上野リチ 「ウィーンからきたデザイン・ファンタジー展」

”上野リチ” 
この名前を知ったのはおよそ半世紀以上前のことです。

女優になってしばらくしてから、日比谷にある日生劇場のレストラン「アクトレス」でのことでした。東宝の方に連れていっていただき、席に着き見上げると壁画やアール状になった天井にまで描かれている、草花、自由に羽ばたいている鳥たち、果物などが並ぶその美しさに息をのみました。

どなたが描いたのかしら……伺うと「上野リチと教え子の学生達」の作品と知りました。設計者は建築家の村野藤吾。ファンタジーで、ラブリーで心が暖かくなるようなデザインに包まれての食事でした。

それから「上野リチ」のことを少しづつ知りました。19世紀末ウィーン生まれの上野リチ・リックス(1893~1967)は「アクトレス」壁面装飾完成から4年後の1967年、京都の自宅で74歳の生涯を閉じました。

戦後の彼女の集大成ともいえる壁画。残念ながらレストランはなくなり解体され、でも美術館で大切に保管されているそうです。(その一部を会場で見ることができます。)

戦前から戦後にかけて、ウィーンと京都の都市で活躍したデザイナー。ラブリーで自由で絵画的で、ホップでかわいいデザインの数々が今、丸の内の三菱一号館美術館で開催されています。

今回は娘と待ち合わせ一緒に出かけました。三菱一号館といえば待ち合わせは”Cafe1894”。かつては銀行の営業室として利用されていた空間がカジュアルな雰囲気の素敵なカフェになり人気です。

天井高8メートルはあるでしょうか。私はひとりで行くときは鑑賞後にワインを一杯…余韻に浸ります。今回はデザートとコーヒー。(この頃は人気で待つこともしばしば)

この美術館の魅力のひとつ瀟洒なレンガ作りの建物は1894年、イギリスの建築家ジョサイア・コンドルの設計。「可能なかぎり復元しよう」ということで230万個のレンガが使用されたそうです。

窓・柱・階段、と当時の面影が残された建物は今回の展覧会にはぴったりです。回顧展では、京都国立近代美術館所蔵の京都時代の作品や、ウィーン時代の作品など370点あまりが展示されています。

テキスタイル、壁紙、布地のデザイン、七宝飾箱のデザインなど多彩です。  

サブタイトルに「ウィーン生まれのカワイイ」には思わず見ながら”可愛い”と心の中で何度もつぶやいていました。

上野リチ・リックスは裕福な家庭で生まれ、19歳でウィーン工芸学校に入学しました。当時のウィーンは絵画や工芸など新しい芸術様式が生まれていました。

クリムトや生活美を追求するヨーゼフ・ホフマンらの「ウィーン工房」もそうですね。リチのデザインが軽やかでホップでかわいい・・・また東欧っぽさは、オーストリア生まれということが影響しているのかもしれません。

その工房でリチは建築家上野伊三郎と運命的な出会いをし、翌年1925年に結婚し伊三郎のふるさと京都に降り立ったのです。

第二次世界大戦前はウィーンと京都を拠点とし製作を続け、戦時下でも美を追求しデザインを続けます。

戦後は夫とともに現在の京都市立芸術大学の教授となり退職後は、インターナショナルデザイン研究所を設立して後進の育成にも尽力し、大きな足跡を残します。

30年代後半から太平洋戦争も敗色が濃厚になってきても、彼女のデザインは変わることなく明るさと愛らしさ、そこには幸福感があり、花々や動物たち、自由に羽ばたく鳥たちが描かれました。

その才能は多難な時代にも光輝き人々を魅了し続けました。  
リチがどんな困難な日々にも”美”を追求した芯の強さには励まされます。

展覧会公式サイト
https://mimt.jp/lizzi/

映画「国境の夜想曲」

黒いブルカを身にまとった女性たちが、古びた石の階段を下りていきます。そして、息子が戦争で捕らえられ、殺された部屋にたどり着きます。

まるで唄うかのように嘆き、悲しむ母親。
”お前が乳を吸う感触を思い出す”
世界共通の母の叫びです。

余りに静かで、そして、衝撃的な冒頭のシーンでした。  
映画「国境の夜想曲」。
過酷すぎる現実が、見る者を沈黙させるドキュメンタリー映画です。

監督・撮影はエリトリア出身のジャンフランコ・ロージさん。この監督の取材の進め方や製作手法は、これまでにないものでした。

取材地はイラク、シリアなどの4か国で、2年間、アシスタントと2人だけでカメラを持たずに人との出会いを求め続けたそうです。その後、3年以上かけて撮影した場所は、すべて”国境地帯”でした。

