日本民藝館

幼時の自分は、今の自分のオリジンです。

5歳頃にはかまどで上手にご飯が炊けた私ですが、今でも記憶に残る不思議な思い出があります。

夕暮れどきに、かまどに薪をくべて、火加減をみていたのです。薪の炎の加減でごはんの炊き上がりが違うのですから、私はかたときもかまどを離れず火をみつめていました。

母は仕立てあがった着物をお客さんの所へ届けにいって留守。

オレンジ色の炎をみつめていたとき、唐突に泣けてきたのです。炎のゆらめきと涙が重なり、私は一人、おいおいと泣いたのです。なぜかそのときの底知れない哀しみをよく覚えているのです。

中学生になり、図書館で出会ったのが、柳宗悦さんの本でした。

中学卒業後、女優としての実力も下地のないままに、ただ人形のように大人たちに言われるまま振舞うしかなかったとき、私は自分の心の拠りどころを確認するように、柳宗悦の『民藝紀行』や『手仕事の日本』をくり返し読みました。

柳さんは、大正末期に興った「民芸運動」の推進者として知られる方です。

西洋美術にも造詣の深かった柳さんは、若くして文芸雑誌「白樺」の創刊に携わりましたが、その後、李朝時代の朝鮮陶磁との出会いや、浜田庄司さんや河井寛次郎さん、バーナード・リーチさんなどとの交流のなかで、「民衆的工芸」すなわち「民芸」に美の本質を見出していきました。

柳さんは、日常生活で用い、「用の目的に誠実である」ことを「民芸」の美の特質と考えました。

無名の職人の作る日用品に、民芸品としての新たな価値を発見したのでした。

中学生のときに、柳宗悦さんの本に出会い、感激してしまった私。むずかしいことなどわかるはずもありません。でも、新しい美を発見した感動と衝撃は、幼いなりに、<たしかなものだったように思います。

「美しいなぁ」と感じる風景。幼いころ、父の徳利にススキを挿し、脇にお団子を飾り、月明かりでみた夜・・・。幼かったころにみたオレンジ色のカマドの炎。美しさのなかに人の哀しみを感じました。「直感」でしょうか。

柳宗悦さんは「工芸の道」で、次のようにおっしゃっています。

直感には「私の直感」と云ふような性質はない。見方に「私」が出ないからこそ、ものをぢかに観得るのである。直感は「私なき直感」である。

うぅ~ん。「私」を捨て「無心」になる。そのような直感が直感。ものの本質を見抜くにはそうした「無」になること。との教えがありますが、今の私にはまだまだ無理なようです。

「手仕事の日本」を携え、追うように旅を続けたこれまでの私。古民家に出会い、壊される運命に胸が締め付けられ、箱根での古民家再生。

沖縄への旅もこの本での「民芸」に出逢ってからでした。まだ本土復帰前のことでした。小さな島でありながらも、一つの王国を成していましたから、立派な文化が栄え、工芸品も染物や織物など「沖縄の女達は織ることに特別な情熱を抱きます」と「手仕事の日本」に書かれています。焼き物、茶盆、漆などの沖縄の工芸。日本全国の無名の用の美の品々。

これらの「民芸品」を見られるのが『日本民藝館』なのです。
美の概念の普及と「美の生活化」を目指す民芸運動の本拠です。

時には西館が公開されることもあります。栃木県からの移築した石屋根の長屋門(1880年の建造で、現在は本館と同じく登録有形文化財)と、柳の設計による母屋が生活の拠点とした建物です。2階の書庫も覗いてください。興味深いですよ。

現在、6月24日までは『柚木沙弥郎の染色 もようと色彩』展が開催されています。柚木沙弥郎氏は1922年生まれです。柳宗悦の思想と芹沢桂介の作品に啓発されて染色家の道を志し、現在なお意欲的に制作、また後進の育成に力を注いでおられます。

作品を拝見すると、その色彩は現代社会を生きる私達の渇きを荒原に湧いた泉のように潤してくれるようです。

時代が変わり、生き方も変わっていく。そのめまぐるしく変わる環境の変化についていけなくなる時に、私の原点『民藝館』に行きたくなるのです。

二階の椅子にゆったりと腰をかけその空間に身を置くと幼かった私の姿に出逢えるのです。

9月11日~11月23日までは『白磁』展
2019年1月11日~3月24日までは『柳宗悦の「直感」美を見いだす力』展が開催されます
京王井の頭線駒場東大前駅西口から徒歩7分。
月曜休館です。

公式ホームページ
http://mingeikan.or.jp

映画 ファントム・スレッド(米)

なんとスリリングで魅惑的な映画なのでしょうか。

1950年代、ロンドン。
高級ファッションの世界で生きる男をめぐる物語。

米映画界で独創的な映画をおくり続けている監督。ポール・トーマス・アンダーソン。彼はなんと脚本・撮影までこなしてしまいますが、映画を観ればわかります。この映画の繊細で完璧な”美”を撮るのは”自分”・・・と思ったのでしょうね。

主演は1957年、英国ロンドン出身で3度のアカデミー賞主演男優賞を受賞した国際的なスター、ダニエル・デイ・ルイストと組みます。ほんとうか・・・どうか・・・彼はこの映画で引退する、と語っていますが、困ります。だって私はとても彼が好き!

