沖縄・首里城

11月9日、30年来の沖縄の友人と共に、首里城に行って参りました。

10月31日に起きた首里城の火災から9日。前々日には沖縄に入っていたのですが、焼失した正殿、南殿、北殿を目にすることがためらわれ、伺うことができたのは沖縄滞在最後の日でした。

瓦が残っている北殿を仰ぎ見、失ったものの大きさに、改めて愕然としました。

失われたのは建物だけではなく、琉球王国時代から伝わる貴重な収蔵品や、多くの人々が技術をつくし、心を注ぎ込んで作り上げた復元品も失われました。私を惹きつけてやまなかったそれら工芸の数々を思い出し、胸に悲しみがあふれました。

私を民芸の世界に導いてくださった民芸の創始者・柳宗悦先生は、沖縄の織物や焼物、漆器などの工芸品に魅せられ、沖縄を『驚くべき美の王国』と記しました。その言葉に背中を押されるように、私は沖縄に通いはじめ、沖縄こそ民芸の故郷と思うようになりました。

その中で、琉球王国と王家に伝わる文化財の多くが沖縄戦によって失われてしまったこと、この首里城建設には、沖縄の宝を収集し、技術を再現し、後の世に伝えていくという意味も含まれているということも、知りました。

沖縄は和の島です。
その中心にある首里城は、美の城です。祈りの城です。
沖縄の人たちの誇りであり、大切なよりどころです。

私たち、日本人の宝物です。

「必ず再建する」と、沖縄県、那覇市、そして国も立ち上がりました。

「沖縄、がんばって」
「応援しています」

日本だけでなく世界中の人から、多くの励ましも寄せられています。

「もう一度ですね」
「やりましょうね」

目に涙を浮かべつつ、友人が力強くうなずきました。

建物はもちろん、工芸などの復元にも、多くの、おそらくは技術的な困難があるでしょう。けれど、きっと乗り越えて、守礼門から再び首里城の美しい姿を見られる日が来ると、私は信じます。

明日を素敵に生きるために

先日、佐賀県の基山町のお招きを受け講演にお邪魔してまいりました。

博多からJR鹿児島本線の快速わずか30分、都会の喧騒を離れ自然豊かな魅力的な町でした。まもなく晩秋、山々が紅葉に彩られ美しい風景がみられることでしょう。

50代から80代までの幅広い町民の方々の前で約1時間のお話をさせていただき、その後パネルディスカッションに参加させていただきました。ディスカッションでは魅力ある町づくり、未来へ向けて豊かな町づくりなど
皆さん真剣にお話くださいました。

今回は、基山町でお話させていただいた講演の一部をご紹介させていただきます。私自身が今感じていること、考えていること、などを皆さんにご報告したくて。

『明日を素敵に生きるために』 浜 美枝

健康を支えるのは「食」と「運動」
1.健康寿命(健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間)を伸ばす。

『私の朝は早いんですよ。普段の日は、5時に目覚めると、ベッドの中でしばし瞑想します。それから起きて、30分のトレーニングとストレッチを、体と向き合う気持ちでじっくりと行い、天気がよければ箱根の山を1時間ほど歩きます。

以前は足腰を鍛えたいと、速足で2時間近くも険しい山道を歩いていたのですが、あるとき体が悲鳴をあげまして、今は無理はしなくなりました。

何事もゆっくりゆっくり。
山歩きもうっすら汗ばむ程度で十分。
無理は禁物と自分にいいきかせています。』(講演より抜粋)

2.野菜と肉や魚、バランス良く。

『食事は三食、基本的に自分で作ります。野菜と肉や魚、バランス良く三食なるべく自分で作り、しっかりかんで食べる。週に1回、小田原で買い物に行き、一週間分の食材を仕入れてきます。

忙しいころは、野菜の切れ端をうっかり余らしてしまったりすることもありましたけれど、今は全部の材料使い切り、冷蔵庫を空にします。食品ロスはゼロというのが、私のひそかな自慢です。』

