幸せパズル

素敵な映画を観ました。
“日本から一番遠い国”アルゼンチンの映画です。
監督はこの映画がデビュー作となるナタリア・スミルノフ、女性監督のオリジナル脚本。
何気ない日常の暮らし中から見えてくる、女性のふとした戸惑い、悩み喜び。女性監督ならではの機微が表現されていて、2010年のベルリン国際映画祭で「傑作!」と大絶賛を受けたそうです。
パンフレットには
「自分だけの時間が、妻でもなく、母でもない、”本当のわたし”を教えてくれる。」とあります。
南米・アルゼンチンの首都ブエノスアイレス。
主人公のマリアは専業主婦。夫と2人の息子の幸せを生きがいに暮らしている女性。ジグゾーパズルの才能に目覚め生活が一変します。
現代アルゼンチン、およびラテンアメリカ社会の女性解放について 監督のナタリア・スミルノフはインタビューに答えています。
「誰にでも自由は必要で、誰もが正当に扱われなければならない。しかし我が国では未だに、”マチスモ神話”が根強く残り、家庭内暴力が多く、人々の文化や結婚生活に大きく影響しています。
女性が生活できるだけ収入を得て、自立し、大人の人間として生きられる環境が必要です。家族が皆去った後の人生がどれだけ悲劇的か。ひとり残され多くの女性達は50歳を境に発狂するほどの苦しみを味わうのです。情熱の対象をひとつも持っていない専業主婦がたくさんいます。専業主婦であることが間違いではないのに、バランスをとるのは難しいのです。”母親たちが幸せなら、世界はもっと良くなりますよ。”」・・・と。
主人公のマリア(マリア・オネット)は夫・ファン(ガブリエル・ゴイティ)に愛されています。
マリアの微妙な心のひだを完璧に演じています。
表情だけで演じきる主人公マリアに共感し、ひとりの人間の揺るぎない生き方に感動を覚えます。
笑顔が美しい・・・
涙が美しい・・・
ラストシーンはその表情が見られるでしょうか。
小さなことでもいい、自分だけの充足の瞬間を持つこと・・・の大切さを教えてくれる素敵な映画でした。

寒川神社

神奈川県寒川町の教育委員会と青年会議所のお招きで講演会に行ってきました。
寒川・・・といえば「寒川神社」。
まず駅に降り立ち神社に向かいました。


相模川の河口から約7キロ遡ったところに鎮座する神社です。
歴史は古く承和13年(846年)に仁明天皇から従五位下を授かるという記録(続日本後記)があります。
境内は夕方でもお宮参りの赤ちゃんを抱いた若いお母さんやおばあちゃまなどで幸せムードが溢れていました。
私は旅に出て、その地に神社があるとなるべくお参りをさせていただきます。
静謐な中に心が浄化されるようで心が落ち着きます。
そして会場に向かいました。
大勢の方が出迎えてくださいました。
同世代か少し先輩、また50代の方も。
講演のテーマは『明日を素敵に生きるには』です。
以前、歌手の小椋桂さんがテレビ番組のインタビューに答えられておりました。
 「人生年を重ねれば、坂道を下りてゆきます。ただ、その道を上り坂と捉えるか、下り道と捉えるか・・・」「もう・・・なのか、まだ・・・なのか」でも違う、と。
私は中学を卒業するとバスの車掌に。そして16歳で女優デビューしました。それからずっと働いて、今に至っています。大学や高校に進学しておりませんので、学校という学び舎で勉強をする機会にはめぐまれませんでした。でも、本や映像、また社会に出てから出会った多くの先輩方から、たくさんのことを学ばせていただくことができたと、思っています。
会場の皆さんと時代を共有してきたからでしょうか、お互いうなずけることがたくさんありました。
『明日を素敵に生きるためには』
これは、誰にとっても、これからの第一のテーマではないでしょうか。
具体的なお話もさせていただきました。
心と体は常に変化し続けています。
限りある命であることを正面から受け止めなくてはならない辛さもあります。
それゆえの深い孤独とも、向き合わざるをえないこともあります。
でも、そうして孤独もつきつめていくと、その奥には、生きていることに感謝する気持ちが隠れている・・・それに私は気がついたとき、それまでよりもいっそう人を恋しくいとしく思えるようになった気がします。
寒川町の皆さま、ありがとうございました。
あたたかく迎えてくださった温もりを今も感じております。
『自分の生命を丸ごと慈しみ、おもしろがり、楽しんでいただきたい』
そんな思いで会場を後にしました。

