映画「ブータン 山の教室」

心洗われ、思わず自分の日常を見つめ直してしまうような映画。「ブータン 山の教室」。その感動が、いまだに消えません。

ブータンはインド、中国に囲まれた山の国です。舞台は富士山より1500メートルも高い小さな村、ルナナ。そこで繰り広げられる希望と現実の物語が心を揺さぶります。

人口60人に満たないこの村には、小学校がたった一つしかありません。そこに、新しい先生が赴任してきます。生徒は勿論、村人たちは先生の到着を静かに、そしてキラキラした熱気で迎えます。

生徒にとって学校の先生は、輝くばかりの存在なのです。なぜならルナナの子供たちは、「先生になりたい。先生は未来に触れることができるから」と固く信じているからです。一方、新任の先生はブータンの都会暮らし。海外での音楽活動に夢を膨らませる今風の青年です。つまり、先生はブータンの大都市から秘境の村に人事異動で派遣されてきたのです。

ブータンと日本は、そもそも文化も自然も全然違う!この先入観は、映画の冒頭で簡単に覆されます。老いも若きも男女の違いもなく、挨拶は丁寧に頭を下げることから始まります。そうした彼らの立ち振る舞いを目にするだけで、理屈ではない親近感や既視感を覚えるのです。

「世界で最も幸せな国」と言われるブータン。半世紀も前に当時の国王が「GNP(国民総生産)よりもGNH(国民総幸福)を目指そう!と主張し、今ではそれが、憲法にも書き込まれています。

教室に黒板がなければ、それを自分たちで作る。物質面では決して十分とは言えないけれど、子供たちは目を輝かせて授業に向き合います。彼らは未来に夢や希望を見つけ出そうと懸命なのです。でも、この映画は楽観論だけに終始していません。村長さんは告白します。「多くの若者は都会や外国に出て行ってしまう」。そもそも、村に赴任してきた先生自身が、海外渡航への強いあこがれを捨てきれないでいるのですから。どのような授業が、そして、暮らしが展開するのか?伝統と明日を橋渡しする手立てはあるのか?

画面には地元の人たちが家族同様に接する「ヤク」が頻繁に登場します。そして、ブータンの民謡ともいえる「ヤクに捧げる歌」が繰り返し流れます。抜けるような歌声が、澄み切った山々に響き渡りました。

この作品はブータン出身のパオ・チョニン・ドルジ監督によって作られました。写真家としては既に名の通ったドジルさんですが、長編映画のメガホンを握るのは初めてです。故郷への愛着と外の世界への憧憬。監督は主人公の先生に自らの思いを投影させているのでしょう。

出演者の生徒は皆、地元の子供たちでした。映画やカメラそのものを知らない彼らへの演技指導などは、元々なかったと思います。未来に触れよう!という熱意だけが、生徒と先生、そして監督に共通する”約束事”だったのだと思いました。

そして最後に、監督は撮影機材でもある発電機を村に置いて帰りました。電気の通っていないこの村で、映画の完成試写会をする”約束”をしたからです。これからも、彼らは小さくとも、とても大事な”約束”を積み上げていくことでしょう。

この映画を拝見した岩波ホールは、「館内は12分で空気をすべて入れ替えております」と開演前に案内していました。

入場客に挨拶をし続けるホールの方に、「ご苦労さまです」と申し上げたら、彼女はガッツポーズをなさいました。「負けないで頑張る!」そんな無言の凛々しさが溢れていました。

大幅に減った座席は当然のように埋まり、静かな熱気に包まれていました。
スクリーンと似ていました。

映画公式サイト
https://bhutanclassroom.com/

日本民藝館

駒場の日本民藝館が改修されその記念に『日本民藝館改修記念 名品展 1』が6月27日まで開かれています。先日私も行ってまいりました。創設されて80年になります。この度本館と西館の建物が、2021年3月に東京都指定有形文化財に指定されました。

