アンニョンハセヨ

韓国から帰国いたしました。
福岡・熊本・関西空港・中部空港・羽田からと総勢40名の女性達がソウルに集合いたしました。
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この研修旅行も今年で15回目。
12回はヨーロッパでの民泊・グリーンツーリズム研修。
そして、韓国では農村女性グループとの交流を目的に、農家民宿やキムチ作り体験など盛り沢山の内容で、3年目の今年はさらに絆が深まりました。
澄みきった秋空の下、 コスモスの花が沿道に咲くなかソウルからバスで約1時間の場所にある八堂(パルタン)に向かいました。この八堂はソウル市民の飲み水となる川の水質を守るために有機農業が行われています。漢江(ハンガン)の上流域に位置しています。
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車窓の景色はビル郡から農村風景へと変化し、ビニールハウス、緑の山々。
「わぁ~うちの故郷の風景に良く似ているわ」・・・との声も聞こえてきます。
私はこの八堂での「親環境農業」という言葉に興味を覚えました。
「新」ではなく「親環境」・・つまり環境に親しむってどういうこと?
一同を出迎えてくれた組合長「八堂 生命 暮らし」の代表は有機農業の団体と30年来交流を続け、日本にもしばしば訪れているとのお話。
農薬の使用を減らすため、土づくりからしっかり取り組み、堆肥を多く施用し、「農村の環境を守ることが消費者の安全」につながるとの思いから「親環境農業」に取り組んでいます。(生産者会員・約90農家 消費者会員・約1800人)
彼らの生産する有機農産物はソウル市内のスーパーで販売されています。
韓国もソウル市への一極集中で経済発展を遂げ、農家の高齢化も日本以上に深刻です。
そんななかで八堂には新規就農者も徐々に増えてきました。
「都会で仕事をしてきましたが、ストレスもあり、今は自分達の生きがいを見出し幸せに過ごしています」と語ってくれたのは30代後半のご夫妻。昨年は奥さんのお腹に赤ちゃんが。今回は可愛い女の子を抱っこしていました。
ここまで来るのは大変な道のりでした。
それを支えているのが、都会の人たちです。ソウル市民は八堂の農産物を買い支えているだけではありません。市民が負担する水道代には、「水利用負担金」という項目があり、水源地域の農業を支援するために使用されます。だいたい一戸あたり月に三千ウォン(300円)、農家が堆肥など購入する費用にあてられます。
私は市内の市場のおばちゃん、学生さん、若い女の子にも聞いてみました。
「八堂の活動って知っている?」と。
「知っているよ、私達の飲み水を守ってくれているんだ」・・・と。
八堂にダムができたのは、1973年。間もなく、行政によって周辺に住む農家に農薬や科学肥料の使用が規制され、八堂周辺の農家とソウル市には軋轢もあったと聞きました。
何が成功へと導いたのでしょう。
「都市の消費者との交流で農村が元気になり誇りがもてたこと」と組合長は語ります。
この気持ちが市民の信頼を得、また健康志向も背中をおしてくれているのでしょう。このような考え方は、日本も参考にしてすすめていくべきテーマではないでしょうか。
ソウル支庁前で「ろうそく集会」が行われたのは5月初旬からでした。米国産牛肉の輸入規制緩和策に抗議する人々の中には幼い小学生まで参加していました。
ソウル市民は国産、地場産にドライになりつつある・・と言われる中で「親環境農業」が今後さらに国民的に認知され韓国の「農・食」を守ってほしいと願いました。
八堂で栽培された有機農産物を使った料理は美味でした。
昼食後「冬のソナタ」のロケにも使われた美しい景観の南怡島を見学し、華川郡のトゴミ村では廃校になった小学校に宿泊。ここでは地元のお母さんたちが結婚式等の祭事に出される料理を作ってくださいました。
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キムチ作りを体験し、昼食は村の食堂で冷麺を。北に近いからでしょうか、これが美味しいのです。ソウル市内では食べられない味。
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そして、ユ・チョン村へと移動し、各民家へ別れての宿泊。食事をしながら韓国伝統芸能「サムルノリ」太鼓を打ちながら農家のお母さんたちが見せてくれました。お返しに日本からは浴衣を着ての盆踊り。素晴らしい交流がもてました。
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農村滞在を終え市内に戻り、昼食は石焼ビビンバ。景福宮、仁寺洞など見学し、最後の夕食はサムゲタンとチジミでお別れパーティーを。
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わずか5日間の旅なのに、農の問題に真剣に取り組んでいるという連帯感がベースにあったからでしょうか、さながら懐かしい同級会の旅のようでした。
「浜さん、私、この旅で一生つきあえる友人とであえたのよ」
「ひとりではやっぱり淋しいときがあるけれど、自分と同じ思いでいる友がいる。いつだって自分の味方になって励ましてくれる友がいてくれる」・・・そんな声も聞こえてきました。
日本の農業と食は、もうぎりぎりのところまできているといわれますが、彼女たちと一緒にいると、日本の農業と食が壊れるわけがないと思えるのです。
“この笑顔があるのだもの、日本は捨てたものじゃない”・・・心の中でそうつぶやいていた私です。
「食アメニティーを考える会」を立ち上げて18年。海外研修(15回)
食べるという行為は、人間にとって、本来、もっとも愛おしいものではないでしょうか。
食べ物によってわたしたちの身体はつくられます。
食べることは生きることであり、食べ物は命そのものです。
自分の身体にたいするように、食べ物に対してはもっと謙虚に、もっと愛情をもって向き合わなくてはならないのではないでしょうか。
生産者と消費者、そして流通に関わるすべての人々がともに同じ思いで食べ物を大切に思う時代こそ、”豊かさ”という言葉がふさわしいのではないかと私は思います。

