山陰への旅・美の里コンクール

今回の旅は山陰地方です。
第8回「美の里づくりコンクール」現地調査です。
(財)農村開発企画委員会主催、農林水産省後援
全国から応募のあった20事例から書類審査を経て、上位6事例を決定します。どこも素晴らしい活動をなさっておられるので、甲乙つけがたいのですがその中から3事例に対して現地調査を行います。
審査基準は
1:美しい農山漁村の景観の総合的な保全・形成への寄与
2:多様な主体の参画による景観保全・形成
3:地域資源を活かした景観保全・形成
4:景観を活かした地域経済の活性化
前身の「農村アメニティーコンクール」から数えると30年近く、私は審査に参加しております。農山漁村ならではの自然景観、居住景観の魅力を活かして都市住民等と活発に交流しているところも多くみられます。何よりも「自分たちの暮らしている故郷を愛している」こと。
今回も委員が3ヶ所に別れ現地にお邪魔いたしました。
私は写真家の沼田早苗委員とご一緒に、島根県浜田市旭町都川(つかわ)地区。もう1ヶ所は浜田市三隅の室谷(むろだに)集落です。
広島駅から石見交通バスで瑞穂インターで下車。
都川地区は、中国山地の山懐に抱かれた清流の豊かな農山村です。
ご多分に洩れず、過疎と高齢化は進んでいますが、集落の景観の美しいこと。全国棚田百選にも選ばれた歴史的風致、「石垣棚田」は見事としかいえません。

中国地方で江戸時代に盛んに行なわれた「たたら製鉄」の原料を採集した「鉄穴(カンナ)流し」に由来するものです。この美しい棚田はおよそ200年前、たたら製鉄が目的で鳥取城からやってきた侍によって作られたと言われています。高いところでは5メートルはあるでしょうか。その石垣にハシゴをかけ草取りをするのは、ご高齢の方々。手で1本1本抜いていくのです。
このような貴重な歴史的遺産をもくもくと守る姿に頭の下がる思いがいたします。

そして、伝統芸能「石見神楽」を田代神社に奉納する「大蛇」を拝見しました。広島の神楽団体との共同公演などをして都会の人たちとの交流をはじめています。今では、毎年旧小学校の体育館には入りきれない程の観客がきてくれるとの事です。

たくさんの創意工夫があります。
その中で”縁側喫茶”があります。5月~11月までの第1、第3日曜日に豊かな自然を眺め、縁側でお茶と漬物での「おもてなし」評判をよび、いまでは30名近い人が訪れ、目の前に広がる手入れされた棚田での、耕作の苦労話や、じいちゃん・ばあちゃん達の話にゆったりしたと時間のなかで「心地よい」ときを楽しんでいるようです。

お話を伺っていて、関心させられたのは、あくまでも「自然体」なのです。問題はたくさんあるはずです。ご苦労だってたくさんあるはずです。
イベント的な無理な発想ではなく「自分たちの暮らし」を守りながら生きがいを見つけての暮らし。
ほんとうの豊かさを教えていただきました。
郷土料理の美味しかったこと・・・。
都会の人に「極上の癒し」を楽しんでもらっている姿が想像できます。
神楽を観ながら「どぶろく」も振舞われました。
「いつもこうして楽しんできたのですよ」と。
雪深いこの地域では、待望の春の訪れを待って、「春の風物詩」石積み棚田での田植えがはじまるのでしょう。
『三隅・室谷集落』
浜田から山陰本線・三隅駅下車、15分ほどの山間に室谷の集落があります。三隅の「むろだに」は、今年も元気です。を活動のキャッチフレーズに、棚田は現在1,000枚に減ってはいるものの、室谷連合自治会は、上室谷、下室谷、諸谷の3集落の自治体から成り、現在66戸、人口約160名、高齢化率35%の組織です。
この地の人々は情が厚く、地域の結びつきが強いため、人々の地域興しに対する意識は高く、様々な活動がなされています。
棚田は米作りなど生産の現場であるだけではなく、独自の景観にはこれまでの数百年の歴史と文化が蓄積されて、それがこの地に住む人々の誇りとなっていることが伺えます。
前会長の「一番大切なのは、両谷の棚田が、遠くから見にきてくださるほどの財産であることに地元の人に知ってほしいことです。住民が誇りを持つことが何よりの村づくりだと思います」・・・と。
子どもたちも元気です。
残念ながら小学校が統合され春からは三隅まで通うことになりますが、集落で周りの大人たちから暖かく見守られたきた思い出はしっかりと胸にきざまれたことでしょう。
昼食の、郷土食研究会の婦人方による心のこもった「むろだに会席膳」も美味しかったです。

棚田を見渡せばその先に日本海も一望でき、自然と見事に調和した日本の原風景は後世に語り継がれていくでしょう。過疎の問題を解決していくためにも、都会の人々の役割は大きいです。
『桃源郷のような集落』を訪ね、この先からはプライベートの「ひとり旅」です。三隅から山陰列車に乗り込み「益田」へと向かいました。このごろ、なぜか、ローカル列車に乗り、ひとり旅がしたいのです。

「旅はうかうかしてはいけない」
と言ったのは周防大島の貧しい農家に生まれ、73歳の生涯を地球を4周分を歩いた民俗学者・宮本常一の父親が、息子が15歳で故郷を離れる際、に言った言葉です。
汽車の窓からは家々の人の営みがみえます。
田畑を見れば、その土地の産業や豊かさが伺えます。
休みをとって益田に行こう!
と思ったのは、グラフィックデザイナーで作家、居酒屋文化の本を多数出されている太田和彦さんから
「ひとり旅 ひとり酒」が送られてきました。
「益田、浦島太郎と日本一の居酒屋。」と書かれているではありませんか。
旅のお好きな浜さんへ。
とひと言がそえられていました。
もう~ダメです。
2泊3日の旅を計画しました。
今回は天候に恵まれ、春のぽかぽか陽気。
まず向かったのは益田市内から30分ほどの「唐音の蛇岩」で有名な西平原町の唐音水仙公園で200万株のスイセンが見頃を迎えていました。

日本海沿いの丘陵を埋めるように咲くスイセン。
潮風に乗って爽やかな香りが漂います。
上から岩石のあるところまで歩きます。地元住民が1990年から約3ヘクタールの公園に植え付けはじめ、少しずつ増やしてきたのです。
スイセンの香りを後に、向かったのは太田さんご推薦の雪舟作庭の「萬福寺」と「医光寺」。

広縁に座り、雪舟が住職を勤めた寺で静かに庭を眺め、日本庭園の美を堪能しました。本をなぞるように、本堂に置かれた「釈迦涅槃図」を拝見し、離れがたい衝動に”このまま居たい”と呟いてしまいました。
素晴らしい・・・。
もう一度来よう!と思いました。
夜は居酒屋『田吾作』へ。
詳しくは太田さんのご本をお読みください。
ひとり旅ひとり酒
これも真似して、翌日の昼食にもう一度行ってしまいました。
イカ丼の美味しかったこと。
列車に乗る前に「石見美術館」へ。
石州瓦が使われた美しい美術館です。
駅前の魚市場のおばちゃんに、カレイとキスをさばいてもらい、持参し家路に着きました。
日本は美味しい! 美しい! 優しい!
そんな素敵な「美しい日本の暮らし」を皆で守っていきたいと思った旅でした。