ドレスデン国立古典絵画館所蔵フェルメールと17世紀オランダ絵画展

桜満開の上野の東京都美術館に”フェルメール”を観に行ってまいりました。会場はレンブラントら同時代のオランダ絵画とともに展示されています。

今回の目的は『窓辺で手紙を読む女』(1657~59年頃)

修復により、画面奥の壁から”キューピッド”が現れたのです。

それまでも存在自体はX線調査で明らかになってはいたのですが、フェルメール自身が上塗りをしたとされていましたが、2017年に同館が作品の汚れを落とすクリーニング作業を進めていくと上塗りした部分とは異なっていることが分かり「誰が、何んの目的で姿を消したのか?」謎です。

今回の展覧会で「修復前」(複製)と「修復後」が見られます。でも、不思議ですよね!フェルメール以外の人が上塗りして”キューピッドを隠してしまう……いつか、真実がわかる時がくるのでしょうか。

これまでも「窓辺で手紙を読む女」は観たことはあるのですが、窓ガラスにうっすらと女性が映り静謐なイメージでしたが、”キューピッド”が現れたら作品がガラッと変わります。

カーテンを押さえているように見える”キューピット”の存在はフェルメールが何を意図して描いたのか、想像するだけでワクワクしました。  

17世紀のオランダを代表する画家、ヨハネス・フェルメール(1632~75)。

フェルメールの魅力は人々の暮す日常が多く描かれていることです。画商で宿屋を営む両親のもとに生まれ、デルフトの町中で育ち、20歳で結婚し11人の子供をもち、30代で主だった作品を描き、43歳で亡くなっています。

デルフトの小さな街で人の営みを見続け、市井の人々を描いたのは当然だったのかもしれません。300年たっても街はさほど変わっておらず、昔ながらの慎ましい人々の暮らし。

『行ってみたい!』と思い2016年の7月、小さなホテルに1週間滞在しフェルメールの描いた路地や、きっと何度も横切ったであろう広場に立ち、カフェで昔ながらのエルデン(豆)スープにフェルメールの絵の中に描かれているパンを食し、300年の歴史がいっきに縮まりました。

 そのときのブログがありますので、旅の出来ない現在、その時の写真を見ながら『デルフトの街』へ皆さまをご案内いたしますね。

展覧会公式サイト
https://www.dresden-vermeer.jp/

上野リチ 「ウィーンからきたデザイン・ファンタジー展」

”上野リチ” 
この名前を知ったのはおよそ半世紀以上前のことです。

女優になってしばらくしてから、日比谷にある日生劇場のレストラン「アクトレス」でのことでした。東宝の方に連れていっていただき、席に着き見上げると壁画やアール状になった天井にまで描かれている、草花、自由に羽ばたいている鳥たち、果物などが並ぶその美しさに息をのみました。

どなたが描いたのかしら……伺うと「上野リチと教え子の学生達」の作品と知りました。設計者は建築家の村野藤吾。ファンタジーで、ラブリーで心が暖かくなるようなデザインに包まれての食事でした。

それから「上野リチ」のことを少しづつ知りました。19世紀末ウィーン生まれの上野リチ・リックス(1893~1967)は「アクトレス」壁面装飾完成から4年後の1967年、京都の自宅で74歳の生涯を閉じました。

戦後の彼女の集大成ともいえる壁画。残念ながらレストランはなくなり解体され、でも美術館で大切に保管されているそうです。(その一部を会場で見ることができます。)

戦前から戦後にかけて、ウィーンと京都の都市で活躍したデザイナー。ラブリーで自由で絵画的で、ホップでかわいいデザインの数々が今、丸の内の三菱一号館美術館で開催されています。

今回は娘と待ち合わせ一緒に出かけました。三菱一号館といえば待ち合わせは”Cafe1894”。かつては銀行の営業室として利用されていた空間がカジュアルな雰囲気の素敵なカフェになり人気です。

天井高8メートルはあるでしょうか。私はひとりで行くときは鑑賞後にワインを一杯…余韻に浸ります。今回はデザートとコーヒー。(この頃は人気で待つこともしばしば)

