復興グルメ旅

東日本大震災によって被害を受けた街が、再び立ち上がろうとしています。
がれきの中でいち早く灯りがともったのは、飲食店でした。
「自分たちが営業を再開しなければ復興はならない」と、店主たちは口々に言います。今では、仮設商店街で地域の特産品をいかした料理を出品する「復興グルメ」の大会が開かれるなど、定着してきました。
被災地に行ってみたいけども、ボランティアはハードルが高い。
物見遊山で行っては迷惑がかかるのでは・・・と心配する方も、こうしたお店に足を運んでみてはいかがでしょうか。
(復興グルメ取材班)
この度、震災から立ち上がった東北のおいしいお店を数多く紹介している本「復興グルメ旅」(日経BP)をまとめた本が出版されました。
編集者のお一人、竹内康郎さんにラジオのゲストとしてスタジオにお越しいただきました。
竹内さんは、1975年、東京生まれ。
1998年、東京大学、理学部・物理学科を卒業後、日経BP社に入社。
これまで担当した主な本に、コピーライターの糸井重里さんが監修した翻訳本『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』、解剖学者の養老孟司さんと建築家の隈研吾さんによる『日本人はどう住まうべきか?』などがあります。
竹内さんを中心に、復興グルメ取材班が東北の被災地、50店舗を取材して、まとめた本です。お寿司、とんかつ、ラーメン、中華・・・どのお店も行ってみたいところばかり!
1回の取材で2~3泊。10店強は回るそうです。
1日に4、5食食べる日が続くのですが、お店の女将さんから「よくきたね。これも食べていきなさい」といわれるとなぜか、スルスルとお腹に入ってしまうのですよ(笑)とおっしゃる竹内さん。
リサーチは、クチコミ。
皆さん、明るく前向き。多くの方が
「うちがお店を再開しないと、復興はならない」
「代々受け継いできた味を自分たちの代で終わらせるわけにはいかない」
「とにかく来て下さい。それだけで町の人たちは元気になりますから」・・・と。
一方、お店を再開できなかった方も大勢いらっしゃいます。
復興グルメの取材は、今も継続中です。
この夏休み、こんなグルメの旅もいいですね。
放送は (文化放送・日曜10時半~11時) 7月21日放送です。

腸の不思議

皆さま、私たちの体の腸について、じっくり考えたことってありますか。
私たちの健康に、腸が大切な役割を果たしていることは何となく知ってはいましたが、大変興味深い本「からだの中の外界 腸のふしぎ」(講談社)を読んで驚くことばかり。
著者の上野川修一先生を文化放送「浜美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時)にお招きし貴重なお話を伺いました。
上野川修一(かみのかわ)さんは、東京大学名誉教授で農学博士。
1942年、東京生まれ。
2003年までは東京大学大学院で教鞭をとりました。
食物アレルギーや腸管免疫のしくみ、腸内細菌のからだへの影響などの研究に従事し、数々の役職を歴任しておられます。
正直、本を読んだところ半分も理解できなかったのですが、スタジオでお話を伺っていると「う~ん、なるほど、なるほど」と実に分かりやすく解説してくださいましたし、役立つお話がいっぱい。
まず『からだの中の外界(がいかい)、内なる外、それが腸!』なのですよね。
当たり前といえばあたりまえですが、余り意識をしておりませんでした、私。
“世界中の生命科学者たちが今、「腸」に注目している”と書かれています。
つまり「腸の時代」がはじまったわけです。
腸は「食」を「命」に変える働きをし、栄養分から細胞を作り、エネルギーとなる物質に変えるわけです。そして、「いのち」を守る働き。病原菌の感染や拡大を防いでくれています。
小腸の全長は5~6メートルもあり、何と! 私たちが体内に取り入れる食べものは年間1トンもあるのだそうです。
それを消化・吸収して、絶えず病原菌にもさらされている腸は、他の臓器にはない、重要な役割を果たしているのですね。
「今日はつかれたから、休もう」ということなく、毎日、黙々と仕事をしてくれます。
腸は別名「第二の脳」ともいうのだそうです。
「あ~満腹・満腹」というのも脳に伝えるのは腸から。腸は脳から独立し、完全に自立し、自らをコントロールしているのだそうです。
日本人は長い間、海草を食べてきたので腸内細菌も独特の進化を遂げているそうです。その、腸もストレスによる問題もある・・・とスタジオでお話を先生に伺っていると、思わず自分の腸の辺りに手をやり「ごめん・ごめん・いつも気にせず当たり前のように思っていた腸に感謝」とつぶやいてしまいました。
文章ではなかなかニュアンスは伝えられません。
ぜひ、ラジオをお聴きください。
放送は5月12日 10時半~11時までです。

