ラジオに魅せられて

16歳で女優としてこの世界に入ってから今まで、ワイドショーや美術番組のキャスター、農漁村の女性たちとの活動など、様々なジャンルの仕事にも挑戦してまいりました。

そのすべてがチャンスであり、かけがえのない時間を過ごすことができたと、感謝の気持ちでいっぱいです。もちろん楽しいことばかりではありませんでしたが、ひとつひとつの仕事を通して自分を磨き、一歩一歩、成長を重ねてきたと感じています。

何より嬉しいのは、年齢を重ねた今も、ラジオのパーソナリティを続けさせていただいていることです。テレビでも映画でもなく、ラジオだということに、運命のようなものを感じずにはいられません。

といいますのも、ラジオは私にとって、もっとも自分らしくいられるメディアであると同時に、常に豊かな可能性を感じさせてくれるメディアでもあるからです。

そんなラジオの魅力に気づかせてくださったのは、女性プロデューサー・金森千栄子さんでした。

金森さんは当時、北陸放送(金沢市)の『日本列島ここが真ん中』(1974年7月~1998年10月)という番組を作られていました。新幹線が通るはるか前の時代、永六輔さんや黒柳徹子さん、宮城まり子さん、中村メイコさん、大山のぶ代さん、淡谷のり子さん、荒井由実さん時代のユーミンなどそうそうたる人たちが、東京から金沢まで手弁当で駆け付けたという伝説の番組でした。

「浜さん、よろしくおねがいします。自由に話してくださいね」と、金森さんからマイクを持たされ、ラジオカーに乗って出かけたときの、ちょっと不安な気持ちを忘れることができません。約3時間の生放送、台本もなく、どこに行くかさえ知らされませんでした。

田んぼが一面に広がるただ中で、車は止まりました。パーン、パーン。乾いた気持ちのいい音が大きく広がる空に響いていました。田んぼの向こうで干した畳を叩いていたんです。

「金沢の皆さん、この音、なんだかわかりますか?」

これが私の初ラジオ生放送の第一声でした。

そして出会ったのが田んぼのあぜに立っていたおじいさん。私がそばに行くと、おじいさんは「あ、来た来た。じゃが、わしゃ、何も話さんぞ」とにやりと笑い、近くに植えてあったネギ坊主を二つむしって耳に詰めてしまいました。

こちらが何を質問してもおじいさんは黙って、顔をふるだけ。この番組のことをよくご存じだからこそ、こんな風に私をからかって、私の出方を見ていらしたのだろうと思います。

万策つきた私は、ついにおじいさんの様子を実況することにしました。必死でした。私のレポートにおじいさんの頬がほころび、最後は私の目を見てうなずいてくれました。

ラジオでは、言葉と、言葉にこめた気持ちで、みずみずしい生のコミュニケーションを生み出すことができる。自由度が高いので自分らしさも表現することができる。けれど声だけだからこそ、自身の人間性や人間としての厚みも問われる。そう教えていただいた気がしました。

以来、お誘いがあれば時間を作り、番組にゲスト出演させていただきました。

金沢市郊外にある大乗寺に連れて行っていただいたこともありました。たどり着いた時には日が暮れはじめていて、寺の中も真っ暗。けれど、その中にちらちらと光るものが見え、私の心が躍り始めました。蛍だったのです。蛍の光に誘われ、寺を抜けると……そこには、ほの明るい庭が広がっていました。宵の透明な空の色、草の匂い、群れ飛ぶ蛍。まるで小さな旅をしたような、そんな心に残る体験でした。

ある番組で、淡谷のり子さんとご一緒したときに、たまたま『日本列島ここが真ん中』の話になったこともありました。

「あんた。聞いてよ。わたし、姥捨て山に捨てられたんだから。草ぼうぼうなの。な~んにもない海辺に、金森さん、本当にわたしを捨てて行っちゃった」

春風が吹く海辺でマイクを渡され、30分ほどひとりぼっちにされたのだとか。でもそれを話す淡谷さんの表情は笑みを含み、とても柔らかでした。そして淡谷さんはこういいました。