この美術館の魅力のひとつ瀟洒なレンガ作りの建物は1894年、イギリスの建築家ジョサイア・コンドルの設計。「可能なかぎり復元しよう」ということで230万個のレンガが使用されたそうです。

窓・柱・階段、と当時の面影が残された建物は今回の展覧会にはぴったりです。回顧展では、京都国立近代美術館所蔵の京都時代の作品や、ウィーン時代の作品など370点あまりが展示されています。

テキスタイル、壁紙、布地のデザイン、七宝飾箱のデザインなど多彩です。  

サブタイトルに「ウィーン生まれのカワイイ」には思わず見ながら”可愛い”と心の中で何度もつぶやいていました。

上野リチ・リックスは裕福な家庭で生まれ、19歳でウィーン工芸学校に入学しました。当時のウィーンは絵画や工芸など新しい芸術様式が生まれていました。

クリムトや生活美を追求するヨーゼフ・ホフマンらの「ウィーン工房」もそうですね。リチのデザインが軽やかでホップでかわいい・・・また東欧っぽさは、オーストリア生まれということが影響しているのかもしれません。

その工房でリチは建築家上野伊三郎と運命的な出会いをし、翌年1925年に結婚し伊三郎のふるさと京都に降り立ったのです。

第二次世界大戦前はウィーンと京都を拠点とし製作を続け、戦時下でも美を追求しデザインを続けます。

戦後は夫とともに現在の京都市立芸術大学の教授となり退職後は、インターナショナルデザイン研究所を設立して後進の育成にも尽力し、大きな足跡を残します。

30年代後半から太平洋戦争も敗色が濃厚になってきても、彼女のデザインは変わることなく明るさと愛らしさ、そこには幸福感があり、花々や動物たち、自由に羽ばたく鳥たちが描かれました。

その才能は多難な時代にも光輝き人々を魅了し続けました。  
リチがどんな困難な日々にも”美”を追求した芯の強さには励まされます。

展覧会公式サイト
https://mimt.jp/lizzi/

映画「国境の夜想曲」

黒いブルカを身にまとった女性たちが、古びた石の階段を下りていきます。そして、息子が戦争で捕らえられ、殺された部屋にたどり着きます。

まるで唄うかのように嘆き、悲しむ母親。
”お前が乳を吸う感触を思い出す”
世界共通の母の叫びです。

余りに静かで、そして、衝撃的な冒頭のシーンでした。  
映画「国境の夜想曲」。
過酷すぎる現実が、見る者を沈黙させるドキュメンタリー映画です。

監督・撮影はエリトリア出身のジャンフランコ・ロージさん。この監督の取材の進め方や製作手法は、これまでにないものでした。

取材地はイラク、シリアなどの4か国で、2年間、アシスタントと2人だけでカメラを持たずに人との出会いを求め続けたそうです。その後、3年以上かけて撮影した場所は、すべて”国境地帯”でした。

ドキュメンタリー作品ですが、、インタビューやナレーションはなく、字幕も登場人物の言葉の日本語訳だけに限られていました。

監督は戦場に残された言葉と情景を克明に積み重ねていったのです。人々がごく普通の日常を続けるには、耐え難いほどの厳しい世界が”国境”に存在しているのだ。

監督の発想の原点なのでしょう。撮影したフイルムは、およそ80時間でした。この作品は、人間が作り出した残酷すぎる現実を決して声高にではなく、”静かに”訴えかけています。国境など、そして戦いなど所詮は人間の手によるものなのだと。

砂漠の彼方に見える赤い炎は戦火ではありませんでした。採掘された石油が燃えているのです。戦いの中の、とても美しい映像。何と皮肉な光景でしょう。  

この映画の最後に、アリという少年が登場します。父親が連れ去られ、残された家族のために魚を取り、狩猟者のガイドなどで家計を助けている14歳の少年です。

彼がじっと遠くを眺める姿が、1時間40分のエンディングでした。 少年がどのような未来を描くのか?大人たちは彼に何をしてあげられるのか?これはイラク、シリアなどに限られた問題ではありません。

