エミール・ガレ 自然の蒐集

ゴールデンウイークも終わり、また日常の生活にもどりましたね。皆さまはどのようにお過ごしでしたか。

私は日ごろ行き届かない掃除や読書。早朝のウオーキングは毎朝約1時間、芦ノ湖の周りを歩きました。皆さん、もう6時前から釣りを楽しんでいました。

富士山を見ながらのウォーキングは最高に幸せなのですが、もう少し出かけたくなり、強羅近くのポーラ美術館へとバスを乗り継ぎ、初夏の風を感じながら行ってまいりました。

観たかった『エミール・ガレ 自然の蒐集』です。

開館以来初となるエミール・ガレ展です。植物学や生物学など自然をモチーフに作品が素晴らしいガレ。今回、『ガレが魅せられた「神秘の森」「驚異の海」』と書かれています。

ガレが活躍した19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパでは日本植物ブームが起っていました。ガレは自邸の庭で、2500種あまりの植物を栽培していたとのこと。浮世絵などによる日本趣味だけではなく、「園芸のジャポニズム」も芸術に大きな影響を与えたことが良く分かる展覧会です。

日本の植物を持ち帰ったドイツ人の医師であり博物学者であったフリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796-1866)の存在は大きかったと思います。マツ、ソテツ、タケ、フジ、アジサイ、モミジ、ウメ、そしてユリにも魅せられたようです。ガレの植物リストにはテッポウユリを度々購入した資料もあります。ガレのガラスの作品の中で日本の花が見事に開花されています。

今回の展覧会でとても興味深かったのは、作品を彩るモチーフはただの装飾ではなく、ガレ自身の科学の観点からも捉えられているところです。

鉱物標本、昆虫、植物などの標本は「東京大学総合研究博物館」からの出品です。自然のかたちから多様なモティーフを工芸へと生み出された背景がとてもよく分かる展覧会なのです。

58歳という若さで白血病のために死去しますが、晩年のガレの作品からは、”自然の偉大さと生命の神秘”へのかぎりない愛が存在していたのでしょう。私たちより100年以上前にガレは環境保護の必要性を訴えています。

ガレの工房の扉には『わが根源は森の奥にあり』という言葉が掲げられていたそうです。

ときには喧騒を離れ、神秘の森に身をゆだねてみてもいいですね。

箱根はこれからアジサイが咲き、新緑のなか、箱根湯本から登山電車に乗り、終点の強羅で降り、「観光施設めぐりバス」に乗ると美術館の前に着きます。

そして、美術館を見終わったら、敷地内の「森の遊歩道」がお進めです。のんびり歩いても20分ほど。ブナ・ヒメシャラ(花は7月初旬に咲き、開花期は1週間ほど)ですが、5月~7月にはヤマボウシの花がまるで夏、真っ白の帽子をかぶったような姿がみられます。

初夏にかけてはメジロ、ウグイス、キビタキ、など美しい歌声が聴こえてくるでしょう。ペット連れの方もこの道はリードを使えばOKです。

「エミール・ガレ 自然の蒐集展」は7月16日(月)までです。
会期中は無休
開館時間午前9時~午後5時

美術館の公式ホームページ
http://www.polamuseum.or.jp

樹木医 和田博幸さん

今年は全国的に桜の開花が早かったですね。
みなさん、おひとりお一人に桜についての”想い”があるのではないでしょうか。

私もず~と昔、岐阜と富山の県境に400年もの樹齢を誇る老桜樹がダム建設のために水没してしまう・・・ということになり、数人の男たちの桜へのひたむきな想いによって移植され、今もなお季節がめぐるたびに美しい花を咲かせてくれる桜を何度も見に行きました。

『桜守(さくらもり)』という小説を読んでのことでした。自ら土になって木の存亡に生命(いのち)を燃やすひと。私にそういう男たちの存在を教えて下さった・・・作家、水上勉さん。

初版は昭和43年。御母衣(みほろ)の桜を初めて見たのは移植して何年も経っていましたから、もうしっかり根づいている印象でした。

“あ、これが、あの桜・・・”と、小説世界とだぶらせて思い入れもひとしおでした。老樹とは思えないほど花が初々しかったのが印象的でした。あれから何度も何度も御母衣の荘川桜を見に旅にでました。

