北斎に逢いに・・・長野・小布施の街へ。

北斎に逢いに・・・長野・小布施の街へ。

師走に入りこの時期の旅は”静かに旅”ができるのです。草木も枯れはじめ一面の枯野。箱根から小田原、東京で北陸新幹線に乗りJR長野駅へ。さらに長野鉄道に乗り換え35分で小布施に着いてしまいます。

駅から徒歩約10分で町の中心へ。まずは「栗の町小布施」ですから小布施堂本店で栗蒸し羊羹とお抹茶でひと休み。この小布施は人口1万2千人あまりのところに今や年間100万人以上の観光客が訪れるそうです。

そんなことで私は”栗の季節”を避ければ素敵かも・・・との思いで初めて小布施に行ってまいりました。小布施の町づくりは有名で、一度は訪ねたいとは思っておりました。「豊かな自然に包まれた小布施らしい暮らし」をイメージし長い年月をかけて作り上げた美しい町、小布施。

以前に文化放送「浜美枝のいつかあなたと」でゲストにお招きした神山典土さんの書かれたノンフィクション『知られざる北斎』(幻冬舎)を一気に読みました。帯にはモネ・ゴッホはなぜ北斎に熱狂したのか?日本人だけが知らない真実。「ジャポニスム」の謎を解く。とあります。2019年は北斎の170回忌!

今回の旅の目的はその北斎を訪ねることです。

83歳から小布施に拠点を置き、亡くなる90歳まで描いた肉筆画や祭屋台絵など貴重な作品が「北斎館」に展示されていることを知りました。

「江戸の浮世絵師・葛飾北斎(1760-1849)についてはある程度の知識はありましたが、今回はじめて観る肉筆画や祭屋台の天井絵の「浪図」2点。浮世絵はヨーロッパに大量に流失してしまいますが、肉筆画は小布施で堪能できます。

70歳代で描いた「富嶽三十六景」や「富嶽百景」などはよく知られていますが、当時の80歳代といえば平均寿命の倍近く、なぜ80歳代になり江戸から250キロも離れた小布施まで行ったのでしょうか。

そこには良きパトロンでもあった豪農商、高井鴻山(こうざん)の存在が大きかったのでしょう。詳しくは「知られざる北斎」をぜひお読みください。

北斎館と高井鴻山記念館をつなぐ「栗の小径」は栗の角材が敷き詰められていて足に心地よいです。そして、どの家々も塀をつくらず小路を抜けられるようにできているし、自動販売機は見当たりません。賑やかな看板もないし、ほんとうに落ち着いた街です。でも・・・100万人の観光客。住民のご苦労は大変なことでしょう。

北斎も小布施の栗を楽しまれたのでしょうね。江戸時代は小布施栗は将軍家への献上品だったそうですから庶民には高根の花。砂糖や寒天以外、餡にも小豆など使われていないのが小布施流だそうです。80代の北斎も栗羊羹など食べて一心不乱に画業に励んでいたのでしょうか。

文人墨客をもてなし、北斎も逗留した高井鴻山邸跡は記念館になっていて当時の面影を感じ取ることができました。

そして、最後に今回どうしても見てみたかった俳人・小林一茶ゆかりの古寺で天井には北斎が肉筆で描いた21畳敷もある「大鳳凰図」のある岩松院へと向かいました。

穏やかな農村風景の中、山門をくぐると、ナントナント「法要のため」午後の見学はできません!と書かれてありました。「う~ん、またいらっしゃいと言うことね~」とあきらめ街に戻り、最後に向ったのが「栗の木テラス」。こちらでモンブランとダージリン紅茶をいただき小布施の旅を終えました。

100万人もの観光客が訪れるのに、素朴で小さな駅舎がなんだか心をポカポカとさせてくれます。夕日の落ちかける中、町の人たちの穏やかで優しさに包まれた初冬の小布施。車窓からは赤く染まる山々が見送ってくれます。

『北斎さ~ん、またお逢いしにまいりますね』と。旅っていいですね!健康でいたい・・・としみじみ思った一日でした。

『ピエール・ボナール展』 オルセー美術館特別企画

「色彩の魔術師」と呼ばれるフランスの画家ピエール・ボナール(1867~1947)展を観に東京・六本木の国立新美術館に行ってまいりました。

今回の展覧会は画業を振り返る「オルセー美術館特別企画」。オルセー美術館はパリ、セーヌの辺にあるかつての駅を美術館した見やすく、光も感じられ、パリに行くとかならず立ち寄る美術館です。

