韓国と私

あれは17、8年前ころでしょうか。コスモスの美しい季節でした。まだ夏の暑さがすこし残っていましたが、ピンクや濃桃色、真っ白なコスモスが群生していて、風が柔らかにそよいでいました。

ソウルのインチョム空港から東に、80キロ、忘憂里(マウリー)の丘にある淺川巧(あさかわたくみ)の墓に詣でる旅でした。

巧は1891年(明治24年)山梨県に生まれました。山梨農林学校を卒業したあと、朝鮮総監府農工部山林課の技師として、ソウルに渡りました。緑化運動に成果を上げるかたわら、半島各地を歩き、日常に民衆が使っている道具に、健全な美を発見したのです。

巧は、普段から朝鮮服を身に着け、朝鮮料理を食べ、朝鮮語をマスターしていました。そして、お給料の大半を学生たちに援助をし、朝鮮の人から慕われ、朝鮮人と間違われることもたびたびだったそうです。

朝鮮半島の七百ヶ所近い窯跡を調査しつつ、「朝鮮の膳」、「朝鮮陶磁器名考」といった著書を著し、韓国陶磁器の全体像を明らかにしました。残念ながら、巧は四十歳の若さで、肺炎をこじらせて、還らぬ人となりました。

ソウルを眼下に望む忘憂里の丘のお墓は今でも韓国の方が守ってくださっています。そして墓には、巧が愛した朝鮮白磁の壷が花崗岩でかたちどられており、林業試験場の方々によって作られた記念碑には「韓国の山と民芸を愛して、韓国の人の心の中に暮して生きて去った日本人、ここ韓国の土になりました」とハングル文字で刻まれています。

あちらでは人が亡くなったとき、三角形のお煎餅を配る習慣があるのだそうですが、巧の葬儀の日、大勢の人々が見送りに来てくださり、ソウルの煎餅がすっかりなくなったという逸話を、以前、私は墓を守ってくださっている韓さんから聞きました。韓さんは、お父さんから、その話を聞いたそうです。

あれから幾度となく訪れた韓国。

私は韓国の家具にも強く心惹かれます。隅々まで、びしっと計算されつくし、完成された日本の家具と比べると、李朝の家具はほんとうに素朴にみえます。心がふっとなごんで落ち着く柔らかさを李朝の家具に感じるのです。

朝鮮半島は、何度も戦いにさらされました。その中で、人々は打ちひしがれ、ときには恨みや悲しみを抱くこともあったでしょう。そうした辛い、激しい、感情が昇華したときに、はじめて心のなかに表れる静かさというような、落ち着きとたたずまいを私は李朝の家具に感じるのです。陶磁器も多くは朝鮮半島から渡ってきています。

現在、韓国と日本は政府間でたくさんの問題を抱えております。伝統、文化の違いもあるでしょう。巧が民の中に飛び込み、民とともに生き、民によって守られていることも事実です。

どうぞ、よい方向に向っていただきたい、と願うばかりです。私には韓国に大切な友人達もおります。またコスモスの美しく咲くころに忘憂里の丘に詣でたいと思います。

『リーチ先生』

今、原田マハさんの「リーチ先生」(集英社)を読んでおります。

7月にイングランド西端の港町・セントアイビスに念願だったバーナード・リーチの工房を訪ねたことはブログでも以前ご紹介いたしましたね。

何故、英国人のリーチがこれほどまでに”日本の美”に魅せられたのか・・・が不思議でなりませんでした。

最初は60年ほど前に民藝運動の創始者、柳宗悦の本でリーチのことを知りました。まだ中学生だった私が手にした本「民藝とは何か」。わけも分からず読み、その人が宗教哲学者であり「白樺」の同人であることを知ったのは女優になってからのことでした。

映画界はいっけん華やかな世界、でも私自身は居場所を見失い心細い日々が続いていた10代。また「民藝とは何か」のページを開きました。

「あの平凡な世界、普通の世界、多数の世界、公の世界、誰も独占することのない共有の世界、かかるものに美が宿るとは幸福な報せではないでしょうか」とありました。

高価なものではなく、民衆的工芸、つまり「民藝」の心は「美しいと心に響く、感じる心が大切」とも理解しました。「そうなのだわ、心に響く何かを見つければ心の安定が得られるはず」そう思い民藝の世界へと誘われていきました。