そう、40年近く前のことです。ある時、仕事で水上先生と対談をさせて頂く機会に恵まれ「桜守」の話になりました。小説の中には、木と人間の様相が重なったり、木で人を語ったり木の中に人の真実をみたりで、大変興味深く拝読しました。と申し上げ、なぜ私たち日本人はこのように桜に惹かれるのでしょうか、と伺いました。

「散る」とは「咲く」こと。
桜の生命の長さに私たちはひきつけられるのです。・・・とおっしゃられました。

そうですね、散るはかなさではなく、散ってまた咲くということに憧れるのですね。人間の生命のほうがはかないかもしれませんね。桜は日本の国花ですね。と申し上げたら、先生はこうお話になられました。

「そうです。国学者の第一人者であった本居宣長さんが、『敷島の大和ごころにたとうれば、朝日に匂う山桜』とうたいました。そこからきていると思います。万葉の歌人たちはみんな桜を愛し、西行も含めてこの世の諸行無常をいう人たちも、無情のひとつのヒロインとしての桜を愛でた人が多いのですね。」

「桜というのはせっかちな日本人の気質にも合っています。360日辛抱して、六日ほど咲いて、見に行ったら雨で、二~三日おくれたらもうあかんしな。一生に一度めぐり会えるかどうか。素晴らしい桜とはそういうものだと思いますよ。」と。

お花見が終わると、どうしても私たちは桜のことを忘れてしまいがちです。咲き終わった後の桜の木の手入れはどうされているのか・・・。とても興味がありました。そこで出会ったのが、樹木医の和田博幸さんです。

和田さんは、山梨県北杜市の山高神代桜を復活させたことでも有名です。ぜひお話を伺いたくラジオのゲストとしてお越しいただきました。貴重なお話でした。

和田さんは、1961年、群馬県のお生まれ。東京農業大学卒業。最初は草むしりのアルバイトがきっかけだったそうです。「草むしりはとても奥深い」とおっしゃいます。「丁寧に作業を続けていくうちに、山野草が咲き誇る美しい庭が出来上がる。」そんな仕事ぶりが目にとまり、桜の名所づくりを行う財団法人の研究員を経て、たちまち桜に魅了されていきました。

2015年には、和田さんが手がけた神奈川県座間市の緑道(りょくどう)の桜再生プロジェクト「相模が丘 仲良し小道さくら百華の道」が完成しました。他にも数々の桜のお医者さんとして、全国をめぐっておられます。

私も人生一度は行きたいと思っている鹿児島県・屋久島の屋久杉などのお話。樹齢1000年を越す木が全国にありますが、長生きする木とそうでない木のお話などなど時間を忘れて伺ってしまいました。

みなさん、ご記憶ございます?
2010年に鎌倉の鶴岡八幡宮のオオイチョウが倒れてしまいましたが、倒れた後に根元から新しい芽が出てきた、と報道されましたよね。その生命力に私は感動致しました。

今日もまた、桜の再生請負い、日本全国を飛び回る和田さん。

「手を差伸べれば桜は応えてくれる」とおっしゃいます。
お花見で桜が終わっても、散った後にも想いをはせたいですね。

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」
5月13日 放送
10時半~11時

おにぎりと日本人

大型連休もあと2日で終わり。この連休中、おにぎりを握ってどこかえ出かけた、あるいはコンビニで購入してお出かけ、というご家庭もあったのではないでしょうか。

お子さまのお弁当に、受験の時の夜食におにぎりを握ったというお母さんもいらっしゃいますよね。いえいえ・・・この頃はお父さんが、という方もおられますよね。

私もお弁当作りはずいぶん長い期間いたしましたし、子どもが小さい頃は土曜・日曜などは庭にゴザを敷いて、おにぎり・卵焼き・ウインナーなどカゴにいれミニピクニックを楽しみました。

ところで”おにぎり”って日本にしか存在しない・・・って知っていました?