一途一心、命をつなぐ

天皇陛下の執刀医・天野篤さんが「一途一心、命をつなぐ」(飛鳥新社)を
上梓されました。
文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時)にお招きしお話をお伺いいたしました。
心臓外科医として30年。これまでに手掛けた手術は6000例を超える天野さん。去年2月18日には、天皇陛下の心臓バイパス手術を執刀し、その名が全国に広まりました。
そんな天野さんですが、『挫折から始まった』とおっしゃいます。
天野さんは、1955年、埼玉県蓮田市のお生まれ。
日本大学医学部を卒業後、関東逓信病院(現NTT東日本関東病院)で研修を行なった後、鴨川市の亀田総合病院、松戸市の新東京病院などの民間病院で、20年近く勤務。
昭和大学横浜市北部病院・循環器センター長・教授を経て
2002年から、順天堂大学医学部の教授です。
スタジオに現れた天野先生は穏やかな笑みをうかべ、
ダンディーで素敵な方です。
3浪目で心から医師になりたいと思われたそうです。
挫折もいくつか経験し、最も大きな挫折は、心臓外科を志す動機であり、
支えであったお父様をご自分の判断ミスもあって失ったことだそうです。
お父様は、3回目の手術で亡くなってしまいます。66歳の時。
天野さんは、すでに心臓外科医になり、手術には立ち会ったそうです。
トラブル続きの手術。”今なら絶対に助けられた”・・・と。
2011年3月11日、午後2時46分。
東日本大震災が起こったときも、手術をしていました。
手術室は大きな横揺れに見舞われ手術機器がずれ動き、血液は波打ち、
皆で必死に体を押さえ、中断するわけにはいきません。
なんとしても手術を続けなければなりません。
「お前ら死んでも、この患者さんは助けるからな!持ち場をはなれるなよ」
そんな言葉が口をついて出たそうです。
「患者さんの命は今、自分の手の中にある
心臓を止めたままで終わらせることはできない。
預かった命はちゃんと元気にして戻さなくてならない。
前身全霊を傾けて命を守る義務がある」
そんな思いで手術を無事に終え、
「大丈夫ですよ、きちんと乗り切りました」と家族に告げると、
涙を流して喜んだそうです。
人の役に立つことができる”手術という力”を持てたことを心から感謝している・・・ともおっしゃいます。
手術をするだけが外科医ではない・・・とも。
小学生の頃はプラモデル作りに熱中。家庭科は5。
手先はとても器用だったそうです、子どものころから。
日本中が注目した手術。
2月18日、東大病院において東大と順天堂大学の合同チームによって
天皇陛下の冠動脈バイパス手術が行なわれました。
結果は、皆さまもニュースでご覧になったでしょう。
“いつも通りにしっかりやれば、絶対に何も起こらない。心配しなくていい。”
お仲間と前夜はイタリアンに行き、リラックスして手術に臨んだそうです。
“いつも通り”
これが難しいのですよね。
ここまでがんばってこられたのは、好きなことをやっているから、好きだから、とことんがんばれる。諦めずに、目標に向かって進んでいける。
やっぱり大切なのは「愛」
「この人のために少しでもいいことをしてあげよう」
「がんばっているから、できるだけ力になってあげよう」
相手に対するおもいやり。
「愛」があれば、普段はできないようなことができたり、難しい局面を乗り越えるパワーが生まれるわけです・・・と。
そして、「天皇陛下の執刀医」と呼ばれることについて、「光栄なことですが、脱皮しないといけないと思っています。これまで以上に、一心臓外科医としての道を極め、努力し、得がたい機会の恩返しがしたい」とおっしゃいます。
スタジオを出、通路までお見送りすると「浜さん、僕はお正月は真っ暗な中、家内と一緒に箱根神社に初詣に行くんですよ」と笑顔でお話くださいました。
後姿がとても清々しく、とてもチャーミングな天野先生でした。
「先生、患者さんのために、これからも頑張ってください」・・・と心の中でお願いしました。
4月28日と5月5日、2週にわたり放送いたします。
ぜひ、お聴きください。

