季節の変わり目に~変わらぬものを

長い間の夢が、ようやく叶ったのです。 ご尊顔を拝する!梅雨の終わる頃、心ときめかせながら上野の山に向かいました。

観音さまは凛々しく、堂々たる姿で出迎えてくださいました。「十一面観音菩薩立像」1300年もの間、奈良の山から人々の安寧と救済を、ひたすら祈り続けてくださいました。会場に入り、一歩ずつ歩み寄りました。2メートルを超す身の丈。目も耳も口も、極めて意思的で明瞭でした。後ろ姿を含め、前後左右から拝見できるのは、”十一面観音”のありがたさですね。

この立像(りゅうぞう)には勿論、逞しさや厳しさを感じますが、それと同時に、瞳の奥の優しさに気づかされました。

これまでも、数多くの方々がこの観音さまに心奪われています。写真家の土門拳さんは、「観音像を何時間も見つめているうちに、菩薩の慈悲というより、神の威厳を感じさせた」と書かれています。(古寺巡礼)

また、随筆家の白洲正子さんも、「観音の姿は、今この世に生まれ出たという感じに揺らめきながら現れた」と表現されています。(十一面観音巡礼)

そうした本を読み、自分も行こうと思い立ち、奈良県の聖林寺に向ったことがありました。しかし、鳥居の前まで来ると足がすくみ、前に進むことができなくなりました。「まだ早い!」という声が聞こえたような気がしたのです。20年近く前のことです。一度は諦めたものの、諦めきれない気持を抱え続けていたのですね。そして今回、観音さまが初めて出座される(奈良を離れる)ことになりました。

今度こそ、お会いしたいと思ったのです。

国宝、天平文化の傑作。そうした歴史的価値を学びながら、同時に心の平穏を実感することができました。

聖林寺の近くに三輪山があります。この山は昔から自然信仰の聖地とも言われていました。草木山河、身近なもの全てに神が宿るという考えは、神仏が共に祀られていた長い時間を経て、今に至ります。「十一面観音菩薩」もそのような時代を過ごされてきたのですね。

人数制限や2時間という時間的制約には、何の不自然さも感じませんでした。会場には静かな感動の時が流れていました。

入場するときは、空一面に梅雨の雲が広がっていました。そして心満たされ退館するとき、上空には久しぶりの青空が顔を出していたのです。季節の変わり目の頃、時は足早に進んでいました。しかし、観音さまの立ち続ける館内には、時間の流れを超越した空気が穏やかに漂っていたのです。

やはり、お会いできて良かった!
この展覧会は9月12日まで開かれているとのこと。もう一度、国立博物館をお訪ねするつもりです。また、観音さまにお会いしたいのです。

国立博物館・特別展サイト
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=2013

映画『ベル・エポックで もう一度』

「ベル・エポック」、華やかで、何となく心ときめくような雰囲気です。

19世紀末から20世紀初めにかけて、パリが繁栄し輝いていた頃、その時代や文化を懐かしみ、今でも耳にする言葉です。”良き時代”、つまり、”古き良き時代”というイメージがそこにはあります。でも、映画『ベル・エポックで もう一度』は、単なる懐古趣味の”昔は良かった!”という物語ではありません。

かつて、主人公は売れっ子のイラストレーターでした。しかし、今は時代の流れに取り残され、ネットやスマホを決して受け入れようとしない老人になってしまいました。そんな彼に妻は愛想をつかし、三下り半を突きつけます。

追い詰められた主人公ですが、そこに救いの手が差伸べられました。息子からの素敵なプレゼント、「タイムトラベルサービス」。自分が望む、過去の”ある時期”に連れて行ってくれるというものです。しかし、これはSF的な話しではなく、デジタル技術満載の夢物語でもありません。”手作り”そのものの、”アナログ”企画なのですね。

