クマのプーさん展

待ちに待った”クマのプーさん”に逢いに9日の初日、雪情報が出ている中、渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムに行ってまいりました。10時開場でしたがすでに長い列ができておりました。

今回は英国ヴィクトリア・アンドアルバート博物館から、クマのプーさん原画や資料も届き、物語が生まれた背景などがしっかり分かる素晴らしい展覧会です。

以前にもブログで映画のプーさんや、児童文学者の石井桃子展について書きましたが、私は大の”プーさんファン”です。

プーさんは年齢を問わず世界中の人々に90年以上も愛されてきました。私が始めてプーさんに出会ったのは「クマのプーさん・プー横丁にたった家」を図書館で見つけたのが、10代の半ば。

プーさんと仲間のピグレット、ティガー、イーヨ、ラビットにオウル、カンガとルー親子、そしてクリストファー・ロビン。A・Aミルン作、挿絵はJ・Hダウド。石井桃子訳。

ヴィクトリア&アルバート博物館は、シェパードが描いた鉛筆画や270点以上の原画や作品に関する手紙、校正刷りや写真などが寄贈され今回の展覧会となったわけです。

原画寄贈から40年以上を経て初となる企画展。ケンブリッジ大学の図書館からはA・Aミルンの手書き原稿もふくめ、”プーさんファン”にはたまらなく魅力的な展覧会なのです。開場では原画はもちろんそうした資料を間近でじっくり鑑賞している青年や女学生たち・・・私と同世代の方々。

そうなのです。私は石井桃子さんの訳に魅せられ、10代終わりの頃(以前にもブログに載せましたが)ロサンゼルスのディズニーランドで、原画に近い大きな”プーさん”の人形に出逢い、抱えて飛行機で一緒に帰国しました。半世紀以上が経ち、現在は孫の仲間になっています。

なぜ、これほどまでに愛されるのか・・・そこには友情と、他者を受け入れることの大切さを学ぶことができるのです。そして、挿絵の中の森や橋など実存する自然がより身近に感じられるし、ユーモアもあり挿絵と文字が一体となって心をポッと温かにしてくれます。

普通の暮らしから親子の在り方、空想や子供が大切に思っていること、自然が与えてくれる豊かさ・・・全てがこの物語にはあるように思います。だから世界中の人々がこれほど魅了されるのですね。

開場は一部撮影可です。スマホで撮る若者、私はいつも持参しているコンパクトカメラで撮りました。原画の可愛いクマのプーさんを見てください。

シェパードはインクで書く前に鉛筆で登場人物の輪郭をラフスケッチしています。登場人物の動きなど試行錯誤を重ねていることなどが分かります。

4月14日まで開催されていますから、時間があったら覗いてみてください。お薦めです。

なんだか・・・心がじーんときて幸せな気分になりました。

クマのプーさん展 公式サイト
https://wp2019.jp/

映画 『天才作家の妻-40年目の真実ー』

人生の晩年を迎える夫婦の危機を見つめる心理サスペンス。
完璧な”妻”が最後に下した決断とは!?
と新聞に載っていました。

1950年代のニューヨーク、60年代と90年代のコネチカット、さらに90年代のストックホルム。

現代文学の巨匠として名高いジョセフ・キャッスルマン(ジョナサン・プライス)と妻ジョーン(グレン・クローズ)のもとにスエーデンから早朝に電話がはいります。

「今年のノーベル賞はあなたに決りました」と。そして受賞式に出席するため夫婦は息子と一緒にスエーデンのストックホルムへと向かいます。

それまでは完璧な”妻”だった妻ジョーンは・・・この映画は心理サスペンスです。

詳しいストーリーは今回ブログには載せませんが、グレーン・クローズの表情で、目で語る静かではあるが、恐ろしいほどのリアルさでの演技には圧倒されました。

そして夫役のジョナサン・プライスの演技は舞台で培われた経験豊富な実力者らしい演技。40年連れ添った夫婦。60年代のアメリカという時代背景から、この映画を観ていかなければなりません。