「真に美しいものを選ぼうとするなら、むしろあらゆる立場を超えねばなりません。そうしてものそのそのものを直接に見ねばなりません。立場は一種の色眼鏡なのです。ですから知識で見たり概念で見たりしたら、末葉の性質に引っかかって、本質的なものを見逃してしまうのです。ものの美しさは何よりも直感に依らねばなりません。」(民藝とは何か)より。

バーナード・リーチ、濱田庄司、河井寛次郎、などなど、そのときに知った名前でした。それから現在まで「民藝の旅」は続いております。

原田マハさんの本は大分県小鹿田(おんだ)にリーチが訪ねてきたところから始まります。現在でも窯元が多くあり、小鹿田の土は豊かで「陶土」には適しているといわれます。1ヶ月ほど滞在しリーチはその土で作陶を続けます。

半分ほど読んだところでしょうか。もう止まりません。柳宗悦がリーチを訪ねてきて、時には美について激しい口論になったとしても、お互いを認め合い、濱田庄司たちとの友情を育んでいったのです。この「リーチ先生」を読んでいるとまさにその場に居合わせたかのような錯覚におちいります。

ちょうど深沢のギャラリー・セントアイビスで「夏のコレクション展2019」が始まりバーナード・リーチの1950-60年代の作品を中心にギャラリー所蔵作品などが拝見できるので行ってまいりました。

オーナーの井坂浩一郎さんはたびたびセントアイビスはじめイギリス国内でのリーチ作品を巡っておられます。

そうそう興味深かったのはリーチのエッチングです。本の中にも出てきますが、英国を代表する芸術家リーチは陶芸家でありエッチングも素晴らしく、日本に来て生活のために「エッチング教室」を開こうと思いエッチングの展覧会を開催し、そこに柳宗悦が見にきたのが出会いでした。

マハさんの本の中に登場するバーナード・リーチは濱田庄司との友情、柳宗悦と親友になったことなど、その人間味溢れる描写には東洋と西洋の架け橋になった人間「リーチ先生」が描かれております。

”読み終わるのがもったいない!”とおもいつつ読み続けております。

ギャラリー・セントアイビスの公式サイト
http://www.gallery-st-ives.co.jp/Top.htm

長野・東御町の旅

梅雨が明けて、私のお気に入りの信州・東御(とうみ)市へ友人たちと1泊の旅をしてきました。

東御には30年来の友人ご夫妻、エッセイストとして旅や料理、食文化、田舎暮らしの達人である玉村豊男さんご夫妻が住んでおられます。

当時は軽井沢から東御町に移り住んで間もないころでした。「のんびり畑でもやりながら療養をかねて道楽で自分が飲む分のワインでも造れたら・・・」が始まりだったとお聞きしました。

そして、お気に入りの宿「農の家」に泊まるのも目的のひとつです。上田から「しなの鉄道」ローカル線に乗り3つ目の「田中」駅で下車。

宿のご主人が「草刈をしていたので、こんな格好で失礼します。」と真っ黒に日焼けした笑顔で出迎えてくださいます。真夏の長野は昼間は30度近くまで気温があがり太陽光線も強烈ですが朝夕は湿度も少なく快適です。

「農の家」は最大6名まで、1日1組、仲間や家族で楽しめる古民家をほとんどご自分達でリノベーションした素敵な宿です。建物は江戸時代に建築され、150年以上経っています。おしゃれに、清潔で、センス良くリフォームされています。

仕上げの作業はほとんどご夫妻で手作りです。(床板貼り、壁の漆喰塗り、木部の柿渋ぬり、薪で焚く露天風呂などなど・・・)そして、朝食・夕食に出される野菜やフルーツは最大限自給しているそうです。

畑は原則耕起せず農薬類は一切使用せず化学肥料も使いません。「自分達が食べたいものを作っているので雑草だらけですが、この雑草が豊かな土を育むのです。」とおっしゃられます。

朝食のパンもジャムも手作り。牛乳の美味しいこと!近所の酪農家がこだわりをもって作っているとか。長年ペンションをなさっておられたから、料理はバツグンのフレンチで夕食はワインとともに堪能します。野菜中心でデザートまでしっかりいただきます。気のおけない仲間とおしゃべりしながらの食事、至福の時です。ワインも飲みました~~!