韓国の旅

「食アメニティーを考える会」の第15回「韓国で農村女性グループと交流する研修旅行に9月4日から8日まで行ってまいります。ヨーロッパを12回、韓国は3回目です。
共通点の多い日韓の農業・もっとも近い国で、文化の共通点も多くあります。帰国したらご報告いたします。
私が韓国に通い始めて15年がたつでしょうか。
きっかけは津田塾大学の高崎宗司先生のご著書「朝鮮の土となった日本人」(草風館)を読ませていただいて、淺川巧の偉業を知ることができたのです。
このご本は民藝ばかりか、人はどう生きるべきかを知らされる本として、心に響きました。
韓国の山と民藝に身を捧げた日本人、淺川巧の足跡をわずかでもたどりたい・・・との思いから始まった旅です。最初はコスモスの咲くころでした。
旅先で知り合った、巧の墓をお守りしてくださる方、韓(はん)さんにお話をうかがいました。
「私は淺川巧とは会っていませんが、彼がいかに朝鮮を愛し、朝鮮人ばかりか、朝鮮の美術、言葉、生活、文化のあらゆることを大切にした人だったとゆうことは、みんな知っています。いろいろなお話を大人から聞いているからです。たとえば、韓国では人が亡くなったとき、三角形のお煎餅を配る習慣があります。淺川巧が亡くなった日、大勢の方々が見送りにきてくださったために、ソウル中の煎餅がなくなったという話は、未だに語り草です」
お墓を守っていてくださる韓さんは、この話をお父さんから聞いたそうです。
それほど、朝鮮の人々に敬愛された日本人がいたことを、私は書物で知って以来、気になり旅が続いております。
朝鮮白磁の美しさを目にして、まあ、キレイというのは簡単ですが、その美しさに秘められたものをたどっていくと、そこに関わった人間が現れてくるのです。
韓国は、確かに不況なんだなあと、目に見える様子も見えますが、日本だって同じようなもの。
生活は待ったなし。庶民は日韓ともども、いろいろな工夫でどんどん新しくなっているんですね。
ソウルの町には、新しいセンスのいい店がふえたなあと、思います。
ときには泣きたくなるほど、完璧なカタチを与えられた壷の前では言葉を失います。感動のあまり、動けないことさえあります。ソウルの美術館で、あるいはさりげない骨董屋の前で、最近できたと思われる道具屋さんでも、すぐれたカタチに会えます。
韓国、そして韓国の人々も元気いっぱい。日本も負けてはいられません。
暮らしの変化がいろいろ起きていますが、”美しく暮らす”気持ちだけは捨てたくないですね。
不況でも、”美の国”の文化はしなやかに健全”であってほしい・・・と願います。
今回は総勢40名の旅です。
トゴミ村、ヨンホリ村の皆さんが待っていてくれる・・・村の市場で真っ赤な唐辛子の粉を買いましょう。キムチの漬けかたも教えていただきましょう。
おみやげ話を楽しみにしていてくださいね。