本館は「民芸」運動を主導した思想家・柳宗悦(1889~1961)自らが設計したそうです。一万七千点もの貴重な収集品が収められています。

私はこの民藝館には10代の頃から通っていました。「民藝」もよく分からずに「わぁ~素敵、いいな~」そして少しづつ学んできました。

今回の改修は柳が建てた当時の内装にできるだけ近づけることだったそうです。大展示室は今まで板張りだった床を大谷石にし、壁も静岡県産の葛布(くずふ)に張り替えられ、柳が創設したころの内装に近づけたそうです。右側の壁全体はガラスのケースになっています。以前よりもすっきりして作品も見やすくなっていると感じました。

「民芸」誌の記念号の中で館長の深澤直人さんは「柳はものと空間の関係を大切にしながらこの建物をデザインしたことがよく理解できました。その場の持つ空気(雰囲気)と「もの」との相互の関わりを深く探求していたに違いありません。」と語っておられます。

正面の広くゆったりとした階段を上ると、今回は映像で「日本民藝館物語」が上映されています。そして階段を見下ろす場所に置かれた長い椅子。私は何十回もこの椅子に座り、ぼぉ~と、ただただ独りその空気に浸ってきました。

まず2階から、目的めがけて進みます。木喰上人の彫刻、木喰明満 江戸時代(1801年)の自刻像の微笑みに心が和みます。その部屋には円空をはじめ庶民信仰の神仏像が見られます。「美の法門」「初期大津絵」「朝鮮とその藝術」も興味深く見ました。

柳宗悦によって朝鮮時代に造られた木工品・金工品・石工品・絵画など1920年代から30年代にかけて朝鮮半島で収集されたものです。私はこの民藝館で見たことがきっかけでソウル近郊に小さな部屋を2年間借りて韓国の民藝を知る旅を重ねました。

そして1階に下り念願の「琉球の富」の部屋に入りました。琉球王国時代(19世紀)の衣装の数々。有名な古紅型(びんがた)など。

5月15日は沖縄が日本復帰から49年を迎えました。私の沖縄の友人は「インフラはかなり整備されましたが根幹の問題は解決されていないことが多いと思います」と語ります。私は50年前、復帰一年前に沖縄にまいりました。

「沖縄こそが民藝のふるさと」と柳宗悦が語っていたからです。緑濃く、青い海の美しい自然豊かな南国の風土から生まれた「紅型」や「芭蕉布」「琉球絣」など、柳宗悦たちが沖縄で出逢い戦火をまぬがれた作品の数々は、こうして民藝館で大切に保存されているのですね。

10代の頃に「民藝とは何か」「手仕事の日本」などの本に出会い、民衆的工芸、つまり名もない人々の暮らしに美があると説いた柳宗悦の考え、思想を追い続けて今日まできた私。

その温かな眼差しは、文化の多様性を問い直す現代社会にあってとても大切なことだと改めてこの展覧会で気づかされました。

コロナ禍での改修工事、現場はどれほど大変なことでしたでしょう。職人さんはじめ関係者の方々に御礼申し上げます。

館内の感染症予防対策はしっかりなされています。

皆さんもやはり心に潤いを求めてでしょうか、作品を食い入るように見つめておられました。

静謐なときが流れていました。

(一部撮影可)

日本民藝館公式サイト
https://mingeikan.or.jp/

満開のツツジ

コロナ禍で旅のできないあなたに!箱根のツツジとシャクナゲをご覧ください。

私の住む町から歩いて40分程のところにツツジの名所があります。例年のGW時期は大勢の方がみえるので、私はこの7,8年は行っておりませんでしたが、新聞に「箱根 花の名所も人出まばら」とありましたので行ってまいりました『山のホテル』に。

まず旧街道の杉並木を歩きます。この杉並木はいつ歩いても、どんな季節でも、静穏な時が流れております。我が家の息子たちは毎日この杉並木を歩いて小学校に通っておりました。樹齢400年近い杉が400本ほどあります。

この杉並木は箱根宿ができた1618年(元和4年)に幕府の命で川越藩主、松平正綱が植林したのだそうです。江戸の昔 東海道を旅する人を雨風や強い日差しから守ってきたのですね。

