映画『COLDWAR あの歌、2つの心』

1940年代末のポーランドから始まるラブストーリーの男と女は、東西冷戦下で15年にわたり、国境を越えて愛し合い、衝突し、別れ、また求めあい、ワルシャワから東ベルリンへ、そしてパリからユーゴスラヴィアへ。

再びパリからからポーランドへと舞台は移ります。3人の男女が冬のポーランドで村落を訪ね歩き、民族音楽を収集し「先祖伝来の音楽」と才能ある少年少女たちを探し求めて旅を続けます。

ピアニストであり楽団創設者のひとりでもあるヴィクトルは、ある村で魅力的な少女ズーラを見出し、心奪われ恋に落ちます。

結成された舞踏団も世界大戦後の冷戦構造に飲み込まれ社会主義政権やスターリン主義を支える音楽や舞踏へといやおうなく変化していきます。

社会主義政権の圧力で好きな音楽が出来ないことに絶望した彼はズーラを誘って亡命を決意しますが、東ベルリンで西側に脱出しようとしますが、彼女は現れません。そして、パリへ。

パリでジャズを演奏するヴィクトルの前にズーラが現れます。「西」と「東」を行き来しながら続く愛。しかし・・・そんな単純なストーリーではない心理描写をポーランド生まれのパヴェウ・パヴリコフスキ監督は感情ほとばしる白黒画面と音楽、魂の歌で静かに、鮮烈に観客に投げかけます。

『音楽が語る』とはこういうことなのですね。民族音楽、ジャズ、多彩な音楽が物語と共振し、なかでもポーランドの歌「2つの心」は一度聴いたら心から離れません。

単なるラブストーリーではなく男と女、どうすることもできない業や切なさ・・・15年の歳月の省略の美も包み込みます。スタンダード画面のモノクロ、こんな美しい画像の映画は久しぶりに観ました。

最後の10分で女の「ここから連れだして」というセリフに思いのすべてが凝縮されていて感動しました。ラストシーンはあえて書きませんね。

この美しさをどのように表現していいかは私には分かりません。観終わりしばらくは映像と音楽が頭から、耳から離れませんでした。そんな余韻を監督は観客にプレゼントしてくれたのですね、きっと。

エンディングロールに「両親に捧ぐ」とありました。調べてみたら主人公のズーラとヴィクトルという二人の人物は部分的に監督の両親を基にしているとのこと。

1時間28分。私はヒューマントラスト有楽町で観ました。本年度のアカデミー賞外国部門に監督賞・撮影賞にノミネートされている映画です。

上野千鶴子のサバイバル語録

今年4月の東京大学の入学式で上野さんの祝辞がメディアで大きく取り上げられました。私もその文章を新聞で読み「なぜ、今、上野千鶴子さんの祝辞なのか」をじっくり考えました。

上野さんといえば、女性学をはじめ、様々な道を切りひらいてこられた社会学者です。祝辞の中でもおっしゃっていましたが、東京大学の女性の比率が、長年に渡って2割を超えないそうです。なぜ、あのようにメディアで大きく取り上げられたのでしょうか。

そこには祝辞のまとめとして、上野さんは「あなた方を待ち受けているのは、これまでのセオリーが当てはまらない、予測不可能な未知の世界です。」とおっしゃっていらしたのが印象的でした。一度じっくりお話を伺いたい・・・と思っておりました。

この度、「上野千鶴子のサバイバル語録」(文春文庫)が文庫化されましたのでラジオにお招きしてお話を伺いました。

上野さんは東京大学名誉教授で、NPO法人「ウイメンズ アクションネットワーク」理事長。1948年、富山県生まれ。京都大学大学院社会学博士課程終了。

女性学、ジェンダー研究、介護研究のパイオニアです。「おひとりさまの老後」「男おひとりさま道」「女たちのサバイバル作戦」など、著書も数多くあります。本の帯には「万人に感じよく思われなくてもいい。悪戦苦闘の人生から生まれた、140の言葉」とあります。いくつかをご紹介いたしますね。あとはラジオをお聴きください。