「第4回東北サミット」

読売新聞東京本社主催の「第4回東北サミット」が19日、秋田県横手市で開催されました。
今年のテーマは
「発信!東北ブランド」。
約700人の来場者。6県の知事によるパネルディスカッション。
そして私は「東北―農の王国」をテーマに1時間の講演を致しました。
東京の蒸し暑さと比べて、やはり空気はおいしく、空は広く高く、遠くに見える山々の深い緑は爽やかでした。そうした東北ならではの、澄んだ環境が空気を循環し、浄化してくれるのでしょうね。
本論に入ります前に、先日の岩手・宮城内陸地震で被災なさった皆さまにお見舞いを申し上げました。土砂崩れで全壊したハウス、地震で隆起・沈降し傾いてしまった水田、畜産農家ではバルククーラー自動給餌機が破損したところもあると聞きました。それでもJA女性部の方々が避難所で自ら炊き出しを行い、地域の人を心身ともに元気づけてくださったそうです。
私はそのことを知り胸がいっぱいになりました。今、日本から失われつつある地域共同体が、こうした人々の手でしっかりと引き継がれているのだと感じさせられました。
農業は、太陽、水、土など自然のすべてがうまく調和してはじめてなりたつ生業です。
それだからこそ、地震で大きな被害をこうむってしまったのですが、自然の力を知っているからこそ、きっと、これからたくましく復興してくださるでしょう。
この困難を乗り越え、もう一度日本の農業のためにも立ち上がってください。
皆さま、がんばってください。
以下が読売新聞秋田版・地域欄に掲載された講演内容・要旨です。
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国際的な穀物高騰や中国の冷凍ギョーザ中毒事件などの影響もあり、東北の農業に対する期待はますます高まっている。東北は食料基地にほかならないからだ。
東北に、おいしくて豊かな食文化があることは、共通認識。例えば、青森ではリンゴやニンニクが有名だが、長芋もおいしいし、ゴボウやサクランボもある。東北にたくさんあるそうした特産品をもっと多くの人に知ってもらうには、ブランド化することが必要だ。
ブランド化の条件として、三つのポイントがある。まず、地域で長年愛された名産品であること。次に生活の中で日常的に使えるものであること。実際に使うために「どう調理したらおいしいか」などの情報も届けてほしい。最後に、一定の生産量があり、安定供給できること。
首都圏をターゲットにするのも大切だが、同時に、地元でブランドを確立することにも力をそそいでいただきたい。地元の人がこぞって選んで食べ、太鼓判をおすことこそが力になる。
東北には、美しくて懐かしい村や町が残っているが、住んでいる人たちは自分たちの暮らしの素晴らしさに気付かないもの。まず、「ここにこんな素敵な場所がある!」と声を上げて全国に知らせてほしい。
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このような話をさせて頂きました。
今やマーケットのカギを握るのは女性です。
車、家電、インテリア・・・これまでは男性が決定権を持っていたといわれるものまで、今や女性の意思をないがしろできない時代となりました。
ましてや、食卓に何を乗せるかという決定権を持っているのは女性です。
女性のことは女性に聞くのがベストです。
さらに、女性ならではのきめ細やかな視点が、ブランドを作る意味でも不可欠だと、私は思います。これまでも、長年、農村女性たちと語りあってきました。そうした農業に携わる女性たちと話すと、いつも感激することがあります。
それは彼女たちが、命の輝きを暖かく見守るような優しさで農業や食のことを考えているということ。
女性という性は、命をはぐくむ性だからでしょうか。
自分自身が家族に安心して食べさせたいと思うような、確かなものを、作って、販売したいという気持ちが・・・男性にこういっては申し訳ないのですが、女性のほうが強く思っているような気がします。
そして・・・
グローバルに考えることはもちろんですけれど、大切なことは、足元をきちんとみることです。
いってみればグローバルに考え、ローカルに、ドメスティックに行動することだと思います。
それが、ブランド化するために必要不可欠なことだと、私は思います。
困難なことも多いでしょうが、あせらずたゆまず、一歩一歩、大地をふみしめるように歩んでゆきましょう!
横手から奥羽本線にのり大曲、新幹線に乗り換え箱根の山に戻り、皆さまの真剣なお顔を思い出しました。
「食べることは生きることにつながる」心にとめておきたいですね。
尚、本日(29日)の読売新聞全国版にも掲載されております。