いま世界では、この瞬間も不毛な戦闘が繰り返されているのです。 暗闇の中から、何とか光や希望を見つけだしたい!アフリカ大陸の東岸の国で生まれ、アメリカとイタリアの国籍を持つジャンフランコ・ロージ監督。この作品で静かな、しかし力強い平和への訴えを世界に示したかったのでしょう。  

映画を見て外に出ると、生花店のウィンドウには春を告げるミモザの花が咲き誇っていました。思わず写真に収め、英国に暮す息子の嫁にラインで送りました。

そして、映画についても伝えました。「監督は日本の俳句に心を奪われているみたい。”松尾芭蕉のように、短い言葉で表現する”とインタビューで話していましたよ」。

ネットで映画の予告編を見た嫁が、すぐに返事をしてきました。「短い予告編だけでも素晴らしい。1分半で涙が出ました。映画館で観たいです。ミモザの花言葉は、感謝・友情なのに。」

メールのやり取りは、お互いの日々に感謝しながら、平和な世界が一刻も早く訪れるようにと続きました。   俳句とロージ監督。”古池や蛙飛び込む水の音”芭蕉の句の精神がこの映画にも強く影響しているのかもしれませんね。

映画公式サイト
https://www.bitters.co.jp/yasokyoku/

映画「金の糸」

とても小さな”文化大国”から、伝説的な女性映画監督の作品が届きました。

岩波ホールで上映すると聞き、すぐに飛んでいきました。

「金の糸」

心優しく、そして心美しくなるような映画でした。

舞台はアジアとヨーロッパが交わる ジョージアの首都・トビリシ。主人公の女性は小説家です。彼女が迎えた79才の誕生日を、同居する家族は誰も気づきません。娘は、アルツハイマーになった姑、つまり夫の母親を引き取ると宣言します。

そんな時、誕生祝いの連絡をくれたのは昔の恋人でした。スマホで電話をかけてきたのです。改めて、思い出の糸をほぐし始める二人。

トビリシの旧市街で若い二人が踊る回想シーンは、あまりに詩的で、美しすぎるほどでした。  

結局、姑は同居することになります。彼女はかつて、旧ソ連の支配体制側に身を置いた政府の高官でした。昔のカップルと旧体制の実力者。三人のそれぞれの思いが、夢も現(うつつ)も重ね合わせて紡がれます。  

物語の展開は、ラナ・ゴゴベリゼ監督の体験が色濃く反映しています。今年94歳になる彼女は、政治家だった父親をスターリンの粛清で亡くし、映画監督だった母親も10年間の獄中生活を送ったのです。

そうした子供時代の悲惨な体験を踏まえて、ゴゴベリゼ監督は60年以上も前に映画監督の道を歩み始めました。

人生の途上で傷つき、ひびが入っても、きっと再生できる!そんな思いを作品に投影させたのでしょう。

 タイトルの「金の糸」は日本の伝統的な工芸技術 ”金継ぎ” から着想を得たということです。陶磁器の欠損を漆で修復し、金などの粉で完成させる技法です。傷やほころびをただ嘆くのではなく、いかに再生させ、継承していくのか。監督は日本の精神的な価値観に惚れ込んだようですね。

歴史や文化を伝承しよう、そんな力強いメッセージでいっぱいのこの作品を見て、心が少し強くなったように感じました。

監督は次回作で、自分の母親について描くそうです。

日本の北海道より狭い国土に溢れ出る歴史と文化とプライド。ジョージアはやはり”文化大国”でした。

私が初めてジョージア映画に接したのは今から半世紀ほど前、もちろん岩波ホールでした。「ピロスマニ」。

一人の画家を描いた驚くほど魅力的な映像に、驚愕したのを覚えています。今回もまた、記憶に残る素晴らしい作品を見せてくださったジョージアと岩波ホールに、心から感謝いたします。

