特別展「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」展

鎌倉時代に建てられた木造の本堂が国宝に指定されている「大報恩寺(だいほうおんじ)」。古刹に伝わる慶派のみほとけ展が10月2日から12月9日まで上野の東京国立博物館平成館で開催されています。

私は特に定慶作のほとけさまが好きで行ってまいりました。

運慶晩年の弟子の肥後定慶の「六観音菩薩像」(重要文化財)」は優美で、気品があり、快慶、行快作の秘仏本尊釈迦如来坐像はお寺以外で拝観できるのは今回の展覧会が初めてです。

大報恩寺は、応仁の乱の西軍総大将・山名宗全邸から至近距離にあったので、以前訪ねたときに本堂には応仁の乱の際についた刀傷が残されていましたが、よくこれら「みほとけ」が無事であったことにあらためて手を合わせました。

会場は鎌倉彫刻の宝「快慶」の一番弟子、行快が制作した釈迦如来坐像に快慶最晩年の十大弟子立像が周りをかこみます。このような見方はお寺では無理で博物館の展覧会ならではです。そして、次の会場に入ると定慶による六観音菩薩像が360度、ぐるっと後ろのお姿も拝観できるのです。

2020年には開創800年を迎えられる大報恩寺。北野天満宮の近くなのでたびたび訪ねますが、今回秘仏本尊「釈迦如来坐像」を拝ませていただき、当時貴族から庶民まで信仰を集め親しまれたことがよくわかります。

そして足を進めると私が憧れている定慶による六観音菩薩像に出逢えます。

後期(10月30日から)は観音像の後背が取り外しになり展示されるとのこと。こうした取り組みは国立博物館初めての試みだそうです。これも博物館の展覧会だからこそできるのでしょうね。

12月9日までにはもう一度行きたいと思います。透かし彫りの後背のシルエットの美しさと取り外したお像の後ろのお姿・・・と両方覧ることができるのですものね。

最後の最後に出逢える定慶の『聖観音』(撮影可)の前に立ち心静かに、この時代を生きた慶派”快慶・定慶”に。そして『みほとけ』に心のなかで手を合わせ会場を後にしました。

会場に若い女性たち、外国人の姿も多くみられました。

東京国立博物館公式ホームページ
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1914

「徹子の部屋の花しごと」

今回のラジオのゲストは花を活けた回数1万回以上。テレビ朝日『「徹子の部屋」の花しごと」』をお書きになられたフラワーアーティストの石橋恵三子さんです。

石橋さんは1940年、東京・文京区のお生まれ。日本のテレビ黎明期から、様々な番組作りを支えてこられました。テレビや映画で使用される花や食べ物を指す業界用語「消えもの」を日本で始めて担当し、放送開始から42年を迎えた名物番組「徹子の部屋」では、その日のゲストに合わせて初回からずっと花を活け続けていらっしゃいます。

テレビをご覧になった方々も、ゲストのお話はもちろん、中央に飾られている花に目がいきますよね。事前に調べておいたゲストのイメージメモをもとに、アレンジを組み立てていくのだそうです。

その日のお花の状態を見ながら、そしてご自身の直感を信じながら、アレンジしていくとのこと。まさに番組や黒柳さんの伴走者でもあります。番組で飾った花は毎回アルバムに保存し、活けた花の名前も全て専用ノートに毎日記録しているとか。

ラジオではゲストとの”石橋ミラクル”と呼ばれる奇跡を呼ぶお話もうかがいました。事前にゲストが誰かを調べて、その人の最近の出演作や近況からイメージを膨らませて飾る花をきめるのだそうです。

時には季節はずれの花(たとえば桜など)もそろえます。特に想い出深いのは高倉健さん。とおっしゃいます。高倉さんの好きな花が「都忘れ」であると聞き、収録に間に合うように頑張って房総まで調達しに行き、生けたそうです。

せっかくなので花束にして収録後に差し上げたら、その都忘れの花束から1本抜いて「ありがとう」と石橋さんに差し出してくださったとのこと。「なんて粋で素敵な振る舞いでしょう!」とおっしゃいます。

結婚や出産、女性がそれらを仕事と両立させていくにはどれほどのご苦労があったことか。一番の理解者はご主人。輝きながら仕事をする石橋さんを精神的に支えてこられたのですね。