3.「筋肉貯金」で一生歩ける体を作る。

『70歳になっても80歳であっても、筋肉を鍛えることはできるといわれます。一生、元気に歩くための筋肉を作り、「筋肉貯金」を今から、はじめませんか。

私は山歩きをしていますが、家の近所を毎日歩くだけでも筋肉は鍛えられます。またこうしたトレーニングを続けることで、病気や認知症のリスクも遠ざけることができるともいわれます。』

4.運動の小さな目的を作る。

『ウォーキング、ヨガ、フラダンス、なんでもいいので、自分にあったものを探し、体を動かすことを楽しんでいただきたいと思います。

毎日、30分歩く。週に1回、ヨガスクールで汗を流す。
こうした小さな目的を持つことは、生活のはりにもつながります。』


*精神の健康は「わくわく」が肝心。
 1.新聞の切り抜きで自分の興味を発見する。

『精神の健康も重要です。これをやっていると楽しい。わくわくする。
そういったものをみなさん、お持ちですか。たまに「もう何もおもしろくなくて」と嘆かれる方もいらっしゃいますが、それは自分と向き合っていないからではないかと思います。

自分が何に興味があるかわからないという方におすすめのひとつは、新聞の切り抜きです。

最初はちょっと気になった記事はみんな、切り抜いてしまってください。続けているうちに、自分の興味の傾向がわかってきますよ。』

2.勇気をだして行動、新しい世界に飛び込む。

『女性の生き方、ボランティア、映画、演劇……。興味が持てることがわかったら、行動しましょう。家から外に出かけていくんです。

あの映画を見るために日比谷に行く、劇場に足を伸ばす、ボランティアがどのようにおこなわれているのか、どこで行っているのかを調べて、話を聞きに行く……目的があればひとりで行動することもさびしくありません。

私の知り合いは、朗読のボランティアをやっています。そのために、本屋や図 書館に足繁く通い、おもしろい本を探し、滑舌をよくするために毎日「あえいうえおあお」の訓練や早口言葉を練習しています。』

3.家を片付ける。花を飾る。

『家の中を片付けることも、精神を輝かせるためにとっても素敵なことだと私は思っています。好きな食器やグラス、座り心地のいい椅子、窓から見える緑、部屋を彩る植  物や花瓶の花……。

私も毎日、植物に水をやり、花瓶の水をかえ、週に1回、花を求め、ときには庭の草取りもやっています。そういうことをやり続けることがまだできる自分が嬉しいですし、同じことをしているようで、そうではないんですね。咲く花も毎日違います。

ほほをなでていく風も日々変わります。ふと季節の変化を感じたりすること も、また楽しいものなんです。

こうして好奇心を持ち、体や心を動かし続けていれば、世の中が愛おしくなってきます。』

*孤独を怖がらない。
1.子どもは独立していくもの。

『子どもが巣立ち、子どもが独立していく。これは親としてもっとも喜ぶべきこと。それが子育ての目的といっても過言ではないですよね。

私は4人の子どもを育てました。それぞれ、個性が違いましたし、成長のスピードや、成長する時期も違って、子どもともに悩み、母親として私も共に、成長させてもらったように思います。

子育ての最中、どんなときも揺らがなかったのは、子どもは預かり物であり、社会で独り立ちできるまでが、私の大仕事だということでした。』

2.夫婦のどちらかが必ず残る。

『どんなに仲がいい夫婦でも、死ぬまでふたり一緒に過ごせるわけではないんですよね。必ず、どちらかが先に旅立ち、もう一方がこの世に残されます。

そして女性の方が一般的に長生きなので、妻があとに残されるケースが多い のも、世の摂理なんですね。

大家族で暮らしていても、世代が違えば、興味も異なりますし、やはりひとりの時間を生きなくてはなりません。

誰かと共にいるから、孤独と無縁であるとはならないんです。
人間とは、そういうものなのではないでしょうか。』

*ひとりの時間が、あなたを磨き、育ててくれる。

『年齢を重ねれば、ひとりで過ごす時間とより仲良くしなければなりません。誰も自分を楽しませてくれなくなるからです。自分を楽しませ、励まし、喜びをもたらしてあげられるのは、自分なんです。

