箱根三三落語会

落語家・柳家三三師匠をお迎えしての”箱根やまぼうし”での落語会も、今回で15回目を迎えました。

30名限定のこじんまりしたスペースでの落語会。晩秋の穏やかな日。まさに”小春日和”。日ごと寒さも深まってきた箱根ですが当日10日(土)は暖かく穏やかに晴れわたり、家の前の公園の木々も紅葉の見ごろを迎え師匠の落語を堪能いたしました。

落語家はしゃべりと仕草だけで、舞台の上にドラマ世界を作りあげるのですが、師匠が話しはじめると、登場人物の持つ空気感がじんわりと伝わってきます。その人物像、時代背景、場所の雰囲気、人々の息遣いまで間じかに感じ、かつての庶民の暮らしに思いを馳せます。

その日の演目は『風呂敷』と『笠碁』。

三三師匠は1974年小田原出身。1993年に柳家小三治師匠に入門。前座名は「小多け」。1996年5月二ツ目昇進(三三と改名)し2006年3月真打昇進。全国各地での落語会、独演会はいつも満席。私は沖縄での高座もお聴きしたことがございますが、沖縄にも熱心な落語ファンが大勢いらっしゃいます。

柳家小三治師匠の”おっかけ”からはじまり、三三師匠の高座をこうして皆さまとご一緒に聴かせて頂き、暮らしに変化をもたらしてくれます。

終わってからは師匠を囲み、湘南のフレンチレストラン『メゾン・ド・アッシュエム』のお料理をいただきながらのひととき。

毎年春と秋、2回の開催です。来年は5月と11月を予定しております。
ご興味のある方は『箱根やまぼうし』のホームページでご覧ください。

日程が決まり次第、ご案内いたします。

映画『嘘はフィクサーのはじまり』

私の大好きな、大好きな、ファンのリチャード・ギアの主演作品です。

『溢れるウイットと歪んだ人間賛歌。
見たことのないリチャード・ギアにのけぞった。
ノーマンはさながら神話の主人公だ。
負け犬で、奴隷で、ほら吹きで、夢見る男・・・・・
ソール・ベローやフランツ・カフカ、
アイザック・バシェヴィス・シンガー、
そしてメル・ブルックスとコーエン兄弟の主人公たちがそこにいる。』
[ニューヨーク・タイムズより]

これだけで、これまで私たちが見ていたきたリチャード・ギアとは違うことがお分かりいただけるでしょう。彼が今まで演じてきた役柄はある意味で共通するところがあり、そこがまた素敵でセクシーで私など首ったけでした。

「愛と青春の旅だち」(82)、「コットンクラブ」(84)、90年の大ヒット作「プリティーウーマン」、「心のままに」(93)、「シャル・ウイ・ダンス?」(04)など等。

俳優活動の傍ら、熱心なチベット仏教信者で人道主義者としても活動しています。そんな彼が今回選んだ作品のノーマン・オッペンハイマー(リテャード・ギア)はくたびれたキャメルのコート、茶色っぽいハンチング、黒いショルダーバックをたすき掛けして、つねに携帯電話のイヤホン(マイク付き)を耳にかけしゃべりまくる・・・。

名前はユダヤ系。6ヶ月にわたり自分自身とは真逆の世界を生きるキャラクターの所作やボディーランゲージを学んだそうです。『耳を少したててみたんだ。ちょっと滑稽にみえるくらいに』と。

ノーマンを取り巻く人々は、イスラエルのカリスマ政治家で首相。ユダヤ人弁護士。有名実業家。イスラエル法務省の女検察官等。「フィクサー」「ユダヤ人」「アメリカとイスラエル」「ニューヨーク」これだけでストーリーは想像していただけるのではないでしょうか。イスラエルとアメリカの合作です。

監督・脚本のヨセフ・シダーは仰います。『リチャードを今まで私たちが見ていた姿とは全く違うように見せたかった』と。かっこいいアルマーニのスーツも着ていないし・・・。

監督は1968年ニューヨーク生まれ、6歳でイスラエルに移住した経歴の持主。映画のなかでは英語とヘブライ語が入り混じり、センスよくニューヨーク的とイスラエル的が交じり合い、『あ~スーパーでなく言語がわかったらこのニュアンスはより理解できるのに~・・・』と思った私でした。