スタジオに現れた上野さんはブルーのブラウスに素敵なスカーフ。笑顔がチャーミングな方です。過激なご発言(敢えて)からの想像よりソフトな方。

友情にはメンテナンスが必要
(私は、手間ひまかけてメンテナンスして続いてきたものだけが、友情だと思っている)

万人に感じ良く思われなくていい
(万人から「感じ良」とおもわれるなんてことはありません。あなたが「感じ悪い」と思っているひとにまで「感じ良」く思われる必要はありません」「感じが良い」かどうかは、キャラの問題ではなく、関係の問題。感じ良い関係と感じの悪い関係があるだけ。生きていれば感じの悪い関係は避けられません。)

かさばらない男
(考えてみれば「かさばらない男」ってえがたい存在じゃないだろうか。男はどちらかと言えば、自分を実力以上にかさばらせて見せたい動物だ)

愛の王国か、出口のない地獄か
(二人だけの「愛の王国」は「さしむかいの孤独」にも、「出口のない地獄」にも、かんたんに転化する。)

愛よりも理解がほしかった
(母親は娘に「おまえを愛している」と言うが、それは娘には「不条理」と聞こえる。お母さん、わたしはあなたから愛よりも理解がほしかったのよ。)

領土問題をおもちゃにするな
(またまた、竹島や尖閣諸島をめぐってキナ臭い動きがありますが、領土問題を”男の子”たちの危険なおもちゃにしないでほしいですね。)

いかがでしょうか。

「いまを生きる女たちに、生き延びてもらいたい。そして、女であることを愛してもらいたい。人生の終わりに、生きてきてよかったな、と思ってもらいたい。」とあります。

スタジオでは笑顔でおおらかにお話くださった上野千鶴子さん。しかし、深く考えた収録でもありました。

放送日  文化放送 日曜日10時半から11時まで
7月7日、14日 2週連続です。

映画『ニューヨーク公共図書館』

先日、素敵な映画を見てきました。上映時間は何と205分!つまり、3時間半ですね。そんな長い映画を見たのは、もちろん初めてです。途中、伸びをするための10分間の休憩時間も、ちゃんと用意されていました。

映画のタイトルは「ニューヨーク公共図書館」。

図書館とは多くの老若男女が行き来し立ち止まる、文字通りの公共空間だということを丁寧に記録した、重厚なドキュメンタリー映画でした。

ここに描かれた図書館は、なぜ「公共」なのでしょうか?それは、一般市民からの寄付金などが、運営費の半分を占めていることもその理由です。単なる「公営」ではないのですね。今から108年前にオープンしたこの図書館は、現在では90を超える分館と6000万点の蔵書を誇る巨大な組織に発展しました。

映画の中で強調されたのは、図書館は単なる本の置き場所や書架ではないということでした。本を読みに来る人、借りる人。調べて資料を作成する人。そこには赤ん坊の泣き声が飛び込み、図書館職員の日常的な息遣いも交じります。

そして、この空間には様々なゲストも訪れます。パンクの女王、パテイー・スミス、英国のミュージシャン、エルビス・コステロ。彼らが講演会やトークショウなどを繰り広げるのです。職員の間では、経済的理由でネット環境に対応できない市民への対応策まで話し合われます。彼らは活字に限定された世界を飛び越えようとしています。

この映画の特徴は、会話やナレーションの翻訳を除けば、それ以外の字幕説明がないことです。有名歌手が話をしても、名前の紹介は字幕上はありません。図書館の利用者も職員も、そして高名なゲストスピーカーさえも、皆、この知的空間を支える参加者の一人だという、製作者の強い思いでしょう。

監督のフレデリック・ワイズマンさん。来年の年明けに90歳を迎える伝説の巨匠は、自国の文化と民主主義を心底愛し、誇りに思っているのですね。

3時間半、全然、長く感じませんでしたよ。
神保町 岩波ホールで上映中

イギリスへの旅のつづき~スリップウェア

日本にスリップウェアを広めるきっかけは一冊の洋書「クエント・オールドイングリッシュポタリー」(古風な英国陶器)だったそうです。1913年(大正2年)、日本橋丸善で同書を見つけた民藝運動の創始者、柳宗悦は当時まだ大学生で心驚かせたもののその洋書は高くて買えなかったそうです。