“もう一度 お逢いしたい”・・・貴女に。

立秋もすぎ暦の上ではもう秋。
雨かと思えばカッと晴れ間がきたり、突然の大雨で被害が出た地域もありで・・・。被害が出た地域の皆さまにはお見舞い申し上げます。
お盆を迎えると、ふと、あの人を思い出します。
ああ。あの人にもうお手紙を書く住所はないんだわ。そんな思いが唐突に私をおそって・・・。なぜか、ものすごく悲しくなります。
その人は、森瑤子さん。
現代の女性を魅了した作家・森瑤子さんは1993年夏に亡くなって、15年も経つんですね。
あの日、東京・四谷の聖イグナチオ教会の裏側の小部屋の棺に安置され、あのいつものあでやかな瑤子さんとは違い、お化粧もなく、少女のような透明な肌にモナリザのような穏やかな笑みを浮かべた瑤子さんの最期は、いえ最期というより、私には始まりではないかと、そんなふうにも見えたのです。
たった数分間のお別れでしたのに、たくさんの思い出が頭の中を駆け巡り、いくつかの旅を思いだしました。
瑤子さんはいつも口癖のように、出会いって不思議ね、と仰っていました。
「人はいつも会うべくして会うのよ、偶然じゃないわ。あなたとだって、きっと今日、こうして会うように定められていたのだから、出会いを大切にしましょう」そうおっしゃって、お会いしたその瞬間から、もう何年来ものお友達のように接してくださったのです。
私にとって忘れられないのは、瑤子さんの与論島の別荘をお訪ねしたときのこと。
瑤子さんはお仕事をかかえていて、一日遅れで与論にいらっしゃるとのことでした。私と作家のC・W・ニコルさんご夫婦とで先に与論島に行きました。与論島の海の青さはそれはそれは美しく、引き込まれそうになるくらい魅力的です。二コルさんが先に潜り、私も水深7~8メートルほど潜ったとき、私はその海の中に見つけたのです。
誰かが、彫刻を置いていったのではないかと思ったほどの、2メートルはあろうかという女性の胸像に似た岩を。その横顔がなんとも瑶子さんにそっくりだったのです。翌日、瑤子さんにそのお話をすると、瑤子さんは「まったくしらないわ」とびっくりされて「一度見たいものね」とおっしゃいましたが、再び海中のその地点に私は戻ることができないと思いました。
その次の夜。
彼女の別荘の続きにあるプライベートビーチで、真夜中。月が煌々とあたりを照らす海で泳ぎました。水着をつけず。
瑤子さんはキレイなクロールで静かに水をかき分け、ときおり肩や背中が月明かりを受け輝いて見えたのが、未だ私の目の中に残っています。
海から上がり、夜更けまで二人でぽつりぽつりとお話をしました。瑤子さんは自分のことはさておいて、必ず「あなた、どお?」とまず、こちらにホコ先を向けます。つい甘えて、おしゃべりして、じゃあ、もうやすみましょうとなるのです。
ふと気づくと、私は何も瑤子さんのお話を聞いてさしあげられなかった、後悔したものでした。繊細で感受性に富んだ感性の人であったし、揺るぎない人という認識でしたから、彼女の内心に抱える苦悩など思い至らなかったのでした。
今なら・・・少しは大人になれた私なのに。
優しさのかたまりのような森瑤子さんでした。
私が、自分探しのエッセイ「花織の記」という本を書き上げたとき、瑤子さんにあとがきをお願いしたことがありました。お忙しい売れっ子作家にあとがきをお願いするのはためらわれましたが、ふたつ返事で書いてくださることになりました。締め切りぎりぎりの真夜中、我が家のファックスがカタカタと鳴り、瑤子さんからのファックスが届きました。
瑤子さんはワープロを使いません。特徴のある太字の万年筆で原稿用紙の升目からはみ出るようではみ出ない、躍るようなその文字が原稿から立ち上がるような気がしました。
その文章を引用させていただきます。
時に私は、講演会などで一時間半も人前で喋ると、身も心も空になり、魂の抜けた人のように茫然自失してしまうことがある。あるいは一冊の長編を書き上げた直後の虚脱感の中に取り残されてしまうことがある。そんな時、私が渇望するのは、ひたすら慰めに満ちた暖かい他人の腕。その腕でしっかりと抱きしめてもらえたらどんなに心の泡立ちが静まるだろうかという思い。
けれども、そのように慰めに満ちた腕などどこにも存在しないのだ。そこで私は自分自身の腕を胸の前で交錯して、自分で自分自身を抱きしめて、その場に立ちすくんでしまうのだ。
おそらく、美枝さんも、しばしばそのように自分で自分を抱きしめてきたのではないかと、私は想像する。今度もし、そんな場面にいきあたったら、美枝さん、私があなたを抱きしめてあげる。もし、そういう場面にいきあったら。
私にとって、この文章がお別れの文章になりました。
15年がたつのですね。
もう一度、お逢いしたい・・貴女に。
今でも町でお帽子をかぶった女性を見かけると、ハッとします。帽子が似合う人でしたから・・・

