映画・青い山脈と原節子さん

先日、神保町シアターで開催されている(7/7~8/10)映画で愉しむ「石坂洋次郎の世界」で「青い山脈」を観てまいりました。

7日から1週間、一日一回の上映でした。最後の日、7月13日16時半の回でした。

1949年(S24)東宝と藤本プロ共同制作の白黒。1時間32分の映画でした。石坂の新聞連載小説を原作にした、戦後の青春映画の代表作といわれています。

戦後間もない田舎町での、偽のラブレターに端を発した恋愛騒動を描く、新しい時代の開放的な青春群像。公開されたときの私は6歳ですから観ているはずもなく、その後、女優になってからもスクリーンでは1度も観ておりません。監督・今井正、主演・原節子・池部良・小暮実千代・杉葉子など。

実は今回どうしても観たかったのは、原節子さんに関してノンフィクション作家の石井妙子さんがお書きになられた「原節子の真実」を再び熟読したからです。

以前に文化放送の私の番組「浜美枝のいつかあなたと」にゲストとしてお招きしお話を伺い、ブログにも掲載いたしましたが、知れば知るほど、『原節子さん』の生きた時代、映画界、そして彼女の心情・・・など、真実を知りたくなったのです。

石井妙子さんの3年にも及ぶ取材、そして筆力に魅了され、平成27年9月5日、伝説を生ききった95歳の原節子さん、いえ本名の会田昌江さんについてもっと知りたくなったからです。

ご本に書かれておりますが、「ヒロインには原節子を起用してほしい。この小説は、そもそも彼女をイメージして書いたものだから」と石坂洋次郎は言ったそうです。

この映画は空前の大ヒットとなり、これまでにない女性像を原節子は生き生きと演じています。

島崎先生(原節子)は教壇から現代的な考えを「自分の言葉」で語るよう「民主的な考え」を長回しのシーンでは圧倒されますが、石井さんの取材から、このシーンの考え方、生き方は「原節子」そのものであることがよくわかります。

2週間に500万人が映画館に詰めかけ、原節子は国民的女優になるわけですが、石井さんの「原節子の真実」のまえがきに

『原節子と会田昌江、その女性(ひと)はすでに生きる伝説といわれて久しく、世間からのあらゆる接触を半世紀以上も絶って、自分の生死すら覚られまいとしていた。』・・・と書かれております。

亡くなる3ヶ月前の6月17日、原節子さんの誕生日にお祝いの花束を抱えて3回目の訪問をしています。もちろんご本人は緑深いその暮す家に姿を現すことはありません。同居する親族に花束を届け、「原節子さんはお元気なのでしょうか」と訊ねると、わざわざ木戸まで出てきて「お蔭さまで元気にしております」と語られたそうです。

半世紀以上も沈黙し続け、何を思い、どのように女優として生きてこられたのか・・・何に悩み、何を仰りたかったのか、などを知る手がかりになる本でした。

「青い山脈」に続き、休む間もなく松竹で小津安二郎監督の「晩春」に出演し、なぜ東宝とその後専属契約を結び、イングリット・バーグマンに憧れ「カサブランカ」に感動し、彼女のような役を演じたいと切望するも、日本映画には、そうした成熟した大人の恋愛映画を創る土壌がなかったのでしょう・・・

年を重ね40歳になり、その時彼女が何を思ったのか・・・間もなく静かに、忽然と姿を隠します。「意思の強い女を演じたい」と願った原節子と世の中のファンが求めるイメージとの差があったのでしょうか。

私が女優になった昭和35年、原節子さんは40歳を迎えます。そして、安保改定問題で幕を開け、強行採決に反対する学生が国会議事堂を取り囲み、連日のデモが東宝撮影所の食堂の白黒テレビから流れてきます。

原節子さんは「娘・妻・母」「東京物語」「永遠の処女」などに出演しています。

東大生・樺美智子さんが死亡するニュースが画像に写しだされます。

その同じ頃、食堂の前の噴水の向こう側を背筋を伸ばし、やや歩幅を広く、白いブラウスに紺系のフレアースカートをはいた原節子さんの姿を何度かお見かけしました。

人と群れることなく、ひとり歩く姿が印象にのこり、私もファンのひとりでした。

『引退する時は誰にも気づかれないように消えていきたい』と石井さんの本に書かれています。そして、「青い山脈」の監督・今井正氏は、語っておられます。

「いつか生活の条件が変わるならば俳優であることを止め、静かな別の生活に入りたい・・・そんな気持ちがいつも君の心の底に動いている。俳優であることに心からの生き甲斐を感じていない、そんな風に僕は思えるのです』
石井妙子・原節子の真実より(「近代映画」昭和24年8月号)