藤田嗣治~手しごとの家

遅い夏休みをとってパリに8日間行ってまいりました。
ある日・・・箱根のポーラ美術館に「藤田嗣治展」を見にゆきました。
そこで知った「藤田嗣治・手しごとの家」(林 洋子)
藤田の絵画に魅せられたのはいつのころでしょうか・・・。
広島美術館の「裸婦と猫」だったように思います。
今回の箱根での展覧会では「人間・藤田」が感じられ3度も見に行きました。
そこで新しい藤田嗣治に出逢えたのです。
ずい分前にフランス国立近代美術館で見た「カフェにて」は強烈な印象を受けました。日本を去り、フランス国籍を取得し晩年を小さな田舎町で暮らした藤田嗣治・レオナール・フジタ。その藤田の生涯を想うとき、彼ほど暮らしを豊かに、充実させ自ら「手しごと」にこだわった人はいないと思いました。


今回の旅では、パリの下町ラ・モット・ピケ・グルネルにアパートを借り、自炊をしながらの旅でした。日曜の朝、アパートに着きすぐに近くのマルシェで、ハム・野菜・果物を買い近くのスーパーでワイン(赤・白)2本、そしてパンなどを買ってスタートしたパリ。


翌朝、最初に向かったのが”サンジェルマン・アン・レー”
パリから30分ほどの丘。
セーヌの流れとパリが一望できる場所です。
ルイ14世生誕の地。
城や庭園そして続く公園。
この国を終の棲家とした藤田嗣治に想いを馳せました。


そして、向かった先、郊外にある藤田晩年の旧宅・「メゾン・アトリエ・フジタ」
エソンンヌ県の小さな村ヴィリエ・ル・バクル。
迎えてくれた猫からもうフジタの世界がはじまります。
足元に咲く可憐な花。
「ここをどうして知ったのですか?」・・・県の担当係員。
この建物は藤田が死の直前まで君代夫人と暮らした家。
ポーラ美術館で「藤田嗣治の手しごと」で知りました、と答えました。
今は県に寄贈された家をまもる女性が丁寧に案内してくださいました。
けっして大きくはない家、むしろ想像していた家よりはるかに小さな家でした。
表通りからは2層、庭に回ると地下がキッチンに改装されアトリエのある3層建の家。
そのインテリアの多くが本人の手による作品です。
キッチンの下の棚には当時めずらしかった日本の炊飯器。となりには食堂。吊るしてあるランプや棚や陶器などなど。階段をのぼると居間には手づくりのクッション、そして寝室のベットカヴァーも彼の手によるもの。
壁にかけられた画家自身による小作品のかずかず。
最後に藤田のアトリエを目の前にして言葉を失いました。
“美しい”
画材、ミシン、壁に描かれた絵画。
全ての品々には藤田の愛したモノたちが居心地よさそうに存在しています。

空き家となった石造りの農家を1年以上かけて改装して住んだ古い民家。
私の住む箱根の家も古い農家を改装して住みつずけています。
2011年はたくさんのことを考えさせられる年です。
アパートの窓からはエッフェル塔やモンマルトルの丘が遠くに見えました。
今年は『祈りの年』・・・そんなことを考えながらのパリ滞在でした。