この映画について、新聞の記事には『心の闇と優雅な狂気』と書かれていますが、愛を知らない男に総てを捧げた女が抱く、狂気の執着。

ふっと立ち寄ったレストランで出会ったウエトレスのアルマ。それまでのモデルに飽きていた彼はアルマ(ヴィッキー・クリーブス)に惹きつけられ心を移します。ロンドンのウッドコック・ハウスに住み込みモデルになります。

この役のヴィッキー・クリーヴスは1983年・ルクサンブルグ出身。注目をあつめる新人ですが、どこか土臭さ、強さ、そしてエレガントにも振舞える役にはぴったり。大スターに引けをとらない演技は素晴らしいです。

唯一心許せる主人公の姉を演じるのは1956年、英国出身のレスリー・マイル(シリル役)。

1950年代のイギリスは戦争の疲弊からようやく抜け出して、国内は豊かになっていった時代です。この時代のファッション、とりわけオートクチュールの世界はパリが中心でした。

クリスチャン・ディオールは代表されるデザイナー。同時代に活躍したイギリスの「ハウス・オブ・ウッド・コック」は経営は姉が。彼はデザイナーとして完璧を目指し、上質な生地と繊細なレースが華やかさと品格を醸し出します。上流階級の女性を虜にし続け、君臨してきた主人公に、訪れる「恋愛」。はたしてこれを「愛」とひと言では表現できませんが、この関係性が映画の魅力になっていますので、詳しくは書きませんね。ご興味がわいたらご覧ください。私のお薦めの映画です。

私が惹かれたのはハウス・オブ・ウッドコックの美術です。2017年の1月から4月にかけて、ロンドン、ヨークシャとコッツウォルズで撮影されたそうですが、レイノルズの住居兼仕事場である家は、18世紀の建築が並ぶタウンハウスが使われました。

高い天井、大きな窓、螺旋階段といったドラマティックな家は映画をいっそう観ている側をその時代へと誘ってくれます。部屋の壁紙は、自然光をより反射させるような、メタリックな光沢の帯びたものに張り替えられたそうです。

ジョニー・グリーンウッドの音楽もそれぞれのシーンにふさわしい曲で、シーンごとに生き生きとします。

主人公2人の関係の変化を見逃さないでください。後半30分には驚きました。監督は新聞のインタビューに語っておられます。

『アルマはウッド・コックに「弱って伏せってほしいけれど、強いあなたでもいてほしい」と矛盾した言葉を投げかける。「恋愛はお互いの気持ちの均衛がたもたれているのがベストだ。ただ、振り子のようにどちらかに触れる部分が、見るには面白い』と。

映画を通し、人間のもつ、脆さ、危うさ、そして温もり。銀座和光裏のシネスイッチで観て、しばらくは銀座の裏通りを歩きながら映画の余韻に浸りました。

映画公式ホームページ
http://www.phantomthread.jp

鎌倉には青木さんがいる

老舗人力車、昭和から平成を駆け抜ける!
鎌倉に人力車の風景をつくった男、青木登。
と書かれた本に出会いました。

かねがね青木さんのお話は聞いておりました。
”すごい素敵な人が車夫として還暦を迎えても現役なのよ!それが、古希を迎えられたとのこと。

編集者の古谷聡さんとともに書籍化されたご本が出版されたので拝読し、どうしても乗せていただき、その人生哲学を伺いたいと、文化放送のラジオ「浜美枝のいつかあなたと」でご一緒している寺島尚正アナウンサーと共にスタジオを飛び出して”いざ鎌倉へ”。

青木さんは鎌倉の観光人力車のパイオニアです。駅前で待ち合わせ、さっそく乗せていただき、まだ人通りの少ない小町通りから静かで、緑豊かな住宅街を抜け、鶴岡八幡宮、そして西へと初夏の風を抜け人力車は奔ります。