あと4ヶ月、映画の殿堂の空気を胸いっぱい吸い込むために、またお邪魔させてください。

映画公式サイト
http://moviola.jp/kinnoito/

ミモザの日

3月8日は「ミモザの日」。

イタリアではこの日は男性が女性に日頃の感謝や尊敬の気持を込めて、奥さま、お母さま、お婆ちゃん、友人、職場の人などにミモザの花を贈ります。

素敵な習慣ですね。もともとは女性の社会参画を願い、権利を守る日として1975年に国連が制定した国際女性デー(International Women’s Day)からきているそうです。  

まもなくミモザの花が咲きはじめます。西洋では春を象徴する色としての黄色。寒く厳しい冬が終わり春の訪れを待ちわびています。わたしの娘が鎌倉の鶴岡八幡さまのすぐ横でアンティークショップ・FLORALを開いており、ダイアリーにミモザのキャンドルの写真が載っていてあまりの美しさにもとめました。

このキャンドルはフラワーキャンドルアーティストのAtelier Comet作で生のミモザをドライフラワーにして一点一点手作りです。

イタリアでの花ことばは「感謝・幸せの花・エレガンス・友情」などと言われます。フランスでは「思いやり・豊かな感性」などだそうです。

夜ひとりになりキャンドルを灯していたら、ウクライナの犠牲になった方々、恐怖に耐え、首都に残る人。泣き叫ぶ子供を抱きかかえるお母さん。幼い子供が「僕は死にたくない」目に涙をためてカメラに訴える子。若者や女性も抗議デモに参加しています。なぜ、このような事態をまねいてしまったのでしょうか。

私は28年ほど前にモスクワ経由でウクライナ、ポーランドに行ったことがあります。農政の記者の方々のツアーに参加させていただいての旅でした。ウクライナでは都市を少し離れると一面小麦畑が広がる穀倉地帯。広大な土地に小麦を植え収穫します。

私たちが訪ねた農家では農夫の父親とまだ若い30代のお嫁さんが話しをしてくださいました。そして、足元に植えられている林檎をもいで私にくださいました。日本の林檎のように立派ではなく、1メートルくらいの木にたわわに実っている小さな林檎。瑞々しくて、ちょっとすっぱくて甘い林檎。彼女達家族はどうしているのでしょうか。  

そして、ウクライナは映画「ひまわり」のロケ地として知られています。1970年に公開され、私の大好きな映画でした。5回は観ました。

ソフィア・ローレン、マルチエロ・マストロヤンニが主演。ソ連戦線へと赴く夫。戦後行方不明になった夫を探しに単身ソ連に渡り、奇跡的に再会を果たすも……。切ないラストシーンでした。

死んだ兵士たちが埋葬されている場所、といわれる広大なひまわり畑の風景はウクライナで撮影されたそうです。この映画も戦争で引き裂かれた物語でした。あの美しい広大な風景は現在戦火にさらされています。  

毎日、夜”ミモザのキャンドル”を灯し一日も早い平和を…と祈っております。

ロニ・ホーン展

水の中にあなたを見るとき、あなたの中に水を感じる?

ロニ・ホーン現代美術家…名前は聞いてはおりましたが、作品を観るのははじめてです。

1980年代から40年。初期から「自然」をモチーフにしてきたロニ・ホーン。今回は「水」がテーマです。私の住む自宅からはバスを乗り継ぎ50分ほどで美術館に着きます。

強羅のバス停には週末ということもあり、アートが好きそうな若者が並んでバスを待っていました。国内の美術館では初の個展です。

彫刻や写真、ドローイングなど、その世界は多彩です。テームズ河 アイスランドなど、彼女が魅入られたアイスランドは静寂のなかに身をゆだねその雄大な空間に異次元の世界を感じます。

現代アートは多くを語ってはいけない…と私は思っております。”観た人が感じる”ことが大切だからです。

会場に足を踏み入れると森を望む大窓に面した空間に、8個の円形の立体と外の自然とが重なり美しい風景です。そして、歩を進めていくとロニ・ホーンの世界が広がります。その無数のバリエーション。そしてビデオで語る彼女のパフォーマンス。