主人公が希望したのは1974年5月16日、フランス・リヨンの「ベル・エポック」というカフェでした。その場を映画の大掛かりなセットのように精密に再現し、そこに主人公が舞い戻るのです。本人が覚えている会話や光景がそのまま忠実に再現されます。主人公を除けば、登場人物は全て役者が演じてくれるのです。

なぜ、元イラストレーターはこのカフェに戻りたかったのか?それは主人公が素晴らしい女性と出会った、まさにその時、その場所だったからです。そして、ストーリーは除々に思いもよらぬ展開を見せ始めます。

”古き良き時代”を単に懐かしむ映画ではありませんでした。男女の触れ合いや心模様が繊細に描かれ、大人向けのエスプリもふんだんに盛り込まれたお洒落な時間と空間が広がっていました。

この作品は、ニコラ・ブドス監督が脚本や音楽も担当しました。40代の彼は4年前に監督デビューするまで、俳優として活躍していました。とても多才で早熟?な方ですね。

そして、元イラストレーターを演じたのは、ダニエル・オートゥイユ。フランス映画界を代表する名優です。重厚で細やかな男性の振る舞いを、じっくりと見せてくれました。

彼の妻で、精神分析医の役は、ファニー・アルダン。ジャンヌモロー亡き後、成熟した大人の女性を演じられる、文字通りの”女優”さんです。なぜなら、70代になってもあれだけ”女”を演じられるのですから。魅力的で意思的な姿に、奥深さを感じました。

こうした若手やベテランたちが力を合わせて、とても勇気付けられる映画ができたのです。”新しい良き時代”を目指そうよ!年齢は関係ないですよ!!前を向いた、そんな元気宣言と受け止めました。

そしてそこには、高度化されすぎた情報化社会への、痛烈な皮肉も含まれているのでしょう。

さすがフランス映画でした!

映画公式サイト
https://www.lbe-movie.jp/

向田邦子さん

今年の8月22日で向田邦子さんが亡くなって40年になります。

向田さんは突然、私たちの前から姿を消してしまいました。昭和56年(1981)取材旅行の台湾で航空機の墜落事故に巻き込まれてしまいました。51歳という若さで。私は向田さんの大ファンでした。小説、エッセイ、そしてテレビドラマの脚本など。もう、40年になるのですね。

テレビドラマ「阿修羅のごとく」(NHK放送)、「あ・うん」など。「阿修羅のごとく」は四姉妹(加藤治子、八千草薫、いしだあゆみ、風吹ジュンさん達が出演)と老父母。父親役は佐分利信さん。誠実な人柄、しかし父親には実は愛人と子供がいた。

当時のホームドラマでは衝撃的な展開を見せるこのドラマのシナリオに私は魅せられてしまいました。何気ない日常の会話の中に、繊細な表現、人間の業、決め細かい感情描写。当時としては斬新的なドラマでした。仕事を終えると私はまっしぐらに帰宅しテレビを見た記憶があります。

先日亡くなられた小林亜星さん演じる「寺内貫太郎一家」は昭和のガンコオヤジが主役で、今までにないホームドラマでしたね。エッセイもとても好きでした。「父の詫び状」(後に単行本になる。文藝春秋)1978年。実父の話がベースになっていて、ユーモアを交えながら日常のひとコマの切り口など”スゴイ人だわ~”と思いました。ノスタルジーではなく”昭和の香り”が感じ取れました。食べることが大好きで料理上手。料理の話しなど随分学ばせていただきました。

小説では「思い出トランプ」で第83回直木賞を受賞されます。と、言うわけで没後40年になる向田邦子さんの文章に触れたくて、エッセイや料理本、小説などを読もうと思っていたら、素敵な、とても素敵な本を見つけました。

『少しぐらいの嘘は大目に・向田邦子の言葉』(新潮文庫)を出された方が碓井広義さん。

向田邦子さんの全作品の中から、碓井さんが「男と女の風景」「家族の風景」などのジャンルに分けて、370余りの名言、名セリフを選ばれました。多くの方々に向田さんの作品が今も読み継がれているのはどうしてか。