ひとりの時間の可能性に、もっと光をあててほしいんです。
ひとりだからこそ、自分の好きなことができます。

明日のことを考え、自分に向き合うことができます。
孤独だからこそ、自由でいられます。
自分を知り、自らに優しくも厳しくもなれます。

孤独の深さを知っているからこそ、家族や友人をより深く愛し、そうした人々がいてくれることに感謝の気持ちを抱くことができます。

ひとりの時間を上手に過ごすことで、自分の可能性を信じ、変化し続けることを望み続けることができるんです。

ひとりの時間、そして孤独は怖いものなどではなく、むしろ、自分らしく生きる ために不可欠なものなんです。』

*いくつになっても人は変化し、進化することができる。

『あなたの中にどんな新たな芽が潜んでいて、これから何に夢中になるのでしょう。どうぞ、一日一日を大切に、わくわくしながら進んでいっていただきたいと思います。』

 

沖縄

昨日、首里城の正殿、南殿、北殿が焼失しました。

首里城は、私にとって、特別な思いのある場所です。

民藝の柳宗悦先生に導かれるように、私が初めて沖縄の地を踏んだのは、まだパスポートが必要だった時代でした。そこで、琉球時代から伝わる織物、塗り物、焼き物など、素晴らしい作品を作り続けていた人々と出会いました。

太平洋戦争の激戦で多くの人命が奪われた沖縄で、悲しみをこらえ、再び琉球の文化を次世代へとつなげようと、もう一度、立ち上がった人たちでした。

そうした人々が30年という歳月を費やし、建物はもちろん、内部の道具類に至るまで復元したのが首里城です。細部に至るまで清らかで美しく、琉球の心に触れる思いがしました。美に抱かれるとはこのことかと思いました。

多くの人々の英知、技術の粋、琉球の心が詰まった首里城が失われたと思うと、あまりに残念で、悲しくてなりません。

涙を流しながらでもいい、私にできることは何だろうか、みんなでどう応援すれば沖縄のためになるだろうか、と、考えていきたいと思います。

俳優 柄本明さん

以前、観た映画「ある船頭の話」をブログでご紹介いたしましたね。「俳優・柄本明さん」には様々な分野でのご活躍に大変興味深く拝見しておりました。映画や舞台のほか、大河ドラマ、志村けんさんとのコント、その存在感は抜群です。

ご両親が大変な映画好きで、柄本さんは少年時代に西武新宿線に乗って、野方や沼袋の映画館に3本立ての映画をよくご覧になる映画少年だったそうです。

ぜひ、ラジオのリスナーの皆さまにも素顔の素敵な柄本さんをご紹介したくスタジオにお招きいたしました。

チェックのシャツをラフにお召しになり、笑顔でご挨拶くださいました。とても、シャイな方ですね。お互いにマイクを挟んで5分くらいは緊張いたしましたが、映画や芝居の話になると距離はあっという間に(というより柄本さんが合わせてくださいました)近くなりお話を伺えました。

会社員だった柄本さんが1968年、早稲田小劇場「どん底における民俗学的分析」という作品を見て、翌年、会社を辞め、新演劇人グループ「マールイ」に入り、後に劇団「東京乾電池」を旗揚げします。

二人の息子さんが俳優の道に進み、活躍しています。今年4月、長男の祐(たすく)さん、次男の時生(ときお)さんと競演なさった映画「柄本家のゴドー」が公開されました。ベケットの不条理劇「ゴドーを待ちながら」を柄本さんが演出するドキュメンタリーです。

朝日新聞の「語る 人生の贈りもの」は16回の連載インタビュ記事でした。その中で「恥ずかしいですね。どこか親子で恥じをさらしたような。純粋に役者として見ました。書かれたことをやればいいんですよ。書かれているんですから。それをやりなさい。だけど、書かれていることはできないですよ。人が書いたことですから。不自然になる。まず不自然なことをしているって認識からはじまるのですからね。ただ、見ている人がいる前でやるもんだから、心地よく見てもらいたいとか、いいところを見せたいとかなる。そしたら見抜かれますよ。人に見られるというのは、すごい怖いことです。親が見ていて、兄弟がやっているなんて、情けないっちゃ情けないんだけど、しょうがないだよな。」(10月2日の記事から)