知っているようで知らない、日本人のソウルフード『おにぎり』について書かれた本に出会い、そもそも、おにぎりは日本でいつ頃から存在していたのか。稲作が中国大陸、あるいは朝鮮半島から伝わったことを考えると、中国や韓国にも当然おにぎりは食べられていたはずですし、「おにぎり」と「おむすび」の呼び方が違うのは何故?と謎は深まるばかりです。

そこで出会った素晴らしい本が、増淵敏之さんの『日本人とおにぎり』(洋泉社)です。

増淵敏之さんは1957年、札幌市のお生まれ。東京大学大学院・総合文化研究科 にて博士課程を終了。以前はFM北海道、東芝EMI、ソニー・ミュージックエンタテイメントなどに勤務され、現在は法政大学大学院・政策創造研究科の教授。地域の物語性を観光資源として活用するコンテンツツーリズムの専門家でもあります。

海外、日本国内をフィールドワークする学者であり、歴史や地域性を研究する方でもあり、ぜひラジオでお話を伺いたいとお招きいたしました。

コンビニで販売しているおにぎりの具材の多さにびっくりしますよね。鮭・昆布・梅干など昔ながら定番に加え、炙りサーモン、大葉味噌、チャーハンむすびに、あさり混ぜご飯など。よく聞く”ツナマヨ”を私は食べたことがなく、先日買って食べてみたら美味しい!のですね。この商品の生まれたエピソードも伺いました。

さて、そもそも、おにぎりは日本でいつ頃から存在したのか。

1987年11月、石川県中能登町にある弥生時代の遺跡「杉谷チャノバタケ遺跡」から、奇妙な物体が出土されたそうです。真っ黒に炭化した、手のひらに載るくらいの塊で全体が円錐状になっていて人為的なもの。塊が蒸した米であったことから、増淵さんは「おにぎり」である、とおっしゃいます。

弥生時代中期から後期、水耕稲作が大陸から日本列島に伝わり、定着したころのものと増淵さんは推測されています。

「原始的なおにぎり」と現在の「おにぎり」とは異なり、私たちが食するおにぎりは炊いたお米を握ります。しかし当時は、殺菌効果がある笹の葉に巻いて加熱したようなのです。

それらは「お供えもの」、つまり神事に使われていたようです。日本文化のお米は、信仰の対象なのですね。そうか・・・。私たちが日ごろ食べているおにぎりは、実は神聖な食べものであることが本を読むとよく分かります。

『源氏物語』にも「握飯(にぎりいい)」として登場します。

稲作が中国大陸(または朝鮮半島)からやってきたならば、なぜ中国には「おにぎり」がないのか。それは、中国人は冷えた食事をする習慣がないから、とおっしゃいますし、韓国にも「おにぎり」としてはなかったそうです。

鎌倉時代、承久の乱では幕府の武士におにぎりが配布され、戦国時代に全国に広がり、江戸時代には庶民の食べものになったとか。そこで、「おにぎり」と「おむすび」の違い!は?地域性なのか、他の理由があるのか?

答えはぜひラジオをお聴きください。

みんなが大好きな”おにぎり”には物語があるのです。私たち独自の素手で食べる「おにぎり」や「お寿司」って、人の温もりが感じられますよね。

”お母さんの握ったおにぎり”

やはり子供達にはその温もりが、愛が大切なのではないでしょうか。
増淵先生からいろいろなお話を伺いました。

文化放送「浜美枝のいつかあなたと」
5月6日 日曜日
10時半~11時の放送です。

第13回・鎌倉路地フェスタ 4月21日から30日

毎年恒例のゴールデンウィーク前から開催される『路地フェスタ』が始まりました。

ご存知のように鎌倉の賑わいはそうとうなものです。海外からの観光客の方、日本人の観光客、週末などは、駅からの表通りと八幡さままでの”段葛”は大変な混雑です。

若いカップルの方、女性などが着物姿で歩いているのも素敵です。ですが、一歩路地に入ると、静けさ・・・とまではいきませんが、のんびり散策ができます。

先日、初夏を思わせる風に誘われて、私も鎌倉路地フェスタに行ってまいりました。

まず鎌倉駅に着いたら東口を出てすぐ左にある「みどりの窓口」内にある観光案内所で「マップ」をいただいてください。1から22までのショップが参加したフェスタで、スタンプラリーも実施されています。

まず1番は、正面の若宮大路を右に曲がり「ハーツイーズ」からはじまります。その前に私は市場で鎌倉野菜を見て、湘南の”わかめ”を買いました。掘りたての筍も美味しそう。「寄り道していたら回りきれないわよ~!」と自分に言い聞かせスタート。