『私にとって花とは何か。あらためて考えてみると、それはやはり「人生そのもの」。花がきっかけで人と出会い、仕事になり、その仕事が私の生活を支え、何にもかえがたい生きがいをもたらしてくれました。花があって生かされた私。死ぬまで花に囲まれていたいと思っています。』と目を輝かせて語る石橋さんはまるで少女のような美しさと、仕事をする女性として凛とした姿。眩しいほどでした。

私も「徹子の部屋」には何度か出演させていただきましたが、白と赤の花がいつもバリエーションを変え徹子さんと私の間、真ん中に生けてくださいます。

そして、収録の日は素敵な花束を頂戴いたしました。テレビスタジオとはまた違い濃いローズ色のダリアとユリなどシックな大人の色の花束でした。

素敵なお話をうかがえました。
ラジオをぜひお聴きください。そしてご本を手にとってください。

放送日は10月14日(日)、10時半~11時
文化放送「浜美枝のいつかあなたと」

映画『プーと大人になった僕』

1924年に英国の作家A・A・ミルンが生み出したキャラクター「ウィニー・ザ・プー」。

『くまのぷーさん』と親友の少年クリストファー・ロビンが長い時間を経て再会するファンタジー。「100歳になっても、きみのことは絶対に忘れない・・・」そう誓って離れ離れになったプーさんと少年が、旅行かばん会社の部長となったクリストファー・ロビンと再会するのです、プーさんと。

物語の舞台は、第二次大戦後のロンドン。部長として働く彼はいつも眉間にシワを寄せ、部下のリストラを迫られ、頭の中はいつも仕事でいっぱい。可愛い娘、愛する妻ともすれ違いが続き、「今一生懸命働いているのは家族の将来のため」と妻に。妻は「それより今一緒にいたい」「覚えてる?私はあなたの妻よ」と皮肉めかして返す。家族と過ごす時間よりも仕事・仕事。

そこへプーさんが現れ、かつて遊んだ森へと誘います。

映画を観始め、プーさんが現れ、実写の世界で動いている。動いているプーさんが!と、私。プーさんが大好きな私はもう、もう、涙がこぼれそうに感動です。8月の「石井桃子展」の記事にも載せましたが、私がプーさんの本に出逢い、アメリカのディズニーでプーさんのぬいぐるみに出逢い、飛行機で一緒に帰国したお話はぜひブログをご覧ください。

うっかり屋でトンチンカンなプーですが、「仕事って、ぼくの赤い風船より大事なの?」「何もしないことが何かにつながる」など、ハッとする一言を無邪気に言うプーには忘れかけていた少年時代の心をとりもどさせてくれます。

子供時代を過ごした森に戻り「今」を大事に生きるプーたちとの時間は、”何が大切か”を教えられます。今の日本人には耳が痛いですね。朝から晩まで働き、家族より仕事を優先させてきた私の世代は特に考えさせられるのではないでしょうか。

現代の若者たちは違いますね、むしろ大切なことは何かを知っているように思います。

今回主演したユアン・マクレガーは語ります。「子供の頃は誰もがそうなのに、大人になると変わってしまう。人が失ってしまったものを思い出させてくれるから、僕はプーさんが好きなんだ」と。

ミルンの物語は、当時戦争で疲れた大人をも魅了したのでしょうね。そして、戦後小学生だった私は、カマドの前で火の番をしながら何だか寂しくなってきて、涙がポロポロこぼれてきた時、プーさんが現れて励ましてくれましたっけ。

映画が終わり、会場が明るくなり後ろを歩いている30代らしき男性2人がささやいていました。「そうだよな~、働き過ぎだよな~俺たち」。

「そうですよ、少しはリラックスしてくださいね~、あなたにとって幸せって何ですか?」と心の中でエールを送った私。爽やかで暖かな気分になる映画でした。

映画公式サイト
https://www.disney.co.jp/movie/pooh-boku.html

映画『輝ける人生』

原題は『FINDING YOUR FEET』
どのような訳になるでしょうか。

「自立して歩き出そう」「自分の足で立ちなさい」・・・輝ける人生を送るためには”自分の足で立つ”。もうじゅうぶん人生を経た60代の男女のラブストーリー。この映画は年輪を重ねた人にこそ問いかけたかったのでしょう、監督は。

