クロワッサンで朝食を

ジャンヌ・モロー主演の映画「クロワッサンで朝食を」を観てまいりました。
彼女の存在そのもの、その生き方が女性の憧れであり半世紀を超えて第一線を走り続けています。
ルイ・マルの「死刑台のエレベーター」、「恋人たち」、「危険な関係」、トリュフォーの「突然炎のごとく」でふたりの男の間で揺れる女を。「黒衣の花嫁」のジャンヌ・モロー。1968年トリュフォー監督作品。私が25歳の時に観た大好きな映画。
老いすら美しい彼女。
誇り高く、背筋を伸ばし、女であることを捨てない・・・いえ捨てずに生きることの大切さを感じさせてくれる映画。「クロワッサンで朝食を」のストーリーはあえて書きません。
ただ、パリのような大人の街、環境だから可能なのでしょうか。
監督のイルマル・ラーグが、ある実話にもとずいて描かれた作品です。
今回の映画の中で着ているシャネルのスーツ・バッグはすべて自前だそうです。その空間はまるで彼女自身の自宅のよう。
60年間にわたって女優を続けてなお輝きをますジャンヌ・モローに乾杯!

学生たちと若狭でのフィールドワーク

近畿大学・総合社会学部の客員教授をお受けして4年目。
今年ですべての講義が終了いたします。
初回に「この美しいキャンパスを港として、どんどんフィールドワークに出かけましょう」と毎年、答志島と若狭へ出かけてきました。
「自分らしさの発見ー暮らし・食・農・旅がもたらすもの」をテーマに学んできました。
“この目で見て、この耳で感じる”・・・それを何度も繰り返してきました。
その中から人の暮らしが見えてきます。
「現場を歩く大切さ」
「食は命」
講義を担当させていただき、学生さんたちとのやり取りを通して、私もまたもう一度学び直すことができました。
TPP交渉も始まりました。
国家百年の計・・・と安倍総理はおっしゃっています。
農業の衰退は国を滅ぼします。
農業をはじめとして、私たちはどんな国を目指そうとしているのでしょうか。
“美しい日本の暮らし”
私たちが生きて暮らしているこの日本という国を、「誇りに思っている」と胸を張っていえる人がどれだけいるでしょうか。
私たちの子の世代に、孫の世代に、一体何を、誇りを持って受け継ぐことができるのか・・・。「物」と「お金」を必死で追い求めた時代。それを得ただけでは心から幸福にはなれないことに、若者は気づきはじめました。
この4年間、若者から多くのことを学ばせてもらいました。
ありがとう。