幻の楽器 ヴィオラ・アルタ物語

帯にはワーグナーに愛されながら、「消された」楽器の秘密。
と書かれています。
え・・・ヴィオラ・アルタってどんな楽器なの?
ヴィオラとは違うの?
早春の箱根の山で「謎解きの旅」にでました。いっきに読み終えました。
たちどころに、ヴィオラ・アルタの音色が響き、身体中が感動の渦の中にいる自分に気がつきます。
「謎解き」ですから多くは語りません。ただ、どうしてもその音色を聴きたく、ラジオのゲストにお招きしお話を伺いました。
ヴィオラ・アルタ奏者の平野真敏さん。
平野さんは、1967年、福岡県生まれ。
東京藝術大学・音楽学部・器楽科およびドイツ・デトモルト音楽院ドルトムント校を卒業。この度、「幻の楽器 ヴィオラ・アルタ物語 (集英社新書)」を上梓されました。
2003年のある日、渋谷の楽器店を訪れたことからはじまります。
「お母さん、こんなに小さなチェロがあるよ」
と小学校低学年の男の子が、古いショーケースを覗きこみ言います。
元々は、ヴィオラ奏者だった平野さん。
10年前のある日、その見慣れない楽器に出会いました。
平野さんは、その後、どうしてこの楽器が音楽史の表舞台から消されたのかを知るため、ヨーロッパに向かいます。
ここから壮大なドキュメンタリーの幕開けです。
平野さんにはラジオでたっぷり語っていただきました。
そして・・・スタジオにその幻の楽器をお持ちいただき拝見し、その音色も聴かせていただきました。
ぜひ、ラジオをお聴きください。
その謎と音色をお楽しみください。
ひと言だけ・・・秘密は、その響きはある楽器の音色にそっくりだったのです。
放送は文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」3月31日、日曜日
10時半から11時です。

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『昆布と日本人』

私たちの暮らしに欠かせない”昆布”
昔から日本人の食文化に欠かせない、昆布。
春・この季節では、やわらかく煮える昆布と筍、または豚肉とあわせて煮る昆布など等。沖縄の人は本当に良く昆布を召し上がりますね、国際通りの公設市場に行くと昆布が山盛りに売られていますもの。私も大好きです。
文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時)のゲストに
昆布と日本人」を上梓された奥井海生堂4代目・奥井隆さんをゲストにお招きいたしました。
ちょうど収録の前日、若狭周辺を小浜から敦賀に向かっておりましたので、お店に伺い、また工場で「蔵囲(くらがこい)昆布」を見せていただきました。

奥井さんは1948年生まれ。
立教大学経済部を卒業後、奥井海生堂に入社。
奥井海生堂は、曹洞宗の大本山・永平寺、横浜の総持寺ご用達の「御昆布司」を勤め、京都や全国の有名料亭などに高級昆布を納めています。
私が伺った時に見せていただいた専用昆布蔵で数年間寝かされ蔵囲いの中で熟成し、夏の浜で太陽による自然乾燥をうけた昆布が静かにときを待っていました。温度と湿度の管理が大変なようです。
昆布の歴史は古く、1200年以上前には蝦夷地(今の北海道)から奈良の都に、昆布は運ばれていたそうです。
江戸時代の中ごろから明治にかけて、北前船で日本海から京都、大阪、薩摩、琉球を経て、清(中国)へ。昆布ロードがあったのですね。
今、世界中から和食が注目を浴びています。
(世界無形文化遺産に登録を申請しました)
とくにフランス人のシェフが「昆布」に注目し、「昆布巻きのコクはチーズに似ている」との話も伺いました。ワインとの共通点もあり、和とフレンチのマリアージュもあるかも知れませんね。
とにかく「昆布は奥が深い」です。
ぜひ、ラジオをお聴きください。
放送は3月17日です。
今夜は白身魚を昆布で〆てみようかしら・・・。