だって「自立して歩き出そう」って若者に使う言葉ですよね。その言葉をあえて原題にしたのには訳があります。

35年間専業主婦だった主人公サンドラ(イメルダ・スタウントン)が、夫の浮気をきっかけに人生を見つめ直す物語。舞台はロンドン。

35年も連れ添ったマイクは、州の警察本部長を勤め上げた功績が認められて、ナイト爵を授与されました。

家でお祝いのパーテイが行われていた最中・・・(映画なのでストーリーは詳しくは載せませんね)家を飛び出し向かった先はサンドラの姉のビフ(セリア・イムリー)のもと。

サンドラはテニス仲間に囲まれて楽しい年金生活が待っていたはずなのに・・・突然の夫の裏切り。

傲慢に振舞うサンドラ。姉のビフは自由に独身生活を謳歌しているようにみえるのですが、ラストシーンちかくで真実がわかります。

姉は気分転換にとサンドラをシニア向けのダンス教室に連れ出します。教室には様々な事情を抱えるシニアが参加しています。この人間模様が素晴らしいのです。この映画に登場する男女は、真に大人でそれぞれが、自分らしく誠実に生きている。

そうなのですよね~、誠実に生きることの難しさ、窮屈さ、はじめはそんなつもりではなく良い妻、良い母であろうと努力をします。しかし、その窮屈さを感じてしまったら、サンドラの選んだ”道”は・・・やりなおすきっかけはすぐそばにあった。

コメディーとドラマと恋愛をこれほどチャーミングに見せてくれた監督は数々の賞を受賞しているリチャード・ロンクレイン。

モーガン・フリーマンとダイアン・キートン主演の『ニューヨーク 眺めのいい部屋売ります』など大人の映画の名手。みんなが踊るダンスナンバーが充実しています。

イギリスの名優たちが演ずるちょっとほろ苦くも優しく愛に満ちた演技は観終わったあとに”女性としてのこんな気持ちを持ち続けていたい!”と思わせてくれるし、人生後半生を、心から楽しむ勇気を与えてくれる映画ですし、生きる力を、そして『自分の足で立つ』ことで”輝ける人生があることを教えてくれます。

最上のラブストーリー!世界的な高齢化時代に伴い、こうしたストリーに寄り添うことの幸せをプレゼントしてくれた映画でした。それにしてもラストシーンの鮮やかなこと!

映画公式ホームページ
http://kagayakeru-jinsei.com/

没後50年 藤田嗣治展

約100年前、パリを拠点に海外で活躍した藤田嗣治(1886~1968)。没後50年の節目に、代表作約120点を集めた回顧展が、東京・上野の東京都美術館で開催されています。

これまで、何度となく藤田の展覧会には足を運びましたが、今回の回顧展は点数だけではなく、章ごとに藤田の人生と絵画世界をより知る構成になっています。

改めて藤田嗣治について語る必要のないほど日仏を舞台に活躍した画家・藤田嗣治。

今回の回顧展では26歳で仏に渡り、風景画や静物画を手がけ「乳白色の裸婦」で評価を高め、パリ郊外にある小さな村”ヴィリエ・ル・バクル”で藤田が終の棲家として死の直前まで君代夫人と暮し、81年の生涯を閉じるまでその家で使っていた手づくりの身のまわりの品々まで見ることができます。

箱根ポーラ美術館で『藤田嗣治~手しごとの家』を観てその生涯を知りたくてパリ郊外の小さな家を訪ねたのが2011年9月のことでした。
そのときのブログをご覧ください。2011年9月23日

乳白色の裸婦から「自画像」へ。この自画像(東京国立近代美術館蔵)で謎がとけるようにも思います。

そして27歳の時に現地で描いたおかっぱ頭の自画像が、宇都宮市内で見つかった。と新聞に先日報道されていました。パリで藤田と交流があった作家・島崎藤村らと友へ送るために寄せ書きをしているという記事です。もっとも古いとされています。他の画家の”自画像”とは異なるのです。

そして『戦争画』。3年前、東京国立近代美術館で藤田の戦争画全14点が一挙に公開され、大画面のその戦争画を観たときには「藤田と戦争」について考えてみました。

ヌードを描いた人が戦争画を描く。そして、祖国を去らざるをえない状況になり、最後は宗教画に打ち込み、洗礼を受け、静かに人生の幕を閉じます。

先日NHKの「日曜美術館」を観ていたら、終の棲家のアトリエから藤田自身の”生の声のテープ”が発見されオンエアされました。それは、ユーモアをまじえながらの藤田の”遺言”のような気がしました。

「天声人語」が心に残りましたのでここに載せます。

太平洋戦争末期、俳優の児玉清さんは東京から群馬へ集団疎開していた。ある日、教室で先生から言われた。「悲しいニュースがある。東京に空襲があって、君たちの中に家が焼けてしまった人がいる」。ところが、家が焼けたと伝えられた子たちは喜んで万歳をはじめた。

