美術家・篠田桃紅さん

会場に一歩足を踏み入れると、そこには驚くほど静謐な空気が流れていました。そして、キリリとした墨の直線が私を迎えてくださいました。墨の色と形は、作者の凛とした生き方そのものであり、改めて滝に打たれたような想いがいたしました。

先日、美術家・篠田桃紅さんの展覧会にお邪魔いたしました。篠田さんと書との出会いは、もう一世紀以上も昔に遡ります。幼少時に父親から書の手ほどきを受けた篠田さんは、墨と筆の世界に没頭し、独学で研鑽を重ねます。

終戦後、文字を超えて、墨の色や形の本質に迫ろうと、アメリカへ旅立つのです。ニューヨークでの2年間は、「水墨抽象画」という独自の世界を切り拓く大きなきっかけとなりました。余分なものをギリギリまで捨て去る発想は、もはや、文字の意味には捉われない、”心のかたち”となっていったのですね。

会場に展示された80余点の作品には、タイトルなどの個別情報は一切省かれていました。それは、「見る人の想像を狭めてしまう」という篠田さんの配慮を尊重したもので、「先入観を除き、作品そのものを見つめてほしい」との強い信念に沿ったものでした。

それにしても、「墨」の色は決して黒一色で括れないことがよく分かりました。奥行きのある、繊細で微妙な違い。これが墨色なのですね。篠田さんがニューヨークで体験したことは、「墨の色合いを表現し生かせるのは、湿潤さに満ちた日本の自然と社会だ」との信念に結実しています。

篠田さんがこれまで著書に記された多くの言葉を、今回もかみしめました。新刊に、「これでおしまい」があります。そこで述べられた一言は、穏やかで優しく、そして背筋が伸びるものでした。

「春の風は一色なのに、花はそれぞれの色に咲く。人はみんなそれぞれに生なさいってことよ」

明治の世が終わって直後に生を受けた篠田さん。一世紀を超えるその創作活動は、世界の美術界に多大な刺激を与え続けました。

今回の展覧会には、「とどめ得ぬもの 墨のいろ 心のかたち」という総合タイトルが付けられ、4月3日から横浜の「そごう美術館」で開催されています。そして篠田さんは展覧会オープンの直前、3月1日に凛とした気高い107年の人生を閉じられました。

作品に感動し、生き方まで教えて頂いた篠田さんの軌跡を今一度学びたい。5月9日の最終日までに再び、先生の謦咳に接したいと考えております。

感謝、そして合掌。

展覧会公式サイト
https://www.sogo-seibu.jp/yokohama/topics/page/sogo-museum-shinoda-toko.html

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