英国大使の御庭番

あと1ヶ月余りでロンドンオリンピック!楽しみですね。
文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時)
東京・千代田区にあるイギリス大使館で25年間、専属庭師として美しい庭作りに取り組んだ 濱野義弘さんをお客さまにお迎えいたしました。
1万坪のイギリス大使館の中で、およそ1000坪と最も大きい大使公邸の庭を一人で管理したのち、大使館全体の庭の責任者であるヘッドガーデナーとなり、去年の3月まで従事されていました。
濱野さんは1960年のお生まれ。東京・杉並区のご出身です。
私はイギリス大使館に入ったことはありませんが、千鳥が淵の周辺を、特に桜の季節の散策は素晴らしいです。イギリス大使館の広大な敷地をどんな風に管理され、どんな庭なのかしら・・・と、とても気になっていました。
この度「英国大使の御庭番: 傷ついた日本を桜で癒したい!」(光文社)を濱野さんは上梓されました。

そもそも、どんなきっかけで大使館の御庭番になれるのか?
新聞で見つけた”英国大使館専属庭師募集”の三行広告だったそうです。
当時、25歳の濱野さん。
「親方にも信頼をしてもらい、仕事も忙しく流れてくる仕事を、ただ”こなす”植木屋に慣れすぎてきたいたのかもしれません。このままじゃダメだな。もっと素敵な庭を作りたい」・・・と思われたそうです。
三行の広告が人生を大きく変えました。
「これっきゃないでしょ!」と未知の世界へと飛び込みます、住み込みで。独学で生み出したバラやランの管理、大使夫人は難題を時には持ちかけます。でも、それはそれは美しい大使館の庭を25年かけて作り上げたそうです。
「多くの客人が大使公邸へと向かう途中を、桜を愛でてもらいましょう」・・・と大使。大使館の四季は美しすぎるほどです。特に桜の季節は・・・と濱野さん。
濱野さんが大使館に入った翌年1986年5月8日、大使館に新婚のチャールズ皇太子とプリンセス・ダイアナ妃がやってきました。
日本庭園の飛び石も丁寧に洗ってお迎えの準備。
バラの美しい季節「ダイアナ プリンセス・オブ・ウエールズ」というクリーム色とピンクの覆輪が鮮やかなバラがあるそうですが、間近で見るダイアナ妃は華のあるとてもチャーミングな方だったそうです。
そして、25年の勤務を終えようとした、2011年3月9日。
退職記念に桜の木を植樹しましょう・・・と公使の申し出に感激し土入れを行ったそうです。
翌々日、3月11日 あの大震災が起こります。
濱野さんは現在、福島県南相馬市の私立幼稚園や他の幼稚園に桜を植樹し
これからも傷ついた日本を桜で癒したい・・・と活動をなさっておられます。
子供たちから「さくらをうえてくれてありがとう!」と手渡された写真付きの手紙に「ありがとう。これからも頑張って植えるからね」
そう伝えるのが精一杯でした。と語ってくださいました。
スタジオでの濱野さんの笑顔がとても美しく輝いていました。
放送は6月17日です。
ぜひお聴きください。