早朝はいつものように、ストレッチをしてから近所を散策。夏の花々が咲き、今年は長雨だったせいか、トウモロコシの生育は遅れているようですが、早朝の風、空気・・・信州の田園風景が拡がるなかで深呼吸をして、健康に感謝する朝です。

今回の旅では、ワイナリー巡り、地元の食材を使った天然酵母のパン屋さん、そしてワインに合う美味しいチーズに、道の駅で色とりどりの新鮮野菜や果物・・・などバッグがいっぱいになりました。

「帰ったら、この”おおひらたけ”とくるみのジェノベーゼでプチイタリアンにしましょ!チーズにワインも。」と『食を知る旅』でした。玉村夫人の抄恵子さんにご案内いただきました。

そして、いよいよ皆さん念願の玉村豊男さんがオーナーのヴィラデストへ。

ブドウ畑を見ながら、お庭の花々を眺めながらのランチ。この一体は「千曲川ワインバレー」とよばれ日本有数の小雨地域で、日照時間が長く、昼夜の寒暖差が大きいなど、ブドウ栽培に適しておりますが、最初から全てがうまくいったわけではありません。

耕作放棄地を開墾し、今でこそ手入れの行き届いた畑の風景が美しいですが、ここまでのご苦労を思うと「日本ワイン」にこだわり、新規参入者を受け入れ、レストランに農作物を提供し、みんなで作り上げた町つくりなのですね。

その中心的な役割を担っているのが玉村さん。「大企業がポンと大きな工場を作るよりもたくさんの人が集い、切磋琢磨していけば個性も生まれるし、新しい風が吹き込まれると思うのです」とおっしゃいます。

5000本のぶどうの苗木からはじまり、今や7ヘクタールもの広大な畑に。開業3年目で国際サミットのランチワインにも選ばれたという実績をもちます。情熱をもち気鋭の醸造家が集い、後進の育成にも励みます。

私はこうした旅が好きです。これからの私たちの旅の在りかたも変化してくるでしょうね。大きくからスモールへ。人の温もりが感じられる旅。そして、スモールな町づくり。そのほうが、日本列島には似合っていると思うのです。

「インバウンド」海外からのお客さまにも本当の”普段着の暮らし”を見て、感じていただきたいですね。もう始まっておりますよね。

ヴィラデストでのランチを美味しくいただき、ガーデンを散策し、山羊の「ヤギ子」に見送られ家路につきました。

小説・平場の月

50代の悲しい純愛を描いた「平場の月」は、私が発売と同時に購入し読み始めてまもなく「山本周五郎賞受賞」が決った作品です。

著者は朝倉かすみさん。50歳の青砥健将は、胃の検査で訪れた病院の売店で、中学時代の同級生・須藤葉子と再会します。青砥は中学時代に須藤に告白して振られているのです。お互いに一度は結婚したものの、パートナーと別れ、50歳になって再会した二人。そこから物語ははじまります。

今回、惜しくも直木賞受賞は逃したものの、多くの書評家、読者からも絶賛されています。山本周五郎賞に決った時の記者会見での朝倉さんの言葉が印象深かったです。「とても幸せ。本当に嬉しい」と。山本周五郎賞受賞、納得です。

朝倉さんは1960年、北海道生まれ。2003年、「コマドリさんのこと」で北海道新聞文学賞。2004年、「肝、焼ける」で小説現代新人賞。2009年「田村はまだか」で吉川英治文学新人賞受賞。

その他著書も数多くありますが、短大卒業後は、スーパーで事務をしていたそうです。漱石や鴎外などの面白さに目覚め(20歳のころ)「本を買うための生活」になり40歳を過ぎてからのデビューです。

「平場の月」は女性が大腸がんになり、相手は彼女に寄り添おうとする心情を悲しいほどとてつもなく切ない内容です。丁寧に描かれていて悲しい、とても悲しい大人の純愛です。

このカップルは市井の人。決して豊かとは思えない暮らし。その暮らし方が丁寧に丁寧に描かれているからよけい切なくなるのです。愛おしくなるのです。また文体、文章が「ちょうどよくしあわせ」とか、「だれかに話しておきたかった、感覚。なんだろうね、この告白欲」とか。