そう・・・最初に<猫と女性あるいは餌をねだる猫>を観たのもオルセーでした。なぜか、このモデルの女性に興味を覚え、ボナールという画家の人生を知りたくなりました。女性の名は『マルト』。本を読むと二人が知り合ったのは路上とされています。

1893年。マルトは常にボナールの傍らにいて刺激を与えていた・・・と言われ後年に結婚届を出す際に初めて本名や年齢を知ったとありますが、そんなことってあるのかしら?

しかも<浴盤にしゃがむ裸婦>などは入浴という営みをボナールは写真に収め、キャンバスへ。さらに<男と女>では男女の営みのあとを描き、そのベットに腰掛ける女は光の中に。右に立つ男の姿からボナールと思われるその男の表情から何か・・・不思議な距離感を感じます。不思議な絵画だわ~でもフランスらしい優美さがある。

今回の展覧会ではフランスらしい愛情、性愛、をとても都会的に描かれた作品の数々に出会え、また都会から自然へとボナールの人生の遍歴を写真と合わせて観られることも素晴らしいです。

パリを離れてからは頻繁に旅を続けてイギリス、イタリア、スペインへと、時にはルーセルを持っての旅など「色彩の魔術師」と呼ばれたのは自然のなかで注がれる光の効果などを得たのでしょうか。

ゴッホなどと同じように日本美術にも深い感心をもち”日本かぶれのナビ”とも呼ばれていたそうですが、やはり「浮世絵」や「琳派」からの影響で絵画、木版画、工芸品など日本美術への感心の深さが感じられます。やはり、かつて、オルセー美術館で観た<格子柄のブラウス>はまさに日本の格子の柄をモチーフにしています。

今回の展覧会ではこうした絵画130点が観られます。瞬間・瞬間を・・・それは自然と対峙しても、ボナールならではの切りとり方で描かれています。

そして、最後に出会えるのが<花咲くアーモンドの木>です。絶筆といわれています。のびのびと枝を伸ばし、青空の中、白い花を咲かせるアーモンド。死が目前にあり絵筆も持てなかったといわれます。

甥に頼み作品に手を入れ続け完成させたこの絶筆には、生命への再生、生きることの意味、(第二次世界大戦を経験している)戦争を感じさせる絵画はいっさいありません。それは展覧会130点を見終わったあとに”生命・いのちの尊さ”を教えられたような気がするのです。

日常のなかから、自然のなかから、入浴から、性愛から・・・親友や妻など愛する人々を次々と失った喪失感を乗り越えての絶筆はこの展覧会で最後に出逢える幸福(しあわせ)の一枚の絵画でした。

12月17日まで。
国立新美術館公式サイト
http://bonnard2018.exhn.jp/

ドキュメンタリー映画『幻を見るひと』

東京・恵比寿の東京都写真美術館ホールで7日間限定公開のドキュメンタリー映画を観てまいりました。何しろ7日間だけのロードショーなのですから・・・。24・25・27~30日、12月2日の7日間です。私は25日の日曜日に紅葉の美しい箱根の山を下り東京・恵比寿に。

詩人の吉増剛造さん(79)が京都を旅し、思索と詩作の世界を浮遊・・・いえ、ふけるさまをカメラは追います。まさに「映像詩」ですね。やはり詩人の城戸朱理さんが「京都に、竜を探しに行きませんか?」と誘われたのだそうです。

東日本大震災後、被災地を訪ね、衝撃を受け、言葉を失った詩人。その吉増剛造を待ち受けていた京都。1200年の歴史を持つ古都で何に惹かれ、何を感じ、どう言葉で表現するのか・・・とても興味があり観に行きました。

客席はやはり中高年の方々でほぼ、いっぱい。『幻を見るひと』がタイトルですから、その幻を観て見たい・・・

なぜ「竜なの?」

パンフレットには「京都は琵琶湖の8割という豊富な地下水をたたえた、ベネッツイアに比すべき水の都でもある。東洋の水の神である竜は、京都の豊かな水脈のメタファーだった。」とあります。四季を通じてのそれぞれの舞台。それぞれの歴史、人・・・

