春の陽光を浴びながら青山界隈の散策

毎月一度は通う美容院の入り口のミモザが満開でした。そしてここは一軒家なのでガラスの窓からは陽光が射し、天井が高いのでのんびり過ごせる私の大切なひとときなのです。

先日、美容院の帰りに辺りを散策し、目的の根津美術館へと向かいました。青山通りからちょっと入っているだけで静かな住宅街。ぶらぶら歩いていたら見つけました!「タイ料理」の小さなお店。

遅いランチでいただいたのがパッタイ(890円)。サイドオーダーで大好きなコリアンダー(100円)をたっぷりのせて。美味しかった!また今度ぜひ行きたいです。

そしてまた歩いていたら何だか木材に覆われた建物。中を覗くと台湾のパイナップル菓子(月餅のような…でもちょっと違うの)屋さん。二階を覗くとカフェのよう。「お茶いただけますか?」と伺うとなんとなんと、ブログに載せていいのかしら~。でも教えたくなります!そこはカフェではなく、その日によってですが無料で台湾のお茶とパイナップル菓子を振舞ってくださいます。

何でもオーナーが台湾でパイナップル畑のオーナーでもあり、お菓子作りもしているとの事。”皆さんに知っていただきたいので”と、店員さん。この建物は、あの東京オリンピックスタジアムの設計も手掛けている隈研吾さんの設計だそうです。

帰りに少しだけお土産にお菓子を買いました。パイナップルがしっかり入っていて美味しかったです。不思議な空間でした。

さて、ぶらぶらウィンドウショッピングをしながら目的地の根津美術館へ。この美術館は展覧会を観た後に四季折々の庭の散策が楽しいのです。国宝7点、重要文化財87点など日本と東洋の古美術約7,400点を収蔵していますから、季節ごとの展示が素晴らしいです。

今回の展覧会は『ほとけをめぐる花の美術』です。

仏教美術に描かれる花に着目した展覧会です。泥の中から伸び、水に触れることなく清らかに咲くハスの花は、”蓮華(れんげ)”と呼ばれ、仏教を象徴する花ですが、沙羅も知られていますよね。今回私が見たかったインドに咲く、脇の下から釈迦が誕生したという”無憂樹”(むゆうじゅ)や、釈迦が悟りを開いた時に敷いていたという”吉祥草”(きちじょうそう)など、それらの花が写真でみられますし、解説がついています。

想像上の花”宝相華”(ほうそうげ)や”宝樹”(ほうじゅ)、日本の聖地に咲く桜など、30数点の仏教絵画に描かれたさまざまな花をみることができます。経箱など工芸品も展示されています。仏をより荘厳に、どのような花が描かれるのか・・・興味深い展覧会でした。

ガンダーラの石仏に惹かれインドを10年近く旅してから半世紀がたちます。こうして青山の真ん中で仏さまにめぐり逢えるなんて幸せ。そしてお庭を散策しました。この頃に吹く西風が、西方浄土から現世に吹く『涅槃西風』というのだそうですね。まだ冷たさが残る風ですが、この涅槃西風が吹き静まると寒さも終わり、春を迎えます。

美容院からタイ料理、台湾のお菓子に、ほとけをめぐる花。幸せな一日でした。根津美術館は表参道から歩いて10分ほどです。3月31日まで。

根津美術館公式サイト
http://www.nezu-muse.or.jp/

映画『あなたは まだ 帰ってこない』

フランス文学を代表する女流作家、マルグリット・デュラス原作の自伝的原作「苦悩」(河出書房新社刊)を見事なまでに映画化された作品。

ナチス占領下のパリで、女たちはそれぞれ愛する人の帰りを待つ。第二次世界大戦時のナチス占領下のパリ。1944年、マルグリット・デュラス(1914~96)が30歳の時の話です。

「愛人ラマン」の翌年70歳でこの「苦悩」を発表しています。「愛人ラマン」は、ゴンクール賞を受賞し、ベストセラーになります。

今回は自身の愛と、その苦しみが戦争の記憶ととともに語られます。1985年刊行された「苦悩」は、デュラス自身が「私の生涯でもっとも重要なものの、一つである」と語っています。

監督はゴダールなどの助監督を務め、その才能は高い評価がされているエマニュエル・フインケル。主演は私の大好きな「海の上のピアニスト」に主演したメラニー・ティエリー。