妻のジョーンは才能溢れる作家志望の女性でした。しかし、日本同様に男女の社会格差があのアメリカでも現実にはけっして平等ではなかったことに驚きを覚えました。

「よき妻を演じる」「秘密を抱えた夫婦に・・・」さ~どのようなドラマが待ち受けているのでしょうか。どこにでもいる夫婦。誰でもが積み重ねていく日常。それらのヒダを演じる役者の巧みな演技。

監督、シナリオ、共に見事です。そして、この映画の素晴らしいところは「理屈では語れない”愛”が存在していること」「自立とは・・・」と我がこととして考えることができ、観終わった後に深く人生を考えられること、それもポジティブに。

女優・グレン・クローズさんの素晴らしい演技に乾杯!アカデミー賞を受賞してほしい、と思いました。観終わったあとの開放感はまた特別でした。

柳宗悦の「直観」美を見いだす力

箱根の我が家のまわりでは今、ロウバイが可憐な黄色い花びらを広げています。寒さはこれからが本番ですが、澄みきった青空の下で咲くロウバイの花を目にすると、冬の後には必ず春が来ると感じさせられ、心がぽっと温かくなるような気がします。

先日、東京で早めに仕事を終えた帰り、日本民藝館の『柳宗悦の「直観」美を見いだす力』展を見てきました。駅から民藝館までの道にもうらうらと日ざしが降り注いでいて、胸を弾ませながら、心地よく歩くことができました。

――美しさへの理解は、知識だけではなく「何の色眼鏡をも通さずして、ものそのものを直に見届ける事」、すなわち直観が必要である――。日本民芸館の創設者である柳宗悦先生はそのようにおっしゃっています。中学時代に柳先生の著書に出会い、お考え、美意識、生き方のすべてに感銘を受けた私は、以来、柳先生を心の師として、その足跡を追ってきました。

民藝館の前で、建物をカメラに収めているフランス人の50代のカップルに気が付きました。和風意匠を基調としつつ、随所に洋風を取入れた旧館は柳宗悦先生が中心となり設計された建物。石塀は国の有形文化財に登録されています。

「なんて美しいの」「素晴らしい」カップルから漏れ聞こえる感嘆と賛辞の言葉に、わがことのように嬉しくなりました。

今、欧米やアジアでも、日常の中の美が見直されています。王侯貴族だけに許される華やかな道具、あるいはお祭りや特別な日にだけ使うものだけではなく、毎日の暮らしに存在する道具の美しさを大切に思う、まさに柳先生が見出した美意識や価値観が静かに浸透しつつあります。

朝、起きて、顔を洗い、食事をし、家族と語らい、自分なりの役割を果たし、夜、安らかに眠りにつくという、意識にもあがってこないくらい当たり前の日々。けれど、美しい道具を大事に使うことで、ひとつひとつの動作が丁寧になり、その小さな積み重ねが日常を味わい深いものに変えてくれると、私も実感します。

日本民藝館の中には、中国や韓国からの方々もいらっしゃっていて、みなさん熱心に柳先生が集められた名品をご覧になっていました。最近、どの美術館でも海外からのお客様をお見掛けすることが増えてきたとは気づいていました。

確かに柳先生は朝鮮陶磁の美を見出した先駆者ですし、かの地でその存在をご存知の方もいらっしゃるとは思います。けれど、いわゆる観光地から離れた場所にこじんまりと立っている民藝館にまで足を延ばしてくれる海外からのお客様が増えていることに、感動を覚えずにはいられませんでした。

今回の展示は、柳先生の眼差しを追体験してもらうため、説明や解説が省かれていました。それもひとつの考え方であり、そうした趣向、展示方も理解できます。けれど一方で、はじめて民芸という思想に触れ、民芸の名品を目にする人にはやはり、直観を働かせるための手がかりのようなものが各国語であってもいいのではないかとも思いました。

多くの観光客が来日するようになり、その数はこれからますます増えるだろうと予測されています。そうした人々も視野に入れ、在り方を進化させている美術館や博物館も数多くみられます。

自然との共存、人との和の中で培われ、受け継がれてきた民芸は、効率、成果、結果を第一に求めがちな現代に、もうひとつ大きな幸福があることを教えてくれます。

日本で生まれ育った民芸という美、普遍的な価値観を、日本人のみならず、世界中の人に知っていただきたい、柳先生が唱えた美しい道具を使う美しい国を世界に発信していっていただきたいと切に願っています。