ご本人も2000年に石橋蓮司さんとゴドーの舞台に立たれています。

”すごいな~、凄い俳優さんだわ。”と思いました。この映画の演出の素の柄本さんはカッコよかった!自然体で。芝居の本質論も語っています。

志村けんさんとテレビで定期的にコントをなさっておられます。芸者のコント、食堂や電車内で相席になったコントなど、どんなきっかけで、お二人がコントをするようになったのか・・・も伺いました。とにかく面白い!理屈ぬきに。でも、その背景をうかがうと”ナルホド”と納得です。よく”人間観察”をなさっておられます。

そして、俳優は「主役とか脇役とか言いますけど、それはそれぞれ主役でね。その時、その人が必要なわけです。スクリーンに映されるその時、その一瞬は主人公。悲劇というのは喜劇に変換するし、チェーホフの「ワーニャ叔父さん」で最後の場面のソーニャのセリフ、「生きていきましょうよ、長い、はてしないその日を」。笑えるし、泣けるよね。」(朝日新聞10月4日 人生の贈りものより)

ラジオでもたっぷり2回に分けてお話をうかがいました。素晴らしいことばの数々・・・直接、柄本さんの言葉でお聴きください。充実した日でした。

文化放送 浜 美枝のいつかあなたと
日曜日 10時半~11時
11月10日と17日の2回放送

「麺の科学」(講談社) 山田昌治著

皆さまは”麺”というと、どんな麺を想像なさいますか。私たちの食生活には欠かせない麺類。うどん、素麺、蕎麦、パスタ、ラーメンなど、どんな麺類がお好きですか?

私はどれも大好きな麺好きです。これまで深く考えずに食べていた麺類。麺の原料としてもっとも使われている小麦粉と、それ以外の穀物など「麺の科学」を読むとまぁ~知らないことばかり。

このご本を拝読していると山田先生は『食の伝道師』です。山田先生の言葉を借りるなら「麺はもはや文化」ですね。科学的根拠に基づいたお話が書かれております。

山田さんは1953年生まれ。1979年、京都大学大学院・修士課課程終了後、秋田大学鉱山学部・資源科学工学科助手を経て、日清製粉に入社し、パスタなどの食品の研究開発に携わりました。2010年から、工学院大学の教授をお勤めです。

詳しくはラジオのゲストにお招きし、大勢の方にもお話を伺っていただきたいと思いました。

なんでも小麦という植物の起源は中近東の高原の砂漠地帯だそうです。そこに自生していた植物を人類が改良して、ヨーロッパやインド、中国に、さらにアメリカ大陸、オーストラリア広がっていったそうです。

高原の砂漠で進化したために、空気中の水分を吸収しやすい構造があるとのこと。窒素分を貯蔵タンパク質としてため込む。その性質は麺類にした時に弾力的に富むということです。

あたり前のように食べている麺。「こしがあるわね~」とか「喉ごしがいいわね~」とかはいいますが、科学的にみるとなるほど、とガッテンがいきます。そうそう、今年、大流行した「タピオカ」も麺に多く使われているそうですよ。タピオカはカッサバの根茎からえられるデンプンです。それでモチモチ感がでるのですね。

ご本の中には小麦粉・蕎麦粉・米粉・麺を作る粉の科学から、麺の栄養学、そして、科学の力で麺を美味しく食べるコツなどが書かれております。

皆さんは麺を茹でる時に、吹きこぼれてしまう時はどうなさっておられますか。

『うどん、冷や麦・スパゲッティ・日本蕎麦、いずれも沸騰状態を保つことが麺のゆで方の基本です。』と書かれております。でも、難しいですよね、沸騰し泡がどんどん発生し、吹き零れてしまいます。私は”さい水”をします。

ラーメン店などでも見かけますよね。でも家庭の場合とは違うのだそうです。そもそもなぜ吹きこぼれるのか、を教えていただきました。

「麺をゆでていると、麺に含まれるデンプンが溶けだします。その状態で沸騰が始まると、できた気泡がデンプンの膜によって壊れにくくなり、気泡が急激に増えます。気泡のサイズは小さく、それが嵩高くなります。その結果、気泡の体積が急激に増え、鍋の外にあふれるわけです。」