今回の若狭での経験を簡単ですが、感想文として寄せてくださいました。
私は今回の大飯町でのフィールドワークに参加して普段大阪にいるだけは感じることや、学ぶことのできない多くの体験をすることができました。様々な人との出会いもあり、お話を聞けたり、体験もでき、私にとってはとても貴重な経験になりました。大飯町の人はどの方もあたたかい人ばかりでまた交友関係が広くみんなが仲の良いように感じました。これも大飯町の魅力なのだと思えました。お世話になった方々、貴重な経験をさせていただき本当にありがとうございました。機会があればまた大飯町に訪れたいです。
【植田 直弥】
今回のインターンシップで多くのことを学びましたが、その中でも最も感じたことは、食の大切さです。農家の人たちに関する映像を見たり、実際に農家の人の話を聞いたりして、とても苦労して作っていることを知りました。そんな国内の農家のために私たちができることは、できるだけ国産のものを買うことにあると思います。また、それは私たちにとっても安心を買うことにつながると思うので良いことだと思います。
【川端 達也】
今回の福井県でのインターンシップでは多くの貴重な経験をする事ができ、またとても楽しかった。竹紙作りや畜産農家の方に聞いた、苦労話やTPPへの思い。ほかにも多くの事を学ぶ事ができた。松井さんのおっしゃった「何にもないけれど、探せば何でもある」ということをしっかりと理解し学べたと思う。
【橋本 拓也】
私は、大阪に住んでいるのであまり自然と触れ合う経験があまりなかったのですがフィールドワークで見渡す限りの田園風景、山々の中を自転車で駆け巡り、様々な場所に行きそこで滝に打たれたり竹で紙を作ったりなど、たくさんの体験ができました。そしてたくさんの人たちの出会いもありました。訪れた場所でお話を聞き、バーベキューにいらっしゃった人たちとの交流や、案内してくださった松井さんの農業やおおい町の話を聞かせてもらい良い経験ができました。このフィールドワークは私にとってとても貴重な経験になりました。
【濵口 洋平】
今回の体験を通して、どれだけ自然が大事なものであるかということと、人と人との関わりの大切さを学んだ。三日間という短い日数の間だったけれども、その間にたくさんの新しい人と関わりを持つことができたし、松井さんからたくさんのことを学ばせていただいた。三日間本当に楽しかった。ありがとうございました。
【古川 恵里那】
今回のフィールドワークでは自然の素晴らしさを感じるだけではなく、現地の方々からお話を伺うことで自分の知らないことが数多くあることに気づきました。そのなかでも特に畜産や農業の一部を実際に見学することが出来、興味深く感じました。この2泊3日の経験を通して学んだことをしっかりと受け止め、考えることでこれからに生かしていきたいです。
【森田 勇佑】
おおい町では、目にするもの、食するものすべてが都会とは大きく異なっていました。若州一滴文庫を訪れたり、滝を見たり、畜産農家での見学、釜の見学、渡辺淳先生のアトリエにお邪魔させていただくなど貴重な体験を数多くさせていただきました。食べ物も新鮮でとてもおいしかったです。ぜひまたおおい町を訪れたいです。
【渡邊 絵梨奈】
やまぼうしのフィールドワークは、都会ではできないことを体験することができました。また、のどかな風景を自転車で進むのは爽快でした。ここでの体験は今後の人生の糧になると思います。最後に、楽しく、スムーズに過ごせたのは、松井さん家族をはじめ、若狭のお世話になった方々のおかげです。本当にありがとうございました。
【塩澤 洋佑】
今回のフィールドワークは去年に引き続き二回目で、お手伝いとして参加させて頂きました。去年の内容には無かった椎茸工場の見学や紙すき・絵付け体験など、二回目の参加でもとても学ぶことの多い機会だったと思います。今回のフィールドワークに関わって下さった多くの方々、誠にありがとうございました。
【仲 勇至】
授業では二回目、実際に訪れるのはもう何回目かわからない福井県おおい町ですが、行く度に新たな発見がある素敵なところだと感じます。自転車で風を感じながら、おおい町で様々な体験をすることができました。今回は特に地元の方たちとお話できたのがすごく印象的でした。貴重なお話を聞くこともできてこれからのことを考えるよい機会となりました。ここでの出会いを大切にしていきたいと思いました。
【井實 彩嘉】
都会から離れ、大自然のなかで過ごした三日間は心身ともにリラックスできた時間になりました。おおい町は、見渡す限り山と田んぼで何もないように見えたが、学びがたくさんありました。それは地元では見れない農家を営むひとたちであったり、自分が知らないおおい町の文化です。この三日間は非常に濃く、考え、感じる三日間になりました。
【高本 典愛】

京都・相国寺へ

暦の上では8日から秋になりますが、実際は一番暑い夏の日。
それでも、ふと山は秋が近づいていることを感じさせてくれます。
そんな真夏日の早朝、京都・相国寺にお邪魔してまいりました。
座禅をくんだあとの皆さまの前で6時からお話をさせていただきました。

