『徹子の部屋』

先日、テレビ朝日で「徹子の部屋」の収録をしてまいりました。
東宝時代の星由里子さんとご一緒でした。40年振りの再会です。
私はバスの車掌のあと東宝にスカウトされ「若い素肌」でデビューしたのですが、「ここは自分のいる場所だろうか。いてよい場所なのだろうか。」場違いのような気がしてふと逃げ出したくなってしまうことがしばしばでした。ですから星さんとも他の俳優さんとも一緒に食事したり、遊びに行く・・・ということもありませんでした。
星さんは年齢は同じでも2年早くデビューなさっています。彼女の人生とは間逆な生き方をしてきた私。でも黒柳徹子さんという芸能界の大先輩のリードで楽しい収録でした。
振り返ると40歳で演ずるという女優を卒業しましたが、社会参画は現在にいたるまでしてまいりました。働くことが好きな私。一期一会、多くの方々との出逢いで現在の私は生かされております。
「孤独って素敵なこと」でもその思いは書かせていただきましたが、これからも「暮らしの美」を感じつつ、自分自身を信じて、いくつになっても、今、人生がはじまったという気持ちを大切に一日一日を大切に歩んでいきたいと思います。
『徹子の部屋』の放送は8月1日の予定です。
テレビ朝日12時から。
ぜひご覧ください。

『爺(じじい)のひまつぶし』

作家で評論家の吉川潮さんが、司会者でエッセイストの島敏光さんとともに「爺の暇つぶし – もてあます暇をもてあそぶ極意、教えます – (ワニブックスPLUS新書)」をお書きになりました。
帯には「男の暇つぶしに定年はない!」とあります。落語にも造詣が深い吉川さん。ふ・ふ・ふ・・・と笑いをこらえて読むところもございましたが、そもそも女性には「暇つぶし」などありませんものね!
ご近所のお付き合いや友人達、遊ぶ仲間や、やることがいっぱい・・・でも男性はそうでもないらしいのです。ラジオにお招きしてじっくり伺いました。「暇つぶしガイド」とでも申しましょうか。
時間を持てあましているシニアの方、とくに男性、必読書です(笑)定年を前にして、その予備軍も多いそうです。「安く、楽しく、イキイキと余暇を過ごすには」まず吉川さんは、ご飯を一緒に食べる「飯友(めしとも)」がいらっしゃるとか。
その飯友がいないひとには・・・。映画・音楽・ライブは暇つぶしの三種の神器とのこと。それには足腰が強くないと出かけられませんよね。旅もいろいろ。男性は一人旅を好むそうですね。そういうときには”話しかけない”が礼儀とのこと。
散歩はお金のかからない川べり、日比谷公園、新宿御苑など普段からよく歩かれるとのこと。落語家の亡き立川談志師匠とのお話しは大変興味深く伺いました。師匠が60代の後半になった頃、食道ガンの手術をし、70過ぎると、『人は未練で生きている』とおっしゃったそうです。吉川さんは「未練たらしく生きるほうがいいと思うんです。皆さんも未練をなくさず、未練たらしく長生きしましょう」とおっしゃいます。中々薀蓄のある言葉です。
究極の暇つぶしとは吉川さん曰く「暇つぶしと意識しないで一日が終わること」。この本はかつて流行った「濡れ落ち葉」にならないように奥さまがご主人に贈るのも良いのではないかしら(笑)と私は思いました。
67歳の吉川さんに70歳を前にして思うことなども聞かせていただきました。
スタジオは笑いの渦。ぜひラジオをお聴きください。
放送日8月7日
文化放送「浜美枝のいつかあなたと」
日曜日10時半~11時


『フェルメールに逢いたくて・・・デルフトの街へ』

私が始めてフェルメールの絵画に魅せられたのは10代の終わりのヨーロッパを旅したときでした。あれから半世紀以上も過ぎたのに、やはりフェルメールは心に寄り添ってくれている・・・そう感じ、このたび出版した「孤独って素敵なこと」の”終わりに”にも以下のようなことを書きました。
『フェルメールの朝を思わせる清浄な光。
何げない日常に注ぐ眼差しの温かさ。
それらの中にある美しさを、私はずっと求めてきたのだ・・・と。
そう気がついたとき、心がひたひたと感動で満たされていくのを感じました。
そして、私の前にまた一筋の光の道が見えたような気がしました。』
やはり・・・行きたい。
この目でフェルメールが暮らした街を歩き、光を浴び、その空気にふれてみたい・・・と、オランダ・デルフトに行ってまいりました。