そして、未来を担う子供たちへも手渡していってほしいです。『美』を。

特別展公式サイト
http://www.mingeikan.or.jp/events/special/201901.html

映画 ボヘミアン・ラプソディ

伝説のバンド「QUEEN」

60年代後半から70年代。私はロックバンドの音楽やコンサートにはあまり行っていないし、聴く曲も何となく”聴いたわ、知っている・・・CMや映画で”程度のまったくの未知の世界でした。

今回映画を「IMAX」で観ました。音響、映像、なによりもワンフレーズを耳にした途端に鳥肌がたつような想いにかられ、吸い込まれていきました。

1970年、ロンドン、複雑な生い立ちや、容姿のコンプレックス、セクシュアリティを抱える若者フレディのスタート。

彼は1991年45歳という若さで他界しています。彼らを演じるのは現在活躍している俳優たちです。

正直に言って映画の中盤からでしょうか・・・なぜか涙が止まらない、バックからハンカチをそっと取り出し目頭をおさえ、エンドロールになってもその感動を抑えることができません。

ヴォーカルのフレディ・マーキュリー。魂が乗り移ったかのようにフレディを演ずるのはエミー賞にも輝いたラミ・マレック。音楽総指揮は、「フレディの意思を守るため」に全てに関わったというQUEENのメンバー、ブライアン・メイとロジャーテイラー。

観衆、人々に寄り添い続けた名曲の数々はこれほどまでに人の心を揺さぶるものなのでしょうか。ひと目で恋に落ちるフレディ。数々のヒット曲を世に放ち、大スターになっていく「QUEEN」そしてそこから生まれるフレディの苦悩の数々。

『これは伝記映画ではなく、純粋なアート』。

家族や人間関係、希望、夢、悲嘆や失望、そして最後には勝利と達成感が誰にとっても共感できるものがたりです、と語っていますし、制作したクラハム・キングは『この映画で私たちがやり遂げたことを誇りに思う』と。

10年近い歳月をかけて制作した彼の思いには尊敬いたします。そして、私はフレディ役を演じたラミ・マレックに拍手喝采!です。彼は語っています。彼の曲に共通するテーマは『愛だね、愛を求め、愛を見つけることへの切実なニーズ。そして、かなわない、その願い』・・・

フレディは大変な日本贔屓で、7回の来日のうち1回はプライベートできて、美術関係に造詣の深いフレディは日本の骨董品もずいぶん買われたようです。

1975年の初来日の羽田国際空港。大勢の日本人女性の歓迎をうけます。私は・・・といえばその頃、羽田空港国際線ターミナルからニューヨークやインドなど、また日本国中の旅の下。

ほんとうに残念です。当時のライブを生で観られなかったことが・・・。映画館にはその「QUEEN」のコンサートやCDなどを楽しんでいらした女性たちや若者も多く、すでに興行収入は100億を超えたとか。

この年齢で知ったロックの魂に触れられた幸せをかみしめながら、近じかもう1回観に行こうと思っています。

小さな旅・鎌倉

小雪舞う箱根の山はそれは美しいです。先日も早朝いつものようにウォーキングをして芦ノ湖の畔まで行くと雪もやみ霊峰・富士が見え”キレイ”と思わず手を合わせていました。

しばらくすると青空も見えてまさに「三寒四温」。厳しい冬の中にわずかに寒さがゆるむ日。このような日は一番ウキウキする日なのです。

春を待つことば、「三寒四温」。このような日の私の頭は”小さな旅がしたい!”でいっぱいになります。『そうだわ・・・あの幻想的な竹林で美味しいお抹茶をいただきたい』、ということで山をバスで下山し大船乗換えで鎌倉へ。

鎌倉は娘が営んでいるアンティークショップ「フローラル」があるので時々訪ねます。

鎌倉駅から鶴岡八幡さままでの小町通りなどは観光客で賑わい歩けないほどですが、脇道に一歩入れば、細い路地にかつて文士たちが暮したであろう往時の気配が残る魅力ある街です。