まだまだ科学的なお話は続くのですが、”さし水”ではなく温度調節をコンロでするのがよいとのこと。あとは灰皿!(もちろん新品ので)をひっくり返して鍋の底にいれる。これ、昔はやっていましたよね。灰皿に抵抗がある場合は100円ショップで灰皿に似た形状の吹きこぼれ対策専用グッズが売られているそうです(これはさっそく買いましょう)

お話を伺っておりますと、知らないことばかりです。当たり前に日常麺を茹でておりますが歯ごたえのあるあるうどんの増す方法など・・・スパゲティを茹でる時に、食塩を入れるのは科学的にはどうなのか、など等。たっぷり「麺の科学」を教えていただきました。

ぜひ、番組をお聴きください。
文化放送 10月27日放送
日曜日10時半~11時まで

映画『ホテル・ムンバイ』

かつてその町はボンベイと呼ばれていました。50年以上も前の記憶は、今も鮮明です。私は仕事の合間に少しでも時間ができると、躊躇なく旅に出ました。仏教美術、特にガンダーラの仏像に魅せられ、インドへと向ったのです。

”バックパッカー”という洒落た言葉がまだ一般には存在しない頃、文字通り、リュックサック一つで憧れの大地を歩き回りました。

いま、映画「ホテル・ムンバイ」が上映中です。ボンベイは現在、ムンバイに名前を変えました。

2008年11月、ムンバイを代表する「タージマハル・パレス・ホテル」がイスラムの過激派によって占領されました。これは駅や高級ホテルなど、人の多く集まるところを狙った同時多発テロでした。テロリストたちは3日にわたってホテルに篭城しましたが、この映画はその間の模様を、あたかもドキュメンタリーのようなタッチできめ細かく描いています。

宿泊客は多岐にわたりました。生まれたばかりの赤ん坊を抱えた米国人夫妻やロシア人の実業家、画面はそれぞれの人間模様や心の葛藤を丁寧に追いかけます。

理不尽な殺戮が続く中、何とか無事に脱出できたケースもありました。しかし、ホテル内には一時、500人以上が取り残されたのです。逃げ遅れた宿泊者を冷静・沈着に誘導し、その命を守ったのがホテルの従業員、つまり料理長やウェイター、そして電話交換手らスタッフでした。

彼らの献身的な努力で多くの人質は無事脱出、生還することができました。しかし、このホテルだけでも30人以上の命が失われ、そのうちのおよそ半数はホテルの従業員だったのです。

このように甚大な被害を受けたホテルでしたが、事件から僅か1ヶ月後には営業を一部再開されました。それは、テロには決して屈しないという経営者や従業員の決意、そして客からの強い応援があったからです。

この映画の監督は脚本・編集も担当したオーストラリアのアンソニー・マラス。インドとアメリカも加わる3か国の共同制作でした。テロへの怒り、人質への共感、そしてホテルの従業員への賛辞。

心ゆさぶられる2時間は、またたく間に過ぎました。

50年以上前のボンベイ。当時「タージマハル・パレス・ホテル」に泊まることなど考えられなかった私は「せめて見るだけでも」と、1階のラウンジに腰を下ろしました。そして、英国式の本格的な紅茶を注文し、ゆっくりと港を見ながら飲みました。私にとって、それは最高の贅沢だったのです。

機会があれば、もう一度「タージマハル・パレスホテル」を訪れたい。そして、開業以来110年を超える名門ホテルの苦悩と栄光の歴史に心からの敬意を表しながら、鮮明に記憶に残る紅茶の味を、もい一度味わいたいと思うのです。

東京ステーションギャラリー:没後90年記念 岸田劉生展

「ステーション」「駅」・・・という響きに皆さまはどのようなイメージをお持ちになられますか。

18歳でのヨーロッパひとり旅でローマを訪ねた時の「テルミニ駅」は「終着駅」の映画の舞台。イタリアの巨匠ヴィットリオ・デ・シーカ監督。主演はジェニファー・ジョーンズとモンゴメリー・クリフト。1953年公開作品です。荷物を地下に預けてあのラストシーンのホームに立ちました。「終着駅」という言葉に郷愁・哀愁を感じたことを覚えております。

