明けましておめでとうございます。
夜が明けるか明けないか・・・
”私は知っています。”
そして、松の内に上野の鈴本演芸場の正月初席に伺います。落語・
お正月から読み始める本は、傘寿を迎え始めて語る、芸、友、人生 柳家小三治自伝「どこからお話ししましょうか」です。まさに現代落語界の至宝。
そして、本年の私の大きなテーマ「首里城」。
どうぞ本年も宜しくお願い申し上げます。
明けましておめでとうございます。
夜が明けるか明けないか・・・
”私は知っています。”
そして、松の内に上野の鈴本演芸場の正月初席に伺います。落語・
お正月から読み始める本は、傘寿を迎え始めて語る、芸、友、人生 柳家小三治自伝「どこからお話ししましょうか」です。まさに現代落語界の至宝。
そして、本年の私の大きなテーマ「首里城」。
どうぞ本年も宜しくお願い申し上げます。
コミカルでチャーミングで、タイトルから受ける印象と全然違っていて、全編に、とぼけたおかしみが漂っている。正直ロシア映画にこのようなウィットがあることが嬉しくなる映画です。
いわゆる「終活」映画。
物語の主人公は長年、教師をして来て、73歳の今は一人で年金暮らしをしているエレーナ。健康に自信があった彼女に医師から「心臓に問題あり。いつ心肺停止になってもおかしくない」と言われてしまいます。
医師は教師をしていた時代の教え子。そして数日後には突然胸の痛みに襲われます。日本ばかりではなく高齢者にとって”終活”は大問題。
ロシアの小さな田舎町に住むエレーナには都会に出て事業を成功させた自慢のひとり息子オレクがいますが、迷惑をかけまいと、さっそく葬式の準備を始めます。
気丈に生きてきたエレーナに、教え子だらけの村人は頭が上がらない。「元・教師」という設定が映画の中で生きている。なによりも村人達がいい。とぼけたおかしみが漂っているし、なによりも私のお気に入りは村の風情です。
いまどきこんな素朴で、雰囲気のある村があるのですね。古びた木造の家のインテリア、小物、さりげない壁紙、テーブルに椅子。監督のこだわりが感じられますし、なによりも監督に乾杯!はよくこの2人の偉大な女優との仕事ができたことです。
「私は普段、人との付き合い方は気楽に考えていますが、今回は自分よりも何倍も本物で、プロフェッショナルな女優。監督には試練です。でも、二人はとても協力的でした。」と語っています。
監督:ウラジーミル・コット、1973年ロシア・モスクワ生まれ。
エレーナ役はマリーナ・ネヨーロア、1947年ロシア・レニングラード生まれ。ロシアでは知らない人はいない芸術家に選ばれています。
隣家に住むひねくれ親友リュドミラ役のアリーサ・フレインドリフは1934年レニングラード生まれ。自身70歳の誕生日にプーチン大統領からロシア連邦国家勲章を授与された名女優。
息子役にはエヴゲーニー・ミローロフ。1966年ロシア・サラトフ生まれ。ロシアを代表する演劇・映画人。
この3人のほのぼのとした温かさ、また哀しさ、コメディーともとれる映画を深みのある芝居、ほんわかした笑いを生む演技が、深刻になりがちな映画を”笑える終活映画”にしてくれました。
でも、この映画の一番のおかしみは「冷凍されたのに解凍したら生き返った鯉」です。鯉はデリケート魚だそうです。撮影中管理が大変だったことでしょう。こちらも”主役”。
ラストに流れるのはロシア語版「恋のバカンス」。63年にザ・ピーナッツが歌って大ヒットした曲。当時のソ連でも流行っていたのでしょうね。
「母と息子の情愛」を、母は一歩引いて、依存することなく凛と生きる姿にこの映画のテーマが見えて、後味はしんみり、でもほのぼのと・・・・ラストシーンは観る人に委ねた監督の想いに感謝です。正直、地味などこにでもあるテーマをこのような映画に仕立てた監督の力量に脱帽です。