畳の講堂に座る方々の清々しいお顔を拝見しながら、緊張は致しましたが皆さまとのご縁に感謝いたしました。
6日は広島で、本日9日は長崎でそれぞれ平和記念式典が行なわれます。
太平洋戦争が終わって、今年で68年。
夏の盛りに、戦争は終わったのですね。
蝉の鳴く境内を歩き、美しく咲く蓮の花を見ながら講堂へと向かいます。
世界で唯一の核被爆国として、平和への祈りを捧げ、平和への思いを深く考えました。
そして、人と人との出逢いの素晴らしさを改めてからだで受け止めました。
臨済宗相国寺派大本山・相国寺
法堂(重文)は桃山時代の遺講で我が国最古の法堂、入母屋造りの唐様建築で本尊釈如来は運慶作です。
豊臣秀頼によって再建されたもので、現存する法堂の中で最古のものだそうです。
話を終え、お粥をご馳走になり法堂にお参りさせていただきました。
天井には狩野光信によって描かれた龍の図がそれは見事です。
「鳴き龍」として有名です。
手を叩き、その音に心静まり感動の瞬間でした。

前日に見た相国寺・承天閣(じょうてんかく)美術館で開催されている「伊藤若仲の名品展」も素晴らしかったです。若仲に多大な影響を与えたお寺さん。
鴨川の流れが朝の陽射しに反射してキラキラ光っていました
そして町を見守るように、しっとりと四方を取り囲む山々・・・
初秋の到来が待ちどうしい京都の二日間でしたが、大きな希望ももたらしてくれた旅でした。講堂でご一緒した皆さま・・・ご縁をありがとうございました。

伊勢湾に浮かぶ「答志島」への旅

大阪の近畿大学、総合社会学部の客員教授として講義を受け持って、今年で4年目になります。
私が大切にしていることは、机を前にして考えることも大事ですが、自分の足で歩き、体感し、考えることです。
最初の年から最も取り組みたかったフィールドワーク。
今年も「寝屋子制度」(ねやこせいど)を学びに答志島に学生達と行ってまいりました。

授業を終えて、近鉄で三重県鳥羽市へ。
そこから離島・答志島へは船で約30分です。
大都会で暮らす彼らはまず、その自然の風にふかれ磯の匂いに心地良さそうです。
答志島の答志町答志地区に古くから伝わる寝屋子制度。
この制度は何時からかは判明していませんが、百年以上前からこのしきたりが続いています。
かつては西日本には何箇所かあったようですが、現在はここだけに残っている制度です。
寝屋子という若者宿は、高校(かつては中学校)を卒業した同年齢の子を集め仲間を作り、受け入れを承諾してくれた寝屋親の自宅で寝起きをし、夜の共同生活を一緒に体験し、適齢期を迎えるまで共に暮らします。20代半ばとされる解散後も親密な関係は継続されます。

農業や漁業が生活の基盤であった時代には、人びとはお互いに助け合わなければ生きていけなかったのです。
現在は少子化で形は変えていても存続している制度です。
NHK連続テレビ小説「あまちゃん」でも話題の海女漁ですから夫婦単位の漁業です。「命綱」を夫に託して潜ります。何かが生じた場合は、仲間が駆けつけます。
『血のつながった親子ではないけれど、生涯、親子のようにつきあいます』
ネヤコ同士も死ぬまで兄弟です。
なぜ、このような制度が現在まで続いているのでしょうか。
社会構造の変化などで、共同体の崩壊が進み、地域の子供は地域が育てる
という「地域の教育力」が低下しているといわれますが、学生達と泊まった民宿の下が空き地になっていて、元気な男の子達の遊ぶ声がし、見守る大人たち。

毎回私たちを迎えてくださる、かつて寝屋親の山下正弥さんはおっしゃいます。
「自分勝手な人間にならん様に生きているのは自分も誰かに支えられていると言う事。それを忘れずに助け合いながら生きていくのが寝屋子です」・・・と
学生たちに優しく語りかけてくださいます。