最初のショップはいろいろなハーブがあり、私は「ハーブ入りソルト」を買い路地を歩きました。

小町大路から金沢街道の路を横にそれ、路地を歩くとイラスト工房や手づくり展やレストラン、カフェ、古布展や雑貨などなど・・・。

「ひとりで歩いても分からないわ」という方には「路地フェスタツワー」をおすすめします。鎌倉を知り尽くしたスタッフがご案内してくださるそうです。

次回は29日11時~16時まで(090-2738-6164)担当マスダさんまでお問い合わせくださいとのこと。詳しくは「路地フェスタ」で検索してください。

私の娘のショップ「フローラル」も参加しております。6番です。鶴岡八幡宮・源平池の横にあるイギリスなどのアンティークを扱っているショップです。小さな一軒家のショップ。

私自身このショップのファンなので、ついついお買い物。今回は小さな一輪挿しと、古い花のカードが額装された品を買ってしまいました(笑)

鎌倉ってちょっとした小さなショップが素敵ですよね。箱根の雄大さの中に暮していると古都に憧れ、時々訪ねたくなる場所です。

神社仏閣、四季折々の花、いつの季節も素敵です。フローラルでひと休み。そして、路地路地のショップを回り堪能した「鎌倉路地フェスタ」でした。少々疲れましたが・・・。

フローラルは28・29日は鎌倉山ハウスポタリー英国展に出展のためショップはお休みです。

ゴールデンウイークは遠出はしないわ!という方、一日鎌倉散策も素敵ですね。

こよひ逢ふ人 みなうつくしき 生誕140年 与謝野晶子展

みなさまはゴールデン・ウィークはどのように過ごされるのでしょうか。

私は暦通りなので、1日は東京にラジオ収録で出かける以外はこの箱根の山でのんびりと過ごす予定です。まとまったお休み、”さぁ~何をしましょう”・・・と考えていた時にふっと普段なかなか出来ないことをしようと思いました。

以前に買い求め、斜め読みしかできなかった与謝野晶子の「新訳源氏物語」を読み始めよう!と思い立ちました。

初版発行は平成13年。その頃の私といえば、何だかバタバタと全国飛び回り、「この世でもっとも読みやすい源氏物語」と帯には書かれておりますが、それが、なかなか・・・。そこで、ちょうどよい機会なのでこのゴールデン・ウィークをスタートにしようと思ったのです。

ちょうど現在、横浜の港の見える丘公園に隣接している県立神奈川近代文学館で特別展『生誕140年 与謝野晶子展』(5月13日まで)が開催されておりますので行ってまいりました。

”こよひ逢ふ人みなうつくしき”

与謝野晶子は、1878年(明治11)、堺の町中にある和菓子商・駿河屋の娘に生まれ、体の弱い母にかわって、駿河屋の中心的な働き手として、帳簿つけ、菓子の販売など、店番の合間に膨大な父の蔵書をひもといて、奈良時代から江戸時代にいたる古典作品の数々を読み耽っていたそうです。

有名な歌集『みだれ髪』は、晶子は髪が豊かで、いつも幾筋かの髪の毛を垂らしていたことから、師であり、後に夫になる与謝野鉄幹が歌の中で晶子を「乱れ髪の君」と詠み、愛称となったそうですね。

鉄幹、晶子の相思相愛は生涯変わることなく続くのですが、妻であり、五男六女の母であり、一家の家計を支える大黒柱であった晶子の日常の暮らしは、想像を超えたエネルギーと鉄幹への尊敬と思慕がなければ続かなかったことでしょう。

うすものの二尺のたもとすべりおちて 蛍ながるる夜風の青き (みだれ髪)

そと秘めし春のゆふべのちさき夢  はぐれさせつる十三絃よ (みだれ髪)

恋をしている女性は美しい、とも書かれています。会場の直筆の手紙や書、不遇の日々を過ごす鉄幹を再生させるため、晶子は鉄幹の念願だった渡欧を実現させようと資金集めに奔走し、自ら屏風歌を詠み、パリに向かった鉄幹を送り出し、でもその不在に耐えられなくなり、子どもを鉄幹の妹に託し、自身もパリへと旅立ちます。

