答志島へ行ってきました

私が初めてこの島に伺ったのは16年ほど前でしょうか。
この島には「寝屋子制度」が日本で唯一残っていると聞いたからです。
「若者宿」
若者宿とは、少年期から青年期にかけて男子が一緒に寝泊りする集団です。
仲間を作り、頼んでどこかの家を宿にし、毎晩そこに寝泊りします。
その宿を提供する家の主人をネヤオヤ(寝屋親)と呼び、寝泊りする子を(ネヤコ)と呼び、血のつながった親子ではないけれど、生涯、親子のように付き合います。
寝屋子が結婚する時は、本来の仲人と一緒に寝屋親も仲人となり、2組の仲人がたつことになります。
なぜ寝屋子制度は出来たのでしょう。
漁業は、板底一枚下は地獄とも言われる危険な仕事。
いざ、という時に、理屈より先に身体が海に向かいます。
事実、私の知り合いの漁師歴50年の山下正弥さんも、荒波の中で奥さんが海に落ち寝屋子に助けられたということです。
この制度は、今も答志島の住民の精神的な居場所であると共に、地域の教育力の基盤となっています。
「無縁社会」が話題になる現代社会ですが、この島は違います。
答志の島に生まれ、育ち、寝屋親をし、海で働き抜いた正弥さんは言います。
「漁業が元気でなければ、この制度もなくなる・・・」と。
学生達と授業を終えて近鉄に乗り鳥羽へ。
フェリーで島まで約25分。
船から降り立つと、磯の香りが漂っています。
古くから、潮流の関係で身の引き締まった魚貝が獲れる”海産物の宝庫”
です。伊勢えびや鮑はもちろん、ちりめんは絶品です。
鮑は海女さんたちの見事な仕事。80代で現役の海女さんもいらっしゃいます。

夕暮れ時、民宿に向かう路地から夕餉の良い匂い・・・。
「懐かしい、子供の頃の匂いだ!」と学生が言います。
私は大阪という大都会で暮らす彼らが「何か」をつかんでくれると思っています。夜更けまで漁師さんの話を聞き、語り合いました。
特に今年は東北・三陸の厳しい現状について、苦しい思いと支援の気持ちについての話はつきませんでした。

翌朝、早朝私はひとり港に行ってみました。
タコツボを磨くおばあちゃん。
真夜中の漁から戻る夫婦。
「今日は鰆が20匹獲れたよ~!」と元気なお母さん。
油の高騰、魚の値下がり、食卓の魚離れなど、被災地でなくても漁業全般にも厳しい一面があります。
島の人々の優しさに触れ、民宿、食堂の美味しい料理を食べ、色々なことに思いをめぐらせながら家路に着きました。