50年を生きて来た男と女には、老いた家族や過去もあり、そうした文章のなかには皆、それぞれが抱えている生きる悲しみが綴られています。

どちらかと言えば遅咲きの人。執筆前には派遣バイトを数ヶ月経験し、暮らし向きを肌で感じた・・・とインタビューに答えていらした朝倉さん。

作家としてはもちろんのこと人間”朝倉かすみさん”にどうしてもお逢いしたくラジオのゲストにお迎えいたしました。

想像していた通りの素敵な方。自然体で、優しく、作家として優れているのは当然ですが、私、胸がドキドキしてしまいました。こんなに切ない50代の・・・そうもうけっして若くはない男と女のしずかな純愛を描ける人に憧れてしまいます。

ぜひ、彼女の言葉でラジオをお聴きください。そして、小説「平場の月」をお読みください。スタジオで「齢を重ねるとつい下を向いて歩くようになります。たまには上を向いて、でも太陽は眩しすぎます。月くらいがちょうどいいのですね」と。朝倉さんのこぼれ出る言葉に魅了されました。

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」
日曜 10時半~11時まで
8月4日、11日 2週続けての放送です。

世界報道写真展2019

先日、私は1枚の写真を前に立ち竦んでいました。2歳ぐらいでしょうか、1人の女の子が周囲の異様な空気に耐えきれず、母親の前で泣き叫んでいます。

昨年6月、アメリカ・テキサス州でのできごとです。中米・ホンジュラスからメキシコを経て、この母娘はやっとの思いでアメリカにたどり着いたのです。2人を待っていた最初の体験は国境監視員による取調べでした。

この写真の鋭さは、2人の大人の顔がフレームに入っていないことでしょう。人の表情が消えたことで、事務的で無機質な手続きが”淡々と”執行されていることを冷静に伝えています。

多くの理不尽さの集約でもあるこの光景を目の当たりにして、女の子だけが正直に反応しているのです。鮮やかな赤いシャツと靴。そして、ライトに照らし出された彼女の真っ黒できゃしゃな影が、不気味なほどのコントラストを描いています。

        ジョン・ムーア(アメリカ・ゲッティイメージズ)

いま「世界報道写真展2019」が開かれています。今年で62回目となるこのコンテストは、オランダで始まりました。今回は129の国と地域から、4700人を超えるプロのカメラマンが参加し、応募総数は7万8000点に達したそうです。その中から選ばれた45の入賞作品が展示されいます。女の子の泣いている写真は、「スポットニュースの部」で1位を獲得しました。

これ以外にも、迷彩服に身を包み、銃を手にした女性の作品が目を引きます。アフリカ南部のジンバブエ。眼光鋭い彼女は野生動物の密猟防止に向け、女性だけで組織された武装部隊のメンバーです。貧しい女性たちの仕事を確保し、長期的には地元住民の利益にも合致する活動ですが、娯楽目的で猟をする観光客からのお金を部隊の活動資金に充てています。矛盾を抱えた難しい現実が横たわっています。

      ブレント・スタートン(南アフリカ・ゲッティイメージズ)

そんな中、脚にケガをしたフラミンゴの姿が多少なりとも重い心を慰めてくれます。早期の回復を目指し、治療用の特別なソックスを履かされたフラミンゴですが、傷の治癒具合を自ら確かめるかのような姿が、カメラに優しくそして丁寧に捉えられました。カリブ海・キュラソーでの1コマでした。

          ヤスバー・ドゥースト(オランダ)

この写真展は楽しく、うきうきするような内容では決してありません。でも、この瞬間、世界が抱える問題を見事に切り取った象徴的で印象的な作品ばかりが集まっています。たくさんのフアンが、「世界の今」を静かにじっくりとご覧になっていました。展示会場の片隅に、ビデオを上映するコーナーがひっそりと設けられていました。そこには、日本の四季折々の美しい自然が心地よい音楽とともに穏やかに流れていました。世界の現状はあまりに厳しいけれど、僅かな光明だってあるはずだ。みんなの傷ついた心の翼をいたわり合いながら、また飛び出そう!主催者が、そしてカメラマンたちがわれわれに呼びかけた、優しくて力強いメッセージと受け取りました。