ドイツ占領下のパリで抵抗運動に身を投じるデュラスと夫。ゲシュタボは夫を逮捕し、手先とデュラスが接触し、アジトを探ります。

この映画は”夫を待ちながら”デュラスは愛人マスコロ(バンジャマン・ピオレ)の理解と協力で手先の誘惑・裏切り・・・など彼女は夫の消息を知りたい、と願います。

複雑な国際政治の流れの中で脱出に失敗した夫を愛人と仲間たちが助けだします。8月パリ解放。瀕死の夫を1年の看病後、「愛人の子どもが欲しい」と、妻は離婚を申し出ます。命がけで助けた夫。画面には夫の海辺で療養している横顔しか登場しません。極限状態においての『愛』。彼女を誘惑する手先の男の『愛』。愛人の『愛』。

作家としてのデュラスの生きる姿に正義感や道徳・・・などといった判断は簡単には当てはまりません。作家の冷徹な目、燃え尽きた愛のなかでは生きていけない女。やはりフランスならではの女の生き方です。(と、言っていいのか・・・)

愛とは歓びなのか、苦しみなのか、あるいは待つことなのか?すべての女性に突き付けられる、愛の葛藤とパンフレットには書かれていました。成熟した大人の映画でした。

渋谷Bunkamura Le Cinemaにて。
https://www.bunkamura.co.jp/cinema/

辞世のうた – 先人たちが残した魂のメッセージ

歴史上の人物が、五・七・五・七・七の三十一文字に思いをこめてこの世に残した「辞世のうた」(ワニブックス「PLUS」新書)をお書きになったのは歌人の田中章義さんです。

涙が出てしまうようなうた、背中を押してくれるようなうた、ユーモアのあるうた、様々です。

田中さんは、1970年、静岡県のお生まれ。慶応義塾大学1年生の時、角川短歌賞を受賞し、その後、短歌にとどまらず、ラジオ、テレビの出演、絵本、紀行文、人物ルポルタージュの執筆など幅広く活躍し、現在、國學院大學で教鞭をとっておられます。

現代社会ではインターネット、SNSなど、ましてや遺言状は書いても”辞世のうた”を詠む・・・などありませんよね。31文字の中に先人たちの生き方や考え方を学びます。

ラジオ「浜美枝のいつかあなたと」にお招きし、そもそも私など”短歌を詠む”なんてことはできませんし、日本人なら誰でもが知る人々が、人生の最後に何を語ろうとしているのかをお聞きしました。

まずは教科書で学ぶもの・・・と思っていた私。旅などしていて”あ~、短歌が詠めたらこの風景・光景、この感動をどのように詠むのかしら・・・”とたびたび思います。

「最初は好きなうたの真似で一文字自分の感じた言葉を当てはめ、それでもいいのですよ!音楽のリズムのように、歌うように詠んでもいいのですよ」と田中さんはおっしゃいます。

が、なかなか簡単ではありません。ご本の中で田中さんはおっしゃいます。

『辞世のうたと向き合うことは、今という時間の尊さと対峙することに他ならない』と。

そうですよね、あの時これをしておけば、と後悔しても始まらないのが人生・・・とも。分かっていてもなかなかできないものです。そこで、今回は田中さんのご本の中から先人の詠んだうたを一部ご紹介いたしますね。

高杉晋作
「おもしろきこともなき世をおもしろくすみなすものは心なりけり」

豊臣秀吉
「露と落ち露と消えにし我が身かな難破の事も夢のまた夢」

源義経
「後の世もまた後の世も廻りあへ染む紫の雲の上まで」

千利休
「提(ひっさぐ)るわが得具足の一つ 太刀今この時ぞ天に抛(なげうつ)」

新島八重
「若松のわが古里に来てみればさきたつものはなみだなりけり」

金田一京助
「道のべに咲くやこの花花にだにえにしなくしてわが逢ふべしや」

牧野富太郎
「朝夕に草木を吾の友とせば心さびしき折ふしもなし」

市川海老蔵(三代目)
「極楽と歌舞の太鼓に明烏 今より西の芝居へぞ行く」

近松門左衛門
「それぞ辞世さるほどにさてもその後に残る桜が花し匂はば」

石川啄木
「今日もまた胸に痛みあり。死ぬならば、ふるさとに行きて死なむと思ふ。」

和泉式部
「生くべくも思ほえぬかな別れにし人の心ぞ命なりける」

紫式部
「誰か世にながらへて見る書きとめし跡は消えせぬ形見なれども」

小林一茶
「ああままよ生きても亀の百分の一」

田中さんの「辞世のうた」はまだまだ興味深く、そして歴史背景、その詠んだ刻の心情などが綴られていて大変興味深いです。スタジオでのお話は、ユーモアをまじえ語ってくださいます。ぜひラジオもお聴きください。