鳥取を訪ねて

因幡の白うさぎ・・など民話のふるさとでもある鳥取に行ってまいりました。
これまで何度もお邪魔している鳥取。
今回は県民カレッジの講座に招かれました。
自然・歴史・温泉・食と酒・そして、人の温もりが宿る民藝。
何度伺っても多くの自然を残した雄大な風景は日本の宝です。大山のブナ林は動植物の宝庫ですし、鳥取県の約7割は森林です。森を守るため、「森林環境保全税」を導入しているとのこと。
素晴らしいですね。
四季折々の花も楽しめます。
有機・特別栽培物の生産など「環境に優しい農業」にも積極的に取り組んでおられます。
そんな、鳥取で忘れられない村に出会ったのは今から17年前のこと。
「香取村」大山北面の中腹、標高350mから1,000mにも位置する高原開拓村の美しさは、この目で見られる理想郷です。
かつて大正浪漫主義が希求した「新しき村」が芸術家、文学者によるイメージの村であったことが思い起こされました。
大山山ろくの香取村を訪れ、当時香取開拓農協組合長、三好武雄さんにお話をうかがいながら、私はふと先にあげたロマンチスト達の新しき村を思い起こしていました。
皆んなが等分に働き、汗の中に生の歓びをしるという。それが生きていることの証しと新しい村を興した詩人や文学者の夢はあえなく消えてしまいましたが、それが決して夢物語ではないことを香取村の人々は示してくれました。
昭和大不況の折の満州入植。敗戦と生き地獄のような脱出行、そして戦後の再出発・・・三好さんは昭和21年の夏、香取村のある場所に探査にたどりつき、「この場所だ」とひらめいたそうです。
戦後、食べることに四苦八苦していた時代に「金の欲しい経営より、生活が楽しめる経営へ」をスローガンにした香取村づくりのスローガンに、まさに村づくり百年の大計があるように思いました。地道なご苦労を支えたのも夢と理想があったからこそ。
百年の大計の中での村づくり・・・。
国家は果たしてそのような大計があるのでしょうか。
このごろ疑問に思います。
日本国土も又、一人一人私たちが夢と希望を託し、参加できる開拓の地であらんことを。

緊急報道スペシャル~食料危機~あなたは生き残れますか

TBS緊急報道スペシャル ~ 食料危機 ~ あなたは生き残れますか
7月16日夜放送(18時55分~20時54分)に出演いたします。
司会:関口宏さん
コメンテーター:涌井雅之さん(桐蔭横浜大学特任教授)
ゲスト:
立松和平さん、永島敏行さん、
田中義剛さん、高木美保さん、
大桃美代子さん、そして私 浜美枝です。
自給率39パーセント(カロリーベース)のわが国。
なぜこのような低さになってしまったのでしょうか。
世界中で食料の争奪戦がはじまりました。
そして、環境破壊が論じられています。
私達の住むこの地球はどうなるのでしょうか!
国民ひとり一人の問題として考えてみましょう・・・という番組です。
久しぶりのテレビ出演で緊張しておりますが、私も40歳で演ずることを卒業し、子育てをしながら全国を旅し、毎日の家族の食を担い、辺りを見回すと、
とんでもない時代になっていたんですね。
日本はどこへ行こうとしているのだろう?そんなわけで私なりの勉強を始め「農・食」の道に踏み込みました。
田畑をお借りし、10年間米づくりも学びました。
そんな経験の中での今回の番組出演。
「農・食」をテーマにテレビが取り上げてくれるのは、現場を回っている私には大変ありがたいことです。
皆さん、共に考えてみませんか。 
戦後日本の食の歩み、日本の農村風景の変化、
養鶏・酪農・水産の現場、
原油高の影響が地球にもたらす事、
原油高騰の背景にあるものは「食」を揺さぶる市場経済。
食料危機が迫っています。
ぜひ来週、水曜の夜の番組をご覧ください。 

