井上陽水英訳詩集~ロバートキャンベル

日本文学研究者のロバート・キャンベルさんが歌手の井上揚水さんの歌詞を英訳し『井上陽水 英訳詩集』をお書きになり出版いたしました。

キャンベルさんはハーバード大学大学院・東アジア言語文化学科博士課程終了後、初来日からすでに40年がたつそうです。

最初は1985年、学びたい教授のいる九州大学文学部研究生として来日。江戸時代終わりから明治の前半の漢文学に関連の深いジャンル、芸術、メディア、思想などに感心をよせておられます。

著書も多数だされております。ご承知のように陽水さんの曲は名曲ばかりですけれど、歌詞が独特で、例えば「傘がない」や「いっそセレナーデ」など、どのように英訳されるのか・・・など等、大変興味深く、”なぜ陽水さん”なのか・・・などお聞きしたいことばかりです。

そして、本の陽水さんの詩を文字であらためて読んでみると正直に申せば”分からない!”とかんじる詩、声や歌い方が、ある種の魔力となって歌詞の本質から、私たち遠ざけている気もします。でも、心に響く。

たとえば  「傘がない」

都会では自殺する若者が増えている
今朝来た新聞の片隅に書いていた
だけれども問題は今日の雨 傘がない
行かなくっちゃ 君に逢いに行かなくっちゃ
君の町に行かなくちゃ 雨にぬれ

つめたい雨が今日は心に滲みる
君の事意外はかんがえられなくなる
それは  いい事だろ?

キャンベルさんはこの詩をどう捉え訳しているのでしょうか。

陽水さんとキャンベルさんはお互いに理解し合える仲間、ディスカッションをしながら、ということもあったと本に書かれております。

ぜひ直接お話を伺いたくラジオのゲストにお迎えいたしました。本のこと、ご自身のこと、文学を通しての日本、江戸文学について・・・など。

まず、ロバート・キャンベルさんの美しい日本語に、表現の豊かさに、語彙の豊富さに、人への優しさに魅了され、このブログでキャンベルさんの言葉をお伝えするのは非常に難しいです。

ぜひ、直接お聞きいただきたいです。日本人の私たちが忘れてしまっている「日本語」を私は学ばせていただきましたし、江戸文学をきちんと読みたくなりました。

直接ぜひ彼のことばでお聞きいただきたいのです。

文化放送 日曜日 10時半~11時
「浜 美枝のいつかあなたと」
9月1日・8日と2週にわたり放送いたします。

小説・平場の月

50代の悲しい純愛を描いた「平場の月」は、私が発売と同時に購入し読み始めてまもなく「山本周五郎賞受賞」が決った作品です。

著者は朝倉かすみさん。50歳の青砥健将は、胃の検査で訪れた病院の売店で、中学時代の同級生・須藤葉子と再会します。青砥は中学時代に須藤に告白して振られているのです。お互いに一度は結婚したものの、パートナーと別れ、50歳になって再会した二人。そこから物語ははじまります。

今回、惜しくも直木賞受賞は逃したものの、多くの書評家、読者からも絶賛されています。山本周五郎賞に決った時の記者会見での朝倉さんの言葉が印象深かったです。「とても幸せ。本当に嬉しい」と。山本周五郎賞受賞、納得です。

朝倉さんは1960年、北海道生まれ。2003年、「コマドリさんのこと」で北海道新聞文学賞。2004年、「肝、焼ける」で小説現代新人賞。2009年「田村はまだか」で吉川英治文学新人賞受賞。

その他著書も数多くありますが、短大卒業後は、スーパーで事務をしていたそうです。漱石や鴎外などの面白さに目覚め(20歳のころ)「本を買うための生活」になり40歳を過ぎてからのデビューです。

「平場の月」は女性が大腸がんになり、相手は彼女に寄り添おうとする心情を悲しいほどとてつもなく切ない内容です。丁寧に描かれていて悲しい、とても悲しい大人の純愛です。