この映画には悪党の姿はありません。お金の受け渡すシーンも出てきません。リチャード・ギアの意気地のない顔、度胸のない顔、自信のない顔・・・それでいて可愛らしい大人の男の姿を見せてくれます。

ストーリーはあえて載せません。国際色豊かな実力者たちがギアをサポートします。

あ~やっぱりギアさまは素敵!やはりシャレてる。

と、同時に混迷する世界のなかで政治、経済、社会、宗教、人種・・・さまざまなテーマを見せてくれた作品です。少し、疲れましたが忘れられない映画でした。

映画公式サイト
http://www.hark3.com/fixer/

全員巨匠!フリップス・コレクション展-三菱一号館美術館

全員巨匠!フリップス・コレクション展

ワシントンDCに1918年に創設され、1921年にフリップス・メモリアル・アート・ギャラリーとして開館した美術館。実業家フィリップス氏が生涯をかけて収集したコレクションはまさに、『全員巨匠!』ピカソ・ゴッホ・モネ・ボナールなど。

ひとりのコレクターが収集した年代順に展示されていて、その源泉をたどることができます。強い情熱と高い見識は見事としかいいようがありません。

秋の暖かな陽光の中、丸の内まで出かけてきました。「三菱一号館美術館」です。お昼時は中庭でランチをするサラリーマン。子供連れのママ達。大都会のなかのオアシスのような空間です。

この美術館の建物が生まれたのは19世紀末。明治期のオフイスビルが復元され美術館へと生まれ変わったのです。フィリップスミュージアムも彼の館が美術館へと生まれ変わり、ともにレンガつくりの瀟洒な建物です。

正直に申し上げると『心地よい疲労感』で、観終わってからカフェでひと休みいたしました。室内にどのように飾られていたかも写真で見られますし、私がまず感銘をうけたのはフリップ氏の絵画・画家への想いがつづられている文章です。

『絵画は、私たちが日常生活に戻ったり他の芸術に触れたりした時に、周囲のあらゆるものに美を見出すことができるような力を与えてくれる。このようにして知覚を敏感にするよう鍛えることは決して無駄ではない。私はこの生涯を通じて、人々がものを美しく見ることができるようになるために、画家たちの言葉を人々に通訳し、私なりにできる奉仕を少しずつしてきたのだ・・・』

会場に入りいきなり観たかったウジェーヌ・ドラクロアの「ヴァイオリンを奏でるパガニーニ」の演奏する姿にはのけぞってしまいました(笑)”きっと奥のほうにある”とばかり思っていましたから・・・購入順に展示されているからなのですね。

そんな展示のしかた等お話を館長の高橋明也さんから伺いました。

以前三菱一号館美術館のホームページで対談をさせて頂きました(館長対談で掲載中)。共感できることが多々あり、”これからの美術館のあり方”など、じっくりお話を伺いたくラジオ「浜 美枝のいつかあなたと」にお迎えしお話を伺いました。

高橋さんは、1953年生まれ。

1965年に大学教員だった父のパリ赴任に伴い、12歳の時に横浜港から船でフランスに渡ります。10代の多感な少年時代、言葉も分からず遊び場は週1回無料開放しているルーブル美術館だったとか。その後、東京藝術大学大学院 美術研究科修士過程を終了。オルセー美術館開館準備室に勤務され、国立西洋美術館主任研究官などを経て現在にいたっておられます。

私が一番伺いたかったのは海外の美術館では、子供たちが床に座り込んで絵をスケッチしている光景をよく見かけます。日本では難しいのか・・・無垢な子供たちが本物に出会い、本物を見る目を養っているの姿を館長はどのようにお感じになっておられるのか。など等、話しはつきませんでした。

ラジオをお聴きください。
そして来年2月11日まで(フリップスコレクション)は開催されています。
美術館のホームページの(館長対談)も覗いてみてください。

「浜 美枝のいつかあなたと」
文化放送 11月18日
日曜日10時半~11時まで。

三菱一号館美術館公式サイト
https://mimt.jp/

秋の箱根の美しさに誘われて

黄金色の稲穂がたわわに実り、日本の農村風景の中いちばん似合う秋。そして最も馴染みの深い花”コスモス”。農家の庭先に、楚々と咲きながらたくましいコスモスの花。私の好きな花です。