何か変ですね

何故こんなに食べ物の値段が高くなるのでしょう。
何故こんなに偽装が発覚し、人々の暮らしをおびやかすのでしょう。
食料の争奪!・・・がはじまった。など等、輸入に頼りきっている私達の台所が大変な事態になっています。
第一次生産者が誇りをもって農業・漁業・酪農などに従事できるように、そして消費者が確かな目を育てられるように、ひいては「安らぎの食卓」を支える安全な食品をだれもが当たり前に手にいれられるようになればと、私なりに情報を発信し、提案を重ねてきたつもりでおりました。
ですから、わたしにとって、近年続出した食をめぐる数々の事件は、本当に衝撃そのものです。
なぜ、こんなことが起きてしまうのでしょう。
モラルの低下や対応の遅れが指摘されていますが、わたしは何より、笑顔で食卓を囲み、健やかに暮らすために食事を味わう・・・当たり前のことが欠落しているのではないしょうか?
本当の「本物の時代」を、自分たちの手で切り拓いていく時期にきているのではないでしょうか。
では、本物ってなんでしょう。
私は共生共栄ということではないかと思うのです。
「損得」でビジネスを考えるのではなく「善悪」という視点からとらえ、展開していくようなお互い信頼関係がきずけないものでしょうか?
切磋琢磨できる関係を作りあげられないでしょうか?
 
「体に悪いものは作らない・売らない・買わない」
そんなこと、夢物語でしょうか?
なぜ、命と直結している食品と、ガソリンに代わるエタノール用のとうもろこしを奪い合うのでしょうか。
資源の乏しい日本はこのままでいくと、安心して暮らせなくなります。
こうした時代、カギは「女性の視点」にあります。
子を産み育み、健やかな命を次世代につないでいこうとする女性、そして命を丸ごと抱きしめることができる女性ならではの視点を、真ん中に据えて、常にその思いに立ち戻りながらものごとを進めていけば、”何か変”は解決できるのではないでしょうか。

沖縄・・・「ブクブクー茶」

みなさん!沖縄のブクブクー茶ってご存知ですか?
先週、沖縄に伺ってまいりました。「沖縄伝統ブクブクー茶創立15周年」を記念し”ブクブクー茶の会”にお招き頂きました。
明治、大正、昭和の初期に主に那覇で飲まれていた、伝統文化の一つであり、庶民の間で親しまれていたお茶を、見事復活にご尽力なされた、新島正子先生はじめ安次富順子先生、保存会の皆さま、そしてこのお茶を愛する、お仲間250名ほどの会でした。
一度聞いたら忘れられない・・・名前。ユニークですよね。ブクブクー茶!山盛りの泡には驚きました。泡の上にふりかけられた落花生。泡の下にはご飯。立て方、飲み方、なんと、おおらかなのでしょうか!
しかし、今日を迎えるまでには、皆さまの大変なご苦労があったことでしょう。
〇 水を選び、泡立てが難しいこと
〇 小豆ごはんを煎るのに大変な時間がかかること
〇 当時の道具がなかったこと
〇 戦後、清涼飲料水が普及し、お茶を飲まなくなったこと
など、とくに「泡立つ水を探して」・・・玉城村(たまぐすくそん)垣花桶川(かきのはなひーじゃー)の水はサンゴ礁を伝わって採れる地下水。カルシュームをたくさん含んでいる硬水に出会います。戦後姿を消した”幻のお茶”の復活です。
私も茶せんで泡立てを体験させて頂きましたが、普通のお茶をたてるのとはチョッとコツが違い盛り上げ方が難しいのです。きめ細かな固い泡は10分から20分大きな茶せんを振ります。
ブクブクー茶には人を和らげ、ふれあいを大切にするお茶と伺いました。
特に女性に好まれ、家族の誕生日、旅立ちの祝、内輪の祝などに飲まれていたようです。
何かと殺伐とした世の中にあって、この沖縄のお茶の果たす役割はさらに大きくなるのではないでしょうか。
私と沖縄のご縁はずいぶん前にさかのぼります。
私が始めて沖縄に行ったのは今から45年ほど前のこと。まだパスポートが必要な時代でした。
10代で「柳 宗悦の・民藝運動」に心惹かれ、心の師と仰ぎ、その書の中に「沖縄こそが日本の民藝のふるさと」と記されてあると、何がなんでも沖縄に行ってみなければ、と向学心いっぱいの10代の終わりの私でした。
素敵な出逢いもたくさん頂きました。そのお一人が今回のブクブクー茶の復元にご尽力なされた
沖縄調理専門学校校長でもある新島正子先生。戦後、沖縄の郷土料理の復元にも取り組まれました。
「苦闘の歴史を経てなお、人々の記憶の底に郷土の味が残っていた。文化はけっして滅びない。占領されない」との言葉はわすれられません。今年92歳。かくしゃくとなさっておられます。
なぜか沖縄を訪ねると故郷に戻ってきたかのような安堵感を覚えます。その理由は人・・・。
特に沖縄の女性たちの、辛いことがあっても空を見上げてスクッと立ち続ける明るさとたくましさ。面倒見がよくて、働き者で健康的な気質。そのすべてに強くひきつけられるのです。
暑い日ざしの中を歩いていても、木陰に入るとほっとします。そんな時、ビールもいいですが、
“ブクブクー茶”がほしくなります。
沖縄伝統・ブクブクー茶保存会の皆さまのご活躍を心よりお祈り申し上げます。
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食アメ・ネットワークの会 ”鳴子の集い”