知りたくなり碓井広義さんにラジオにリモートでご出演いただきました。素敵なセリフはご一緒している寺島尚正アナウンサーが読んでくださいました。

碓井さんは1955年、長野県のお生まれ。1981年、番組制作プロダクション「テレビマンユニオン」に参加し、以後20年、ドキュメンタリーやドラマの制作に携わり、去年3月まで上智大学文学部新聞学科の教授をお務めでした。

現在はメディア文化評論家です。今回のご本の資料書籍一覧を見るだけでも「脚本」「エッセイ」「小説」「対談集」「アンソロジー」「全集」など等、膨大な資料からまとめられました。

『向田邦子さんの世界』に没入できる本です。

ぜひ、碓井さんから直接お話しをお聞きください。

文化放送「浜美枝のいつかあなたと」 放送日 7月18日
日曜日 9時半~10時

写真家・土門拳

先日電話で 朝日新聞の取材をうけました。

内容は1960年1月に出版された土門拳写真集「筑豊のこどもたち」についてです。私が2009年2月1日発売の「別冊太陽」(平凡社)に「土門拳ー鬼が撮った日本」の中で「本物を見る目を教えてくれた土門拳先生」というタイトルでエッセーを書かせていただきました。

「土門拳」という名前を始めて知ったのは「筑豊のこどもたち」を手にしたときでした。涙がとまりませんでした。それを読み、今回お声をかけてくださいました。出版から60年以上たって、写真集が現在なお、評価される理由など・・・詳しくは7月28日の紙面をお楽しみに!

京都の骨董の店「近藤」での出会いから60年以上がたちます。

「本物に出会いなさい、モノには本物とそうでないモノと、ふたつしかない。自分の目でしっかりとみつめること」。

あの日からずいぶん月日が経つのに、まだ耳元に先生の低い声が聞こえてきます。それから、土門先生の後を追い続けるように原爆写真集「ヒロシマ」、ライフワークとなった「古寺巡礼」などを見ました。最後の第5集を完結するまでに12年の歳月がかかったそうです。

途中二度目の脳出血に倒れられ、不死鳥のようにたちなおり、再度、倒れられ車椅子に乗っての撮影を続けられました。

私の好きな「室生寺」。

40年にわたってレンズを向け車椅子生活になってからもつづきます。平安時代初期に創建された室生寺の五重塔が平成十年(1998)9月22日、近畿地方南部に上陸した台風七号により甚大な被害を受け樹齢六百五十年の杉の大木が五重塔を直撃し破壊されたとニュースで知った時には「どうしよう・・土門先生が心血を注いだ塔が」と言葉を失いましたが、国宝の五重塔は全国から早期修復を願う手紙が殺到し見事に蘇りました。

桜吹雪の舞う中、うっすらと雪をかぶった鎧坂石段の写真に魅せられ、また土門先生が「日本一の美男子仏」(釈迦如来座像)と語った写真に感動し、春夏秋冬何度通ったことでしょう。

気にいらなければ撮らない。「真の美しさとは何か」を学びました。

山形・酒田の「土門拳記念館」には何度も足をはこびました。かつて画家になろうとして果たせなかったからでしょうか、古美術とくに古信楽には造詣が深く、写真集は京都の近藤のご主人と一緒に世にだされました。

魅かれるものに魅かれるままジーッと眺める。モノを長く眺めれば眺めるほど、それがそのまま胸にジーとこたえるまで相手をじっと見る。見れば見るほど具体的にその魅かれるものが見えて来る。よく見るということは対象の細部まで見入り、大事なものを逃がさず克明に捉えるということなのである。(土門拳『私の美学』あとがきより)