このカップルは市井の人。決して豊かとは思えない暮らし。その暮らし方が丁寧に丁寧に描かれているからよけい切なくなるのです。愛おしくなるのです。また文体、文章が「ちょうどよくしあわせ」とか、「だれかに話しておきたかった、感覚。なんだろうね、この告白欲」とか。

50年を生きて来た男と女には、老いた家族や過去もあり、そうした文章のなかには皆、それぞれが抱えている生きる悲しみが綴られています。

どちらかと言えば遅咲きの人。執筆前には派遣バイトを数ヶ月経験し、暮らし向きを肌で感じた・・・とインタビューに答えていらした朝倉さん。

作家としてはもちろんのこと人間”朝倉かすみさん”にどうしてもお逢いしたくラジオのゲストにお迎えいたしました。

想像していた通りの素敵な方。自然体で、優しく、作家として優れているのは当然ですが、私、胸がドキドキしてしまいました。こんなに切ない50代の・・・そうもうけっして若くはない男と女のしずかな純愛を描ける人に憧れてしまいます。

ぜひ、彼女の言葉でラジオをお聴きください。そして、小説「平場の月」をお読みください。スタジオで「齢を重ねるとつい下を向いて歩くようになります。たまには上を向いて、でも太陽は眩しすぎます。月くらいがちょうどいいのですね」と。朝倉さんのこぼれ出る言葉に魅了されました。

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」
日曜 10時半~11時まで
8月4日、11日 2週続けての放送です。

上野千鶴子のサバイバル語録

今年4月の東京大学の入学式で上野さんの祝辞がメディアで大きく取り上げられました。私もその文章を新聞で読み「なぜ、今、上野千鶴子さんの祝辞なのか」をじっくり考えました。

上野さんといえば、女性学をはじめ、様々な道を切りひらいてこられた社会学者です。祝辞の中でもおっしゃっていましたが、東京大学の女性の比率が、長年に渡って2割を超えないそうです。なぜ、あのようにメディアで大きく取り上げられたのでしょうか。

そこには祝辞のまとめとして、上野さんは「あなた方を待ち受けているのは、これまでのセオリーが当てはまらない、予測不可能な未知の世界です。」とおっしゃっていらしたのが印象的でした。一度じっくりお話を伺いたい・・・と思っておりました。

この度、「上野千鶴子のサバイバル語録」(文春文庫)が文庫化されましたのでラジオにお招きしてお話を伺いました。

上野さんは東京大学名誉教授で、NPO法人「ウイメンズ アクションネットワーク」理事長。1948年、富山県生まれ。京都大学大学院社会学博士課程終了。

女性学、ジェンダー研究、介護研究のパイオニアです。「おひとりさまの老後」「男おひとりさま道」「女たちのサバイバル作戦」など、著書も数多くあります。本の帯には「万人に感じよく思われなくてもいい。悪戦苦闘の人生から生まれた、140の言葉」とあります。いくつかをご紹介いたしますね。あとはラジオをお聴きください。

スタジオに現れた上野さんはブルーのブラウスに素敵なスカーフ。笑顔がチャーミングな方です。過激なご発言(敢えて)からの想像よりソフトな方。

友情にはメンテナンスが必要
(私は、手間ひまかけてメンテナンスして続いてきたものだけが、友情だと思っている)

万人に感じ良く思われなくていい
(万人から「感じ良」とおもわれるなんてことはありません。あなたが「感じ悪い」と思っているひとにまで「感じ良」く思われる必要はありません」「感じが良い」かどうかは、キャラの問題ではなく、関係の問題。感じ良い関係と感じの悪い関係があるだけ。生きていれば感じの悪い関係は避けられません。)

かさばらない男
(考えてみれば「かさばらない男」ってえがたい存在じゃないだろうか。男はどちらかと言えば、自分を実力以上にかさばらせて見せたい動物だ)

愛の王国か、出口のない地獄か
(二人だけの「愛の王国」は「さしむかいの孤独」にも、「出口のない地獄」にも、かんたんに転化する。)

愛よりも理解がほしかった
(母親は娘に「おまえを愛している」と言うが、それは娘には「不条理」と聞こえる。お母さん、わたしはあなたから愛よりも理解がほしかったのよ。)