児玉さんもその一人だった。「お国のために役に立ったんだと、誇らしい気がしてね」。家が無事だった子たちはしゅんとしていたという(梯久美子著『昭和二十年夏、子供たちが見た戦争』)

身に降りかかった災禍を、栄誉と思い込む。戦時下の異常な発想が、子どもにも浸透していた。この絵にも、そんな空気がまとわりついていたのだろうか。東京都美術館で開催中の藤田嗣治展で、戦争画「アッツ島玉砕」を見た。

北太平洋の島で日本軍2600人が全滅した戦闘に、洋画家は材を取った。暗い色調。敵味方も判然としない兵士たちが、折り重なるように闘う。苦痛に顔が歪む者。いま見ると反戦画かと思えてしまう。

藤田が会心の作としたこの絵は陸軍に献納され、戦意高揚に使われた。公開されると、絵の前でひざをついて祈る人もいたと伝わる。死は、社会に埋め込まれていった。やがて「一億玉砕」が叫ばれるようになる。

戦前のパリで名声を得た藤田の絵は、画面に広がる乳白色が特徴だった。その画風を捨てて打ち込んだ戦争画は賞賛され、戦後は手のひらを返すように批判された。時代に歯車を狂わされた一人であろう。(8月23日掲載の朝日新聞)

テープの中から聞こえてきた藤田の声。

会場最後に飾られている箱の上の十字架風の祭服を着た幼子イエス・キリストが描かれた(十字架)は、藤田亡きあと君代夫人の枕元にいつも置かれていたそうです。

最後に、10年ぶりに撮った小栗康平監督の映画『FOUJITA』(ブログに載せております2015年10月16日)で監督はこう語ります。

『フジタが生きた二つの時代、二つの文化の差異。パリの裸婦は日本画的といってよく、反対に日本での”戦争協力画”はベラスケス、ドラクロアなどを手本としてきた西洋クラッシックの歴史画に近いものだ。これを、ねじりととるか、したたかさととるか。ともあれ、一人の人間が一心に生きようとした、その一つのものだったか、を問いたい』と。主演はオダギリジョーさん。

回顧展を観てから一ヶ月。カタログを見ながら、やはりフジタは人間への愛と絵画への情熱をもち続けた画家であったと改めて思いました。

東京都美術館 公式サイト
https://www.tobikan.jp/exhibition/2018_foujita.html

映画『祈り』

岩波ホール創立50周年記念・特別企画で上映されているのが、『祈り三部作』の「祈り」「希望の樹」「懺悔(ざんげ)」です。

3作品の中で私は「祈り」を観てまいりました。監督はジョージア(グルジア)の巨匠・テンギズ・アブラゼ。荘厳なる映像詩「祈り」は51年の歳月をかけて日本で初公開されました。

ジョージア映画が誕生して今年で110年になるそうです。自国の民俗文化を取り入れてソ連邦時代をとおして、激動する時代の影響を受けながらも、かずかずの名作を制作してきました。テンギズ・アブラゼ(1924-1994)監督の三作品は20年近くの歳月をかけて完成されたそうです。「祈り」(67)「希望の樹」(76)「懺悔」(84)

コーカサスの厳しい自然を背景に、人々の対立をモノクロームの荘厳な映像ではじまります。冒頭に、ジョージアの国民的作家ヴァジャ・プシャヴェラ(1861-1915)の

「人の美しい本性が滅びることはない」

という言葉がスーパーででます。

監督の願いがこめられているのでしょか。まず、そこで胸が熱くなります。コーカサスの美しくもあり厳しい山々に囲まれた村、分断と対立が広がる現代に、監督は私たちに何を手渡そうとしているのか・・・人間の限りない愛情と信頼、寛容、愛、自由に対する祈りがこめられているのでしょうか。

映画ですが、セリフはいっさいありません。全編ナレーションです。ストーリーは隣り合って暮すヘヴレティの住民山岳地方のジョージア人とキスティ(チェチェン・イングシー人)の間の争いを描いています。

宗教の違う人間同士。自ら殺した男の果敢な戦いぶりに感じ入った主人公が村の掟(腕を切って持ち帰る)に従わず村の長老の怒りを買い、村を追われます。

宗教の異なる異民族の男を尊敬すべき相手として認めるのですが、社会がそれをゆるしません。私はこのあたりの歴史や文化をよく理解していないのですが、全編が叙事詩です。モノクロームの光りと影、辺境ともいえる中世の石造りの家々。白と黒のコントラストは、きっと監督は善と悪、光りと闇の対立を意識しての映像なのでしょう。