スリップウェアとは、やわらかく、穏やかで、親しみ深く、使いよさそうな器です。私がひと目惚れしたのが、25年ほど前に益子にお住まいだった濱田庄司先生の奥さまをインタビューのためお訪ねしたときでした。

角皿に細長い筍を湯葉で包み油で揚げて出して下さったときです。それまで日本民藝館でバーナード・リーチ、濱田庄司、富本憲吉など、日本民藝を支えた方々の作品を拝見していました。

富本憲吉は柳宗悦より少し前にその洋書を入手し、前金を払い残りは友人に借金をしたそうです。「金は貸すがしばらく預けろ」と言って聞かなかったのが陶芸家バーナード・リーチ(1887~1979)でした。

1920年(大正9年)、リーチは濱田庄司と一緒にイギリスに帰国して、セントアイビスで窯を築き、作陶をはじめます。そしてある日、近所の家にお茶に招かれた際、45センチほどの黒字に白い縞模様の大皿にお菓子が入っているのを目にして、その日常の美の美しさに驚きます。のちに多くの日本人の心をつかむことになります。

古くは古代ローマがもたらしたスリップウェアといわれています。

これは私の個人的な考えですが、柳宗悦はじめ民藝運動の方々によって、それまでは”飾りようの器”が中心だったものが、日常に使う「用の美」であるスリップウェアを世に送りだしたのだと思います。オープンでも使える器。イギリスでは低温1000度位で焼き、日本は高温で焼くためニュアンスが多少ちがいます。

スリップウェアがつないだご縁

濱田が皿をイギリスより持ち帰り神戸港に着いた足で京都の河井寛次郎家に直行し、そして柳もスリップウェアに出逢います。リーチは日本を訪れた折にスリップウェアの技法を広めます。

トットネスの町から南西へ車で2時間ほどのところにセントアイビスの街があります。繁華街を抜け、急な坂道を上っていくと住宅街の中に煙突が立つ三角屋根が見えます。

そこがリーチの工房跡、一度は老朽化が進み解体の危機もあったそうです。でも、工房は再建運動を経て、2008年(平成20年)にリニューアルオープンしました。

「どこもかしこも石、石、石のほか何もない」と濱田は綴っています。作陶ができるようになるまでには1年もの月日が過ぎ、ようやく本格的にスリップウェアがつくれるようになりました。

私はその工房に立ち当時の二人の苦労を思うとき、濱田先生の奥さまが私にその器もてなしてくださったことから、ついこの間のことのように思えて胸が熱くなりました。奥さまの影の支えがあってこその濱田先生。その時のお話でよくわかりました。

”この地を一度は訪れたい・・・”と想い続けてはいたものの最南端のセントアイビスには今までいけませんでした。道具も、登り窯も、土をねかせていた場所もそのままです。おふたりの真剣な作陶する姿が目に浮かびます。幸せで、幸せで・・・はるばる訪ねられたことに感謝いたしました。

最後はロンドンに戻り、朝は澄んだ空気の中、リージェントパーク内のクイーン・メアリーガーデンに薔薇の花を見に行きました。

春から夏にかけて咲く誇る薔薇はとりわけ美しく広い公園内を色とりどりに咲くバラ。香りがあたりを包みます。「ドリス・デイ」と名前のついた黄色の美しいバラもありました。

心ゆくまで緑豊かな公園を散策し、午後からはヴィクトリア・アンド・アルバード博物館のコレクションを観ました。ウィリアム・モリスがデザインした布やタイル、家具、そして他の美術、服飾、工芸品などを堪能した午後でした。

そして、ロンドン最後の夜は英国伝統の味「フィッシュ&チップス」(14ポンド・2000円くらい)を食べました。

街でよく見かけるファストフード的なお店とは違う「ザ・メイフェアー・チャッピー」で。魚の鮮度、衣の配合、使用する油などオーナーのこだわりがロンドンナーにも人気な小さなお店です。

黒白のタイルと木の組み合わせインテリアも素敵。混むので予約していったほうがいいかも知れません。お薦めです。イギリスは移民が多く受け入れているので、インド、タイ、マレーシア、エジプト、中華などそれぞれ美味しいレストランが多いのですが、やはり最後は「英国伝統の味!」美味しかったです。