しばらくすると芦ノ湖湖畔に出ます。そこから湖畔沿いに歩き箱根神社を抜けてホテルに着きます。開園は9時なので早足に歩きます。旧岩崎男爵別邸跡地に建つ山のホテルの庭は男爵時代から植えられている約70品種3000株のツツジが一面に広がり美しく咲き誇っておりました。

樹齢100年以上も経つ株や貴重な品種もあります。”玉仕立て”といわれる丸く刈り込んだツツジが、富士山に向って咲き誇っていたり、芦ノ湖に向って流れ込むように植えられていたり、と当時の職人のセンスがよく分かります。

奥にはシャクナゲ園があります。斜面は舗装されスロープになっているので歩きやすく、車椅子や年配の方でもゆっくり楽しんで見ることができます。

一株一株、名前を見ながら楽しみましたが、中に『白琉球』というツツジがありました。まだ開花前でしたが、江戸時代から栽培され100年ほど前に中国経由でイギリスに導入されたそうです。沖縄の友人にすぐに写真に撮りメールで送ったところ沖縄では見かけたことがないそうです。やはり琉球時代のツツジなのでしょうか。

奥のシャクナゲを堪能し、ホテルのラウンジでコーヒーをいただきながら、ふっと40年ほど前のことが蘇ります。4人の子育てにアップアップしていた頃、幼稚園や小学校に子供を送り出し、急いでラウンジに来て一杯のコーヒーを飲み、ひと息つき慌てて家に戻ったあの時代。このホテルにはお世話になりました。

都会を離れた暮らしでも、こうした時間が私を癒してくれました。今は思う存分に自分のための時間が持てます。帰りに箱根神社に参拝し、家族の健康とコロナの一日も早い収束を願い、同じよに杉並木を歩いて家路につきました。

山のホテル
つつじ・しゃくなげフェアー2021開催(4月29日~5月下旬)
https://www.hakone-hoteldeyama.jp/tsutsuji_shakunage/

アカデミー賞

アメリカ映画界最大のイベント、アカデミー賞の発表と受賞式が先日、開かれました。私は毎年楽しみにしていますが、今回はいつも以上にワクワクした気分を抑えられませんでした。先月、このブログでも2回にわたってご紹介した作品の前評判が、とても良かったからです。

ノマドランド」は、一人でキャンピングカー生活を続ける60代の女性が主人公です。演じたのはフランシス・マクドーマンドさん。彼女はこの作品で、3度目の「主演女優賞」を獲得しました。

監督は北京生まれの中国人、クロエ・ジャオさん。ジャオさんには「監督賞」が贈られましたが、非白人の女性が「監督賞」を受けるのはアカデミー史上、初めてのことです。そして「ノマドランド」はアカデミー全体の最高賞とも言える「作品賞」に輝き、文字通り”トリプル受賞”となったのです。

もう一つの映画は「ミナリ」でした。農業で一旗揚げようと韓国からアメリカに移住した一家の、苦労と助け合いを描いた物語です。

「ミナリ」とは韓国語で食物の芹(セリ)のことですが、親が苦労を重ねて子や孫に成果を手渡す、という意味もあるそうです。ギクシャクしながらも家族の絆や世代間のつながりを探し続ける中で、お婆ちゃんと孫の心の触れ合いが、演技とは思えないほど自然に描かれていました。

お婆ちゃんを演じたのはユン・ヨジョンさん。彼女はこの映画で「助演女優賞」を獲得しましたが、韓国人俳優としては男女を通じて初めてのことです。

こうした動きを受けて、翌日からマスコミ報道は当然、アジアの映画人の活躍にスポットが当てられました。アカデミー賞はこれまでの白人優位から多様性の重視へ大きく舵を切り始めている、というものです。

私もそう感じると同時に、女性達の豊かな才能がスクリーンに溢れ出ている光景にも目を奪われました。ジャオ監督やヨジョンお婆ちゃん。彼女たちは人種や国家や文化などの壁を前にして、私たちに問いかけているようです。「そんなもの、何とか乗り越えましょうよ!」と。

受賞式の会場は例年と異なり、ロサンゼルス市内の鉄道駅に設置されました。関係者はコロナの感染拡大防止に最大限の注意を払いながら、「映画文化は決して不要不急のものではない。必要不可欠なのだ!」と訴えたかったのかもしれません。