小商いのすすめ

「日本よ、今年こそ大人になろう」と提案している平川克美さんを文化放送・「浜美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時)にお招きしお話を伺いました。
小商いのすすめ 「経済成長」から「縮小均衡」の時代へ」(ミシマ社)を上梓。
実業家、文筆家の平川克美さんは1950年、東京のお生まれ。
早稲田大学理工学部を卒業後、翻訳を主とするアーバン・トランスレーションを友人らと共同で設立。
現在は、ベンチャー企業を支援する会社の代表取締役の他、立教大学MBA特任教授や文筆業でも活躍され、「株式会社という病」、「経済成長という病」などの著書では、右肩上がりの経済成長の信奉者に警鐘を鳴らしています。
私は「小商いのすすめ」を読ませて頂き、タイトルだけみると「ビジネス書かな」と思ったのですが、まったく違い「これからの日本、そして日本人の生き方のヒント」が詰まった一冊で、分かりやすい哲学書のような感じをうけました。
平川さんの生まれ育った町は、町工場の並ぶ京浜工業地帯の小さな街・大田区。みんなが貧しかった昭和30年代の日本の風景。「貧しかったがゆえの豊かさ」を感じられる時代。
まさに私の川崎の長屋での暮らしはそんな豊かさを感じられる子供時代でした。多摩川で水泳を教えてもらったり・・・は平川さんと同じです。
「昭和39年を境に日本の光景ががらりと変化しました。東京オリンピックです。オリンピック以降の高度経済成長の時代に、町の規模、匂い、暮らす人びとの繋がり方、雰囲気・・・以前と以後では、人間と自然との関係が180度転換したということかもしれません」・・・と。
そうです・・・三十年代の町の風景は、「商店街のある暮らし」でした。
私は、小学生になる前からカマドの番を託され買い物かごをさげて近所の商店街にお買い物。魚屋さんでイワシを買い、八百屋さんでキャベツの外側をタダで頂きそこには人々の温もりや匂いがあり、まさに「小商い」の街でした。
平川さんはおっしゃいます。
「ここらで、いったん立ち止まって、自分たちが求めてきたものが何であったのかを考えてみてもいいのではないか、と思っているのです。”立ち止るのには勇気が必要です”」
「拡大均衡の時代は終焉を迎えました、日本人が採用すべき生き方の基本は、縮小しながらバランスする生き方以外にありません。だから「小商い」なのです。」・・・と。
『震災と原発事故』は私たちの暮らしを見直す大きなきっかけになりました。
「小商い」という言葉は、「ヒューマン・スケール」という言葉の日本語訳です。
とおっしゃいます。
スタジオで平川さんのお話を伺っていると、何だか元気がわき、”大人になろう”と心から思えてきました。
たくさん・たくさん素敵なお話を伺いました。
是非ラジオでお聴きください。

放送は5月20日 日曜10時半~11時です。

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毛のない生活

幻冬舎でプロデューサー、編集者として文芸から芸能まで幅広いジャンルの書籍を担当し、数々のベストセラーを世に送り出した元敏腕編集者・山口ミルコさんをスタジオにお迎え致しました。
文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時)
生放送の時代から数えるとこの番組も4月で14年目になります。
誰にとっても人生は出逢いの連続です。
誰かと出逢うことで知らされる道しるべの多いこと!
自分が熟慮と綿密な行動計画で歩く道を選択しているかというと、決してそればかりではなく、ある日、ふと出逢った人に人生の重要なヒントを与えられ、そこから違う生き方が開けてくるようなことがあると思います。私などは、その最たるもので、一人の考え休むに似たり。
多くのことを、多くの人に教えられて、今日まで何とか歩いてこられたように思えます。
この番組では毎回素敵なゲストをお招きしております。
この番組は私の大切な”宝もの”です。
山口さんは1965年、東京都生まれ。
今から3年前に幻冬舎を退社し、その直後、乳がんが発覚しました。
スタジオに現れた山口さんは溌剌となさり、「毛のない生活」からは卒業。
笑顔がチャーミングな素敵な方。
現役時代、山口さんは五木寛之さんの「大河の一滴」、さくらももこさんの「ももこの おもしろ健康手帳」といった話題の本をたくさん世に送り出しておられます。
ご自身の闘病生活を綴った「毛のない生活」(ミシマ社)を上梓。
絶望の淵から希望を見出し、毎日を真摯に生きる姿が読者の共感を呼んでいます。会社を辞めてフリーランスになってからの闘病生活。帯にはこのように書かれています。
「毛=髪の毛、陰毛、自分を守ってくれるものたち(会社やお金)のある生活」から「毛のない生活」へ。再び、「毛のある生活」へ戻ったとき、著者は別人になっていた。
山口さんはおっしゃいます。
「これまでとは違った生き方をするの。乳がんの手術を受けたとき、もう今まで続けてきたクラリネットとサックスの演奏は無理・・・だと絶望したけれど、強引に復帰したの」。時には「どうして私にはこんな試練があるの?」・・・とも思ったそうです。
華やかな世界から取り残され、「もう自分は誰にも必要とされていないのではないか?」そんな不安にかられたこともあるそうです。
分かるような気がいたします。
治療は過酷だけれどガンは血液の病気で、見つかったなら、死なずに済んだのだと喜ぼう。そして死なずに生きているのだから、きっと何か使命がある。
そうおっしゃる山口さんの笑顔が輝いていました。
詳しくは番組をお聴きください。 放送は4月22日です。