秋の冷たい空気や寒さを感じるこの頃。空気が日増しに冷えて晩秋を迎えるまえの箱根はことのほか美しいのです。毎朝の早朝ウオーキングで湖畔から拝む霊峰富士は”身に入む”・・・という表現がぴったりです。そんなある日思い立ち、そうだわ、箱根散策をしましょう!とバスで出かけてきました。

我が家から仙石原界隈は1回のバスの乗り継ぎで約1時間です。

まず向かった先は『箱根湿生花園』。

子供が幼い頃はよく連れて行きましたっけ。ここは山野草を知るには四季折々とてもよいところなのです。仙石原に生息する湿原植物、高山のお花畑と岩場植物、落葉広葉樹林の植物、そして低層湿原の植物、川や湖沼の周辺で咲くミズバショウなどは春にそれは見事です。コナラ、ケヤキ、ヒメシャラ、箱根ならではの”ヤマボウシ”。

この時期は、イワヒバやホトトギス、リンドウ、ダイモンジソウなどが咲き、日本で始めての湿原植物園には日本各地に点在する湿地帯の植物200種のほか、草原や林、高山植物1100種が集められています。この日は穏やかな秋の柔らかな日差しの中をゆったりと歩き植物との対話ができました。

そして歩いて20分ほどのススキ草原へと向かいます。

日曜日ということもありかなりの人出でしたが、皆さん銀色に輝くススキに笑顔がこぼれます。私の後ろを歩く方は箱根登山鉄道で湯本から強羅まで来てからバスでみえたようで、『すごいよ、スイッチバックで上ってきたよ~』と聞こえます。急勾配を克服するための手段。いまや大変な人気でわざわざ乗りに来る方もいらっしゃるようです。

11月初旬からは箱根の紅葉も見ごろを向えます。大涌谷と駒ケ岳にある二つのケーブルカーも新たな車両が運行され賑わっております。子供の小さな頃のピクニックコースでもありました。頂上に着いたら、お弁当。大きなおむすびをほうばり、美しい景色を眺めての散策。この箱根での子育てはかけがえのない時間でした。

さて、ススキ草原を後に、また30分ほど歩いて今度向った先は私の大好きな美術館『箱根ラリック美術館』。

現在「オパールとオパルセント・魔性の光に見せられて」が開催されています。ルネ・ラリックの心を奪った魅惑のオパール。ラリックは独創的なデザインをアクセサリーで表現しています。ジュエリーと、計算されつくした輝きを放つ・・・と解説されていますが、オパルセントガラスを使ったラリックの作品の数々は繊細で、優美で、観る側を虜にするミステリアスな美・・・です。

カフェでお茶をいただきながら、つかの間の散策に心が満たされ”幸せ”とつぶやいておりました。

夕暮れの芦ノ湖の向こうに霊峰富士をみて家路につきました。

皆さま、どうぞ美しい晩秋、箱根に紅葉をぜひご覧にいらしてください。そして、箱根にはポーラ美術館、ガラスの森美術館、星の王子様ミュージアムなど多くの素晴らしい美術館があります。強羅からは巡回バスも出ております。

なんでもない日常がほんとうにいとおしく感じるこの頃です。”やりたいと思ったら、行きたいと思ったら”、いつか、と先送りせず、即、行動。それがご自分への”ご褒美”ですよ。

長野 上田・東御(とうみ)への旅

以前私が長野ひとり旅をブログへ掲載したのをご覧になった女友だちが『私も行ってみたい~!』ということで、3人旅をしてまいりました。

忙しい友人達は1泊2日の旅でしたが、私は前日に上田入りをして、上田の街を存分に散策いたしました。

なぜって・・・この街には何度も・何度も駅に降り立ちそのまま行く場所があるのです。でも30年ほど前は子育てや仕事で目的の場所を訪ねたらとんぼ帰りでした。

その場所は神川(かんがわ)小学校。校門を入り中庭に山本鼎の碑があります。1882年10月24日に愛知県岡崎町で生まれ、漢方医の父が神川村大屋(現上田市)に医院を開業、一家で移住します。