ヨハネス・フェルメールは1632年にデルフトで生まれ、1675年43歳の生涯をとじました。フェルメールの日記や手紙は全く残されていません。現在私たちが知っているのは、その他の記録と絵画からわかりうる事のみなのです。でもその絵画の中から当時の人々の暮らしが見えてきます。
航海術の発達にともなって、世界の海へと乗り出したオランダ。
17世紀は好奇心の時代。新発見と発明に満ちていました。交易により裕福な市民は世界から物を集め新しい世界観をもたらします。インド・トルコ・中国・日本・・・アジアからもたらされたスパイス、トルコの絨毯、日本や中国の陶磁器など等・・・。どれほど豊かだったことか。
フェルメールはそんな時代デルフトに生まれたのです。そして、生涯をデルフト・マルクト広場周辺で過ごします。
私が泊まったホテルは広場の前の新教会のすぐ裏にある中庭のある花に囲まれた小さなホテル。アットホームで親切なスタッフの人たちでした。教会との間には細い運河が流れ、フェルメールの「小路」にあるような建物が300年経た今でも同じように時を刻んでいます。


フェルメールの絵をみると『気持ちが和らぐ』のはデルフトに来てみて分かりました。300年前とあまり変わらない人々の暮らしぶり。高層建築やネオンサインはあまり見えず、看板も目立ちません。絵に似たような風景がいまだに街中に残っているのには驚きました。
早朝、教会の鐘で目を覚まし、ホテルから歩いて2,3分のところにあるフェルメールの生家に行ってみました。(今はアンティークショップになっています)


お父さんは織工、居酒屋・宿屋の主人、そして美術商でもあり当時の芸術家たちはその居酒屋・宿屋フライング・フォックス(空飛ぶ狐亭)の常連でフェルメールは、そうした芸術家たちの中で育ったのです。
そして、一生をデルフトで過ごしました。
生家のすぐ隣がギルド(組合)ハウス。フェルメールも同業者達とよく集まった場所です。現在はフェルメールセンターになっています。


フェルメールが子供のころ走り回って遊んだであろう小路。また子供たち(11人)を連れて散歩したであろう道、教会、広場、市庁舎などがそのまま残っています。新教会はフェルメールが洗礼を受けた教会。


そして、フェルメールのお墓がある旧教会へ。歩いても5,6分です。
まずは運河をはさんだ隣のプリンセスホフ博物館へ。何と幸運なのでしょうか・・・いつもはアムステルダムの美術館にある私の一番お気に入りの『小路』がデルフトに里帰りしていたのです。真近でみることができました!(フラッシュなしなら撮影可)。
この博物館は16世紀から19世紀のデルフト陶器やタイルが展示されていて素晴らしいのです。私は翌日この絵「小路」を描いたであろう場所にも行ってみました。諸説ありますが、一番新しい情報です。


小さな運河を隔てたところに建つ旧教会。ステンドグラスからこぼれる光の中にフェルメールは眠っています。


ひとり静かに自分と相対する時間です。
『孤独って素敵なこと』を書き終え、こうして旅に出て、背負ってきた荷を少しずつ降ろし、なんでもないフェルメールの日常に接して、そこに暮す人々に出逢えて・・・。
その日常がほんとうに愛おしくて。
それは、フェルメールが光によって私たちの目を導いてくれるからでしょうか。
やはり、先送りせず、行動してよかった。


旅の最後はデルフトから30分ほどのハーグにある2014年にリニュアルオープンしたマウリッツハウス美術館で珠玉の作品「真珠の耳飾りの少女」(1665年頃)と「デルフトの眺望」(1660年~1661年)をゆっくり、じっくり時間をかけて観ました。
新しくなった美術館はシックな室内、木の階段・手すりが落ち着きます。至福のひと時でした。ハーグでのランチはコロッケ。そして食べてみたかった屋台で玉ねぎのみじん切りといっしょに”ニシン”。


帰りは路面電車に乗りデルフトへと戻ってきました。
「デルフト眺望」を観たあとなので、描かれたと思われるスヒー運河の向こうに広がる光景がみたくて行きました。(夏の夕暮れ、7時過ぎに描かれたであろうといわれています)
遠くに新教会、街並み・・・その光景を目にやきつけ旅を終えました。