浜美枝のいつかあなたと~一志治夫さん

鎮守の森で津波を防ぐ
  4000万本の木を植えた男、84歳
宮脇昭先生にお会いしたのは、10年ほど前でしょうか。
森づくりの熱い思いを語ってくださいました。
照葉樹林域で日本の森を回復したい!と。
ノンフィクション作家、一志治夫さんのご著書を読み宮脇先生の業績、想いがよく分かりました。ラジオのゲストにお招きし、じっくり語っていただきました。
一志さんは1956年、長野県松本市生まれ。
1994年、当時サッカー日本代表だった都並敏史さんを描いた
狂気の左サイドバック」で第1回小学館ノンフィクション大賞を受賞。
たったひとりのワールドカップ―三浦知良、1700日の闘い
小沢征爾サイトウ・キネン・オーケストラ欧州を行く
など数々の作品があります。
この度、4000万本の木を植えている植物学者・宮脇昭さんを描いた
宮脇昭、果てなき闘い 魂の森を行け─新版─』(集英社インターナショナル)
を上梓。
これまで、その道の第一人者をはじめ、高い志で仕事に邁進する人物を取材してきた一志さん。
宮脇さんは麦わら帽子をかぶり「とことん現場の人」です。
「目で見、匂いを嗅ぎ、なめて、触って調べろ」と書かれています。
横浜国立大学から本場ドイツへの留学。
「日本植生誌」を完成させ、環境保全林へと向かいます。
以前お目にかかった時も
「浜さん、このままでは鎮守の森が消えていってしまいますよ」と語られました。
宮脇さんの願いは、失われていった照葉樹林(タブノキ、シイノキ、カシノキ)など高木がある森を少しでも回復させたいのだと一志さんはおっしゃいます。
本物とは厳しい環境に耐えて長持ちするもの。
人間が本当の英知を持っているなら、その欲望の極限より、少し手前でおしとどめるべきである・・・など宮脇さんから聞いたそうです。
『環境問題はひとつのことでは解決しない。みんなが少しずつ我慢する、それしかない』
「東日本大震災復興構想会議」で「森の防潮提」構想を立ち上げます。
様々な困難の末です。高木は5、60メートルもあります。スギ、マツ、ヒノキ、カラマツなど植林がはじまり、日本の山林は大きく変化しきたわけです。
「いま処理に困っている瓦礫を土台に入れて、その上に土地本来の樹木で森をつくる。もし、そんな防潮林提があったらなら、かなりの命も流されないですんだはずだ。いまからでもそれをやるべきだろう」と本の中で宮脇さんは語っています。
そうですよね。
瓦礫・・・とひと言ではかたずけられません。
家財道具であり、一つひとつに深い想いがこもっているのですから。
財団「瓦礫を活かす森の長城プロジェクト」は2012年5月25日、正式に発足しました。
一志さんの本の最後に
『宮脇昭はいま、命を賭(と)して、最後の闘いを継続している。』と。
詳しくはぜひ放送をお聴きください。
文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時)
1月27日放送です。