あちこちで街の人から声をかけられる青木さん。藍染の半纏、茄子紺の股引、真っ白なはだし足袋。短く刈り込まれた頭髪、細くねじった豆絞りがきりりとしめられ、その風貌はまさに『職人』。人力車もピカピカに磨かれています。黒い車体と赤い座席の鮮やかさがなんともレトロですが、気品にみちています。

青木さんは、1948年、茨城県生まれ。
中学卒業後、ブリジストン横浜工場や他で勤務後、旅好きの青木さんが飛騨高山の観光人力車に魅せられ、独立。その後1984年、鎌倉で観光人力車の事業を始め、長年に渡り、鎌倉の商業、観光の振興に貢献されてきました。でもご苦労もあったようです。

大手の人力車業者のフランチャイズ店の参入など。でも「鎌倉にきていただいたからには、良い、思い出を持って帰っていただきたい」といっさいの客引きはしないこと、名所旧跡に関する豊富な知識と細い裏道まで精通した観光案内は、長年かけて培われたその技術はだれにも真似ができません。開業以来の無事故無違反。走りはどこまでも滑らかです。

開業した頃からずっと、「70歳まで人力車を引き続けるんだ」と公言していたそうですが、今は『生涯現役』を目指しているそうです。陰でどれほどの体力維持のためのご努力をなさっていることでしょう。『鎌倉の品格を大切にすること』これだけは絶対に曲げることはできません。と笑顔で語られる青木さんの顔が眩しく感じました。

本に書かれている営業のご案内
30分コース・・・・・2名様で3,000円
60分コース・・・・・2名様で10、000円

★事前予約制 電話 090-3137-6384
★通常運行時(ご予約がない時)は市内で客待ちをしております。
お気軽にお声かけください。(料金は予約と変わりません)
★7月下旬~8月下旬は夏季出張につき、草津温泉にて営業。

奥様が女将をしている「茶房有風亭」も落ち着いた和の空間が楽しめます。

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」
放送6月10日(日曜日)
10時半~11時

バラの香りとヌード展

初夏、どちらを向いても青々と茂れる緑。私たちの暮す日本の自然はこの時期はとくに”生命力”を感じます。

先日、お休みの日に早起きをして早朝のバラを観に横浜イングリッシュガーデンに行ってまいりました。

英国庭園をを思わせる素晴らしいガーデン。早朝はとくに香りがちがいます。正面を入るとローズトンネル。ローズ&クレマチス。ワインレッドやパープルやダーク・レッドのクレマチス。素晴らしいダマスクの香りを放っています。いい香り・・・ときめきガーデンの深紅のバラ。白バラを主役にした宿根草、純白、象牙色、青白などの植物が様々な白を楽しませてくれます。

ハーブの香りも素敵です。椅子に座り、その香りをじゅうぶん満喫しました。遅咲きのバラもまだ5月下旬ころまでは楽しめそうです。約300品種のアジサイとバラの共演。1800品種2000株のバラが見事です。

クレマチスも大好きな花。お花好きな女性連れの若い女性にカメラのシャッターを押していただき、しばらく長いすに座ってのおしゃべりを楽しみました。丹精をこめてこのような美しい花を見せてくださるスタッフの方々に御礼を申し上げます。

このガーデンは四季折々の草花や樹木を春の芽吹きから枯れゆく秋の自然の風景まで何年もかけて育ててくださるのでしょう。こうした空間が心の豊かさ潤いを与えてくれます。

そして、向かった先は「横浜美術館」。英国を代表する国立美術館、テートの所蔵作など134点。『ヌード NUDE-英国テート・コレクションより』展。

展示室には年代やテーマごとに絵画や写真。そして彫刻が並びます。アンリ・マティスが1936年に制作した「布をまとう裸婦」は豊満な裸体をあらわにし、ポーズをとる女性。花柄のガウンをまとう姿は、魅惑的で、エキドチックな植物が背景に描かれ、実に自然体のヌードです。

会場の8割がたが女性です。ネヴィンソンの「モンパルナスのアトリエ」。ターナーがスケッチブックに残した水彩画。この水彩画はターナーが旅先で遭遇した男女を官能的に捉えたもので、画家の死後、その名声を守るために多くは処分されたそうですが、廃棄を免れた貴重な作品です。

ピカソ、ルノアール、デルヴォーの「眠るヴィーナス」などの作品を観て最後に日本初公開のロダンの大理石彫刻「接吻」(写真撮影可)360度すべてを回りながら鑑賞できます。ロダンの人生も波乱万丈。どんな想いでこの作品に臨んだのでしょうか。

「ヌード」は根源的なテーマですよね。そして、そのヌードにどんな秘密があるのでしょうか・・・芸術表現としてどのような意味をもちうるのか。人間にとって最も身近なテーマに、西洋の芸術家たちは、美の象徴、愛の表現、内面にどんな思いを馳せて描いたかを想像するのも素敵です。