最近、原節子さんのエッセーが見つかりました。戦前・戦中・戦後を生き抜き「戦後の日本への提言」として書かれたエッセーと新聞に載っておりました。

女性が女性として伸びやかに生きることの難しかった昭和の時代。

素晴らしい美貌でありながら、「強い女性を演じたい」と思い続けた原節子さん。青い山脈」では原節子さんが自ら”女性の生き方”を語っているようにも思えました。

一作の映画から、自分自身の歩みを振り返ることができます。映画館には、かつての「映画青年」であったであろう人たちの姿も見られ、皆それぞれの”昭和”をかみしめていたように思いました。

世界報道写真展 2018

恵比寿にある「東京都写真美術館」で今年も「世界報道写真展」が開催されています。

今年で61回目を迎えます。私は5年ほど前から毎年観にまいります。『記録された瞬間 記憶される永遠に』とありますが、さまざまな事件、事故、自然破壊、会場に一歩足を踏み入れ、目の前の写真に胸をえぐられそうになったり、直視できないような写真であったり、考えさせられる写真であったり・・・ニュースでは知っていたことが、目の前にリアルに差し出される世界の「いま」。克明に伝える写真の数々が紹介されます。

世界中の約100会場で開催される世界最大級の写真展です。今回は、125の国と地域から4、548人のフォトグラファーが参加し、73、044点の応募があったそうです。

その中から「現代社会の問題」、「一般ニュース」、「長期取材」、「自然」、「人々」、「スポーツ」、「環境」の8部門において、22ケ国42人が受賞しました。

「一般ニュースの部」ではイヴォル・プリケット(アイルランド)が撮影しニューヨーク・タイムズに掲載されたイスラム国(ISIS)からのモスル奪還を巡る戦闘に巻き込まれる市民や廃墟と化す街。

また、「人々の部」ではイスラム過激派の誘拐から逃げ出し、自爆用爆弾から免れた少女たちの姿。密猟者からの保護のため自由を脅かされざるを得ない動物や、大統領に対するベネズエラでの抗議活動、デモ参加者が警察機動隊と衝突した際、洋服に引火し炎に包まれた28歳の青年(命は助かったそうです)。

「現代社会の部」ではアメリカ・ナショナルジオグラフィックに掲載された組写真、中国では、所得水準の急上昇に伴い人々の食生活が変化し、食肉、酪農製品、加工食品の需要が増大しているため、世界の耕作可能な土地の約12パーセントを使って、世界人口の19パーセントに迫る割合を占める自国民を養っていかなければならないそうで、町中を無造作に肉を運ぶ姿を写した写真には考えさせられました。衛生面など大丈夫なのでしょうか。

そして、私が深く考えさせられたエジプト「現代社会の問題の部」での組写真。カメルーンでは、思春期に達した少女の胸のふくらみを抑え、その発育を食い止めるるためにマッサージや圧迫を行う”ブレストアイロニング”呼ばれる風習が残っているそうです。

なぜか・・・これによってレイプや性的な接触をさけられると信じられているそうです。この現代において青春を謳歌し、成長を喜ぶ親としての姿はそこにはありません。これが「現代社会」の現実かと、考えさせられました。

会場には老若男女一人ひとりが、真剣に写真に見入っていました。外国人も見られました。

世界の報道は新聞やテレビ、ラジオで見聞きしますが、「写真」のもつ圧倒的な力、説得力・・・やはりリアルに「いま世界」で何が起きているのか・・・を知る貴重な『世界報道写真展』です。

8月5日(日)まで。
休館日・毎週月曜日(但し716日(月・祝)開館、翌17日休館。
恵比寿駅より徒歩約7分。

世界報道写真展2018 公式ホームページ
https://www.asahi.com/event/wpph/

東京都写真美術館公式ホームページ
https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-3060.html

沖縄への旅

6月23日、沖縄は梅雨明け宣言とともに「慰霊の日」を迎えました。

平成最後の「慰霊の日」です。戦後73年目を迎え、20万人以上の戦没者を悼む「慰霊の日」。私は4日遅れての訪問です。

私が始めて沖縄を訪れたのは、まだ国際通りは舗装されておらず、土埃が舞い、車の運転は右側でした。パスポートを携えての沖縄の旅。民芸運動の創設者・柳宗悦氏の「手仕事の日本」を読んでからでした。また、「民藝とは何か」の本の中に『真に美しいものを選ぼうとするなら、むしろあらゆる立場を超えねばなりません。そしてものそのものを直接に見ねばなりません。ですから知識で見たり概念で見たりしたら、本質的なものを見逃してしまう』・・・と書かれていました。”民藝のふるさとは沖縄にあり”とも書かれていました。

沖縄の工芸をこの目で見てみたい、この手で触ってみたい!「沖縄の女達は織ることに特別な情熱を抱きます」と書かれた言葉。それはなぜ・・・。芭蕉布、花織、絣柄、宮古上布など、それはそれは美しいのです。

そんなきっかけで通い始めた沖縄。友人達との出逢いも30年近くになります。ゆっくりとした時間の中で過ごす沖縄滞在の中で、彼女達の、沖縄の方々のこの「慰霊の日」に対して「戦争の犠牲を子や孫に伝えたい」という思いが深く伝わってきました。