その前に西洋医学を学ぶために一家は浅草に住んでいました。9年間木版工房で修行し、版画職人を目指し自立する道を歩むのですが、恋にやぶれた鼎はパリへと旅立ちます。

貧困の生活の中での勉学。渡仏中、島崎藤村との親しい交友関係もでき滞在中に得たことは「リアリズム」と鼎は後に語っています。ロシア経由で帰国の途につく。モスクワに半年ほど滞在し、そこで目にした「農民が農閑期に作る工芸」に魅了され、帰国後”農民美術運動”を興します。

同時に私が感銘をうけたのは子供たちへの”自由画運動”でした。神川小学校で子供たちに自由に絵を描かせます。校庭の碑には友人の画家、中川一政の文字でこのようなことばが記されています。

自分が直接
感じたものが尊い
そこから種々の
仕事が生まれて
くるものでなければ
ならない               鼎

そうなのです。仕事をしていて迷ったり悩んだり・・・どのようにして前に進めばいいのか・・・そんな時に、このことばに出逢いたくて神川小学校に何度も通ったのです。

ですから上田の街はまったく知りませんでした。今回はたっぷり楽しみました。お薦めを何ヶ所かご案内しますね。

まずお昼は由緒ある古民家でのこだわりのお蕎麦。趣のある部屋でゆったりいただけるのが嬉しい『くろつぼ』さん。私は結局2日ともお昼はここでいただきました。

『BOOKS&KAFE NABO(ネイボ)』
NABOとはデンマーク語で「隣人」ということだそうです。約5000冊の本が美しく置かれ、本好きであろうスタッフが静かに迎えてくれる空間は旅の寄り道には最高。

珈琲の香りと古本の中から見つけた本『老いの語らい』。今は亡き私の尊敬する女優さん沢村貞子さん。幸田文さん、戸板康二さん、山田太一さんなどとの語らいと沢村さんのエッセー。

1996年夏、沢村貞子さんは八十七歳の生涯を閉じられました。”あとがき”には生前の望みどうり、二年まえに逝った最愛の夫・大橋恭彦氏とともに、夕日の映える墓地、相模灘で眠っておられます。と、あります。

沢村さんのエッセーはほとんど読んでいたつもりが、なぜか見落としておりました。と、いうよりこの年齢になったから出会えた本なのでしょう。いつか、沢村さんとの思い出は書かせていただきますね。ほんとうに・・・今出逢えてよかった本に上田で出逢いました。

旧北国街道沿いの柳町へと向かいます。

農民美術の家と称する「アライ工芸」には農民美術が静かに佇んでいます。映画のセットに紛れ込んだようですが、そこは人々の暮らしがしっかりあり匂ってきます。

パンの幸せな香りがしてきます。天然酵母自然派のパン屋さん『ルヴァン』。奥と2階にカフェがありひと休み。どの店からかジャズの響きがしっくり調和し、ワインを軽く飲める古民家でも農民美術のこっぱ人形が迎えてくれます。

駅前に戻り100年続く伝統の味 『飯島商店・上田本店』へ。大正モダニズムの建築は、落ち着きます。季節のジャム「ほおずきジャム」や「ブルーベリージャム」、そして上田銘菓「みすゞ飴」を。私大好きなのですこのゼリーのような飴、果実の甘味と酸味がほどよくやみつきになります。

街を散策して最後は『サントミューゼ 上田市立美術館』で11月11日まで「ウィリアム・モリス展」が開催されていましたので観ました。

19世紀を代表する芸術家・詩人・作家・思想家・社会運動家、どの分野でもリーダーでしたが、今回の展覧会はデザイナーとしてのモリスに焦点をあてている素晴らしい展覧会。美しいイギリスの風景もデザインされている一方でモリスの人間関係での悩みを乗り越えたデザインには興味がわきます。隣接して「山本鼎展」も観られ充実した一日でした。

翌日は友人を駅で迎え、上田城・資料館を見る人、街を散策する人。夕方には前回と同じ上田駅からしなの鉄道3つ目の田中まで行き、「農の家」のご主人の迎えをいただき、宿へ。