そこで、まず私はかねてから気になっていた、鎌倉駅のホームからも見える「チョコカフェ」に行きました。西口から徒歩1分。1階奥には木のぬくもりが感じられるカフェとショップ。2階席ではカフェから電車を見たり外の景色を見ながらホットチョコにエスプレッソを入れた飲み物をいただきながら、のんびりと寛ぎます。

目の前は桜の樹。春も素敵でしょうね。1階のショップでは美味しそうなチョコが並んでいました。ここのチョコレートはカカオバターや乳製品が入っていないとのこと。

カカオ豆の風味が楽しめます。
お店の名前は「ダンデライオンチョコレート」。

何でも発祥の地はサンフランシスコとのこと。『朝焼きたてのチョコレートクロワッサン』も美味しいそうですが、ボリューム満点。次回、挑戦してみましょう。

今回はチョコクッキーをおみやげにして東口に地下道を通り、駅前のバス乗り場へ。京急バス。(23・5番)太刀洗行きか(24・5番)金沢八景行きなど。

浄明寺下車(約15分)そして坂を少し上ったところが(徒歩3分)『報国寺(ほうこくじ)』。

足利氏、上杉氏の菩提寺として栄えた禅寺です。美しい参道に続く「薬医門」が迎えてくれます。苔むしたアプローチが美しく目を楽しませてくれます。茅葺で趣のある鐘楼(かねつき堂、)鎌倉将士の墓五輪塔郡、本堂には本尊、釈迦如来坐像、川端康成が「山の音」を執筆したといわれる小机が残されているそうです(ともに非公開)。

日曜日7時半から座禅会も開かれ初心者にもていねいに指導してくれるようなので、ご興味のある方はお調べください。

入場込み、お抹茶とお菓子付きで700円。木漏れ日が差し込む竹林の散策路を通り、「休耕庵」でお茶をいただきながらの午後のひとときは至福のときです。

美しい竹の庭には約2千本の孟宗竹が一年を通じて美しさと力強さが堪能できます。目を瞑りしばし・・・非日常的な空間に身を置くことで、身体の力が抜けていきます。『好きです私、こういうひとときが。』風の音、竹の葉のすれる音、日本の美ですね。

そして、またバスにのり娘のショップでひと休み。彼女のショップの品々はセレクトが私の好きな商品が多く、行くのが楽しみです。今回は友人へのプレゼントにカップ&ソーサーを選びました。

そして、日も落ちかけた夕暮れ時、行くと毎回うかがう「ガーデンハウス」へ。西口から歩いて3,4分のところにあり朝は9時~22時まで。朝のパンケーキ、フレンチトーストも美味しいの。一度早起きしてパンケーキを食べにいきましたっけ。

こうして、私の小さな旅は終わりました。東海道線とバスを乗り継ぎ帰路に着きましたが、この頃思うのです。この年齢になったら、思いついたら行動し、風や匂いに癒され、自分自身を解放してあげる・・・大事なことのように思います。

心にしみわたる映画と芝居

まずは映画から。

家に帰ろう

私は映画を観終わってからパンフレットを必ず買います。そして、帰路につく新幹線の中で、また家に帰ってからじっくり読み余韻に浸ります。出演した俳優、監督、スタッフ、プロダクションノートなどなど、映画を2度観たような気分になれます。

今回はプログラムを開いたと同時に目に飛び込んできた方、十代目・柳家小三治師匠のお名前。

誰にでも観てもらいたいけど
誰にも教えたくない気持ちもある。
たまたま観た人と良い映画だったねと
言えたら嬉しい。

泣けて笑えるアルゼンチン映画です。多数の国際映画祭で観客賞を受賞した感動的なロードムービー。

アルゼンチンから故郷・ポーランドへ向う88歳の仕立て屋アブラハム(ミゲル・アンヘル・ソラ)。ナチスのホロコーストを生き延びた男性が、70年越しの約束、自分が仕立てたスーツを届けに最後の旅にでます。

家族から老人施設に入るように言われ、その予定の前夜にポーランド行きの列車に乗ります。カードに「ドイツを通らず」と書き。

スーツの届け先は、第二次世界大戦中にホロコーストから命を救ってくれた親友。でも70年の歳月がたっています。

寝坊して電車に乗り遅れたり、旅費を盗まれたりとトラブルの連続ですが、そこで出逢う人々とのユーモア溢れる、人情味あふれるシーンの数々に、涙がこぼれたり、笑いがこみ上げてきたりします。