そして「詩人は四季の京都を旅し、その水脈に触れた時、失った言葉をゆるやかにとり戻していく。この旅から、『惑星に水の木が立つ』という新たな詩編が生まれた。」とも書かれています。

実験映画の父といわれるジョナス・メカス氏は

『映画のフイルム自体が、詩になっているとでも言おうか。
剛造の思考が詩になるプロセスが見えてくる。
とてもよくできたドキュメンタリーだ。
詩と詩人についての、最高の映画だと思う』

と語っています。

過去の作家・詩人と交感しながら詩作を深めていく手法を、私はドキュメンタリー映画のくくりには入れられない、との想いもあり国際映画祭で8つの賞に輝いたのは納得できました。

とにかく”美しいのです”枯山水、杉木立、水の雫、寺院、など等。洗練された映像。監督・編集・プロデューサーは井上春生 エグゼクティブプロデューサーは城戸朱理。

けっして押しつけはなく、時にはユーモアもあり、いままで文字でしか知らなかった吉増剛造の世界を堪能しましたが、正直に言ってこの映画をブログに書き、皆さんにお伝えする能力を私はまったく持ち合わせておりません。

海外の人がこの映画を観たら、すぐにでも日本を旅したい!・・・と思われるのではないでしょうか。

公式サイト
https://www.maboroshi-web.com/

心のなかに静かな水脈が流れ、日本人である喜びや、誇り、また失われた生命への悲しみ・・・こちらも”幻”を見たような、そんな刻でした。

映画『ガンジスに還る』

神保町の岩波ホールで映画「ガンジスに還る」を観てまいりました。

まず、驚いたのがこの映画の脚本・監督が1991年の生まれ、27歳でこの映画を撮ったということです。

監督はインド・コルカタ生まれ。インドの小さなヒマラヤの街で育ち、ウッドストック・スクールに通い演技を学ぶが、演技より脚本や演出に興味を持ちはじめ、2013年からニューヨークで映画製作を学びます。

2014年にはアカデミー賞短編映画部門にも選出されています。企画の始まりは、「インドを再発見したい」「見たことのない土地を訪れたい」「自分を見つめ直したい」という好奇心からだとインタビューに答えています。

4ヶ月かけてインドを南から北へと旅を続け、最後の土地が映画の舞台となる”バナラシ”だったそうです。そこは「死を迎えるためのホテル」があることを事前に聞いていたので訪ね、ホテルの従業員、火葬場で薪を売る人たちなど様々な人から話しを聞き構想が膨らみ1年半かけてリサーチをしたそうです。

この若さで「死」をテーマとした映画、しかもユーモアもあり、死を待つ人が心の準備をし、現代社会・・・つまりよく言われるインドのエキドチックな世界ではなくごく日常を描けたのか・・・が驚きです。世界のどこにでもいる家族の物語です。

ある町の中流家庭でお爺ちゃんが突然、夢で自分の死を予感したからバラナシに行くといいだします。仕事盛りの忙しい息子夫婦、孫娘たちは、「お爺ちゃんはまだまだ元気なのに」と大反対しますが、聞きません。

息子は会社の仕事も忙しいのに仕方なくスマホを持ち「解脱の家」へと向かいます。そこは医療設備がなく、掃除、食事、も自分で。粗末な部屋を見た息子は帰宅をうながすのですが聞かない。

15日しか滞在できない決まりですが・・・しかしそこに18年も住んでいる未亡人がいたり、川で洗濯をする息子に書き物をしながら「挫折を人のせいにするな」など元気。熱をだし、死を覚悟するものの翌朝はケロリと回復。わだかまりのある父と息子は、ガンジスのほとりで一緒に過ごし、お互いを少しづつ知っていきます。人生最後に理解し合うのですが、このよくあるストーリーも構成が巧みなので、引き込まれます。

監督は「ちょうど僕の祖父は自分の老いを感じ始めて、今までの人生見つめ直しているようでした。そんな祖父をみながら、同時に、語り継がれてきた伝統と現代の生活にある溝を感じていました」と語っています。

