作家「山本一力さん」

文化放送「浜美枝のいつかあなたと」が始まってから、かれこれ20年がたちます。

それ以前はTBSで「浜美枝のいい人みつけた」を15年。私はほんとうにラジオが好きです。いえ、本音を申せば”怖い”です。ラジオは映像がない分”声がすべて”です。

こちらの心もようが全てさらけ出されてしまいます。そして嬉しいことは、お聴きくださるリスナーの方々とはより親密に、近くに居て頂いている手ごたえがあります。だから演ずるという女優を40歳で卒業してからもラジオだけは続けたいと、願っております。

誰にとっても人生は出逢いの連続です。ふと出逢った人に人生の重要なヒントを与えられ、そこから違う生き方が開けてくることもあります。

現在はコロナ禍での収録になりますので、ゲストの方とはリモートでのご出演になります。直接お逢いできなくても目の前にいらっしゃるような感覚です。

今回のお客さまは、直木賞作家 山本一力さんです。

山本さんは1948年高知県のお生まれ。様々な職を経て、1997年、「蒼龍」でオール讀物新人賞を受賞しデビュー。2002年、「あかね空」で直木賞を受賞。

著書も数多く、「ジョン・マン」、「竜馬奔る」などのシリーズのほか、「大人の説教」、「男の背骨」、「旅の作法、人生の極意」といったエッセイも人気です。

ペンネームの「一力」(いちりき)は作家を始めたときに、あと一歩で賞がなかなか取れず奥さまのアドバイスもあり、姓名判断ソフトの中から候補を選び山本姓にあった名前で『山本一力に!』(本名 山本健一)

以前、文化放送が四谷の時代にご出演いただきましたが、その時は奥さまもご一緒に自転車でお越しくださいました。山本一力さんは大変な”自転車愛好家”でいらっしゃいます。

1962年の5月、中学3年生の1学期に高知から上京して、渋谷区富ヶ谷の読売新聞の販売店で住み込みを始めました。

新聞配達区域には外国人居住者も多く、当時NHKの人気番組「ルート66」でアメリカ文化に憧れたそうです。そこで新聞を配達しながら子供たちと仲良くなり必死で英語を学び、アメリカの女性と文通をはじめ、文通開始50周年の2012年、お互いの家族を連れて初めて面会した時のお話しや、コロナ禍の生活が1年半以上も続いているなかで何か楽しみを見つけていらっしゃるのか。

様々な職業を経験されておられるので、仕事との向き合い方、先輩からの教え、また夫婦円満の秘訣、など等たくさん素敵なお話しを伺いました。ぜひ山本さんから直接お聴きいただきたいと思います。放送は2週にわたります。

文化放送 「浜 美枝のいつかあなたと」
日曜日 9時半~10時
8月29日と9月5日 放送

映画「サンマデモクラシー」

沖縄を第二の故郷と思う私は、お邪魔する度に那覇市にある牧志公設市場に立ち寄ります。

そこには溢れんばかりの海や畑のものが顔を揃えています。そして店々からは”めんそーれー”(いらっしゃい!)と客に挨拶する、元気な”おばぁ”たちの掛け声が心地よい”伴奏”となって聞こえてきます。沖縄に帰ってきた!と実感する瞬間です。その牧志公設市場は現在、改修のため仮設の建物で営業中ですが来年の春にはリニューアルオープンするとのことです。

先日、沖縄の映画を見ました。笑ったり、考え込んだり、勇気付けられたり、とても魅力的な映画でした。

「サンマデモクラシー」

今から50年以上も昔の話です。当時の沖縄はアメリカの占領下にありました。その頃、牧志で魚屋を営む女性が当時の琉球政府を相手取り裁判を起こしたのです。つまり、アメリカと争うことになったのですね。

「庶民が食べるサンマに税金を掛けるのは許せない!これまで払った税金を返してくれ!!」というものでした。誰も考えなかった前代未聞の裁判。訴えたのは玉城ウシさん、当時60代半ばの女性だったのです。

さあ、ウシさんはアメリカを相手にどんな戦いを繰り広げるのか?

この映画は沖縄の噺家・志ぃさーさんがナビゲーターで登場し、俳優の川平慈英さんがナレーションを担当しました。沖縄のこれまでの苦難の歴史を改めて振り返り、ウチナーンチュ(沖縄人)の心の襞を知ってほしい!そうした製作者や出演者の皆さんの熱い思いが、スクリーンに溢れでていました。

私が初めて沖縄を訪れたのは、かれこれ半世紀も前のことです。”沖縄民藝”の魅力に心を奪われ、その後、”食の歴史”も学びました。そして、繰り返し通うことになった牧志公設市場。当時、ウシさんには直接お会いしたことはありませんでした。でも私は、ウシさんとお話ししたことがあると、思いたいのです。

「ハマさ~ん!ちゃーがんじゅうーねー?(元気でしたか?)」

これまで、何度となく声をかけてくださった市場の”おばぁ”の皆さんたち。様々な苦労を重ねながらも、怒り、笑い、泣き、行動し続ける。そんな何人ものウシさんの声が、今も耳に残っているのですから。

コロナが落ち着き、牧志公設市場が再びリニューアルオープンしたら、また伺います。必ず!