一日、島を案内してくださり、島の人たちに声をかけられ、心のこもった料理を食べ、学生達の心のなかに”何かが”残ったはずです。
現地に赴き、その人たちの話を聞く。その実際を肌で感じてみる。
そこで得た知識、知恵、経験をもとに、共同体的な関係を切り捨てる近代化ではなく、共同体的な関係が生きている近代化をもう少し模索しても良いのではないでしょうか。
私はとても大切なことだと思います。
一泊二日でしたが、今回も学生達と素晴らしい旅が出来、優しさに包まれ幸せな時を過ごせました。

島の皆さん! ありがとうございました。

出雲への旅

今回は島根県浜田市で開催された「ルーラル・ミーティングin島根」のパネルディスカッションに参加するために行ってまいりました。
島根県には棚田百選に選ばれた美しい棚田がいくつもあります。
私たちを日本の原風景へと誘ってくれます。
しかし、過疎化や後継者問題で、それぞれの悩みもありますが、集落の方々は地域住民の熱心な町・村おこし運動によって再生に取り組んでいる姿に尊敬と感動を覚えます。
既に国の都市化政策が行き詰まりを見せるようになった近年は、若者の意識も大きく変化してきました。
人間が人間らしく生き、日本という国のこれ以上の荒廃を防ぐためには、農山漁村の再びの活性化こそが私たちに課せられた急務の課題という気がします。
私たちのアイデンティティーとは、一体何でしょう。
私たちの原風景はどこにあるのでしょうか?
素晴らしいディスカッションに参加させていただきました。
皆さま、どうもありがとうございました。
そして浜田から出雲市へと向かいました。
どうしても今年お参りをしたかった『出雲大社』
神々のふるさと、出雲の旅がはじまります。
祈りを結ぶ社・・・出雲大社。
神代の昔から古社、神話が語り継がれ、約六十年ぶりの大遷宮が行なわれている出雲大社。社殿の新築、修造にあわせご神体や御神座が移され社殿が蘇えりました。
縁結びの神さまとして知られる大国主大神がお還りになった年です。
今年のお正月は伊勢神宮に参拝しました。
私はいつもそうですが、できれば早朝のお参りがしたいのです。ですから遅くなっても前日の夜にはその町に入り、朝一番でまいります。駅前のビジネスホテルに泊まり、出雲市駅前からバスで大社へ。
(ちょっと余談ですが・・・前日の夜は居酒屋にひとりで行き、地元の食べ物、地酒をいただきます。そうして体ごとその町に馴染みます。今回もあたり!宍道湖で採れたシジミ、とウナギを食べました)

バスで約30分、正門前で降り、勢留の大鳥居を一歩踏み入れば、そこは神域です。
昔は、芝居小屋が立ち並び参拝客が足を止めて集まったことから、人の勢いが留る「勢留」と呼ばれたそうです。

静謐な早朝、神々が息付く参道の玉砂利を踏み締め御本殿へと向かいます。
やはり御本殿を仰ぎみるのには早朝がいいですね。
朝が生まれた瞬間の清々しい境内は、緑にあふれています。

国宝に指定されている本殿の大屋根は、松ヤニやエゴマ油、石灰を混ぜた伝統的な塗装、「ちゃん塗り」が施され色鮮やかな鬼板や千木がひときわ目をひきますし、檜皮(ひわだ)を重ねた屋根の枚数は約六十四万枚もあるそうですが、何よりも境内全体に匂う檜の香りに感動いたします。

そして、お参りをしている時です。
それまで雲におおわれていた空に太陽の光が射し、体中を包んでくれるではありませんか。
なんて幸せなの。

帰りは一畑電車に乗りのどかな小さな旅。
出雲市駅に戻り、天皇や皇族に献上した「献上そば・羽根屋」で出雲そば「割子そば三段」を食べて駅前からバスで飛行場に向かいました
そういえばいつからでしょうか・・・「出雲縁結び空港」と名前がかわったのは。