文化放送 「浜 美枝のいつかあなたと」
3月3日
日曜10時半~11時放送

映画『ヴィクトリア女王・最期の秘密』

歴史から消された、女王の感動の物語。

1837年に即位し、63年にわたって大英帝国に君臨したヴィクトリア女王。しかし、夫アルバートの死後、約10年もの間、公の場から姿を消します。

孤独な王室での生活。従僕を寵愛した逸話は「Queen Victoria-至上の恋」(1997年)として映画化されましたが、今回の映画も1934年生まれ、イギリス、ヨーク出身のジュディ・デンチが演じます。

数々の映画でアカデミー賞を受賞し、皆さんは007シリーズの”M”役でもご存知でしょうね。2005年には名誉勲位を授与されていますし、イギリスが誇る女優が見事に”ヴィクトリア女王”を、それも2度目の女王を演じています。

孤独な女王の晩年を輝かせたのは、インド人従者でした。近年になってイスラムの言語ウルドゥー語で書かれた女王の日記が発見され、これをもとに書かれた小説が映画化されたのです。

老いて孤独が深まる女王の前に即位50周年の式典に記念金貨を英領インドから贈呈役としてやってきた青年アブデュル(アリ・ファザル)彼が中々知的で長身の美男子。1986年インド、ラクナウ出身で、優しさに満ちた青年を演じています。私もひと目ぼれ。王室の作法を無視した振る舞いに周囲は反発し、女王の死後、皇太子が2人の関係を示す全てを破棄してしまったので、日記が見つかるまでこの事実は世の中には知られていませんでした。

「私は愚かな年寄り。生きている意味がある?」
「己のためでなく大儀のために生きるのです」
イスラム教徒のアブドゥルは、父を心の師「ムンシ」として慕ってきたという。
「ならば、あなたは私の先生”ムンシ”よ。」

こうして二人の絆が結ばれていくのですが、68歳の女王がまるで少女のように蘇り輝きを放つのです。笑って、泣けて、ときには茶目っ気たっぷりの女王の個性を監督が素敵に引きだします。「クイーン」を手がけたスティーブン・フリアーズ監督、さすがです。心を許し、階級、人種、宗教の違いを超え、身分を越えた絆の深さに胸が熱くなります。

この映画の見所の一つは繊細なファッション。刺繍・レース、それは見事です。そして、ロケーションが行われたところは女王の最愛の夫アルバートが設計した離宮「オズボーン・ハウス」で映画として初めて撮影が許可されたそうです。本物のもつ重量感はいっそう観る者を引き込んでいきます。実話にもとづいた作品。

女王のときめきや、人として素直に愛することの感情。人は孤独です。女王も同じ。

心をひらくこと、人生を愛おしく想うこと、信じること、いろいろ学んだ映画でもありました。2019年はヴィクトリア生誕200年にあたるそうです。

クマのプーさん展

待ちに待った”クマのプーさん”に逢いに9日の初日、雪情報が出ている中、渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムに行ってまいりました。10時開場でしたがすでに長い列ができておりました。

今回は英国ヴィクトリア・アンドアルバート博物館から、クマのプーさん原画や資料も届き、物語が生まれた背景などがしっかり分かる素晴らしい展覧会です。

以前にもブログで映画のプーさんや、児童文学者の石井桃子展について書きましたが、私は大の”プーさんファン”です。

プーさんは年齢を問わず世界中の人々に90年以上も愛されてきました。私が始めてプーさんに出会ったのは「クマのプーさん・プー横丁にたった家」を図書館で見つけたのが、10代の半ば。