パリの「オルセー美術館」はもともと1900年のパリ万国博覧会に合わせてオルレアン鉄道によって建設されたオルセー駅兼ホテルでありました。長距離列車のターミナルでかまぼこ状の大屋根の美しい建築が、1986年に現在の美術館として生まれかわったのです。

建物内部に鉄道駅であった面影が残っています。絵画・彫刻だけではなく、写真、グラフィックアート、家具、工芸品など19世紀の作品を観ることができます。かまぼこ型のガラスからは陽光が射し、美しい元ステーション美術館です。

そして「東京ステーションギャラリー」。

東京駅は生活の一部です。私は旅に出かける時、また仕事の時の出入りに映画を観たり、美術館巡りをしたり、友人とのおしゃべりで出会う時など東京駅もよく訪れます。

そんななかでの楽しみのひとつは駅構内にある「東京ステーションギャラリー」です。まずギャラリーに入る前に丸の内側の天井を見上げます。そして館内に。2012年秋に復元工事を終えて新しいスタートを切りました。

ギャラリーで絵を見る前に鉄骨レンガ造りが目にはいります。その美しさには震災、戦争をくぐり抜けてきたストーリーが秘められていることに気づかされます。関東大震災と第二次世界大戦を経てきた建設当時のレンガが使われていて、それが「アート」になっています。歴史的建造物としての100年の記憶を感じつつの絵画の鑑賞です。

今回の展覧会は「岸田劉生展」です。没後90年記念です。

大正時代に活躍し、今も人気の高い画家・岸田劉生(1891~1929)。今回の展覧会の見どころは多くの作品を年代順に並べられているので、その変遷が浮き彫りになり、私ははじめて「岸田劉生像」を知ることができました。

ある時期に集中して描く対象物、それが自画像であったり友人達の肖像画であったり、写実で細密な画風に変わり、雑誌「白樺」でゴッホやセザンヌの影響を受けたり、レンブランドやゴヤなどに惹きつけられていく行程。

そして、あの有名な「切通之写生」15年の「道路と土手と堀」に出会います。不思議な絵です。左手の石垣の細かい陰影。土の道が斜めになり天に突き出たような晴れ渡った青空。雑草や小石まで精密に描かれています。

そして16年から取り組んだ静物画。この年の7月に肺病と診断され、戸外での写生が出来なくなるのです。「林檎三個」は病と闘う劉生が自分と妻、娘の麗子の「一家三人の家族の像」だと気づかされます。

38歳で急逝した劉生の”祈り”を感じます。そして、あの「麗子坐像」19年8月23日に完成。愛する娘を細密描写で描いた油彩画。麗子のよこに置かれた赤い林檎が印象的です。

麗子はじっと動かずその姿でモデルになっていたので、うっすらと目には涙が浮かんでいます。深い愛情を感じます。早世の直前に渡った中国東北部を描いた風景画は光あふれ、未来を信じて描いたのでしょうか。それとも余命を感じて描いたのでしょうか。

それにしても38歳とは・・・もっともっと自己の道を歩みたかったことでしょう。そうした一人の画業、生き方を知ることができた展覧会でした。

個人的には日本的な椿を西洋風に描いた「竹籠含春 ちくろうがんしゅん」も好きです。二色に染め分けられた竹籠に六輪の大ぶりの椿がいれられています。

会場を出ると美術館に来た人だけが見られるギャラリー2階の回廊からのドームを見上げられます。干支の彫刻が繊細に描かれています。改札口からの人の流れを見ながら「ステーション」の床にも目がくぎずけになります。

このように満たされた日はステーションホテルのバーで軽くカクテルを・・・

“さぁ山に戻りましょう”と帰路につきました。

美術館公式サイト
http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201908_kishida.html

