目の「田中」駅で下車。

宿のご主人が「草刈をしていたので、こんな格好で失礼します。」と真っ黒に日焼けした笑顔で出迎えてくださいます。真夏の長野は昼間は30度近くまで気温があがり太陽光線も強烈ですが朝夕は湿度も少なく快適です。

「農の家」は最大6名まで、1日1組、仲間や家族で楽しめる古民家をほとんどご自分達でリノベーションした素敵な宿です。建物は江戸時代に建築され、150年以上経っています。おしゃれに、清潔で、センス良くリフォームされています。

仕上げの作業はほとんどご夫妻で手作りです。(床板貼り、壁の漆喰塗り、木部の柿渋ぬり、薪で焚く露天風呂などなど・・・)そして、朝食・夕食に出される野菜やフルーツは最大限自給しているそうです。

畑は原則耕起せず農薬類は一切使用せず化学肥料も使いません。「自分達が食べたいものを作っているので雑草だらけですが、この雑草が豊かな土を育むのです。」とおっしゃられます。

朝食のパンもジャムも手作り。牛乳の美味しいこと!近所の酪農家がこだわりをもって作っているとか。長年ペンションをなさっておられたから、料理はバツグンのフレンチで夕食はワインとともに堪能します。野菜中心でデザートまでしっかりいただきます。気のおけない仲間とおしゃべりしながらの食事、至福の時です。ワインも飲みました~~!

早朝はいつものように、ストレッチをしてから近所を散策。夏の花々が咲き、今年は長雨だったせいか、トウモロコシの生育は遅れているようですが、早朝の風、空気・・・信州の田園風景が拡がるなかで深呼吸をして、健康に感謝する朝です。

今回の旅では、ワイナリー巡り、地元の食材を使った天然酵母のパン屋さん、そしてワインに合う美味しいチーズに、道の駅で色とりどりの新鮮野菜や果物・・・などバッグがいっぱいになりました。

「帰ったら、この”おおひらたけ”とくるみのジェノベーゼでプチイタリアンにしましょ!チーズにワインも。」と『食を知る旅』でした。玉村夫人の抄恵子さんにご案内いただきました。

そして、いよいよ皆さん念願の玉村豊男さんがオーナーのヴィラデストへ。

ブドウ畑を見ながら、お庭の花々を眺めながらのランチ。この一体は「千曲川ワインバレー」とよばれ日本有数の小雨地域で、日照時間が長く、昼夜の寒暖差が大きいなど、ブドウ栽培に適しておりますが、最初から全てがうまくいったわけではありません。

耕作放棄地を開墾し、今でこそ手入れの行き届いた畑の風景が美しいですが、ここまでのご苦労を思うと「日本ワイン」にこだわり、新規参入者を受け入れ、レストランに農作物を提供し、みんなで作り上げた町つくりなのですね。

その中心的な役割を担っているのが玉村さん。「大企業がポンと大きな工場を作るよりもたくさんの人が集い、切磋琢磨していけば個性も生まれるし、新しい風が吹き込まれると思うのです」とおっしゃいます。

5000本のぶどうの苗木からはじまり、今や7ヘクタールもの広大な畑に。開業3年目で国際サミットのランチワインにも選ばれたという実績をもちます。情熱をもち気鋭の醸造家が集い、後進の育成にも励みます。

私はこうした旅が好きです。これからの私たちの旅の在りかたも変化してくるでしょうね。大きくからスモールへ。人の温もりが感じられる旅。そして、スモールな町づくり。そのほうが、日本列島には似合っていると思うのです。

「インバウンド」海外からのお客さまにも本当の”普段着の暮らし”を見て、感じていただきたいですね。もう始まっておりますよね。

ヴィラデストでのランチを美味しくいただき、ガーデンを散策し、山羊の「ヤギ子」に見送られ家路につきました。

小説・平場の月

50代の悲しい純愛を描いた「平場の月」は、私が発売と同時に購入し読み始めてまもなく「山本周五郎賞受賞」が決った作品です。

著者は朝倉かすみさん。50歳の青砥健将は、胃の検査で訪れた病院の売店で、中学時代の同級生・須藤葉子と再会します。青砥は中学時代に須藤に告白して振られているのです。お互いに一度は結婚したものの、パートナーと別れ、50歳になって再会した二人。そこから物語ははじまります。