7月11日追記
答志島へのフィールドワークへ参加した学生から感想の言葉が届きました。皆さんがそれぞれ貴重な経験をこの島で得てくれたことをとても嬉しく思います。
荒木靖彦
この島は何か雰囲気が違う。着いたときからそう思っていたが、さっき外を歩いて分かった。この島は静かだ。電車の音も車の音もしない。こういう静かなところにいると、時が進むのが遅くなったような気がする。いや、むしろ時が戻ったような気もする、朝の連続テレビ小説に出てきそうな町だ。「古き良き日本」という言葉が似合う島だと感じた。
後藤大輝
島についてすぐ、知らない島の人にあいさつをされておどろいた。知らない人にもあいさつをするくらいつながりや絆を大事にしている島であるということをあらためて知った。とてもあたたかい島だと思った。
家ひとつひとつにも前に見た2、30年前のビデオに映っていた「マルハチ」のマークがしっかりとあって、この島の文化がまだまだうけ継がれているのがとてもよくわかった。
波多瑠衣子
私がこの旅を通して感じたことは、温故知新の大切さです。今の若い人たちは「日本の特徴は?」「日本の伝統は何?」と聞かれても細かなことは何も言えない気がする。
新しいもの、外国のものばかりについ目がいってしまう。しかし、日本の良い所を知らない人が外のことを知ってもあまり深いところまで学べない気がした。
歴史を知ることは自分につながることで、すばらしいと感じた。
この旅を通して、日本の漁業、農業、酪農の未来に携わりたいと感じた。若い者の力で変えないといけないし、変えたい。
そして、この島にはコミュニティが非常に強く、島民の人たちがキラキラしていた。
久保佑真
いろんな風景を見て都会にはない空気を感じおいしい料理を食べいろんな話を聞き、すばらしい体験をしました。島から人が出て行き、寝屋子制度がなくなってしまうのは本当に避けなければならないことだと思います。こんなにいい島に来れて、いろんなことを感じることができ、本当に良い体験ができました。
小森健太
それぞれの人達が自分達の仕事に誇りを持っているように感じた。
島独特のゆったりとした時間の流れがあると思った。
漁獲量の減少の中で、競りはとても活気があり、地場産業としての漁業のさかんさを感じた。
漁師の人達が植林もしていると聞き、海と山は共に密接な環境においてあると思い、森林を守ることが海を守ることにつながると思いました。そして、実際に目で見て、海もきれいで、緑も豊かであったことが、答志の漁業を支えていると思いました。
平田淳
今回、私は1年ぶりに2回目の答志島に来ました。この1年間でまず変わっていたのが答志島へ行く前の鳥羽の町並みでした。連絡船用の待合室や船着き場は1年前と大きく変化し、モダンな雰囲気の新しい建物に生まれ変わっていました。
答志島では島民の心の暖かさやお互いを助け合う絆の強さ、魚介類の新鮮さ、自然環境などはほとんど変わっておらず、保たれていました。
前回のように、朝6時に島のチャイムが鳴り、夜18時にチャイムがなる以外、時間はゆっくりと過ぎていき、都会と違って忙しさに苛まれることなく、時間感覚を忘れていました。
また他の漁師さんや山下さんの話を聞いて、今の漁業の存続自体が厳しいものになり、答志島の寝屋子制度自体が困難な状況となっている、国を頼ろうにも農業とは違い、支援があまり無いことを伺いました。
それ以外にも1回目に来た時と違って別の観点から答志島を見ることが出来ました。
今回は特に人々の動きと時間の流れを見ていました。
私は今回この旅行に参加した1つの理由として、『原点に戻り、自分を見つめ直す』ことを考えていました。
課題や学部の講義活動、、課外活動、部活での動き、人々の相談にのるなどをしていて、まるで機械の如く日常を過ごしていたので、両親や友人との衝突も絶えなかったので、1度リセットしようと思い、参加しました。
今回、参加したことで少しは自分を取り戻し、リフレッシュ出来ました。
本当にありがとうございます。
花立智司
一年ぶりに答志島に来てみました。あまり風景や雰囲気は変わってなく、のほほんとした所で良かったです。去年答志島に来た時は何もかもが新鮮なので、現場で学べる事が多かったです。今回は新しい事もたくさん学べましたが、二回目なので去年と違う視点で物事を捉える事ができて大いに楽しむ事が出来ました。特に去年より山下さんとたくさん話をする事が出来たのが一番嬉しい事です。
今回この答志島に行く計画をして本当に良かったと思います。
宮田
今まではいつも映像や教科書を使って勉強していて、それで分かったつもりでいたりしたけど、今回初めて教室を出て実際に現地を歩いてみると、教室では絶対に味わえないいろんなものを感じました。山を登るしんどさ、登りきった時の涼しさ、島の幸、人とのつながり、本当に小さい島ならではの、都会では味わえない体験が出来ました。

「答志島へ行ってきました」への5件のフィードバック

  1. 先日、広尾のインドのバザーでお会いした、Neferを手伝っております岡田です。おはようございます。いつも、blogを拝見しながら、様々な場所へ私までも旅させていただいている気分です。前回、やまぼうしさんでお会いした時は、ちょうど”近江、京都”の旅の直後で、ニコルさんの話しをまとめられる時でした。あの時にもお伝えしましたが、浜さんの文章はとっても、癒されます。浜さんの寄せる思いがジワジワと伝わり、本当にいつもいつも楽しみにしています。
    今日読ませていただいた、答志島のお話しは思わず、私も学生になりたい!!浜さんの講義を受けたい!!と思いました。
    潮の香りのするちょっと、泥臭い企画をぜひ、私みたいな者でも伺えるとありがたいです。
    暑い時ですので、くれぐれもお体にはお気をつけ下さい。
    (このコメントは表示しないで良いですから)

  2. 岡田さま
    おはようございます。金子です。
    浜は本日出張のため本人からの返信は後日になるかと思いますが
    岡田さんのおっしゃるように答志島には学生だけではなく、
    我々大人も行きたいですよね!
    C.W.ニコルさんのアファンの森に加え、こういった大人のための
    フィールドワークも楽しいかもしれませんね。
    浜とも相談し、いろいろと企画しています!

  3. 岡田さま
    投稿ありがとうございました。
    昨日、沖縄から戻りました。台風前でしたので
    眩しいほどの太陽の下、平和公園へ行き参拝してまいりました。
    今年は66回目の慰霊の日です。
    旅は賜る(たぶるー旅)という意味があるそうです。
    浜美枝

  4. 始めまして。。。ではないのです。
     昨年、浜美枝さんは大阪のMBS毎日放送の野村さんの番組に出演された時にメールしました事がありました。
    私もよく金沢はよく旅をしていました。落ち着いて風情があって好きな町です。食べ物も美味しくて犀川、浅野川、男川と女川というらしいのですね。この川の対比もなんだか気になったものでした。
    その先では能登半島を回って帰阪してくるのです。
    また、旅がしたいのですが体調が思わしくなく行けないのが残念なんです。
    浜さんのすてきな旅の報告をまた楽しみにしておりますのでお元気で歩いてください。

  5. 投稿ありがとうございました。
    大阪MBS毎日放送に出演した時にメールをいただいたのですね。
    野村アナとは長い間、ご一緒させていただきました。
    大阪から金沢、そして能登への旅、素晴らしい思い出ですね。
    体調お気をつけください。

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