ドキュメンタリー作品ですが、、インタビューやナレーションはなく、字幕も登場人物の言葉の日本語訳だけに限られていました。

監督は戦場に残された言葉と情景を克明に積み重ねていったのです。人々がごく普通の日常を続けるには、耐え難いほどの厳しい世界が”国境”に存在しているのだ。

監督の発想の原点なのでしょう。撮影したフイルムは、およそ80時間でした。この作品は、人間が作り出した残酷すぎる現実を決して声高にではなく、”静かに”訴えかけています。国境など、そして戦いなど所詮は人間の手によるものなのだと。

砂漠の彼方に見える赤い炎は戦火ではありませんでした。採掘された石油が燃えているのです。戦いの中の、とても美しい映像。何と皮肉な光景でしょう。  

この映画の最後に、アリという少年が登場します。父親が連れ去られ、残された家族のために魚を取り、狩猟者のガイドなどで家計を助けている14歳の少年です。

彼がじっと遠くを眺める姿が、1時間40分のエンディングでした。 少年がどのような未来を描くのか?大人たちは彼に何をしてあげられるのか?これはイラク、シリアなどに限られた問題ではありません。

いま世界では、この瞬間も不毛な戦闘が繰り返されているのです。 暗闇の中から、何とか光や希望を見つけだしたい!アフリカ大陸の東岸の国で生まれ、アメリカとイタリアの国籍を持つジャンフランコ・ロージ監督。この作品で静かな、しかし力強い平和への訴えを世界に示したかったのでしょう。  

映画を見て外に出ると、生花店のウィンドウには春を告げるミモザの花が咲き誇っていました。思わず写真に収め、英国に暮す息子の嫁にラインで送りました。

そして、映画についても伝えました。「監督は日本の俳句に心を奪われているみたい。”松尾芭蕉のように、短い言葉で表現する”とインタビューで話していましたよ」。

ネットで映画の予告編を見た嫁が、すぐに返事をしてきました。「短い予告編だけでも素晴らしい。1分半で涙が出ました。映画館で観たいです。ミモザの花言葉は、感謝・友情なのに。」

メールのやり取りは、お互いの日々に感謝しながら、平和な世界が一刻も早く訪れるようにと続きました。   俳句とロージ監督。”古池や蛙飛び込む水の音”芭蕉の句の精神がこの映画にも強く影響しているのかもしれませんね。

映画公式サイト
https://www.bitters.co.jp/yasokyoku/

映画「金の糸」

とても小さな”文化大国”から、伝説的な女性映画監督の作品が届きました。

岩波ホールで上映すると聞き、すぐに飛んでいきました。

「金の糸」

心優しく、そして心美しくなるような映画でした。

舞台はアジアとヨーロッパが交わる ジョージアの首都・トビリシ。主人公の女性は小説家です。彼女が迎えた79才の誕生日を、同居する家族は誰も気づきません。娘は、アルツハイマーになった姑、つまり夫の母親を引き取ると宣言します。

そんな時、誕生祝いの連絡をくれたのは昔の恋人でした。スマホで電話をかけてきたのです。改めて、思い出の糸をほぐし始める二人。

トビリシの旧市街で若い二人が踊る回想シーンは、あまりに詩的で、美しすぎるほどでした。  

結局、姑は同居することになります。彼女はかつて、旧ソ連の支配体制側に身を置いた政府の高官でした。昔のカップルと旧体制の実力者。三人のそれぞれの思いが、夢も現(うつつ)も重ね合わせて紡がれます。  

物語の展開は、ラナ・ゴゴベリゼ監督の体験が色濃く反映しています。今年94歳になる彼女は、政治家だった父親をスターリンの粛清で亡くし、映画監督だった母親も10年間の獄中生活を送ったのです。