残暑お見舞い申し上げます

皆さまはお盆休みはどのように過ごされたでしょうか。
帰省なさった方もいらしたでしょう。
私はどこにも行かず箱根の我が家で過ごしました。
毎朝の山歩きと、荷物の整理をしました。
心と頭の整理が、夜の音楽だとすれば、身体の調整を担っているのは、私の場合、毎朝の山歩きです。ひと晩眠って、前日の疲れがすっきり解消されるのが理想ですが、年を重ねるにつれ、身体がすっきりと目覚める朝ばかりではなくなってきます。
疲れを持ち越してしまう朝があります。でも、山歩きをしているうちに、前日から持ち越した身体のこりや疲れが、不思議なくらいとれていきます。お気に入りの木には、触って「おはよう!」と声をかけ、絶景ポイントでストレッチやスクワットをやって・・・歩いているうちに、心からよけいな澱みたいなものが剥がれ落ち、やがて心も体も活性化してくるのがわかります。
そして屋根裏部屋の片付け。
『必要なものだけを身の回りに』との思いで5年前のリフォームを機に、家を改めて見回したら、子どもたちの部屋はほとんど昔のままだし、袖を通すことのなくなった古いセーターやシャツなどの洋服、小物などがいつのまにかたまっていました。
小さいころの私は長屋暮らしで、余計なものなんて何ひとつありませんでした。生ゴミは裏に穴をほって埋め、使い終わったカレンダーは小さく切ってメモ帳代わりに。鉛筆は持てなくなるまで使いました。物の寿命がつきるまで、使い切る暮らしでした。そうした暮らし方が身についていたので、「捨てる」という行為が、乱暴に思えてなりませんでした。
しかし、子どもたちも巣立ち、静かな暮らしになったというのに、使わなくなったものを抱えていていいものか・・・、60代後半、心身が安定している今こそがチャンス。
2度目の片付けが屋根裏部屋でした。
「わ~ぁ、10代の終わりにギリシャに行った時の写真」
「これはカンヌ映画祭の時」などパネルの数々。
インドに行った時に買った民芸品などまるでタイムスリップしたよう。
子どもたちに手伝ってもらっての整理です。
67歳になり、時は過ぎ行くのだとしみじみ感じます。
思い出は胸の中に。新しい自分に出会うためにも、必要なものだけを身の回りに、そんな思いでの屋根裏部屋の整理をした夏休みでした。

近畿大学・若狭でのフィールドワーク

近畿大学総合社会学部の客員教授として昨年から授業を受け持っています。
前期の担当が私で、後期はイーデス・ハンソンさんです。
「インターンシップ IV」は講義とフィールドワークです。
「暮らしの足元が問われる時代」です。
3月11日から5ヶ月目を迎えました。
東日本大震災は、悲しみとともに、いつもは穏やかに見える自然に獰猛な牙や爪が隠されていること、制御していたと思いこんでいた原発が暴走を始めた時の人間の無力さなど、私達に大きな課題をつきつけました。
私は学生の皆さんに「現場を歩く大切さ」を実感してほしい・・・と思って授業を進めてきました。 頭だけ働かせるのではなく、自ら手足を動かし、全身で生きる喜び、充実感を味わってほしいのです。
理性だけを優先させ、機能性、効率性だけを重視するキカイのような生き方ではなく、感性を高め、美しいもの、美味しいもの、心地よいものに幸せと喜びを感じ取れる生き方をしてほしのです。
「生活革命の時代」を迎えました。
今年も若狭の我が家での2泊3日のフィールドワークをいたしました。
私自身、農村を歩くなかで、そこで抱えている問題を知りました。
若狭の田んぼで10年間米作りも続けました。
そんな体験の中から、IT(情報技術)時代の今日、客観的かつ理論的な視点も欠かせませんが、それだけでは、臨場感や緊張感、あるいは問題の背後に流れる人々の思いなど、大切なものが漏れてしまいかねないと思っています。
学生達が「何を感じたか」感想文をお読みください。
読んだ感想をお聞かせいただけたら幸せです。
そして、この頃思うことは、『政治を司る人たち』には、おおいに現場に足を運んでいただきたいということです。”同じ目線の高さ”に立ち、共に問題と向き合ってほしいと切望します。