映画『ある船頭の話』

先日、素敵な映画に出会いました。

オダギリ・ジョー監督の「ある船頭の話」。
スクリーンには”日本の原風景”がとても穏やかに、そして丁寧に描かれていました。

時は明治の終わり頃でしょうか。日本が急速に近代化の歩みを進める中、一人の年老いた船頭が山奥の川で、来る日も来る日も渡し船をこぎ続けています。

身元の分からない少女が船頭に助け上げられたことを除けば、特にドラマチックな展開があるわけではなく、淡々とした日常が繰り返されます。

船頭役の柄本明さんには、心を揺さぶられました。”演技”と表現するのが失礼なほど、山村の風景に溶け込んでいました。変りゆく社会、それに引きずられる人々の心。しかし、決して捨て去ってはいけないものがあるのだと、寡黙な船頭は話したかったのでしょう。

自然と一体になった船頭を一層際立たせたのが、ワダエミさんが担当した衣装デザインでした。”紺”という一言では括り切れない複雑で繊細な色模様が、スクリーンを奥行きのある空間に変えていました。

少女役の川島鈴遙(かわしま りりか)さんの衣装も象徴的でした。一見すると国籍不明の服は、西洋にはない、極めて日本的な深い赤に染められていました。この映画全体で唯一光を放った色は”赤”でした。

「ある船頭の話」はもちろんカラー作品ですが、モノクロと勘違いするような奇妙な感覚に何度も襲われました。水墨画の世界を思わせるような味わいのある映像が、所々で独特の”色彩”を放っていたのです。水墨画と赤、一見相対すると思われるようなものが、しっとりと同居していました。

オダギリ・ジョーさんが長編映画の監督をするのは今回が初めてです。参加したスタッフも実に多彩。撮影監督はオーストラリアのクリストファー・ドイル、音楽はアルメニアのティグラン・ハマシアン。そして、ワダエミさんが色と素材の深みで語ってくださったのです。

”日本の原風景”を描き切るために、東西の優れた感性が重なり合ったのですね。

この映画は先の「ベネチア国際映画祭」で公式上映されました。終了後、満員の客席からは暖かい拍手がいつまでも鳴り止まなかったと報じられています。おそらくそれは、国境や文化、そして時代をも飛び越えた、見事なコラボレーションへの惜しみない賛辞だったのでしょう。

声のサイエンス(NHK出版新書)

大変興味深い本に出会いました。

皆さんはご自分の声って意識したことはございますか?初めて自分の声を聴いた時、びっくりする人が多いのだそうです。

そうですよね、アナウンサーや私もですが、ラジオへの出演などで、自分の声を聴く機会があります。でも普通は自分の声を聴く機会ってありませんよね。そして、なんと「自分の声を嫌い」と回答した人が80%なのだそうです。

このご本を書かれた方は山崎広子さん。国立音楽大学を卒業後、複数の大学で心理学や音声学を学び、認知心理学をベースに、人間の心身への音声の影響を研究されています。

声には、いろいろな情報が含まれ、身長、体格、顔の骨格、性格、体調など山崎さんは初めて電話で話す人でも、声を聴けばだいたいどんな人なのか、イメージできるそうです。

ご本の中に『あなたの声は社会によって作られている』とあります。考えたこともありません。「生育環境やその人の職歴などがまるで履歴書のようにあらわれます」とあります。

「環境によって作られる民族の声の特性」

ヨーロッパの石造りの住宅の多い地域では、人々の声はおおむね低く深くなり、中東にさしかかると、むき出しの岩や低木が目立ち、現代の中東地域の都会部では高層ビルが林立しているものの庶民の住宅は伝統的に土、藁などで固めた日干しレンガで造られていて体格はヨーロッパの人々に劣りません。しかし、発声は、喉を絞めて砂漠の乾燥した風土、土でできた家で暮すわけですから男女ともに甲高いそうです。

では東に進んだアジアの街では?