「わたし、あれで、息をふきかえしたわよ」

淡谷さんの独り言のようなリポートを私も聞いてみたかったと切に思いました。ライブで聞いていたリスナーは、どんな思いでラジオに耳を傾けていたのでしょう。

マイクを握り、自分と対峙することで、心を整理し、新鮮な気持ちを思い出す。リスナーはそれを追体験して、やはり新たな自分に出会う……ラジオにはこうした可能性もあるのかもしれません。

私がパーソナリティをつとめている文化放送『浜美枝のいつかあなたと』は2001年4月から始まりました。以来、「相棒」の寺島尚正アナウンサーとともに、リビングルームにお迎えするような気持ちでゲストのお話を伺っています。

これまでに本当に大勢の皆さんにご出演いただきました。有名無名を問わずその道に精通した方ばかりですので、収録前には資料や本を読みこみ、本番ではゲストの本音を引き出すように心がけ、その話の面白さと深さに驚いたり、ときには共に笑ったりしながら、たくさんのことを学ばせていただいています。

「浜美枝の良い食とともに」コーナーでは、日本の農業、日本の食を支えている方々の強い意欲と志を、一人でも多くの方に知っていただきたいと願いつつ、全国各地の農業従事者に、農業や食育の取り組みなどお話を伺っています。

そして私の楽しみといえば、みなさまの感想が綴られたお葉書やメールに目を通すこと。お会いできなくても、リスナーと、心の大切なところでつながっていると、力をいただいています。

この番組は26年目を迎えました。

人の思いやその人生までもすくいあげ、丁寧に伝えていくことができる、私の原点ともいえるラジオに今も携われていることが、本当にありがたく、ちょっぴり誇りに思っています。

『浜美枝のいつかあなたと』の放送は日曜日の朝9時半から30分間。
聞き逃したときにはRadikoでもお楽しみいただけます。

http://www.joqr.co.jp/hama/

寺島尚正アナウンサーと文化放送スタジオにて

寺島尚正アナウンサーと文化放送スタジオにて

メルケル~世界一の宰相

ウクライナの先行きが見通せず、世の中が憂鬱な気分になりがちな今、読んでよかったという本に出合いました。

知人が送ってくださった、「メルケル世界一の宰相」(文藝春秋社刊)。16年も続いたドイツの首相の座を昨年退いたメルケルさんの評伝です。  

今から68年前、当時分断されていた西ドイツのハンブルグで教会の牧師の娘として生まれたアンゲラ・メルケルさんは、父親の”転勤”で東ドイツへ引越します。父は社会主義国で布教活動をするために、進んで”敵地”へ向ったのです。

学生時代のメルケルさんは社会主義とは距離を置きながら、懸命に勉強を続けたようです。大学では物理学を専攻し、科学アカデミーで専門職に就き、博士号まで取得した極めて優秀な研究者でした。

しかし彼女が35歳の時、ベルリンの壁が突然崩壊したのです。メルケルさんは直ちに”西”へ移りました。暗く澱んだそれまでの社会や環境から飛び出し、自由を求めて羽ばたいたのです。理科系の研究職に別れを告げ、政治の道へ大きく舵を切りました。  

しかし、自ら求めた世界とはいえ、それからの道は”いばら”だらけでした。統一されたドイツには、メルケルさんにとって”三重の足枷”が待ち受けていたのです。それは、「東独出身者、理系、女性」でした。それらとどう向き合い、そして歩んでいったのか?この本のかなりの部分は、メルケルさんの”足枷”との闘いの記録でもあります。

しかし、その姿は決して大声を出すものではなく、派手なパフォーマンスに彩られたものでもなかったのです。   彼女が知力・体力を駆使して向き合ったプーチン大統領、習近平主席そしてトランプ前大統領・・・。彼らと対話を繰り返したメルケルさんの冷静で論理的、かつ腹の座った姿勢が目に浮かびます。  

この本のハードカバーには、興味深い写真がプリントされています。4年前にカナダで開かれたG7サミットの席上、首脳宣言のとりまとめをめぐり異議を唱えるトランプ大統領を一人で懸命に説得するメルケルさんです。彼女の面目躍如たる姿です。このシーンをカバーにした編集者のセンスは本当に素晴らしいです。  