沖縄県糸満市摩文仁(まぶに)の平和公園にある「平和の礎(いしじ)に刻まれた戦没者名は沖縄県民の4人に1人が死亡し、日米双方の犠牲者の名前です。4月1日には本島でも戦闘が始まり、県民を巻き込んだ地上戦は約3ヶ月も続き6月23日、日本軍の自決で戦争は終結しました。9月7日の降伏調印まで局地戦は続き、そこでも沖縄県民が犠牲となりました。

梅雨も明け、じりじりと日が照りつけるなか、真っ青な海、雲ひとつない摩文仁の丘に立ち、「平和の礎」に刻まれた文字に手を合わせ「戦争は二度と起こらないでほしい」と願いました。

6月22日付けの朝日新聞に寄稿されていた社会学者の岸雅彦さんの文章に心打たれ、何度も読み返しました。岸さんは沖縄戦を経験した方々の生活史の聞き取りをしていらっしゃるそうです。生活史の聞き取りから浮かび上がってくる「沖縄の方々の心・気持ち」が伝わる記事でしたので、一部ここに載せさせていただきます。

『沖縄的時間はゆっくり流れる。しかしそれは、亜熱帯の、のんびりした島の時間、という意味だけではない。自分の祖父や祖母やその親戚が亡くなったその同じ場所で、いまも沖縄の人びとは暮している。そしてそこには、そのときと同じ国の軍隊がいまだに広い平らな土地を占領して居座っている。さらにその基地の存在を許し、歓迎さえする日本の政府(あるいは私たち内地の人びと)』。

ゆっくりした時間の中で、今日も公設市場には元気な声が聞こえ、観光客で賑わっています。

私は南国のフルーツを家族に送り、”沖縄の戦後”はいつまで続くのか・・・と、ふっとシワの刻まれたおばあの顔がたくましくも、また、その恐怖の経験に思いを馳せると、「来年もまたお邪魔させてください、祈ります」とつぶやいていました。そして、本土の人びとの理解を望みます。それは世代を超えてです。

川と遊ぼう。土手の草花

夜明けどき、深い穏やかな眠りのなかにいた私は、家の遠く近くでする小鳥のさえずりに目を覚まします。”あのいそがしげな鳴き声は、ほととぎすかしら?そう、ほととぎすは「時鳥」と書いて夏の到来を告げる鳥。古来詩歌のなかでも、春の花、夏の時鳥、秋の月、冬の雪が四季の代表的な詠題とされていますね。

お布団を抜け出して縁側の雨戸を開けると、まだ眠気からさめきらない私の顔にさっと一陣の潮風が吹いて、全身に気持ちのいい目覚めを促してくれます。

ここは、福井県若狭の地。私が25年ほど前に古い茅葺の農家を移築して、私自身へのプレゼントとして設けた「故郷の家」です。

朝の冷気を家じゅうにとりこんでやるために、開け放った硝子戸。目の前には、田植えを済ませたばかりで水を満々とたたえた田んぼが、シンとして広がっています。水田の水面はまるで巨大な鏡のように、しだいに明けてくる空を、周辺の山々を、そして木々の木立の姿を、くっきりとその鏡面に映し出すのです。

私はパジャマのままで縁側に座って、いつまでも、時を忘れてその美しさに見入ります。

水田水  なみなみと日の 上りたり     石原 船月

私の桃源郷のような故郷の家です。

東京下町の小さなダンボール加工工場を営む両親のもとに生まれた私。あの東京大空襲ですべてを焼け出され、命からがら逃げ出し住んだ場所が多摩川のほとりにある武蔵小杉でした。

4軒長屋の水道もない家。かまどでごはんを炊き、バケツに水を汲みゴシゴシ洗濯板でこすりながらの洗濯。子供心につらくもあり、楽しい日々でした。近所のおばちゃんたちには「みえこちゃんえらいね、きょうもお手伝い」と褒められ、おかずのおすそ分け。下町の風情の残る人情豊かな思い出・・・。

「故郷がほしい」・・・それが若狭の家です。現在は私の近畿大学での教え子たちが、田植えや、野菜作りに大阪の大学から、また社会人になったOBたちも集い、彼らの「故郷」になっています。若い日々、そうした体験をすることの素晴らしさを私自身が一番知っているからです。

水泳を覚えたのは武蔵小杉に暮していた子ども時代。多摩川でこちらから泳いで東京にタッチし戻る。子供達にとって”川と遊ぶ”は日常でした。武蔵小杉は現在は高層マンションが建ち並び、大都市に様変わりしたそうです。

そこで見つけた素敵な本。

川と遊ぼう。多摩川ノート 土手の草花」(北野書店)。

著者は映画「釣りバカ日誌」にレギュラー出演するなど個性派俳優として幅広く活躍している俳優の中本賢さんです。1956年浅草生まれ。主な著書に「多摩川自然あそびガサガサ」「ガサガサ探検隊」など多摩川近郊に移り住んで多摩川の土手や川原で見られる95種の草花は、どれも個性的。素敵なガイドブックです。