こうして14日間のイギリスの旅を終えました。

私にとってイギリスは特別な国です。有意義で考え、感じ、よい旅ができました。

イギリスへの旅

初夏のもっとも美しい季節、花々が咲き、風が爽やかで、でも突然の雨に樹木が喜び・・・そんな頃の旅は久しぶりです。

今回の旅の目的のひとつはイギリスに住む息子家族に会うのがひとつ。孫たちはそれぞれ小学校、幼稚園にもずいぶんと慣れて元気いっぱいでホッとしました。

家族の住む街はロンドンから列車で約3時間のトットネスという町です。人口は約8000人。街の中を河が流れ、石だたみの道、シックな建物で緑豊かな美しい小さな街です。

私は箱根と同じように早朝のウォーキングをしました。川沿いを歩き、小さなパン屋さんで焼きたてのパンを買ったり、歩いて7,8分のところのショッピング通りではウィンドウショッピングを楽しんだりしました。朝の町には朝の匂い、生活の様子がよく分かり、私は好きです。

10時過ぎると町は活気づき、以前来たときに見つけた古い建築のカフェでティータイム。素朴なスコーンと紅茶。時にはひとりで。そして、ここもお気に入りのベジタリアンが通うビュッフェ式のお店でランチ。おかわり自由でたっぷり野菜料理がいただけます。7ポンド(980円位)で大満足です。

いつもイギリスで思うことは、日本は湿度の問題もありオーガニック栽培はむずかしい部分もありますが、ヨーロッパでは品揃えがとても豊富なことです。パッケージなども洗練されていて、日本も普通にこの位になるといいな~と思います。

映画の撮影でロンドンに8ヶ月くらい滞在しましたが、私はやっぱり田舎が好き。イギリスではカントリーサイドを訪れるとその風景の美しさに心奪われます。

目障りな看板や電柱もほとんどなく見渡すかぎりのなだらかな丘陵地帯。可愛らしい家々。しかし、そんなカントリーサイドの景観美は初めから存在していたわけではありません。

「ナショナルトラスト」(環境保護運動)が大きな役割を担っています。市民の手により守られてきた歴史があり、英国の美しい自然や貴重な歴史的建造物を市民が自ら寄付や寄贈によって保存してきたのです。

聞くところによると、現在ナショナルトラストの会員は約520万人。イギリスの人口が6600万人。11人に1人が会員というわけです(子供も含む)。会費はたとえば4人家族で年間120ポンド(18,000円程)で、全国に500以上ナショナルトラストはあります。

入場料、ショップやレストランの売り上げなど収益は約5億ポンド(750億)にもなるようです。スタッフは約12,000人。ボランティア61,000人。メンバーズシップの収益は1億6000万ポンド(250億)であとは寄付だそうです。

私も息子家族と一緒に一日のんびり過ごしました。イギリス人は歩くのがとても好きなようです。カフェのランチもスープとパンかサンドイッチくらい。どちらかとゆうとイギリスの庶民の生活は質素で堅実です。

なぜこれほどまでにナショナルトラストがイギリス国民に受け入れられ、社会的なうねりになって人々の支持を受けているのでしょうか。「ピーターラビット」の物語りの舞台が当時のまま残っていますし、英国の人々の憧れの地、コッツヴォルズ丘陵も、湖水地方と並んで、その多くがナショナルトラストの管理です。

この理念は人々の郷土愛。自らの国土を美しいまま次世代に残してゆく・・・・そのような思いが強くあるように感じます。

現在イギリスは多くの問題を抱え、国が揺らいでいます。

しかし、人々の暮らしは堅実であまりお金をかけずに自然の中でのピクニックや散策などとても自然体です。国土を愛する心を強く持っています。

どうか、良い方向に進み、歴史や文化を守りつつ若者が未来を託せるようなそんな国になってほしい・・・と旅をしていて切に願いました。

日本に暮す私たちも「美しい日本」を次世代に手渡すために今、何をなすべきか・・・学ばなければならないことがあるかも知れません。

来週は、もうひとつの私の旅の目的「バーナードリーチさん」の工房跡をお訪ねしたのでご報告いたしますね。

いい人みつけた

先日、目黒のホールに柳家小三治師匠の独演会を聴きにいってまいりました。この十数年師匠の”おっかけ”に夢中です。でも中々チケットが取れず・・・でも今回は2階の後ろの席でしたがラッキーにも入手できました!