この写真展、私がお邪魔するのは5回目となります。やはり、やみつきになりそうです。

恵比寿の「東京都写真美術館」で8月4日まで開催中。
開館時間 10:00~18:00 (木・金は20:00まで)
休館日   毎週月曜日
https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-3437.html

映画『COLDWAR あの歌、2つの心』

1940年代末のポーランドから始まるラブストーリーの男と女は、東西冷戦下で15年にわたり、国境を越えて愛し合い、衝突し、別れ、また求めあい、ワルシャワから東ベルリンへ、そしてパリからユーゴスラヴィアへ。

再びパリからからポーランドへと舞台は移ります。3人の男女が冬のポーランドで村落を訪ね歩き、民族音楽を収集し「先祖伝来の音楽」と才能ある少年少女たちを探し求めて旅を続けます。

ピアニストであり楽団創設者のひとりでもあるヴィクトルは、ある村で魅力的な少女ズーラを見出し、心奪われ恋に落ちます。

結成された舞踏団も世界大戦後の冷戦構造に飲み込まれ社会主義政権やスターリン主義を支える音楽や舞踏へといやおうなく変化していきます。

社会主義政権の圧力で好きな音楽が出来ないことに絶望した彼はズーラを誘って亡命を決意しますが、東ベルリンで西側に脱出しようとしますが、彼女は現れません。そして、パリへ。

パリでジャズを演奏するヴィクトルの前にズーラが現れます。「西」と「東」を行き来しながら続く愛。しかし・・・そんな単純なストーリーではない心理描写をポーランド生まれのパヴェウ・パヴリコフスキ監督は感情ほとばしる白黒画面と音楽、魂の歌で静かに、鮮烈に観客に投げかけます。

『音楽が語る』とはこういうことなのですね。民族音楽、ジャズ、多彩な音楽が物語と共振し、なかでもポーランドの歌「2つの心」は一度聴いたら心から離れません。

単なるラブストーリーではなく男と女、どうすることもできない業や切なさ・・・15年の歳月の省略の美も包み込みます。スタンダード画面のモノクロ、こんな美しい画像の映画は久しぶりに観ました。

最後の10分で女の「ここから連れだして」というセリフに思いのすべてが凝縮されていて感動しました。ラストシーンはあえて書きませんね。

この美しさをどのように表現していいかは私には分かりません。観終わりしばらくは映像と音楽が頭から、耳から離れませんでした。そんな余韻を監督は観客にプレゼントしてくれたのですね、きっと。

エンディングロールに「両親に捧ぐ」とありました。調べてみたら主人公のズーラとヴィクトルという二人の人物は部分的に監督の両親を基にしているとのこと。

1時間28分。私はヒューマントラスト有楽町で観ました。本年度のアカデミー賞外国部門に監督賞・撮影賞にノミネートされている映画です。

上野千鶴子のサバイバル語録

今年4月の東京大学の入学式で上野さんの祝辞がメディアで大きく取り上げられました。私もその文章を新聞で読み「なぜ、今、上野千鶴子さんの祝辞なのか」をじっくり考えました。

上野さんといえば、女性学をはじめ、様々な道を切りひらいてこられた社会学者です。祝辞の中でもおっしゃっていましたが、東京大学の女性の比率が、長年に渡って2割を超えないそうです。なぜ、あのようにメディアで大きく取り上げられたのでしょうか。

そこには祝辞のまとめとして、上野さんは「あなた方を待ち受けているのは、これまでのセオリーが当てはまらない、予測不可能な未知の世界です。」とおっしゃっていらしたのが印象的でした。一度じっくりお話を伺いたい・・・と思っておりました。

この度、「上野千鶴子のサバイバル語録」(文春文庫)が文庫化されましたのでラジオにお招きしてお話を伺いました。

上野さんは東京大学名誉教授で、NPO法人「ウイメンズ アクションネットワーク」理事長。1948年、富山県生まれ。京都大学大学院社会学博士課程終了。

女性学、ジェンダー研究、介護研究のパイオニアです。「おひとりさまの老後」「男おひとりさま道」「女たちのサバイバル作戦」など、著書も数多くあります。本の帯には「万人に感じよく思われなくてもいい。悪戦苦闘の人生から生まれた、140の言葉」とあります。いくつかをご紹介いたしますね。あとはラジオをお聴きください。

