奥入瀬渓流

先週は「サントリー・セサミンE」のコマーシャル撮影で青森県南部地方のロケに行ってきました。
築130年以上経った家で、今でもそこに暮らしておられる家をお借りしての撮影でした。黒光りする柱・梁、そして八甲田山を遠く見ながらの美しい風景。
そこでの人びとの暮らし、伝統料理。昨年は美しい棚田の風景の中でのロケ。どんなコマーシャルになるのか・・・楽しみにしていてくださいね。

小雨が降る一日、休日となったので以前から憧れていた「奥入瀬渓流」の川沿いを十和田湖まで歩いてきました。渓流沿いにはいくつもの滝があります。雲井の滝、銚子大滝、そして阿修羅の流れの美しさ・・・雨も上がり渓流沿いには車道とともに遊歩道が整備されているので楽に歩けます。奥入瀬渓流は青森県十和田市十和田湖畔子ノ口(ねのくち)から焼山までの約14kmの渓流です。十和田国立公園に属し国指定の特別名勝及び天然記念物。

そして十和田湖では「湖上遊覧」も楽しみました。陸からではなく湖上から見る美しい風景。西湖、東湖をゆっくり50分かけての素晴らしい旅。十和田湖は、典型的な二重カルデラ湖。周囲は約46km、最も深い所で326m。水が澄んでいました。豪快にして繊細、初春の彩りは格別でした。きっと四季折々素晴らしいことでしょう。
そして箱根に戻り、芦ノ湖の周りを今朝も2時間ほど歩きました。
“水”のある風景は心を癒してくれます。

近畿大学

近畿大学総合社会学部の客員教授を任命され、春からの授業が始まりました。総合社会学部は近畿大学第12番目の学部として誕生しました。
 
「道なき道を拓く」が目ざすべき旗印です。
春の光りの中、キャンパスに足を踏み入れると、ハナミズキの花が満開に咲き私を迎えてくれました。真新しい校舎、大学のスタッフの方々が笑顔で迎えてくださいました。
私は中学しか出ていません。高校や大学という学び舎で勉強をする機会には恵まれませんでしたが、社会に出てから出会った多くの先輩方、そして本や映像を通じて巡りあうことができた素晴らしい先人から、たくさんのことを学ばせていただきました。
「この人を師と仰いで人生を歩んでいきたいと一瞬にして心に決めた人」もいます。そして、多くの出会いに導かれるよう、に20歳を過ぎると仕事の合間に日本のみならず、海外にも出かけ、民芸・骨董・絵画・建築などを現場で独学で学びはじめました。
机の上の学問だけではなく、現場に赴き、この目で見、耳で聞き、肌で感じることを何よりも大切にし、多くのことを学んできた私。
「現代の先達に学ぶ・自分らしさの発見~暮らし・食・農、旅がもたらすもの」
第1回目は「現場を歩くことの大切さ」
土曜日の午後、学生達は私を迎えてくれました。
そして彼らのスピーチは問題意識をしっかり持ったものでした。
「情報量を考えると、明らかにインターネットが速くて多量だが、新聞やマスメディアだけの情報では一方的な考えに固まってしまう。やはり現場へ赴いて、多くの人びとの話にふれ、耳を傾けることが大事」
「農業体験をした経験で、スーパーに買い物に行かなければ、食料を手にできない現実を考えてしまう」
など等。
子育ては自分育てでもある・・・と思ってきましたが、こうして若者と一緒に語りあっている時間は「自分育て」だとも思えました。
学生の皆さん「美しいキャンパスを港」として、どんどんフィールドワークに出かけましょうよ。大地を歩き、人に出会い、話を聞き、語り合い、その中から見えてくる切実な現実から導き出された問題解決法にこそ、真の力が宿る・・・と思っています。
次回又会えるのを楽しみにしています。
PS. 学食のソースカツどん美味しそうでしたね!次回食べます。

