藤田嗣治~手しごとの家

遅い夏休みをとってパリに8日間行ってまいりました。
ある日・・・箱根のポーラ美術館に「藤田嗣治展」を見にゆきました。
そこで知った「藤田嗣治・手しごとの家」(林 洋子)
藤田の絵画に魅せられたのはいつのころでしょうか・・・。
広島美術館の「裸婦と猫」だったように思います。
今回の箱根での展覧会では「人間・藤田」が感じられ3度も見に行きました。
そこで新しい藤田嗣治に出逢えたのです。
ずい分前にフランス国立近代美術館で見た「カフェにて」は強烈な印象を受けました。日本を去り、フランス国籍を取得し晩年を小さな田舎町で暮らした藤田嗣治・レオナール・フジタ。その藤田の生涯を想うとき、彼ほど暮らしを豊かに、充実させ自ら「手しごと」にこだわった人はいないと思いました。


今回の旅では、パリの下町ラ・モット・ピケ・グルネルにアパートを借り、自炊をしながらの旅でした。日曜の朝、アパートに着きすぐに近くのマルシェで、ハム・野菜・果物を買い近くのスーパーでワイン(赤・白)2本、そしてパンなどを買ってスタートしたパリ。


翌朝、最初に向かったのが”サンジェルマン・アン・レー”
パリから30分ほどの丘。
セーヌの流れとパリが一望できる場所です。
ルイ14世生誕の地。
城や庭園そして続く公園。
この国を終の棲家とした藤田嗣治に想いを馳せました。


そして、向かった先、郊外にある藤田晩年の旧宅・「メゾン・アトリエ・フジタ」
エソンンヌ県の小さな村ヴィリエ・ル・バクル。
迎えてくれた猫からもうフジタの世界がはじまります。
足元に咲く可憐な花。
「ここをどうして知ったのですか?」・・・県の担当係員。
この建物は藤田が死の直前まで君代夫人と暮らした家。
ポーラ美術館で「藤田嗣治の手しごと」で知りました、と答えました。
今は県に寄贈された家をまもる女性が丁寧に案内してくださいました。
けっして大きくはない家、むしろ想像していた家よりはるかに小さな家でした。
表通りからは2層、庭に回ると地下がキッチンに改装されアトリエのある3層建の家。
そのインテリアの多くが本人の手による作品です。
キッチンの下の棚には当時めずらしかった日本の炊飯器。となりには食堂。吊るしてあるランプや棚や陶器などなど。階段をのぼると居間には手づくりのクッション、そして寝室のベットカヴァーも彼の手によるもの。
壁にかけられた画家自身による小作品のかずかず。
最後に藤田のアトリエを目の前にして言葉を失いました。
“美しい”
画材、ミシン、壁に描かれた絵画。
全ての品々には藤田の愛したモノたちが居心地よさそうに存在しています。

空き家となった石造りの農家を1年以上かけて改装して住んだ古い民家。
私の住む箱根の家も古い農家を改装して住みつずけています。
2011年はたくさんのことを考えさせられる年です。
アパートの窓からはエッフェル塔やモンマルトルの丘が遠くに見えました。
今年は『祈りの年』・・・そんなことを考えながらのパリ滞在でした。

「藤田嗣治~手しごとの家」への4件のフィードバック

  1. 今夜の寒川講演で、ブログの紹介があったので初めて閲覧しました。
    私は水彩と日本画を制作しています。
    鎌倉の県立美術館で藤田嗣治の絵を見たことがあります。白い絵の具と線画を基調としていて、日本画の伝統を連想しました。
    本日の講演を思い出しながら、用の美の探訪をパリにまでしているのかなという印象を受けました。

  2.  素敵な旅ですね。写真もきれいで……いつか私も、こんな旅がしてみたいです。何しろ、ニューヨークでもベルリンでも、一日に5〜6の美術館や博物館を駆け足で回るというような慌ただしい旅しかしてこなかったので、浜さんのような豊かな精神が身についていない。反省です。

  3. 森本功さま
    昨日は寒川での講演会にお越しくださりありがとう存じました。
    ブログご覧頂き「用の美の深訪をパリまで」とございましたが、
    やはり「手仕事」には美を感じます。
    日本人の美意識は素晴らしいと感じながらの日々です。
    藤田嗣治にも受け継がれているのですね。

  4. 岩本敏さま
    私も若いときは美術館・博物館を慌しく駆け巡っておりました。
    いつか教わったことがあるのですが、昔、旅という字は今の旅行の
    旅でなく「賜る」という字を書いて「賜ぶ」タブと読んだそうですね。
    人に出会い、恩をいただく・・・旅。
    この年齢になると、そんな旅がしたくなります。

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