プーさんと仲間のピグレット、ティガー、イーヨ、ラビットにオウル、カンガとルー親子、そしてクリストファー・ロビン。A・Aミルン作、挿絵はJ・Hダウド。石井桃子訳。

ヴィクトリア&アルバート博物館は、シェパードが描いた鉛筆画や270点以上の原画や作品に関する手紙、校正刷りや写真などが寄贈され今回の展覧会となったわけです。

原画寄贈から40年以上を経て初となる企画展。ケンブリッジ大学の図書館からはA・Aミルンの手書き原稿もふくめ、”プーさんファン”にはたまらなく魅力的な展覧会なのです。開場では原画はもちろんそうした資料を間近でじっくり鑑賞している青年や女学生たち・・・私と同世代の方々。

そうなのです。私は石井桃子さんの訳に魅せられ、10代終わりの頃(以前にもブログに載せましたが)ロサンゼルスのディズニーランドで、原画に近い大きな”プーさん”の人形に出逢い、抱えて飛行機で一緒に帰国しました。半世紀以上が経ち、現在は孫の仲間になっています。

なぜ、これほどまでに愛されるのか・・・そこには友情と、他者を受け入れることの大切さを学ぶことができるのです。そして、挿絵の中の森や橋など実存する自然がより身近に感じられるし、ユーモアもあり挿絵と文字が一体となって心をポッと温かにしてくれます。

普通の暮らしから親子の在り方、空想や子供が大切に思っていること、自然が与えてくれる豊かさ・・・全てがこの物語にはあるように思います。だから世界中の人々がこれほど魅了されるのですね。

開場は一部撮影可です。スマホで撮る若者、私はいつも持参しているコンパクトカメラで撮りました。原画の可愛いクマのプーさんを見てください。

シェパードはインクで書く前に鉛筆で登場人物の輪郭をラフスケッチしています。登場人物の動きなど試行錯誤を重ねていることなどが分かります。

4月14日まで開催されていますから、時間があったら覗いてみてください。お薦めです。

なんだか・・・心がじーんときて幸せな気分になりました。

クマのプーさん展 公式サイト
https://wp2019.jp/

映画 『天才作家の妻-40年目の真実ー』

人生の晩年を迎える夫婦の危機を見つめる心理サスペンス。
完璧な”妻”が最後に下した決断とは!?
と新聞に載っていました。

1950年代のニューヨーク、60年代と90年代のコネチカット、さらに90年代のストックホルム。

現代文学の巨匠として名高いジョセフ・キャッスルマン(ジョナサン・プライス)と妻ジョーン(グレン・クローズ)のもとにスエーデンから早朝に電話がはいります。

「今年のノーベル賞はあなたに決りました」と。そして受賞式に出席するため夫婦は息子と一緒にスエーデンのストックホルムへと向かいます。

それまでは完璧な”妻”だった妻ジョーンは・・・この映画は心理サスペンスです。

詳しいストーリーは今回ブログには載せませんが、グレーン・クローズの表情で、目で語る静かではあるが、恐ろしいほどのリアルさでの演技には圧倒されました。

そして夫役のジョナサン・プライスの演技は舞台で培われた経験豊富な実力者らしい演技。40年連れ添った夫婦。60年代のアメリカという時代背景から、この映画を観ていかなければなりません。

妻のジョーンは才能溢れる作家志望の女性でした。しかし、日本同様に男女の社会格差があのアメリカでも現実にはけっして平等ではなかったことに驚きを覚えました。

「よき妻を演じる」「秘密を抱えた夫婦に・・・」さ~どのようなドラマが待ち受けているのでしょうか。どこにでもいる夫婦。誰でもが積み重ねていく日常。それらのヒダを演じる役者の巧みな演技。

監督、シナリオ、共に見事です。そして、この映画の素晴らしいところは「理屈では語れない”愛”が存在していること」「自立とは・・・」と我がこととして考えることができ、観終わった後に深く人生を考えられること、それもポジティブに。

女優・グレン・クローズさんの素晴らしい演技に乾杯!アカデミー賞を受賞してほしい、と思いました。観終わったあとの開放感はまた特別でした。

柳宗悦の「直観」美を見いだす力

箱根の我が家のまわりでは今、ロウバイが可憐な黄色い花びらを広げています。寒さはこれからが本番ですが、澄みきった青空の下で咲くロウバイの花を目にすると、冬の後には必ず春が来ると感じさせられ、心がぽっと温かくなるような気がします。