バラの香りとヌード。豊かな気持ちで帰路に着きました。

横浜美術館「ヌードNUDE 英国テート・コレクション」展は6月24日まで。

エミール・ガレ 自然の蒐集

ゴールデンウイークも終わり、また日常の生活にもどりましたね。皆さまはどのようにお過ごしでしたか。

私は日ごろ行き届かない掃除や読書。早朝のウオーキングは毎朝約1時間、芦ノ湖の周りを歩きました。皆さん、もう6時前から釣りを楽しんでいました。

富士山を見ながらのウォーキングは最高に幸せなのですが、もう少し出かけたくなり、強羅近くのポーラ美術館へとバスを乗り継ぎ、初夏の風を感じながら行ってまいりました。

観たかった『エミール・ガレ 自然の蒐集』です。

開館以来初となるエミール・ガレ展です。植物学や生物学など自然をモチーフに作品が素晴らしいガレ。今回、『ガレが魅せられた「神秘の森」「驚異の海」』と書かれています。

ガレが活躍した19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパでは日本植物ブームが起っていました。ガレは自邸の庭で、2500種あまりの植物を栽培していたとのこと。浮世絵などによる日本趣味だけではなく、「園芸のジャポニズム」も芸術に大きな影響を与えたことが良く分かる展覧会です。

日本の植物を持ち帰ったドイツ人の医師であり博物学者であったフリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796-1866)の存在は大きかったと思います。マツ、ソテツ、タケ、フジ、アジサイ、モミジ、ウメ、そしてユリにも魅せられたようです。ガレの植物リストにはテッポウユリを度々購入した資料もあります。ガレのガラスの作品の中で日本の花が見事に開花されています。

今回の展覧会でとても興味深かったのは、作品を彩るモチーフはただの装飾ではなく、ガレ自身の科学の観点からも捉えられているところです。

鉱物標本、昆虫、植物などの標本は「東京大学総合研究博物館」からの出品です。自然のかたちから多様なモティーフを工芸へと生み出された背景がとてもよく分かる展覧会なのです。

58歳という若さで白血病のために死去しますが、晩年のガレの作品からは、”自然の偉大さと生命の神秘”へのかぎりない愛が存在していたのでしょう。私たちより100年以上前にガレは環境保護の必要性を訴えています。

ガレの工房の扉には『わが根源は森の奥にあり』という言葉が掲げられていたそうです。

ときには喧騒を離れ、神秘の森に身をゆだねてみてもいいですね。

箱根はこれからアジサイが咲き、新緑のなか、箱根湯本から登山電車に乗り、終点の強羅で降り、「観光施設めぐりバス」に乗ると美術館の前に着きます。

そして、美術館を見終わったら、敷地内の「森の遊歩道」がお進めです。のんびり歩いても20分ほど。ブナ・ヒメシャラ(花は7月初旬に咲き、開花期は1週間ほど)ですが、5月~7月にはヤマボウシの花がまるで夏、真っ白の帽子をかぶったような姿がみられます。

初夏にかけてはメジロ、ウグイス、キビタキ、など美しい歌声が聴こえてくるでしょう。ペット連れの方もこの道はリードを使えばOKです。

「エミール・ガレ 自然の蒐集展」は7月16日(月)までです。
会期中は無休
開館時間午前9時~午後5時

美術館の公式ホームページ
http://www.polamuseum.or.jp

樹木医 和田博幸さん

今年は全国的に桜の開花が早かったですね。
みなさん、おひとりお一人に桜についての”想い”があるのではないでしょうか。

私もず~と昔、岐阜と富山の県境に400年もの樹齢を誇る老桜樹がダム建設のために水没してしまう・・・ということになり、数人の男たちの桜へのひたむきな想いによって移植され、今もなお季節がめぐるたびに美しい花を咲かせてくれる桜を何度も見に行きました。

『桜守(さくらもり)』という小説を読んでのことでした。自ら土になって木の存亡に生命(いのち)を燃やすひと。私にそういう男たちの存在を教えて下さった・・・作家、水上勉さん。

初版は昭和43年。御母衣(みほろ)の桜を初めて見たのは移植して何年も経っていましたから、もうしっかり根づいている印象でした。

“あ、これが、あの桜・・・”と、小説世界とだぶらせて思い入れもひとしおでした。老樹とは思えないほど花が初々しかったのが印象的でした。あれから何度も何度も御母衣の荘川桜を見に旅にでました。