この30年間で、多摩川も大きく変化したそうです。私の子供時代の綺麗な多摩川、汚染された多摩川、また美しい流れになり戻ってきた多摩川。

河川敷で小石の投げっこや、石拾いをし、ポケットにいれてその温もりをたのしんだり・・・の子ども時代。

河川敷の中でも、礫(れき)川原といわれる砂利や小石が広がる川原が、全国的に減っているのだそうです。多摩川流域の小学生と一緒にフィールドワークも行っている中本さん。

四季おりおりの動植物をご紹介している本です。「身近な場所で野生の植物を観察する楽しみは、名前を知ることだけではありません。どのような環境で、どのような生活をしているかを感じることがオモシロイ。自分が暮す街がどのような場所なのか、地域の人々がどのように暮しをしているのか・・・草花はありのままを伝えてくれます」とおっしゃる中本さん。

「ワタクシ、道草がやめられません。」素敵なお話をラジオでお聴きいたしました。そして、収録後、帰りぎわに「浜さん~、子ども時代を過ごした武蔵小杉の多摩川べりにもたくさんの草花が咲いていますよ!ご案内するから遊びに来てください!」とおっしゃってくださいました。夏になったら70年ぶりに多摩川に行ってみたい!と思いました。

そのときには中本さんにご案内していただこ~と、思いました。懐かしい多摩川。懐かしい子ども時代。

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」
日曜 10時半~11時
7月1日放送

今、想うこと

夏至過ぎて吾に寝ぬ夜の長くなる   正岡 子規

梅雨まっただ中、厚い雨雲が空を覆う日が多く、春分をさかいとして、夏至の頃は夜が短くなり、午前4時には空は白々としてきます。そんな早朝まだベッドの中にはいるのですが、なぜかぼーっとしている時が幸せに感じ、朝の太陽に出逢うまでのひととき、物思いにふけります。

「人生百年時代をどう生きるか」

新聞や、雑誌などで最近よく見かけるテーマです。

現在私は74歳、秋がくると75歳になります。一般的に高齢者といわれているのは65歳以上で、私も立派にその範疇に入っているのですが、「若いころ想像していた74歳の自分」と「今の自分」はかなり違っています。

もちろん年齢を感じないというわけではありません。しかし、自分の親世代と比べれば一目瞭然、周りを見渡しても、同じ年齢ならば今の高齢者は、はるかにアクティブで、心身ともに高い能力をキープしている人が多いですよね。

さらに、医療衛生方面の進歩発展などで、今の60代、70代は90歳、100歳まで生きる確率が親世代よりも圧倒的に高いです。

”まさに人生百年時代”が始まっています。

気持ちの感覚は、実際の年齢の7がけともいわれます。お洒落を楽しむ、趣味に興じる。孫の世話をする・介護を担うなど家庭の中で役割を果たす。あるいは一人の時間を慈しみ味わう。あるいは現役として働き続ける・・・そういう生き方を享受している同世代の方々がたくさんおられます。

本当にいい時代になったと思う一方、私は自分の実年齢を受け入れることが大事だとも思います。

平均寿命、健康寿命が延び、気持ちも若い高齢層が増えているのは事実であっても、私たちは年齢の分だけ生きてきた。そのことを忘れてはならないと思うからです。

これからを生き抜くために、体が若いころとは違ってきたことを認めようと思います。疲れやすくなった。疲れが取れにくい。筋力が衰えた。意欲はあっても体がついていかない。人の名前がなかなか覚えられない。名前を思い出すのに時間がかかる・・・。

それが今の自分、その自分を受け入れ、あらためて長く大切に丁寧に自分と付き合っていきたいと思います。

私が今、大切にしていることのひとつに「筋肉貯金」があります。

高齢で元気な人ほど、体を動かしているといわれます。動くためには筋肉が必要。私は、そのためにも筋肉を増やそうと、心がけています。

以前にもこのブログでお話しいたしましたが、自分の年齢も考えず、準備運動もなしに、早朝からの山歩き。無理を重ねてしまい脚を痛めてしまいました。

足の専門家から、70代を過ぎると、筋肉量は20代の時の半分程度になってしまうと教えられました。適正なプログラムを続ければ筋肉は再生できると教えられ、ストレッチと筋肉運動を毎朝30分行うのが日課となり、1時間ほどのウオーキングも再開しました。

『無理をしない。甘やかさない』ことをモットーに、これからも筋肉を貯金していきたいです。

「食べることも料理も大好き」

できるかぎり料理は自分でしたいです。食事で体は作られているのですもの。いくつになっても、バランスよく食べることは大事ですね。でも、料理する気力がわかない場合や、買い物になかなかいけないという場合には、自宅に食事を届けてくれる宅配サービスなど利用してもいいと思うんです。