領土問題をおもちゃにするな
(またまた、竹島や尖閣諸島をめぐってキナ臭い動きがありますが、領土問題を”男の子”たちの危険なおもちゃにしないでほしいですね。)

いかがでしょうか。

「いまを生きる女たちに、生き延びてもらいたい。そして、女であることを愛してもらいたい。人生の終わりに、生きてきてよかったな、と思ってもらいたい。」とあります。

スタジオでは笑顔でおおらかにお話くださった上野千鶴子さん。しかし、深く考えた収録でもありました。

放送日  文化放送 日曜日10時半から11時まで
7月7日、14日 2週連続です。

老いた家 衰えぬ街 住まいの終活

東京で次々にマンションが建てられている一方で、最近全国的に、空き家の問題がニュースでも大きく取り上げられています。全国の空き家の数が過去最高を更新したとあります。

総務省の住宅・土地統計調査によると、昨年10月時点で首都圏(1都3県)でも約200万戸の空き家が存在しているそうです。今、戸建ての4軒に1軒が空き家予備軍というデータもあり、この問題を先送りしてはいけないところまできています。

そこで『老いた家 衰えぬ街』をお書きになった野澤千絵さんをラジオのゲストにお迎えしお話を伺いました。サブタイトルが『あなたの家は大丈夫ですか?』です。

「全国の空き家予備軍ランキング」が掲載されています。関東では1位が横浜市栄区と東京都品川区、そして練馬区へと続きます。全国では2013年の時点ではおよそ720万戸。ある程度の予測はしておりましたが、はるかにそれを越え、この問題は国民みんなで考えなければいけないのですが、”何が問題なのか”を詳しく野澤さんからお聞きいたしました。

野澤さんは兵庫県のお生まれ。1996年、大阪大学大学院・修士課程終了後、ゼネコン勤務を経て、2002年東京大学大学院・博士課程終了。現在は東洋大学・理工学部建築学科の教授です。

専門は都市計画・街づくりです。そもそも、どうしてこれだけ空き家が多くなってきたのか?と伺うと実家の相続をきっかけに空き家化することが多いそうです。

就職や結婚で実家を出る時から空き家化は始まり配偶者の実家などでも同時多発的に起るとのこと。もし、実家を相続して、そのまま住むなら問題はないのですが、住まない場合が多く、そこが問題だとか。

本当はその時点で、売却するなり、人に貸すなり、何か動いたほうがいいのですが、心の整理がつかず、『とりあえず、置いておくか』のケースが多いとか。コストがかかるから、相続放棄する・・・とにかくお話を伺うと問題山積!です。

ラジオではじっくりお話をうかがいました。ぜひ、お聴きください。そして、ご著書ではさらに詳しくアドバイスもされております。

放送は6月9日 日曜10時半~11時
文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」

『骨まで愛して 粗屋五郎の築地物語』

ご存知、発酵学者の小泉武夫さんが、魚の頭や骨などの「粗」をテーマにした小説をお書きになりました。皮からジュルジュルコラーゲン、骨酒グビグビコピリンコ、目玉の周りはトロットロ!と帯に書かれております。

これが実に美味しそうで、読んでいるとお腹がグーグー鳴り、ヨダレがでてくるほどなのです。あらすじは福島県いわき市出身の主人公が集団就職で上京して以来、築地一筋。築地ナンバーワンのマグロ捌き職人として有名でしたが、55歳で勤めていた仲卸をやめて、子どもの頃から好きだった魚の粗だけを使うお店をオープンさせます。

場所は、築地四丁目の路地裏。鳥海五郎の人柄と腕にひかれた様々なお客さんがやってきて・・・という風に物語りは展開していきます。

小泉さんは東京農業大学名誉教授・農学博士で、鹿児島大学、琉球大学などの客員教授を務めるかたわら、食に関わる様々な活動を展開し、和食の魅力を広げ、辺境の旅を愛し、世界の珍味、奇妙な食べ物に挑戦する「食の冒険家」でもあります。