ドキュメントも古寺も骨董も、土門さんにとっては、ひとしく、美たりうるものであったのでしょう。

車椅子の不自由なおからだになった土門さんが、必死の思いで訪ねた骨董店が飛騨古川の「駒」。店主は京都「近藤」で学び お父さまの骨董店を継いで店主となられた方です。

その駒に『遂に来たぞ』と、土門さんが書かれた色紙が飾ってありました。車椅子生活になられた土門さんがここまでたどりついたという思いを、まさに心血を注ぐようにして書いた文字です。骨董に対する思い、生きることへの強靭な思いが、色紙から伝わってきます。

そして、座敷の囲炉裏の上にかかった自在鉤から目が離せなくなった私。「これ、いいですねぇ」「いいでしょう、これはおゆずりすることができないものです・・・土門さんが、これはいいものだねぇ、と気にいってくださったものだから」と。納得でき、嬉しくもありました。「土門さんと同じものに魅かれた」ことに。

何年か後に、京都の「近藤」で「あ、これ・・・」私はしばし呆然としました。土門さんが「いいものだねぇ」とおっしゃった、あの自在鉤と同じようなものが見つかりました。亀甲竹でできたフォルムがとても美しいのです。

自在鉤は箱根のわが家の囲炉裏の中心にかかっております。これから何代にもわたって使われていくことでしょう。

朝日新聞のインタビューを受け、土門拳先生にお会いしたくなりました。

映画「ファーザー」

国際的な名優が”老い”をテーマにスクリーンを徘徊し、フアンを2時間近くも座席に縛り付けてしまいました。

ロンドンで介護人の手助けを得ながら生活する80代の認知症の老人。この男性には40代の娘がいて、頻繁に様子を見に来てくれます。父親の症状は徐々に進行していきますが、その中で事実と幻覚の交差が頻繁に発生します。

これが、、映画「ファーザー」のストーリーで、老人を演じるのはアンソニー・ホプキンスです。ある日、娘は父親に告げます。「愛する人と出会った。彼の住むパリに行く」。ギクシャクを繰り返し、苛立ちを募らせることも多い親子ですが、娘は父を見捨てることはできません。「週末には帰ってくるから」。親への最大限の心配りです。

しかし、話は複雑に絡み合います。ある時、見知らぬ男が家に居座り、自分は娘の夫だと主張します。彼以外にも、別の人たちが次々と現れ、父親を混乱させます。揺れ動く父親の心理が主軸となり、苦悩し動揺する彼の表情をカメラは執拗に追い続けます。そして、虚と実が入り乱れたスクリーンは、それを見つめる者の思考をも次第に翻弄していくのです。

この作品は9年前にパリの舞台で上演され、高い評価を得ました。脚本を書いたフロリアン・ゼレールは今回それを映画化し、初めて長編映画の監督に挑みました。その際、最もこだわったのが老人役にアンソニー・ホプキンスを起用することでした。

監督は物語の場所をパリからロンドンに移し、主人公の名前もアンソニーに変えました。すっかり惚れこんだのですね。期待に応えたアンソニー・ホプキンスは誰もが思い浮かべる認知症の患者像とは異なり、現実と幻想の間を、あたかも意志を持って行き来するような老人になっていました。そこには、演技の範疇を超えた、俳優という仕事のすさまじさが溢れ出ていました。

今年のアカデミー賞で、”主演男優賞”と”脚色賞”を獲得した「ファーザー」は、娘役を演じたオリヴィア・コールマンの、引きずり込まれるような心情表現が加わり、作品に強烈な説得力をもたらしました。彼女も2年前、「女王陛下のお気に入り」でアカデミー主演女優賞を獲得しています。

スクリーンに繰り返し流れるビゼーのアリア、「耳に残るは君の歌声」が今も心を揺さぶります。

人生の終末に向う戸惑いや恐れを抱えながら、老人は女性の胸に母なるものへの安らぎを見つけ出したのかもしれません。エンディングで見せた老人の表情は、正常と錯乱の境界線を乗り越えた、真実の姿を映し出しているようにも思えました。