著者は旧東欧圏・ハンガリー生まれのカティ・マートンさん。米・ABCニュースの元記者で、彼女の祖父母や両親は亡くなったり拘束されるなど、大変な苦労を経験しているのです。

口の堅いメルケルさんから少しでも心の内を聞きだせたのは、マートンさんの強い意志の反映なのかもしれません。  

メルケルさんに迫ったマートン記者。そして、日本語翻訳者の一人は森嶋マリさんでした。女性の女性による、女性のための本「メルケル」、もちろん男性にもお勧めです。

歴史に”もし”はありませんが、今、メルケルさんが首相をやっていたら?と、つい夢想してしまう読後でした。  

翻訳者の森嶋マリさんにラジオにご出演いただきお話しを伺うことになりました。

文化放送「浜美枝のいつかあなたと」
放送日 6月5日 
日曜日 9時30分~10時

作家「山本一力さん」

文化放送「浜美枝のいつかあなたと」が始まってから、かれこれ20年がたちます。

それ以前はTBSで「浜美枝のいい人みつけた」を15年。私はほんとうにラジオが好きです。いえ、本音を申せば”怖い”です。ラジオは映像がない分”声がすべて”です。

こちらの心もようが全てさらけ出されてしまいます。そして嬉しいことは、お聴きくださるリスナーの方々とはより親密に、近くに居て頂いている手ごたえがあります。だから演ずるという女優を40歳で卒業してからもラジオだけは続けたいと、願っております。

誰にとっても人生は出逢いの連続です。ふと出逢った人に人生の重要なヒントを与えられ、そこから違う生き方が開けてくることもあります。

現在はコロナ禍での収録になりますので、ゲストの方とはリモートでのご出演になります。直接お逢いできなくても目の前にいらっしゃるような感覚です。

今回のお客さまは、直木賞作家 山本一力さんです。

山本さんは1948年高知県のお生まれ。様々な職を経て、1997年、「蒼龍」でオール讀物新人賞を受賞しデビュー。2002年、「あかね空」で直木賞を受賞。

著書も数多く、「ジョン・マン」、「竜馬奔る」などのシリーズのほか、「大人の説教」、「男の背骨」、「旅の作法、人生の極意」といったエッセイも人気です。

ペンネームの「一力」(いちりき)は作家を始めたときに、あと一歩で賞がなかなか取れず奥さまのアドバイスもあり、姓名判断ソフトの中から候補を選び山本姓にあった名前で『山本一力に!』(本名 山本健一)

以前、文化放送が四谷の時代にご出演いただきましたが、その時は奥さまもご一緒に自転車でお越しくださいました。山本一力さんは大変な”自転車愛好家”でいらっしゃいます。

1962年の5月、中学3年生の1学期に高知から上京して、渋谷区富ヶ谷の読売新聞の販売店で住み込みを始めました。

新聞配達区域には外国人居住者も多く、当時NHKの人気番組「ルート66」でアメリカ文化に憧れたそうです。そこで新聞を配達しながら子供たちと仲良くなり必死で英語を学び、アメリカの女性と文通をはじめ、文通開始50周年の2012年、お互いの家族を連れて初めて面会した時のお話しや、コロナ禍の生活が1年半以上も続いているなかで何か楽しみを見つけていらっしゃるのか。

様々な職業を経験されておられるので、仕事との向き合い方、先輩からの教え、また夫婦円満の秘訣、など等たくさん素敵なお話しを伺いました。ぜひ山本さんから直接お聴きいただきたいと思います。放送は2週にわたります。

文化放送 「浜 美枝のいつかあなたと」
日曜日 9時半~10時
8月29日と9月5日 放送

向田邦子さん

今年の8月22日で向田邦子さんが亡くなって40年になります。

向田さんは突然、私たちの前から姿を消してしまいました。昭和56年(1981)取材旅行の台湾で航空機の墜落事故に巻き込まれてしまいました。51歳という若さで。私は向田さんの大ファンでした。小説、エッセイ、そしてテレビドラマの脚本など。もう、40年になるのですね。