新幹線お掃除の天使たち

来週末からは本格的な帰省ラッシュが始まりますね。
皆さんの中にも新幹線を使って、故郷へ帰る方も多いのではないでしょうか。
私は旅が多いのでよく新幹線を使います。
この3、4年、北に行く際にとても気になる光景を目にいたします。
新幹線の車両清掃している方々です。
特に女性たちの手際のよいこと。それだけではありません。
新幹線が到着すると、整列してビシッと一礼する姿。
なによりも真心がこもっているのです。
こんなことが今年の初秋の頃にありました。
盛岡に行くため、階段を上り新幹線の乗る車両をめがけて歩き始めていたのですが、階段を上りきった所に白い杖をつき、あたりをうろうろしている70代後半らしき男性がいらっしゃいました。
とっさに、あ、号車がおわかりにならないのだわ、と思ったのですが、出発時間になっていたので、私はそのまま乗車してしまいました。窓から心配で見ていたら、清掃の女性が何か話しかけ、切符を確認してから肩をかし歩き始めました。「あ、申し訳ないことをしたわ。それにして何て機敏な行動なのかしら。」と思ったのです。
震災後は「がんばるぞ!ニッポン」のネームプレートを胸につけ
けっして「がんばろう!ニッポン」ではないのですね。
春は桜の小枝、夏季はハイビスカスの花、鯉のぼり・・・と目を楽しませてくれます。
ホームの下に目をやれば、地下をキビキビと足早に歩く姿。
この方々はどのような教育を受け、こうして活き活きと誇りをもって仕事をしているのかしら。気になっておりました。
そこで、出会ったのが「新幹線お掃除の天使たち
「世界一の現場力」はどう生まれたか?
世界最速の「魅せる清掃」!
世界最強の「チームワーク」!
停車中のたった7分間で新幹線をピカピカにする”テッセイ”が各国メディアから大絶賛・・・と帯に書かれています。
さっそく文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時)に著者の遠藤功さんをスタジオにお招きいたしました。
遠藤さんは1956年、東京生まれ。
早稲田大学商学部を卒業後、三菱電機に入社し、その後、経営コンサルタントの道に進みます。現在、早稲田大学での教職に加え、ヨーロッパ最大の戦略コンサルティング会社ローランド・ベルガーの日本法人会長としてのお仕事もなさっておられます。著書も数多く、
現場力を鍛える 「強い現場」をつくる7つの条件
未来のスケッチ 経営で大切なことは旭山動物園にぜんぶある
などがあります。
ご本の中には、新幹線の清掃スタッフが紡ぎ出す、心温まるエピソードがたくさん。遠藤さんは何よりも「現場力」を大事になさいます。JR東日本の清掃スタッフの想像を超える仕事ぶり、魅せる清掃、責任感、プロ意識。
これらは一朝一夕にできるものではありません。
女性の包み込むような優しさが大きな戦力になっています。
会社はJR東日本のグループ会社、鉄道整備会社(通称テッセイ)
そこには真心のこもった、日本人の「おもてなし」の心がみえてきます。
どんな仕事にも、情熱と誇りをもつことの大切さを教えてくれます。
日本人の「礼に始まり、礼に終わる」文化も学びます。
ぜひラジオをお聴きください。
12月23日放送です。

12月25日の怪物

謎に満ちた「サンタクロース」の実像を追いかけて旅した探検家・高橋大輔さんを文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時)にお招き致しました。
街中がクリスマスムード一色になるこの季節。
私も4人の子供が幼いとき「サンタさんって本当にいるの?エントツがないのに来てくれるの?」など、質問攻めにあったことを思いだします。
その主役、サンタクロースがなぜ12月25日にやってくるのか。
その謎を解き明かすために世界各地へ3年間に4度にわたって旅に出た高橋さん。
高橋さんは1966年、秋田市生まれ。
現在も秋田に住まわれています。
「物語を旅する」をテーマに、世界各地に伝わる神話や伝説の背景を探るべく、旅を重ねています。2005年、アメリカのナショナル・ジオグラフィック協会から支援を受け、小説ロビンソン・クルーソーのモデルとなった人物の住居跡を発見。世界的なニュースになりました。
著書に「ロビンソン・クルーソーを探して」、「浦島太郎はどこへいったか」などがあります。
誰しもが子どもの頃から「サンタさん」には憧れを抱きますよね。
でも、その実像はなかなか分かりません。
「いる」「いない」あるいは「本当か」「嘘か」と想像を膨らませてみることはあっても「いた」と過去の人物として考えたことはなかったそうです。
ロンドンの書店街で、グリーンランドの地図を探していた時に、サンタクロースの地図を偶然見つけたところから旅の始まりです。
多くのアメリカ人は19世紀の風刺画家、トーマス・ナストが描いたイラストに強い印象を受けて北極点だと考えていたらしい。フィンランドの人々はサンタの生活はトナカイと無縁でないと信じ、人里離れたラップランドの山中だと主張している。
たとえ架空の存在であっても、何がしかの種があるのではないか・・・
伝説の背景を訪ねての旅がはじまるわけです。
いいな~・・・こういう旅って。
紀元三~四世紀、現在のトルコ領に聖ニコラウスというキリスト教の司祭が住んでいて彼こそが実在のサンタクロースだというのです。遺骨はイタリアに。その後、信仰と祭りという視点から、旅はオランダへ。
そして、高橋さんはアメリカへ。
サンタクロースの追跡の旅は、ダイナミックな展開を見せ、フィンランド、オーストリアへと続きます。そして・・・・「秋田」にまで繋がるのです。
面白い、民俗的な解釈です。
お話をうかがっているとワクワクしてきます。
ぜひ、放送を聴いてください(12月16日、明後日の放送です)
そして、本を読んで「サンタクロース」の世界を旅してください。

