その鏡台に出会ったのは、京都の「近藤」でした。
友人の井上夏野子さんと待ち合わせをして、いつものようにお薄をいただいていると、近藤さんが今、二階で、東京国立近代美術館の展覧会のために、黒田辰秋さんの鏡台を組んでいるので、ご覧になりませんかとお誘いくださいました。一も二もなく「ぜひ」とお願いして、二階にあがると・・・・
「これ、母と私が使っていた鏡台です」と、井上さんがつぶやいたのです。「ある年の暮れ、正月の餅代がないので、この鏡台を引き取ってもらえないかと、黒田さんがリヤカーをひいて、私の家にいらしたんです。毛布にくるんで」
井上さんのおとうさまは新聞記者で、無名時代の黒田さんと交友があり、創作活動を応援なさっていらしたとのことでした。
「父が亡くなり、手放すまで、毎日この鏡台を使っていたんです。懐かしい」
あまりに不思議なご縁に、驚くばかりでした。
美しく、力強く、どっしりとした木の重さが伝わってくる鏡台でした。黒田さんは生涯に5台の鏡台を作られましたが、これは最初の一台。まだ無名だった黒田さんが、貧しさと闘いながら、思いのたけをこめて作った鏡台でした。
後日、近代美術館にも見に行き、この鏡台に強く惹かれた私は、鏡台が「近藤」に戻ったころを見計らって、再び京都に行き、近藤さんに鏡台を譲っていただけませんかとお願いしました。
「ま、これは浜さんのところに嫁入りさせまひょ」 近藤さんがほほ笑み、快諾してくださったとき、どんなに嬉しかったか。
こうして、その年の誕生日に、鏡台は私の家に入りました。
ちょうど、箱根の家を建て、新たな暮らしをはじめようとしていたころでした。
十二軒の古民家の梁や柱の煤をはらい、水で洗い、自分の手で磨き、箱根の神社のお神酒で清め、柱や梁の元の姿を生かして組み合わせて作ると決めた家です。私が、木の命と、もっとも深く向き合っていたころでもありました。
今のように古民家再生の情報も一切なく、試行錯誤の連続で、一部屋を作るのに、何年もかかりました。家族で引っ越した当初など、足りないものばかりで、毎日がまるでキャンプのようでした。
それから約40年あまり、私は黒田さんの鏡台とともに暮らしました。長い年月をかけて、家を作り続け、女優を卒業して手探りで農業や食、暮らしといったテーマと向き合い、四人の子どもを夢中で育て、社会に出ていくのを見届け……黒田さんの鏡台は、家の真ん中で、すべてを見守ってくれたような気がします。
けれど、年齢を重ね、これからの自分の生き方を考えはじめたとき、黒田さんという素晴らしい芸術家の原点ともいうべき作品を、後世につないでいくために、自分の手元にこれ以上おいておくべきではないと思いました。
京都国立近代美術館で現在開かれている「黒田辰秋 木と漆と螺鈿の旅」展に、その鏡台が出展されると聞き、先日、長女とふたりで新幹線に乗りました。




鏡台は会場のいちばん最後に展示されていました。素朴さと力強さが際立っていました。手放してから3年半という月日が流れていました。かつて私の鏡台だったものは、いるべき場所で、少しばかり、晴れがましい表情をしているかのようでした。
自分がなぜ、この鏡台にあんなにも魅力を感じたのか。手元に置きたいと強く思ったのか。
その日、前に立ち、改めて理由がわかったような気がしました。
「木との話し合いが大切ですね。
木の言い分をうんと聞いて、
その木のなりたがっているものを手伝っていくんです」
(「生誕一二〇年 人間国宝 黒田辰秋 木と漆と螺鈿の旅」より)
樹木に神仏を観想し、その姿を彫り表した円空さんと似たものを、私は黒田さんの鏡台に見たのではないでしょうか。たくましくあたたかい黒田さんの鏡台、その木の命に私は力をいただき、これまで歩んでこられたのではないか、生かされてきたのではないかと思いました。
同時に、井上さんのおとうさまや近藤さんといった最初の理解者が黒田さんを支えたことに、深い感動を覚えたことも思い出しました。作品に対する人々の思いも、鏡台の記憶として静かに存在の奥底に刻まれているように思えて、そこにも胸が激しく突き動かされたのかもしれません。
旅の最後に、祇園の鍵善さんこと『鍵善良房』に立ち寄りました。正面のショーケースを挟み、黒田さんが若き日に作られた「拭漆欅大飾棚」が今も使われている空間で、葛と水のみで作る昔ながらの「くずきり」をゆっくりいただいてきました。




自分の来し方を振り返るだけでなく、黒田さんの生命感あふれた作品の数々にふれ、何が人にとって大切なのかということを感じさせられた、心に残る一日となりました。
この展覧会は、3月2日まで開かれています。
https://www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionarchive/2024/461.html
京都は今、大変な賑わいでホテルもとりにくい状況でしたので、朝、箱根を出て、日帰りでいってまいりました。小さな、ちょっと贅沢な旅でした。これも、人生のご褒美かもしれません。