今日食べるものが明日の体をつくる。高齢になっても体が弱らない食事習慣にしたいですね。

「高齢者になるほど、きょうようときょういくが必要」とよく言われます。

きょうようは、「今日の用」。
きょういくは「今日行く」。

「今日、いくところがある」「今日、用がある」外に出かけていき、そこで出会った人と言葉を交わしたり、何かに感心を持つことは大事だと私も実感します。

私はおかげさまで現役として、文化放送のラジオ番組「浜 美枝のいつかあなたと」のパーソナリティーを20年続けておりますし、地方に講演にお邪魔することもあります。プライベートでは、週に一度は映画や展覧会にも行きますし、落語家の柳家小三治師匠のおっかけも長年続けています。

そしてもうひとつ。こころをふるわせることは忘れないでくださいね。

人を好きになってどきどきする。明日が楽しみでわくわくする・・・。でもなかなか現実にはそういう機会はありません!けれど映画や美術館の作品がそうした疑似体験をさせてくれ、日常から少しだけ解放される。映画を観て恋したときのような気持ちになり、絵画を見て時代や国も超えて共感することは素晴らしいことです。嬉しいことにどちらもシニア割引があります。

一人旅もおすすめ。半日の旅でもいいですよね。日常を離れ、非日常を感じることが精神に刺激を与えてくれると思うんです。

そして、これは大事なこと!!ですが、高齢になると、怖い顔やどことなく不愉快そうな顔になりがち。肉の重力が落ちてしまうため、口はへの字になり、落ちてきた瞼が目を三角に見せてしまいます。

口角をあげ、微笑めば、優しい顔が戻ってきます。鏡を見て一日に一回でいいから、笑いましょう!

「笑いは百薬の長」「一笑一若」「笑う門には福来る」などと言われますものね。

年を重ねることは、新しい自分に出会うこと。
昨日の自分と違う、今日の自分を発見すること。
経験をさらに重ねていくこと。

そうした良い面もある一方で、今、この瞬間にも時間が過ぎていき、やれることに限りがあることにいやおうなく気づかされます。

お世話になった人や友人との別れも多くなっていきます。自分の命にも限りがあることを実感としてわかります。

そして、これからは、生きることに伴う根源的な孤独と向き合わざるをえないと気づかされます。

孤独を知り、受け入れることで、大きな幸せをもらったような気がします。人を恋しく、いとしく思い、様々なことに感謝するようになりたいです、私。

すっかり夜も明け、朝陽が眩しいです。”時の精”が動きだしました。
ぼんやりと感じたことを綴ってみました。

日本民藝館

幼時の自分は、今の自分のオリジンです。

5歳頃にはかまどで上手にご飯が炊けた私ですが、今でも記憶に残る不思議な思い出があります。

夕暮れどきに、かまどに薪をくべて、火加減をみていたのです。薪の炎の加減でごはんの炊き上がりが違うのですから、私はかたときもかまどを離れず火をみつめていました。

母は仕立てあがった着物をお客さんの所へ届けにいって留守。

オレンジ色の炎をみつめていたとき、唐突に泣けてきたのです。炎のゆらめきと涙が重なり、私は一人、おいおいと泣いたのです。なぜかそのときの底知れない哀しみをよく覚えているのです。

中学生になり、図書館で出会ったのが、柳宗悦さんの本でした。

中学卒業後、女優としての実力も下地のないままに、ただ人形のように大人たちに言われるまま振舞うしかなかったとき、私は自分の心の拠りどころを確認するように、柳宗悦の『民藝紀行』や『手仕事の日本』をくり返し読みました。

柳さんは、大正末期に興った「民芸運動」の推進者として知られる方です。

西洋美術にも造詣の深かった柳さんは、若くして文芸雑誌「白樺」の創刊に携わりましたが、その後、李朝時代の朝鮮陶磁との出会いや、浜田庄司さんや河井寛次郎さん、バーナード・リーチさんなどとの交流のなかで、「民衆的工芸」すなわち「民芸」に美の本質を見出していきました。

柳さんは、日常生活で用い、「用の目的に誠実である」ことを「民芸」の美の特質と考えました。

無名の職人の作る日用品に、民芸品としての新たな価値を発見したのでした。

中学生のときに、柳宗悦さんの本に出会い、感激してしまった私。むずかしいことなどわかるはずもありません。でも、新しい美を発見した感動と衝撃は、幼いなりに、<たしかなものだったように思います。

「美しいなぁ」と感じる風景。幼いころ、父の徳利にススキを挿し、脇にお団子を飾り、月明かりでみた夜・・・。幼かったころにみたオレンジ色のカマドの炎。美しさのなかに人の哀しみを感じました。「直感」でしょうか。

柳宗悦さんは「工芸の道」で、次のようにおっしゃっています。

直感には「私の直感」と云ふような性質はない。見方に「私」が出ないからこそ、ものをぢかに観得るのである。直感は「私なき直感」である。

うぅ~ん。「私」を捨て「無心」になる。そのような直感が直感。ものの本質を見抜くにはそうした「無」になること。との教えがありますが、今の私にはまだまだ無理なようです。