先日、東京で早めに仕事を終えた帰り、日本民藝館の『柳宗悦の「直観」美を見いだす力』展を見てきました。駅から民藝館までの道にもうらうらと日ざしが降り注いでいて、胸を弾ませながら、心地よく歩くことができました。

――美しさへの理解は、知識だけではなく「何の色眼鏡をも通さずして、ものそのものを直に見届ける事」、すなわち直観が必要である――。日本民芸館の創設者である柳宗悦先生はそのようにおっしゃっています。中学時代に柳先生の著書に出会い、お考え、美意識、生き方のすべてに感銘を受けた私は、以来、柳先生を心の師として、その足跡を追ってきました。

民藝館の前で、建物をカメラに収めているフランス人の50代のカップルに気が付きました。和風意匠を基調としつつ、随所に洋風を取入れた旧館は柳宗悦先生が中心となり設計された建物。石塀は国の有形文化財に登録されています。

「なんて美しいの」「素晴らしい」カップルから漏れ聞こえる感嘆と賛辞の言葉に、わがことのように嬉しくなりました。

今、欧米やアジアでも、日常の中の美が見直されています。王侯貴族だけに許される華やかな道具、あるいはお祭りや特別な日にだけ使うものだけではなく、毎日の暮らしに存在する道具の美しさを大切に思う、まさに柳先生が見出した美意識や価値観が静かに浸透しつつあります。

朝、起きて、顔を洗い、食事をし、家族と語らい、自分なりの役割を果たし、夜、安らかに眠りにつくという、意識にもあがってこないくらい当たり前の日々。けれど、美しい道具を大事に使うことで、ひとつひとつの動作が丁寧になり、その小さな積み重ねが日常を味わい深いものに変えてくれると、私も実感します。

日本民藝館の中には、中国や韓国からの方々もいらっしゃっていて、みなさん熱心に柳先生が集められた名品をご覧になっていました。最近、どの美術館でも海外からのお客様をお見掛けすることが増えてきたとは気づいていました。

確かに柳先生は朝鮮陶磁の美を見出した先駆者ですし、かの地でその存在をご存知の方もいらっしゃるとは思います。けれど、いわゆる観光地から離れた場所にこじんまりと立っている民藝館にまで足を延ばしてくれる海外からのお客様が増えていることに、感動を覚えずにはいられませんでした。

今回の展示は、柳先生の眼差しを追体験してもらうため、説明や解説が省かれていました。それもひとつの考え方であり、そうした趣向、展示方も理解できます。けれど一方で、はじめて民芸という思想に触れ、民芸の名品を目にする人にはやはり、直観を働かせるための手がかりのようなものが各国語であってもいいのではないかとも思いました。

多くの観光客が来日するようになり、その数はこれからますます増えるだろうと予測されています。そうした人々も視野に入れ、在り方を進化させている美術館や博物館も数多くみられます。

自然との共存、人との和の中で培われ、受け継がれてきた民芸は、効率、成果、結果を第一に求めがちな現代に、もうひとつ大きな幸福があることを教えてくれます。

日本で生まれ育った民芸という美、普遍的な価値観を、日本人のみならず、世界中の人に知っていただきたい、柳先生が唱えた美しい道具を使う美しい国を世界に発信していっていただきたいと切に願っています。

そして、未来を担う子供たちへも手渡していってほしいです。『美』を。

特別展公式サイト
http://www.mingeikan.or.jp/events/special/201901.html

映画 ボヘミアン・ラプソディ

伝説のバンド「QUEEN」

60年代後半から70年代。私はロックバンドの音楽やコンサートにはあまり行っていないし、聴く曲も何となく”聴いたわ、知っている・・・CMや映画で”程度のまったくの未知の世界でした。

今回映画を「IMAX」で観ました。音響、映像、なによりもワンフレーズを耳にした途端に鳥肌がたつような想いにかられ、吸い込まれていきました。

1970年、ロンドン、複雑な生い立ちや、容姿のコンプレックス、セクシュアリティを抱える若者フレディのスタート。

彼は1991年45歳という若さで他界しています。彼らを演じるのは現在活躍している俳優たちです。

正直に言って映画の中盤からでしょうか・・・なぜか涙が止まらない、バックからハンカチをそっと取り出し目頭をおさえ、エンドロールになってもその感動を抑えることができません。