出発したところが”家”だったのか、向う先が”家”なのか・・・

70年ぶりの再会ははたせるのか。
そして迎えるラストシーン。

パブロ・ソラロス監督は、お祖父ちゃんがポーランド人で、アルゼンチンに移住し仕立て屋をしていて、監督が5、6歳の頃に「ポーランド人なの?」と聞いても沈黙が家族の中にはあったそうです。作品を観ることなくお祖父さんは亡くなっています。

物語の中盤で、ドイツを毛嫌いする頑固なアブラハムに手を差伸べるのが、ドイツとポーランドの女性という設定もニクイ!うならせてくれます。

少しづつ心を開いていく主人公。旅する中で他者との出会いによって、暗く深刻になる話がユーモアのある人間味あふれる映画になっています。

小三治師匠の『たまたま観た人と良い映画だったねと言えたら嬉しい』とのコメントに深くうなずく私。

旅の終着点で見せる主人公アブラハムの表情がすべてを語っています。親友に出逢えたのです。街灯で親友のポーランド人と出会って心ゆくまで抱き合って泣きます。

人はどこに生まれ、どこに帰りたいのでしょうか。泣かされました。人って愛しいと思いました。国境を越えて。

銀座シネスイッチで。

 

そして芝居

蝋燭の灯りだけの舞台に、ゴザをまとった老人が中央に静かに静かに歩いてきます。腰は曲がり、盲目のひと。「あんた、ほんとにおなごにほれたことがありなさるか」。

民俗学者の宮本常一の著書「忘れられた日本人」のなかの「土佐源氏」を戯曲化した独演劇。

著書の冒頭に「あんたはどこかな?はぁ長州か、長州かな、そうかなあ、長州人はこのあたりへはえっときおった。長州人は昔からよう稼いだもんじゃ。このあたりへは木挽や大工で働きに来ておった。大工は腕ききで、みなええ仕事しておった。」で始まる宮本常一の「土佐源氏」。

私がこの本に出会ったのは20歳くらいの時だったと記憶しています。

日本全国をくまなく歩き、古老から話を聞き、辺境の地で黙々と生きる日本人の存在。私にとって『宮本常一』という方の存在は驚きでした。

生涯地球を4周するほどの行程をひたすら自分の足で歩き続けた民俗学者。机上の空論ではありません。でも・・・私自身若かったから、どこまで理解できていたのかは定かではありませんが、本を読みあさり、足跡を追って旅に出て、土地の古老から「宮本常一」の人となりを聞き、故郷の山口県周防大島に通い、私の旅の原点になったのでした。

芝居の話にもどります。

演ずるのは初演から51年。1200回を超えてなお舞台に立ち輝きを放つ役者『坂本長利さん(88歳)』

1月5日と6日、座・高円寺で1200回突破記念公演がありアフタートークのある5日に行ってまいりました。
https://kyowado.jp/tosagenji_2011.html

(写真出典:和の心を伝えるイベンドプロデュース響和堂

はじめて拝見する芝居。
”圧倒されました”

初演は1967年、新宿のストリップ劇場だったそうです。それから今日まで「どんなところでも、その土地、その場所が私のひのき舞台」とおっしゃり出前芝居のはじまりでした。

ドイツ、オランダ、ペルー、ブラジル、エジンバラ、最初はポーランドだったそうです。字幕ナシ、開演前にポーランドの俳優が、ポーランド語と英語であらすじを朗読したのです。すべて日本語での舞台。

ボン(ドイツ)では劇場支配人が舞台上で「サカモトが、私の劇場の床に汗を落としてくれた。こんなに嬉しいことはない。また是非来てくれ」といわれたとあります。

「土佐源氏」について坂本さんは語られます。「演り始めた初期のころ、あまりのつらさに爺さんを殺してしまいたい、と”殺せぬものへの殺意”をいだいたことが二度三度あった。」と。

四国山中に実在した者からの聞き書きです。

それを30代の坂本さんがなぜ、どこに惹かれ舞台にあげたのでしょうか。「役者の業の深さと言えるかもしらんが、人間の修羅場にひかれてしまったのだろう。」とも仰います。

