遥か昔の思い出を、つい最近の出来事と思い込んでいた。暫くぶりに、そんな体験をしました。『エルヴィス』。引き寄せられるように、日比谷の映画館に足を運びました。
エルヴィス・プレスリーに歓声をあげて興奮したわけではありませんが、彼こそがアメリカなのだ!あの国の若者の象徴なのだ!と納得していた時代が、私にもありました。1960年代でした。それから半世紀以上、私の”エルヴィス像”はその頃のまま、ほとんど変わりませんでした。
エルヴィスはアメリカ南部のミシシッピ州で生まれました。日本の年号で言えば、昭和10年でした。今以上に人種差別の激しい時代、そして地域でありました。しかし、エルヴィスには、それを包み込もうとする音楽的感性や、精神的な柔軟さが備わっていたようです。
10歳の頃から地元の”のど自慢大会”に出演したり20才を前にレコードデビューも果たしました。下半身を振り絶叫する。黒人文化を思わせるようなエルヴィスの仕草と存在そのものが、当時のアメリカ南部の保守層には許せないことだったのです。「逮捕する!」と警察に脅されたエルヴィスが、こうした社会の空気や圧力にどのように抵抗していったのか。この作品には、その様子がドラマチックに再現されています。
エルヴィスを演じたのはオースティン・バトラー、31才。彼は出演が決まってから2年間、家族や友人との接触を断ち、役作りに専念したそうです。その大変な決意がスクリーンでは、見事に花を咲かせました。
そして共演は、アカデミー主演男優賞を2年連続で受賞したトム・ハンクス。エルヴィスのマネージャーの役を演じました。しかし、この役は共演というよりも、もう一人の主役という意味合いが強かったです。エルヴィスという素材を大切にしながら、いかにビジネスとして成功させるのか。エルヴィスとの衝突を覚悟して、プロの役割を貫きました。
この映画の監督は、『華麗なるギャッツビー』のバズ・ラーマンでした。綿密に計算されたドラマ仕立てとドキュメンタリーの匂いが同居していて、不思議な魅力に溢れた世界が広がっていました。
この作品の最後は、エルヴィスが歌い上げる『アンチェインド・メロディー』のコンサート・シーンが流れます。アンチェインドとは、鎖につながれていない!自由に羽ばたく!という意味が込められているようです。人生の最後まで求め続けたエルヴィスの理想を、ラーマン監督は何としてでも強く訴えかけたかったのでしょう。
多少むくみの目立つエルヴィスの表情が、心震えるほど迫ってきました。
客席は中高年の方々で、ほぼ満員でした。しかし、20代の若者たちの姿も目につきました。自分たちが生まれる前の大スターの生き方や時代精神を、今の彼らはどう受け止めたのでしょうか。 エルヴィスが僅か42才で亡くなってから、もう45年が経ちました。8月16日の命日が間もなくやってきます。