ヴォーカルのフレディ・マーキュリー。魂が乗り移ったかのようにフレディを演ずるのはエミー賞にも輝いたラミ・マレック。音楽総指揮は、「フレディの意思を守るため」に全てに関わったというQUEENのメンバー、ブライアン・メイとロジャーテイラー。

観衆、人々に寄り添い続けた名曲の数々はこれほどまでに人の心を揺さぶるものなのでしょうか。ひと目で恋に落ちるフレディ。数々のヒット曲を世に放ち、大スターになっていく「QUEEN」そしてそこから生まれるフレディの苦悩の数々。

『これは伝記映画ではなく、純粋なアート』。

家族や人間関係、希望、夢、悲嘆や失望、そして最後には勝利と達成感が誰にとっても共感できるものがたりです、と語っていますし、制作したクラハム・キングは『この映画で私たちがやり遂げたことを誇りに思う』と。

10年近い歳月をかけて制作した彼の思いには尊敬いたします。そして、私はフレディ役を演じたラミ・マレックに拍手喝采!です。彼は語っています。彼の曲に共通するテーマは『愛だね、愛を求め、愛を見つけることへの切実なニーズ。そして、かなわない、その願い』・・・

フレディは大変な日本贔屓で、7回の来日のうち1回はプライベートできて、美術関係に造詣の深いフレディは日本の骨董品もずいぶん買われたようです。

1975年の初来日の羽田国際空港。大勢の日本人女性の歓迎をうけます。私は・・・といえばその頃、羽田空港国際線ターミナルからニューヨークやインドなど、また日本国中の旅の下。

ほんとうに残念です。当時のライブを生で観られなかったことが・・・。映画館にはその「QUEEN」のコンサートやCDなどを楽しんでいらした女性たちや若者も多く、すでに興行収入は100億を超えたとか。

この年齢で知ったロックの魂に触れられた幸せをかみしめながら、近じかもう1回観に行こうと思っています。

小さな旅・鎌倉

小雪舞う箱根の山はそれは美しいです。先日も早朝いつものようにウォーキングをして芦ノ湖の畔まで行くと雪もやみ霊峰・富士が見え”キレイ”と思わず手を合わせていました。

しばらくすると青空も見えてまさに「三寒四温」。厳しい冬の中にわずかに寒さがゆるむ日。このような日は一番ウキウキする日なのです。

春を待つことば、「三寒四温」。このような日の私の頭は”小さな旅がしたい!”でいっぱいになります。『そうだわ・・・あの幻想的な竹林で美味しいお抹茶をいただきたい』、ということで山をバスで下山し大船乗換えで鎌倉へ。

鎌倉は娘が営んでいるアンティークショップ「フローラル」があるので時々訪ねます。

鎌倉駅から鶴岡八幡さままでの小町通りなどは観光客で賑わい歩けないほどですが、脇道に一歩入れば、細い路地にかつて文士たちが暮したであろう往時の気配が残る魅力ある街です。

そこで、まず私はかねてから気になっていた、鎌倉駅のホームからも見える「チョコカフェ」に行きました。西口から徒歩1分。1階奥には木のぬくもりが感じられるカフェとショップ。2階席ではカフェから電車を見たり外の景色を見ながらホットチョコにエスプレッソを入れた飲み物をいただきながら、のんびりと寛ぎます。

目の前は桜の樹。春も素敵でしょうね。1階のショップでは美味しそうなチョコが並んでいました。ここのチョコレートはカカオバターや乳製品が入っていないとのこと。

カカオ豆の風味が楽しめます。
お店の名前は「ダンデライオンチョコレート」。

何でも発祥の地はサンフランシスコとのこと。『朝焼きたてのチョコレートクロワッサン』も美味しいそうですが、ボリューム満点。次回、挑戦してみましょう。

今回はチョコクッキーをおみやげにして東口に地下道を通り、駅前のバス乗り場へ。京急バス。(23・5番)太刀洗行きか(24・5番)金沢八景行きなど。

浄明寺下車(約15分)そして坂を少し上ったところが(徒歩3分)『報国寺(ほうこくじ)』。

足利氏、上杉氏の菩提寺として栄えた禅寺です。美しい参道に続く「薬医門」が迎えてくれます。苔むしたアプローチが美しく目を楽しませてくれます。茅葺で趣のある鐘楼(かねつき堂、)鎌倉将士の墓五輪塔郡、本堂には本尊、釈迦如来坐像、川端康成が「山の音」を執筆したといわれる小机が残されているそうです(ともに非公開)。