もうすぐ春ですね

寒さもゆるみ、一雨ごとに春めいてきました。
さ~てと・・・冬の間にお世話になった厚手のセーターやダウンジャケット、ブーツ、バッグなどのお手入れの季節です。
主婦歴45年の私ですが、この季節は毎年頭を悩ませます。「同じことの繰り返し」なのですが、世の中便利になり環境に優しい洗剤が登場したり、私の思い違いの手入れ方法など「あらまぁ~知らなかったわ。もっと早く知っていたら・・・」と思うときがたびたびあります。
皆さまはどのようになさっていますか?
私は、料理は大好きなのですが洗濯と掃除はあまり得意ではありません。欧米では、暖炉を使わなくなる春に、スプリング・クリーニングという習慣があるのだそうですね。
「そうか、春こそ大掃除なんだ!」といつも思ってはいるのですが・・・。
そんな時にとても心強い味方をゲストとしてラジオにお招きいたしました。文化放送「浜美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時)
クリーニング革命―すべては喜ばれるために』(アスペクト)を出版された古田武さんです。
東京・南麻布にある、知る人ぞ知る「クリーニングの店アジュイール」のオーナです。古田さんは1939年、長野のお生まれ。中学校卒業後に上京され修行を積み、83年クリーニング店「レジュイール」を設立。クリーニングのクオリティー、営業哲学などが従来の「業界の常識」をくつがえすものだと評判を呼びます。開店当時「高くて、遅くて、でも上手い店」だと言われたそうです。
「すべてはお客さまに喜ばれるために」・・・と古田さんはおっしゃいます。
それは本を読み、お話を伺っていると納得の言葉です。
ネクタイのシミをとるために、一度ネクタイをほどき、クリーニングして、あとで縫いなおすケースもあるそうです。
古田さんは、フランスやイタリアをたびたび訪問され、ヨーロッパのクリーニングを勉強され洋服文化の浅い日本はまだまだ「後進国」とか。
高級ブランドから絶大な信頼を得ているお店なのですが、そんな高級な洋服だけではなく「できる限り、自分で手入れをしたい」と思っている方のために、自宅で簡単にできる衣類のお手入れ方法などもしっかり伺いましたし、本の最後に「難しい技術は必要ありません。ほんの少しの素材に関する知識と、ちょっとしたコツを身につければ、上手に仕上げることができるはずです。」と教えていただきました。
洗濯編
○ 洗剤について
○ 洗濯前にやっておくこと
○ 干し方について
「着古した白いシャツ」が黄ばんでしまった場合の、買い立ての頃の白さに戻す方法やダウンジャケットを自宅で上手に洗う方法、そして、最後にアイロンのかけかたから保管の仕方まで本当にたくさんのことを教えてくださりました。まぁ~知らないことばかり!!!ラジオでは「ビックリする」ようなことも教えていただきましたよ。
古田さんはおっしゃいます。
『どうぞ、今手元にある洋服を大切にしてあげてください。愛してください。手をかければその分、服たちは輝きを失わず、少しでも長くあなたを楽しませてくれると思います』と。
放送は3月25日です。ぜひお聴きください。
私の仕事場は3畳ほどですが、仕事スペースと家事ユーティリティーは一緒の部屋です。仕事の合間に洗濯機を回したり、アイロンをかけたり、子育てをしながら仕事を続けてきたせいなのか、私は両方やれる空間にいると安心できるようです。
さあ~来週は仕事をしながらのクリーニング週間にいたしましょう!