波多瑠衣子
この3日間は、本当に自分にとって大きな時間でした。元々、自然や体を動かすことが大好きな私には、ぜいたくすぎました。こんな貴重な体験ができたのも、多くの人のバックアップがあってこそで、いろいろなところを暑いのにもかかわらず、つきっきりで案内してくださった松井さん、アトリエに私たちを入らせて下さった渡辺先生など、たくさんの人の支えによって私たちの旅が出来たと思います。
そして、2日目の夜に地元の農家の人と話せたおかげで、「やまぼうしを近大農園にしよう」というすばらしい案も出ました。私たちの農業をしたいという思いを浜さんが聞いてくださり、自分のやりたかったことへのひとつのステップを踏めたような気がしました。
本当にたくさんの人々に恵まれたこの旅は、この夏の大きな思い出となりました。
久保佑馬
今回のインターンシップの事に関して、自分が感じたこと。それは、「自分のやりたい事」です。大自然にかこまれたこの土地で、本当に農業に携わりたいと思いました。牛のふんのにおいはきょうれつだったし、田舎の暑さを感じました。しかし、ひぐらしやその他大勢の生物の鳴き声がここちよいBGMになり、居心地やすい空間に2日間もいられたことを誇りに思います。現地の農家の松井さんと話したり画家の渡辺さんの話を聞いたりして都会と田舎の違いが、本当に身に染みました。都会じゃ味わえない話、経験、先生の絵の色づかい、全てが本当に自分の中で心に残る経験になりました。このインターンでつちかったことを、一社会人になった時に、少しでも役立つようにこれから大学生活もあと少しですが過ごしていきたいと思います。この旅行を通じて一番心に残っていることはBBQでの松井さんの息子さんとの会話です。自分の考えが正しいわけじゃないが、自分の考え方も一つの考え方なんだと思い、少し安心しました。浜さんと話していた、若狭のやまぼうしでの「近大農園」の一期生として、ずっとこれがつづいていけるように、少しでも役立てるように勉強を続けて生きたいと思いました。
青山昌也
今回のフィールドワークを通じて農業がいかに今後の日本の社会に大切かという事が身近に感じとれる事が出来たが、反対に、いろいろな話を聞いているうちに、現在は若い人がとても少なくなっており、相次いで農業や畜産業が閉鎖されているという現状や、人と人とのつながりのおかげで、集落が守られてきているのだということも分かり、とても良い経験になりました。そして、今後、私達2回目のフィールドワークメンバーを中心に近大農園をどのように進めていけば良いかを考えなければいけないと思っています。
濱田美保子
今回のこのフィールドワークを通して、一番感じたことは、農家のかたたちは、みんなそれぞれ自分のやりかたを工夫しながら農業をしているということです。個人個人は自己流で農作物をつくり、経営のしかたも、つくるものも多様ですが、みんな常に向上心をもってとりくんでいると思いました。自分の努力度が一番目に見えるのが農業だと思うので、意識が高い人が多いと思いました。人と人とのつながりもきっかけがないとなかなか生まれてこないと思うのですが、協力なしにはやっていけない農家では一番深められるものだと思いました。
行田光毅
8月8日~10日にかけて、福井県の大飯町でインターンシップを行った。いざ大飯町についてみると、大自然が広がっていた。やまぼうしも昔ならではの作りで、風情があった。体験学習は大変勉強になった。渡辺淳先生のお話に、畜産農業やきのこの栽培、炭作りをなさっている方々の苦労話など聞くことができた。この体験は、自分の将来の夢に結びつくのではないだろうかと思った。
松井さんにも大変お世話になり、2日目のBBQの時には、若い方の農業に関する話も聞けた。この2泊3日のインターンシップで、自分の視野を広げることができ、本当に参加してよかったと心から思った。
小森健太
やまぼうしにやってきて最初に感じたのは、本当に自然が多いところだなということでした。また、若州一滴文庫を見学した際、作りの趣きはモチロンのこと渡辺先生の指導等に対する考え方、「道具と場を与えているだけ」ということがとても深い言葉のように思いました。
酪農家や野菜農家などは、以前の小せがれネットワークでみたように後継者不足があるようであり、問題点をみてとることができました。
今回のことにより人と人との関わりの大切さとその時代の流れによる薄れというのを改めて知り、当たり前と思っていることこそが、もう一度考え直すべきことであると思いました。
フィールドワークを通して感じたこと
後藤大輝
今回の若さのフィールドワークを通して、若狭の文化や、農業の楽しさ、つらさ、難しさを感じとることができました。
まわりに見えるのはきれいな川と緑の美しい山、そして広い田んぼにはえる稲ばかりで、同じ日本とは思えませんでした。
2泊3日でけっこう時間があるからゆったりできると思っていましたが、たくさんの場所を訪れたのですぐに時が過ぎていき、もっともっとここを知りたい、農業のことを知りたいと思いました。バーベキューのときも農家の人にたくさんの貴重なお話を聴くことができ、とても参考になりました。この貴重な経験を今後の人生に生かしていきたいと思います。
宮田朝衣
今回のフィールドワークはとても勉強になり、楽しくて、だけどくたくたになる程疲れました。教室で黒板に向かって農業や地域の事を学んでも、それは形だけのものであって、それもとてもいいことなのですが、実際に体験するのとでは全く違うなと感じました。
それはいい意味でもありしんどい面もありました。あんなに気持ちのいい風も壮大な滝も田んぼの美しさも味わえるのは実際の現場だけです。しかし、農業の大変さや、若者の少なさを味わえるのも現場だけです。この貴重な経験を必ずこれからは自分の糧にしていくつもりです。
荒木靖彦
僕は今回のフィールドワークをすごく楽しみにしていました。期待通り、自然がいっぱい、というよりほぼ自然しかないようなところで、とても気持ちの良いところでした。
いろんなところに行って、いろんな体験をしました。この体験の素晴らしさを他の人に伝えたいです。しかし自分の撮った写真を見ても、その時の感情とか、写真の外の景色とか、その場の空気は感じられません。このインターンシップでは「現場を歩くことの大切さ」を学びましたが、それさえも現場を歩いて初めて理解することができました。このフィールドワークで、今までの講義のまとめをすることができたと僕は思っています。何より楽しかったです。だからこの思い出は忘れません。学んだことも忘れません。このインターンシップに参加して本当に良かったです。きっとまたこのメンバーでやまぼうしに来ます。
花立智司
二回目のインターンシップですが、去年とはまた違う楽しみや学びを味わえました。松井さんや渡辺さんなど、たくさんの方々と再会でき、農業の話や油絵の話などをたくさん聞き、一緒にお話をして、交流を深めました。特にうれしかった事は、名前を覚えていてくれた事です。
今回は受講生ではなく、つきそいという形で参加しましたが、受講生達を見ると、去年のインターンシップを思い出し、何を学んだか、何を話したかなど、いろいろなことを思い出し、そして今回のインターンシップでは、どんな事を経験したのか、また経験した事をこの先どう生かすかを思い出したり考えたりしたい。