ルネ・ラリック『日曜日の庭・クレール・フォンテーヌへの招待状』

箱根に暮らして、何が幸せってやはり美術館が身近にあることでしょうか。
朝の陽射しが気持ち良いわ・・・そうだ、バスにのって美術館に行きましょう!
先日、仙石原のラリック美術館に行ってまいりました。
私は、映画も落語もショッピングも美術館も、もっぱら「おひとりさま」。
たまには、気の合う友人とご一緒しますが、ひとりなら自分のペースで誰にも気兼ねをすることなく、気ままに行動できます。
素敵な展覧会が始まったばかり。
ルネ・ラリックは当初、アール・ヌーヴォーを代表する宝飾品の作家として名声を博してしていました。豪華なダイヤやルビーではなくエナメル(七宝)細工や金といった身近な素材を使い、花や昆虫など身近な自然をモチーフに、軽やかで繊細なアクセサリーなどつぎつぎに発表しました。
なかでも自然をモチーフにした、器、グラスなどはどれも造形的に美しく思わず手にとってしまいたくなります。
ラリック美術館の今回の企画展は
「ラリックが家族と休日を楽しんだパリ郊外のクレールフォンテーヌ。ラリック作品の原風景は、その静けさに包まれた自然の中にありました。水辺や庭で感じたイメージは、自然豊かな地で育ったラリックの創作意欲を駆り立たせ、ほどなく作品として私たちの前に姿を現したのです。」
と、書かれています。

写真提供:箱根ラリック美術館

今回の展覧会では、作品とともに、植物の押葉標本や、制作のヒントにした写真(複製)や詩などが一緒に拝見できます。自然の光あふれる空間で、陽の移ろいを感じつつ、背景の箱根の草花と一緒にラリックの世界を満喫いたしました。
伺うと、午後3時から4時くらいの光が美しいそうです。
6月1日~12月01日まで開催していますから、初秋の午後にでもまた行ってみましょう。

帰りは思わず深呼吸をし、カフェでランチをいただきました。・・・ワインを一杯だけ。こういう時間があるから頑張れるのですね、・・・と言い訳ですが。

奈良・唐招提寺への旅

大阪・近畿大学の授業があったので、大阪に前日入りし奈良に行ってまいりました。
目的は「唐招提寺・国宝 鑑真和上座像 御影堂障壁画」の特別開扉を拝見するためです。
大阪から近鉄で西の京駅下車、歩いて700メートルくらいです。
木陰を歩くと爽やかな風が。こうして同じ道を何回歩いたことでしょう。
唐招提寺は修学旅行生もあまりいないし、奈良の中では室生寺につぐ好きなお寺さんです。
今回の大きな目的は、奈良時代に渡来した唐の高僧、「鑑真和上坐像」の摸像を2年以上かけて制作し、当時の技法を忠実に再現し、いろいろその謎が解き明かされた・・・と知って、その模造の「御影像」も拝見しその謎が知りたかったことです。
そして、私の大好きな「鑑真和上」を参詣すること。
以前、NHKの番組で唐招提寺を取材させていただきました。
御影堂の室内は静謐そのもの。
画家・東山魁夷が構想から12年の歳月をかけて描かれた障壁画。
ただひとり静かに、心鎮めて拝見できたのは至福のひとときでした。

境内の木々の緑は初夏の陽光を浴び、白や淡いピンクの蓮。
菖蒲が池で花を咲かせています。
平成の大修理(00年~09年)も終わり正面に見える金堂(国宝)、参道の玉砂利を踏み締めて進むと、金堂の屋根の美しさ、偉容に圧倒されます。