今回の旅ではオランダに住む50年来の友人ご夫妻との再会は何よりも嬉しいことでした。友情に深く感謝する旅でもありました。

『フェルメールのふるさと、デルフトへ』

今年になってすぐ、東京で開かれていた「フェルメールとレンブランド展」に行き、はっとしたことがありました。
私が初めてフェルメールの絵画に魅せられたのは10代の終わりにヨーロッパを旅したときでした。あれから半世紀以上が過ぎたのに、やはりフェルメールはしっくりと心に寄り添ってくれるのを感じました。
フェルメールの、朝を思わせる静謐な光。
何気ない日常に注ぐ眼差しの温かさ。17世紀のオランダの慎み深く堅実なくらしぶり・・・。
フェルメールの生まれた街、デルフト。運河が流れる街。「デルフトの眺望」を描いた港。フェルメールの絵にも登場するデルフト焼きのタイル。あの時代の必需品であり、そのブルー&ホワイトのタイルの美しさに魅せられ数枚の古いタイルを手に持ち帰った昔。そこに暮す人々の堅実さ。清潔さ。大都会とは違う小さな街での人々の暮らしは10代の私にとって、それはそれは魅力的でした。お金がなくスープとパン・・・の夕食。でも「エンデン(豆)スープ」のなんと美味しかったことか。パンを浸して飲むスープ(ちょっとお行儀が悪いのですが)。酪農王国のオランダはチーズも美味しいのです。
前回このブログに書いた「孤独って素敵なこと」の本が書店に並び、私自身の人生を振り返り、あらためてフェルメールの絵を観てみると絵の中にある美しさを、私はずっと求めてきたのだと・・・気がついたとき、心がひたひたと感動で満たされていくのを感じました。そして、私の前にまた一筋の光の道が見えたような気がしました。
『デルフトの街に身を置きたい』との思いにかられて、フェルメールの眠る教会の近くの小さなホテルに宿泊し、光を・・・風を・・・匂いを・・・感じてまいります。
次回のブログでご報告させていただきますね。

『孤独って素敵なこと』

講談社から本を出版させていただきました。
以前、朝日新聞の取材で、60代に入ってから身の丈にあう暮らしを求めてきたという話しをまとめていただきました。その記事のタイトルに、私がふとつぶやいた言葉「孤独って、素敵なこと」という言葉をつけてくださいました。そしてその記事を目に止められた講談社の編集の方が「本を書いてみませんか」と、私に声をかけてくださったのです。
孤独のありようも、年齢とともに変化します。
若い時代の孤独と、今感じる孤独は、ちょっと違っています。それは年齢を重ねるいうこと自体に、やはり寂しさと厳しさがつきまとっているからではないでしょうか。
体がこれまでのように動かなかったり、以前ならすぐに記憶して忘れることなどないはずのことでも、ふとした拍子に抜け落ちてしまったり・・・・・。
人生の先輩や親しい友人を見送ることも少しずつ増えてきました。今まで両手に抱えていたものを、年齢とともに少しずつ手放し、坂道を下りていく・・・おそらく、この年齢で向き合うのは、そうしたことも同時に思い起こさせるような、生命体としての変化であり、根源的な孤独なのでしょう。
私にとって、孤独はもはや友人のようなもの。
そして孤独の明るい面を、ゆったりと自覚できるようになりました。
 
 孤独だから自由でいられます。
 自分を知り、自らに優しくも厳しくもなることもできます。
 家族や友人をより深く愛し、孤独の先にこそ幸せと豊かさがあると感じます。
子供のころから竈の番をまかされ、中学卒業後バスの車掌になり、たまたま女優になり、「ここは自分のいる場所なのだろうかいていい場所なのだろうか・・・」と、ふと思い、箱根の芦ノ湖のそばに居を定め40年近くなります。
そんな自分自身を振り返ってみました。本の表紙の写真は篠山紀信さんが撮ってくださいました。同時代を呼吸してきた篠山さんと、この年齢で再会できたことも嬉しいことでした。
これからも自分自身を信じて、いくつになっても、今、人生が始まったという気持ちで、一日一日を大切に歩んでいきたいと思っております。
宜しければ書店でお手にとってみてください。
それから、7月4日発売の『週刊現代』でノンフィクション作家の石井妙子さんが箱根にお越しくださりインタビューをして記事にまとめてくださいました。8ページです。
先日「原節子の真実」を出版された素敵な方です。
これからの人生が楽しみになりました。