双眼鏡を持参し、師匠の細やかな表情、しぐさなど落語は聴くだけでなく観るもの、と実感いたしました。おしゃべりとしぐさだけで、舞台の上にドラマが生まれ、また師匠の”まくら”は最高です。

何度かお仕事で対談はさせて頂きましたが、ふっと35年ほど前のTBS(東京放送)のラジオ番組でのお話を思い浮かべました。私が40歳になった時にスタートした番組です。

毎日、月~金の10分番組を13年つとめさせていただきました。当時の番組を「浜美枝のいい人みつけた」で本にし、師匠のページをめくりました。よみがえりました。35年前が。

そうそう・・・スタジオに現れた師匠の格好!ヘルメットをかぶってオートバイで。あの格好をみたら何とお呼びしていいものか分からなくなりました。「なんとお呼びしたらいいかしら」「小三治です。大三治はお断りしています(笑)」と。落語家とバイクはちょっと結びつきませんでした。師匠、いいお話を沢山して下さっているのです。

”力入れすぎちゃうとうまくいかない。落語もオートバイもゴルフも”と。私のそのときの印象は「悠悠マイペースで独自の噺の世界をいく少年の心を持った人」という印象でした。

噺家らしからぬ噺家っていっても、私たちファンはとうに35年前から小三治さんの個性、そのらしからぬというところに魅かれているのです。噺家ひとりひとりの芸、それを生み出す噺家の人生とか生活とか感性とかは、みんな違います。

人間国宝・柳家小三治師匠。
まもなく80歳になられるそうです。私、やっぱり”追っかけ”はやめられません。

本の中からお二人の方をご紹介いたします。

淡谷のり子さん

スタジオに入っていらしたら、すごくいい香りがしたんです。「黒水仙が好きなんです」と。音大出て、世の中にでました。クラッシックやってましたけど、レコーディングすることになって、もちろん流行歌ですが・・レコード会社で少しまとまったお金をいただいたので、まず買ったのが香水なの、あ、そうそうあと帽子。54年間歌い続け壁にはぶつからなかった、悩まなかった。もし、壁があるならば戦時中ですね。警察と軍隊にずいぶん始末書を書いたりいろいろありました。ほら、おしゃれしちゃいけない、モンペはけとか、いろいろね。そんなみっともない格好してステージ出られませんから。ちゃんとイブニングドレスで、最後まで。何を言われても。非国民だとか言われましたよ、ずいぶん。

”クラッシックをもう一ぺん勉強したい。それが私の夢なの・・・”と。ちょうど『生きること』。という本を出されたときでした。生きることはそれを愛すること。愛されるということよりも、愛することって幸せじゃないかと思うんです。とも。歌って歌って歌いぬいてなお学びたいという意欲に脱帽!

女性としての大先輩、淡谷のり子さんに大敬服するとともに、その美しさへのひたむきな努力と歌にかける情熱のかけらを、私なりに頂戴したいなと当時思いました。コンサートで淡谷さんが歌い終わった瞬間、怒涛のように拍手がわきおこり、拍手するその手で涙をぬぐっている人が大勢いました。もちろん私も。

安野光雅さん

”こどものときに虹を見たんです。津和野の虹。それが私を絵描きにしたのかもしれません”と。

安野さんの絵本は単純に「絵」だけの世界ではなく、「考えさせる」力を持っているような気がして・・・作家の原点はこどもの頃の津和野ですか?と伺うと「小さな頃の思い出という思い出を全部集めてね、たぐり寄せた結果、どうも子どものときに虹を見たときの思い出が、一番最初だった気もします。四つか五つの頃の。津和野という所は盆地ですから、周りじゅう全部山、山、山。ですから、山の向こうはどうなっているんだろうと強く思いますね。山に囲まれて育った人間でないと、ちょっと分からないかもしれない。山に囲まれていることは、ほんとに限りなく山のかなたへの夢をふくらましてくれるものなんです。気持ちは盆地の中になく、外へ外へと行くような気がするんです。」と。