スタジオに現れた上野さんはブルーのブラウスに素敵なスカーフ。笑顔がチャーミングな方です。過激なご発言(敢えて)からの想像よりソフトな方。

友情にはメンテナンスが必要
(私は、手間ひまかけてメンテナンスして続いてきたものだけが、友情だと思っている)

万人に感じ良く思われなくていい
(万人から「感じ良」とおもわれるなんてことはありません。あなたが「感じ悪い」と思っているひとにまで「感じ良」く思われる必要はありません」「感じが良い」かどうかは、キャラの問題ではなく、関係の問題。感じ良い関係と感じの悪い関係があるだけ。生きていれば感じの悪い関係は避けられません。)

かさばらない男
(考えてみれば「かさばらない男」ってえがたい存在じゃないだろうか。男はどちらかと言えば、自分を実力以上にかさばらせて見せたい動物だ)

愛の王国か、出口のない地獄か
(二人だけの「愛の王国」は「さしむかいの孤独」にも、「出口のない地獄」にも、かんたんに転化する。)

愛よりも理解がほしかった
(母親は娘に「おまえを愛している」と言うが、それは娘には「不条理」と聞こえる。お母さん、わたしはあなたから愛よりも理解がほしかったのよ。)

領土問題をおもちゃにするな
(またまた、竹島や尖閣諸島をめぐってキナ臭い動きがありますが、領土問題を”男の子”たちの危険なおもちゃにしないでほしいですね。)

いかがでしょうか。

「いまを生きる女たちに、生き延びてもらいたい。そして、女であることを愛してもらいたい。人生の終わりに、生きてきてよかったな、と思ってもらいたい。」とあります。

スタジオでは笑顔でおおらかにお話くださった上野千鶴子さん。しかし、深く考えた収録でもありました。

放送日  文化放送 日曜日10時半から11時まで
7月7日、14日 2週連続です。

映画『ニューヨーク公共図書館』

先日、素敵な映画を見てきました。上映時間は何と205分!つまり、3時間半ですね。そんな長い映画を見たのは、もちろん初めてです。途中、伸びをするための10分間の休憩時間も、ちゃんと用意されていました。

映画のタイトルは「ニューヨーク公共図書館」。

図書館とは多くの老若男女が行き来し立ち止まる、文字通りの公共空間だということを丁寧に記録した、重厚なドキュメンタリー映画でした。

ここに描かれた図書館は、なぜ「公共」なのでしょうか?それは、一般市民からの寄付金などが、運営費の半分を占めていることもその理由です。単なる「公営」ではないのですね。今から108年前にオープンしたこの図書館は、現在では90を超える分館と6000万点の蔵書を誇る巨大な組織に発展しました。

映画の中で強調されたのは、図書館は単なる本の置き場所や書架ではないということでした。本を読みに来る人、借りる人。調べて資料を作成する人。そこには赤ん坊の泣き声が飛び込み、図書館職員の日常的な息遣いも交じります。

そして、この空間には様々なゲストも訪れます。パンクの女王、パテイー・スミス、英国のミュージシャン、エルビス・コステロ。彼らが講演会やトークショウなどを繰り広げるのです。職員の間では、経済的理由でネット環境に対応できない市民への対応策まで話し合われます。彼らは活字に限定された世界を飛び越えようとしています。

この映画の特徴は、会話やナレーションの翻訳を除けば、それ以外の字幕説明がないことです。有名歌手が話をしても、名前の紹介は字幕上はありません。図書館の利用者も職員も、そして高名なゲストスピーカーさえも、皆、この知的空間を支える参加者の一人だという、製作者の強い思いでしょう。

監督のフレデリック・ワイズマンさん。来年の年明けに90歳を迎える伝説の巨匠は、自国の文化と民主主義を心底愛し、誇りに思っているのですね。

3時間半、全然、長く感じませんでしたよ。
神保町 岩波ホールで上映中

イギリスへの旅のつづき~スリップウェア

日本にスリップウェアを広めるきっかけは一冊の洋書「クエント・オールドイングリッシュポタリー」(古風な英国陶器)だったそうです。1913年(大正2年)、日本橋丸善で同書を見つけた民藝運動の創始者、柳宗悦は当時まだ大学生で心驚かせたもののその洋書は高くて買えなかったそうです。