「手仕事の日本」を携え、追うように旅を続けたこれまでの私。古民家に出会い、壊される運命に胸が締め付けられ、箱根での古民家再生。

沖縄への旅もこの本での「民芸」に出逢ってからでした。まだ本土復帰前のことでした。小さな島でありながらも、一つの王国を成していましたから、立派な文化が栄え、工芸品も染物や織物など「沖縄の女達は織ることに特別な情熱を抱きます」と「手仕事の日本」に書かれています。焼き物、茶盆、漆などの沖縄の工芸。日本全国の無名の用の美の品々。

これらの「民芸品」を見られるのが『日本民藝館』なのです。
美の概念の普及と「美の生活化」を目指す民芸運動の本拠です。

時には西館が公開されることもあります。栃木県からの移築した石屋根の長屋門(1880年の建造で、現在は本館と同じく登録有形文化財)と、柳の設計による母屋が生活の拠点とした建物です。2階の書庫も覗いてください。興味深いですよ。

現在、6月24日までは『柚木沙弥郎の染色 もようと色彩』展が開催されています。柚木沙弥郎氏は1922年生まれです。柳宗悦の思想と芹沢桂介の作品に啓発されて染色家の道を志し、現在なお意欲的に制作、また後進の育成に力を注いでおられます。

作品を拝見すると、その色彩は現代社会を生きる私達の渇きを荒原に湧いた泉のように潤してくれるようです。

時代が変わり、生き方も変わっていく。そのめまぐるしく変わる環境の変化についていけなくなる時に、私の原点『民藝館』に行きたくなるのです。

二階の椅子にゆったりと腰をかけその空間に身を置くと幼かった私の姿に出逢えるのです。

9月11日~11月23日までは『白磁』展
2019年1月11日~3月24日までは『柳宗悦の「直感」美を見いだす力』展が開催されます
京王井の頭線駒場東大前駅西口から徒歩7分。
月曜休館です。

公式ホームページ
http://mingeikan.or.jp

映画 ファントム・スレッド(米)

なんとスリリングで魅惑的な映画なのでしょうか。

1950年代、ロンドン。
高級ファッションの世界で生きる男をめぐる物語。

米映画界で独創的な映画をおくり続けている監督。ポール・トーマス・アンダーソン。彼はなんと脚本・撮影までこなしてしまいますが、映画を観ればわかります。この映画の繊細で完璧な”美”を撮るのは”自分”・・・と思ったのでしょうね。

主演は1957年、英国ロンドン出身で3度のアカデミー賞主演男優賞を受賞した国際的なスター、ダニエル・デイ・ルイストと組みます。ほんとうか・・・どうか・・・彼はこの映画で引退する、と語っていますが、困ります。だって私はとても彼が好き!

この映画について、新聞の記事には『心の闇と優雅な狂気』と書かれていますが、愛を知らない男に総てを捧げた女が抱く、狂気の執着。

ふっと立ち寄ったレストランで出会ったウエトレスのアルマ。それまでのモデルに飽きていた彼はアルマ(ヴィッキー・クリーブス)に惹きつけられ心を移します。ロンドンのウッドコック・ハウスに住み込みモデルになります。

この役のヴィッキー・クリーヴスは1983年・ルクサンブルグ出身。注目をあつめる新人ですが、どこか土臭さ、強さ、そしてエレガントにも振舞える役にはぴったり。大スターに引けをとらない演技は素晴らしいです。

唯一心許せる主人公の姉を演じるのは1956年、英国出身のレスリー・マイル(シリル役)。

1950年代のイギリスは戦争の疲弊からようやく抜け出して、国内は豊かになっていった時代です。この時代のファッション、とりわけオートクチュールの世界はパリが中心でした。

クリスチャン・ディオールは代表されるデザイナー。同時代に活躍したイギリスの「ハウス・オブ・ウッド・コック」は経営は姉が。彼はデザイナーとして完璧を目指し、上質な生地と繊細なレースが華やかさと品格を醸し出します。上流階級の女性を虜にし続け、君臨してきた主人公に、訪れる「恋愛」。はたしてこれを「愛」とひと言では表現できませんが、この関係性が映画の魅力になっていますので、詳しくは書きませんね。ご興味がわいたらご覧ください。私のお薦めの映画です。

私が惹かれたのはハウス・オブ・ウッドコックの美術です。2017年の1月から4月にかけて、ロンドン、ヨークシャとコッツウォルズで撮影されたそうですが、レイノルズの住居兼仕事場である家は、18世紀の建築が並ぶタウンハウスが使われました。

高い天井、大きな窓、螺旋階段といったドラマティックな家は映画をいっそう観ている側をその時代へと誘ってくれます。部屋の壁紙は、自然光をより反射させるような、メタリックな光沢の帯びたものに張り替えられたそうです。