映画公式サイト
http://www.sanmademocracy.com/

世界報道写真展2021~私たちは生きる

物音一つしない会場に、突然閃光が走ったような気がしました。黄色で縁取られた光の中で、親子が抱擁している! でも、それは勘違いでした。

ブラジルのサンパウロにある養護施設で、看護師が85歳の女性を抱きしめているのです。コロナ感染予防のため、施設側には最大限の工夫が求められています。密着を避けながら、少しでも入所者の不安や孤独を癒す。

この難題を解決するために考えたのが、ビニール製の「ハグカーテン」でした。

デンマークのカメラマン、マッズ・ニッセンによるこの作品は「初めての抱擁」と題され、「世界報道写真展 2021」で大賞を受賞しました。

このコンテストは今年で64回目を迎えますが、私はここ数年、毎年のようにその写真展にお邪魔しています。今回は文字通りのパンデミック下、カメラマンの取材も困難を極めたことと思いますが、世界130の国と地域から、4300人を超える写真家が参加し、7万4000点以上の応募があったということです。

恵比寿の「東京都写真美術館」で開かれた写真展には、その中から選ばれたおよそ60点の作品が、それぞれの”今の世界”を語っていました。

そして、会場入口を入ってすぐ右手に、”無言の存在感”を示していた「初めての抱擁」がありました。その一枚の写真には、コロナと向き合う人々の恐れや困惑そして同じ時を生きる人たちとの絆や温もり、更には自分自身への誇りまでもが凝縮されていたのです。

目にした瞬間、足がすくみ、胸が締め付けられました。どれくらい立ち止っていたでしょうか。この女性はおそらく、一瞬の安堵を感じたはずです。懸命に生きてきた証であろう白髪が、今も目に焼きついています。

恵比寿での写真展は先日終了しましたが、9月以降は立命館大学びわこ・くさつキャンパスなどで開催される予定です。

https://www.asahi.com/event/wpph/

東京都写真美術館で6月12日から8月9日まで開催される世界報道写真展2021の作品を紹介するプレスリリースです。世界報道写真大賞や世界報道写真ストーリー大賞などについて解説しています。

朝の山歩き

箱根の山歩きをはじめてから15年ほどになるでしょうか。

スニーカーで足元をかため、ジーンズをはき、だいたい1時間半ほど歩きます。心と頭のの整理が、夜の音楽だとすれば、身体の調整を担っているのは、私の場合、毎朝の山歩き。骨粗鬆症予防も兼ねての毎朝の山歩きは私にとって欠かせなくなっています。

我が家から10分ちょっと歩くと、杉木立の道に行き着きます。この道が、杉の枝の間から朝の光がスーッと差し込んで、とても気持がいいのです。

今は夏ですから富士山は冠雪はしておりませんが、真冬にはまだ暗いうちから月明かりをたよりに歩きます。空気は冴え冴えと冷たくなり、真っ白に雪化粧した富士山が水色の空を背景にくっきり見えるようになります。春夏秋冬どの季節も自然に抱かれて”自然に生かされている”ことを実感します。

紫陽花の花がぼちぼち終わりかけ、山百合が咲き始めました。(私たちはハコネユリとよんでいます)早朝澄んだ空気の中、山道で白く点々と咲く姿。甘い香りを漂わせて咲く大きな花。

ひと晩眠って、前日の疲れがすっきり解消されるのが理想ですが、年を重ねるにつれ、身体がすっきりと目覚める朝ばかりではなくなってきました。疲れを持ち越してしまう朝もあります。

でも、山歩きをしているうちに、身体のこりや疲れが不思議なくらいとれていきます。身体を動かすことによって身体が活性化して、不調な部分が解消されるのではないでしょうか。毎朝、歩きながら箱根のエネルギーをもらっているような気がします。この季節は甘い香りに癒されます。

コロナ禍にあって、巣ごもりが続く方もいらっしゃるでしょう。近くの公園でも、川原でも、ご近所だけでも早朝に少しだけでも歩き、朝陽を浴びてください。心からはよけいな澱(おり)みたいなものが剥がれおち、やがて心も体も活性化してきますよ。

なるべく”日常”を変えずに、この不自由を強いられる暮らしを元気に過ごしたいですね。終わりはかならずくるのですから。

山百合の花ことば    「人生の楽しみ」 「荘厳」