先週末、宮城県北の鳴子温泉・鬼首(おにこうべ)岩出山、そして栗原市に行ってまいりました。
全国から80名の仲間が集まりました。
“食アメニティー・コンテスト”がスタートしたのは、平成三年のことでした。
当時は、アメニティーという言葉さえ、まだまだ市民権を得ておらず、「アメニティーってなんですか?」というご質問いただくことも度々でした。それから18年。
今や、多くの農山漁村の女性の方がコンテストに感心を抱き、自分たちの活動を見てほしいと、応募も積極的になされるようになりました。
農家の女性達が、新しいことにチャレンジし、活発に動き出したことにより、地域全体が活性化するようになったのです。そんな女性たちの強さ、優しさ、未来へとつなげていくしなやかな力を、改めて認識した今回の旅でした。
食アメニティー・コンテストで自然発生的に生まれたのが、「ネットワーク会」です。第1回目ヨーロッパ・(ドイツ・イギリス)にグリーンツーリズムの研修旅行が終わってしばらくしたころ、参加者からもう一度、集まりたいということで、箱根の我が家にほぼ全員が集合しました。
わずか10日間の旅なのに、農の問題に真剣に取り組んでいるという連帯感がベースにあります。
仲の良い姉妹のように、話に花が咲きました。
せっかく集まるなら、そこで同じ問題にみんなできちんと取り組み、勉強をしたいという思いが大きくなり、「食アメ・ネットワークの会」がスタートしました。今年が9回目。
いつの間にか9年の月日が経ち、毎回、地産地消、食育、ファーマーズ・マーケットでの活動、地域の活性化などといった、テーマでディスカッションを行ったり、会場は女性たちの熱気でむせかえるほどです。全国での開催ですから、地域を視察し、お仲間も増えます。この頃は消費者の方、学生さん、農のサポーター・・・など、横の連帯を大切に出来るパワーも生まれました。
「浜さん、私、この会で一生付き合える友人と出会えたのよ」
何人から、この言葉を聞いたことでしょう。大人になってから、心の本音をうちあけられる友人にめぐり合うのは大変なことです。何も案ずることなく、心の奥底にしまっておいた事まで打ち明けられる・・・そんな気持ちにしてくれる、なごやかさと優しさがこの会の特徴だといえるでしょう。
「ひとりではやっぱり淋しいときがあるけど、自分と同じ思いでいる友がいる。いつだって自分の味方になって励ましてくれる友がいる。その友も同じ青空をきっと見ている。だから、頑張れる!」と参加者からお手紙をいただいたこともありました。
実は私も同じ思いです。日本の農業と食はもうぎりぎりのところまできているといわれます。
しかし、彼女たちの顔を思い浮かべると、日本の農業と食が壊れるわけがないと思えるのです。
食料の争奪が世界中で始まっています。ムラ存亡の危機も問われています。
日本の農業は再生可能でしょうか?
しかし、女性が必ず変える農業・農村・・・だと私は信じております。
「食は命に直結しています。農は国の根幹です」
命の輝きを温かく見守るような優しさで、あせらずたゆまず、困難なことも多いでしょうが、一歩一歩、大地をふみしめるように歩んでゆきましょう。
彼女たちは、日本の”美しく善きもの”を象徴していると私には思えます。
「食アメコンテストの会」「ネットワークの会」会長として、微力ながらこれからも皆さまと共に歩んでまいりたいと思います。
“未来の子どもたちのために”
今回は鳴子温泉、鬼首の方、岩出山の方、そして栗原市の方。大勢の方々から美味しい料理、優しいおもてなしをたくさん頂きました。現場で頑張っておられる方に勇気も頂きました。
何度、嬉しさで胸が震えたことでしょう。
ありがとうございました。心より御礼申しあげます。
また、再会できる日を楽しみに致しております。
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地震 お見舞い申しあげます
本日14日 8時43分ころ、岩手、宮城で震度6強の地震がありました。先週末、お邪魔した所です。栗原市、鳴子温泉・鬼首(おにこうべ)岩出山。
鬼首はブナ原生林に囲まれた1,000m級の山々が連なっており、鳴子温泉から国道108号で入っていきます。たった一本の山道、がけ崩れなど心配しております。
地震に遭われた方々にお見舞い申しあげます。
被害が広がらない事を心よりお祈りいたします。