金堂の横から苔むした庭を歩き、御影堂へと進みます。
今年は6月5日に開眼供養を行い、7日から公開。国宝像も5~9日まで特別公開されたのです。並ぶのを覚悟で行ったのですが、人は多いもののスムーズに入れました。
なぜ、私は「鑑真和上」に惹かれるのでしょうか。
慈愛にみちたお姿。
742年に日本からの熱心な招きに応じ渡日を決意されますが、当時の航海は極めて難しく5度の失敗を重ね盲目の身になられても、意思は固く6度目の航海で来朝を果たされます。
辿りついた海岸が鹿児島の南”秋目”だったとされていますが、不思議ですね、私は007の映画のロケ地が同じ秋目の海岸だったのです。ご縁を感じます。
東山画伯が、日本の美しい景色の象徴として鹿児島上陸の地、坊津の秋目浦を描いた厨子絵「瑞光・ずいこう」などをみつめながら進むと、「鑑真和上」が静かに佇んでおられます。お焼香をする方、和上の前で静かに座禅を組む方・・・私も20分ばかりその前で正座しながら拝顔いたしました。
やはり”慈愛”にみちたお姿でした。
廊下に座りしばらく庭を拝見しました。
そして、謎について想いをめぐらせました。
日経新聞(夕刊)5月20日に掲載されていた記事をもう一度読み返しました。
和上の死期が迫っていることをさとった弟子たちは、容姿だけではなく、精神性をも映す御影の制作に取り組みます。
「和上像は興福寺の阿修羅像など他の脱活乾漆像とは技法、造形方法が違う」と新聞には載っていました。
漆は少なめ、素手で形づくられたこと、ひげの一本一本が、描かれ、衣の糸のほつれまで表現されていることが分かったそうです。袈裟も、様々な生地の切れ端を縫い合わせた「糞掃衣・ふんそうえ」だったことが判明されたと書かれています。
清貧にして質実な鑑真・・・なぜ私が惹かれてやまないのかが少しわかりました。
外に出て、帰りに模像の”身代わり像”を拝顔いたしました。美しい袈裟をまとい彩色された鑑真和上座像の模像のまつげや無精ひげの再現など、魅了されました。
奈良ホテルのラウンジでシャンパンを飲みながら緑深い庭を見てから大阪の喧騒の中へと戻ってまいりました。

信州・長野の旅

長野を2泊3日で旅をしてまいりました。
今回の旅は南健二さんの写真展、柳宗悦展、そして玉村豊男さんの”ヴィラベスト”を訪ねるのが目的の旅でした。
ラジオ収録後、東京駅から長野まで新幹線に飛び乗り南ご夫妻と松本へ。
南さんは何十年も、C.W.ニコルさんに寄り添うように、彼の写真を撮り続けてきました。今年はニコルさんの来日50年記念で、
「けふはここ、あすはどこ、あさつてはC.W.ニコル x 山頭火の世界」というタイトルで写真集を出版されました。
この写真集を見せていただいたとき、ニコルさんと南さんと共に、アファンの森を歩いた数々の日のことが走馬灯のように脳に蘇えり、胸が熱くなりました。