やはり、映画は人生を豊かにしてくれます。いい映画を観終わった後はやはり一杯!ですかね~。し・あ・わ・せ。
南海電鉄高野線の終点、極楽橋駅で降りると山の空気が違います。ここから高野山まで、ケーブルカーで一気に登ります。
真言密教の聖地、高野山は弘法大師・空海が約1200年前に開山し、世界遺産に指定されています。「祈りの対象に宗派は関係ない」というのが、空海の思想です。アフガニスタンで4日朝、銃撃された中村哲医師もこの思想があれば亡くならないですんでいたのに・・・胸がしめつけられます。
約4000人が住む標高900メートルの聖地。高野山駅からは宿坊まで山間を抜けバスで10分ほど。今回の宿坊は金剛峯寺近くなのでとても便利です。奥乃院までも歩いて1時間。
その日は夕方に着いたので宿坊でゆっくり精進料理をいただきました。高野山名物のごま豆腐をひと口。薄味で上品な味。こんにゃくや、刺し身に見立てた料理など。よく考えられた旬の食材も使われていて満足です。そして般若湯を一本。般若湯とは「知恵を生むお湯」。つまり、お酒。友人とお互い一本づつ。翌朝は4時起きなので早めにやすみました。
何度か訪れている高野山・奥乃院。御廟までの参道約2キロの間には、20万とも30万とも言われる供養等が建ち並んでいます。何げなく眺めていると不思議な気持になります。織田信長と明智光秀。徳川家と豊臣家。親鸞と法然。中にはキリスト教の十字架。真言宗の総本山でありながら、他宗派の供養塔も。”祈りの対象に宗派は関係ない”という空海の自由な祈りを体現しているのですね。
翌早朝、宿坊を出て奥乃院まで星空の明かりを頼りに歩きます。薄暗い、というより真っ暗な道は凛とした空気、樹齢数百年の高野杉が包みこんでくれます。この山を平地にした空海の苦悩が偲ばれます。
一歩一歩、足元を見ながらの奥乃院までの1時間は”幸せ!”と思わずつぶやいておりました。そうなのです。一度は赴ってみたかった、そして体験したかった「生身供(しょうじんく)」。
入定後の空海のために行なわれる配膳。5時半には御廟前の玉川に掛かる御廟橋のたもとでお待ちします。寒さに震えながら耳をすますと包丁のトントンという音、よい香り、空海の朝ごはんの準備をしている気配を感じます。
シャンシャンと鳴る半鐘の合図に引き戸が開かれ、黄衣の僧侶が3人現れます。先頭を歩く高僧、続く二人が白木の櫃を長棒で担いでいきます。気が付くと外国人女性の二人がじっと見つめています。
僧侶たちの後をついて御廟前の塔籠堂の中に招かれます。千年以上、毎日、毎日行なわれる365日続いている「お大師さまの朝ごはん」勤行を拝見し、”続けること”の深さをあらためて感じました。
高野山1200年の祈り。
夜も明け、早朝の参道を大急ぎで宿坊にもどりました。7時半の朝食に間に合うように。朝食のときに始めて顔を合わせる宿泊客。なんと20名の中で日本人は私たちだけです。欧米人、中国の若いカップル。フランス人母娘は海苔を珍しそうに眺めていました。皆さん畳の座敷で美味しそうに精進料理を召し上がっていました。
金剛峯寺、高野山霊宝館には空海の書、曼荼羅、仏画、仏像(最近判明した快慶作の)仏さまにも出逢えました。大きな曼荼羅の前の椅子に座り、密教の世界観、宇宙・・・わずかな陽光が射し込む部屋でしばらく自分自身と向かい合うことができました。
帰りは千メートル級の峰々に取り囲まれた盆地を見ながらわずか5分のケーブルカーで極楽橋駅到着。現実の世界です。
今回は”自分と対話する旅”でもありました。
旅ってやっぱりいいですね。
長谷寺
今年の春頃から76歳を迎えたら、奈良の長谷寺・室生寺、そして高野山に行きたいと想い続けており、先週3泊4日で行ってまいりました。