湿生花園は巨大な寄せ植えガーデニング

私の住んでるいる箱根は午前中から蜩が鳴き、虫のすだく声に夏の終わりを感じます。
先日、早朝からの原稿書きもひと段落したので「そうだわ、夏の花を見にいこう」と思いたち、仙石原の「湿生花園」に行ってまいりました。

山の花や植物を見にいらっしゃるのは以前は殆ど女性でした。でもこの頃は中高年のご夫婦が多くなりました。楽しそうに花と一緒に写真を撮ったり、俳句を読んだり、スケッチをしたり、素敵です。
湿生花園は、仙石原地区に位置します。
この仙石原は、江戸時代に「千石原」とか「千穀原」と呼ばれていました。
古文書によると、慶長十六年(1661年)には五名の村人が二町歩余りの土地を耕していて「耕せば、千石はとれる」ということが地名の由来だそうです。今、この地に立つと、昔の人々の苦難がどんなものだったか偲ばれます。
山に囲まれた仙石原は、二万年前は湖の底だったそうです。
川や湖沼など水湿地に生息している日本の植物や、草原や林、高山植物、めずらしい外国の山草も含めて多様な植物が四季折々に茂り、花を咲かせ私はここにくるとえもいわれぬ「至福の時間」を体験できます。

今、ガーデニングが盛んです。この湿生花園全体が巨大な「寄せ植え」だと思ってください。 サギソウ、カワラナデシコ、ミズキンバイ、オミナエシ、ヒオウギ、ウバユリ、ナツズイセンなどなど夏の花がいっぱい。いつ来ても、植物の多様な生命に感動してしまいます。
花や植物のにぎわいに鳥や虫、それからイタチやタヌキやかやねずみなどが棲み、園内に飛来し、まあ、にぎやかに鳴き合います。
箱根に住んでよかったなあ、と、しみじみ思うひとときでした。
植物とふれあって帰る道すがら、もう気持ちが癒されているのを感じました。