松本でのギャラリーで見る写真、一枚一枚の何と自然体なことでしょう。
お二人の間には深い信頼関係がなければこうはいきません。
素晴らしい写真展でした。

松本で宿泊し、翌朝向かった先は、喫茶店「珈琲まるも」です。
この「まるも」にはたくさんの思い出があります。
ありすぎて、とても書ききれません。
松本駅に降りると、いつも女鳥羽川沿いの喫茶店に向かいます。
信州・松本は、私にとって癒しの土地です。
心にふと迷いが出たとき、都会に疲れたとき、私はすぐ特急あずさ号に飛び乗って、信州・松本に旅立つのです。
香り高いコーヒー、そしてクラッシック音楽が静かに流れ、今着いたばかりの旅人をすぐこの土地の人としてさりげなくなごませてくれる、そんな喫茶店なのです。
尊敬する池田三四郎先生にお会いするのに、こうして心のウオーミングアップをいたしました。この喫茶店には英国ウインザー調のテーブルや椅子があり、かつて松本深志高校の青年たちが熱っぽく語りあっただろう雰囲気が伝わってきます。そして、使い込まれた松本民芸家具の椅子に座ると、こんな声が聞こえてきます。
「その椅子は、私がウインザー調の椅子にのめり込んだ最初の頃の作ですよ。50数年浜さんも含めて十万人もの人が座ったんじゃないかな。多くの人に使われても、ビクともしません。自然に磨かれて、皆さんに座っていただいて、なかなか味がでているでしょう・・・」
あのときの先生の声と笑顔が忘れられません。
先生には民藝の世界を30年近く教えていただきました。
先生にお会いするだけで心安らぐ思いがしました。
民藝運動の創始者、柳宗悦先生、濱田庄司先生たちのもと天国でどんなお話をなさっているかしら・・・興味深いです。
確か、私が「美しいとは何か」を問いかけたときでした。
「一本のネギにも、一本の大根にも、この世の自然の想像物のどんなものににも美があるんですよ。問題は、人間がそれを美しいと感じる心を身体で会得しているかどうかなんだ」・・・先生は、淡々と語っていらっしゃいました。私はまだまだ未熟だと思ったのでした。
先生はいつも高慢な精神を戒め、そこにあるものの、あるがままの美しさの会得を教えてくださるのです。
道端の名もなき草花や、すれ違う動物や昆虫。
私たちもそこに置かれている。それが大切なのだと。

お蕎麦を食べてから柳宗悦展ー暮らしへのまなざし」を観にゆきました。
「天然に従順なるものは、天然の愛を享ける」
無名の職人たちの手によって生み出された日用雑器に美を見出し、独自の審美眼により新しい美の概念と工芸理論を展開した、柳宗悦。私の十代のころからの憧れです。素晴らしい展覧会でした。

そして、松本民芸館へと向かいました。
ここからふるさとの山となる青葉 (山頭火)
人生の喜びを学んだ私の松本の旅でした。
そして一路黒姫へ。
四季の移り変わりを全身で感じる南さん宅に泊めて頂き、お酒と美味しい料理。とても嬉しかったです。とても幸せでした。
ありがとうございました。

翌日は黒姫から長野、そして上田へと向かいました。
駅には玉村豊男さんの奥様、抄恵子さんがお迎えに来てくださり、『恵の雨』をお土産にヴィラデスト・ガーデンファームアンドワイナリーへ。
ガーデンには、ルピナス、ムスカリ、サクラソウ、アウリニア、セイヨウミミナグサ、黄色の可憐な花、ギンバカゲロウ、りナムが満開でした。
オダマキも色々な種類があるのですね。
クレマチスも竹の垣根に美しく咲いています。
ため息が出るほど美しいガーデンです。
ランチは農園のカフェで抄恵子さんと久しぶりにおしゃべりをしながらの食事です。ご夫妻が丹精こめてつくってきたガーデンを眺めながら、地元産の野菜の美味しいこと・・・もちろんお肉も。
次回は刻々と変化する夕やけの景色の中、豊男さんが葡萄から生産したワインを飲みながら・・・など想像してしまいました。
実りある豊かな旅でした。
今年は私にとって大きな節目の年です。
旅は「賜る」からきたとか。
たくさんの幸せをありがとうございました。