主演女優賞を獲得したマクドーマンドさんの受賞挨拶は、いつまでも記憶に残ることでしょう。

「この映画を大きなスクリーンで見てください。肩と肩を寄せ合って!」

映画への限りない愛と、コロナ収束への強い決意に満ち溢れていました。

小さな旅のおすそわけ・鎌倉

長引くコロナ禍の中で、皆んなストレスを感じながら暮らしていると思うのです。そのストレスを発散させ心身の穏やかさを保ちつつ、今しばらくは自分にとっての心地よさを考えながらの生活が必要ですよね。

今年のゴールデンウイーク(GW)は、平日3日間を休めば最大11連休になりますね。過ごし方で最も多かったのは「自宅で」の76%と出ておりました。本来ならば遠出の旅がしたいところですが、皆さんその「気分」を味わい近所の公園や神社、そして近場の運動・・・と、とにかく”密”を避けての生活です。何とか一日も早い収束を願います。

私は「まん延防止等重点措置」が出る前に先週鎌倉に小さな旅をしてまいりました。早朝一番のバスで下山し(ガラガラでした)鎌倉まで。

鎌倉に住む娘と合流し向った先は大好きな報国寺。このお寺さんの竹の庭で、竹林を渡る風を感じてみたかったのです。9時開門と同時に山門をくぐり、なだらかな参道に参拝者を導く「薬医門」。このお寺さんは禅寺ということもあり、外国の方がよく訪れておりましたが、コロナ禍で人はほとんどおりませんでした。

建武元年(1334年)報国寺開山(仏乗禅師)さまは、現在の地に休耕庵を建てて修行なされました。また余暇を得て、詩作を楽しみとしつつ、静かな御生涯を過ごされたそうです。本堂でお参りをすませ、竹の庭へ。約2,000本の孟宗竹の美しさと力強さに心が癒されました。その竹の庭を観ながらお抹茶いただきました。

茅葺のかねつき堂を見ながらお寺さんを後にし、鶴岡八幡宮でお参りをすませ、満開の「神苑ぼたん庭園」を散策しました。

そして、私の大好きな鎌倉山の「ハウスオブポタリー」さんで軽くランチをいただきました。レストランの中を初夏を思わせる心地よい風が流れ、”幸せ”とつぶやき帰りは鎌倉の裏道を歩きながら鎌倉散策を終えました。

ニュースなどでよく見かける鎌倉は人・人・人。でも一歩裏道に入れば静かな”古都鎌倉”があります。”巣ごもり”を強いられる中、自分流の密を避けてたまには小さな旅もいいものです。

映画「ミナリ」

あのブラッド・ピットが製作総指揮を担当した映画を見ました。
夫婦の絆、家族の愛を静かに歌い上げた作品でした。

「ミナリ」という題名のこの映画は、夫婦と子供二人が韓国からアメリカに渡り、農業で一旗揚げることを夢見る、1980年代の物語です。向った先はアーカンソー州。テキサス州の隣にありコメや大豆、鶏の生産などが主な産業の農業州です。西部開拓史というよりも、南部開拓史的な ”道行”ですね。

しかし、大型トレーラーハウスでの生活に、「こんなはずではなかった」と反発する妻。更に、夫婦にはヒヨコの鑑別という単調な日々の作業も待っていました。そして、息子は心臓に病を抱えていますが、近くに病院はありません。新しい生活のスタートは、たび重なる夫婦喧嘩から始まりました。

もめ事なく生活を送るのに、何かいい知恵はないかとひねり出したのが、妻の母親を韓国から呼び寄せることでした。しかし、来てくれたのは料理ができず、花札が得意という型破りのお婆ちゃんでした。さて、この一家は新天地でどのような毎日を送ることになるのか。

2時間近くに及ぶこの作品は、時間を全く感じさせませんでした。特に光っていたのが、祖母役のユン・ヨジョンと少年役のアラン・キムでした。最初は何かにつけギクシャクした2人でしたが、少しづつ心を開き、触れ合っていく過程がじっくりと丁寧に描かれていました。