美しい白い衣服を身にまとった女性。とにかく映像がこの上なく美しいのです。全編が沈黙。ナレーションによって映画は進められていくのですが、ひとこと一言が社会的不正義を告発し続けた監督の人間への深い信頼と愛、自由への祈りがこめられているように想いました。

51年ぶりにこの映画を観ることができ岩波ホールに感謝です。そして、人種や宗教が違えども人間は信頼にたりうるのだと深く感じ取らせてくれた監督に感謝です。

残りの二部作品も近々観にいくつもりです。テンギズ・アブラゼ監督のファンになりました。過去の9作品全部観たいです。

岩波ホールを出て、しばらく神保町の街並みを歩き、その余韻に浸り、心が静かになり、温かな気持ちになりました。

素晴らしい映画でした。
10月13日(土)~26日(金)まで岩波ホールでジョージア(グルジア)映画際が開催され新旧の未公開作品が一挙上映されます。

岩波ホールの公式サイト
https://www.iwanami-hall.com/

追憶の旅 北海道 美瑛(びえい)

その葉書が届いたのは、そう・・・もう24,5年前でしょうか。
旭川から富良野に行く途中の美瑛の美しい丘陵のハガキでした。
友人は北海道をひとり旅をしていて、その美しさに感動をしたとのこと。

写真は美瑛の丘陵に惚れ込んだ世界的な風景写真家・前田真三さんのものでした。麦畑やジャガイモ畑、咲き乱れる花々。その美しいハガキにこちらが感動し、彼女の優しさに胸がキュンとしたことを鮮烈に覚えております。

『行きたいな~・日常から解放されたいな~』との思いで、ハガキは夏でしたが、晩秋の頃に2泊3日で旭川からJRに乗り美瑛に行きましたっけ。

20年前に亡くなられた前田真三さんが開設した、個人のギャラリー「拓真館(たくしんかん)」がありました。廃校になった小学校の跡地を利用し、1987年7月にオープンしたとのこと。
拓真館公式サイト:
https://www.biei-hokkaido.jp/ja/sightseeing/takushinkan/

中に入ると目を奪われます。前田さんは美瑛の丘の美しさに衝撃を覚え、「この丘への思いは募るばかりである」と語っておられます。

氏の代表作「麦秋鮮烈」。赤麦と呼ばれているタクネコムギの強烈な赤の色彩には、「突然の夕立が、作物についた埃などを洗い流し、色合いも鮮やかになって斜陽した瞬間をとらえた」と説明がされていましたが、しばらくはその美しさの前に私は立ちすくんでおりました。

四季折々の風景を観てロフトになった展示コーナーには「心の眼で撮る」という前田氏の感性が伝わってくる世界感があります。

たっぷり一日は過ごしたでしょうか。写真を堪能した後は白樺が美しい散策路を歩き満喫したことが、昨日のことのように思い出されます。2300本の白樺、小路には野の花が咲き、この上なく幸せな気持ちにさせてくれます。

丘の大地が生まれたのは、十勝の峰々が200万年ほど前から、繰り返し大噴火を引き起こし、泥流、火山灰が積み上げ丘や平地が形成されたのですね。その肥沃な土地での農業・酪農など、先人の努力で現在の美しい恵みが誕生し、「農の町」となり、温泉にも恵まれ観光地としても豊かな町になっているのでしょう。

その美しさを広めたきっかけは前田真三さんの写真だと思います。
『美しい丘は農業を営む人たちにより創りだされています。』とパンフレットにもあります。

そうなのですね。文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時)の中のコーナーで「よい食と共に」があり、毎回その土地でとれたものを、生産者の創意工夫でその地域ならではの特産品をリスナーの方々にお伝えしています。

そこで、『美瑛』につながります。ある日「丘のおかし焼きとうきび」をご紹介したのですが、まあ~~美味しいこと!しょうゆの風味が香ばしい、美瑛産のとうきびのフリーズドライ。スタジオではひと口なのですが止まりません!ほんとうに止まりません!