心おきなく宿でおんな3人くつろぎ、おしゃべりにワイン!「農の家」は自給がほとんど。耕起せずに作られた野菜や果物の美味しいこと。また帰って来たくなる宿です。

翌日は北国街道・海野宿へ。江戸時代に中山道と北陸道とを結ぶ街道。かつては宿場町から蚕種業で栄え、”うだつ”のある家々がおおいのはまさに”うだつがあがった”のでしょう。

旅の最後は楽しみにしていた玉村豊男 抄恵子ご夫妻のヴィラベストでのランチ。葡萄畑や美しい花々を眺めながらの食事は至福のときです。

健康で美味しくいただけて、素敵な友人との旅はこれからもつづけたいです。

帰りの新幹線では沢村貞子さんの『老いの語らいを』を読みながら 『あるがまま』に生ききった沢村さんにはとうてい近づけませんが、旅は続けていきたいです。

特別展「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」展

鎌倉時代に建てられた木造の本堂が国宝に指定されている「大報恩寺(だいほうおんじ)」。古刹に伝わる慶派のみほとけ展が10月2日から12月9日まで上野の東京国立博物館平成館で開催されています。

私は特に定慶作のほとけさまが好きで行ってまいりました。

運慶晩年の弟子の肥後定慶の「六観音菩薩像」(重要文化財)」は優美で、気品があり、快慶、行快作の秘仏本尊釈迦如来坐像はお寺以外で拝観できるのは今回の展覧会が初めてです。

大報恩寺は、応仁の乱の西軍総大将・山名宗全邸から至近距離にあったので、以前訪ねたときに本堂には応仁の乱の際についた刀傷が残されていましたが、よくこれら「みほとけ」が無事であったことにあらためて手を合わせました。

会場は鎌倉彫刻の宝「快慶」の一番弟子、行快が制作した釈迦如来坐像に快慶最晩年の十大弟子立像が周りをかこみます。このような見方はお寺では無理で博物館の展覧会ならではです。そして、次の会場に入ると定慶による六観音菩薩像が360度、ぐるっと後ろのお姿も拝観できるのです。

2020年には開創800年を迎えられる大報恩寺。北野天満宮の近くなのでたびたび訪ねますが、今回秘仏本尊「釈迦如来坐像」を拝ませていただき、当時貴族から庶民まで信仰を集め親しまれたことがよくわかります。

そして足を進めると私が憧れている定慶による六観音菩薩像に出逢えます。

後期(10月30日から)は観音像の後背が取り外しになり展示されるとのこと。こうした取り組みは国立博物館初めての試みだそうです。これも博物館の展覧会だからこそできるのでしょうね。

12月9日までにはもう一度行きたいと思います。透かし彫りの後背のシルエットの美しさと取り外したお像の後ろのお姿・・・と両方覧ることができるのですものね。

最後の最後に出逢える定慶の『聖観音』(撮影可)の前に立ち心静かに、この時代を生きた慶派”快慶・定慶”に。そして『みほとけ』に心のなかで手を合わせ会場を後にしました。

会場に若い女性たち、外国人の姿も多くみられました。

東京国立博物館公式ホームページ
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1914

「徹子の部屋の花しごと」

今回のラジオのゲストは花を活けた回数1万回以上。テレビ朝日『「徹子の部屋」の花しごと」』をお書きになられたフラワーアーティストの石橋恵三子さんです。

石橋さんは1940年、東京・文京区のお生まれ。日本のテレビ黎明期から、様々な番組作りを支えてこられました。テレビや映画で使用される花や食べ物を指す業界用語「消えもの」を日本で始めて担当し、放送開始から42年を迎えた名物番組「徹子の部屋」では、その日のゲストに合わせて初回からずっと花を活け続けていらっしゃいます。

テレビをご覧になった方々も、ゲストのお話はもちろん、中央に飾られている花に目がいきますよね。事前に調べておいたゲストのイメージメモをもとに、アレンジを組み立てていくのだそうです。

その日のお花の状態を見ながら、そしてご自身の直感を信じながら、アレンジしていくとのこと。まさに番組や黒柳さんの伴走者でもあります。番組で飾った花は毎回アルバムに保存し、活けた花の名前も全て専用ノートに毎日記録しているとか。