テレビドラマ「阿修羅のごとく」(NHK放送)、「あ・うん」など。「阿修羅のごとく」は四姉妹(加藤治子、八千草薫、いしだあゆみ、風吹ジュンさん達が出演)と老父母。父親役は佐分利信さん。誠実な人柄、しかし父親には実は愛人と子供がいた。

当時のホームドラマでは衝撃的な展開を見せるこのドラマのシナリオに私は魅せられてしまいました。何気ない日常の会話の中に、繊細な表現、人間の業、決め細かい感情描写。当時としては斬新的なドラマでした。仕事を終えると私はまっしぐらに帰宅しテレビを見た記憶があります。

先日亡くなられた小林亜星さん演じる「寺内貫太郎一家」は昭和のガンコオヤジが主役で、今までにないホームドラマでしたね。エッセイもとても好きでした。「父の詫び状」(後に単行本になる。文藝春秋)1978年。実父の話がベースになっていて、ユーモアを交えながら日常のひとコマの切り口など”スゴイ人だわ~”と思いました。ノスタルジーではなく”昭和の香り”が感じ取れました。食べることが大好きで料理上手。料理の話しなど随分学ばせていただきました。

小説では「思い出トランプ」で第83回直木賞を受賞されます。と、言うわけで没後40年になる向田邦子さんの文章に触れたくて、エッセイや料理本、小説などを読もうと思っていたら、素敵な、とても素敵な本を見つけました。

『少しぐらいの嘘は大目に・向田邦子の言葉』(新潮文庫)を出された方が碓井広義さん。

向田邦子さんの全作品の中から、碓井さんが「男と女の風景」「家族の風景」などのジャンルに分けて、370余りの名言、名セリフを選ばれました。多くの方々に向田さんの作品が今も読み継がれているのはどうしてか。

知りたくなり碓井広義さんにラジオにリモートでご出演いただきました。素敵なセリフはご一緒している寺島尚正アナウンサーが読んでくださいました。

碓井さんは1955年、長野県のお生まれ。1981年、番組制作プロダクション「テレビマンユニオン」に参加し、以後20年、ドキュメンタリーやドラマの制作に携わり、去年3月まで上智大学文学部新聞学科の教授をお務めでした。

現在はメディア文化評論家です。今回のご本の資料書籍一覧を見るだけでも「脚本」「エッセイ」「小説」「対談集」「アンソロジー」「全集」など等、膨大な資料からまとめられました。

『向田邦子さんの世界』に没入できる本です。

ぜひ、碓井さんから直接お話しをお聞きください。

文化放送「浜美枝のいつかあなたと」 放送日 7月18日
日曜日 9時半~10時

日本人の原風景

素晴らしい本に出会いました。

今、コロナ禍が人と人の営みを分断しています。このような時期に、今一度私たちの暮らしを見つめ直すことも大切なのかも知れませんね。

先祖が長く営んできた暮らし。例えば自然の恵みを受けたり、四季折々の行事など、かつては人びとの暮らしの中に当たり前のようにあった文化や、自然の理にかなった習慣や四季の移ろいによって美しく変化する国の景観や・・・そうしたことの尊さは、人びとの心の拠りどころであったはずなのに知らぬ間に軽んじて、捨て去ってきてしまったようにも思えます。

時代はたえず変化しつづけます。情報化の時代でもあります。しかし、こうしてコロナ禍にあって『普通に暮す幸せ』をもう一度見直し、”美しい日本の暮らし”を考えることも大切なことではないでしょうか。

私は幼い頃にそうしたことを経験した最後の世代です。ならば次世代に引き継いでいく大事な使命を担っているように思います。

そこで、出会ったのが神崎宣武さんの「日本人の原風景」です。

神崎さんは1944年、岡山生まれ。

武蔵野美術大学在学中から、民俗学者・宮本常一に師事し、国内の民俗調査研究に、長年、携わっておられます。

また岡山県の宇佐八幡神社の宮司や「旅の文化研究所」の所長もお務めです。「社(やしろ)をもたない神々」「神主と村の民俗誌」など。

そして今回の「日本人の原風景」です。難しい話しではなく「田植え祭り」はなぜあるのか、神田祭り、浅草の三社祭り、6月には赤坂・日枝神社の山王祭り。都市でのお祭にはどんな願いが込められているのか。