映画公式サイト
https://thefather.jp/

都庭園美術館~艶めくアール・デコの色彩

文化放送「浜美枝のいつかあなたと」(日曜日 9時半~10時)が始まって、もう20年がたちます。

誰にとっても人生は出逢いの連続です。誰かと出逢うことで知らされる道しるべの多いこと!自分が熟慮と綿密な行動計画で歩く道を選択しているかというと、決してそればかりではなく、ある日、ふと出逢った人に人生の重要なヒントを与えられ、そこから違う生き方が開けてくるような、そんなことが多々あります。私などは、その最たるもので、一人の考え休むに似たり。

多くのことを、多くの人に教えられて、今日まで何とか歩いてこられたように思えるのです。気がつけば、77歳!

ラジオでゲストの方々をお迎えし、お話を伺う。人生でこんな幸せな仕事を(と、思ったことはありませんが)出逢いをさせていただけて何と幸せなことでしょう。

アートもそうです。

ラジオ収録は、だいたい午後1時には終了いたします。その後は「映画か美術館」へと足をはこぶ。それが、この20年間の変わらない私のリズムです。

今はコロナ禍で、制約はありますが、映画館は最善のコロナ対策をとっています。美術館も予約制だったり、やはり同様です。「日常生活」のリズムを崩さず、ストレスをためず、心豊かに暮す・・・何とかそうしたいものだと心がけています。

”美しいものを愛でる”とても大切なことだと思うのです。このような時期はとくに。

と、いうことでスタジオのある浜松町から電車で目黒まで行き、駅から徒歩7分ほどのところにある「都庭園美術館」に先日行ってまいりました。

都心にあって緑豊かな庭園。1933(昭和8)年に朝香宮の自邸として建てられました。2年半余りのパリ生活を経て邸宅を建設されました。ちょうどその時代は”アール・デコ”全盛の時代。(アール・デコ様式:1910年から30年代にかけてフランスを中心にヨーロッパを席巻した工芸・建築・絵画・ファッションなど全ての分野に波及した装飾様式の総称)

フランス滞在中、その様式美に魅せられた朝香宮夫妻は、帰国後自邸の建設にアール・デコの清華を取り入れ、漆喰天井の白色、漆が塗られた柱や建具。当時の最先端の素材や技法の確かさにおどろかされます。

光の取り入れ方、多彩なガラスの使い方、窓辺から望む庭園の緑豊かなこと。私は庭の見えるテラスの椅子に1時間近く座り華やぎと落ち着きのある空間を堪能いたしました。90年の時を経ても魅了し続ける建物。

今回の展覧会では建物の隅々まで拝見することができました。部屋の内装にアンリ・ラパンやルネ・ラリックらフランスのアール・デコ様式における著名なデザイナーが起用され、また日本の匠の技にも魅了させられます。

2015(平成27)年 国の重要文化財に指定されました。他の展覧会の時でも、室内のアール・デコ様式の数々は見られます(撮影可)入り口のルネ・ラリックのガラスの作品は光があたると外側、内側両方から見ると表情が変わり素敵です。

お天気のよい日など、事前予約して、のんびりお出かけになれたらいいですね。帰りに外のカフェ(レストランではなく)で緑を見ながらコーヒーを飲み、幸せ気分で山に戻ってきました。

日常を取り戻せるまで、もうしばらくの しんぼう  頑張りましょう!