有楽町駅前の交通会館の地下にあるアンテナショップ「美瑛選果」に行きました。ありました!さっそく6袋購入。1袋(300円)広くはない店内ですが左手に10名くらい座れるテーブルと椅子があります。

皆さん「美瑛豚」を使用しているカレーを美味しそうに召し上がっておられましたが、私は昼食はすんでいたので、美瑛牛乳で作られた「ソフトクリーム」をいただきました(389円)満足・満足!ショップにはいろいろ、とくにあずきも美味しそう。次回は買いましょう。

と、言うわけで『追憶の旅』は食も、農も、風景も、農家がつくっている。そんなことを思い出させてくださいました。

アンテナショップの「焼きとうきび」お薦めです!

美瑛町の公式サイト https://www.biei-hokkaido.jp/ja/

没後10年 石井桃子展「本を読むよろこび」

翻訳『ピーターラビット』シリーズや『クマのプーさん』、創作『ノンちゃん雲に乗る』など優れた児童文学に生涯をささげた石井桃子さん(1907~2008)に光りをあてた展覧会「没後10年 石井桃子展」が横浜の海の見える丘公園内にある県立神奈川近代文学館で開催されております。(9月24日(月・振休)まで)

ある晴れた日、箱根の山から横浜まで、小さな旅をしてまいりました。

昭和初期から101歳で亡くなるまで、編集者、翻訳家、作家として幅広く活躍され、児童文学の研究や”家庭文庫”の開設など、その幅広い業績は多くの人々に影響を与えました。

今回改めて文学館で、書簡や原稿、また写真をはじめ、約400点の資料を丹念に見ていくと、石井さんは戦争の時代を乗り越え、働く女性の先駆者的な役割を担ってこられたことが良くわかります。

『クマのプーさん』の原稿を売り込む手紙や、児童文学者A・Aミルンが書いたプーさんのお話を親友のために少しずつ翻訳し、1940年に『熊のプーさん』として刊行したことも知りました。

私が生まれる3年前のことになります。あの軍国主義が広まっていく時代背景を思えば、大変なことであり情熱を注いだことがよくわかります。

石井桃子さんは1907年(明治40年)3月10日、埼玉県の浦和で、銀行員の父・福太郎と母・なをの間に生まれ、兄ひとり、姉四人、祖父母、いとこなど大家族の末っ子として愛されて育ちます。

住む家も敷地内に畑があり、自給自足の生活の姿は昔のまま。広々とひろがる田畑を遠く囲んで林が見え、その林の上に富士山が見え、それが、私の世界の果てであったと「幼ものがたり」に記されています。児童文学への素地はこのような環境におおいに関係があるのかも知れませんね。

日本女子大学校に在学中から、近くに住む作家・菊池寛のもとでアルバイトをし、その縁で卒業後、翌年、菊池が組織した「文筆婦人の会」の一員として文藝春秋の仕事に関わるようになります。「婦人サロン」や「モダン日本」の編集にも携わり、親友となった小里文子ともここで出逢います。

今回の資料で嬉しい発見がありました。それは、『なぜ、石井さんはプーさんに惹かれたのか』ということが分かったからです。

私は「クマのプーさん」が大・大・だい~好き・・・だからです。小学生になり、家は貧しかったので本を買うことはできませんでしたが、図書館でよく借りていました。何度も・何度も借りてきて読んだのが「クマのぷーさんプー横丁にたった家」でした。

1929年ころから、石井さんは菊池の紹介により作家で政治家でもあった犬養健の父・犬養毅の書庫の整理を任されます。

健や妻や子どもたちと親しく交流するなかで、『プー横丁にたった家』の原書と運命的な出会いをします。それは1933年(昭8)クリスマスイブの晩、犬養家に招待されそこでA・Aミルン作の原書に出逢い、犬養家の道子、康彦姉弟にせがまれその場で訳して聞かせながら、石井さんは「プーという、挿絵で見ると、クマとブタの合いの子のような一種不思議な世界に入り込んでいった」と「プーと私より」に書かれています。

この出逢いがなければ生まれていなかったかもしれませんよね!「クマのプーさん」は。

私はといえば「いつか働けるようになったら”プーさんの本”を絶対に買おう!」と決めていました。女優になりお給料をいただき1962年11月の第一刷発行を待って手にした『クマのプーさん プー横丁にたった家』。

今でも大切に手元に置いてありますし、それから・・・本を手にしてから4・5年経って東宝映画から「パンナム」の日本~ロスアンゼルス間の就航にご招待いただき、ディズニーランドにも連れていっていただき、そこで出逢った「プーさん」50センチはあるでしょうか。帰りの飛行機で私は膝に抱え大事に一緒に帰国しました。私の4人の子どもたちも一緒になって遊び、鼻が少し、取れかけたり・・・と、思い出がいっぱいです。