とりわけ2人が森の中を歩くシーンは、映像としてもメッセージとしても、ひとつのヤマ場でした。ベテランと新人の絶妙なコンビネーションは、まさに演技を超えての自然体でした。それは、農業を足場にして、アメリカ南部の大地で根を張って生きていこうとする移民一家の決意なのかもしれません。

「ミナリ」とは韓国語で食べ物の芹(セリ)のことです。韓国の友人によれば、子供世代のために親が懸命に働くことも意味しており、年2回の収穫がある芹は、2度目が美味しいとされているそうです。

芹は国境を越え、世代を繋ぎ、力強く大地に根を生やし続ける、逞しくも優しいものの象徴なのですね。

人々の普遍的な生き方や相互理解の大切さを描いているこの作品は、アメリカ映画でもなければ、韓国映画でもありませんでしたね。ピットさん、素晴らしい国際映画を作ってくださいました。ありがとうございました。

コロナ禍でまだまだ元には戻れない映画館。係りの皆さん方は換気、清掃はもちろん、実に細やかな気配りで感染予防に努力されていました。感染の防止に向け、「重要措置」から「緊急事態」へと、各地の慌しい動きはまだまだ続きそうです。でも私は、静かに映画の応援を続けるつもりです。

映画公式サイト
https://gaga.ne.jp/minari/

美術家・篠田桃紅さん

会場に一歩足を踏み入れると、そこには驚くほど静謐な空気が流れていました。そして、キリリとした墨の直線が私を迎えてくださいました。墨の色と形は、作者の凛とした生き方そのものであり、改めて滝に打たれたような想いがいたしました。

先日、美術家・篠田桃紅さんの展覧会にお邪魔いたしました。篠田さんと書との出会いは、もう一世紀以上も昔に遡ります。幼少時に父親から書の手ほどきを受けた篠田さんは、墨と筆の世界に没頭し、独学で研鑽を重ねます。

終戦後、文字を超えて、墨の色や形の本質に迫ろうと、アメリカへ旅立つのです。ニューヨークでの2年間は、「水墨抽象画」という独自の世界を切り拓く大きなきっかけとなりました。余分なものをギリギリまで捨て去る発想は、もはや、文字の意味には捉われない、”心のかたち”となっていったのですね。

会場に展示された80余点の作品には、タイトルなどの個別情報は一切省かれていました。それは、「見る人の想像を狭めてしまう」という篠田さんの配慮を尊重したもので、「先入観を除き、作品そのものを見つめてほしい」との強い信念に沿ったものでした。

それにしても、「墨」の色は決して黒一色で括れないことがよく分かりました。奥行きのある、繊細で微妙な違い。これが墨色なのですね。篠田さんがニューヨークで体験したことは、「墨の色合いを表現し生かせるのは、湿潤さに満ちた日本の自然と社会だ」との信念に結実しています。

篠田さんがこれまで著書に記された多くの言葉を、今回もかみしめました。新刊に、「これでおしまい」があります。そこで述べられた一言は、穏やかで優しく、そして背筋が伸びるものでした。

「春の風は一色なのに、花はそれぞれの色に咲く。人はみんなそれぞれに生なさいってことよ」

明治の世が終わって直後に生を受けた篠田さん。一世紀を超えるその創作活動は、世界の美術界に多大な刺激を与え続けました。

今回の展覧会には、「とどめ得ぬもの 墨のいろ 心のかたち」という総合タイトルが付けられ、4月3日から横浜の「そごう美術館」で開催されています。そして篠田さんは展覧会オープンの直前、3月1日に凛とした気高い107年の人生を閉じられました。

作品に感動し、生き方まで教えて頂いた篠田さんの軌跡を今一度学びたい。5月9日の最終日までに再び、先生の謦咳に接したいと考えております。

感謝、そして合掌。

展覧会公式サイト
https://www.sogo-seibu.jp/yokohama/topics/page/sogo-museum-shinoda-toko.html

映画「ノマドランド」

  • アメリカ西部の大平原を、一台の古びたキャンピングカーが疾走しています。運転しているのは60代に差し掛かった一人の女性。彼女は過去から逃げるのではなく、新しい人生を求めて走り始めたのです。