室生寺、高野山には何回か行っていますが、長谷寺は初めてです。今回の旅は友人もご一緒で”おんな二人旅”でした。
小田原から京都に出て、京都から近鉄を乗り継ぎ長谷寺へ。お昼には着きましたので、宿に荷物を預けゆっくりお詣りができました。
ちょうど紅葉の美しい季節。長谷寺の創建は奈良時代、8世紀前半といわれています。大和と伊勢を結ぶ初瀬街道を見下ろす初瀬山の中腹に建っています。また「花の御寺」として多くの人々の信仰をあつめています。梅、牡丹の季節にまた訪ねたいです。
入り口の仁王門から本堂までは399段の登廊(のぼりろう、屋根付の階段)を一歩・一歩上がっていきます。本堂の西方の丘には「本長谷寺」といわれる一画があり、五重塔などが建っています。
正堂の前面は京都の清水寺本堂と同じく舞台づくりとよばれるテラスのような場所からの眺めは素晴らしいです。でも、奈良時代から室町時代までに7回焼失しているそうです。今回は特別展に出会えたので、「本尊十一面観音像」のお足元を触ることができました。
我もけさ清僧の部也梅の花 小林一茶
花の寺末寺一念三千寺 高浜虚子
人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける
紀 貫之
長谷寺を後にして、参道をのんびり歩き美しい柿葉寿司のお店を見つけ、夕食前なのにできたての柿葉寿司を2切れいただきましたが、これまでいただいた中で一番美味しく、この季節10日間ほどが美しい葉だそうです。出来立ての美味しさ、葉の美しさに感動です。
室生寺(女人高野)
私は旅する時には事前にあまり資料を見ないで出かけます。もちろんスマホで調べることもしません。ただ自分の足で歩き、感じ、しっかりと眼に焼きつけ、匂いを、風を感じ、身体全体で感じたいのです。
そんな旅を10代の頃からしてきました。お寺も、仏教も、仏像も私は詳しくありません。惹かれるままに出かけます。そうすると不思議に出逢えるのです。調べるのは帰ってきてからです。何故なんでしょうね~。
室生寺は写真家土門拳さんが伝説的な写真を残されております。室生寺門前太鼓橋。有名な「雪の鎧坂金堂見上げ」雪がうっすらと階段や葉、金堂に白くかかる写真は息をのむほどの美しさです。桜が咲く美しい「室生寺五重塔遠謀」。朝霧に包まれた樹木。優美な国宝金堂を正面から眺めると、きらびやかさのまったくない樹木にかこまれて建つ金堂や五重塔の美しさにただただ見惚れます。
とても残念だったのは一番好きな仏さま「釈迦如来坐像」「十一面観音立像」が展覧会に出品しているために会えなかったこと。土門拳さんの撮られた左半面相はふくよかなお顔にほんの少し笑みをうかべ、優しくいつも迎えてくださいます。山寺の中にあっての魅力なのでしょうね。「女人高野」とよばれるように女人を受け入れた寺で、たたずまいも女性的な優しさを感じさせてくれます。
白州正子さんの「私の古寺巡礼」の本の中に「寺に行く前に、室生の前身ともいうべき龍穴神社を見た方がいい」とあります。今回はじめて行きました。天につきそうな杉木立はそこに居るだけで神秘的です。
拝殿の後ろは神体山になっていて、室生川は川幅も狭く、龍の祠があり今にも龍が現れそうです。万葉のころのことはこれから調べましょう。きっと物語がありそうです。箱根も杉の木立に囲まれていおりますし、箱根神社とよく似ているのです。室生寺が一時龍王寺と呼ばれていたそうですから、そこにも”何か”がありそうです。
と、いうわけで2日間の大和路の旅を終え、いよいよ高野山です。宿坊に泊まり、一番の目的は早朝奥の院で入定後の空海のために行なわれる生身供(しょうじんく)という仏事。1200年、365日一日もかかさず毎朝空海のために「朝ごはん」を供えるとのこと。晩秋の6時はまだ闇の中です。
続きは来週のブログでご報告いたしますね。御廟前の玉川にかかる御廟橋のたもとで待機いたしました。