都市やテクノロジーから少し距離をおき 自然の中に身を置くことで見えてくる世界があるのかも知れません。

「孤独と静かに向き合う時間」とも書かれていました。   会場を後にして美術館屋外の森の遊歩道に展示されているガラスの彫刻作品。

皆さまは何を感じますか。
今回の会場は全て撮影が可でしたので、写真でお楽しみください。

https://www.polamuseum.or.jp/

正直なつくり手の味~甘糀みそ

もうずい分前のことですが、長男が結婚して間もなくの頃、お嫁さんからこんな電話をもらいました。

「お母さま、彼が、どうもお味噌汁の味が違うんだなぁって。お母さまがお使いになっている、何か特別なお味噌があるんでしょうか。教えていただけますか」という問い合わせでした。

小さい時から、どこのどういう味噌といって食べさせていたわけではないのですが、思い起こせば、4人の子供たちはずっとひとつの味噌を食していたわけです。

長男は結婚し、ハタと気づいたのでしょう。新婚家庭には、その家の味が自然に創られていけばいいと思い、私は一切、押しつけずにおりました。若いふたりが育て創る味が、ふたりの家庭の味文化になるはずですから。

でも、息子が味噌汁の味に違和感があるなら、お嫁さんに、まず、我が家で使っているお味噌を試してもらおう。気に入ったら取り寄せればいいし……。 美味しいお味噌を探している人は案外多く、私愛用のこのお味噌、これはもう何十人にご紹介したことでしょう。

旅先で出合った福島県会津若松の「満田(みつた)屋」という味噌と手作り食品の老舗のもので、私はもう数十年も取り寄せている、まろやかな味噌です。

味噌はその昔、家の数だけさまざま味があったそうです。それぞれの家で作っていたのですね。今でも全国各地に”おふくろの味”というような美味しい味噌が、道の駅などにもたくさんありますね。

さて、私が取り寄せている満田屋の米味噌は、米を多めに配合した白味噌です。色合い淡く甘味があり、上品な風味が特徴です。底塩分のまろやかな味です。

私の好みは「甘糀」。

お味噌汁はもちろん、ぬたや和え物など、上品な味わいが広がります。毎日いただく味噌汁ですから、やはり造りの確かなものを安心していただきたいですね。  

お味噌について、その成り立ちや栄養価を調べてみました。まず味噌は消化しやすいタンパク源で、調味料としての役割と栄養源としての大切な役割を担っています。また、味噌には抗がん物質のリノレン酸エチルエステルや、血中のコレステロールを下げるリノール酸などが含まれ、ガンの抑制と高血圧の予防にも役立っているそうです。

私が満田屋さんを訪れたのは、もうずいぶん前ですが、その店構えが素敵で、中に入ると商品が並べられ、横で座って”田楽”がいただけるのです。(これがとても美味しいのです!)

こうして、旅先で美味しいものに出合ったときの幸福感は特別です。そして、そのもの作りの姿勢に感動するのです。その時も店のご夫妻にお話しを伺いました。

国産菜種や大豆を用い、誠実なもの作りに徹しています。菜種油、胡麻油、甘糀味噌(甘口)の他、特選白虎(甘口)、金選田舎みそ(中辛)など、日本人というより、会津の魂宿る、味の原点。

当時新婚生活をはじめた長男夫婦が、この味噌に気づき、さっそく取りいれてくれたことがとても嬉しかったのです。  

会津若松 満田屋の甘糀みそ
https://www.mitsutaya.jp/
連絡先 満田屋(みつたや) 福島県会津若松市大町1-1-25
TEL 0242-(27)1345
FAX 0242-(28)5899  
甘糀(塩分9%)、500g430円、1kg800円  
営業時間 10時~17時 

旅ごころを語る陶板

もし、「旅人」という職業があるならば、私はその「旅」を仕事に、生涯を費やできたら、と何度思ったことでしょう。

余暇にする旅よりも何故仕事の旅がいいのかというと、私にとっての旅はいつも、自分の全身全霊を打ち込んでするものであったからです。

それは、まだ若い頃のことですが‥‥民芸運動家の柳宗悦先生、木工芸の黒田辰秋さん、写真家の土門拳さん‥‥私が十代の頃から深く尊敬し、憧れた人びとは、いずれもすぐれた旅人であったのです。