とにかく小泉さんは大変な”くいしんぼう”。といってもご自分で何でも料理をしてしまいます。このご本に出てくる料理のレシピはほとんど小泉さんのもの。

烏賊の腸煮、皮剥の肝和、煮こごりをぶっかけ丼・・・などなど食前酒にはヒラメの骨酒、河豚の鰭酒、暑い日にはキリリと冷やした日本酒に海鼠の腸をいれた海鼠腸(このわた)酒。

調味料にもこだわり、醤油は千葉・銚子や和歌山湯浅の老舗から。味噌も赤は仙台、豆は尾張・・・というように。

料理好きな小泉さんは「食摩亭」と名付けた自宅の台所でご自分で粗もさばいているそうです。福島県小野町出身。母を早くに亡くし、祖母のこしらえる料理で育てられ「うまい、からだにいい」粗料理で育てられました。

ご著書を拝読していて粗は無駄でなく立派な食材であると教えられます。そういえば、亡くなった私の熊本の祖母も「骨まで愛して」派、煮魚の残った骨にお湯をかけ美味しそうに最後まで食しておりましたね。

ぜひお話を直接お伺いしたいとラジオのゲストにお招きいたしました。

一番好きなのは書くこと。出された本は140冊は超えているそうです。小説の中に「食品廃棄物」の問題も出てきます。食には恵まれた日本。でも”フードロス”は国民みんなで考えなければいけない問題ですよね。

スタジオの小泉さんは「うま味と甘みがチュルチュルと」「ペナペナとしたコクが囃して」「見るだけで涎がピュルと沸きでて」など音で表現する様に、もう~たまりません。

ご本の中には千葉にある「粗神様」もでてまいります。

スタジオの小泉さんはおっしゃいます。「この本には5つの学問がある」と。

『調理学・環境学・民俗学・芸能・発酵学』

飽食社会への警鐘・・・とも受け取れます。かたや「子ども食堂」の問題が全国にひろがりつつあります。世界に目を向ければ飢餓に苦しむ子ども達がいます。『食の問題』は深いですね。

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」
4月14日 日曜日
10時半~11時 放送

全員巨匠!フリップス・コレクション展-三菱一号館美術館

全員巨匠!フリップス・コレクション展

ワシントンDCに1918年に創設され、1921年にフリップス・メモリアル・アート・ギャラリーとして開館した美術館。実業家フィリップス氏が生涯をかけて収集したコレクションはまさに、『全員巨匠!』ピカソ・ゴッホ・モネ・ボナールなど。

ひとりのコレクターが収集した年代順に展示されていて、その源泉をたどることができます。強い情熱と高い見識は見事としかいいようがありません。

秋の暖かな陽光の中、丸の内まで出かけてきました。「三菱一号館美術館」です。お昼時は中庭でランチをするサラリーマン。子供連れのママ達。大都会のなかのオアシスのような空間です。

この美術館の建物が生まれたのは19世紀末。明治期のオフイスビルが復元され美術館へと生まれ変わったのです。フィリップスミュージアムも彼の館が美術館へと生まれ変わり、ともにレンガつくりの瀟洒な建物です。

正直に申し上げると『心地よい疲労感』で、観終わってからカフェでひと休みいたしました。室内にどのように飾られていたかも写真で見られますし、私がまず感銘をうけたのはフリップ氏の絵画・画家への想いがつづられている文章です。

『絵画は、私たちが日常生活に戻ったり他の芸術に触れたりした時に、周囲のあらゆるものに美を見出すことができるような力を与えてくれる。このようにして知覚を敏感にするよう鍛えることは決して無駄ではない。私はこの生涯を通じて、人々がものを美しく見ることができるようになるために、画家たちの言葉を人々に通訳し、私なりにできる奉仕を少しずつしてきたのだ・・・』

会場に入りいきなり観たかったウジェーヌ・ドラクロアの「ヴァイオリンを奏でるパガニーニ」の演奏する姿にはのけぞってしまいました(笑)”きっと奥のほうにある”とばかり思っていましたから・・・購入順に展示されているからなのですね。