仕事を終えて帰りに男性だったら、”ちょっと、一杯!”と居酒屋さんへ、いいですね~。女性も軽くワインを飲んで帰る方も見かけます。
私も一日東京で仕事を終えて新幹線に乗る前に軽く一杯!ということもありますが、私の寄り道のなかには”美術館”があります。「あ~疲れた、ちょっと寄り道」でちょくちょく伺うのが東京駅に近い、丸の内にある三菱一号館美術館です。
ビジネス街のオアシスです。明治期のオフィスビルが復元されているため、展示室が小さく、作品をより身近に感じられますし、その日のコンディションで、椅子に座り一枚の絵をじっくり眺められ、絵と向き合えます。
今回の企画展は『吉野石膏コレクション展』です。ポスターの横にはたて文字で 「やさしくなれます」と書かれています。
ルノアール、モネ、シャガール、ゴッホ、コロー、ミレー、クールベなど19世紀フランスの絵画の数々。画家の人生、作品の背後にある歴史や社会に想いを馳せながらの鑑賞は至福のときです。
でも今回はちょっと疲れ気味で全てを見て回るほどの体力がなく、しかし・・・一枚の絵の前で釘づけになりました。始めて観る実物。フィンセント・ファン・ゴッホの『雪原で薪を運ぶ人々』。
「馬鈴薯を食べる人々」に魅せられ10代だった私。人生を大きく変える一枚でした。冬枯れの景色に薪を運ぶ農民一家。背後には赤々とした夕日が描かれています。ゴッホにとって太陽は、教会などの宗教的モチーフといわれますが、オランダ時代の作品では珍しいとのこと。
雪の上をもくもくと歩く農民。でも空の色は温かみのあるグレー。過酷な労働のように見えても、そこに”働く歓び”も感じます。”やさしくなれます”ってこういう気持なのね~、とつぶやく私。
そして、シャガールの部屋へ。1887年、白ロシア共和国(現ベラルーシ共和国)に生まれ郷土色豊かな東方ユダヤ文化の中で育ちます。1910年にモンパルナスに集う芸術家たちとの交流、運命的に出逢った伴侶べラ。作品の数々に登場します。
バイオリン弾き、恋人たちと花束。天使と恋人たち、翼のある馬、そして、最晩年(92歳)の時の作、「グランド・パレード」。美術館の小部屋で作品に囲まれているうちに、シャガールの歩んできた激動の道のり、ロシア革命、第二次世界大戦、アメリカへの亡命など、その絵からは葛藤や苦しみが微塵も感じられず、詩的で美しく、あくまでも優しさに包まれています。生きていくうえでの愛情と喜び・・・92歳にしての瑞々しさ。
身も心も空になり心の泡立ちを感じていた私に、シャガールは温かな手を差伸べ抱きしめてくれているようでした。ひとりの時間、ひとりの空間。その空間に身を置くだけで肩の力が抜けていきます。一枚の絵との出逢い。
そして、美術館に併設されているカフェでワインを一杯いただき帰路につきました。
三菱一号館美術館公式サイト
https://mimt.jp/ygc/
毛無山に広がる上ノ平高原を抜けて車が進むとブナの原生林。箱根とはまた違う奥信州にキノコ狩りに家族と出かけてまいりました。
宿泊は野沢温泉。江戸時代から湯仲間という制度があり地域ごとに守られてきた共同浴場(外湯)
そんな中にキノコ名人がいる宿に泊まり、その名人にご案内いただきました。”キノコ狩り”は始めての経験です。一緒に行った孫たちももちろん始めて。
ブナ林を分け入り上っていくと空気が違います。豊かな水、澄んだ空気、山の豊かさを身体ごと感じることができます。山道を少し歩くと朽ち木や土の上にキノコ・キノコ。
食用・有毒、みわけはまったくできません。名人が「これは毒キノコ、手の平ほど食べたら天国に行っちゃうよ!」と。ブルブル。そして、始めて見る天然のなめこ。「え~こんなに大きいの、丸まっていないの?」と私。「八百屋で買うのとは違うでしょ!天然は美味しいよ~」と名人。