スリップウェアとは、やわらかく、穏やかで、親しみ深く、使いよさそうな器です。私がひと目惚れしたのが、25年ほど前に益子にお住まいだった濱田庄司先生の奥さまをインタビューのためお訪ねしたときでした。

角皿に細長い筍を湯葉で包み油で揚げて出して下さったときです。それまで日本民藝館でバーナード・リーチ、濱田庄司、富本憲吉など、日本民藝を支えた方々の作品を拝見していました。

富本憲吉は柳宗悦より少し前にその洋書を入手し、前金を払い残りは友人に借金をしたそうです。「金は貸すがしばらく預けろ」と言って聞かなかったのが陶芸家バーナード・リーチ(1887~1979)でした。

1920年(大正9年)、リーチは濱田庄司と一緒にイギリスに帰国して、セントアイビスで窯を築き、作陶をはじめます。そしてある日、近所の家にお茶に招かれた際、45センチほどの黒字に白い縞模様の大皿にお菓子が入っているのを目にして、その日常の美の美しさに驚きます。のちに多くの日本人の心をつかむことになります。

古くは古代ローマがもたらしたスリップウェアといわれています。

これは私の個人的な考えですが、柳宗悦はじめ民藝運動の方々によって、それまでは”飾りようの器”が中心だったものが、日常に使う「用の美」であるスリップウェアを世に送りだしたのだと思います。オープンでも使える器。イギリスでは低温1000度位で焼き、日本は高温で焼くためニュアンスが多少ちがいます。

スリップウェアがつないだご縁

濱田が皿をイギリスより持ち帰り神戸港に着いた足で京都の河井寛次郎家に直行し、そして柳もスリップウェアに出逢います。リーチは日本を訪れた折にスリップウェアの技法を広めます。

トットネスの町から南西へ車で2時間ほどのところにセントアイビスの街があります。繁華街を抜け、急な坂道を上っていくと住宅街の中に煙突が立つ三角屋根が見えます。

そこがリーチの工房跡、一度は老朽化が進み解体の危機もあったそうです。でも、工房は再建運動を経て、2008年(平成20年)にリニューアルオープンしました。

「どこもかしこも石、石、石のほか何もない」と濱田は綴っています。作陶ができるようになるまでには1年もの月日が過ぎ、ようやく本格的にスリップウェアがつくれるようになりました。

私はその工房に立ち当時の二人の苦労を思うとき、濱田先生の奥さまが私にその器もてなしてくださったことから、ついこの間のことのように思えて胸が熱くなりました。奥さまの影の支えがあってこその濱田先生。その時のお話でよくわかりました。

”この地を一度は訪れたい・・・”と想い続けてはいたものの最南端のセントアイビスには今までいけませんでした。道具も、登り窯も、土をねかせていた場所もそのままです。おふたりの真剣な作陶する姿が目に浮かびます。幸せで、幸せで・・・はるばる訪ねられたことに感謝いたしました。

最後はロンドンに戻り、朝は澄んだ空気の中、リージェントパーク内のクイーン・メアリーガーデンに薔薇の花を見に行きました。

春から夏にかけて咲く誇る薔薇はとりわけ美しく広い公園内を色とりどりに咲くバラ。香りがあたりを包みます。「ドリス・デイ」と名前のついた黄色の美しいバラもありました。

心ゆくまで緑豊かな公園を散策し、午後からはヴィクトリア・アンド・アルバード博物館のコレクションを観ました。ウィリアム・モリスがデザインした布やタイル、家具、そして他の美術、服飾、工芸品などを堪能した午後でした。

そして、ロンドン最後の夜は英国伝統の味「フィッシュ&チップス」(14ポンド・2000円くらい)を食べました。

街でよく見かけるファストフード的なお店とは違う「ザ・メイフェアー・チャッピー」で。魚の鮮度、衣の配合、使用する油などオーナーのこだわりがロンドンナーにも人気な小さなお店です。

黒白のタイルと木の組み合わせインテリアも素敵。混むので予約していったほうがいいかも知れません。お薦めです。イギリスは移民が多く受け入れているので、インド、タイ、マレーシア、エジプト、中華などそれぞれ美味しいレストランが多いのですが、やはり最後は「英国伝統の味!」美味しかったです。