映画の舞台となっている「バラナシ」は三島由紀夫『豊饒の海』、遠藤周作『深い河』沢木耕太郎『深夜特急』などの舞台にもなっていることで有名です。

バラナシ市内には、大小3000を超すヒンドゥー教寺院と1400のモスクがあります。そして全長約2,500キロメートルの大河、ガンジス河が流れています。

私ごとですが、私はこのバラナシには7年ほど10代から通いました。もともとは「ガンダーラ美術」に憧れインドの西北、インダス川上流域にあるガンダーラ地方を旅して歩きました。

1世紀から3世紀頃にかけて、クシャーナ朝時代の仏教美術はギリシャ彫刻の影響を受けた仏さまなので、セクシーで(不謹慎ですね!)彫りが深く美しいのです。ニューデリーの美術館はもちろんのこと、むしろ列車で10時間近く行った地方の小さな美術館やガタゴトバスに揺られていくような村などに当時はガンダーラの仏像に出会えたのです。よくま~ひとりで・・・旅を続けたもんです。

そんな旅の最後に出会ったのが、監督と同じバラナシでした。川では早朝からヒンドゥー教徒が沐浴(髪・体を洗い清める)をしている光景がみられ、ガンジス河で沐浴すると全ての罪が洗い流されるといわれます。そして「解脱の家」で安らかになくなった方が火葬され遺灰が河に流されます。

そんな空気感、風、匂い、人の息づかい・・・路地裏を歩いた記憶。様々なことを思いおこしてくれました。

ヴェネチア国際映画祭で10分間のスタンディングオベーションが鳴り響いたといわれます。温かさと優しさに満ち溢れ”死”について考えさせられた素晴らしい映画でした。

若き才能溢れるシュバシシュ・ブティアニ監督に、そして主演の息子役を演じたインド・アッサム生まれのアディル・フセイン、その他の俳優さんたちに、拍手喝采!

こうしてブログに書いていても、しみじみとした余韻が残ります。

箱根三三落語会

落語家・柳家三三師匠をお迎えしての”箱根やまぼうし”での落語会も、今回で15回目を迎えました。

30名限定のこじんまりしたスペースでの落語会。晩秋の穏やかな日。まさに”小春日和”。日ごと寒さも深まってきた箱根ですが当日10日(土)は暖かく穏やかに晴れわたり、家の前の公園の木々も紅葉の見ごろを迎え師匠の落語を堪能いたしました。

落語家はしゃべりと仕草だけで、舞台の上にドラマ世界を作りあげるのですが、師匠が話しはじめると、登場人物の持つ空気感がじんわりと伝わってきます。その人物像、時代背景、場所の雰囲気、人々の息遣いまで間じかに感じ、かつての庶民の暮らしに思いを馳せます。

その日の演目は『風呂敷』と『笠碁』。

三三師匠は1974年小田原出身。1993年に柳家小三治師匠に入門。前座名は「小多け」。1996年5月二ツ目昇進(三三と改名)し2006年3月真打昇進。全国各地での落語会、独演会はいつも満席。私は沖縄での高座もお聴きしたことがございますが、沖縄にも熱心な落語ファンが大勢いらっしゃいます。

柳家小三治師匠の”おっかけ”からはじまり、三三師匠の高座をこうして皆さまとご一緒に聴かせて頂き、暮らしに変化をもたらしてくれます。

終わってからは師匠を囲み、湘南のフレンチレストラン『メゾン・ド・アッシュエム』のお料理をいただきながらのひととき。

毎年春と秋、2回の開催です。来年は5月と11月を予定しております。
ご興味のある方は『箱根やまぼうし』のホームページでご覧ください。

日程が決まり次第、ご案内いたします。

映画『嘘はフィクサーのはじまり』

私の大好きな、大好きな、ファンのリチャード・ギアの主演作品です。

『溢れるウイットと歪んだ人間賛歌。
見たことのないリチャード・ギアにのけぞった。
ノーマンはさながら神話の主人公だ。
負け犬で、奴隷で、ほら吹きで、夢見る男・・・・・
ソール・ベローやフランツ・カフカ、
アイザック・バシェヴィス・シンガー、
そしてメル・ブルックスとコーエン兄弟の主人公たちがそこにいる。』
[ニューヨーク・タイムズより]

これだけで、これまで私たちが見ていたきたリチャード・ギアとは違うことがお分かりいただけるでしょう。彼が今まで演じてきた役柄はある意味で共通するところがあり、そこがまた素敵でセクシーで私など首ったけでした。