そんな展示のしかた等お話を館長の高橋明也さんから伺いました。

以前三菱一号館美術館のホームページで対談をさせて頂きました(館長対談で掲載中)。共感できることが多々あり、”これからの美術館のあり方”など、じっくりお話を伺いたくラジオ「浜 美枝のいつかあなたと」にお迎えしお話を伺いました。

高橋さんは、1953年生まれ。

1965年に大学教員だった父のパリ赴任に伴い、12歳の時に横浜港から船でフランスに渡ります。10代の多感な少年時代、言葉も分からず遊び場は週1回無料開放しているルーブル美術館だったとか。その後、東京藝術大学大学院 美術研究科修士過程を終了。オルセー美術館開館準備室に勤務され、国立西洋美術館主任研究官などを経て現在にいたっておられます。

私が一番伺いたかったのは海外の美術館では、子供たちが床に座り込んで絵をスケッチしている光景をよく見かけます。日本では難しいのか・・・無垢な子供たちが本物に出会い、本物を見る目を養っているの姿を館長はどのようにお感じになっておられるのか。など等、話しはつきませんでした。

ラジオをお聴きください。
そして来年2月11日まで(フリップスコレクション)は開催されています。
美術館のホームページの(館長対談)も覗いてみてください。

「浜 美枝のいつかあなたと」
文化放送 11月18日
日曜日10時半~11時まで。

三菱一号館美術館公式サイト
https://mimt.jp/

「徹子の部屋の花しごと」

今回のラジオのゲストは花を活けた回数1万回以上。テレビ朝日『「徹子の部屋」の花しごと」』をお書きになられたフラワーアーティストの石橋恵三子さんです。

石橋さんは1940年、東京・文京区のお生まれ。日本のテレビ黎明期から、様々な番組作りを支えてこられました。テレビや映画で使用される花や食べ物を指す業界用語「消えもの」を日本で始めて担当し、放送開始から42年を迎えた名物番組「徹子の部屋」では、その日のゲストに合わせて初回からずっと花を活け続けていらっしゃいます。

テレビをご覧になった方々も、ゲストのお話はもちろん、中央に飾られている花に目がいきますよね。事前に調べておいたゲストのイメージメモをもとに、アレンジを組み立てていくのだそうです。

その日のお花の状態を見ながら、そしてご自身の直感を信じながら、アレンジしていくとのこと。まさに番組や黒柳さんの伴走者でもあります。番組で飾った花は毎回アルバムに保存し、活けた花の名前も全て専用ノートに毎日記録しているとか。

ラジオではゲストとの”石橋ミラクル”と呼ばれる奇跡を呼ぶお話もうかがいました。事前にゲストが誰かを調べて、その人の最近の出演作や近況からイメージを膨らませて飾る花をきめるのだそうです。

時には季節はずれの花(たとえば桜など)もそろえます。特に想い出深いのは高倉健さん。とおっしゃいます。高倉さんの好きな花が「都忘れ」であると聞き、収録に間に合うように頑張って房総まで調達しに行き、生けたそうです。

せっかくなので花束にして収録後に差し上げたら、その都忘れの花束から1本抜いて「ありがとう」と石橋さんに差し出してくださったとのこと。「なんて粋で素敵な振る舞いでしょう!」とおっしゃいます。

結婚や出産、女性がそれらを仕事と両立させていくにはどれほどのご苦労があったことか。一番の理解者はご主人。輝きながら仕事をする石橋さんを精神的に支えてこられたのですね。

『私にとって花とは何か。あらためて考えてみると、それはやはり「人生そのもの」。花がきっかけで人と出会い、仕事になり、その仕事が私の生活を支え、何にもかえがたい生きがいをもたらしてくれました。花があって生かされた私。死ぬまで花に囲まれていたいと思っています。』と目を輝かせて語る石橋さんはまるで少女のような美しさと、仕事をする女性として凛とした姿。眩しいほどでした。