そう、40年近く前のことです。ある時、仕事で水上先生と対談をさせて頂く機会に恵まれ「桜守」の話になりました。小説の中には、木と人間の様相が重なったり、木で人を語ったり木の中に人の真実をみたりで、大変興味深く拝読しました。と申し上げ、なぜ私たち日本人はこのように桜に惹かれるのでしょうか、と伺いました。

「散る」とは「咲く」こと。
桜の生命の長さに私たちはひきつけられるのです。・・・とおっしゃられました。

そうですね、散るはかなさではなく、散ってまた咲くということに憧れるのですね。人間の生命のほうがはかないかもしれませんね。桜は日本の国花ですね。と申し上げたら、先生はこうお話になられました。

「そうです。国学者の第一人者であった本居宣長さんが、『敷島の大和ごころにたとうれば、朝日に匂う山桜』とうたいました。そこからきていると思います。万葉の歌人たちはみんな桜を愛し、西行も含めてこの世の諸行無常をいう人たちも、無情のひとつのヒロインとしての桜を愛でた人が多いのですね。」

「桜というのはせっかちな日本人の気質にも合っています。360日辛抱して、六日ほど咲いて、見に行ったら雨で、二~三日おくれたらもうあかんしな。一生に一度めぐり会えるかどうか。素晴らしい桜とはそういうものだと思いますよ。」と。

お花見が終わると、どうしても私たちは桜のことを忘れてしまいがちです。咲き終わった後の桜の木の手入れはどうされているのか・・・。とても興味がありました。そこで出会ったのが、樹木医の和田博幸さんです。

和田さんは、山梨県北杜市の山高神代桜を復活させたことでも有名です。ぜひお話を伺いたくラジオのゲストとしてお越しいただきました。貴重なお話でした。

和田さんは、1961年、群馬県のお生まれ。東京農業大学卒業。最初は草むしりのアルバイトがきっかけだったそうです。「草むしりはとても奥深い」とおっしゃいます。「丁寧に作業を続けていくうちに、山野草が咲き誇る美しい庭が出来上がる。」そんな仕事ぶりが目にとまり、桜の名所づくりを行う財団法人の研究員を経て、たちまち桜に魅了されていきました。

2015年には、和田さんが手がけた神奈川県座間市の緑道(りょくどう)の桜再生プロジェクト「相模が丘 仲良し小道さくら百華の道」が完成しました。他にも数々の桜のお医者さんとして、全国をめぐっておられます。

私も人生一度は行きたいと思っている鹿児島県・屋久島の屋久杉などのお話。樹齢1000年を越す木が全国にありますが、長生きする木とそうでない木のお話などなど時間を忘れて伺ってしまいました。

みなさん、ご記憶ございます?
2010年に鎌倉の鶴岡八幡宮のオオイチョウが倒れてしまいましたが、倒れた後に根元から新しい芽が出てきた、と報道されましたよね。その生命力に私は感動致しました。

今日もまた、桜の再生請負い、日本全国を飛び回る和田さん。

「手を差伸べれば桜は応えてくれる」とおっしゃいます。
お花見で桜が終わっても、散った後にも想いをはせたいですね。

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」
5月13日 放送
10時半~11時

おにぎりと日本人

大型連休もあと2日で終わり。この連休中、おにぎりを握ってどこかえ出かけた、あるいはコンビニで購入してお出かけ、というご家庭もあったのではないでしょうか。

お子さまのお弁当に、受験の時の夜食におにぎりを握ったというお母さんもいらっしゃいますよね。いえいえ・・・この頃はお父さんが、という方もおられますよね。

私もお弁当作りはずいぶん長い期間いたしましたし、子どもが小さい頃は土曜・日曜などは庭にゴザを敷いて、おにぎり・卵焼き・ウインナーなどカゴにいれミニピクニックを楽しみました。

ところで”おにぎり”って日本にしか存在しない・・・って知っていました?

知っているようで知らない、日本人のソウルフード『おにぎり』について書かれた本に出会い、そもそも、おにぎりは日本でいつ頃から存在していたのか。稲作が中国大陸、あるいは朝鮮半島から伝わったことを考えると、中国や韓国にも当然おにぎりは食べられていたはずですし、「おにぎり」と「おむすび」の呼び方が違うのは何故?と謎は深まるばかりです。

そこで出会った素晴らしい本が、増淵敏之さんの『日本人とおにぎり』(洋泉社)です。

増淵敏之さんは1957年、札幌市のお生まれ。東京大学大学院・総合文化研究科 にて博士課程を終了。以前はFM北海道、東芝EMI、ソニー・ミュージックエンタテイメントなどに勤務され、現在は法政大学大学院・政策創造研究科の教授。地域の物語性を観光資源として活用するコンテンツツーリズムの専門家でもあります。