こうして14日間のイギリスの旅を終えました。

私にとってイギリスは特別な国です。有意義で考え、感じ、よい旅ができました。

イギリスへの旅

初夏のもっとも美しい季節、花々が咲き、風が爽やかで、でも突然の雨に樹木が喜び・・・そんな頃の旅は久しぶりです。

今回の旅の目的のひとつはイギリスに住む息子家族に会うのがひとつ。孫たちはそれぞれ小学校、幼稚園にもずいぶんと慣れて元気いっぱいでホッとしました。

家族の住む街はロンドンから列車で約3時間のトットネスという町です。人口は約8000人。街の中を河が流れ、石だたみの道、シックな建物で緑豊かな美しい小さな街です。

私は箱根と同じように早朝のウォーキングをしました。川沿いを歩き、小さなパン屋さんで焼きたてのパンを買ったり、歩いて7,8分のところのショッピング通りではウィンドウショッピングを楽しんだりしました。朝の町には朝の匂い、生活の様子がよく分かり、私は好きです。

10時過ぎると町は活気づき、以前来たときに見つけた古い建築のカフェでティータイム。素朴なスコーンと紅茶。時にはひとりで。そして、ここもお気に入りのベジタリアンが通うビュッフェ式のお店でランチ。おかわり自由でたっぷり野菜料理がいただけます。7ポンド(980円位)で大満足です。

いつもイギリスで思うことは、日本は湿度の問題もありオーガニック栽培はむずかしい部分もありますが、ヨーロッパでは品揃えがとても豊富なことです。パッケージなども洗練されていて、日本も普通にこの位になるといいな~と思います。

映画の撮影でロンドンに8ヶ月くらい滞在しましたが、私はやっぱり田舎が好き。イギリスではカントリーサイドを訪れるとその風景の美しさに心奪われます。

目障りな看板や電柱もほとんどなく見渡すかぎりのなだらかな丘陵地帯。可愛らしい家々。しかし、そんなカントリーサイドの景観美は初めから存在していたわけではありません。

「ナショナルトラスト」(環境保護運動)が大きな役割を担っています。市民の手により守られてきた歴史があり、英国の美しい自然や貴重な歴史的建造物を市民が自ら寄付や寄贈によって保存してきたのです。

聞くところによると、現在ナショナルトラストの会員は約520万人。イギリスの人口が6600万人。11人に1人が会員というわけです(子供も含む)。会費はたとえば4人家族で年間120ポンド(18,000円程)で、全国に500以上ナショナルトラストはあります。

入場料、ショップやレストランの売り上げなど収益は約5億ポンド(750億)にもなるようです。スタッフは約12,000人。ボランティア61,000人。メンバーズシップの収益は1億6000万ポンド(250億)であとは寄付だそうです。

私も息子家族と一緒に一日のんびり過ごしました。イギリス人は歩くのがとても好きなようです。カフェのランチもスープとパンかサンドイッチくらい。どちらかとゆうとイギリスの庶民の生活は質素で堅実です。

なぜこれほどまでにナショナルトラストがイギリス国民に受け入れられ、社会的なうねりになって人々の支持を受けているのでしょうか。「ピーターラビット」の物語りの舞台が当時のまま残っていますし、英国の人々の憧れの地、コッツヴォルズ丘陵も、湖水地方と並んで、その多くがナショナルトラストの管理です。

この理念は人々の郷土愛。自らの国土を美しいまま次世代に残してゆく・・・・そのような思いが強くあるように感じます。

現在イギリスは多くの問題を抱え、国が揺らいでいます。

しかし、人々の暮らしは堅実であまりお金をかけずに自然の中でのピクニックや散策などとても自然体です。国土を愛する心を強く持っています。

どうか、良い方向に進み、歴史や文化を守りつつ若者が未来を託せるようなそんな国になってほしい・・・と旅をしていて切に願いました。

日本に暮す私たちも「美しい日本」を次世代に手渡すために今、何をなすべきか・・・学ばなければならないことがあるかも知れません。

来週は、もうひとつの私の旅の目的「バーナードリーチさん」の工房跡をお訪ねしたのでご報告いたしますね。