「愛と青春の旅だち」(82)、「コットンクラブ」(84)、90年の大ヒット作「プリティーウーマン」、「心のままに」(93)、「シャル・ウイ・ダンス?」(04)など等。

俳優活動の傍ら、熱心なチベット仏教信者で人道主義者としても活動しています。そんな彼が今回選んだ作品のノーマン・オッペンハイマー(リテャード・ギア)はくたびれたキャメルのコート、茶色っぽいハンチング、黒いショルダーバックをたすき掛けして、つねに携帯電話のイヤホン(マイク付き)を耳にかけしゃべりまくる・・・。

名前はユダヤ系。6ヶ月にわたり自分自身とは真逆の世界を生きるキャラクターの所作やボディーランゲージを学んだそうです。『耳を少したててみたんだ。ちょっと滑稽にみえるくらいに』と。

ノーマンを取り巻く人々は、イスラエルのカリスマ政治家で首相。ユダヤ人弁護士。有名実業家。イスラエル法務省の女検察官等。「フィクサー」「ユダヤ人」「アメリカとイスラエル」「ニューヨーク」これだけでストーリーは想像していただけるのではないでしょうか。イスラエルとアメリカの合作です。

監督・脚本のヨセフ・シダーは仰います。『リチャードを今まで私たちが見ていた姿とは全く違うように見せたかった』と。かっこいいアルマーニのスーツも着ていないし・・・。

監督は1968年ニューヨーク生まれ、6歳でイスラエルに移住した経歴の持主。映画のなかでは英語とヘブライ語が入り混じり、センスよくニューヨーク的とイスラエル的が交じり合い、『あ~スーパーでなく言語がわかったらこのニュアンスはより理解できるのに~・・・』と思った私でした。

この映画には悪党の姿はありません。お金の受け渡すシーンも出てきません。リチャード・ギアの意気地のない顔、度胸のない顔、自信のない顔・・・それでいて可愛らしい大人の男の姿を見せてくれます。

ストーリーはあえて載せません。国際色豊かな実力者たちがギアをサポートします。

あ~やっぱりギアさまは素敵!やはりシャレてる。

と、同時に混迷する世界のなかで政治、経済、社会、宗教、人種・・・さまざまなテーマを見せてくれた作品です。少し、疲れましたが忘れられない映画でした。

映画公式サイト
http://www.hark3.com/fixer/

全員巨匠!フリップス・コレクション展-三菱一号館美術館

全員巨匠!フリップス・コレクション展

ワシントンDCに1918年に創設され、1921年にフリップス・メモリアル・アート・ギャラリーとして開館した美術館。実業家フィリップス氏が生涯をかけて収集したコレクションはまさに、『全員巨匠!』ピカソ・ゴッホ・モネ・ボナールなど。

ひとりのコレクターが収集した年代順に展示されていて、その源泉をたどることができます。強い情熱と高い見識は見事としかいいようがありません。

秋の暖かな陽光の中、丸の内まで出かけてきました。「三菱一号館美術館」です。お昼時は中庭でランチをするサラリーマン。子供連れのママ達。大都会のなかのオアシスのような空間です。

この美術館の建物が生まれたのは19世紀末。明治期のオフイスビルが復元され美術館へと生まれ変わったのです。フィリップスミュージアムも彼の館が美術館へと生まれ変わり、ともにレンガつくりの瀟洒な建物です。

正直に申し上げると『心地よい疲労感』で、観終わってからカフェでひと休みいたしました。室内にどのように飾られていたかも写真で見られますし、私がまず感銘をうけたのはフリップ氏の絵画・画家への想いがつづられている文章です。

『絵画は、私たちが日常生活に戻ったり他の芸術に触れたりした時に、周囲のあらゆるものに美を見出すことができるような力を与えてくれる。このようにして知覚を敏感にするよう鍛えることは決して無駄ではない。私はこの生涯を通じて、人々がものを美しく見ることができるようになるために、画家たちの言葉を人々に通訳し、私なりにできる奉仕を少しずつしてきたのだ・・・』

会場に入りいきなり観たかったウジェーヌ・ドラクロアの「ヴァイオリンを奏でるパガニーニ」の演奏する姿にはのけぞってしまいました(笑)”きっと奥のほうにある”とばかり思っていましたから・・・購入順に展示されているからなのですね。