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浜美枝のいつかあなたと ~ 本郷和人さん

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時)
また素敵なお客さまをお迎えいたしました。
『謎とき平清盛』の著者、歴史学者の本郷和人さんです。
本郷和人さんは1960年、東京のお生まれ。
東京大学文学部および大学院で「日本の中世史」を学び、これまで書かれたご本に「天皇はなぜ万世一系なのか」、「武士から王へ」などがあり、
現在は最新刊「謎とき平清盛」が発売中です。(文春新書)
何しろ・・・中学出の私は歴史をしっかり学んでおりません。
だからこそ「知りたがりやさん」の私にとっては興味あるお話しがいっぱい。
本郷さんは、NHK大河ドラマ「平清盛」の時代考証担当者でもいらっしゃいます。私もあの番組は好きで毎週見ております。
どこかの方から「暗い・汚い」とクレームがついたようですが、私など東宝時代に黒澤明監督のスタジオをこっそり拝見しており「汚しの衣装」など、どれほど手間ヒマかけて美術の方、衣装さんがなさっていたか・・・を知っているだけに「分かってないわね~」っと思ってしまうのですが。
中世日本の重要人物、平清盛の実像はあまり知られていないように思います。清盛自身は64歳の生涯を終えたわけですが、本郷さんは「NHKの大河ドラマをはじめとする歴史ドラマはフィクションであって、歴史を忠実に再現する教育番組ではない。でも、フィクションだからといって、何でもあり、というわけではありません」とおっしゃいます。
時代考証はなかなか難しいお仕事ですね。
私のイメージですと、日本の12世紀戦乱の時代、源平の合戦。
平家一門を巡る物語「平家物語」のなかから
「平家の世をつくり、やがて滅亡に導いた人」
「悲劇的な末路をたどった人」
と、いった感じでしたが、本郷さんのお話によると、清盛は重要な「改革者」であったそうです。「部下思いの優しさを兼ね備えていた人」とも。
ご本の中でも書かれておりますが、
父親は誰だ・・・・白川上皇の落胤説を検証する。
私もドラマを見ていて、そのくだりはドラマチックに描かれていましたが事実を教えていただきたいと伺いました。
経済、海外交易を重視し、目は世界に向けられていたようです。
そして、よく「学ぶ」人だったようです。
伝統を学び、貴族に相応しい観念を学び、他者の振るまいを学ぶ。
あちらの勢力にもこちらの勢力にも気配りをしながら、自らを成長させていったのでしょう。
今の時代、ある程度立場が確立されるとそこまで「学ぶ」ことを重要には思わないですものね。本郷さんのお話で清盛が男としてもなかなか魅力ある人物のように思えました。続きはぜひラジオをお聴きください。3月18日放送です。

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浜美枝のいつかあなたと ~ ミッキー・カーチスさん

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時)
素敵なお客さまをお迎えしました。
今回のゲストはミッキー・カーチスさんです。
自叙伝『おれと戦争と音楽と』(亜紀書房)が発売中です。
ミュージシャン・俳優として活躍されているミッキー・カーチスさんは1938年のお生まれ。幼少期を上海の租界で過ごし、1945年、第二次大戦の終戦とともに帰国。
15歳のころからカントリー音楽の演奏で舞台に立ち、米軍キャンプ廻りなどもされました。1950年のロカビリー・ブーム以降さまざまな分野で活躍されてきました。
スタジオに現れた彼は黒のセーターにおしゃれなジーンズ姿。胸には多分ご自身が制作なさったペンダント。73歳・・・なんて信じられません!スタジオには奥さまの陽子さんとご一緒でした。
彼女の姿がちょっと見えないと「うちの奥さんどこに行ったの!」と。愛妻家なのですね。
本の表紙には『明日のことは考えてもしかたない 今夜死ねば、明日はない 人生 ダメでもともと』と書かれています。
幼い頃の「アイノコ」ミッキー時代。たくさんのご苦労があったことでしょう。戦争が日常にあった時代。それでもお母様の百合子さん(リリーさん)は当時はめずらしいバイリンガルで、平和主義者で、なぜあの明るさを通してこれたのかは謎・・・とミッキーさんはおっしゃいます。
詳しくはぜひラジオをお聴きください。
(放送2月26日日曜10時半~11時)明後日です。
私も同時代を共有させていただいた世代です。
皆さまはいかがですか?
あの有楽町の「日劇ウエスタン・カーニバル」にはいらしたかしら?
ロカビリーブーム、鮮烈な印象として私の青春時代の思い出です。
もちろん女優時代ですが。
そして、「東宝」と会社もご一緒でしたが、なぜか共演は一本もしていません。
1950年代後半から60年代前半の日本は高度経済成長期。
なにもかもがめまぐるしい程変化した時代でした。
そして「ベトナム戦争」
「音楽の力」についても語っていただきました。
反戦ロックや反戦フォーク、デモ・・・。
「自分達の音楽で変えられると思った」・・・と。
結局紛争のない世の中にはなっていないのですね、いまだに。
それからの彼の人生が素晴らしいのです。
私には少しだけ分かる気がします。
「自分のことを誰も知らない世界へ行きたい」
そこから人生の旅が始まります。
『いつまでも不良として生きたい』とおっしゃいます。
窮屈な現代社会の中で、若者たちに圧倒的な人気を得ています。
「最近は子供からも”カッコいいジ~ジ”なんて言われていますよ(笑)」ですって。
ラジオと本であなたも私と同世代でしたら、ご自分の青春時代を思い出してみてください。胸がキュンとし、自分が愛おしいと思うはずです。
素敵な出逢いでした。