また旅のお話ですと旅が大衆化された江戸時代「一生に一度のお伊勢参り」落語にもある「大山参り」など等。もう一つ、旅といえば、「男はつらいよ」の寅さん。

神崎さんのご専門の民俗学は人と人との営みがベースになっています。その営みが遮断された現在の私たちの暮らし。「普通に暮す」ことの大切さは昔も今も変わりません。不自由ですよね。辛いですよね。

そこでラジオのゲストにお迎えし、「日本人の原風景」を語っていただきました。何だか”幸せ”を感じられました。ぜひラジオをお聴きください。

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」
4月4日 日曜日
9時半~10時

詩人 谷川俊太郎さん

詩人 谷川俊太郎さん

昨年12月に米寿を迎えられた谷川さん。そして、去年、未収録の作品と書き下ろしからなる31篇の最新の「ベージュ」(新潮社より)を発表されました。

1952年、「二十億光年の孤独」を刊行以来、2500を超える詩を創作し、海外でも評価が高く、詩集をはじめ、散文、絵本、童話、翻訳、脚本など創作活動は多伎にわたり、2016年、「詩に就いて」で三好達治賞を受賞するなど、これまでに数々の賞を受賞なさっておられます。

「ベージュ」は難しい言葉ではなく、普段の生活している言葉で綴られています。

読み進めていくうちに「これは谷川さんご自身にラジオで朗読をして頂き、お家にいる皆さんに聴いていただきたい」との思いにかられ無謀なお願いをしてしまいましたが、快くお受けくださり、なんと2編の詩を朗読してくださいました。

スタジオではパソコン越しにリモートで行いました。コロナ禍でこのようにリモートでのご出演がかない素敵でした。89歳なんて信じられない若々しいお声。このような時期、心が落ち着かないときの詩はなおさら染み渡ります。今回は2週分を収録させていただきました。

朗読は3月14日分で、21日はたっぷり近況や詩のお話、ご両親のお話などうかがいました。ぜひお聴きください。そして、朗読していただいた詩をお読みください。

ベージュ   谷川俊太郎

「明日が(あすが)」

老いが身についてきて
しげしげと庭を見るようになった
芽吹いた若葉が尊い
野鳥のカップルが微笑ましい

亡父の代から住んでいる家
もとは樹木だった柱
錆びた釘ももとは鉱石
どんな人為も自然のうち

何もしない何も考えない
そんな芸当ができるようになった
明日がひたひたと近づいてくる

転ばないように立ち上がり
能楽の時間を歩み始める
夢のようにしなう杖に縋って

 

「川の音楽」

私は橋の上に立っています
振り返ると川がどこからかやって来て
前を見ると川がどこか私の知らない里へ流れていく
川はアンダンテの音楽を隠しています

何十年か前にも麦藁帽子をかぶって
橋の上から足の下の川の流れを眺めていた
川が水源から海まで流れていくことをそのころは知っていた
でも今はそんな知識はどうでもいいのです

川が秘めている聞こえない音楽を聞いていると
生まれる前から死んだ後までの私が
自分を忘れながら今の私を見つめていると思う

夕暮れの光にキラキラ輝きながら
川はいつまでもどこまでも流れていきます
笹舟のような私の思いをのせて

「浜 美枝のいつかあなたと」
文化放送 日曜日 9時30分~10時
放送 3月14日と21日

トラックドライバーにも言わせて

この度豪雨で甚大な被害に見舞われた九州はじめ多くの方々にお見舞い申し上げるとともに亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。球磨川流域、筑後川流域、飛騨川流域などでは氾濫が発生し、あの美しい風景が一変してしまいました。何度も訪れた街もございます。これ以上の被害が広がることのないよう祈るばかりです。

その豪雨の中でもトラックは走り続けています。

日本の貨物輸送の9割以上を担うトラックは「国の血液」。そうならば「道路」は「国」という「体」の隅々に張り巡らされた「血管」で「荷物」はその血液が血管を通して運ぶ「栄養」。