そのパリ滞在中に描いた「リュクサンブール公園」はその才能の豊かさにも驚きました。

男女の別なく「完全な個人」を目指していた教育を実感できる資料も見ることができます。

そして旅に彩られた晶子の後半生の中でも神奈川県各地への旅行は数知れず。箱根には「明星」「冬柏」の同人たちと例年のように吟行に訪れ、温泉で心身を癒し、森林や溶谷、湖で豊かな自然に親しんで詠まれた多くの作品には「深い歌堺がある」といわれています。何だか嬉しくなります・・・私の住む箱根を旅していた与謝野晶子がそこに存在しているようで。

鉄幹と出逢って35年の歳月。
苦労も葛藤も多かったはずです。
会場で目にした『半分以上』で
私の子供達、さやうなら。
お父様のところへ行きます、
いろんな話をしませう。

で、始まる詩を読み、涙がこぼれてきました。

与謝野晶子はすぐれた歌人であり、自らの考えを信じ、男性社会においてもたえず”新しさ”を求め、自分自身の生き方を貫かれ後世へと夢を託した人。何よりも『母性のひと』だと実感した展覧会でした。

晶子30代で訳した「新訳源氏物語」は渡欧を挟んで3年で。自身「無理な早業」と語っていますが、『新新訳源氏物語』(全六巻)は鉄幹の死を挟んで約6年の歳月をかけた訳。

完成して約半年ののち、晶子は脳溢血によって倒れ、2年後(昭和17年)63歳のいのちをおえました。私が生まれる前の年だったのですね。

まずは「ひかる源氏」編(角川書店)と「薫・浮舟」編から読みはじめましょうか。

神奈川近代文学館
東急東横線直通みなとみらい線、元町・中華街駅・6番出口徒歩10分

シニアは入場料300円。
休館日(月曜)4月30日は開館です。
お天気のよい日にお散歩がてら、海を眺め、帰りに中華街での食事なども素敵ですね。

映画「ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書」

正直にいって映画を観終わったあと、しばらく席を立つことが出来ないほどの心地よい疲労感と、スピルバーグ監督からのメッセージを深く考えていました。

この作品の舞台となるワシントン・ポストのオフィスの再現は徹底的にこだわるスピルバークの世界。監督は語っています。

「今もワシントン・ポストに勤めている友人をセットに招待したんだ。おちこち見て回った彼の目には涙があふれていた。彼は『当時のオフィスそのものだ』と言ってくれた」と。

ヴィンテージのタイプライター、コード付きの電話器、記事のカーポンコピー、乱雑に置かれた灰皿、その匂いすら感じる編集現場。

監督・製作はスティヴン・スピルバーグ。
主演はメリル・ストリーブが演ずるキャサリン・グラハム(ワシントン・ポスト社主・発行人)とトム・ハンクスが演ずるベン・ブラッドリー(ワシントン・ポスト編集主幹)。

半世紀近くも前の話です。米国の歴代政権が隠してきたベトナム戦争の実情を記す機密文書の報道を巡る政府と新聞の闘いが描かれています。スクープしたニューヨーク・タイムズが政府の力により差し止め命令を受けます。1971年6月、ワシントン・ポストが立ち上がります。

この映画には英雄は登場しません。内部告発者、メディアの経営者やジャーナリスト、彼らは皆、重要な登場人物。しかし、生身の人間。悩み、逡巡し、もだえる。

その時、彼らが立ち戻る原点は?

言論・報道の自由をとことん守り抜くと宣言した憲法修正1条。彼らの思想と行動を多くの市民は支持します。そして、裁判所も、政府の横槍を認めませんでした。

まだまだ若い米国には、もしかしたら強烈な”歴史意識”があるのかもしれません。『我々が日々、歴史をつくっている!』その感覚は政治家や官僚の専売特許ではない。多くの市民の無意識のうちに積み重ねている日常の所作かもしれません。

「最高機密文書」にはベトナム戦争での米軍の劣勢など報告されていたのです。それを知っていて、異なる発表を続けた歴代政権を、メディアや市民は許さなかったのです。多くの尊い命が奪われた戦争でした。

キャサリンを演じるメリル・ストリープの見事な演技は「クレーマー、クレーマー」(79)、「ソフィーの選択」(82)、「恋におちて」(84)、「マジソン郡の橋」(95)、「プラダを着た悪魔」(06)、「マンマ・ミーア」(08)、「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」(11)など、あげたらきりがないほどの多くの役を見事に演じてきた女優。