東京都庭園美術館
https://www.teien-art-museum.ne.jp/

箱根湿生花園

箱根に住んで40年が過ぎますが、何が嬉しいって、様々な植物や花に出逢えることです。四季折々のその季節ならではの植物。

湿生花園はススキで有名な仙石原にあります。交通の便も良くて、小田原駅又は箱根湯本駅からバス(湖尻・桃源台行)で仙石案内書前で下車して、徒歩約8分。新宿駅からは小田急箱根高速バスが出ています。または湯本駅から登山電車に乗り強羅駅下車、バスで(湿生花園前行き)。東名御殿場ICから車で約20分。

3月20日~11月30日
9:00~17:00まで。

コロナが落ち着いたらぜひ、お越しください。密にもならず日帰りの旅でもじゅうぶん。もちろん1泊していただきゆっくり温泉に!ね、素敵でしょ。

湿原をはじめとして、川や湖沼など水湿地に生息している植物など、園内には低地から高山まで湿地帯の植物が約200種ほか高山植物が1100種ほどだそうです。3月から11月まで園内はいつ行ってもその季節の花が楽しめます。

6月20日までですが、ヤマアジサイの魅力を伝える「あじさい展」が開かれています。野生種や改良されたアジサイ約200種500点あまりが見られます。(今回は私の撮った写真でお楽しみください)

アジサイのイメージより小ぶりで可憐で色鮮やかな品のある色彩の花々。一般のアジサイの半分以下で色、形もよく最近は愛好家の方も増えているそうです。

会場には湿った岩場を再現し、箱根山中に白く咲くヤマアジサイの野生種はじめ八重咲きの富士の滝、など初めて目にする上品な姿にうっとりしてしまいます。この梅雨の季節のうっとうしさなど、この可憐さで飛んでいってしまいます。

そうそう、入り口を入ってすぐに珍しい「ヒマラヤの青いケシ」の花が迎えてくれました。

この季節の園内には ニッコウキスゲ、トキソウ、ササユリ、アサザ、サンショウバラ、シモツケ、ヤマボウシ など150種近くの花が可憐に咲いていました。

仙石原湿原植生復元区のこの場所は江戸時代から続く草原の維持管理を実践していて湿原の復元を試みた場所です。ミズトンボも沼の上を気持よさそうに飛んでいました。落葉広葉樹林区にはコナラやケヤキ雑木林とその中に咲く草花が可憐です。

7、8月にはサギソウ、ヒメユリ、ノハナショウブ、ミズチドリなど等。秋にはホトトギスやワレモコウなど何度きても季節の花が楽しめます。足もとは木の歩道になっていますから車椅子でも大丈夫です。

「ヒマラヤの青いケシ」はいつごろまで咲いているのかしら。画家の堀文子さんは、この花が描きたくて生前ヒマラヤまでいらしたそうです。この絵は元箱根の成川美術館で観られます。

箱根湿生花園
https://hakone-shisseikaen.com/

成川美術館
http://www.narukawamuseum.co.jp/

映画「やすらぎの森」

”隠遁者”

世間から遠く離れ、隠れるように生活している、そんな後ろ向きのイメージが目に浮かぶ言葉です。でも、映画「やすらぎの森」の登場人物は自身の生き方、そして人生の幕の引き方にあくまでも誠実な、魅力溢れる”世捨て人”たちでした。

舞台はカナダのケベック州。森と湖に囲まれた大自然の奥深くに3人の男性が暮していました。彼らは皆80代で、画家、ミュージシャンなど、経歴は様々です。自分らしい人生を求めながら、相手の領域には立ち入らない。そんな暗黙のルールをお互いに守ってきたのです。

そこに同じ世代の女性が、ふとしたきっかけで入ってきました。若い頃、精神疾患という理由で施設に預けられたその女性は、外の世界をほとんど知らないまま、これまでの長い時間を過ごしてきました。

ある時、親戚の集まりで外出した彼女は、もう二度と施設には戻りたくないと、”隠遁者”が暮す森の住人になる道を選んだのです。しかし、慣れない世界での日常は不安が募ります。これまでの人生、これからの生活、そして、周囲との触れ合い方。

”自立をめざす生活”が遅まきながら始まります。

戸惑いは3人の男性も同じでした。しかし、彼らは女性を否定することは決してしませんでした。薄い皮を一枚一枚剥がすように、女性の心の扉を開いていきました。日々の生活の中では、メンバーの死に遭遇しました。しかし、それは自然の一部であり、また、意思的な死さえも目撃したのです。

