桜の向こうに雪が残る山並み、水が入り始めた水田のきらめき。
深い緑に覆われた夏の森、群れ飛ぶゲンジボタル。
波打つ黄金の稲穂、道端に静かにたたずむ野仏。
人の消えた冬の田園、雪に覆われた幻想的な白の世界。
先日、写真展「今森光彦 にっぽんの里山」を見に、東京都写真美術館に伺いました。私は以前から今森さんの写真に強く惹かれていて、とても楽しみにしていたのです。今回の個展は、今森さんのこれまでの集大成であり、大勢の人が詰めかけていました。
列に並んで美術館に入り、作品をじっくり拝見しながら、日本の里山を旅しているような気持ちになりました。そして不思議な思いにかられていきました。
今森さんの写真によって、私の記憶の扉が開きはじめたのです。胸の中に眠っていた記憶が、ひとつまたひとつ、それは鮮やかに呼び覚まされ、いつしか私は、かつてお訪ねした里山や、出会った人、そこで目にした人々の営み、いただいた言葉の数々、その記憶の渦に、喜びとともに包まれていました。
今森さんが写真家として立たれたのは、高度成長期によって、日本から自然が失われていく時期でした。
それは、私が民芸に惹かれ、日本中を旅するようになった時期とぴったり重なります。各地で古い家が壊されるのを目にし、せめてその梁や柱だけでも次世代に自分の手で渡したいと、12軒の古民家の古材を譲り受け、1本の木も無駄にしないと決め、箱根に家を建て始めた時期でもありました。
女優の仕事も充実していました。プライベートでは4人の子どもに恵まれ、子育て真っただ中でもありました。けれど、わずかな時間を作っては、私は何かに追われるように、農村漁村を訪ね続けました。
小さい子をおぶって、両手に子どもの手をにぎり、山道を歩いたこともありました。ひと夏、子どもたちとともに、ダムに沈む村で暮らしたこともありました。
なぜ、そんなにまでして、自分は日本の里山を訪ねるのだろうと自問したことも、一度や二度ではありません。宮本常一さんの本に感銘し、映像民俗学者の姫田忠義さんに導かれたのも理由のひとつでしょう。民芸の柳宗悦先生の生き方、ものの見方にも大きな影響を受けました。それだけではなく、私の中に、強烈な渇望のようなものが常にあった気がします。
いつからか、私は旅人なのかもしれないと思うようになりました。豊かな自然、豊穣で素朴な人の営み、人々が作ってきた美しい景観を見て、そこで暮らす人と語り合い、その場の風に吹かれることが、私に、生きる喜びと前に進むエネルギーを与えてくれるのです。
失われていく美しい風景を心にとどめ、その保持のために微力であっても行動したいとも思いました。
農山漁村の美しく緑豊かな自然環境や景観、歴史、風土を基盤とした居住快適性の保全と形成に自助努力を続けている地域を表彰する「農村アメニティ・コンクール」や、地域の特産物を活用した起業活動などを行うことで地域づくりに貢献している農山漁村の女性グループを表彰する「食アメニティコンテスト」に長く参加し、さらに「食アメニティー女性ネットワーク」を作り、豊かな農村社会の発展と後継者育成のために力を注いできたのも、そうした思いがあってのことでした。
今も、私は、里山の魅力を積極的に伝えようとしている若者に会うために、あるいはその地域の新しい可能性を模索しているグループにエールを送るために、そして、それぞれの土地の空気を胸いっぱいに吸い込みたくて、旅を続けています。
今森さんの写真を前にして、なぜ里山を抱く農村漁村への旅を、私が半生をかけて続けて来たのか、その本当の理由が、ようやくわかったような気がしました。
涙が出るほど、日本の里山はきれいだからです。
農家の人が米を作るために、土手を整え、小川の水をひき、作ってきた棚田。
人々の汗、森の香り、葉ずれの音、風にそよぐ草。
空の丸さと広さ、柔らかな光と影。そこに生きるたくさんの生物の熱い鼓動。
日本の里山ほど、自然と人が調和して、多様性に富むところは他にないのではないでしょうか。
今森光彦さんの写真展は9月29日まで開かれています。今森さんのライフワーク、里山シリーズをぜひご覧になってください。 そして、胸に迫る風景をみつけたら、その場所を訪ねてみてください。五感を開放し、その場に立って、空を見上げ、風に吹かれ、そこで暮らす人に出会ってください。それがきっと、あなたの魂の栄養となってくれるはずです。