海外、日本国内をフィールドワークする学者であり、歴史や地域性を研究する方でもあり、ぜひラジオでお話を伺いたいとお招きいたしました。

コンビニで販売しているおにぎりの具材の多さにびっくりしますよね。鮭・昆布・梅干など昔ながら定番に加え、炙りサーモン、大葉味噌、チャーハンむすびに、あさり混ぜご飯など。よく聞く”ツナマヨ”を私は食べたことがなく、先日買って食べてみたら美味しい!のですね。この商品の生まれたエピソードも伺いました。

さて、そもそも、おにぎりは日本でいつ頃から存在したのか。

1987年11月、石川県中能登町にある弥生時代の遺跡「杉谷チャノバタケ遺跡」から、奇妙な物体が出土されたそうです。真っ黒に炭化した、手のひらに載るくらいの塊で全体が円錐状になっていて人為的なもの。塊が蒸した米であったことから、増淵さんは「おにぎり」である、とおっしゃいます。

弥生時代中期から後期、水耕稲作が大陸から日本列島に伝わり、定着したころのものと増淵さんは推測されています。

「原始的なおにぎり」と現在の「おにぎり」とは異なり、私たちが食するおにぎりは炊いたお米を握ります。しかし当時は、殺菌効果がある笹の葉に巻いて加熱したようなのです。

それらは「お供えもの」、つまり神事に使われていたようです。日本文化のお米は、信仰の対象なのですね。そうか・・・。私たちが日ごろ食べているおにぎりは、実は神聖な食べものであることが本を読むとよく分かります。

『源氏物語』にも「握飯(にぎりいい)」として登場します。

稲作が中国大陸(または朝鮮半島)からやってきたならば、なぜ中国には「おにぎり」がないのか。それは、中国人は冷えた食事をする習慣がないから、とおっしゃいますし、韓国にも「おにぎり」としてはなかったそうです。

鎌倉時代、承久の乱では幕府の武士におにぎりが配布され、戦国時代に全国に広がり、江戸時代には庶民の食べものになったとか。そこで、「おにぎり」と「おむすび」の違い!は?地域性なのか、他の理由があるのか?

答えはぜひラジオをお聴きください。

みんなが大好きな”おにぎり”には物語があるのです。私たち独自の素手で食べる「おにぎり」や「お寿司」って、人の温もりが感じられますよね。

”お母さんの握ったおにぎり”

やはり子供達にはその温もりが、愛が大切なのではないでしょうか。
増淵先生からいろいろなお話を伺いました。

文化放送「浜美枝のいつかあなたと」
5月6日 日曜日
10時半~11時の放送です。

第13回・鎌倉路地フェスタ 4月21日から30日

毎年恒例のゴールデンウィーク前から開催される『路地フェスタ』が始まりました。

ご存知のように鎌倉の賑わいはそうとうなものです。海外からの観光客の方、日本人の観光客、週末などは、駅からの表通りと八幡さままでの”段葛”は大変な混雑です。

若いカップルの方、女性などが着物姿で歩いているのも素敵です。ですが、一歩路地に入ると、静けさ・・・とまではいきませんが、のんびり散策ができます。

先日、初夏を思わせる風に誘われて、私も鎌倉路地フェスタに行ってまいりました。

まず鎌倉駅に着いたら東口を出てすぐ左にある「みどりの窓口」内にある観光案内所で「マップ」をいただいてください。1から22までのショップが参加したフェスタで、スタンプラリーも実施されています。

まず1番は、正面の若宮大路を右に曲がり「ハーツイーズ」からはじまります。その前に私は市場で鎌倉野菜を見て、湘南の”わかめ”を買いました。掘りたての筍も美味しそう。「寄り道していたら回りきれないわよ~!」と自分に言い聞かせスタート。

最初のショップはいろいろなハーブがあり、私は「ハーブ入りソルト」を買い路地を歩きました。

小町大路から金沢街道の路を横にそれ、路地を歩くとイラスト工房や手づくり展やレストラン、カフェ、古布展や雑貨などなど・・・。

「ひとりで歩いても分からないわ」という方には「路地フェスタツワー」をおすすめします。鎌倉を知り尽くしたスタッフがご案内してくださるそうです。

次回は29日11時~16時まで(090-2738-6164)担当マスダさんまでお問い合わせくださいとのこと。詳しくは「路地フェスタ」で検索してください。

私の娘のショップ「フローラル」も参加しております。6番です。鶴岡八幡宮・源平池の横にあるイギリスなどのアンティークを扱っているショップです。小さな一軒家のショップ。

