先日、ポーラ美術館で『ゴッホ・インパクト―生成する情熱』展を見てまいりました。






(作品は一部撮影可)
ゴッホは私にとって特別な画家のひとり。『馬鈴薯を食べる人たち』と『靴』という作品との出会いは忘れることができません。
16歳で女優としてデビューしたものの、芸能界は私が生きていく場所なのだろうかと真剣に悩み、ひとり旅に出たのはその2年後、18歳のときのこと。イタリア、イギリス、そして最後に訪れたオランダのアムステルダムにあるゴッホ美術館でこの二作品に巡り合ったのでした。
『馬鈴薯を食べる人たち』には、自らの手で掘り、得たものをランプの下で食べるという祈りのような時間が描かれていました。履き古した靴を描いた『靴』には生きることへの問いがにじんでいると思いました。
私が40歳まで女優を続けられたのは、この二枚の絵のおかげかもしれません。体が震えるような感動とともに、女優といっても私はまだなにもしていない、ゴッホが描いた人々のように、私ももう一度、女優として汗水たらして、懸命にやってみようと、これらの作品が人生の岐路に立っていた私に力を与えてくれたのです。
以来、絵に会いに、何度もオランダに足を運びました。
オランダはもうひとり、私の大好きな画家フェルメールを生んだ国でもあり、数年前にはフェルメールの名作『デルフト眺望』が生まれた場所をこの目で見てみたいと、デルフトまで足を延ばしました。
もちろんフェルメールが生きた17世紀のデルフトと今では、街並みも異なります。けれど、フェルメールが描いた場所の光の中に立つと、作品が体の中にストンと通った気がしました。『牛乳を注ぐ女』に描かれているのと同じようなパンを今でも焼いているパン屋さんを見つけたことにも感動しました。
こうしてオランダとの縁を重ねているうちにいつしか、アムステルダム中央駅が私のお気に入りの場所になりました。アムステルダム国立美術館と同じ建築家・ピエール・カイペルス氏による赤レンガ造りの重厚な駅舎。どこか懐かしい気持ちになるのは、東京駅のモデルにもなったとされるからでしょうか。2番ホームに面した『Grand Café Restaurant 1e Klas』は高い天井にシャンデリアが美しい元・一等車待合室を改装したカフェレストラン。列車を眺めながら、コーヒーとオランダ名物のアップルタルトをいただくのも楽しみになりました。そこに立つだけで旅情を感じさせてくれるのは、多くの別れと再会がこの空間に刻まれているからかもしれないと思ったりもしました。
だんだんオランダが、干拓と運河、そして芸術と暮らしが交差する国であるとわかってきました。自由で寛容、でも常に足を地にしっかりつけている国民であることも。
だからこそ、オランダであのようなゴッホの初期の作品が、あるいは暮らしの一場面の中に宿る光、沈黙、感情の揺らぎまで表現したフェルメールの作品が生まれたのではないかと、初めての出会いから年月を重ね、私は今、ひそかに思っています。
展覧会では、ポーラ美術館所蔵のゴッホ作品3点『ヴィゲラ運河にかかるグレーズ橋』『草むら』『アザミの花』をはじめ、ゴッホの影響を受けた国内外の作家たちの作品が並んでいました。
岸田劉生、中村彝、森村泰昌、福田美蘭、フィオナ・タンなど、時代も表現も異なる作家たちに、ゴッホの情熱が見る者の中に創造の炎をいかに灯してきたかということに改めて気づかされ、心が揺さぶられました。自分の中の何かと共鳴する深い喜びも味わうこともできました。


帰路につく前に、ポーラ美術館を取り囲むように作られた「森の遊歩道」をゆっくり歩いてきました。聞こえるのは小鳥のさえずりと風の音だけ。私が一番好きなヤマボウシの純白の花が見事に咲いていました。
『ゴッホ・インパクト―生成する情熱』展は、11月30日(会期中無休)まで開かれています。