こうおっしゃるのは自ら大型自動車一種免許を取得し、11年間ハンドルを握り片道500キロをピストン輸送するなど、トラックドライバーとして活躍し会社経営もなさっていらした、橋本愛喜さんです。

お父様が経営していた工場を、病に倒れたあとに引き継ぎ大型トラックの運転士として活動している中で、あれほど日本の物流を第一線で支える配送ドライバーの現状を世間の人にはあまり知られていない・・・そんな思いで書かれたのが「ドライバーにも言わせて」(新潮新書)です。

大学卒業後はニューヨークへ歌の勉強のために留学する予定を取りやめ工場に入社。その後、10数年してから、工場は閉鎖し、目的だったニューヨーク留学を経験し、現在はフリーのライターとして活躍。労働問題、災害対策、差別など幅広いテーマで執筆しています。

今回の本「ドライバーにも言わせて」は全国のドライバーさんたちが、いかに厳しい環境で働いているかがわかる一冊です。その現状から日本が抱える問題点も明らかになっています。電話ではありましたがラジオでじっくりお話を伺いました。

私も箱根に住んでおりますので、山を上り下りする時にトラックとのお付き合いは多いです。荷物が重くてのノロノロ運転かと思っていたらそれだけではなく、大きくあいた車間は荷崩れをさけるための距離であったり、休憩中にエンジンを切らない理由など等。ドライバーさんが心身ともに疲弊するのは「荷主」とのやりとりだったり。

私たちの日常生活での「宅配」などはもう欠かせませんが「再配達」や「時間指定」などあたり前のように思っているところがありますが、それらは無料で行なわれているにもかかわらず、受取人から数分遅れるだけで「何のための時間指定だ」というクレームもあるそうです。便利になった現在、「おせち」も全国から取り寄せられます。

私たちの家庭に届く「要冷蔵」「要冷凍」の荷物が「冷蔵冷凍庫」と呼ばれるトラックです。休憩時路上でハンドルに足上げ姿は過酷な労働環境の表れで、足や下半身の血流が悪くなり、できた血液の塊(血栓)が肺の血管に詰まる病気で呼吸困難になる場合もあるそうです。

私は橋本さんに伺いました。「なぜ女性トラックドライバー」の数がふえないのですか?」と。やはり女性には過酷なのだそうです。「重い荷物の取り扱い」、「不規則で長い労働時間」、筋肉・体力のある男性のほうが有利になることが多いし、女性には、「結婚・出産」という問題もあります。

いずれにしても、コロナ問題が起きてからはさらにネットショップが普及した現在、多い時で1日200個を超える荷物を扱う中、ドライバーさんの高齢化の問題もあります。

お中元やお歳暮など、他の国にはない「贈り物」の習慣もあると橋本さんは語られます。「トラック野郎」は情に厚く、仲間意識は強く、眠気覚ましに話しに付き合ってくれることもあるとか。それぞれが「過酷な労働環境の中で、自分たちは日本の経済活動には欠かせない仕事をしている」という強い誇りを持って日本各地を走っています。と語られます。

配送の需要が急増した現代社会。私たち消費者はお互いを思いやり、実情を知り、より良い環境が生み出せたらいいですね。
橋本愛喜さんのお話をぜひお聴きください。

文化放送 「浜 美枝の いつかあなたと」
7月19日放送 日曜9時半~10時

ロバート・キャンベルさん

私は美しい日本語でお話しをされるロバート・キャンベルさんのファンです。

先日、新聞に彼の記事が掲載されておりました。
「日本古典と感染症」について語られておりました。
そして国文学研究資料館館長でもあるキャンベルさんが同館公式サイトで動画を配信していることを知りました。

さっそく拝見すると古典には感染症と向き合った長い歴史が刻まれているという。歴史ある膨大な資料に囲まれた書庫の中で、語るキャンベルさんのお話は大変興味深く、これはラジオのゲストにお招きしお話をお伺いしたいと思いました。電話でのご出演でしたが、丁寧にご説明くださいました。