そんな展示のしかた等お話を館長の高橋明也さんから伺いました。

以前三菱一号館美術館のホームページで対談をさせて頂きました(館長対談で掲載中)。共感できることが多々あり、”これからの美術館のあり方”など、じっくりお話を伺いたくラジオ「浜 美枝のいつかあなたと」にお迎えしお話を伺いました。

高橋さんは、1953年生まれ。

1965年に大学教員だった父のパリ赴任に伴い、12歳の時に横浜港から船でフランスに渡ります。10代の多感な少年時代、言葉も分からず遊び場は週1回無料開放しているルーブル美術館だったとか。その後、東京藝術大学大学院 美術研究科修士過程を終了。オルセー美術館開館準備室に勤務され、国立西洋美術館主任研究官などを経て現在にいたっておられます。

私が一番伺いたかったのは海外の美術館では、子供たちが床に座り込んで絵をスケッチしている光景をよく見かけます。日本では難しいのか・・・無垢な子供たちが本物に出会い、本物を見る目を養っているの姿を館長はどのようにお感じになっておられるのか。など等、話しはつきませんでした。

ラジオをお聴きください。
そして来年2月11日まで(フリップスコレクション)は開催されています。
美術館のホームページの(館長対談)も覗いてみてください。

「浜 美枝のいつかあなたと」
文化放送 11月18日
日曜日10時半~11時まで。

三菱一号館美術館公式サイト
https://mimt.jp/

秋の箱根の美しさに誘われて

黄金色の稲穂がたわわに実り、日本の農村風景の中いちばん似合う秋。そして最も馴染みの深い花”コスモス”。農家の庭先に、楚々と咲きながらたくましいコスモスの花。私の好きな花です。

秋の冷たい空気や寒さを感じるこの頃。空気が日増しに冷えて晩秋を迎えるまえの箱根はことのほか美しいのです。毎朝の早朝ウオーキングで湖畔から拝む霊峰富士は”身に入む”・・・という表現がぴったりです。そんなある日思い立ち、そうだわ、箱根散策をしましょう!とバスで出かけてきました。

我が家から仙石原界隈は1回のバスの乗り継ぎで約1時間です。

まず向かった先は『箱根湿生花園』。

子供が幼い頃はよく連れて行きましたっけ。ここは山野草を知るには四季折々とてもよいところなのです。仙石原に生息する湿原植物、高山のお花畑と岩場植物、落葉広葉樹林の植物、そして低層湿原の植物、川や湖沼の周辺で咲くミズバショウなどは春にそれは見事です。コナラ、ケヤキ、ヒメシャラ、箱根ならではの”ヤマボウシ”。

この時期は、イワヒバやホトトギス、リンドウ、ダイモンジソウなどが咲き、日本で始めての湿原植物園には日本各地に点在する湿地帯の植物200種のほか、草原や林、高山植物1100種が集められています。この日は穏やかな秋の柔らかな日差しの中をゆったりと歩き植物との対話ができました。

そして歩いて20分ほどのススキ草原へと向かいます。

日曜日ということもありかなりの人出でしたが、皆さん銀色に輝くススキに笑顔がこぼれます。私の後ろを歩く方は箱根登山鉄道で湯本から強羅まで来てからバスでみえたようで、『すごいよ、スイッチバックで上ってきたよ~』と聞こえます。急勾配を克服するための手段。いまや大変な人気でわざわざ乗りに来る方もいらっしゃるようです。

11月初旬からは箱根の紅葉も見ごろを向えます。大涌谷と駒ケ岳にある二つのケーブルカーも新たな車両が運行され賑わっております。子供の小さな頃のピクニックコースでもありました。頂上に着いたら、お弁当。大きなおむすびをほうばり、美しい景色を眺めての散策。この箱根での子育てはかけがえのない時間でした。

さて、ススキ草原を後に、また30分ほど歩いて今度向った先は私の大好きな美術館『箱根ラリック美術館』。

現在「オパールとオパルセント・魔性の光に見せられて」が開催されています。ルネ・ラリックの心を奪った魅惑のオパール。ラリックは独創的なデザインをアクセサリーで表現しています。ジュエリーと、計算されつくした輝きを放つ・・・と解説されていますが、オパルセントガラスを使ったラリックの作品の数々は繊細で、優美で、観る側を虜にするミステリアスな美・・・です。