プーのあの丸々した、あたたかい背中は、いつもそばにありました。その背中は、私たちが悲しい時、つかれた時、よりかかるには、とてもいいものなのです。とりわけ、私が深くプーに感謝したのは死を前にしたある友だちを、プーが限りなく慰めてくれた時でした。(『熊のプーさん』あとがきより)

そうなのですね・・・石井桃子さんもプーに慰められたのですね。私も一緒。

今回の展覧会では、岩波の子供の本や、奨学金を受けて横浜港からアメリカへ出発し全米各地の公共の図書館見学や、ドイツ、フランス、イギリス、イタリアなどまわり多くの有能な図書館員との交流は戦後の日本の児童文学の礎になったことでしょう。

こどもたちよ 子ども時代をしっかりとたのしんでください。
おとなになってから
老人になってから
あなたを支えてくれるのは
子ども時代の「あなた」です。

石井桃子
2001年7月18日

心に残る素晴らしい展覧会でした。

★会期中の関連イベントはすべて満席でした。残念!

神奈川近代文学館 公式サイト
https://www.kanabun.or.jp/exhibition/7991/

琉球 美の宝庫

美しいものが生まれる島 ”琉球”

現在、六本木・東京ミッドタウンのサントリー美術館で開催されている展覧会に行ってまいりました。(9月2日まで)中でも8月22日~9月2日まで開催中の展示国宝王冠(復元)は必見です。

琉球の染色、琉球絵画の世界、琉球国王尚家の美、琉球漆器の煌めき、『生活の中の美』をコンセプトにしているサントリー美術館ならではの企画展です。これまでも”琉球の美”をテーマに数多く展覧会が開催されてきました。2007年に六本木に移転され開催された「美を結ぶ。美を開く」というメッセージは私にとってこの上ない喜びでありました。

何度かブログには載せましたが、私が沖縄の美(琉球の美)に出会ったのは民藝運動の創始者・柳宗悦氏の「手仕事の日本」を手にしたときから始まります。まだ本土復帰前のことです。旅好きの私は日本の地図を広げるのがとても好きです。「山や川や平野や湖水も、それぞれに歴史を語っているからです」・・・ではじまる「手仕事の日本」。

『沖縄ほど古い日本の姿をよく止めている国はありません。』

本の最後のほうにこう「沖縄」が出てきます。
長文ですが最初のところを載せますね。

「火燃ゆる桜島を後にし、右手に開聞ヶ岳の美しい姿が眼に入りますと、船は早くも広々とした海原に指しかかります。煙に包まれる硫黄島とか、鉄砲で名高い種子島とか、恐ろしい物語の喜界ヶ島とか、耳にのみ聞いたそれらの島々を右に見、左に見て進みますと、船は奄美大島の名瀬に立ち寄って、しばし錨をおろします。

更に南へと船首を向ければ、早くも沖縄の列島に近づきます。行く手に細長い島が横わりますが、古くからこの島を沖縄と呼びました。沖に縄が横たわるように見えるので、その名を得たといわれます。

支那ではこの島を琉球と呼びました。沖縄はその本島のほかに沢山の島々があって、中久米島とか宮古島とか八重山島とかの名は、度々耳にするところであります。

日本では一番南の端の国で、荒れ狂う海を渡って行かねばならないので、昔はそこに達するのが並大抵な旅ではありませんでした。この文明の世の中でも、神戸から早い船ですら三日三晩もかかります。島の人達は孤島にいるという淋しい感じをどんなに屡々味わったことでありましょう。

ですが、面積の小さな島でありながらも、一つの王国を成していましたから、長い歴史が続き立派な文化が栄えました。尚王が城を構えたのは首里で、その近くの那覇は国の港でありました。外との往き来が不便でありましたから、すべてのものをこの国で作らねばならなかったのでありましょう。このことが沖縄に独特なものを沢山生み出させた原因となったと思われます。」

そうなのです。この一文に惹かれて私の沖縄の旅は始まりました。心惹かれる染色や織物。南国の花々は四季折々絶えません。緑は濃く、海は青く地は白い。

その自然が生み出したものに「紅型・びんがた」。型紙を用いて染めます。染物にも劣らず、美しい織物。絣の見事さ。織物類は彩の多い柄が麗しくその美しさに目を奪われます。