盲目の老人、牛や馬を売買する商いに従事する姿。70分の舞台をひとり演じ続けます。客席は250席くらいでしょうか、満席です。「あんた、ほんとにおなごにほれたことがありなさるか」・・・

宮本常一ご夫妻も1971年の7月、水道橋の喫茶店で演じたときにご覧になり「お前さん大変なことを始めたもんだなあー。(以下略)」と。

舞台終演後、素顔に戻っての対談の椅子に座った坂本長利さんにまた驚き。若々しい!ダンディー、チャーミング、その優しいまなざし、役者魂の姿。2011年に胃がんの手術後も毎朝散歩し、木刀を100回振って体を鍛えていると新聞に載っていました。

精力的に舞台に立ち続け、呼ばれたら全国どこえでも出かけて「出前芝居」を続けておられます。

”人を愛するこころ” がどれほどのものか”情”の大切さも教えられ、観終わり心地よい気持ちにさせられました。

『百歳になったら、もっといい芝居ができるんじゃないかと思う。それが楽しみ。』と坂本さん。

素晴らしい映画と芝居に出逢いました。

松の内

皆さまはどのようにお正月を過ごされたでしょうか。今日から「御用始」。挨拶回りや新年会、という方。まだもう少しゆっくりお休みという方。主婦の方は年末年始はゆっくりできませんね。ご旅行に出かけられた方もおいででしょうね。

「松の内」は関東では元旦から6日または7日まで、関西では14日または15日まで。

『初夢』はごらんになられましたか。元旦の夜から2日の朝にかけて見る夢。「一富士、二鷹、三茄子」は、縁起のよい夢の代表。私はこの古伊万里の大皿で元旦を迎えます。

年にたった一回、お正月の朝だけ、おせち料理の取り皿として使います。一年に一度の出番なんて贅沢のようですが、晴れがましい気持ちになりますし、心のなかでウフッとしてしまうような楽しさがあります。

初夢のめでたいもの尽くしのお皿一枚一枚、家族一人ひとりの前に並べながら、家族の息災と幸せを祈ります。調べてみましたら「一富士二鷹三茄子」の節はいくつかあることがわかりました。ひとつは「不死、貴、成す」つまり日本人お得意の語呂あわせからきているという節。またかつては冬のナスは高価な贅沢品なので、初夢に出てくるのは縁起がよいとされた説など・・・

平成最後の元旦、私は夜明けとともにわが家から歩いて30分ほどの箱根神社に初詣に向かいました。うっすらと茜色に染まった雲、山の稜線、澄んだ空気。元旦の初空は晴ればれとしています。

2019年が、災害のない平和な年になりますように。そして、家族の無病息災を祈願いたしました。

そして2日は箱根駅伝を沿道で観戦。小雪舞う芦ノ湖に選手が次々にゴール。あの山を上ってのゴールです。3日は早朝、まだ月、星の見える時間にスタート地点に行き、応援団の皆さん、「箱根駅伝」のスタッフの皆さん。地元わが町の皆さんのお手伝いする姿、スタート前にインタビューを受ける監督など。富士山の美しい姿も芦ノ湖の向こうに見えてきます。

一年間この日のために頑張ってきた選手、スタッフのみなさん!頑張れ!ゴールするまで応援を続けます。

そして、今日4日は毎年恒例の上野鈴本演芸場に新春の落語を聴きに行きます。お正月ならではの出し物。華やかな寄席です。自称”おっかけ”の小三治師匠もご出演なさいます。トリは柳家三三師匠。

こうして私のお正月は終わり、仕事始めは6日の文化放送「浜美枝のいつかあなたと」がスタートします。新年最初のお客さまは、政治学者の姜 尚中(カン・サンジュン)さんです。

この度、『母の教え 10年後の「悩む力」』をお書きになられました。姜さんは来年(2020年)、古希を迎えられます。これまでの生活をリセットされ軽井沢へと移住されました。

この放送は収録なので、年末にお話は伺いました。ご著書の中に『私は今、極寒の厳しい冬が巡ってくるにしても、「高原好日」の環境のなかにいる。生々しい下界の世界に片足を置きつつ、他方で、高原の緑に身を潜め、世界を揺るがすような出来事をじっと見つめている』・・・お母さまからの教えについてもたっぷり伺いました。放送は2回にわたります。ぜひ、直接、姜さんのお話をお聴きください。