私生活では、夫でアーティストの間に一男三女のお母さん。キャサリン・グラハムも四人の子どもの母親で、家庭を守り平凡に暮らすのが一番の幸せ・・・と思ってきた典型的なあの時代の女性。父親の興した新聞社を夫が継ぎ、ところがその夫が鬱病で自殺してしまい、社主をつとめることになったキャサリンは、経験も浅く、男性優位の社会で礼儀正しさを保ちながらも筋を通すやり方を学んでいきます。

彼女は新聞社史上もっとも大きな決断を迫られた時に『いつも完璧じゃなくても最高の記事を目指す。それが仕事でしょ?』と言い放つのです。

正直にいって私はスピルバーグ監督は女性を描くのは苦手の人、と思ってこれまできました。今回の映画で見事に裏切られました。トム・ハンクスも中年になりますます素敵になっています。リズ・ハンナの脚本も女性の目が生かされていますし、ある意味では信頼のラブストーリーともいえます。

半世紀近くも前の話です。この記事は当時世界中を駆け巡り、私もはっきり記憶にあります。

しかし、「機密文書」自体の真贋が問われたとしたらいったいどうなるのでしょうか。極めて深刻かつ、今日的な問題です。

この映画は人事ではなく、アメリカ映画・・・では片付けられないメッセージをスピルバーグ監督から預けられているのです。

ラストシーンを見逃さないでください!

映画公式HP
http://pentagonpapers-movie.jp

「ルドン 秘密の花園」展

ラジオ番組の収録で月に2回は東京に出かけます。

午後1時過ぎには終了するので、その日は待ち通しい、映画・展覧会のひとときです。映画は銀座界隈、展覧会も、東京駅から近い三菱一号館美術館はちょっとした時間に立ち寄れるし、明治期のオフィスビルを復元した建物は落ち着きがあり、小さな展示室が連なっているから疲れませんし、作品との距離も近く、じっくり向き合えるのが嬉しいです。

桜満開から数日たっていたので、葉桜になっていて新緑の眩しい内庭。建物に刻まれた歴史を愉しみながら”さあ~ルドンに逢いにいきましょう”とワクワク気分です。

印象派の画家と同世代でありながら、幻想的な内面世界に目をむけたオディロン・ルドン(1840-1916)。その特異な画業は、今も世界中の人の心を魅了し続けています。

私が始めてルドンの絵を観たのはパリのオルセー美術館だったと記憶しております。衝撃をうけました。「この画家は何を見つめ、何を訴えようとしているのかしら・・・こちらの心の奥を覗かれているようだわ」と思ったのが最初の印象でした。

今回の展覧会は植物に焦点をあてた世界で初めての展覧会とのこと。オルセー美術館、ニューヨーク近代美術館MOMAをはじめとする世界各地の美術館からルドンの作品が集まりました。

ルドンはフランス・ボルドー生まれ。病弱だったため生まれてすぐ、親戚の家に引き取られ、自然豊かな田舎で11歳になるまで育てられました。

その体験は画業に大きな影響を与えます。両親の勧めで建築家を目指しますが受験に失敗。その後、画家を目指しますが遅咲きで、最初の版画集を出版したのは39歳のとき。

40代後半まで木版画や石版画(リトグラフ)など「黒」を基調とした作品を発表します。私はこの時代の作品はとても好きです。40歳で結婚したルドンは、長男を生後半年で亡くしますが、数年後に待望の次男を授かります。それまでの黒一色だった画面は一転し、50代になってから次第に色彩豊かな作品を発表します。

今回の展覧会ではドムシー男爵の城館の食堂を飾った装飾で、三菱一号館所蔵の大きなパステル画『グラン・ブーケ(大きな花束)』、同食堂の15点の壁画など90点あまり。

中でも「目をとじて」(リトグラフ)は、黒から色彩への転換期以降、ルドンの新たな主題でもあります。この作品をどのように解釈するか・・・は観る側に委ねられているように思います。

それが『秘密の花園』なのですね。岐阜県美術館蔵の「目をとじて」(油彩)も素晴らしいです。人間の内面や精神性を描いているルドンの作品を観ていると理性や理論では表現できない・・・心の自由を感じます。