そして、”生の歓び”とも称すべき、男女の心の機微も知りました。いかに生きるかを人生の最後まで求め続けることは、結局、未来への希望につながるのでしょう。それは、前向きで率直な生き方と言えるのかもしれません。

この女性役を演じたカナダのアンドレ・ラシャペルさんは、微妙な心理の襞を実に丁寧に表現していました。70年近くにわたり、カナダの舞台やスクリーンなどで存在感を示してきた俳優です。

今回の作品に惚れこんだラシャペルさんは、出演依頼を直ちに承諾しました。撮影終了後のインタビューでは「この作品で引退するのは、素晴らしい幕引きです」と答えていました。俳優として、いえ、人としての生き方を改めて確認する”晴れ舞台”だったのです。

この映画は2019年に製作されましたが、撮影終了後の11月21日、ラシャペルさんは88歳で亡くなりました。誕生日の8日後でした。

「やすらぎの森」は出演者もスタッフも、ほとんどがケベック州出身者で占められていました。そこにケベックの大自然も参加して、この物語が完結したのですね。元ミュージシャンが奏でるギターの音色が、とても印象的でした。折に触れて挿入される音楽は、”隠遁者”たちの心の呟きでもありました。それは、ケベックの大自然との見事なコラボレーションとなっていたのです。

ケベックほど雄大ではありませんが、私も箱根の山中で山や森や湖に抱かれて暮しています。

これからの夢や希望、そして人生のしまい方などを静かに想いながら、少し元気になれそうな気がしてきました。

映画公式サイト
https://yasuragi.espace-sarou.com/

FOUJITA フジタ~色彩への旅

旅先こそがレオナール・フジタのアトリエと言われるほど、フジタは世界中を旅しました。今回の箱根町のポーラ美術館で開催中の展覧会はパリを離れ、中南北米、中国大陸や東南アジア、ニューヨークへと旅を続け、行く先々の色彩に興味を覚えたフジタ。その旅路と色彩に集点があてられ見ごたえのある展覧会です。

コロナ禍の中で自由に旅ができないことは寂しいのですが、箱根に暮す私は近くに美術館がいくつもあり、観るだけで旅気分を味わえるのは幸せなことです。強羅から木漏れ日坂を抜けると”ポーラ美術館”があります。緑に囲まれた初夏、新緑が眩しいほど美しい朝、バスで出かけてきました。(あなたもご一緒しませんか!)

1913年、26歳で渡仏したフジタは1920年にパリの女性をモデルに透けるような乳白色の肌の裸婦を描いてパリ画壇で人気の画家になります。晩年には少年少女の世界を描くのですが、それは何故なのでしょうか。

「戦争協力者」と指弾されても弁明をせず、祖国を去ります。ひたすら子供を描いたフジタ。でも、その子供たちは東洋人でも西洋人でもなく、つり上がった目に出っ張ったおでこが強調されただ可愛いだけの存在ではありません。私にはフジタが晩年、この子供たちに夢を託したように思えてなりません。

旅先で目にした風景や人物、その色彩はその国の歴史や文化、風俗などを身体で感覚的に受け止め、キャンバスに描きます。

会場に入るとまず目に入るのが「皮のトランク(遺品)」です。世界を旅したこのトランクには何が詰められていたのでしょうか。ここから旅気分を味わえます。「メキシコに於けるマドレーヌ」は白い帽子やドレスを身につけた姿。バックにサボテンや空の濃厚な色彩は、乳白色のフジタではありません。

会場を一点一点眺めながら、フジタと共に旅した気分が味わえます。ふっと、「あれは何年前だったかしら?」ポーラ美術館で「藤田嗣治の手しごと」展を見たのは。そして、パリ近郊エソンヌ県の小さな村ヴィリエ・ル・ハクルにあるフジタ晩年の旧宅「メゾン・アトリエ・フジタ」を訪ねました。『祈りの旅』でもありました。