国文学研究資料館館長のロバート・キャンベルさんはニューヨーク生まれ。ハーバード大学大学院 東アジア言語文化学科・博士課程終了後、1985年、九州大学文学部研究生として来日。

近世・近代日本文学が専門で、江戸時代の終わりから明治の前半の漢文学に関連の深い文芸ジャンル、芸術、メディア、思想などに関心を寄せています。

近代医学が発達していなかった江戸時代の人が感染症とどのように向き合っていたのか。お互いを支えあっていたのか。幕末の1858年、コレラが流行しました。「頃痢(ころり)流行記」という書物は木版の多色刷りで、江戸の人はたくさんの人が亡くなって遺体の処理が順番待ちになっている様子を「直視」し、厳しい状況を見据え、お互いを支えあおうとしていたそうです。

そして、戯作者の式亭三馬の「麻疹戯言(ましんきげん)」には笑いで災いを浄化する様子が描かれている。皆んなで書物を通して情報を共有し、不安の中、「自分は一人ではない」という気持になったそうです。

今回のコロナ禍は様々なメディアが情報過多と思えるほど報道が多いように私には思えます。不安にもなります。『お互いを支えあう』ことの大切さを日本古典から学べます。

コロナ収束後の社会について、またもし私たちの子孫が100年後に今回のコロナ禍を調べたり、新たな感染症から立ち上がるために動きだしたら、キャンベルさんはどんな言葉をかけますか?とも伺いました。

私の個人的な気持ですがウイルスも自然の一部です。闘うのではなく自然を畏敬し、共存することを知っていた先人に学ぶことが多いのではないでしょうか。太陽が出たら手を合わせ、しっかり太陽を浴びましょう。

ロバートキャンベルさんの動画は下記です。

放送 文化放送 「浜 美枝のいつかあなたと」
7月12日(日曜) 9時半~10時まで

箱根から失礼します!?

毎週日曜の朝にお伝えしている「浜美枝のいつかあなたと」(文化放送)は、東京・浜松町のスタジオがホームグランドです。私は大きすぎず狭すぎずの、あの空間が大好きです。ゲストの皆さんやいつもご一緒の寺島尚正アナウンサーとの距離感も快適です。

でも先月からは感染症拡大防止のため、私はスタジオを離れ、自宅からの電話出演となりました。やはりこの時期、密閉空間を避けるのは当然のことですね。

番組が始まって20年は経ちますが、初めてのことです。しかし、出演者の方々や寺島アナ、そしてスタッフの頑張りでリスナーの皆様のもとへ毎週、番組をお届けしております。

箱根の自宅からの会話、少し慣れてくると、私にはそれほどの違和感はありません。窓から見える木々や山々。時々、深呼吸をしながらのやり取りを自分なりに楽しんでおります。

寺島さんが以前私に聞いくださったことがありました。

「浜さんは、なぜ箱根に住むことになったのですか?」

「本当に好きだからです!」とお答えしました。

映画にでるようになってしばらくたったころ、時間ができると、無性に一人になりたくなりました。そこで、自動車の運転免許を取って小さな中古車を手にいれました。暇ができれば湘南海岸から山道を駆け上がり、箱根周辺に向ったのです。

私は海派ではなく、山派でしたね。1962年3月に開通した自動車専用道路の「箱根新道」は走りやすく周囲の風景を見ながらの運転は最高でした。

そんなことを繰り返すうちに、街の人たちとも知り合いになり、移住するなら箱根だと思うようになりました。ここには「日時計」はなく、「年時計」はともかく、「季節時計」が動いていると感じるようになりました。長い冬からゆっくりと季節は春に移行します。自然のデリケートな変化は、まさにドラマチックです。

その後、私は結婚し、子供を持ち、彼らを大自然の懐にゆだねたいと思ったのが今から40年も前の事でした。それでも、最初は家の建築も簡単にはいきませんでした。

今でこそ古民家再生の技術が蓄積されていますが、当時は2×4が全盛の頃で、古民家という言葉も一般的ではありませんでした。試行錯誤を重ね、費用の問題もありました。最初の3年は台所も風呂も完成しておらず、プロパンガスの簡易ガス台でご飯を作り、近くの旅館にもらい湯にいったほどでした。「ママ、毎日キャンプみたいだね!」子どもたちと顔を見合わせながら笑ったことも、今では懐かしい思い出です。