「子どものときに見たもの、驚いたものを、大人は摘んじゃいけないね。あ、いけません。子どもの好奇心ほど強いものはありません。絵描きさんと思うとそうではなくて、偉大な科学者か哲学者か、はたまた天文学者、数学者かとの思いにかられました。アメリカを東から西までうろうろしたときのアトランタ。あの街は南北戦争の激戦地でした。キング牧師の家もあります。あの人の言葉で、僕は読むと涙が出てきてしょうがない演説があるんです。浜さん、読んでいただけますか。読ませていただきます。」

「私には夢がある。
いつの日かジョージアの赤い丘で
かつての奴隷の息子たちと
かつての奴隷所有者の息子たちが
兄弟愛のテーブルに共に座るという夢が・・・
私には夢がある。
いつの日か私の四人の子らが
その肌の色ではなく
その品性によって評価される国で
生活するという夢が。」
キング牧師の演説より

「アメリカ史とは、差別の歴史だったような気もする。インディアン、黒人問題など、いまだに差別意識を持っている人もいるし。でもね、そういう人がいることを知り、またもうそういう人が少なくなったことを知るのも旅なんでしょうね。行って、見て、感じてわかることがいっぱいあるんです。」と。

インタビューから35年がたちました。安野さんは、かつて津和野の彼方の空遠くに見たものを、追い続けているのでしょうね。

たまに、こうして20年、30年前のお話を現代社会で読み返すと、はたして心の豊かさってなんだろう・・・とおもいます。齢を重ねるのもいいものです。

玉村豊男『私の好きな、箱根風景』展

玉村豊男さんのライフアートミュージアムに”箱根風景”を観に行ってまいりました。

草や花は現物を目の前に置いて写生するそうですが、今回の箱根の風景は写真に撮りアトリエで製作したそうです。

私にはどの絵も見慣れた風景。旧街道、箱根神社の鳥居、本殿、そして、山の頂上からの湖、芦ノ湖に浮かぶ船、関所など・・・毎朝の早朝ウォーキングで出会う風景です。優しい筆致で描かれています。

元箱根の「芦ノ湖テラス」の内にあるミュージアムの名称は「ライフアート」。

玉村さんはおっしゃいます。

「その土地に生きる人々の暮らしの情景を描くことにもよるのですが、私の絵が家の中にさりげなく飾られて毎日の暮らしに少しでも潤いを与え、私自身も自分の暮らしそのものをアートとして表現できたら、と思い、美術館にこんな言葉を冠することにしました」と。

そうなのです。私も一室に玉村さんの絵を4枚飾らせていただいておりますが、パリに暮す人、野の花、ブドウ、アルルの女性。心をホッとしてくれ癒してくれる絵画なのです。

玉村さんご夫妻とはもうかれこれ30年ちかいお付き合いをさせていただいております。

1945年・東京生まれ。1971年東京大学仏分科卒業。在学中にパリ大学言語学研究所に2年間留学。通訳、翻訳業をへて、文筆業へ。エッセイスト、画家、ヴィラデストガーデンファーム&ワイナリーのオーナー。

1991年東部町(現・東御市)に移住しハーブや西洋野菜を栽培し、ガーデンの花々は四季折々美しく咲き誇っています。そして、広大なブドウ畑。最近は東御市内にワイナリー、パン屋さん、チーズ屋さんなど素敵なお店が次々にオープンしておりますが、玉村さんがこの30年間にまいた種が育ってきたのですね。

湖畔のミュージアムでこのような”箱根風景”を拝見すると自分の住む街を再発見いたします。

箱根では噴火警戒レベルが1から2に引き上げられましたが、黒岩祐冶知事は「立ち入り規制は広い箱根のごく一部。安全を最優先としつつ丁寧で正確な情報発信に務める」とおっしゃっています。

26日の箱根関所の開設400年を祝う大名行列も予定通り行われ大勢の見物客で賑わっておりました。

箱根はツツジ、石楠花が終わり、これから紫陽花の季節です。そして私の大好きな”やまぼうし”の花が全山、真っ白い帽子をかぶったように咲き始めます。初夏の爽やかな箱根に小さな旅にお越しください。