放送は1月6日、13日
文化放送「浜美枝のいつかあなたと」
日曜10時半~11時

今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

良いお年をお迎えください

寒気厳しく、星空が美しい季節となりました。

今年も残りわずかとなりました。
皆さまお変わりなくお過ごしでしょうか。

今年も私のつたないブログをお読みいただきありがとうございました。

16歳で映画デビューから60年。この11月で私は75歳になりました。今の私があるのは、多くの方との出会い、支えられ、と感謝の気持ちで毎日を過ごしております。

人生100年時代を見据え、生活はシンプルに。毎日の暮らしを心豊かに・・・そして、モノより時間、感動、好奇心をもち、できたら無理をせず旅も続けたいし、映画鑑賞と美術館巡りは欠かせないし、アンテナをはり情報を集め来年も健康に楽しく過ごしたいと思っております。

仕事は今まで続けてきた『農・食・美しい暮らし』というライフワーク、そしてラジオのレギュラー番組・文化放送「浜美枝のいつかあなたと」などを中心に、これからも丁寧に歩んでいくつもりです。

今後とも変わらぬお付き合いをいただけますよう、どうぞよろしくお願いいたします。

良いお年をお迎えくださいませ。
浜 美枝

美智子さまと星の王子さま

先日、本屋さんで素敵な本に出逢いました。

美智子さまと星の王子さま”です。
鮫島有美子さんの文章で彼女の歌と朗読のCD付きです(文藝春秋)。

美智子さまが半世紀前に紡がれた可憐なメロディ、歌曲『星の王子の・・・・・』を知っていますか?と帯に書かれていました。

え、美智子さまが”星の王子さま”にメロディを? 『星の王子さま』の翻訳は内藤濯(あろう)氏。メロディは内藤さんの和歌にでした。

いずこかに
かすむ宵なり
ほのぼのと
星の王子の
影とかたちと
(内藤濯氏によるものです)

ねむれ ねむれ
母の胸に
ねむれ ねむれ
母の手に
(以下略)

「シューベルトの子守唄」の訳詩もされた方です。世界中で親しまれ、読まれてきた「星の王子さま」。中でも内藤さんの訳が私は一番好きです。翻訳された時は内藤さんは70歳になられておられたとのこと。なんと瑞々しく、優しく、どこかロマンチックで美しい日本語なのでしょうか。日本でも600万人を超える読者に親しまれているそうです。

内藤氏の訳本、『星の王子さま』が最初に店頭に並んだのは昭和28年でした。しかし一色刷りで、本来の美しさではなく内藤氏はお気に召さなかったとのこと。発売から十年の歳月を経て、昭和37年に現本通りに多色刷りの挿画が実現されました。そうなのですね~・・・私はこの愛蔵版が(岩波少年文庫版)出版された時に購入し、夢中になって読んだのですね。

昭和38年の春、当時皇太子妃であられた美智子さまのお手元に届けられたそうです。ご存知のように美智子さまは童話や絵本にも造詣がお深くていらっしゃいます。でも当時内藤さんの『星の王子さま』をご存知でいらっしゃらないと耳にした内藤氏が献上され、『星の王子さま』を読まれた美智子さまから内藤氏にお礼のお手紙が送られてきます。

「あまり美しい物語だったためでございましょうか、読み終えて少しさびしくなりました。よい御本を頂いて、本当にうれしゅうございます」(美智子さまと星の王子さまから)

こうして交流がはじまったお二人は親子ほどの年のひらきはあるものの”美しいことば”を通し、交流を深められていらしたのですね。美智子さまからのお手紙を女官が時折お届けの時は文箱の上には、東宮御所のお庭で摘まれた小さな花が一輪、さりげなく添えられていたそうです。美智子さまは時折小さな花束をお持ちになり被災地をお訪ねになられますね。

枯野の箱根の山で青空の広がる午後のひととき、こうして「「美智子さまと星の王子さま」を読み、まもなく訪れる「聖夜」に想いを馳せ、太陽の新生を祝いたくなります。バックに美智子さまが半世紀前に紡がれた可憐なメロディが流れています。