奥信州の味覚、なめこは雪深い山奥でブナの大木に自生しているのです。ちょうど晩秋の紅葉の頃より発生し降雪期まで採取できるそうです。根のほうから静かに採ると香りが違います。「え~これ、しめじですか」と私。普段はオガクズより人口栽培されたものをいただいておりますが、自然しめじは原木に発生しています。時間を忘れ夢中になってしまいました。
ナメタケ・シイタケ・クリタケ・ムキタケ・ヒラタケ・アミタケ・ナラタケ・・・など等。なめこや、しめじの料理の下準備、料理方法も教えて頂きました。
下準備1:きのこの石突き(軸の末部分)をはさみで切る。
2:きれいに水洗いする(なめこは数時間水に漬けておくと簡単に洗えます)
料理方法:沸騰した湯の中へ1分ほどつけてから取り出し、傘の裏側へレモン汁と醤油をかけていただく。なめこ汁・酢の物・吸い物・寄せ鍋などいろいろ。
保存方法も教えていただきました。
石突きを切り取りよく水洗いしたきのこを2時間ほど水につけておきフリーザーパックへ1回に使用するだけ入れ冷凍保存・解凍方法は、凍ったまま沸騰した湯の中にいれ解凍。
夕食は寄せ鍋・酢の物・しいたけ・ひらたけ・くりたけの天ぷら。これがとても美味しかったです。物質的には恵まれた豊かさの中にある現在の暮らし。名人からは山の現状など、様々なことも教えていただきました。
8割が森林の日本。戦後山々に杉の木が植林されました。しかし、現在は安い、ということで国産材を使うことが少なく、海外の材料が多く使われています。山は荒れています。下草を刈り、間伐をし、太陽を浴び、風を通し、”健全な森”にしなければなりません。
山の管理のあり方はとても重要です。経済優先だけでは山は守られません。動物や植物の生態系も変化し続けています。情報もふんだんに溢れ、平和も、自由も、世界の国々に比して少しも引けをとらない程に手にしています。
でも・・・心からの「豊かさ」を実感できないこともあります。自然の中に身を置く、時には必要ですね。
赤々と燃えていた木々の葉がすっかり落ちて、秋の終わりを告げるころ白銀の世界がひろがり、奥信州にも本格的な冬がやってくるのでしょう。
11月9日、30年来の沖縄の友人と共に、首里城に行って参りました。
10月31日に起きた首里城の火災から9日。前々日には沖縄に入っていたのですが、焼失した正殿、南殿、北殿を目にすることがためらわれ、伺うことができたのは沖縄滞在最後の日でした。
瓦が残っている北殿を仰ぎ見、失ったものの大きさに、改めて愕然としました。
失われたのは建物だけではなく、琉球王国時代から伝わる貴重な収蔵品や、多くの人々が技術をつくし、心を注ぎ込んで作り上げた復元品も失われました。私を惹きつけてやまなかったそれら工芸の数々を思い出し、胸に悲しみがあふれました。
私を民芸の世界に導いてくださった民芸の創始者・柳宗悦先生は、沖縄の織物や焼物、漆器などの工芸品に魅せられ、沖縄を『驚くべき美の王国』と記しました。その言葉に背中を押されるように、私は沖縄に通いはじめ、沖縄こそ民芸の故郷と思うようになりました。
その中で、琉球王国と王家に伝わる文化財の多くが沖縄戦によって失われてしまったこと、この首里城建設には、沖縄の宝を収集し、技術を再現し、後の世に伝えていくという意味も含まれているということも、知りました。
沖縄は和の島です。
その中心にある首里城は、美の城です。祈りの城です。
沖縄の人たちの誇りであり、大切なよりどころです。
私たち、日本人の宝物です。
「必ず再建する」と、沖縄県、那覇市、そして国も立ち上がりました。
「沖縄、がんばって」
「応援しています」
日本だけでなく世界中の人から、多くの励ましも寄せられています。
「もう一度ですね」
「やりましょうね」
目に涙を浮かべつつ、友人が力強くうなずきました。