金沢への旅

「NHK金沢放送局」の番組出演のため金沢に行ってきました。
昨年放送した「ためしてガッテン 今夜解禁!加賀百万石 涼感超うま新メニュー」を見ながら、その時の料理を担当した老舗料亭「つば甚」の料理長・川村浩司さんとご一緒でした。
新メニューは「夏おでん」
金沢市はおでん屋さんの数が人口あたり日本一だそうです。
知りませんでした。
石川県は食材の宝庫。
ご当地料理といえば「加賀野菜」がかかせません。
「夏おでん」にも加賀野菜がたっぷり使われていました。
私は金沢に行くとまず朝一番で近江町市場へ向かいます。

野菜や魚、もうもう・・美味しいのです。
収録当日の朝も行きました。
なんとばったり料理長と出会いました。
「毎朝くるんですよ」とのこと。
料理人はご自分の目でしっかり確かめ食材を買われるのですね。
私が買った野菜は「加賀太きゅうり」、「打木赤皮甘栗かぼちゃ」、そして大好きな「金時草」。そうそう「ヘタ紫なす」も今が旬です。
「加賀きゅうり」は大きいもので長さ30センチほどもあり、果肉は厚いのですが、やわらかく、食味、日持ちも良く薄くスライスして酢のものや煮物に使います。夏は特にむくみやだるさをとる効果があります。
皆さん、「いしり」ってご存知ですか?これは絶品の調味料。
イカや魚を原料とした「魚醤油」で、能登半島では刺身や煮物の隠し味として使われています。
私も昔、真冬の能登・輪島で鍋料理を食べたときにこの「いしり(いしる)」に出会い、真イカの内臓を使ったたまらない美味しさに感激して、以来、我が家の冷蔵庫には必ず入っています。
今回、川村料理長から新しい食べ方を教えていただきました。
「カルパッチョに一滴たらすと美味しいですよ」
「とうもろこしやカブに一筆さっと塗って焼くとこれも美味しいです」と。
「いしり」には動脈硬化を防いだり、疲労を回復させるアミノ酸が普通の醤油の二倍以上あるそうです。
もちろん「夏おでん」の隠し味にも使われています。
こうして伝統的な製法が今に伝えられているって素晴らしいですね。
今回は収録があるので魚はいつも行く魚屋さんで覗くだけにしました。
のどぐろや甘エビ、メギスも美味しそうでした。

この頃思うのです。
私は太平洋岸と日本海側が体に必要な気がするのです。
豊かな日本の食文化があるから私たちは生きていけるのですね。
素敵な金沢の旅でした。

答志島へ行ってきました

私が初めてこの島に伺ったのは16年ほど前でしょうか。
この島には「寝屋子制度」が日本で唯一残っていると聞いたからです。
「若者宿」
若者宿とは、少年期から青年期にかけて男子が一緒に寝泊りする集団です。
仲間を作り、頼んでどこかの家を宿にし、毎晩そこに寝泊りします。
その宿を提供する家の主人をネヤオヤ(寝屋親)と呼び、寝泊りする子を(ネヤコ)と呼び、血のつながった親子ではないけれど、生涯、親子のように付き合います。
寝屋子が結婚する時は、本来の仲人と一緒に寝屋親も仲人となり、2組の仲人がたつことになります。
なぜ寝屋子制度は出来たのでしょう。
漁業は、板底一枚下は地獄とも言われる危険な仕事。
いざ、という時に、理屈より先に身体が海に向かいます。
事実、私の知り合いの漁師歴50年の山下正弥さんも、荒波の中で奥さんが海に落ち寝屋子に助けられたということです。
この制度は、今も答志島の住民の精神的な居場所であると共に、地域の教育力の基盤となっています。
「無縁社会」が話題になる現代社会ですが、この島は違います。
答志の島に生まれ、育ち、寝屋親をし、海で働き抜いた正弥さんは言います。
「漁業が元気でなければ、この制度もなくなる・・・」と。
学生達と授業を終えて近鉄に乗り鳥羽へ。
フェリーで島まで約25分。
船から降り立つと、磯の香りが漂っています。
古くから、潮流の関係で身の引き締まった魚貝が獲れる”海産物の宝庫”
です。伊勢えびや鮑はもちろん、ちりめんは絶品です。
鮑は海女さんたちの見事な仕事。80代で現役の海女さんもいらっしゃいます。