「美の里づくりコンクール」~こんなに美しいむらがありました

昭和61年にスタートした「農村アメニティーコンクール」から19年。
装いも新たに「美の里コンクール」がスタートして今回が第3回目。
主催
農林水産省
都市と農山漁村の共生・対流推進会議(オーライ!ニッポン会議)
(財)農村開発企画委員会
私は1回目から審査委員として参加しております。表彰対象は、農村漁村の美しい景観を生み出す活動や取り組みをしている団体です。
今回、農林水産大臣賞を受賞したのは福井県越前市 安養寺町(あんようじちょう)です。
“自然を奏で、未来を創造するまち”・・・をキャッチフレーズに、素晴らしい活動をしています。
集落内に自生する「さぎ草」を守り育てる活動、「さぎ草王国」、地域住民と市民とともに里山の保全活動を行う、「郷の森・里楽(りらく)」、恵まれた自然を生かした保全活動は地域住民の想いがあればこそ・・・できるのです。
住民が一丸となって取り組んできた活動が今回の受賞につながりました。
森づくり活動・ビオトープづくり・ため池整備・遊歩道整備・小学生も巻き込んだボランティアによる無理のない活動。けっして派手ではない地道な活動は今の時代、もっとも必要とされています。
私がこの町を訪ねたのは晩秋のころ、静かな佇まいを見せるこの集落には爽やかな風を感じ、人々の優しい心が伝わってきました。
作業にあたっては、
〇 機械を入れない、基本は手作業で!
〇 自己責任で行動を!
〇 持ち込まない、持ち出さない!
〇 ゆっくり、ゆっくり無理なく作業!
をキャッチフレーズに取り組んでおられます。
集落内に生息する絶滅危惧種の「アベサンショウウオ」「ハッチョウトンボ」などの保護活動も積極的に行われています。
表彰式に臨まれた方々のなんて素敵な笑顔。
「今日、東京に来るまで、『まさか・・・』と信じられませんでしたけど、喜びと同時に、これからの町づくりのプレーシャー(笑)になります。10年ほど前、若者たちが町に出て行くのに、何とかせないかん!との思いが集落の個人個人に生まれ”遊び心でやろう!”との思いからスタートしました。しかし、どんなに頑張っても山の中はゴミ捨て場になってしまう・・・困ったものです」・・・と。
日本列島全体でみますと、空洞化する集落が増えています。
耕作放棄地も広がってきました。
「限界集落」という言葉に抵抗を感じつつも、中山間地域に占める限界的・危機的集落はグローバル化の流れにのみこまれそうです。
そんな時代だからこそ、安養寺の皆さん・・・ありがとう!と申し上げたくなります。
子供たちが植えた”ひまわり”に未来を託したいと思います。
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