ラジオではゲストとの”石橋ミラクル”と呼ばれる奇跡を呼ぶお話もうかがいました。事前にゲストが誰かを調べて、その人の最近の出演作や近況からイメージを膨らませて飾る花をきめるのだそうです。

時には季節はずれの花(たとえば桜など)もそろえます。特に想い出深いのは高倉健さん。とおっしゃいます。高倉さんの好きな花が「都忘れ」であると聞き、収録に間に合うように頑張って房総まで調達しに行き、生けたそうです。

せっかくなので花束にして収録後に差し上げたら、その都忘れの花束から1本抜いて「ありがとう」と石橋さんに差し出してくださったとのこと。「なんて粋で素敵な振る舞いでしょう!」とおっしゃいます。

結婚や出産、女性がそれらを仕事と両立させていくにはどれほどのご苦労があったことか。一番の理解者はご主人。輝きながら仕事をする石橋さんを精神的に支えてこられたのですね。

『私にとって花とは何か。あらためて考えてみると、それはやはり「人生そのもの」。花がきっかけで人と出会い、仕事になり、その仕事が私の生活を支え、何にもかえがたい生きがいをもたらしてくれました。花があって生かされた私。死ぬまで花に囲まれていたいと思っています。』と目を輝かせて語る石橋さんはまるで少女のような美しさと、仕事をする女性として凛とした姿。眩しいほどでした。

私も「徹子の部屋」には何度か出演させていただきましたが、白と赤の花がいつもバリエーションを変え徹子さんと私の間、真ん中に生けてくださいます。

そして、収録の日は素敵な花束を頂戴いたしました。テレビスタジオとはまた違い濃いローズ色のダリアとユリなどシックな大人の色の花束でした。

素敵なお話をうかがえました。
ラジオをぜひお聴きください。そしてご本を手にとってください。

放送日は10月14日(日)、10時半~11時
文化放送「浜美枝のいつかあなたと」

映画『プーと大人になった僕』

1924年に英国の作家A・A・ミルンが生み出したキャラクター「ウィニー・ザ・プー」。

『くまのぷーさん』と親友の少年クリストファー・ロビンが長い時間を経て再会するファンタジー。「100歳になっても、きみのことは絶対に忘れない・・・」そう誓って離れ離れになったプーさんと少年が、旅行かばん会社の部長となったクリストファー・ロビンと再会するのです、プーさんと。

物語の舞台は、第二次大戦後のロンドン。部長として働く彼はいつも眉間にシワを寄せ、部下のリストラを迫られ、頭の中はいつも仕事でいっぱい。可愛い娘、愛する妻ともすれ違いが続き、「今一生懸命働いているのは家族の将来のため」と妻に。妻は「それより今一緒にいたい」「覚えてる?私はあなたの妻よ」と皮肉めかして返す。家族と過ごす時間よりも仕事・仕事。

そこへプーさんが現れ、かつて遊んだ森へと誘います。

映画を観始め、プーさんが現れ、実写の世界で動いている。動いているプーさんが!と、私。プーさんが大好きな私はもう、もう、涙がこぼれそうに感動です。8月の「石井桃子展」の記事にも載せましたが、私がプーさんの本に出逢い、アメリカのディズニーでプーさんのぬいぐるみに出逢い、飛行機で一緒に帰国したお話はぜひブログをご覧ください。

うっかり屋でトンチンカンなプーですが、「仕事って、ぼくの赤い風船より大事なの?」「何もしないことが何かにつながる」など、ハッとする一言を無邪気に言うプーには忘れかけていた少年時代の心をとりもどさせてくれます。

子供時代を過ごした森に戻り「今」を大事に生きるプーたちとの時間は、”何が大切か”を教えられます。今の日本人には耳が痛いですね。朝から晩まで働き、家族より仕事を優先させてきた私の世代は特に考えさせられるのではないでしょうか。

現代の若者たちは違いますね、むしろ大切なことは何かを知っているように思います。

今回主演したユアン・マクレガーは語ります。「子供の頃は誰もがそうなのに、大人になると変わってしまう。人が失ってしまったものを思い出させてくれるから、僕はプーさんが好きなんだ」と。