小三治師匠の独演会

桜満開の4月4日(日)、アミューたちかわに落語を聴きに行ってまいりました。
「柳家小三治・独演会」
演目は「長屋の花見」「品川心中」
立川駅から歩いて15分ほどのホールまで、「もう恋なのかもしれない」というときめきを感じながら・・・市民会館のまわりの桜が満開に咲き、序奏がはじまります。
1,500名のホールは満席。まだまだ落語の聴き手としては10年ほどですので感想はひかえますが、この季節、この時代に「長屋の花見」を聴けるなんて。
人生のすべてがあるともいわれる落語の笑いの中には、人間に対する優しさのようなものがあります。だからこそ、大人が心から笑えるのではないでしょうか。若者も会場には多く見られました。そんな若者にも師匠は話かけます。
そして、ホールの隅々の方にも心をくばられて・・・。
数いる噺家の中でも、最初に出会った噺家が小三治師匠であったことも、私にとっては本当に幸運でした。今は60代半ば。最高の噺家・小三治師匠に巡り会えたご縁を大切にしたいと思います。目で、耳で、一心に師匠の世界を堪能させていただいた桜満開の昼下がりでした。これからも追いかけ続けます。

「クロマグロに思う」

ワシントン条約会議でモナコ提案は否決されました。
地中海を含む大西洋産クロマグロです。
これは予想を上回る大差でしたね。
皆さんは今回の問題をどのように考えられますか?
たしかに資源が絶滅するとは思えませんが、「枯渇」することは十分考えられます。漁業で生計を立てる人々のことを考えると、安堵いたしましたが、日本がクロマグロの80%を消費しているのはたしかですし、「なくなる前に食べておかないと・・・」と言い寿司屋に飛び込んだ友人もおります。
そこで思うのです。
「トロ大好きな日本人」ですが、現実には魚離れが進んでいる食卓。
日本にはいろいろな魚があります。もっと色々な魚を食べませんか?
今回のことをきっかけに、「食のあり方、暮らし方」を考えてみませんか?
そして、国内に目を向けると三陸のマグロ漁業が危機に陥っています。
河北新報社では連載企画で「漁場が消えるー三陸・マグロ危機」を発表しました。海外の人たちに頼らざるを得ない、後継者不足の漁業。
今回の「クロマグロ」から日本の未来、世界の環境を考えるのは
他人事ではないと思うのですが・・・。

夢を入れる筥(はこ)

春が近づくと心がウキウキしてきます。
「さあ~何を入れましょう・・・」
それは、「箱」と書かずに「筥」と書きます。薄紅色に染めたガラスの表面に、金箔を桜の花びらを散りばめたように貼り込んだ六角形の飾り筥。私が大切にしているものたちのなかでも、特に気に入っている宝ものの一つです。
そういえば、遠い昔の少女の頃にも、そんな風に大切にしていた宝ものの箱がありましたっけ。
季節の花々を形どった色とりどりの練り菓子は、どれもきれいで美味しかったけれど、私にはそれ以上にお菓子の入っていた箱の方が、もっと魅力的だったのでした。幼い日、私の家を訪ねてきたあの美しい和服姿のお客さまは、いったい誰だったのでしょう。
きれいな和紙でできた、淡い桜色の箱。
おはじきや、千代紙や、ビーズの首飾りや・・・自分がほんとうに好きな物、
美しいと思える物だけを詰め込んで、大事に、大事に持っていたのです。
嫌なことがあって気が沈だときなど、その箱を開ければ幸せになれたの。
そして大人になって、ある時ガラス造形家の藤田喬平先生の桜色をした飾り筥が私を待っていてくれたのです。私は、その筥の美しさにみほれているうちに、子供の頃の和紙の宝箱のことを思いだしました。
もうすっかり大人になった私にも、ただ眺めているだけで嫌なことが忘れられるような、心に潤いを取り戻させてくれるような、そんな宝の筥が必要に思えたのです。
出会った瞬間に私は藤田喬平先生に
「これは何をいれるための筥ですか?」
とたずねました。
「あなたの夢を入れてください」・・・と。
先生はきっと、箱は物をいれるもの、そして、筥は、美意識とか思いを閉じ込めておくもの、と区別していらしたのかも知れません。
三月三日が近づくと、だからウキウキするのです。一年に一回だけ”夢”を入れる筥に料理を盛り、お雛さまをします。
今年は何を入れましょう。
すっかり大人の私は女友達とシャンパン・・・。筥には”いちご”、いえいえ、
やはり食いしん坊の私は料理を入れ夢を語りあいましょう。