私自身このショップのファンなので、ついついお買い物。今回は小さな一輪挿しと、古い花のカードが額装された品を買ってしまいました(笑)

鎌倉ってちょっとした小さなショップが素敵ですよね。箱根の雄大さの中に暮していると古都に憧れ、時々訪ねたくなる場所です。

神社仏閣、四季折々の花、いつの季節も素敵です。フローラルでひと休み。そして、路地路地のショップを回り堪能した「鎌倉路地フェスタ」でした。少々疲れましたが・・・。

フローラルは28・29日は鎌倉山ハウスポタリー英国展に出展のためショップはお休みです。

ゴールデンウイークは遠出はしないわ!という方、一日鎌倉散策も素敵ですね。

こよひ逢ふ人 みなうつくしき 生誕140年 与謝野晶子展

みなさまはゴールデン・ウィークはどのように過ごされるのでしょうか。

私は暦通りなので、1日は東京にラジオ収録で出かける以外はこの箱根の山でのんびりと過ごす予定です。まとまったお休み、”さぁ~何をしましょう”・・・と考えていた時にふっと普段なかなか出来ないことをしようと思いました。

以前に買い求め、斜め読みしかできなかった与謝野晶子の「新訳源氏物語」を読み始めよう!と思い立ちました。

初版発行は平成13年。その頃の私といえば、何だかバタバタと全国飛び回り、「この世でもっとも読みやすい源氏物語」と帯には書かれておりますが、それが、なかなか・・・。そこで、ちょうどよい機会なのでこのゴールデン・ウィークをスタートにしようと思ったのです。

ちょうど現在、横浜の港の見える丘公園に隣接している県立神奈川近代文学館で特別展『生誕140年 与謝野晶子展』(5月13日まで)が開催されておりますので行ってまいりました。

”こよひ逢ふ人みなうつくしき”

与謝野晶子は、1878年(明治11)、堺の町中にある和菓子商・駿河屋の娘に生まれ、体の弱い母にかわって、駿河屋の中心的な働き手として、帳簿つけ、菓子の販売など、店番の合間に膨大な父の蔵書をひもといて、奈良時代から江戸時代にいたる古典作品の数々を読み耽っていたそうです。

有名な歌集『みだれ髪』は、晶子は髪が豊かで、いつも幾筋かの髪の毛を垂らしていたことから、師であり、後に夫になる与謝野鉄幹が歌の中で晶子を「乱れ髪の君」と詠み、愛称となったそうですね。

鉄幹、晶子の相思相愛は生涯変わることなく続くのですが、妻であり、五男六女の母であり、一家の家計を支える大黒柱であった晶子の日常の暮らしは、想像を超えたエネルギーと鉄幹への尊敬と思慕がなければ続かなかったことでしょう。

うすものの二尺のたもとすべりおちて 蛍ながるる夜風の青き (みだれ髪)

そと秘めし春のゆふべのちさき夢  はぐれさせつる十三絃よ (みだれ髪)

恋をしている女性は美しい、とも書かれています。会場の直筆の手紙や書、不遇の日々を過ごす鉄幹を再生させるため、晶子は鉄幹の念願だった渡欧を実現させようと資金集めに奔走し、自ら屏風歌を詠み、パリに向かった鉄幹を送り出し、でもその不在に耐えられなくなり、子どもを鉄幹の妹に託し、自身もパリへと旅立ちます。

そのパリ滞在中に描いた「リュクサンブール公園」はその才能の豊かさにも驚きました。

男女の別なく「完全な個人」を目指していた教育を実感できる資料も見ることができます。

そして旅に彩られた晶子の後半生の中でも神奈川県各地への旅行は数知れず。箱根には「明星」「冬柏」の同人たちと例年のように吟行に訪れ、温泉で心身を癒し、森林や溶谷、湖で豊かな自然に親しんで詠まれた多くの作品には「深い歌堺がある」といわれています。何だか嬉しくなります・・・私の住む箱根を旅していた与謝野晶子がそこに存在しているようで。

鉄幹と出逢って35年の歳月。
苦労も葛藤も多かったはずです。
会場で目にした『半分以上』で
私の子供達、さやうなら。
お父様のところへ行きます、
いろんな話をしませう。

で、始まる詩を読み、涙がこぼれてきました。

与謝野晶子はすぐれた歌人であり、自らの考えを信じ、男性社会においてもたえず”新しさ”を求め、自分自身の生き方を貫かれ後世へと夢を託した人。何よりも『母性のひと』だと実感した展覧会でした。

晶子30代で訳した「新訳源氏物語」は渡欧を挟んで3年で。自身「無理な早業」と語っていますが、『新新訳源氏物語』(全六巻)は鉄幹の死を挟んで約6年の歳月をかけた訳。