今回、惜しくも直木賞受賞は逃したものの、多くの書評家、読者からも絶賛されています。山本周五郎賞に決った時の記者会見での朝倉さんの言葉が印象深かったです。「とても幸せ。本当に嬉しい」と。山本周五郎賞受賞、納得です。

朝倉さんは1960年、北海道生まれ。2003年、「コマドリさんのこと」で北海道新聞文学賞。2004年、「肝、焼ける」で小説現代新人賞。2009年「田村はまだか」で吉川英治文学新人賞受賞。

その他著書も数多くありますが、短大卒業後は、スーパーで事務をしていたそうです。漱石や鴎外などの面白さに目覚め(20歳のころ)「本を買うための生活」になり40歳を過ぎてからのデビューです。

「平場の月」は女性が大腸がんになり、相手は彼女に寄り添おうとする心情を悲しいほどとてつもなく切ない内容です。丁寧に描かれていて悲しい、とても悲しい大人の純愛です。

このカップルは市井の人。決して豊かとは思えない暮らし。その暮らし方が丁寧に丁寧に描かれているからよけい切なくなるのです。愛おしくなるのです。また文体、文章が「ちょうどよくしあわせ」とか、「だれかに話しておきたかった、感覚。なんだろうね、この告白欲」とか。

50年を生きて来た男と女には、老いた家族や過去もあり、そうした文章のなかには皆、それぞれが抱えている生きる悲しみが綴られています。

どちらかと言えば遅咲きの人。執筆前には派遣バイトを数ヶ月経験し、暮らし向きを肌で感じた・・・とインタビューに答えていらした朝倉さん。

作家としてはもちろんのこと人間”朝倉かすみさん”にどうしてもお逢いしたくラジオのゲストにお迎えいたしました。

想像していた通りの素敵な方。自然体で、優しく、作家として優れているのは当然ですが、私、胸がドキドキしてしまいました。こんなに切ない50代の・・・そうもうけっして若くはない男と女のしずかな純愛を描ける人に憧れてしまいます。

ぜひ、彼女の言葉でラジオをお聴きください。そして、小説「平場の月」をお読みください。スタジオで「齢を重ねるとつい下を向いて歩くようになります。たまには上を向いて、でも太陽は眩しすぎます。月くらいがちょうどいいのですね」と。朝倉さんのこぼれ出る言葉に魅了されました。

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」
日曜 10時半~11時まで
8月4日、11日 2週続けての放送です。

世界報道写真展2019

先日、私は1枚の写真を前に立ち竦んでいました。2歳ぐらいでしょうか、1人の女の子が周囲の異様な空気に耐えきれず、母親の前で泣き叫んでいます。

昨年6月、アメリカ・テキサス州でのできごとです。中米・ホンジュラスからメキシコを経て、この母娘はやっとの思いでアメリカにたどり着いたのです。2人を待っていた最初の体験は国境監視員による取調べでした。

この写真の鋭さは、2人の大人の顔がフレームに入っていないことでしょう。人の表情が消えたことで、事務的で無機質な手続きが”淡々と”執行されていることを冷静に伝えています。

多くの理不尽さの集約でもあるこの光景を目の当たりにして、女の子だけが正直に反応しているのです。鮮やかな赤いシャツと靴。そして、ライトに照らし出された彼女の真っ黒できゃしゃな影が、不気味なほどのコントラストを描いています。

        ジョン・ムーア(アメリカ・ゲッティイメージズ)

いま「世界報道写真展2019」が開かれています。今年で62回目となるこのコンテストは、オランダで始まりました。今回は129の国と地域から、4700人を超えるプロのカメラマンが参加し、応募総数は7万8000点に達したそうです。その中から選ばれた45の入賞作品が展示されいます。女の子の泣いている写真は、「スポットニュースの部」で1位を獲得しました。

これ以外にも、迷彩服に身を包み、銃を手にした女性の作品が目を引きます。アフリカ南部のジンバブエ。眼光鋭い彼女は野生動物の密猟防止に向け、女性だけで組織された武装部隊のメンバーです。貧しい女性たちの仕事を確保し、長期的には地元住民の利益にも合致する活動ですが、娯楽目的で猟をする観光客からのお金を部隊の活動資金に充てています。矛盾を抱えた難しい現実が横たわっています。