丸の内のオフィス街にひっそり隠れ、四季折々の花が咲く秘密の花園のようなガーデンでワインを一杯!・・・と書きましたが、季節が素晴らしいので外国の方々も、バギーに赤ちゃんを乗せたママなど、大勢の方で賑わっていました。

会期は5月20日まで。
http://mimt.jp/redon/

映画『しあわせの絵の具~愛を描く人 モード・ルイス』

「絵の具があるから。窓があるから。そこを鳥は通り過ぎ、枠いっぱいに、命があふれるから」。

「この手に筆、目の前に窓さえあれば、私は満足です」。

モード・ルイス自身のことば。
世界的には賞がらみの多いこの頃の映画界ですが、この真珠のような輝き、そして芯のある一作にくぎづけになりました。

カナダの東部の小さな村に、鍛冶職人の父、絵と音楽を愛する母にとって待望の女の子の誕生でした。しかし、子どもの時にリウマチにかかり、身体が不自由でした。父の死。そして最大の理解者だった母の死。叔母に預けられ厄介者扱い、失意の日々を過ごしていたある日、家政婦募集の新聞広告がモードの人生を大きく変えることになるのです。

雇い主は無骨で多くを語らない、孤児院で育ち字も書けない魚の行商で生計を立てている男・エベレット。俺が主人、犬が次。家政婦はビリ。そんなふたりがいつしかお互いを理解し結婚し、やがて彼女が小さな家の壁や外壁、窓に描く絵がニューヨークから避暑にきていた女性の目にとまります。

主演のサリー・ホーキンスとイーサン・ホークは町外れの家に住む天性の画家とその夫を見事に演じています。実力派女優のサリー・ホーキンスはもともと絵の素養があり、それでも役を演じるために画学校に通ったそうです。

モード・ルイス(1903~70)が描く絵、素朴派芸術(ナイーヴ・アート)とは、美術史、テクニック、観点においては正式な教育や訓練を受けていない人物が創作した芸術をさします。

簡素さと率直さ、心に響いた絵を描く彼女。無欲な彼女の絵はやがてカナダを代表する画家になるのです。5ドルから始まった絵は現在は美術館に入り途方もない値段になっているとか。

なによりも不器用な二人。このふたりの時間が育てた夫婦の愛は67歳で生涯を終えるまで、長年連れ添ったふたりだけに通じる強い精神と、寄り添い、貧しくとも豊かな、そして温もりのある家。家そのものが作品となっています。”ペインテッドハウス”は作品郡と共にノバスコシア美術館で見ることができるそうです。

人間、孤独な男と女は寄り添うことで愛はうまれるのですね。

実話をもとにアイルランドの監督アシュリング・ウオルシュとカナダの脚本家シェリー・ホワイト、女ふたりの協同作業がこのような素晴らしい映画を作り上げたのですね。

映画も多くは語りません。過去や心理描写には深入りせず、観る側に委ねてくれる心地よさ。

何も望まず、そっと今のままで・・・それでじゅうぶん。モード・ルイスが教えてくれる、人生で大切な喜びを・・・。

久しぶりに心が暖かくなりました。

私は東銀座の東劇で観ましたが、渋谷の文化村その他で上映中です。中高年の方々でいっぱいでした。

映画公式ホームページ
http://shiawase-enogu.jp

100歳まで動ける体になる「筋リハ」その2

先週に続き、今週も『筋リハ』です。先日スタジオに久野譜也(くのしんや)先生をお迎えし、直接お話とスクワットなどの仕方も指導していただきました。大変参考になるお話でした。

久野先生は筑波大学 大学院教授で1962年生まれ。スポーツ医学の分野において、中高年の筋力運動をはじめ、筋肉が減少して脂肪が増えるサルコペニア肥満、健康政策などを研究されておられます。全国の自治体や健康保険組合に、健康増進プログラムなどを提供しています。

年齢を重ねても、いつまでも元気でありたいですよね!私たちは加齢により筋肉の衰えから、疲れやすくなったり、太りやすくなったりするそうです。それはどのような仕組みなのか。専門分野の先生にお話を伺い、衰えさせないためにはどうしたらよいか?など貴重なアドバイスをいただきました。