映画「ノマドランド」は経済不況で仕事も家も失い、夫まで亡くしてしまった女性の、精神的な旅立ちの応援歌です。

ノマドとは「遊牧民」のこと。「流浪の民」とも言われます。主人公の女性・ファーンは、これまで築いてきた人間関係や財産を恨めし気に振り返るのではなく、本当に必要なものを改めて見つけ出す旅に出ました。

ファーンは「ホームレス」という言葉に反発します。「ハウスレス」だ、と言うのです。家を失ったが、キャンピングカーがある。そして、行く先々のオートキャンプ場で、心の通い合える仲間とホームができる。そこが、ノマドランドです。

ファーンのキャンピングカーには、亡き夫の必要最小限の思い出が積まれているだけです。モノはそれで十分、そんな思いなのでしょう。この映画には、豊かな奥行きや幅を感じることができました。

単にアメリカ西部の「非定住者」に限定された物語ではないのです。これはアメリカ在住の中国人女性、クロエ・ジャオ監督によって作られました。そして、主人公のファーンを演じたフランシス・マクドーマンはアカデミー主演女優賞を2度も獲得したベテラン女優ですが、「ノマドランド」では制作陣の一員としても参加しました。その成果は、ファーンの人物設定にも見て取れます。

大平原に佇むファーンには、男女の違いなどを超越した静かで力強い、ひとりの人間としての決意が滲み出ていました。2人の”合作”は、この作品に文化や人種、更には性別までも軽々と飛び越えた普遍性をもたらしました。

ノマドの人々は別れる際に「さよなら」とは言わないのです。
「また、どこかで会おう!」。
やはり、「ホームレス」ではないという自負心と凛々しさが溢れています。

勇気づけられ、少しゾクっとする映画でした。

映画公式サイト
https://searchlightpictures.jp/movie/nomadland.html

桜満開

箱根の森の中に家を建てて、かれこれ40年が過ぎました。ここでは日時計がなくて、年時計があって、春が来るたびにひとまわりするような大きな時計に支配されているような感覚があります。

淡い春の訪れが、樹々の色みの変化でしらされます。若葉がチラッと目につく前に、全山がぼおっとうす赤くなるんです。芽吹く前に一瞬の恥じらいをみせるかのような、こんな季節のひとときがたまらなく私は好きです。

前回もブログに書きましたが、山を下ると小田原の街があります。

ひと足早く季節を感じ、旬の食材を求め、山での暮らしを楽しんでおります。先週も桜満開のニュースを見て、「そうだ、小田原城の桜を見ましょう!」と出かけて来ました。

現在は満開ですが、先週は八分咲きくらいでした。人の少ない時間に出かけ満喫いたしました。小田原城は藤、菖蒲、ツツジと花々が咲き、いつも楽しんでおります。

箱根は標高差があるため長い期間桜が楽しめます。3月下旬から4月下旬まで、ソメイヨシノ、シダレザクラ、コメザクラ、そして私の大好きなヤマザクラが満開になります。庭の山桜は可憐な花がうつむいて咲き、愛しく想います。

子供が幼い頃は桜の木の下にゴザを敷き庭でのお花見を楽しみました。三月の土はもう充分柔らかく、あのときの”おむすびと卵焼き”は今でも懐かしいです。

小さな旅を含めたら、1年の半分は旅をしてきた私。仕事であったり、プライベートであったり・・・ほとんどが”ひとり旅”です。

桜が大好きな私。東京にもお気に入りの桜並木が何箇所もあって、「桜を一緒に見ない?」と女友達に電話して、一緒にお花見。今は不自由を強いられていますよね。

以前、小説「櫻守」をお書きになった作家の水上勉さんにお会いした時に、「桜は散って咲くから。春が来れば必ず咲く。散るはかなさではなく、散ってまた咲くということに、憧れるのですよ」とおっしゃるのを聞きました。

なるほど、そうなのかもしれないと思います。桜は散り際がいいとか、桜の花のようにパッと散ろうとかいわれたりしますが、私も水上さんのように桜の花を見ています。桜の花は散っても、桜の木はそれから芽ぶき、緑の葉を茂らせ、小さな実をいっぱいつけ、やがて紅葉。葉を落とし、冬は眠ったようになります。