日曜日7時半から座禅会も開かれ初心者にもていねいに指導してくれるようなので、ご興味のある方はお調べください。

入場込み、お抹茶とお菓子付きで700円。木漏れ日が差し込む竹林の散策路を通り、「休耕庵」でお茶をいただきながらの午後のひとときは至福のときです。

美しい竹の庭には約2千本の孟宗竹が一年を通じて美しさと力強さが堪能できます。目を瞑りしばし・・・非日常的な空間に身を置くことで、身体の力が抜けていきます。『好きです私、こういうひとときが。』風の音、竹の葉のすれる音、日本の美ですね。

そして、またバスにのり娘のショップでひと休み。彼女のショップの品々はセレクトが私の好きな商品が多く、行くのが楽しみです。今回は友人へのプレゼントにカップ&ソーサーを選びました。

そして、日も落ちかけた夕暮れ時、行くと毎回うかがう「ガーデンハウス」へ。西口から歩いて3,4分のところにあり朝は9時~22時まで。朝のパンケーキ、フレンチトーストも美味しいの。一度早起きしてパンケーキを食べにいきましたっけ。

こうして、私の小さな旅は終わりました。東海道線とバスを乗り継ぎ帰路に着きましたが、この頃思うのです。この年齢になったら、思いついたら行動し、風や匂いに癒され、自分自身を解放してあげる・・・大事なことのように思います。

心にしみわたる映画と芝居

まずは映画から。

家に帰ろう

私は映画を観終わってからパンフレットを必ず買います。そして、帰路につく新幹線の中で、また家に帰ってからじっくり読み余韻に浸ります。出演した俳優、監督、スタッフ、プロダクションノートなどなど、映画を2度観たような気分になれます。

今回はプログラムを開いたと同時に目に飛び込んできた方、十代目・柳家小三治師匠のお名前。

誰にでも観てもらいたいけど
誰にも教えたくない気持ちもある。
たまたま観た人と良い映画だったねと
言えたら嬉しい。

泣けて笑えるアルゼンチン映画です。多数の国際映画祭で観客賞を受賞した感動的なロードムービー。

アルゼンチンから故郷・ポーランドへ向う88歳の仕立て屋アブラハム(ミゲル・アンヘル・ソラ)。ナチスのホロコーストを生き延びた男性が、70年越しの約束、自分が仕立てたスーツを届けに最後の旅にでます。

家族から老人施設に入るように言われ、その予定の前夜にポーランド行きの列車に乗ります。カードに「ドイツを通らず」と書き。

スーツの届け先は、第二次世界大戦中にホロコーストから命を救ってくれた親友。でも70年の歳月がたっています。

寝坊して電車に乗り遅れたり、旅費を盗まれたりとトラブルの連続ですが、そこで出逢う人々とのユーモア溢れる、人情味あふれるシーンの数々に、涙がこぼれたり、笑いがこみ上げてきたりします。

出発したところが”家”だったのか、向う先が”家”なのか・・・

70年ぶりの再会ははたせるのか。
そして迎えるラストシーン。

パブロ・ソラロス監督は、お祖父ちゃんがポーランド人で、アルゼンチンに移住し仕立て屋をしていて、監督が5、6歳の頃に「ポーランド人なの?」と聞いても沈黙が家族の中にはあったそうです。作品を観ることなくお祖父さんは亡くなっています。

物語の中盤で、ドイツを毛嫌いする頑固なアブラハムに手を差伸べるのが、ドイツとポーランドの女性という設定もニクイ!うならせてくれます。

少しづつ心を開いていく主人公。旅する中で他者との出会いによって、暗く深刻になる話がユーモアのある人間味あふれる映画になっています。

小三治師匠の『たまたま観た人と良い映画だったねと言えたら嬉しい』とのコメントに深くうなずく私。

旅の終着点で見せる主人公アブラハムの表情がすべてを語っています。親友に出逢えたのです。街灯で親友のポーランド人と出会って心ゆくまで抱き合って泣きます。

人はどこに生まれ、どこに帰りたいのでしょうか。泣かされました。人って愛しいと思いました。国境を越えて。

銀座シネスイッチで。

 

