新しい年、2025年が始まりました。
新型コロナウイルスのパンデミックで幕を開けた2020年代、その後に欧州で起きた戦争、中東での争い、極右政党の台頭などによる各国の政治的混乱、日本近海に潜む危機、さらには気候変動による生物的多様性の喪失と生態系の崩壊の足音……。
私たちはいったい、どこに向かっているのでしょう。
そんな気持ちを抱きながら、昨年の11月、沖縄を訪ねました。旅の目的は、那覇市の県立博物館・美術館で開催中の特別展「芭蕉布展」でした。学芸員講座「芭蕉とシマの生活誌」にも参加して、芭蕉布の美しさの背景にある沖縄の暮らし、布にこめられた人々の祈りについても改めて考えることがきました。
かつて琉球各地で織られ、国王から庶民まで身分差なく着られてきた、軽く涼やかな芭蕉布。バナナの木に似た「糸芭蕉」の繊維を織り上げた、沖縄にしかない布織物です。
2014年、天皇・皇后両陛下が沖縄を訪問されたとき、白いスーツ姿の美智子さまの胸元と袖口、帽子にも、この芭蕉布があしらわれていました。芭蕉布という伝統織物に、沖縄の人々と歴史に礼を尽くしたいという美智子さまの思いがこめられているようで、胸がいっぱいになったのを覚えています。
「芭蕉布展」を見ながら、戦後芭蕉布を復興させた平良敏子さんのことを思わずにいられませんでした。
大宜味村喜如嘉に生まれた平良敏子さん。幼少時代から、芭蕉布を織る母親の背中を見て育ちました。戦争中は岡山県倉敷市で、平良さんは女子挺身隊の一員として就労。
終戦後は、倉敷紡績北方工場に就職しました。そこで大原總一郎社長と出会い、織りや染めの基本を学びます。總一郎氏は、大原美術館をつくった大原孫三郎氏の長男で、「美術館は生きて成長してゆくもの」という信念のもと、大原美術館を大きく発展させた人物です。
總一郎氏を通じて、柳宗悦氏が提唱した民藝運動に感銘を受けた平良さんは、やがて故郷の芭蕉布をよみがえらせることを決意し、喜如嘉に戻ります。
そして平良さんは、戦争未亡人やその周辺で暮らす人々に呼びかけながら、喜如嘉で共に芭蕉布づくりに取り組み続け、沖縄県が日本に復帰した2年後の1974年、「喜如嘉の芭蕉布」は国の重要無形文化財に。2000年には、復興に尽力した功績を讃えられて、平良さんは人間国宝に。2022年9月に101歳で亡くなられるまで、生涯を芭蕉布づくりに捧げられました。
民芸運動の創始者・柳宗悦氏の「民藝のふるさとは沖縄にあり」という言葉に背中を押され、私は、返還前から沖縄に通い続けてきました。壷屋焼や宮古上布、紅型、そして芭蕉布といった沖縄の手仕事に、心奪われ、その担い手である人々とも交流を続ける中、平良さんにも、お会いする機会がありました。
「原料である糸芭蕉の栽培から、糸を績み、色を染め一反の布に織り上げる……芭蕉布づくりは手間と根気のいる仕事です。母や祖母、そのまた祖先たちが何百年も前から守り伝えてきた、大切な郷土の技術であり文化。私たちがやめてしまったら、余りにも申し訳ない。戦争で夫を亡くした女たちに、芭蕉布が末長く後世に受け継がれていくように、一緒にやろうとよびかけて、今日まで様々な苦労を乗り越えてきました」
美術館で作品を拝見しながら、あのときの平良さんの声が聞こえるような気がしました。小柄な方でしたが、佇まいにも、ことばにも、ずっしりとした重さがありました。女たちと手を携え、沖縄という土地で生き抜いていくという強い意志をお持ちでした。
平良さんが唯一、心配なさっていたのは、いかに芭蕉布づくりを次世代につなぐかということでしたが、「一人でも多くの人が郷土の文化に目を向け、芭蕉布の素晴らしさを知ってほしい」と熱心に語られた学芸員の大城沙織さんはじめ、会場には若者たちも多く、芭蕉布の明るい未来を感じることもできました。
旅の最後に、読谷村の海を見に行きました。
読谷村は、私にとって、懐かしく大切な土地。
沖縄の工芸家の中でも、親しくさせていただいていた染織家で、重要無形文化財「読谷山花織」の保持者であった与那嶺貞さんがお住まいになっていたところです。
戦争未亡人の与那嶺さんも、戦争によって僅かに残った布を頼りに、読谷山花織の復興に人生を捧げられました。平良さんと同様、人間国宝になられてからも何ひとつ変わることなくひたすら花織を織りつづけていらっしゃいました。
読谷村には、青い空と光る海が広がっていました。
「浜さん、女の人生はザリガナね。ザリガナ サバチ ヌヌナスル イナグ」
潮風に吹かれながら、与那嶺さんの言葉も思い出しました。
――こんがらがっているからといって、切って捨ててしまったら、布を織ることはできない。それを丹念にほぐしていかないと、美しい布は織れない。女の人生も同じね――
混迷の時代だからこそ、今という時をいつくしみ、丁寧に生きていきましょう。
こんがらがった糸をあきらめることなく、辛抱強く、ほぐしながら。
沖縄の海と空、沖縄の女性、沖縄の美しい工芸がそう教えてくれたような気がしました。
みなさまにとって希望があふれる1年でありますように。