少女の頃、私の眼に映った「旅ごころを持つ大人たち」は、皆一様に、旅に打ち込む人に見え、彼らのように「旅を生きる」という感じに旅する人が、かっこよかったのです。彼らの足跡をたどり、彼らの後ろ姿を追いかけているうちに、私もいつの間にか、”旅する女”になっていたのです。

30数年前に長野県飯田市美術博物館で開催されていた『知られざる須田剋太の世界・抽象画と書・陶』展を観たときは衝撃的でした。 週間朝日の連載・司馬遼太郎の「街道をゆく」の挿絵画家としての須田剋太さんはもちろん素晴らしかったのですが、その”書・陶”に魅せられました。

独学で洋画を学び、独自の世界を広げました。あれはたしか、大阪で須田剋太さんが個展を開かれた時だったと思います。

いつもながら素晴らしい沢山の油絵の中に、一点だけ「旅」と描かれた陶板が展示されていて、私はそれを見た瞬間に、どうしても欲しくなってしまいました。日頃旅に打ち込んでいる私を励ましてくれているような、ねぎらってくれているような「旅」の一文字。

それはまた、須田先生ご自身の旅への思いが凝縮してこめられているようでもあり、私はまさに同士に出会ったような喜びを覚えたのです。

でもすでに別のお客さまが予約済みだったのです。「どうしてもこの陶板が欲しいです」との思いを告げ、引き下がらない私に須田先生もお客さまもあきれられ、結局私に譲ってくださったのです。心より御礼申し上げます。

その展覧会からわずか一年後、大好きだった須田先生は他界されてしまったのですが、あれからずっと、私の宝物の陶板は箱根の我が家の玄関先で、いつも私の旅の出入りを見守ってくれています。

ひとつの旅を終えて家に戻ると「いい旅をしてきたかい?」と、ねぎらいの言葉で迎えてくれ、また次ぎの旅に出る時は、「いってらっしゃい、いい旅を」と励まし送り出してくれる須田剋太先生の陶板。

それは、たった一文字ながら「こんな気持で旅しなさい」と、旅ごころの原点と指針とを同時に示してくれているようで、この陶板を見るたびに、芸術の力というものの凄さを、改めて感じずにはいられません。  

でも、私の旅のありかたも60代になった頃から変わりました。作家の高田宏さんの著書「ゆっくりと、旅」(岩波書店)ではないのですが、日本列島は広いです。これからは、仕事ではなく、土地言葉を訊きながら普通列車に乗り”のんびりと、旅”をもう少しつづけたいのです。

行く先々での出逢いを大切に。それが自分自身への”ごほうび”だと思っております。  

早く旅ができますように。

岩波ホール

先日、新聞の読者投稿を見て感激いたしました。
(1月22日付、朝日新聞)

岩波ホールが今年7月に閉館することへの嘆きの声です。本当に映画好きの方なのですね。「行けば必ず心に残る映画に出会うことができた。思い出をありがとう」という、感謝に満ちた惜別の辞でした。

私も思わず、同感です!と声に出してしまいました。

およそ半世紀の歴史を誇る岩波ホールは、しばしば”ミニシアターの草分け”と称されますが、岩波ホールは岩波ホール、やはり特別なのです。

私が俳優の卵で、少し背伸びをしながら歩くような生意気盛りの女の子だった頃、”映画文化”を教えてくださったのが岩波ホールでした。正直に言いますと、「神保町へ行く!」というのはちょっとカッコ良かったのです。

撮影所のあった成城からバスと地下鉄を乗り継いで、本好きの人たちが集まる街へ出かけるのです。駅のビルからエレベーターに乗り、10階の岩波ホールへ向かいます。そこには、まさに夢のような別世界が広がっていました。  

フランスのヌーベル・バーグが大好きだった私が、欧米に限らず、アフリカ・中央アジア・中南米などの映画に引きつけられたのも岩波ホールのお陰でした。50年近く、どれだけの映画をここで見続けたことでしょう。