そうした子供時代の悲惨な体験を踏まえて、ゴゴベリゼ監督は60年以上も前に映画監督の道を歩み始めました。

人生の途上で傷つき、ひびが入っても、きっと再生できる!そんな思いを作品に投影させたのでしょう。

 タイトルの「金の糸」は日本の伝統的な工芸技術 ”金継ぎ” から着想を得たということです。陶磁器の欠損を漆で修復し、金などの粉で完成させる技法です。傷やほころびをただ嘆くのではなく、いかに再生させ、継承していくのか。監督は日本の精神的な価値観に惚れ込んだようですね。

歴史や文化を伝承しよう、そんな力強いメッセージでいっぱいのこの作品を見て、心が少し強くなったように感じました。

監督は次回作で、自分の母親について描くそうです。

日本の北海道より狭い国土に溢れ出る歴史と文化とプライド。ジョージアはやはり”文化大国”でした。

私が初めてジョージア映画に接したのは今から半世紀ほど前、もちろん岩波ホールでした。「ピロスマニ」。

一人の画家を描いた驚くほど魅力的な映像に、驚愕したのを覚えています。今回もまた、記憶に残る素晴らしい作品を見せてくださったジョージアと岩波ホールに、心から感謝いたします。

あと4ヶ月、映画の殿堂の空気を胸いっぱい吸い込むために、またお邪魔させてください。

映画公式サイト
http://moviola.jp/kinnoito/

ミモザの日

3月8日は「ミモザの日」。

イタリアではこの日は男性が女性に日頃の感謝や尊敬の気持を込めて、奥さま、お母さま、お婆ちゃん、友人、職場の人などにミモザの花を贈ります。

素敵な習慣ですね。もともとは女性の社会参画を願い、権利を守る日として1975年に国連が制定した国際女性デー(International Women’s Day)からきているそうです。  

まもなくミモザの花が咲きはじめます。西洋では春を象徴する色としての黄色。寒く厳しい冬が終わり春の訪れを待ちわびています。わたしの娘が鎌倉の鶴岡八幡さまのすぐ横でアンティークショップ・FLORALを開いており、ダイアリーにミモザのキャンドルの写真が載っていてあまりの美しさにもとめました。

このキャンドルはフラワーキャンドルアーティストのAtelier Comet作で生のミモザをドライフラワーにして一点一点手作りです。

イタリアでの花ことばは「感謝・幸せの花・エレガンス・友情」などと言われます。フランスでは「思いやり・豊かな感性」などだそうです。

夜ひとりになりキャンドルを灯していたら、ウクライナの犠牲になった方々、恐怖に耐え、首都に残る人。泣き叫ぶ子供を抱きかかえるお母さん。幼い子供が「僕は死にたくない」目に涙をためてカメラに訴える子。若者や女性も抗議デモに参加しています。なぜ、このような事態をまねいてしまったのでしょうか。

私は28年ほど前にモスクワ経由でウクライナ、ポーランドに行ったことがあります。農政の記者の方々のツアーに参加させていただいての旅でした。ウクライナでは都市を少し離れると一面小麦畑が広がる穀倉地帯。広大な土地に小麦を植え収穫します。

私たちが訪ねた農家では農夫の父親とまだ若い30代のお嫁さんが話しをしてくださいました。そして、足元に植えられている林檎をもいで私にくださいました。日本の林檎のように立派ではなく、1メートルくらいの木にたわわに実っている小さな林檎。瑞々しくて、ちょっとすっぱくて甘い林檎。彼女達家族はどうしているのでしょうか。  

そして、ウクライナは映画「ひまわり」のロケ地として知られています。1970年に公開され、私の大好きな映画でした。5回は観ました。

ソフィア・ローレン、マルチエロ・マストロヤンニが主演。ソ連戦線へと赴く夫。戦後行方不明になった夫を探しに単身ソ連に渡り、奇跡的に再会を果たすも……。切ないラストシーンでした。

死んだ兵士たちが埋葬されている場所、といわれる広大なひまわり畑の風景はウクライナで撮影されたそうです。この映画も戦争で引き裂かれた物語でした。あの美しい広大な風景は現在戦火にさらされています。  

毎日、夜”ミモザのキャンドル”を灯し一日も早い平和を…と祈っております。