私も「徹子の部屋」には何度か出演させていただきましたが、白と赤の花がいつもバリエーションを変え徹子さんと私の間、真ん中に生けてくださいます。

そして、収録の日は素敵な花束を頂戴いたしました。テレビスタジオとはまた違い濃いローズ色のダリアとユリなどシックな大人の色の花束でした。

素敵なお話をうかがえました。
ラジオをぜひお聴きください。そしてご本を手にとってください。

放送日は10月14日(日)、10時半~11時
文化放送「浜美枝のいつかあなたと」

川と遊ぼう。土手の草花

夜明けどき、深い穏やかな眠りのなかにいた私は、家の遠く近くでする小鳥のさえずりに目を覚まします。”あのいそがしげな鳴き声は、ほととぎすかしら?そう、ほととぎすは「時鳥」と書いて夏の到来を告げる鳥。古来詩歌のなかでも、春の花、夏の時鳥、秋の月、冬の雪が四季の代表的な詠題とされていますね。

お布団を抜け出して縁側の雨戸を開けると、まだ眠気からさめきらない私の顔にさっと一陣の潮風が吹いて、全身に気持ちのいい目覚めを促してくれます。

ここは、福井県若狭の地。私が25年ほど前に古い茅葺の農家を移築して、私自身へのプレゼントとして設けた「故郷の家」です。

朝の冷気を家じゅうにとりこんでやるために、開け放った硝子戸。目の前には、田植えを済ませたばかりで水を満々とたたえた田んぼが、シンとして広がっています。水田の水面はまるで巨大な鏡のように、しだいに明けてくる空を、周辺の山々を、そして木々の木立の姿を、くっきりとその鏡面に映し出すのです。

私はパジャマのままで縁側に座って、いつまでも、時を忘れてその美しさに見入ります。

水田水  なみなみと日の 上りたり     石原 船月

私の桃源郷のような故郷の家です。

東京下町の小さなダンボール加工工場を営む両親のもとに生まれた私。あの東京大空襲ですべてを焼け出され、命からがら逃げ出し住んだ場所が多摩川のほとりにある武蔵小杉でした。

4軒長屋の水道もない家。かまどでごはんを炊き、バケツに水を汲みゴシゴシ洗濯板でこすりながらの洗濯。子供心につらくもあり、楽しい日々でした。近所のおばちゃんたちには「みえこちゃんえらいね、きょうもお手伝い」と褒められ、おかずのおすそ分け。下町の風情の残る人情豊かな思い出・・・。

「故郷がほしい」・・・それが若狭の家です。現在は私の近畿大学での教え子たちが、田植えや、野菜作りに大阪の大学から、また社会人になったOBたちも集い、彼らの「故郷」になっています。若い日々、そうした体験をすることの素晴らしさを私自身が一番知っているからです。

水泳を覚えたのは武蔵小杉に暮していた子ども時代。多摩川でこちらから泳いで東京にタッチし戻る。子供達にとって”川と遊ぶ”は日常でした。武蔵小杉は現在は高層マンションが建ち並び、大都市に様変わりしたそうです。

そこで見つけた素敵な本。

川と遊ぼう。多摩川ノート 土手の草花」(北野書店)。

著者は映画「釣りバカ日誌」にレギュラー出演するなど個性派俳優として幅広く活躍している俳優の中本賢さんです。1956年浅草生まれ。主な著書に「多摩川自然あそびガサガサ」「ガサガサ探検隊」など多摩川近郊に移り住んで多摩川の土手や川原で見られる95種の草花は、どれも個性的。素敵なガイドブックです。

この30年間で、多摩川も大きく変化したそうです。私の子供時代の綺麗な多摩川、汚染された多摩川、また美しい流れになり戻ってきた多摩川。

河川敷で小石の投げっこや、石拾いをし、ポケットにいれてその温もりをたのしんだり・・・の子ども時代。

河川敷の中でも、礫(れき)川原といわれる砂利や小石が広がる川原が、全国的に減っているのだそうです。多摩川流域の小学生と一緒にフィールドワークも行っている中本さん。