ミルンの物語は、当時戦争で疲れた大人をも魅了したのでしょうね。そして、戦後小学生だった私は、カマドの前で火の番をしながら何だか寂しくなってきて、涙がポロポロこぼれてきた時、プーさんが現れて励ましてくれましたっけ。

映画が終わり、会場が明るくなり後ろを歩いている30代らしき男性2人がささやいていました。「そうだよな~、働き過ぎだよな~俺たち」。

「そうですよ、少しはリラックスしてくださいね~、あなたにとって幸せって何ですか?」と心の中でエールを送った私。爽やかで暖かな気分になる映画でした。

映画公式サイト
https://www.disney.co.jp/movie/pooh-boku.html

映画『輝ける人生』

原題は『FINDING YOUR FEET』
どのような訳になるでしょうか。

「自立して歩き出そう」「自分の足で立ちなさい」・・・輝ける人生を送るためには”自分の足で立つ”。もうじゅうぶん人生を経た60代の男女のラブストーリー。この映画は年輪を重ねた人にこそ問いかけたかったのでしょう、監督は。

だって「自立して歩き出そう」って若者に使う言葉ですよね。その言葉をあえて原題にしたのには訳があります。

35年間専業主婦だった主人公サンドラ(イメルダ・スタウントン)が、夫の浮気をきっかけに人生を見つめ直す物語。舞台はロンドン。

35年も連れ添ったマイクは、州の警察本部長を勤め上げた功績が認められて、ナイト爵を授与されました。

家でお祝いのパーテイが行われていた最中・・・(映画なのでストーリーは詳しくは載せませんね)家を飛び出し向かった先はサンドラの姉のビフ(セリア・イムリー)のもと。

サンドラはテニス仲間に囲まれて楽しい年金生活が待っていたはずなのに・・・突然の夫の裏切り。

傲慢に振舞うサンドラ。姉のビフは自由に独身生活を謳歌しているようにみえるのですが、ラストシーンちかくで真実がわかります。

姉は気分転換にとサンドラをシニア向けのダンス教室に連れ出します。教室には様々な事情を抱えるシニアが参加しています。この人間模様が素晴らしいのです。この映画に登場する男女は、真に大人でそれぞれが、自分らしく誠実に生きている。

そうなのですよね~、誠実に生きることの難しさ、窮屈さ、はじめはそんなつもりではなく良い妻、良い母であろうと努力をします。しかし、その窮屈さを感じてしまったら、サンドラの選んだ”道”は・・・やりなおすきっかけはすぐそばにあった。

コメディーとドラマと恋愛をこれほどチャーミングに見せてくれた監督は数々の賞を受賞しているリチャード・ロンクレイン。

モーガン・フリーマンとダイアン・キートン主演の『ニューヨーク 眺めのいい部屋売ります』など大人の映画の名手。みんなが踊るダンスナンバーが充実しています。

イギリスの名優たちが演ずるちょっとほろ苦くも優しく愛に満ちた演技は観終わったあとに”女性としてのこんな気持ちを持ち続けていたい!”と思わせてくれるし、人生後半生を、心から楽しむ勇気を与えてくれる映画ですし、生きる力を、そして『自分の足で立つ』ことで”輝ける人生があることを教えてくれます。

最上のラブストーリー!世界的な高齢化時代に伴い、こうしたストリーに寄り添うことの幸せをプレゼントしてくれた映画でした。それにしてもラストシーンの鮮やかなこと!

映画公式ホームページ
http://kagayakeru-jinsei.com/

没後50年 藤田嗣治展

約100年前、パリを拠点に海外で活躍した藤田嗣治(1886~1968)。没後50年の節目に、代表作約120点を集めた回顧展が、東京・上野の東京都美術館で開催されています。

これまで、何度となく藤田の展覧会には足を運びましたが、今回の回顧展は点数だけではなく、章ごとに藤田の人生と絵画世界をより知る構成になっています。

改めて藤田嗣治について語る必要のないほど日仏を舞台に活躍した画家・藤田嗣治。

今回の回顧展では26歳で仏に渡り、風景画や静物画を手がけ「乳白色の裸婦」で評価を高め、パリ郊外にある小さな村”ヴィリエ・ル・バクル”で藤田が終の棲家として死の直前まで君代夫人と暮し、81年の生涯を閉じるまでその家で使っていた手づくりの身のまわりの品々まで見ることができます。