昨年だけに限っても、「ブータン山の学校」、「大地と白い雲」、「夢のアンデス」を食い入るように見つめました。撮影の舞台はブータンや内モンゴル、そして、チリに広がります。

岩波ホールの魅力が作品の選択にあるのは当然ですが、それと同時に支配人・岩波律子さんのキメ細かい心配りが光っています。先ほどの新聞の投稿者は、こう書いています。

「上映が終わると、支配人は出口で、”ありがとうございました。いかがでしたか”と声をかける。こんな映画館は他にはない」と。

私も同じような経験をしたことがあります。出口で、「頑張ってください!」と激励すると、ニッコリ笑って、ガッツポーズが返ってきました。  

4年ほど前、私が担当する文化放送の番組にゲストでおいでいただいたこともありました。 「予告編を入れないのは、これから見る作品に集中してほしいから。初日ご挨拶を欠かさないのは、皆さんの感想を直接お聞きしたいから」。

映画を軸にした交流の場が、岩波ホールだったのですね。そこには、映画ファンが浮き浮きするような時間と空間が広がっていたのです。

7月末の閉館日まで、これからも何度も通うつもりです。そこで投稿者の方と同じように、「思い出をありがとう。そしていつの日にか、また」と、心からの御礼を申し上げるつもりです。

岩波ホール公式サイト
https://www.iwanami-hall.com/

映画「クライ・マッチョ」

クリント・イーストウッドにお会いしたくて、取るものもとりあえず東京・日比谷に向かいました。

感染防止の態勢は、見る方も受け入れ側も万全でした。座席は十分な間隔がとられていて、一人静かに、うっとりと、そして何かを確かめるようにスクリーンを見つめ続ける中高年のファンが目立ちました。

 「クライ・マッチョ」、イーストウッドの新しい魅力が満載の映画でした。  

主人公は元カウボーイ、かつてはロデオ大会で優勝もしたスターでした。しかし、落馬によるケガや交通事故で妻と息子を亡くしたことなどで人生が暗転します。酒浸りになり、身を持ち崩してしまうのです。

そんな彼に職を与えてくれた牧場の経営者が頼みごとを持ち込んできます。その牧場主には別れた妻がいて、メキシコで13歳になる息子と暮しています。しかし、経済的には豊かでも奔放な彼女は、息子の面倒をほとんど見なかったのです。

そんな中、我が子をアメリカに連れ戻してほしいと牧場主から懇願されたのです。誘拐罪にも問われかねない危険な依頼ですが、世話になった雇い主からの願いを、結局受け入れます。

”義理と人情”でしょうか?
それとも、
”マッチョの心意気”からでしょうか?  

一人で車を運転しながら、メキシコへの旅が始まります。ようやく見つけ出した少年が、すぐに心を許すはずもありません。反発、疑心暗鬼。誰も信じられず、ただ”マッチョ”を夢見る若者と、”元マッチョ”の老人との、アメリカへ向けての二人旅が始まります。

追っ手から逃れ、出会った人たちに助けられながら、国境が近づくにつれて少年の心は徐々に柔らかさを取り戻し始めるのです。

この”マッチョ映画”では、お決まりの乱闘シーンなどはほとんどありませんでした。極めつけはエンディングです。少年はとても素敵なプレゼントを老人に手渡します。心の扉にようやく鍵を差し込んだ少年は、アメリカで自立し、”マッチョ”への道を目指すのでしょう。

そして老人はメキシコに留まり、プレゼントを大切に抱えながら思い出を語り合うことになるのかもしれません。新しい友との出会いが待っているのは、決して少年だけではないのです。きっと老人にも、心ときめく豊かな時間が待ち受けているはずですから。  

クリント・イーストウッドさん!少し前かがみで、静かに歩む後ろ姿。 ”マッチョ”なんてとっくに卒業して、とてもセクシーな91歳のあなたでした。”マッチョ”なんて、”看板に偽りあり”でしたよ。こんなにワクワクし、心温まる映画を見せていただいたのですから。 やはり、お会いできてよかった!

映画公式サイト
https://wwws.warnerbros.co.jp/crymacho-movie/