建物はもちろん、工芸などの復元にも、多くの、おそらくは技術的な困難があるでしょう。けれど、きっと乗り越えて、守礼門から再び首里城の美しい姿を見られる日が来ると、私は信じます。
先日、佐賀県の基山町のお招きを受け講演にお邪魔してまいりました。
博多からJR鹿児島本線の快速わずか30分、都会の喧騒を離れ自然豊かな魅力的な町でした。まもなく晩秋、山々が紅葉に彩られ美しい風景がみられることでしょう。
50代から80代までの幅広い町民の方々の前で約1時間のお話をさせていただき、その後パネルディスカッションに参加させていただきました。ディスカッションでは魅力ある町づくり、未来へ向けて豊かな町づくりなど
皆さん真剣にお話くださいました。
今回は、基山町でお話させていただいた講演の一部をご紹介させていただきます。私自身が今感じていること、考えていること、などを皆さんにご報告したくて。
『私の朝は早いんですよ。普段の日は、5時に目覚めると、ベッドの中でしばし瞑想します。それから起きて、30分のトレーニングとストレッチを、体と向き合う気持ちでじっくりと行い、天気がよければ箱根の山を1時間ほど歩きます。
以前は足腰を鍛えたいと、速足で2時間近くも険しい山道を歩いていたのですが、あるとき体が悲鳴をあげまして、今は無理はしなくなりました。
何事もゆっくりゆっくり。
山歩きもうっすら汗ばむ程度で十分。
無理は禁物と自分にいいきかせています。』(講演より抜粋)
『食事は三食、基本的に自分で作ります。野菜と肉や魚、バランス良く三食なるべく自分で作り、しっかりかんで食べる。週に1回、小田原で買い物に行き、一週間分の食材を仕入れてきます。
忙しいころは、野菜の切れ端をうっかり余らしてしまったりすることもありましたけれど、今は全部の材料使い切り、冷蔵庫を空にします。食品ロスはゼロというのが、私のひそかな自慢です。』
『70歳になっても80歳であっても、筋肉を鍛えることはできるといわれます。一生、元気に歩くための筋肉を作り、「筋肉貯金」を今から、はじめませんか。
私は山歩きをしていますが、家の近所を毎日歩くだけでも筋肉は鍛えられます。またこうしたトレーニングを続けることで、病気や認知症のリスクも遠ざけることができるともいわれます。』
『ウォーキング、ヨガ、フラダンス、なんでもいいので、自分にあったものを探し、体を動かすことを楽しんでいただきたいと思います。
毎日、30分歩く。週に1回、ヨガスクールで汗を流す。
こうした小さな目的を持つことは、生活のはりにもつながります。』
『精神の健康も重要です。これをやっていると楽しい。わくわくする。
そういったものをみなさん、お持ちですか。たまに「もう何もおもしろくなくて」と嘆かれる方もいらっしゃいますが、それは自分と向き合っていないからではないかと思います。
自分が何に興味があるかわからないという方におすすめのひとつは、新聞の切り抜きです。
最初はちょっと気になった記事はみんな、切り抜いてしまってください。続けているうちに、自分の興味の傾向がわかってきますよ。』
『女性の生き方、ボランティア、映画、演劇……。興味が持てることがわかったら、行動しましょう。家から外に出かけていくんです。
あの映画を見るために日比谷に行く、劇場に足を伸ばす、ボランティアがどのようにおこなわれているのか、どこで行っているのかを調べて、話を聞きに行く……目的があればひとりで行動することもさびしくありません。
私の知り合いは、朗読のボランティアをやっています。そのために、本屋や図 書館に足繁く通い、おもしろい本を探し、滑舌をよくするために毎日「あえいうえおあお」の訓練や早口言葉を練習しています。』