ウナギの話

大変興味深いお話を伺いました。
古代ギリシャの哲学者・アリストテレスの時代から2400年もの間、人類が誰も見ることことの出来なかった”天然ウナギの卵”を、3年前の夏、ついに発見!ウナギの産卵や生態の謎が解明された瞬間でもありました。
とにかく「神秘の世界」です。
文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時)
ゲストに40年に渡り、太平洋でウナギを追い続けた東京大学大気海洋研究所・教授、塚本勝巳さんをスタジオにお招きいたしました。
独自の仮説に基づき、2009年夏、北太平洋・西マリアナ海嶺南端部、海山域で世界で初めて天然ウナギの卵を採ることに成功なさいました。また産卵場所も特定しました。
「世界で一番詳しいウナギの話」(飛鳥新社ポピュラーサイエンス)が好評発売中です。世界のウナギ博士のお話は、ただただ興味深く知らないことばかり。
「うぁぁ、きた、きたぁ~!これは間違いなく来たよォ~!」
そう、心の中で叫んだそうです。
塚本さんは1948年、岡山県生まれ。
農学博士で、専門は海洋生物学、魚類生態学です。
最初は魚類の回遊現象、「なぜ魚は回遊するか」を考えているうちにウナギにたどりついたそうです。
人間以外の動物は、それほどの知能も情報も持っておらず、その時々の気分、あるいは感覚で移動するそうで、動物の移動は目的のない「旅」。
なぜ旅をするのか・・・
ウナギの嗅覚の良さは定評があり、魚ではウナギは犬並みの優れた嗅覚を誇っているそうなんですが、先生はどうしてそんな事が分かったのでしょうか。
ウナギは生まれた海の匂いを記憶していて「ここが約束の場所だ」と感じて長旅に終止符をうち、その時を待つのでしょう」とおっしゃいますが・・・それにしても不思議・不思議!あの広い海で、ウナギが卵を産み採取なさったなんて、お話を伺っていても、良く分かりません、私には。
何しろ世界のウナギ消費量の約7割は日本人が占めているのですから、この問題は重大です。私たちの食生活にはウナギ文化は欠かせません!
詳しくはぜひラジオをお聴きください。
(放送は10月28日と11月11日の2回です)

スパイシー丸山さん

残暑お見舞い申し上げます。
暦の上では立秋だというのが信じられないほど都心では猛暑日が続いておりますが、皆さまいかがおすごしでしょうか。
夏バテはなさっていませんか。
食欲はございますか。
そんな暑い日、元気になれる方をラジオのゲストにお招きいたしました。
文化放送「浜 美枝のいつかあなたと(日曜10時半~11時)
今回のゲストはカレー研究家のスパイシー丸山さんです。
丸山さんは1974年生まれ。北海道のご出身です。
普段は、本名の丸山周さんとしてラジオやテレビ番組、イベントのパーソナリティーとしてご活躍されていますが、趣味のカレー好きが高じて、カレー研究家としての活動もなさっています。

スタジオにはターメリック・クミン・コリアンダー・赤とうがらしなど等、たくさんの香辛料をお持ちくださいました。
このラジオは毎回収録なのですが、1回目の方は11時から。
その香辛料の香りで私のお腹はグーグーと・・・・。
やはりカレーは夏バテ予防にはぴったり!
ターパンをまいたスパイシーさんはカレーの歴史にも詳しく、知らないことばかり。これまで1000軒以上のカレーを召し上がっておられるとか。
一般的に日本のカレーと云われているのは北インドのカレーで、小麦粉で作られたナン(主食)に合うカレーだそうです。一方、南インドの主食は米でスープのようなカレーだとか。
私は10代から10年間くらいインド通いをいたしましたが、ほとんどが北インドでした。毎日3食カレーでもまったく飽きませんでした。インドの人参ってとても美味しいのです。マーケットに行き、人参を買い、生のままかじっていました。野菜カレーがほとんどでしたが、チキンカレーも大好きです。
先日、我が家のランチは「タイ風チキンカレー」。
鶏もも肉をターメリックやカルダモンパウダーで下味をつけ、夏野菜(なす・トマト・オクラ・パブリカなど)を入れてココナッツミルクをたっぷり入れてコクのあるカレーでした。
食欲のないときにカレーはいいですよね。
スパイシー丸山さんのスパイシーな日々のお話をラジオでお聴きください。
(8月12日放送)
猛暑日がまだ続きます。
皆さま、御自愛くださいませ。