わが人生に乾杯

1月末にNHKラジオ「わが人生に乾杯」の生放送に出演いたしました。
司会は山本晋也監督、パートナーは出光ケイさん。(20:05~21:25)
なにしろ生放送です。箱根の山から渋谷のスタジオへ。1時間前に入り、打ち合わせを兼ねてのおしゃべり。さすが、山本監督、映画時代の話からこれまで歩んできた私の人生、緊張を和らげてくださりながら、番組は進行していきました。
子供時代の私。小さい頃から、家事を手伝い、親に甘えることの下手だった事、貧しくとも心豊かに過ごせた時代。少女時代の私は、男の子みたいにおてんばで、気が強く、でも泣き虫でした。かまどの炎を見ながら、ふっと寂しくなり涙がポトポト。そんなとき、昔の人たちや昔のことを知りたいな・・・と思ったこと。
そして、中学生で出会った「柳宗悦の民芸」の世界。
バスの車掌から女優へ。女優をしながらも「このままやっていけるのかしら?」と才能のなさに途方にくれた日々。そんな時に出会った写真家・土門拳先生の「本物に出会いなさい」というひと言。
10代でのヨーロッパひとり旅。
「007は2度死ぬ」出演のエピソードやそこで出逢った俳優さんたち。
ショーン・コネリィーさん。スタジオでお会いしたシドニィー・ポアチエさん。
偶然ホテルでお見かけしたオードリィー・ヘップパーンさんの美しさ、など等。
私の青春の一ページです。
そして、40代からの「日本の食・農・環境問題を考える中で、日本古来の手仕事や暮らし」への思い。食の安全や安心に関心をもつ人も増えてきた時代、生産者、消費者の垣根を越えて「食・農」を考える時代になり多くの若者が取り組み始めたこと。
私は自分の足で現場を歩き、自分の目で見、自分の肌で感じ、農に生きる人たちと語りあってきたこと、などを話させていただきました。
「自然は寂しい、しかし人の手が加わると暖かになる その暖かなものを求めて歩いてみよう」

宮本常一のこの言葉に背中を押されての旅。そして、この番組ではゲストが、自分の人生を振り返り、その気持ちを文章に綴り読むことになっているのです。
「私にとって人生とは、自分というものを探す旅のようなものかもしれません」
多くの人に導かれ、先人にも教えをいただき、あるいは骨董や民芸に手を携えてもらいながら、これまで歩んできました。たくさん笑い、たくさん勇気をもらい、たくさん楽しい時間を過ごし、たくさん学び・・・辛さも悲しみもエネルギーに換えてきました。
ひとつ山を乗り越えるたびに、新しい自分を発見したような気がしました。経験を積み、年齢を重ね、知恵も少しずつ身につけました。大きな山を目の前にしても、以前のようにたじろがなくなったのはそのせいかもしれません。がむしゃらに乗り越えるだけではなく、回り道をしたり、時に休んだり、ときに人の助けを借りたりすることも覚えたからです。
そして、旅の道程がもっと深く楽しいものにと変わって行きました。私はこれからも明るい光が差し込む方向に歩いていきます。道端に咲いている野の花の可憐さや頬に受ける風に微笑みながら、一歩一歩、明日、どんな自分に出会えるのかを楽しみに、丁寧に生きていきたいと思います。
こんなことを話させていただきました。
そして、山本監督から
「浜さん・・・貴女のわが人生とは」の問いかけに
「限りある命だということを、実感としてわかる年齢になったからこそ、自分が本当にしたいことを探し、納得できる人生を過ごしていきたいと思います」
と申し上げました。
山に戻ると星が輝いていました。そして「わが人生に乾杯」とグラスをかたむけ、今回も幸せな仕事との巡り会わせに感謝した夜です。