中でも私が心奪われたのが「読谷村の花織」です。500~600年前に南洋から伝来した織物と言われ、その織りかたが複雑なため織り手がいなくなり、その再現に一生懸命だったのが、読谷村に暮す与那嶺貞さんでした。たった一枚のちゃんちゃんこを手がかりに再現したのです。30年ほど前から通い続けました。今は亡きこの方から、私は忘れられない言葉をいただいたのです。

”ザリガナ サバチ ヌヌナスル イナグ”
もつれた糸をほぐして、ちゃんとした布にする女・・・

こんがらがって織れないからといって切って捨てたら一生布は織れません。女として、それは、丹念にほぐしていきましょうよ。与那嶺貞さんは機織の向こうで穏やかそうにおっしゃるのです。

今回の展覧会には日本民藝館から「花織」が出品されています。
柳宗悦の「手仕事の日本」の中に「沖縄の女性達は織ることに特別な情熱を抱きます。」と書かれております。

展覧会の絵画では、江戸で琉球ブームがおきるきっかけとなった琉球使節を主題とする品々。それはそれは見事な漆器。まさに『琉球の美』を堪能することができる展覧会でした。

私たち本土の人間はこのような歴史や文化をどこまで理解しているでしょうか。先の戦争でどのようなことが起き、沖縄の人々、文化を失ったのでしょうか。今起きているさまざまなことを、もう一度振り返り、この「琉球の美」に改めて触れることの大切さを教えてくれた素晴らしい展覧会でした。

サントリー美術館 公式サイト
https://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2018_3/

深夜航路

なんとも羨ましい旅をなさっておられる方がいらっしゃいます。午前0時からはじまる船旅です。日本で現在運航している深夜便(午前0時~3時発)の全14航路を旅した方です。

北は函館ー青森間。
南は鹿児島ー奄美大島間。
羨ましいのは敦賀ー苫小牧東港。948キロを20時間で結ぶフェリーです。敦賀港(福井県)と苫小牧東港(北海道)深夜航路の中では最長の航行距離。敦賀を出たら能登半島、そして佐渡島・・・ひたすら北上します。

出航が00:30発で翌日の20:30着。「すずらん」(1万7382トン)は本州と北海道を結ぶトラック・貨物がメインですが、旅客サービスにも力を入れていて快適な空間だそうです。

船室は3階層でレストランのみならず事前予約をすればグリル、露天風呂!まであるそうです。あ~いいな!私は憧れていたのです、深夜航路。

クルーズ船とはちょっと違う世界が広がっています。山口の徳山港を午前2時に出航する竹田津港(大分)行き「ニューくにさき」。中国地方と九州を結ぶ唯一の深夜航路、2時間!

旅した方は清水浩史さん。
この度素敵な本を出されました。『深夜航路』(草思社)

午前0時を過ぎると・・・・・。
そこには、「扉」がある。
もうひとつの世界へと通じている扉が。

そうだ。午前0時を過ぎると、扉が見つかるはず。
深夜は誰からも干渉されることのない時間。
最も日常から離れられる時間だからこそ、
見えてくるもの、感じられるものがあるはず。
午前0時に旅立ちたい。
全国の深夜航路の旅に出かけよう。  (深夜航路より)

清水さんは書籍編集者でライターがご本業です。毎日慌しい生活を送る中での深夜航路の旅へと出かけます。これは詳しくお話を伺いたい!とラジオ「浜美枝のいつかあなたと」にお招きし、お話が伺えました。

深夜の旅では、自身の内面が開かれてくる。自己対話、内的省察の扉が開かれてくるのだそうです。日中は知覚がが開かれているので、目の前のことを次々と対処していかなければならない。思索したり、想像することを忘れがちになってしまう。所用時間15分の直島(香川県)と宇野などワクワクしてしまいます。

直島はアートの島として今やフランス人はじめ海外からの観光客で賑わっていますが、深夜になるとまた素敵だそうです。そうですよね~、真夜中に見えてくるもの・・・ってありますものね。まだ若いころから憧れていた「深夜航路」を実践している方がいらしたなんて!

昔、若き頃、コロール島やマップ・ヤップ島で見た満天の星空も、カナカ人が小船に乗って月明かりをたよりに島に辿りついた時の話しを古老から聞いたのも「深夜」でしたっけ。

これからでもまだ出来るかしら・・・。「深夜航路」が。

まずはラジオをお聴きください。
そして素敵な表紙の本をご覧いただき”旅した気分”を味わってください。

文化放送「浜美枝のいつかあなたと」
日曜日10時半~11時
放送8月19日