特に日本では体格にあわせるように、住居も小さめです。天井は低く木と草(畳)と紙(障子、襖)で作られていて声は響きません。ヨーロッパの人々の声が石によって作られた声に対し、日本人の声は木と紙によって作られた声ということになるそうです。

西洋から東洋に向うほど街がうるさくなる、といわれます。たしかに・・・東洋の街にはさまざまな音が溢れ、澄んだ正確な音が作られないために、ハーモーニーが生まれなかったのですが、中国も韓国も賑やかな音は環境が左右するのですね。現代社会の日本はかつてのような住環境ではありませんが基本的にはベースは一緒です。

山崎さんのご本の中で書かれている部分で特に興味を抱いたのは『国内では異質なものに対する寛容度がどんどん低くなっている』ということ。

『日本人女性の声が異常に高い』とおっしゃいます。そうですね、私もそれを感じることが多々あり、なぜなのかしら・・・と思っておりました。かつては、もっと低い、落ち着きのある声で話していたように思います。

年齢を問わず。身長が低ければ声帯が短いので声が高くなる、しかし、今は背の高い人も声帯の長さに見合わない高音です。

そこで、ラジオのゲストに山崎広子さんをお招きしていろいろお伺いいたしました。

「女性同士でも男性と一緒でも、声の高さはあまり変わりなく、無理に高くしているのでハイテンションに感じます。周波数だと350ヘルツ前後で、これは先進国の女性のなかで信じられない高さです」とおっしゃられます。

「女性の声の高さは「未成熟・身体が小さい・弱い」ことを表します。女性がそのような声を出すのは、男性や社会がそのような女性像を求めていて、女性が無意識にそれに過剰に適合をしようとしているのでしょう。社会進出における男女格差を”ジェンダーギャップ”といいますが、日本は144カ国中114位です。日本女性が異常なほど高い作り声で話すのは、女性が素の自分でいられない社会だということです。そこにジェンダーギャップとの相関関係を感じずにはいられません。」ともおっしゃいます。

そうですね、接客業や営業職などマニアル通りの声ですものね。自分らしい声、個性があってもいいと私は思うのですが・・・。

『本当の自分の姿を出したくないという思いの表れです』ともおっしゃいます。”みんなと一緒”が安心なのでしょうか。

他方では人の声に心揺さぶられることもありますよね。『声』って不思議ですね。まだまだたくさん興味深いお話を伺いました。ぜひラジオをお聴きください。

文化放送 「浜 美枝のいつかあなたと」
放送日 10月13日 日曜日
10時30分~11時まで

展覧会のご案内です。

『秋のアート三人展』

夏も終わり、秋草の花が咲き乱れる箱根の山の秋は澄んだ空気、穏やかな陽射し、爽やかで気持のよい日がつづきます。

とてもラブリーな展覧会を我が家『やまぼうし』で10月4日(金)~7日まで開催いたします。

ニットアートの石井麻子さんはグラフィックを学び、その後ニットデザイナーとして活動を続けておられます。京都・山科でショップを30年続け、世界を旅しながらその風景や花や天使など・・・誰からも愛されるニットを創り続けてこられました。

私も大ファンの一人です。カジュアルで着心地がよく、ラブリーな気持ちにさせてくださるニットやタペストリーなど、今回はどんな作品に出逢えるのでしょうか、今から楽しみです。

そして、考古学的なアクセサリーデザイナーの田部洵子さんの作品も楽しみです。ニューヨークで彫金を学び、イスラエルやシリア、インドなどを旅して探し出した貴重な石を細工し、豊潤を意味する葡萄を銀細工で表現し、ローマングラスのネックレスも魅力的で興味深いです。

もうお一人は石井さんのお嬢さんのAYUMIさん。まだ、誰も取り組んだことのない分野を開拓し繊細で透明感のある作品を創り上げておられます。素材は紙を用い糸で幾何学柄を刺繍すると、光線により濃淡が現れるそうです。私は今回はじめて出逢います。

箱根に暮して40年の私。近くには美術館や素敵なカフェもあります。”ちょっとお洒落して”の箱根暮らしにはラブリーなこのような作品が似合います。カジュアルに着られ、優しい気持になれるニットやアクセサリー。女性はいくつになってもお洒落を楽しみたいですよね。

10月4日はお三方と私のギャラリートークが「やまぼうし」で行なわれます。(参加費・無料)

ご予約はメールまたはお電話で。予約優先で、満席になりしだい締め切らせていただきます。お三人にはアートに対する想いなどを伺います。もちろん会場には作品も展示しております。

「秋麗・あきうらら」そんな秋の箱根にお越しくださいませ。お待ち申し上げております。

展覧会ホームページ
http://mies-living.jp/events/artexhibit.html