完成して約半年ののち、晶子は脳溢血によって倒れ、2年後(昭和17年)63歳のいのちをおえました。私が生まれる前の年だったのですね。

まずは「ひかる源氏」編(角川書店)と「薫・浮舟」編から読みはじめましょうか。

神奈川近代文学館
東急東横線直通みなとみらい線、元町・中華街駅・6番出口徒歩10分

シニアは入場料300円。
休館日(月曜)4月30日は開館です。
お天気のよい日にお散歩がてら、海を眺め、帰りに中華街での食事なども素敵ですね。

映画「ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書」

正直にいって映画を観終わったあと、しばらく席を立つことが出来ないほどの心地よい疲労感と、スピルバーグ監督からのメッセージを深く考えていました。

この作品の舞台となるワシントン・ポストのオフィスの再現は徹底的にこだわるスピルバークの世界。監督は語っています。

「今もワシントン・ポストに勤めている友人をセットに招待したんだ。おちこち見て回った彼の目には涙があふれていた。彼は『当時のオフィスそのものだ』と言ってくれた」と。

ヴィンテージのタイプライター、コード付きの電話器、記事のカーポンコピー、乱雑に置かれた灰皿、その匂いすら感じる編集現場。

監督・製作はスティヴン・スピルバーグ。
主演はメリル・ストリーブが演ずるキャサリン・グラハム(ワシントン・ポスト社主・発行人)とトム・ハンクスが演ずるベン・ブラッドリー(ワシントン・ポスト編集主幹)。

半世紀近くも前の話です。米国の歴代政権が隠してきたベトナム戦争の実情を記す機密文書の報道を巡る政府と新聞の闘いが描かれています。スクープしたニューヨーク・タイムズが政府の力により差し止め命令を受けます。1971年6月、ワシントン・ポストが立ち上がります。

この映画には英雄は登場しません。内部告発者、メディアの経営者やジャーナリスト、彼らは皆、重要な登場人物。しかし、生身の人間。悩み、逡巡し、もだえる。

その時、彼らが立ち戻る原点は?

言論・報道の自由をとことん守り抜くと宣言した憲法修正1条。彼らの思想と行動を多くの市民は支持します。そして、裁判所も、政府の横槍を認めませんでした。

まだまだ若い米国には、もしかしたら強烈な”歴史意識”があるのかもしれません。『我々が日々、歴史をつくっている!』その感覚は政治家や官僚の専売特許ではない。多くの市民の無意識のうちに積み重ねている日常の所作かもしれません。

「最高機密文書」にはベトナム戦争での米軍の劣勢など報告されていたのです。それを知っていて、異なる発表を続けた歴代政権を、メディアや市民は許さなかったのです。多くの尊い命が奪われた戦争でした。

キャサリンを演じるメリル・ストリープの見事な演技は「クレーマー、クレーマー」(79)、「ソフィーの選択」(82)、「恋におちて」(84)、「マジソン郡の橋」(95)、「プラダを着た悪魔」(06)、「マンマ・ミーア」(08)、「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」(11)など、あげたらきりがないほどの多くの役を見事に演じてきた女優。

私生活では、夫でアーティストの間に一男三女のお母さん。キャサリン・グラハムも四人の子どもの母親で、家庭を守り平凡に暮らすのが一番の幸せ・・・と思ってきた典型的なあの時代の女性。父親の興した新聞社を夫が継ぎ、ところがその夫が鬱病で自殺してしまい、社主をつとめることになったキャサリンは、経験も浅く、男性優位の社会で礼儀正しさを保ちながらも筋を通すやり方を学んでいきます。

彼女は新聞社史上もっとも大きな決断を迫られた時に『いつも完璧じゃなくても最高の記事を目指す。それが仕事でしょ?』と言い放つのです。

正直にいって私はスピルバーグ監督は女性を描くのは苦手の人、と思ってこれまできました。今回の映画で見事に裏切られました。トム・ハンクスも中年になりますます素敵になっています。リズ・ハンナの脚本も女性の目が生かされていますし、ある意味では信頼のラブストーリーともいえます。

半世紀近くも前の話です。この記事は当時世界中を駆け巡り、私もはっきり記憶にあります。

しかし、「機密文書」自体の真贋が問われたとしたらいったいどうなるのでしょうか。極めて深刻かつ、今日的な問題です。

この映画は人事ではなく、アメリカ映画・・・では片付けられないメッセージをスピルバーグ監督から預けられているのです。

ラストシーンを見逃さないでください!

映画公式HP
http://pentagonpapers-movie.jp