片づけ

皆さまはこのゴールデン・ウイークをどのようにお過ごしですか?
国内旅行、それとも海外?
近場での小さな旅・・・それぞれでしょうね。
私は、日ごろ旅が多いのでこのお休みは箱根で『片づけ』です。
朝は山を1時間、たっぷり歩いてきます。
春の山々は、厳しい冬を越えて訪れたのどかな季節。
新緑・芽ぶき、エネルギーに満ちているようです。
そして、「惜春」でもあります。
さ~あ、気合を入れてこれから5日間は家の中の片づけ、物の整理!
洋服・靴・・・5年前にこの整理をして、いらないものがなくなった場所から、
風が吹き込んできたように感じがして、空間がすっきりしたのと同時に、
私自身もまた生まれ変わったような気持ちになったのが心地よく
今回の休みの日は「整理」に取り組みます。
区切りをつけたいとか、自分を変えたいと思ったときには、
物がよどんでいる自分の空間を見直し、不要なものを処分してみるのもいいかもしれません。それが新しい自分に合う一番の近道かもしれないとさえ思います。
年齢を重ねると共に、自分の限界がわかってきました。
若いころに、能力の限界に突き当たるのは、とても辛いこと。
無限の可能性を信じて進んでいきたいと思う時期ですし、努力する時間がまだたくさん残されています。
11月で私は70歳を迎えます。
身の丈を知ることは大切です。でも、人は変化し続けます。
そこが生きる面白さの一つなのではないかしら・・・。
物を整理することで見えてくることがあるかもしれません。
といっても、思い切りが悪く、出してはしまい、しまっては出す、
の繰り返しになりそうですが・・・。 

近畿大学

「近畿大学・総合社会学部」で、客員教授をつとめさせて頂き、明日から始まる授業で4年目を迎えます。
「自分らしさの発見~暮らし・旅・食がもたらすもの」というテーマです。
まず、私が学生にはじめに話したことは
「机の上の学問だけでなく、現場に赴き、この目で見、
耳で聞き、肌で感じながら多くのことを学んでほしい」
ということです。
それは、私自身がそうして人生を歩み、学んできたからです。
「大地を歩き、人に出会い、話を聞き、語り合い、その中から見えてくる
切実な現実から導き出された問題解決にこそ、真の力が宿る」と。
キャンパスを港としてフィールドワークにでかけましょうよ。
そして、この3年間それを行動に移してきました。
三重県・答志島の寝屋子制度。

若狭・三森の我が家での2泊3日の合宿。

参加した生徒のレポートでは
「多くの知識を学んだというよりは、本当の自分の肌で
「自然の大切さ」みたいなものを感じることができた」
「囲炉裏や縁側があって、昔は当たり前だったのに
少なくなっているのが寂しい」
「専業農家の話を直接聞き、新規参入した若者に話しが聞け、
都会暮らしの自分たちには「農・食」は遠い存在だったけれど、
TPPの意味、など大切なことだと感じた」
「大学の4年間で、私は地域経済をどのようにすれば
活性化できるのか、経済がなりたつ農山漁村のことを学びたいし、
やはり現場を歩く大切さを実感した」
等など様々な感想が寄せられました。
農業にはまったく縁のなかった彼ら。
日本の社会は全体が大きな転換期を迎えています。
人びとを支えている歴史、風土、地域共同体のありよう。
同時に、それらを通して自分が見えてくること、
自分が何を大切にし、何を美しいと感じ、何を求めて生きているのか。
人は一人で生きているのではない、多くの人に支えられて生きているのだということを、常に感じてほしい。そして、生きる力を育んでほしい。
食・農・に関心が薄い・・・といわれる大学生。
でも、私の実感としてはそのような環境に恵まれていないだけで、彼らは生きることに一生懸命です。
IT時代で、人と人が目を合わせて語ったり、笑ったりするコミュニケーション力が不足しているだけ。失敗しても試行錯誤を繰り返しても、またいつからでも人は立ち上がることができる。そうした健やかな心を支え、育ててくれるのは、人と人の温かい絆が生まれる現場。
大学を卒業すれば、多くの学生さんは社会にと羽ばたいて出ていきます。
だからこそ、どんなこことがあっても、いつも心に希望を抱き、前に進んでいける、しなやかな心と知性を、大学で身につけていただきたいと私は願っています。
私が講義を担当させていただくのですが、学生たちとのやりとりを通して、「私もまたもう一度学び直すことができるのではないか」・・・とわくわく胸をときめかせています。
残された1年、楽しみながら頑張ります。