カフェでお茶をいただきながら、つかの間の散策に心が満たされ”幸せ”とつぶやいておりました。

夕暮れの芦ノ湖の向こうに霊峰富士をみて家路につきました。

皆さま、どうぞ美しい晩秋、箱根に紅葉をぜひご覧にいらしてください。そして、箱根にはポーラ美術館、ガラスの森美術館、星の王子様ミュージアムなど多くの素晴らしい美術館があります。強羅からは巡回バスも出ております。

なんでもない日常がほんとうにいとおしく感じるこの頃です。”やりたいと思ったら、行きたいと思ったら”、いつか、と先送りせず、即、行動。それがご自分への”ご褒美”ですよ。

長野 上田・東御(とうみ)への旅

以前私が長野ひとり旅をブログへ掲載したのをご覧になった女友だちが『私も行ってみたい~!』ということで、3人旅をしてまいりました。

忙しい友人達は1泊2日の旅でしたが、私は前日に上田入りをして、上田の街を存分に散策いたしました。

なぜって・・・この街には何度も・何度も駅に降り立ちそのまま行く場所があるのです。でも30年ほど前は子育てや仕事で目的の場所を訪ねたらとんぼ帰りでした。

その場所は神川(かんがわ)小学校。校門を入り中庭に山本鼎の碑があります。1882年10月24日に愛知県岡崎町で生まれ、漢方医の父が神川村大屋(現上田市)に医院を開業、一家で移住します。

その前に西洋医学を学ぶために一家は浅草に住んでいました。9年間木版工房で修行し、版画職人を目指し自立する道を歩むのですが、恋にやぶれた鼎はパリへと旅立ちます。

貧困の生活の中での勉学。渡仏中、島崎藤村との親しい交友関係もでき滞在中に得たことは「リアリズム」と鼎は後に語っています。ロシア経由で帰国の途につく。モスクワに半年ほど滞在し、そこで目にした「農民が農閑期に作る工芸」に魅了され、帰国後”農民美術運動”を興します。

同時に私が感銘をうけたのは子供たちへの”自由画運動”でした。神川小学校で子供たちに自由に絵を描かせます。校庭の碑には友人の画家、中川一政の文字でこのようなことばが記されています。

自分が直接
感じたものが尊い
そこから種々の
仕事が生まれて
くるものでなければ
ならない               鼎

そうなのです。仕事をしていて迷ったり悩んだり・・・どのようにして前に進めばいいのか・・・そんな時に、このことばに出逢いたくて神川小学校に何度も通ったのです。

ですから上田の街はまったく知りませんでした。今回はたっぷり楽しみました。お薦めを何ヶ所かご案内しますね。

まずお昼は由緒ある古民家でのこだわりのお蕎麦。趣のある部屋でゆったりいただけるのが嬉しい『くろつぼ』さん。私は結局2日ともお昼はここでいただきました。

『BOOKS&KAFE NABO(ネイボ)』
NABOとはデンマーク語で「隣人」ということだそうです。約5000冊の本が美しく置かれ、本好きであろうスタッフが静かに迎えてくれる空間は旅の寄り道には最高。

珈琲の香りと古本の中から見つけた本『老いの語らい』。今は亡き私の尊敬する女優さん沢村貞子さん。幸田文さん、戸板康二さん、山田太一さんなどとの語らいと沢村さんのエッセー。

1996年夏、沢村貞子さんは八十七歳の生涯を閉じられました。”あとがき”には生前の望みどうり、二年まえに逝った最愛の夫・大橋恭彦氏とともに、夕日の映える墓地、相模灘で眠っておられます。と、あります。

沢村さんのエッセーはほとんど読んでいたつもりが、なぜか見落としておりました。と、いうよりこの年齢になったから出会えた本なのでしょう。いつか、沢村さんとの思い出は書かせていただきますね。ほんとうに・・・今出逢えてよかった本に上田で出逢いました。

旧北国街道沿いの柳町へと向かいます。

農民美術の家と称する「アライ工芸」には農民美術が静かに佇んでいます。映画のセットに紛れ込んだようですが、そこは人々の暮らしがしっかりあり匂ってきます。

パンの幸せな香りがしてきます。天然酵母自然派のパン屋さん『ルヴァン』。奥と2階にカフェがありひと休み。どの店からかジャズの響きがしっくり調和し、ワインを軽く飲める古民家でも農民美術のこっぱ人形が迎えてくれます。