そして、玉村豊男さんの”箱根風景”に出逢ってください。

玉村豊男ライフアートミュージアム
http://www.ashinoko-terrace.jp/museum.html
4月15日~8月31日
平日 10:30~17:00
土・日・祝 9:00~17:00

入館無料・無休
バスは「箱根神社入口」下車、徒歩2分

老いた家 衰えぬ街 住まいの終活

東京で次々にマンションが建てられている一方で、最近全国的に、空き家の問題がニュースでも大きく取り上げられています。全国の空き家の数が過去最高を更新したとあります。

総務省の住宅・土地統計調査によると、昨年10月時点で首都圏(1都3県)でも約200万戸の空き家が存在しているそうです。今、戸建ての4軒に1軒が空き家予備軍というデータもあり、この問題を先送りしてはいけないところまできています。

そこで『老いた家 衰えぬ街』をお書きになった野澤千絵さんをラジオのゲストにお迎えしお話を伺いました。サブタイトルが『あなたの家は大丈夫ですか?』です。

「全国の空き家予備軍ランキング」が掲載されています。関東では1位が横浜市栄区と東京都品川区、そして練馬区へと続きます。全国では2013年の時点ではおよそ720万戸。ある程度の予測はしておりましたが、はるかにそれを越え、この問題は国民みんなで考えなければいけないのですが、”何が問題なのか”を詳しく野澤さんからお聞きいたしました。

野澤さんは兵庫県のお生まれ。1996年、大阪大学大学院・修士課程終了後、ゼネコン勤務を経て、2002年東京大学大学院・博士課程終了。現在は東洋大学・理工学部建築学科の教授です。

専門は都市計画・街づくりです。そもそも、どうしてこれだけ空き家が多くなってきたのか?と伺うと実家の相続をきっかけに空き家化することが多いそうです。

就職や結婚で実家を出る時から空き家化は始まり配偶者の実家などでも同時多発的に起るとのこと。もし、実家を相続して、そのまま住むなら問題はないのですが、住まない場合が多く、そこが問題だとか。

本当はその時点で、売却するなり、人に貸すなり、何か動いたほうがいいのですが、心の整理がつかず、『とりあえず、置いておくか』のケースが多いとか。コストがかかるから、相続放棄する・・・とにかくお話を伺うと問題山積!です。

ラジオではじっくりお話をうかがいました。ぜひ、お聴きください。そして、ご著書ではさらに詳しくアドバイスもされております。

放送は6月9日 日曜10時半~11時
文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」

飛騨路を旅して

木曾川と一緒に山々を分け入って進む高山線は、木の国へと人を誘うルートです。

豊かな水の流れ、芽吹きの葉の美しさは輝くばかり。木は誇らしくそびえ、枝を広げています。季節は春がすぎ初夏。緑濃く葉を茂らせて、まもなく実りの時を迎えます。

人にたとえるなら気力にあふれ充実した時代というところでしょうか。田んぼには苗が植えられ水面はキラキラ太陽の光が射して、それは美しい景色です。車窓からのこの風景に最初に出会ったのは、もう半世紀も前のことです。春夏秋冬このルートを何度旅したことでしょう。どんな風にもみぞれにも雪にもひるむことなくひたすら走り続ける列車。

多く旅をしていると多くの木々にであいます。あの木げんきかしら、あの木はどんな顔になったかしらと、再会を楽しみにする木が私の旅先には何本もあります。

新潟の山、山形の、石川の、富山の、北海道の、熊本の、山々、そして樹々。また逢ったときの嬉しさは、懐かしい人々に再会したときのうれしさに似ています。

岐阜と富山の県境に、御母衣(みほろ)ダムがあります。その傍らに樹齢500年とも言われる庄川桜が今年も見事に咲き誇ったことでしょう。村が湖底に沈む直前に移植されました。作家、故・水上勉さんの「桜守」でしりました。

庄川上流の村々の家、小・中学校、神社、寺、木々や畑がすべて水没していく運命の中で500年もの樹齢を誇る老桜樹は幾人もの男たちの桜へのひたむきな思いによって移植され、今もなお季節がめぐるたび美しい花を咲かせてくれます。