四季おりおりの動植物をご紹介している本です。「身近な場所で野生の植物を観察する楽しみは、名前を知ることだけではありません。どのような環境で、どのような生活をしているかを感じることがオモシロイ。自分が暮す街がどのような場所なのか、地域の人々がどのように暮しをしているのか・・・草花はありのままを伝えてくれます」とおっしゃる中本さん。

「ワタクシ、道草がやめられません。」素敵なお話をラジオでお聴きいたしました。そして、収録後、帰りぎわに「浜さん~、子ども時代を過ごした武蔵小杉の多摩川べりにもたくさんの草花が咲いていますよ!ご案内するから遊びに来てください!」とおっしゃってくださいました。夏になったら70年ぶりに多摩川に行ってみたい!と思いました。

そのときには中本さんにご案内していただこ~と、思いました。懐かしい多摩川。懐かしい子ども時代。

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」
日曜 10時半~11時
7月1日放送

鎌倉には青木さんがいる

老舗人力車、昭和から平成を駆け抜ける!
鎌倉に人力車の風景をつくった男、青木登。
と書かれた本に出会いました。

かねがね青木さんのお話は聞いておりました。
”すごい素敵な人が車夫として還暦を迎えても現役なのよ!それが、古希を迎えられたとのこと。

編集者の古谷聡さんとともに書籍化されたご本が出版されたので拝読し、どうしても乗せていただき、その人生哲学を伺いたいと、文化放送のラジオ「浜美枝のいつかあなたと」でご一緒している寺島尚正アナウンサーと共にスタジオを飛び出して”いざ鎌倉へ”。

青木さんは鎌倉の観光人力車のパイオニアです。駅前で待ち合わせ、さっそく乗せていただき、まだ人通りの少ない小町通りから静かで、緑豊かな住宅街を抜け、鶴岡八幡宮、そして西へと初夏の風を抜け人力車は奔ります。

あちこちで街の人から声をかけられる青木さん。藍染の半纏、茄子紺の股引、真っ白なはだし足袋。短く刈り込まれた頭髪、細くねじった豆絞りがきりりとしめられ、その風貌はまさに『職人』。人力車もピカピカに磨かれています。黒い車体と赤い座席の鮮やかさがなんともレトロですが、気品にみちています。

青木さんは、1948年、茨城県生まれ。
中学卒業後、ブリジストン横浜工場や他で勤務後、旅好きの青木さんが飛騨高山の観光人力車に魅せられ、独立。その後1984年、鎌倉で観光人力車の事業を始め、長年に渡り、鎌倉の商業、観光の振興に貢献されてきました。でもご苦労もあったようです。

大手の人力車業者のフランチャイズ店の参入など。でも「鎌倉にきていただいたからには、良い、思い出を持って帰っていただきたい」といっさいの客引きはしないこと、名所旧跡に関する豊富な知識と細い裏道まで精通した観光案内は、長年かけて培われたその技術はだれにも真似ができません。開業以来の無事故無違反。走りはどこまでも滑らかです。

開業した頃からずっと、「70歳まで人力車を引き続けるんだ」と公言していたそうですが、今は『生涯現役』を目指しているそうです。陰でどれほどの体力維持のためのご努力をなさっていることでしょう。『鎌倉の品格を大切にすること』これだけは絶対に曲げることはできません。と笑顔で語られる青木さんの顔が眩しく感じました。

本に書かれている営業のご案内
30分コース・・・・・2名様で3,000円
60分コース・・・・・2名様で10、000円

★事前予約制 電話 090-3137-6384
★通常運行時(ご予約がない時)は市内で客待ちをしております。
お気軽にお声かけください。(料金は予約と変わりません)
★7月下旬~8月下旬は夏季出張につき、草津温泉にて営業。

奥様が女将をしている「茶房有風亭」も落ち着いた和の空間が楽しめます。

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」
放送6月10日(日曜日)
10時半~11時

樹木医 和田博幸さん

今年は全国的に桜の開花が早かったですね。
みなさん、おひとりお一人に桜についての”想い”があるのではないでしょうか。

私もず~と昔、岐阜と富山の県境に400年もの樹齢を誇る老桜樹がダム建設のために水没してしまう・・・ということになり、数人の男たちの桜へのひたむきな想いによって移植され、今もなお季節がめぐるたびに美しい花を咲かせてくれる桜を何度も見に行きました。