ジョニー・グリーンウッドの音楽もそれぞれのシーンにふさわしい曲で、シーンごとに生き生きとします。

主人公2人の関係の変化を見逃さないでください。後半30分には驚きました。監督は新聞のインタビューに語っておられます。

『アルマはウッド・コックに「弱って伏せってほしいけれど、強いあなたでもいてほしい」と矛盾した言葉を投げかける。「恋愛はお互いの気持ちの均衛がたもたれているのがベストだ。ただ、振り子のようにどちらかに触れる部分が、見るには面白い』と。

映画を通し、人間のもつ、脆さ、危うさ、そして温もり。銀座和光裏のシネスイッチで観て、しばらくは銀座の裏通りを歩きながら映画の余韻に浸りました。

映画公式ホームページ
http://www.phantomthread.jp

鎌倉には青木さんがいる

老舗人力車、昭和から平成を駆け抜ける!
鎌倉に人力車の風景をつくった男、青木登。
と書かれた本に出会いました。

かねがね青木さんのお話は聞いておりました。
”すごい素敵な人が車夫として還暦を迎えても現役なのよ!それが、古希を迎えられたとのこと。

編集者の古谷聡さんとともに書籍化されたご本が出版されたので拝読し、どうしても乗せていただき、その人生哲学を伺いたいと、文化放送のラジオ「浜美枝のいつかあなたと」でご一緒している寺島尚正アナウンサーと共にスタジオを飛び出して”いざ鎌倉へ”。

青木さんは鎌倉の観光人力車のパイオニアです。駅前で待ち合わせ、さっそく乗せていただき、まだ人通りの少ない小町通りから静かで、緑豊かな住宅街を抜け、鶴岡八幡宮、そして西へと初夏の風を抜け人力車は奔ります。

あちこちで街の人から声をかけられる青木さん。藍染の半纏、茄子紺の股引、真っ白なはだし足袋。短く刈り込まれた頭髪、細くねじった豆絞りがきりりとしめられ、その風貌はまさに『職人』。人力車もピカピカに磨かれています。黒い車体と赤い座席の鮮やかさがなんともレトロですが、気品にみちています。

青木さんは、1948年、茨城県生まれ。
中学卒業後、ブリジストン横浜工場や他で勤務後、旅好きの青木さんが飛騨高山の観光人力車に魅せられ、独立。その後1984年、鎌倉で観光人力車の事業を始め、長年に渡り、鎌倉の商業、観光の振興に貢献されてきました。でもご苦労もあったようです。

大手の人力車業者のフランチャイズ店の参入など。でも「鎌倉にきていただいたからには、良い、思い出を持って帰っていただきたい」といっさいの客引きはしないこと、名所旧跡に関する豊富な知識と細い裏道まで精通した観光案内は、長年かけて培われたその技術はだれにも真似ができません。開業以来の無事故無違反。走りはどこまでも滑らかです。

開業した頃からずっと、「70歳まで人力車を引き続けるんだ」と公言していたそうですが、今は『生涯現役』を目指しているそうです。陰でどれほどの体力維持のためのご努力をなさっていることでしょう。『鎌倉の品格を大切にすること』これだけは絶対に曲げることはできません。と笑顔で語られる青木さんの顔が眩しく感じました。

本に書かれている営業のご案内
30分コース・・・・・2名様で3,000円
60分コース・・・・・2名様で10、000円

★事前予約制 電話 090-3137-6384
★通常運行時(ご予約がない時)は市内で客待ちをしております。
お気軽にお声かけください。(料金は予約と変わりません)
★7月下旬~8月下旬は夏季出張につき、草津温泉にて営業。

奥様が女将をしている「茶房有風亭」も落ち着いた和の空間が楽しめます。

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」
放送6月10日(日曜日)
10時半~11時

バラの香りとヌード展

初夏、どちらを向いても青々と茂れる緑。私たちの暮す日本の自然はこの時期はとくに”生命力”を感じます。

先日、お休みの日に早起きをして早朝のバラを観に横浜イングリッシュガーデンに行ってまいりました。

英国庭園をを思わせる素晴らしいガーデン。早朝はとくに香りがちがいます。正面を入るとローズトンネル。ローズ&クレマチス。ワインレッドやパープルやダーク・レッドのクレマチス。素晴らしいダマスクの香りを放っています。いい香り・・・ときめきガーデンの深紅のバラ。白バラを主役にした宿根草、純白、象牙色、青白などの植物が様々な白を楽しませてくれます。

ハーブの香りも素敵です。椅子に座り、その香りをじゅうぶん満喫しました。遅咲きのバラもまだ5月下旬ころまでは楽しめそうです。約300品種のアジサイとバラの共演。1800品種2000株のバラが見事です。

クレマチスも大好きな花。お花好きな女性連れの若い女性にカメラのシャッターを押していただき、しばらく長いすに座ってのおしゃべりを楽しみました。丹精をこめてこのような美しい花を見せてくださるスタッフの方々に御礼を申し上げます。