2011年9月23日のブログに掲載しております。このブログをお読みいただいてる皆さまとご一緒にもう一度フジタのアトリエを訪ねましょう。

藤田嗣治~手しごとの家

映画「ブータン 山の教室」

心洗われ、思わず自分の日常を見つめ直してしまうような映画。「ブータン 山の教室」。その感動が、いまだに消えません。

ブータンはインド、中国に囲まれた山の国です。舞台は富士山より1500メートルも高い小さな村、ルナナ。そこで繰り広げられる希望と現実の物語が心を揺さぶります。

人口60人に満たないこの村には、小学校がたった一つしかありません。そこに、新しい先生が赴任してきます。生徒は勿論、村人たちは先生の到着を静かに、そしてキラキラした熱気で迎えます。

生徒にとって学校の先生は、輝くばかりの存在なのです。なぜならルナナの子供たちは、「先生になりたい。先生は未来に触れることができるから」と固く信じているからです。一方、新任の先生はブータンの都会暮らし。海外での音楽活動に夢を膨らませる今風の青年です。つまり、先生はブータンの大都市から秘境の村に人事異動で派遣されてきたのです。

ブータンと日本は、そもそも文化も自然も全然違う!この先入観は、映画の冒頭で簡単に覆されます。老いも若きも男女の違いもなく、挨拶は丁寧に頭を下げることから始まります。そうした彼らの立ち振る舞いを目にするだけで、理屈ではない親近感や既視感を覚えるのです。

「世界で最も幸せな国」と言われるブータン。半世紀も前に当時の国王が「GNP(国民総生産)よりもGNH(国民総幸福)を目指そう!と主張し、今ではそれが、憲法にも書き込まれています。

教室に黒板がなければ、それを自分たちで作る。物質面では決して十分とは言えないけれど、子供たちは目を輝かせて授業に向き合います。彼らは未来に夢や希望を見つけ出そうと懸命なのです。でも、この映画は楽観論だけに終始していません。村長さんは告白します。「多くの若者は都会や外国に出て行ってしまう」。そもそも、村に赴任してきた先生自身が、海外渡航への強いあこがれを捨てきれないでいるのですから。どのような授業が、そして、暮らしが展開するのか?伝統と明日を橋渡しする手立てはあるのか?

画面には地元の人たちが家族同様に接する「ヤク」が頻繁に登場します。そして、ブータンの民謡ともいえる「ヤクに捧げる歌」が繰り返し流れます。抜けるような歌声が、澄み切った山々に響き渡りました。

この作品はブータン出身のパオ・チョニン・ドルジ監督によって作られました。写真家としては既に名の通ったドジルさんですが、長編映画のメガホンを握るのは初めてです。故郷への愛着と外の世界への憧憬。監督は主人公の先生に自らの思いを投影させているのでしょう。

出演者の生徒は皆、地元の子供たちでした。映画やカメラそのものを知らない彼らへの演技指導などは、元々なかったと思います。未来に触れよう!という熱意だけが、生徒と先生、そして監督に共通する”約束事”だったのだと思いました。

そして最後に、監督は撮影機材でもある発電機を村に置いて帰りました。電気の通っていないこの村で、映画の完成試写会をする”約束”をしたからです。これからも、彼らは小さくとも、とても大事な”約束”を積み上げていくことでしょう。

この映画を拝見した岩波ホールは、「館内は12分で空気をすべて入れ替えております」と開演前に案内していました。

入場客に挨拶をし続けるホールの方に、「ご苦労さまです」と申し上げたら、彼女はガッツポーズをなさいました。「負けないで頑張る!」そんな無言の凛々しさが溢れていました。

大幅に減った座席は当然のように埋まり、静かな熱気に包まれていました。
スクリーンと似ていました。

映画公式サイト
https://bhutanclassroom.com/