ご著書を読んで頂くのがより分かりやすいと思いますが、まず『3つの柱』があります。

★筋肉運動(筋リハ)
★有酸素運動(ウオーキングなど)
★バランスのとれた食事

筋肉が脂肪に変わってしまうこともあるそうですよ~! 筋リハとウォーキングをセットにして行うといいようです。ウオーキングは1日8000歩の目標が適切だそうです。

でも、そんなに毎日歩けるかしら・・・と思わずつぶやいてしまった私に、心強いお言葉をいただきました。

今の科学では『歩きだめ』が可能!とのこと。ウィンドウショッピングでも、ちょっとした散歩でも家の中での家事など、トータルの歩数。今日少なければ明日・・・つまり1週間で5万歩が目安だそうです。

20分以上歩かないと脂肪が燃焼しないという神話は、今の科学で完全に否定されているのだそうです。1日に何回に分けても大丈夫だそうです。

筋肉を動かせば”認知症を防ぐ働き”も期待できるそうです。

運動で体を動かすと、筋肉組織からイリシンが分泌され、このイリシンが血液を通して脳に入ると、脳内で「BDNF(脳由来神経栄養因子)」という物質の分泌を促すのだそうです。

認知症はなんとか避けたいですよね!誰でも。頭を使って室内で「脳トレドリル」よりも普段から”頭”も”体”も両方ともしっかり動かすことが大事・・・だそうですよ。

でも、3日坊主にならずに運動をつづけるにはどうしたらよいか、も伺いました。

是非番組をお聴きください。
そして久野先生の分かりやすい本をご覧ください。

文化放送「浜美枝のいつかあなたと」
4月1日(日曜日 )放送
10時30分~11時

100歳まで動ける体になる「筋リハ」

「いつもお元気で何よりですね」。

そんな嬉しい言葉をかけていただくことが多いのですが、私も70代半ば。近頃は体調管理の必要性を切実に感じるようになりました。

年齢を経て気をつけなくてはならないのは転倒だとよくいわれます。実は私はその経験者。60代半ばの雨の日、ハイヒールをはいていた私は、濡れた大理石の床でバランスを崩し、背中を打ち、圧迫骨折してしまいました。

以来、足腰を鍛え直したいと、箱根の山を歩くことにしました。天気のよい日は富士山や芦ノ湖を見ながら、澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んで、2時間ちかくも険しい山道をあるいていました。ところが、昨年アクシデントに見舞われました。突然、足があがらなくなり、歩くのが辛い、痛い。

すぐに整形外科の先生に調べていただいても、骨にも筋にもレントゲンでは異常なし。骨密度も問題なし。しかしかなりショックでした。『大変!このまま歩けなくなるのかしら』と、ちょっとしたパニックになり、体や足に関する本を読み漁り、マッサージも続け、歩きの専門家をも訪ね、ようやく理由がわかりました。

良かれと思って、山道を歩き回っていたことこそが原因だとわかりました。トレーナーに教えていただいたトレーニングとストレッチを朝の日課にしました。そんな時に出会った本が、筑波大学大学院教授の久野譜也さんの 『100歳まで動ける体になる「筋リハ」』です。

「落ちてきた体のさまざまな機能を”元気だったあの頃の状態”にまで戻すことができるのです。筋肉は、わたしたちの体の中で活力エネルギーを生み出している工場のような存在なのです」と書かれておりました。

70代を過ぎると、筋肉量は20代の時の半分程度になってしまうとか。でもその筋肉は無理なく再生が可能なのだそうで、運動が苦手な人でも日常生活の中でできる科学的なプログラムが書かれておりますし、「筋肉運動」と「ウオーキングなどの有酸素運動」の両方を行うことによってこそ、若さや健康を取り戻せます。と。

中高年の筋力運動、サルコペニア肥満、健康政策などを研究なさって著書も多数。

私は納得し、さっそく始めました。これは、ラジオお聴きのリスナーの方にもぜひ聴いていただきたいと思いゲストにお招きし、お話を伺うことにいたしました。収録は来週20日なので、次回のブログに詳しくご報告いたしますね。

きつくない、つらくない。がいいですね!

いくつになっても『動ける体』・・・を目指したいものです。体は限りある資源。決して無理をせず、かといって甘やかさず、自分の体にちゃんと向き合っていかなければと今、改めて思います。