”桜守”木の存亡に生命(いのち)を燃やすひと。ずいぶん前に行ったとき、その桜の木の下で、水没した村のおばあちゃん達がお花見をしていました。木の幹にさわり『あんた、今年も咲いてくれたの~』とつぶやいている姿に胸が熱くなりました。

今回は「ITC-J飛騨高山クラブ30期記念」に招かれての講演でした。岡山、大阪、京都、名古屋そして飛騨の女性たち。「育み そして育まれ」をテーマに女性の方々と語りあいました。

せっかくの久しぶりの高山、前泊し高山市内を散策したのですが、インバウンド、人・人・人・・・海外からの観光客で中心地は人で溢れていました。でも、古い町並みや日本で唯一残る陣屋は当時の姿そのままに、”飛騨匠の心”が息づく技を見ることができます。


心落ち着く「飛騨国分寺」は1250年の昔、聖武天皇の勅願によって建立されました。本尊薬師如来御像、そして円空上人作の弁財天など拝観させていただきました。樹齢1200年のイチョウの木は天をつくかと思えるほどの高さです。

最後は私のお気に入りの蔵を改造して作られた素敵な喫茶店で、手づくりの黒蜜でくずきりをいただき、そしてコーヒーを。ご主人との会話も楽しく充実したひとときでした。

往古(おうこ)と現在(いま)をつなぐ飛騨路への旅でした。

お二人に ぞっこんです!

私は今、二人の男性に惚れ込んでいます。こんなことは、もちろん初めてです。

お一人は坂本長利さん。今年の1月11日、このブログに書かせていただきました。坂本さんは1時間半近いお芝居を、たった一人で演じきる舞台俳優です。

土佐に住む盲目の馬喰が、自分の半生を悔悟と誇りを込めて振り返る「土佐源氏」。1967年の初演から半世紀以上、国内外で公演を積み重ねてきました。

今年の1月は東京の高円寺、そして平成もカウントダウンの先月29日には、川崎の新百合ヶ丘で1210回目の舞台がありました。両方とも、私は”追っかけ”ました。

何という舞台!坂本さんが寸分の隙もなく、時間と空間を従えていました。盲目の元馬喰は、言葉だけではもどかしい、微妙な心のざわめきや迷いを、手足の指先までも動員して演じていました。円熟味などという表現を、軽々と飛び越えていました。

ちなみに坂本さん、この10月には90歳を迎えられます。「百歳までやりますよ!」と。とても小柄な方が、舞台では何故あれだけ凛として、大きくみえるのでしょう。

新百合ヶ丘の会場を出るとき、私の背筋がピンと伸びました。私、”追っかけ”はこれからも続けます!

https://kyowado.jp/tosagenji_2011.html

二人目は、ジャン=リュック・ゴダールさん。

言わずと知れたフランスの天才映画監督で、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の旗手。私が「勝手にしやがれ」や「気狂いピエロ」に初めてお目にかかったのは、もう50年以上も前のことになります。

旋風、いえ台風。若かった私など、彼の強烈なイメージやメッセージに訳も分からず煽られ続けました。

その昔、指揮者のカラヤンを「かっこよすぎるカラヤン」と表現した詩人がいましたが、私にとっては「かっこよすぎるゴダール」でした。初の長編作品「勝手にしやがれ」では監督と出演者を兼ねていましたね。

そのゴダールさんの4年ぶりの最新作が公開されるというので、取るものもとりあえず行ってまいりました。

題名は「イメージの本」。衰えない感性というものが世の中には存在するのですね。この映画の特徴は「コラージュ」。”糊付け”と訳すそうです。様々な映画や絵や写真、そして文章などを引用してつなぎ合わせる。90分近く、そのセンスと感覚にまたまた振り回されました。ちなみに映画の字幕では、「イメージ」を「映像」と訳していました。

ゴダールさん、今年の12月には89歳を迎えるとのこと、これからも作品を作り続ける!と話しているそうです。

こうして、二人の素敵なおじいちゃまに惚れてしまった私。今よく、「人生100歳時代」などと言われますが、それは単なる目標ではないですよね。

「そこまでに何をやりたいのか?プロセスが大事だよ!頑張りなさい」と叱咤された思いで、平成の終わりの街を大股でシャンと歩きました。

映画公式サイト
http://jlg.jp/