素敵な本に出逢いました。

『平成』という時代に美智子さまと共に歩んでこられたことに深い感謝の気持ちでいっぱいです。

北斎に逢いに・・・長野・小布施の街へ。

北斎に逢いに・・・長野・小布施の街へ。

師走に入りこの時期の旅は”静かに旅”ができるのです。草木も枯れはじめ一面の枯野。箱根から小田原、東京で北陸新幹線に乗りJR長野駅へ。さらに長野鉄道に乗り換え35分で小布施に着いてしまいます。

駅から徒歩約10分で町の中心へ。まずは「栗の町小布施」ですから小布施堂本店で栗蒸し羊羹とお抹茶でひと休み。この小布施は人口1万2千人あまりのところに今や年間100万人以上の観光客が訪れるそうです。

そんなことで私は”栗の季節”を避ければ素敵かも・・・との思いで初めて小布施に行ってまいりました。小布施の町づくりは有名で、一度は訪ねたいとは思っておりました。「豊かな自然に包まれた小布施らしい暮らし」をイメージし長い年月をかけて作り上げた美しい町、小布施。

以前に文化放送「浜美枝のいつかあなたと」でゲストにお招きした神山典土さんの書かれたノンフィクション『知られざる北斎』(幻冬舎)を一気に読みました。帯にはモネ・ゴッホはなぜ北斎に熱狂したのか?日本人だけが知らない真実。「ジャポニスム」の謎を解く。とあります。2019年は北斎の170回忌!

今回の旅の目的はその北斎を訪ねることです。

83歳から小布施に拠点を置き、亡くなる90歳まで描いた肉筆画や祭屋台絵など貴重な作品が「北斎館」に展示されていることを知りました。

「江戸の浮世絵師・葛飾北斎(1760-1849)についてはある程度の知識はありましたが、今回はじめて観る肉筆画や祭屋台の天井絵の「浪図」2点。浮世絵はヨーロッパに大量に流失してしまいますが、肉筆画は小布施で堪能できます。

70歳代で描いた「富嶽三十六景」や「富嶽百景」などはよく知られていますが、当時の80歳代といえば平均寿命の倍近く、なぜ80歳代になり江戸から250キロも離れた小布施まで行ったのでしょうか。

そこには良きパトロンでもあった豪農商、高井鴻山(こうざん)の存在が大きかったのでしょう。詳しくは「知られざる北斎」をぜひお読みください。

北斎館と高井鴻山記念館をつなぐ「栗の小径」は栗の角材が敷き詰められていて足に心地よいです。そして、どの家々も塀をつくらず小路を抜けられるようにできているし、自動販売機は見当たりません。賑やかな看板もないし、ほんとうに落ち着いた街です。でも・・・100万人の観光客。住民のご苦労は大変なことでしょう。

北斎も小布施の栗を楽しまれたのでしょうね。江戸時代は小布施栗は将軍家への献上品だったそうですから庶民には高根の花。砂糖や寒天以外、餡にも小豆など使われていないのが小布施流だそうです。80代の北斎も栗羊羹など食べて一心不乱に画業に励んでいたのでしょうか。

文人墨客をもてなし、北斎も逗留した高井鴻山邸跡は記念館になっていて当時の面影を感じ取ることができました。

そして、最後に今回どうしても見てみたかった俳人・小林一茶ゆかりの古寺で天井には北斎が肉筆で描いた21畳敷もある「大鳳凰図」のある岩松院へと向かいました。

穏やかな農村風景の中、山門をくぐると、ナントナント「法要のため」午後の見学はできません!と書かれてありました。「う~ん、またいらっしゃいと言うことね~」とあきらめ街に戻り、最後に向ったのが「栗の木テラス」。こちらでモンブランとダージリン紅茶をいただき小布施の旅を終えました。

100万人もの観光客が訪れるのに、素朴で小さな駅舎がなんだか心をポカポカとさせてくれます。夕日の落ちかける中、町の人たちの穏やかで優しさに包まれた初冬の小布施。車窓からは赤く染まる山々が見送ってくれます。

『北斎さ~ん、またお逢いしにまいりますね』と。旅っていいですね!健康でいたい・・・としみじみ思った一日でした。