このガーデンは四季折々の草花や樹木を春の芽吹きから枯れゆく秋の自然の風景まで何年もかけて育ててくださるのでしょう。こうした空間が心の豊かさ潤いを与えてくれます。

そして、向かった先は「横浜美術館」。英国を代表する国立美術館、テートの所蔵作など134点。『ヌード NUDE-英国テート・コレクションより』展。

展示室には年代やテーマごとに絵画や写真。そして彫刻が並びます。アンリ・マティスが1936年に制作した「布をまとう裸婦」は豊満な裸体をあらわにし、ポーズをとる女性。花柄のガウンをまとう姿は、魅惑的で、エキドチックな植物が背景に描かれ、実に自然体のヌードです。

会場の8割がたが女性です。ネヴィンソンの「モンパルナスのアトリエ」。ターナーがスケッチブックに残した水彩画。この水彩画はターナーが旅先で遭遇した男女を官能的に捉えたもので、画家の死後、その名声を守るために多くは処分されたそうですが、廃棄を免れた貴重な作品です。

ピカソ、ルノアール、デルヴォーの「眠るヴィーナス」などの作品を観て最後に日本初公開のロダンの大理石彫刻「接吻」(写真撮影可)360度すべてを回りながら鑑賞できます。ロダンの人生も波乱万丈。どんな想いでこの作品に臨んだのでしょうか。

「ヌード」は根源的なテーマですよね。そして、そのヌードにどんな秘密があるのでしょうか・・・芸術表現としてどのような意味をもちうるのか。人間にとって最も身近なテーマに、西洋の芸術家たちは、美の象徴、愛の表現、内面にどんな思いを馳せて描いたかを想像するのも素敵です。

バラの香りとヌード。豊かな気持ちで帰路に着きました。

横浜美術館「ヌードNUDE 英国テート・コレクション」展は6月24日まで。

エミール・ガレ 自然の蒐集

ゴールデンウイークも終わり、また日常の生活にもどりましたね。皆さまはどのようにお過ごしでしたか。

私は日ごろ行き届かない掃除や読書。早朝のウオーキングは毎朝約1時間、芦ノ湖の周りを歩きました。皆さん、もう6時前から釣りを楽しんでいました。

富士山を見ながらのウォーキングは最高に幸せなのですが、もう少し出かけたくなり、強羅近くのポーラ美術館へとバスを乗り継ぎ、初夏の風を感じながら行ってまいりました。

観たかった『エミール・ガレ 自然の蒐集』です。

開館以来初となるエミール・ガレ展です。植物学や生物学など自然をモチーフに作品が素晴らしいガレ。今回、『ガレが魅せられた「神秘の森」「驚異の海」』と書かれています。

ガレが活躍した19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパでは日本植物ブームが起っていました。ガレは自邸の庭で、2500種あまりの植物を栽培していたとのこと。浮世絵などによる日本趣味だけではなく、「園芸のジャポニズム」も芸術に大きな影響を与えたことが良く分かる展覧会です。

日本の植物を持ち帰ったドイツ人の医師であり博物学者であったフリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796-1866)の存在は大きかったと思います。マツ、ソテツ、タケ、フジ、アジサイ、モミジ、ウメ、そしてユリにも魅せられたようです。ガレの植物リストにはテッポウユリを度々購入した資料もあります。ガレのガラスの作品の中で日本の花が見事に開花されています。

今回の展覧会でとても興味深かったのは、作品を彩るモチーフはただの装飾ではなく、ガレ自身の科学の観点からも捉えられているところです。

鉱物標本、昆虫、植物などの標本は「東京大学総合研究博物館」からの出品です。自然のかたちから多様なモティーフを工芸へと生み出された背景がとてもよく分かる展覧会なのです。

58歳という若さで白血病のために死去しますが、晩年のガレの作品からは、”自然の偉大さと生命の神秘”へのかぎりない愛が存在していたのでしょう。私たちより100年以上前にガレは環境保護の必要性を訴えています。

ガレの工房の扉には『わが根源は森の奥にあり』という言葉が掲げられていたそうです。

ときには喧騒を離れ、神秘の森に身をゆだねてみてもいいですね。

箱根はこれからアジサイが咲き、新緑のなか、箱根湯本から登山電車に乗り、終点の強羅で降り、「観光施設めぐりバス」に乗ると美術館の前に着きます。

そして、美術館を見終わったら、敷地内の「森の遊歩道」がお進めです。のんびり歩いても20分ほど。ブナ・ヒメシャラ(花は7月初旬に咲き、開花期は1週間ほど)ですが、5月~7月にはヤマボウシの花がまるで夏、真っ白の帽子をかぶったような姿がみられます。

初夏にかけてはメジロ、ウグイス、キビタキ、など美しい歌声が聴こえてくるでしょう。ペット連れの方もこの道はリードを使えばOKです。

「エミール・ガレ 自然の蒐集展」は7月16日(月)までです。
会期中は無休
開館時間午前9時~午後5時

美術館の公式ホームページ
http://www.polamuseum.or.jp