そして芝居

蝋燭の灯りだけの舞台に、ゴザをまとった老人が中央に静かに静かに歩いてきます。腰は曲がり、盲目のひと。「あんた、ほんとにおなごにほれたことがありなさるか」。

民俗学者の宮本常一の著書「忘れられた日本人」のなかの「土佐源氏」を戯曲化した独演劇。

著書の冒頭に「あんたはどこかな?はぁ長州か、長州かな、そうかなあ、長州人はこのあたりへはえっときおった。長州人は昔からよう稼いだもんじゃ。このあたりへは木挽や大工で働きに来ておった。大工は腕ききで、みなええ仕事しておった。」で始まる宮本常一の「土佐源氏」。

私がこの本に出会ったのは20歳くらいの時だったと記憶しています。

日本全国をくまなく歩き、古老から話を聞き、辺境の地で黙々と生きる日本人の存在。私にとって『宮本常一』という方の存在は驚きでした。

生涯地球を4周するほどの行程をひたすら自分の足で歩き続けた民俗学者。机上の空論ではありません。でも・・・私自身若かったから、どこまで理解できていたのかは定かではありませんが、本を読みあさり、足跡を追って旅に出て、土地の古老から「宮本常一」の人となりを聞き、故郷の山口県周防大島に通い、私の旅の原点になったのでした。

芝居の話にもどります。

演ずるのは初演から51年。1200回を超えてなお舞台に立ち輝きを放つ役者『坂本長利さん(88歳)』

1月5日と6日、座・高円寺で1200回突破記念公演がありアフタートークのある5日に行ってまいりました。
https://kyowado.jp/tosagenji_2011.html

(写真出典:和の心を伝えるイベンドプロデュース響和堂

はじめて拝見する芝居。
”圧倒されました”

初演は1967年、新宿のストリップ劇場だったそうです。それから今日まで「どんなところでも、その土地、その場所が私のひのき舞台」とおっしゃり出前芝居のはじまりでした。

ドイツ、オランダ、ペルー、ブラジル、エジンバラ、最初はポーランドだったそうです。字幕ナシ、開演前にポーランドの俳優が、ポーランド語と英語であらすじを朗読したのです。すべて日本語での舞台。

ボン(ドイツ)では劇場支配人が舞台上で「サカモトが、私の劇場の床に汗を落としてくれた。こんなに嬉しいことはない。また是非来てくれ」といわれたとあります。

「土佐源氏」について坂本さんは語られます。「演り始めた初期のころ、あまりのつらさに爺さんを殺してしまいたい、と”殺せぬものへの殺意”をいだいたことが二度三度あった。」と。

四国山中に実在した者からの聞き書きです。

それを30代の坂本さんがなぜ、どこに惹かれ舞台にあげたのでしょうか。「役者の業の深さと言えるかもしらんが、人間の修羅場にひかれてしまったのだろう。」とも仰います。

盲目の老人、牛や馬を売買する商いに従事する姿。70分の舞台をひとり演じ続けます。客席は250席くらいでしょうか、満席です。「あんた、ほんとにおなごにほれたことがありなさるか」・・・

宮本常一ご夫妻も1971年の7月、水道橋の喫茶店で演じたときにご覧になり「お前さん大変なことを始めたもんだなあー。(以下略)」と。

舞台終演後、素顔に戻っての対談の椅子に座った坂本長利さんにまた驚き。若々しい!ダンディー、チャーミング、その優しいまなざし、役者魂の姿。2011年に胃がんの手術後も毎朝散歩し、木刀を100回振って体を鍛えていると新聞に載っていました。

精力的に舞台に立ち続け、呼ばれたら全国どこえでも出かけて「出前芝居」を続けておられます。

”人を愛するこころ” がどれほどのものか”情”の大切さも教えられ、観終わり心地よい気持ちにさせられました。

『百歳になったら、もっといい芝居ができるんじゃないかと思う。それが楽しみ。』と坂本さん。

素晴らしい映画と芝居に出逢いました。