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浜美枝のいつかあなたと ~ 小倉美惠子さん

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時)
素敵なお客さまをお迎えいたしました。
『オオカミの護符』(新潮社)の著者・小倉美惠子さんです。
今話題の本で12月15日に発売し、現在3刷だそうです。
小倉さんは1963年、神奈川県・川崎のお生まれ。
シンクタンク勤務などを経て、2000年から、自らの生まれ育った町「土橋(つちはし)」の調査を開始。
2008年、「土橋」の映像記録を映画化した「オオカミの護符~里びとと山びとのあわいに」をプロデュース。文化庁の文化記録映画優秀賞などを受賞しました。
発売中の本は映画と同じく、地元・土橋に伝えられた信仰や生活について記された一冊です。
小倉さんは古くからの農家のご出身。
かつては50戸ほどの寒村だったそうです。
その人々によって守られてきたのが「オオカミ信仰」。
まず驚いたことは現在の田園都市線、「鷺沼」と「たまプラーザ」の中間あたりにある「土橋」にいまだに「オオカミ信仰」が脈々と受け継がれていることです。
関東地方に多く見られるというオオカミ信仰。地元の人は「オイヌ様」ともいうそうですが、小倉さん自身も御嶽講の代表者と一緒に、御嶽山詣りをし、「オイヌさま」を追って旅を続けます。
小倉さんはおっしゃいます。
「今でこそ人は山を離れ都市へと向かうが、かつては山は人々を惹きつけて止まない場所であった」と。
「お百姓」は単なる「農民」ではありません。「素朴な農民の手によって何の底意もなくいわば天真自然に作られたときのみ、真に独創的な従ってまた適な質をもち得る」と語ったのは「日本の美を発見」したドイツの建築家ブルーノ・タウトでした。
小倉さんは、お百姓をしていた、おじいさま、あばあさまに大きな影響を受けられたそうです。そんな子供時代のお話も伺いました。
なぜ、この本がこれほど注目を浴びているのでしょか。小倉さんは、高度経済成長期の時代に「何か大切なものを置き忘れてきたかもしれない」とおっしゃいます。
今では行政や専門業者に任せてしまう私たちの暮らし。もう一度足元を見つめなおしたい・・・と思う人々がこの本を手にしているのでしょうか。
じっくりラジオをお聴きください。(放送・2月19日(日曜・10時半~11時)
小倉さんのお話を伺いながら民族学者の宮本常一の言葉を思い出しました。
「人が歩いた後を歩いてもやることは必ずある」

浜美枝のいつかあなたと ~ 笹公人さん

『浜 美枝のいつかあなたと』 文化放送(日曜10:30~11:00)
1月1日・元旦に放送した番組のお客様は短歌作者・笹公人さんです。
笹公人さんは1975年、東京のお生まれ。
高校生の頃から短歌の創作を始められ、2003年に初めての歌集『念力家族』を発表。斬新な内容で注目を集めました。これまで書かれた本には歌集『叙情の奇妙な冒険』、イラストレーターの和田誠さんとの「連句」作品集『連句遊戯』などがあります。
まったく短歌には疎い私ですが、笹さんからお話を伺っていると日本人のDNAには『短歌』の感覚が誰にでもある・・・と思わせてくれます。
日本人のお正月と短歌は昔から深い関係がありますよね。
上の句を聞いて、下の句をとる「百人一首」。
子供の頃を思い出します。
「百人一首」はなぜお正月に遊ぶかも伺いました。
百人一首は鎌倉時代の藤原定家が私撰したもの。
木版技術が発達した江戸時代に庶民に広がり「遊び」として定着し、お正月の遊びとして親しまれたそうです。
宮中の「歌会始」も鎌倉時代中期にはすでに記録があるとか。
日本人は恋愛、戦(いくさ)、亡き人への回顧、そのほかさまざまな「思い」を短歌に託してきました。
笹さんに百人一首の中でお好きな短歌をご紹介していただきました。
『これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関』(蝉丸)
『人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける』(紀貫之)
またご自身の歌もご披露してくださいました。
『鳥占の鳥を逃した老師いてきらめく正月の中華街』
『春雨に濡れながらゆく青年もとりもどせない景色のひとつ』(原発事故)
お正月はこのように歌が詠めたら素晴らしいですね。
そこで、今回ご一緒してくださっている寺島尚正アナウンサーが詠んでくださました!
『末吉の末の横棒書き換えて 未来の吉と思い込む僕』
なかなか素敵ですよね。
私?・・・う~ん。
来年にはご紹介できるよう勉強いたします。