      ブレント・スタートン(南アフリカ・ゲッティイメージズ)

そんな中、脚にケガをしたフラミンゴの姿が多少なりとも重い心を慰めてくれます。早期の回復を目指し、治療用の特別なソックスを履かされたフラミンゴですが、傷の治癒具合を自ら確かめるかのような姿が、カメラに優しくそして丁寧に捉えられました。カリブ海・キュラソーでの1コマでした。

          ヤスバー・ドゥースト(オランダ)

この写真展は楽しく、うきうきするような内容では決してありません。でも、この瞬間、世界が抱える問題を見事に切り取った象徴的で印象的な作品ばかりが集まっています。たくさんのフアンが、「世界の今」を静かにじっくりとご覧になっていました。展示会場の片隅に、ビデオを上映するコーナーがひっそりと設けられていました。そこには、日本の四季折々の美しい自然が心地よい音楽とともに穏やかに流れていました。世界の現状はあまりに厳しいけれど、僅かな光明だってあるはずだ。みんなの傷ついた心の翼をいたわり合いながら、また飛び出そう!主催者が、そしてカメラマンたちがわれわれに呼びかけた、優しくて力強いメッセージと受け取りました。

この写真展、私がお邪魔するのは5回目となります。やはり、やみつきになりそうです。

恵比寿の「東京都写真美術館」で8月4日まで開催中。
開館時間 10:00~18:00 (木・金は20:00まで)
休館日   毎週月曜日
https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-3437.html

映画『COLDWAR あの歌、2つの心』

1940年代末のポーランドから始まるラブストーリーの男と女は、東西冷戦下で15年にわたり、国境を越えて愛し合い、衝突し、別れ、また求めあい、ワルシャワから東ベルリンへ、そしてパリからユーゴスラヴィアへ。

再びパリからからポーランドへと舞台は移ります。3人の男女が冬のポーランドで村落を訪ね歩き、民族音楽を収集し「先祖伝来の音楽」と才能ある少年少女たちを探し求めて旅を続けます。

ピアニストであり楽団創設者のひとりでもあるヴィクトルは、ある村で魅力的な少女ズーラを見出し、心奪われ恋に落ちます。

結成された舞踏団も世界大戦後の冷戦構造に飲み込まれ社会主義政権やスターリン主義を支える音楽や舞踏へといやおうなく変化していきます。

社会主義政権の圧力で好きな音楽が出来ないことに絶望した彼はズーラを誘って亡命を決意しますが、東ベルリンで西側に脱出しようとしますが、彼女は現れません。そして、パリへ。

パリでジャズを演奏するヴィクトルの前にズーラが現れます。「西」と「東」を行き来しながら続く愛。しかし・・・そんな単純なストーリーではない心理描写をポーランド生まれのパヴェウ・パヴリコフスキ監督は感情ほとばしる白黒画面と音楽、魂の歌で静かに、鮮烈に観客に投げかけます。

『音楽が語る』とはこういうことなのですね。民族音楽、ジャズ、多彩な音楽が物語と共振し、なかでもポーランドの歌「2つの心」は一度聴いたら心から離れません。

単なるラブストーリーではなく男と女、どうすることもできない業や切なさ・・・15年の歳月の省略の美も包み込みます。スタンダード画面のモノクロ、こんな美しい画像の映画は久しぶりに観ました。

最後の10分で女の「ここから連れだして」というセリフに思いのすべてが凝縮されていて感動しました。ラストシーンはあえて書きませんね。

この美しさをどのように表現していいかは私には分かりません。観終わりしばらくは映像と音楽が頭から、耳から離れませんでした。そんな余韻を監督は観客にプレゼントしてくれたのですね、きっと。

エンディングロールに「両親に捧ぐ」とありました。調べてみたら主人公のズーラとヴィクトルという二人の人物は部分的に監督の両親を基にしているとのこと。

1時間28分。私はヒューマントラスト有楽町で観ました。本年度のアカデミー賞外国部門に監督賞・撮影賞にノミネートされている映画です。