夕暮れ時、民宿に向かう路地から夕餉の良い匂い・・・。
「懐かしい、子供の頃の匂いだ!」と学生が言います。
私は大阪という大都会で暮らす彼らが「何か」をつかんでくれると思っています。夜更けまで漁師さんの話を聞き、語り合いました。
特に今年は東北・三陸の厳しい現状について、苦しい思いと支援の気持ちについての話はつきませんでした。

翌朝、早朝私はひとり港に行ってみました。
タコツボを磨くおばあちゃん。
真夜中の漁から戻る夫婦。
「今日は鰆が20匹獲れたよ~!」と元気なお母さん。
油の高騰、魚の値下がり、食卓の魚離れなど、被災地でなくても漁業全般にも厳しい一面があります。
島の人々の優しさに触れ、民宿、食堂の美味しい料理を食べ、色々なことに思いをめぐらせながら家路に着きました。

7月11日追記
答志島へのフィールドワークへ参加した学生から感想の言葉が届きました。皆さんがそれぞれ貴重な経験をこの島で得てくれたことをとても嬉しく思います。
荒木靖彦
この島は何か雰囲気が違う。着いたときからそう思っていたが、さっき外を歩いて分かった。この島は静かだ。電車の音も車の音もしない。こういう静かなところにいると、時が進むのが遅くなったような気がする。いや、むしろ時が戻ったような気もする、朝の連続テレビ小説に出てきそうな町だ。「古き良き日本」という言葉が似合う島だと感じた。
後藤大輝
島についてすぐ、知らない島の人にあいさつをされておどろいた。知らない人にもあいさつをするくらいつながりや絆を大事にしている島であるということをあらためて知った。とてもあたたかい島だと思った。
家ひとつひとつにも前に見た2、30年前のビデオに映っていた「マルハチ」のマークがしっかりとあって、この島の文化がまだまだうけ継がれているのがとてもよくわかった。
波多瑠衣子
私がこの旅を通して感じたことは、温故知新の大切さです。今の若い人たちは「日本の特徴は?」「日本の伝統は何?」と聞かれても細かなことは何も言えない気がする。
新しいもの、外国のものばかりについ目がいってしまう。しかし、日本の良い所を知らない人が外のことを知ってもあまり深いところまで学べない気がした。
歴史を知ることは自分につながることで、すばらしいと感じた。
この旅を通して、日本の漁業、農業、酪農の未来に携わりたいと感じた。若い者の力で変えないといけないし、変えたい。
そして、この島にはコミュニティが非常に強く、島民の人たちがキラキラしていた。
久保佑真
いろんな風景を見て都会にはない空気を感じおいしい料理を食べいろんな話を聞き、すばらしい体験をしました。島から人が出て行き、寝屋子制度がなくなってしまうのは本当に避けなければならないことだと思います。こんなにいい島に来れて、いろんなことを感じることができ、本当に良い体験ができました。
小森健太
それぞれの人達が自分達の仕事に誇りを持っているように感じた。
島独特のゆったりとした時間の流れがあると思った。
漁獲量の減少の中で、競りはとても活気があり、地場産業としての漁業のさかんさを感じた。
漁師の人達が植林もしていると聞き、海と山は共に密接な環境においてあると思い、森林を守ることが海を守ることにつながると思いました。そして、実際に目で見て、海もきれいで、緑も豊かであったことが、答志の漁業を支えていると思いました。
平田淳
今回、私は1年ぶりに2回目の答志島に来ました。この1年間でまず変わっていたのが答志島へ行く前の鳥羽の町並みでした。連絡船用の待合室や船着き場は1年前と大きく変化し、モダンな雰囲気の新しい建物に生まれ変わっていました。
答志島では島民の心の暖かさやお互いを助け合う絆の強さ、魚介類の新鮮さ、自然環境などはほとんど変わっておらず、保たれていました。
前回のように、朝6時に島のチャイムが鳴り、夜18時にチャイムがなる以外、時間はゆっくりと過ぎていき、都会と違って忙しさに苛まれることなく、時間感覚を忘れていました。
また他の漁師さんや山下さんの話を聞いて、今の漁業の存続自体が厳しいものになり、答志島の寝屋子制度自体が困難な状況となっている、国を頼ろうにも農業とは違い、支援があまり無いことを伺いました。
それ以外にも1回目に来た時と違って別の観点から答志島を見ることが出来ました。
今回は特に人々の動きと時間の流れを見ていました。
私は今回この旅行に参加した1つの理由として、『原点に戻り、自分を見つめ直す』ことを考えていました。
課題や学部の講義活動、、課外活動、部活での動き、人々の相談にのるなどをしていて、まるで機械の如く日常を過ごしていたので、両親や友人との衝突も絶えなかったので、1度リセットしようと思い、参加しました。
今回、参加したことで少しは自分を取り戻し、リフレッシュ出来ました。
本当にありがとうございます。
花立智司
一年ぶりに答志島に来てみました。あまり風景や雰囲気は変わってなく、のほほんとした所で良かったです。去年答志島に来た時は何もかもが新鮮なので、現場で学べる事が多かったです。今回は新しい事もたくさん学べましたが、二回目なので去年と違う視点で物事を捉える事ができて大いに楽しむ事が出来ました。特に去年より山下さんとたくさん話をする事が出来たのが一番嬉しい事です。
今回この答志島に行く計画をして本当に良かったと思います。
宮田
今まではいつも映像や教科書を使って勉強していて、それで分かったつもりでいたりしたけど、今回初めて教室を出て実際に現地を歩いてみると、教室では絶対に味わえないいろんなものを感じました。山を登るしんどさ、登りきった時の涼しさ、島の幸、人とのつながり、本当に小さい島ならではの、都会では味わえない体験が出来ました。