『家の中を片付けることも、精神を輝かせるためにとっても素敵なことだと私は思っています。好きな食器やグラス、座り心地のいい椅子、窓から見える緑、部屋を彩る植 物や花瓶の花……。
私も毎日、植物に水をやり、花瓶の水をかえ、週に1回、花を求め、ときには庭の草取りもやっています。そういうことをやり続けることがまだできる自分が嬉しいですし、同じことをしているようで、そうではないんですね。咲く花も毎日違います。
ほほをなでていく風も日々変わります。ふと季節の変化を感じたりすること も、また楽しいものなんです。
こうして好奇心を持ち、体や心を動かし続けていれば、世の中が愛おしくなってきます。』
『子どもが巣立ち、子どもが独立していく。これは親としてもっとも喜ぶべきこと。それが子育ての目的といっても過言ではないですよね。
私は4人の子どもを育てました。それぞれ、個性が違いましたし、成長のスピードや、成長する時期も違って、子どもともに悩み、母親として私も共に、成長させてもらったように思います。
子育ての最中、どんなときも揺らがなかったのは、子どもは預かり物であり、社会で独り立ちできるまでが、私の大仕事だということでした。』
『どんなに仲がいい夫婦でも、死ぬまでふたり一緒に過ごせるわけではないんですよね。必ず、どちらかが先に旅立ち、もう一方がこの世に残されます。
そして女性の方が一般的に長生きなので、妻があとに残されるケースが多い のも、世の摂理なんですね。
大家族で暮らしていても、世代が違えば、興味も異なりますし、やはりひとりの時間を生きなくてはなりません。
誰かと共にいるから、孤独と無縁であるとはならないんです。
人間とは、そういうものなのではないでしょうか。』
『年齢を重ねれば、ひとりで過ごす時間とより仲良くしなければなりません。誰も自分を楽しませてくれなくなるからです。自分を楽しませ、励まし、喜びをもたらしてあげられるのは、自分なんです。
ひとりの時間の可能性に、もっと光をあててほしいんです。
ひとりだからこそ、自分の好きなことができます。
明日のことを考え、自分に向き合うことができます。
孤独だからこそ、自由でいられます。
自分を知り、自らに優しくも厳しくもなれます。
孤独の深さを知っているからこそ、家族や友人をより深く愛し、そうした人々がいてくれることに感謝の気持ちを抱くことができます。
ひとりの時間を上手に過ごすことで、自分の可能性を信じ、変化し続けることを望み続けることができるんです。
ひとりの時間、そして孤独は怖いものなどではなく、むしろ、自分らしく生きる ために不可欠なものなんです。』
『あなたの中にどんな新たな芽が潜んでいて、これから何に夢中になるのでしょう。どうぞ、一日一日を大切に、わくわくしながら進んでいっていただきたいと思います。』
昨日、首里城の正殿、南殿、北殿が焼失しました。
首里城は、私にとって、特別な思いのある場所です。
民藝の柳宗悦先生に導かれるように、私が初めて沖縄の地を踏んだのは、まだパスポートが必要だった時代でした。そこで、琉球時代から伝わる織物、塗り物、焼き物など、素晴らしい作品を作り続けていた人々と出会いました。
太平洋戦争の激戦で多くの人命が奪われた沖縄で、悲しみをこらえ、再び琉球の文化を次世代へとつなげようと、もう一度、立ち上がった人たちでした。
そうした人々が30年という歳月を費やし、建物はもちろん、内部の道具類に至るまで復元したのが首里城です。細部に至るまで清らかで美しく、琉球の心に触れる思いがしました。美に抱かれるとはこのことかと思いました。
多くの人々の英知、技術の粋、琉球の心が詰まった首里城が失われたと思うと、あまりに残念で、悲しくてなりません。
涙を流しながらでもいい、私にできることは何だろうか、みんなでどう応援すれば沖縄のためになるだろうか、と、考えていきたいと思います。