そしてまた次ぎの春が来ると、再び花をまとう・・・。散るというのは、季節が巡ることであり、花を満開に咲き誇らせている桜の木に、私は命の永遠を感じ、安堵しているような気がします。私たちの命は終わる日がきても、桜が咲く春の風景は変わらないと、無意識に感じているのかもしれません。

来年は皆んなで静かに桜を愛でたいですね。

春の訪れ

私の一日の始まりは4時半頃に起床し、軽くストレッチをしてからウォーキングに出かけます。

冬の時期はまだ夜明け前。月明かりを頼りに歩き始めます。しばらく歩くと芦ノ湖の湖面にその美しい月が映り、星も輝いています。静謐な空気の中の山歩きは私には至福のときです。

春になると同じ時間でも夜は明け、外にでて空を見上げながら深呼吸をしてから歩きだします。最初の30分は速歩、そして帰りの30分は樹木を眺めながら、足もとの草花を愛でながら、季節の移り変わりを楽しみます。

先日”土筆”を発見!わぁ~春が来た・・・と嬉しくなりました。

子供のころ、野原や空地には沢山のツクシが出ているのですが、成長が早く時期も短いので、大急ぎでまめに探して摘みました。持ち帰り袴を取り、母の帰りを待ちます。

私は「卵とじ」が大好きです。今の時代にはとても信じられないことですが、私の子供の頃は、卵が貴重品でした。『ツクシの卵とじ』 一個の卵を丹念に溶いて、ゆっくりと鍋いっぱいに広げ、それを家族みんなで「今日はツクシの卵とじ汁だからごちそうだ」と、分け合って食べたものでした。子供心に、そのほろ苦さが春の訪れを教えてくれました。

正岡子規にも「くれなゐの梅ちるなべに故郷につくしつみにし春し思ほゆ」とあります。

これは明治三十五年三十五歳の春、病床を慰めるため、伊藤左千夫が、紅梅に土筆を配した盆栽を贈った時、それを眺めつつ作ったと書かれております。伊予の生まれの子規は故郷を思い浮かべながら詠まれたのでしょうね。

なんだか”春の香り”がほしくなりました。

さっそく先日バスで小田原のいつも行くスーパーに出かけてきました。我が家から約1時間揺られて小田原に着きます。1週間に1度は買い物に行きます。ほんとうに幸せです。

まず、朝獲れの近海魚が並んでいます。アジや金目鯛など。

野菜も地元の旬の新鮮な品々が並んでいます。この季節、キャベツ・新玉ねぎ・新じゃが・アスパラ・そら豆・さやいんげんなど等。そして山菜。たらの芽・うるい・野ぶき・ふきのとう・こごみなど、てんぷらでも、蕗味噌も美味しそう。ウドも三杯酢や味噌和えもいいですね。春の旬はたくさんあり、みずみずしいし、体に良い成分がたっぷり含まれています。”季節の恵み”に感謝です。

よく「山暮らしはお買い物が大変でしょう」と言われるのですが、そんなことはありません。1週間に1度の買い物は私にとって欠かせない重要な時間です。「いつまで、こうして買い物をし、重い荷物を持って、料理ができるかしら」とも思いますが、私にとって料理をすることはとても大切なな日常なのです。

子供の頃から母の手伝いをし、カマドでご飯を炊き、八百屋さんにいってはキャベツの外側の葉をタダでいただいたり、イワシを3匹買い、お手伝いを経験できたことはなんと幸せなことでしたでしょう。

料理学校に通った経験もなく、母がしていたことの見よう見真似でマスターしてお陰さまでいつのまにかレパートリーもふえました。4人の子ども達、男の子も料理好きです。

私たちの体は食べもので作られます。体だけではなく、心のもちようも、食事の内容で変わってきます。

心も?

そう。食べもので、人の気持も変化するのです。コロナ禍にあって若い人たちが料理に積極的に取り組む姿はとても美しく感じられます。  ガンバレ!