近畿大学

昨年4月から近畿大学、総合社会学部の客員教授として講義を受け持っています。
前半期、月に2回の講義です。
そして私が最も取り組みたかったフィルドワーク。
机を前にして考えることも大切ですが、机の上の資料には限界がある・・・と常々考えています。
明日の授業は、南日本放送  『やねだん・人口300人、ボーナスが出る集落』を見ながら、集落のあり方、特に今言われている『限界集落』について話し合いをします。
今回のような大震災の津波で崩壊した太平洋沿岸の集落。そして福島原発で避難を余儀なくされて人たち。人間がふるさとへの郷愁、郷土文化への想いなど”人のつながり”を考えます。
そして、昨年同様に授業が終了したら学生たちと三重県答志島に行ってきます。そこには「若者宿」とよばれる「寝屋子制度」が日本で唯一残っているのです。民宿に泊まり学生達との合宿が楽しみです。次回ご報告いたします。

箱根神社

梅雨時の晴れ間の早朝、箱根神社に参拝に行ってまいりました。
箱根神社は私のパワースポットなのです。
最近、若い人の間でパワースポットというのが話題になっているそうです。我が家から歩いて1時間の箱根神社もそのパワースポットのひとつだそうで、いつ行っても若い女性が一心に祈りを捧げています。早朝でも同じ光景を目にします。
箱根に暮らして35年が経ちます。難しいことはわかりませんが、箱根という土地はたしかに人を元気にしてくれます。湖畔を歩き、富士山に手をあわせ、眩しいほどの太陽に祈りを捧げ、箱根神社に伺うたびに心身が浄化され、清らかなものをいただけるような気がするのです。

箱根のわが家は古民家の廃材を用いて家を建てました。
家を建てる材料として選んだ梁や柱のすべてを、私は箱根神社のお神酒で丹念に拭きあげてから使いました。誰から教えられたわけでもないのですが、古民家の廃材を用いて家を建てるにあたり、この土地の氏神様である箱根神社の力で清めていただきたいと願いながら、一本一本自分自身の手で拭きあげました。手も首も煤で真っ黒になりながらの作業でした。
あれから37年がたつのですね・・・。

もし、箱根神社においでのときには、ぜひ御社殿右の安産杉の裏手にあるヒメシャラ純林にも足を伸ばしてください。
私の大好きな場所。
光沢のある幹肌と、優しい雰囲気の樹勢も素敵です。
樹木の間から光りが射し、不思議な明るさと静けさに包まれます。