つなみ

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」(放送は日曜10時半~11時)
お客さまに、ジャーナリストの森健さんをお迎えいたしました。
現在、「文藝春秋・臨時増刊号」として発売されている一冊の本。
タイトルは「つなみ」
森健さんは1968年、東京のお生まれ。
早稲田大学法学部に在学中からライターの活動をはじめられ、卒業後は「文藝春秋」、「週刊文春」などの媒体で多くのルポルタージュ記事を随筆されてきました。
今年おきた東日本大震災に関しては早くから取材をはじめられ、現在は森さんが企画・取材・構成された子供たちの作文集「つなみ」が発売中です。
これは、森さんが宮城県の石巻市、気仙沼市、岩手県の釜石市、陸前高田市などを訪れ、地震と津波の被害にあった子供たちに作文、あるいは絵を書いてもらい、一冊にまとめたものです。
私はこの本を電車の中で読み始めました。
涙が止まりませんでした。
そして、「子供に辛い思い、いやな記憶を思い出させたのではないか・・・」
との心配もいたしました。
でも違っていました。
子供たち一人ひとりが、真正面から震災や津波に向き合っているのです。ある意味、子供たちのほうが大人たちよりも「心が強い」(立ち直ろうとしている)部分が感じとれました。
番組ではその作文を寺島アナウンサーが紹介してくださいます。
三陸海岸は、明治29年や昭和8年にも大津波に襲われています。ご本を拝見すると、年長者の知恵(津波の予知)で助かった子供たちも多かったことがわかります。
本書は、活字もありますが、原稿用紙をそのまま撮影しているページもあります。その鉛筆の質感から子供たちの息づかいが伝わってきます。
森さんはおっしゃいます
「多くの子供たちが感謝しているのですよ、お世話になった多くの方々に」
家族を失っても元気に遊んでいる子もいます。
元気を装っている部分もあるでしょう。
でも、子供たちには「未来」があるのが救いです。
そして楽しいことを発見するのが子供たち。
この子供たちに私たち大人は何ができるでしょうか。
「つなみ」手にとってください。
そして放送をお聴きください。(10月2日放送)

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男も更年期で老化する

文化放送 「浜 美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時)
お客様に、精神科医の和田秀樹さんにお越しいただきました。
和田秀樹さんは1960年、大阪のお生まれ。
東京大学医学部を卒業後、東京大学付属病院の勤務などを経て現在「和田秀樹こころと体のクリニック」の院長をされています。
高齢者のメンタルをケアする「老年精神医学」の専門家として長年研究をされ、現在「更年期」に関する著書『男も更年期で老化する (小学館101新書)』が小学館から発売中です。
正直言って女性の私には「男の更年期」はまったくわかりません。しかし、御著書を拝読すると、「これはむしろ女性もきちんと認識しておくべき」だと思いました。パートナーや仕事場での上司、そして男性自身も。「更年期」という言葉は医学用語として、現在、かなり浸透していますが、それは女性に使われる場合がほとんどです。
和田先生は番組の中で
☆男性も「更年期」に要注意!「更年期の過ごし方」がその後の暮らし方を左右されると仰います。
男性ホルモンの減少
セロトニンなどの体内物質の減少
前頭葉の萎縮(考え、感情の老化)
様々な現象がでてくるそうです。もちろん個人差は大きいです。
番組では、
心がけたい食事
硬直化しがちな感情のコントロール
性のありかた

など率直かつ専門的に語っていただきました。
やはり、お互い男女とも精神的には、「自由」でいつまでも若々しくありたいですね。
詳しくは番組をお聴きいただき、本をお読みください。
本の中には《男性更年期》度チェック・シートも載っています。
(放送9月18日)


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