そしてこの春、我が家の庭には、コメ桜、モクレン、ツツジ、そしてシャクナゲが満開です。まもなく箱根バラが咲きはじめます。

わが家の屋号は「やまぼうし」。

箱根の山がふんわりとヤマボウシの花で覆われるのは初夏ですが、見事な開花は10年に一度といわれています。「友情」という花言葉を持つヤマボウシ、この夏はどのような姿を見せてくれるのでしょうか。

箱根への私の想いを書かせていただきました。
もうしばらく、在宅生活を続けましょう。

5月24日(日)午前9時30分から、文化放送「浜美枝のいつかあなたと」で箱根のお話をさせていただきます。どうぞお聴きください。箱根の写真は息子が撮ってくれました。

老いてこそデジタルを。

『アナログ時代を生きてきたわたしたちシニアが、デジタルのスキルを身につければ鬼に金棒です。』とおっしゃるのは、85歳のプログラマー・若宮正子さんです。

私はどちらかといえば”アナログ”人間です。もちろん携帯電話は一番簡単なスマートフォンです。メールや多少の検索、家族とのやりとりはLINEを使います。でも、とても使いこなしているとはいえません。

家の時計は全て「アナログ時計」です。デジタルの数字でみるのは”美しい”と思えないからです。(もうここで、アナログ人間!)

部屋に飾ってある写真もセピア色をしています。そのほうが”美しい”と思えるから・・・負け惜しみなのかしら。

パソコンも使いますが、原稿を書くとき、メールのやりとり、検索、Facebookもみます。でも、パスワードを入れるのも苦手、アドレスも間違いそう。つい息子に「入れて~」と頼んでしまいます。でも、若宮さんのご本を拝読し考えは変わりました。衝撃です!

若宮さんは、1935年、東京のお生まれ。

東京教育大学付属高等学校を卒業後、三菱銀行に入社。定年をきっかけにパソコンを購入し、楽しさにのめりこみました。シニアにパソコンを教えているうちに、エクセルと手芸を融合した「エクセルアート」を思いつき、これが大好評。

その後、アイフォンのアプリ「hinadan(ひな壇)」を開発し、アメリカ・アップル社が開発する世界開発者会議にも出席なさいました。しかも海外での会議に登壇して英語で講演したりする場合はGoogleコンピュータ翻訳だそうで、日常会話も「ダメなのよ」とか。

Google翻訳には、英語だけでなく、ドイツ語、フランス語、イタリア語、中国語、韓国語など主要な100ヶ国語はほぼ網羅されているとのことです。

最近は若者たちは「スマホ決済」で買い物をしていますよね。私などは「嫌だわ~お財布から現金で払わなければ買った気分になれないわ」などと思っておりますが、近い将来「スマホ決済」でしか買い物が出来なくなるかもしれませんね。

そこで、ここは直接お話をお伺いし『老いてこそデジタルを』の醍醐味をお伺いしたくラジオ番組にゲストとしてお迎えいたしました。

私より8歳年上の若宮さん。背筋を伸ばし、ベリーショートがお似合いで、ご自分が考案したエクセルアートのデザインの素敵な洋服で颯爽とスタジオにお越しになられました。

インターネットに繋がるといいこと、老人クラブは20年前からアクティブに活動していること、危機管理にも役立つこと、注意点、指で操作するのが難しくなったら”声”でサポートしてくれること、など等。

何よりも『ボケ対策にはクリエイティブなことをするのがいちばん』とおっしゃられます。詳しくはラジオをお聴きください。

コロナウイルスの影響で、自宅にいる時間が多くなりました。料理や掃除、読書、そして私もこの一冊で”デジタル”を学んでみようと思います。さあ~て、どうなりますか、理解できるようになるのでしょうか。

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」
日曜日 4月19日
9時30分~10時
※時間が変更になりました。