『桜守(さくらもり)』という小説を読んでのことでした。自ら土になって木の存亡に生命(いのち)を燃やすひと。私にそういう男たちの存在を教えて下さった・・・作家、水上勉さん。

初版は昭和43年。御母衣(みほろ)の桜を初めて見たのは移植して何年も経っていましたから、もうしっかり根づいている印象でした。

“あ、これが、あの桜・・・”と、小説世界とだぶらせて思い入れもひとしおでした。老樹とは思えないほど花が初々しかったのが印象的でした。あれから何度も何度も御母衣の荘川桜を見に旅にでました。

そう、40年近く前のことです。ある時、仕事で水上先生と対談をさせて頂く機会に恵まれ「桜守」の話になりました。小説の中には、木と人間の様相が重なったり、木で人を語ったり木の中に人の真実をみたりで、大変興味深く拝読しました。と申し上げ、なぜ私たち日本人はこのように桜に惹かれるのでしょうか、と伺いました。

「散る」とは「咲く」こと。
桜の生命の長さに私たちはひきつけられるのです。・・・とおっしゃられました。

そうですね、散るはかなさではなく、散ってまた咲くということに憧れるのですね。人間の生命のほうがはかないかもしれませんね。桜は日本の国花ですね。と申し上げたら、先生はこうお話になられました。

「そうです。国学者の第一人者であった本居宣長さんが、『敷島の大和ごころにたとうれば、朝日に匂う山桜』とうたいました。そこからきていると思います。万葉の歌人たちはみんな桜を愛し、西行も含めてこの世の諸行無常をいう人たちも、無情のひとつのヒロインとしての桜を愛でた人が多いのですね。」

「桜というのはせっかちな日本人の気質にも合っています。360日辛抱して、六日ほど咲いて、見に行ったら雨で、二~三日おくれたらもうあかんしな。一生に一度めぐり会えるかどうか。素晴らしい桜とはそういうものだと思いますよ。」と。

お花見が終わると、どうしても私たちは桜のことを忘れてしまいがちです。咲き終わった後の桜の木の手入れはどうされているのか・・・。とても興味がありました。そこで出会ったのが、樹木医の和田博幸さんです。

和田さんは、山梨県北杜市の山高神代桜を復活させたことでも有名です。ぜひお話を伺いたくラジオのゲストとしてお越しいただきました。貴重なお話でした。

和田さんは、1961年、群馬県のお生まれ。東京農業大学卒業。最初は草むしりのアルバイトがきっかけだったそうです。「草むしりはとても奥深い」とおっしゃいます。「丁寧に作業を続けていくうちに、山野草が咲き誇る美しい庭が出来上がる。」そんな仕事ぶりが目にとまり、桜の名所づくりを行う財団法人の研究員を経て、たちまち桜に魅了されていきました。

2015年には、和田さんが手がけた神奈川県座間市の緑道(りょくどう)の桜再生プロジェクト「相模が丘 仲良し小道さくら百華の道」が完成しました。他にも数々の桜のお医者さんとして、全国をめぐっておられます。

私も人生一度は行きたいと思っている鹿児島県・屋久島の屋久杉などのお話。樹齢1000年を越す木が全国にありますが、長生きする木とそうでない木のお話などなど時間を忘れて伺ってしまいました。

みなさん、ご記憶ございます?
2010年に鎌倉の鶴岡八幡宮のオオイチョウが倒れてしまいましたが、倒れた後に根元から新しい芽が出てきた、と報道されましたよね。その生命力に私は感動致しました。

今日もまた、桜の再生請負い、日本全国を飛び回る和田さん。

「手を差伸べれば桜は応えてくれる」とおっしゃいます。
お花見で桜が終わっても、散った後にも想いをはせたいですね。

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」
5月13日 放送
10時半~11時