駅前に戻り100年続く伝統の味 『飯島商店・上田本店』へ。大正モダニズムの建築は、落ち着きます。季節のジャム「ほおずきジャム」や「ブルーベリージャム」、そして上田銘菓「みすゞ飴」を。私大好きなのですこのゼリーのような飴、果実の甘味と酸味がほどよくやみつきになります。

街を散策して最後は『サントミューゼ 上田市立美術館』で11月11日まで「ウィリアム・モリス展」が開催されていましたので観ました。

19世紀を代表する芸術家・詩人・作家・思想家・社会運動家、どの分野でもリーダーでしたが、今回の展覧会はデザイナーとしてのモリスに焦点をあてている素晴らしい展覧会。美しいイギリスの風景もデザインされている一方でモリスの人間関係での悩みを乗り越えたデザインには興味がわきます。隣接して「山本鼎展」も観られ充実した一日でした。

翌日は友人を駅で迎え、上田城・資料館を見る人、街を散策する人。夕方には前回と同じ上田駅からしなの鉄道3つ目の田中まで行き、「農の家」のご主人の迎えをいただき、宿へ。

心おきなく宿でおんな3人くつろぎ、おしゃべりにワイン!「農の家」は自給がほとんど。耕起せずに作られた野菜や果物の美味しいこと。また帰って来たくなる宿です。

翌日は北国街道・海野宿へ。江戸時代に中山道と北陸道とを結ぶ街道。かつては宿場町から蚕種業で栄え、”うだつ”のある家々がおおいのはまさに”うだつがあがった”のでしょう。

旅の最後は楽しみにしていた玉村豊男 抄恵子ご夫妻のヴィラベストでのランチ。葡萄畑や美しい花々を眺めながらの食事は至福のときです。

健康で美味しくいただけて、素敵な友人との旅はこれからもつづけたいです。

帰りの新幹線では沢村貞子さんの『老いの語らいを』を読みながら 『あるがまま』に生ききった沢村さんにはとうてい近づけませんが、旅は続けていきたいです。

特別展「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」展

鎌倉時代に建てられた木造の本堂が国宝に指定されている「大報恩寺(だいほうおんじ)」。古刹に伝わる慶派のみほとけ展が10月2日から12月9日まで上野の東京国立博物館平成館で開催されています。

私は特に定慶作のほとけさまが好きで行ってまいりました。

運慶晩年の弟子の肥後定慶の「六観音菩薩像」(重要文化財)」は優美で、気品があり、快慶、行快作の秘仏本尊釈迦如来坐像はお寺以外で拝観できるのは今回の展覧会が初めてです。

大報恩寺は、応仁の乱の西軍総大将・山名宗全邸から至近距離にあったので、以前訪ねたときに本堂には応仁の乱の際についた刀傷が残されていましたが、よくこれら「みほとけ」が無事であったことにあらためて手を合わせました。

会場は鎌倉彫刻の宝「快慶」の一番弟子、行快が制作した釈迦如来坐像に快慶最晩年の十大弟子立像が周りをかこみます。このような見方はお寺では無理で博物館の展覧会ならではです。そして、次の会場に入ると定慶による六観音菩薩像が360度、ぐるっと後ろのお姿も拝観できるのです。

2020年には開創800年を迎えられる大報恩寺。北野天満宮の近くなのでたびたび訪ねますが、今回秘仏本尊「釈迦如来坐像」を拝ませていただき、当時貴族から庶民まで信仰を集め親しまれたことがよくわかります。

そして足を進めると私が憧れている定慶による六観音菩薩像に出逢えます。

後期(10月30日から)は観音像の後背が取り外しになり展示されるとのこと。こうした取り組みは国立博物館初めての試みだそうです。これも博物館の展覧会だからこそできるのでしょうね。

12月9日までにはもう一度行きたいと思います。透かし彫りの後背のシルエットの美しさと取り外したお像の後ろのお姿・・・と両方覧ることができるのですものね。

最後の最後に出逢える定慶の『聖観音』(撮影可)の前に立ち心静かに、この時代を生きた慶派”快慶・定慶”に。そして『みほとけ』に心のなかで手を合わせ会場を後にしました。

会場に若い女性たち、外国人の姿も多くみられました。

東京国立博物館公式ホームページ
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