沖縄で私を待っていてくれる女性たち

私にとって大切な沖縄の女友達。
出逢ってから20年は経つでしょうか。
今回は那覇ではなく宮古島で会いました。
私にとってかけがいのない女友達、皆んな40代です。
ある時は旧三月三日。女たちの浜下(はまおり)の日。
伝統行事だから、昔のような姿で。重箱に浜下りの料理をもって。
沖縄に来て癒されるのは、豊かな自然や芸術に加えて、
彼女たちとの交流が私に大いなる元気のもとを与えてくれます。
私が初めて沖縄を訪ねたのはパスポートが必要な時代でした。
民芸に出会い、偉大な先人たちが訪ね歩いた民芸の故郷を訪ねる旅が始まりました。道具と出会い、そこに暮らす人のお話を聴き、帰ってくるだけなのですが、心がいっぱいに満ちたりるのです。
今回の宮古島での一時は、さらなるエネルギィーを、愛情をいっぱい・いっぱい頂きました。宮古の島の優しさに満ちた人々。美味しい地産池消の食材を生かした料理。
ミヤコ(ミヤーク)とは「人(自分自身)の住んでいる所(地域・集落)」という意味だそうです。
「ミ(自分)ヤ(住んでいる)コ(場所・村)
宮古島には、日本本土や沖縄本島とも異なる独自の文化があります。
伝説もたくさん残っています。
まだまだ寒い箱根から、宮古の暖かさを贈ります。

メリークリスマス

091225christmas.jpg
皆さまはクリスマスをどのようにお過ごしでしょうか。
私は、箱根の森の静寂な中で迎えております。
我が家に住むたくさんの柱や梁、床や戸棚、多くの木とおしゃべりします。
木々たちは、何百年も生きているからものしりで、私のわからなさを諭したり
ときには眠ったふりをして答えてくれなかったりするけれど、
木々とのおしゃべりは本当に楽しいのです。
素敵なクリスマスを!

箱根のクリスマス

12月2日~3日にかけて主婦の友社「ゆうゆう」のオリジナルツアーで、ここ箱根の我が家に、遠く北海道から九州まで、70名の読者の方々がお集まりくださいました。
雑誌「ゆうゆう」では4年間の連載を受け持ちました。連載開始当時60歳になったばかりの私の経験を少しでも参考にしていただけたら同じ女性として嬉しいと思ったからです。
「ゆうゆう」では、一人の人間として、ありのままの自分を語ってきました。私も読者の皆さんと同じように、人生の中で、楽しいことや嬉しいことばかりではなく、 苦しかったことや悲しかったことなど・・・を共有してきました。だからでしょうか、初めてお会いした方ともすぐに仲良しになれます。
親子でのご参加、50代、60代、70代の方々。皆さんのお顔が輝いています。
女性の人生は、家族を精神的に支えることが求められるだけに、男性より悩みが複雑かも知れません。けれども、その大変さを乗り越えることで、より豊な自分になれるのではないでしょうか。今回の皆さんのお顔を拝見していると、そんな美しい輝きがありました。
家のことはしばし忘れ「ご自分へのご褒美よっ!」とお話すると大きくうなずく彼女達。 素敵な箱根の初冬の午後の一日でした。

亜麻の花咲く里づくり

10月下旬、北海道当別町に行ってきました。
この町は札幌都心部から約15~25kmに位置しています。当別町では、明治初期より始まった亜麻の栽培が、化学繊維の普及により除々に減少し、やがて姿を消してしまいました。その美しい景観をもう一度取り戻し、地域の活性化につなげようと復活に取り組んでいます。
(亜麻とは、中央アジア原産でアマ科の一年草のこと)
約40年も栽培が途絶えていたこともあり、亜麻の栽培方法の研究から始まり、海外の文献などを参考に試行錯誤を重ね、8年目の現在は約8haの作付けをするまでになりました。生産者の輪も広がり、商品開発も進み、フォトコンテストや亜麻まつりなどで町は賑わいます。亜麻の種子から抽出される「亜麻仁油」は身体によいといわれています。

初夏には薄紫の亜麻の花が咲き乱れ、収穫時期を迎える秋には、一面黄金色に色づき美しい風景を作り出すそうです。
廃校となった小学校を亜麻の資料や木工家具のアトリエなどに使われており、何だか懐かしい光景がよみがえりました。

「亜麻の花咲く町」・・・今度はぜひ夏に行ってみたいです。