箱根ポーラ美術館で『藤田嗣治~手しごとの家』を観てその生涯を知りたくてパリ郊外の小さな家を訪ねたのが2011年9月のことでした。
そのときのブログをご覧ください。2011年9月23日

乳白色の裸婦から「自画像」へ。この自画像(東京国立近代美術館蔵)で謎がとけるようにも思います。

そして27歳の時に現地で描いたおかっぱ頭の自画像が、宇都宮市内で見つかった。と新聞に先日報道されていました。パリで藤田と交流があった作家・島崎藤村らと友へ送るために寄せ書きをしているという記事です。もっとも古いとされています。他の画家の”自画像”とは異なるのです。

そして『戦争画』。3年前、東京国立近代美術館で藤田の戦争画全14点が一挙に公開され、大画面のその戦争画を観たときには「藤田と戦争」について考えてみました。

ヌードを描いた人が戦争画を描く。そして、祖国を去らざるをえない状況になり、最後は宗教画に打ち込み、洗礼を受け、静かに人生の幕を閉じます。

先日NHKの「日曜美術館」を観ていたら、終の棲家のアトリエから藤田自身の”生の声のテープ”が発見されオンエアされました。それは、ユーモアをまじえながらの藤田の”遺言”のような気がしました。

「天声人語」が心に残りましたのでここに載せます。

太平洋戦争末期、俳優の児玉清さんは東京から群馬へ集団疎開していた。ある日、教室で先生から言われた。「悲しいニュースがある。東京に空襲があって、君たちの中に家が焼けてしまった人がいる」。ところが、家が焼けたと伝えられた子たちは喜んで万歳をはじめた。

児玉さんもその一人だった。「お国のために役に立ったんだと、誇らしい気がしてね」。家が無事だった子たちはしゅんとしていたという(梯久美子著『昭和二十年夏、子供たちが見た戦争』)

身に降りかかった災禍を、栄誉と思い込む。戦時下の異常な発想が、子どもにも浸透していた。この絵にも、そんな空気がまとわりついていたのだろうか。東京都美術館で開催中の藤田嗣治展で、戦争画「アッツ島玉砕」を見た。

北太平洋の島で日本軍2600人が全滅した戦闘に、洋画家は材を取った。暗い色調。敵味方も判然としない兵士たちが、折り重なるように闘う。苦痛に顔が歪む者。いま見ると反戦画かと思えてしまう。

藤田が会心の作としたこの絵は陸軍に献納され、戦意高揚に使われた。公開されると、絵の前でひざをついて祈る人もいたと伝わる。死は、社会に埋め込まれていった。やがて「一億玉砕」が叫ばれるようになる。

戦前のパリで名声を得た藤田の絵は、画面に広がる乳白色が特徴だった。その画風を捨てて打ち込んだ戦争画は賞賛され、戦後は手のひらを返すように批判された。時代に歯車を狂わされた一人であろう。(8月23日掲載の朝日新聞)

テープの中から聞こえてきた藤田の声。

会場最後に飾られている箱の上の十字架風の祭服を着た幼子イエス・キリストが描かれた(十字架)は、藤田亡きあと君代夫人の枕元にいつも置かれていたそうです。

最後に、10年ぶりに撮った小栗康平監督の映画『FOUJITA』(ブログに載せております2015年10月16日)で監督はこう語ります。

『フジタが生きた二つの時代、二つの文化の差異。パリの裸婦は日本画的といってよく、反対に日本での”戦争協力画”はベラスケス、ドラクロアなどを手本としてきた西洋クラッシックの歴史画に近いものだ。これを、ねじりととるか、したたかさととるか。ともあれ、一人の人間が一心に生きようとした、その一つのものだったか、を問いたい』と。主演はオダギリジョーさん。

回顧展を観てから一ヶ月。カタログを見ながら、やはりフジタは人間への愛と絵画への情熱をもち続けた画家であったと改めて思いました。

東京都美術館 公式サイト
https://www.tobikan.jp/exhibition/2018_foujita.html