唐津・洋々閣への旅

皆さまはゴールデン・ウイークはどのようにお過ごしでしょうか?
私の住む箱根のこの時期は身動きが取れないほどの渋滞になってしまうので、自宅でのんびり過ごすことに致しました。そんなこともあり、先週かねてから念願だった唐津の「洋々閣」に行ってまいりました。そこで「中里隆のうつわ展」が開催されているからです。
「洋々閣」は私の憧れの宿でした。
唐津には何度かお訪ねしているのですが、敷居が高い・・・宿でした。
今回ようやくその夢がかないました。この宿は九州の中でも格別の宿です。
無人駅の「虹の松原駅」から宿にたどり着くまでが、まるでドラマのようでした。
無人駅には藤の花が咲き誇り、旅人を迎えてくれます。
宿には郷土を愛する人々の愛と理想と夢が込められています。
私は、一度親しくなると、人でもものでも、長くお付き合いをさせて頂くのですが、最初の一歩がなかなか踏み出せないところがあります。意を決して泊めていただきました。
“大正解”でした。
まず、中里隆さんの素晴らしい作品に出逢えたこと。かねがね中里さんのお噂は伺っておりました。七十歳で窯変した記念すべき展示でした。
(5月31日まで開催)
世界を旅し、その土地ならではの土を用い作陶に没頭された姿が想像できます。
今回、私は”ピッチャー”をもとめました。
「用の美すなわち日常に使えてこそ”美”は存在すること」を見事に表現してくれた展覧会でした。時を忘れたように、数々の作品に見入りました。
宿のご夫妻の美意識のこだわりを拝見いたしました。
日本の美を体現しているような静謐な美しさをたたえている旅館でした。
玄関を一歩入ると「花守」になる壷の活花。
器好きにはたまらない程の”器と料理”・・・全てが満足の滞在でした。
なによりも感じたことは「宿の主人と作り手の作家との”心の通い合い”」でした。素晴らしい滞在に感謝し、清清しい気持ちで帰路につけたことに心より御礼申し上げます。



親子で学ぼう!春の温暖化防止スクール

先日楽しいイベントに参加いたしました。
「親子で学ぼう!春の温暖化防止スクール」です。
小田急電鉄が運行する 臨時列車「エコ・ロマンスカー」に一般親子50組100名をご招待し、ロマンスカーには環境大臣、箱根副町長、小田急電鉄社長、小田急箱根ホールディングス社長、気象予報士、森田正光さん、そして私でした。
このイベントは3月から始まった「箱根がエコになる!低酸素社会づくりキャンペーン」の一環として開催されました。新宿駅に集合しロマンスカーに乗り込みました。約1時間半の小さな旅です。
気象予報士ハレルヤの方々による気象実験教室、森田さんのお話「気象と地球温暖化の影響」はとても分かりやすく、楽しみながらの勉強に小学生の皆さんの目は輝いていました。
私は住民代表としてこんなお話をさせて頂きました。
「箱根に住んで30年。最初は子育てに良い自然の環境に惹かれて移り住んだのがきっかけです。
まず今日皆さんに一番お話したいと思っておりましたのは、「地産地消」のことです。「地産地消」とは、神奈川県にお住まいならなるべく神奈川で採れたもの、東京の方なら近郊のものを進んで食べるようにすれば、食べ物を遠くから運んでくるのに排出されるCO2の量を減らすことができます。
フードマイレージという言葉を知っていますか?
食べ物の量と運ぶ距離をかけたもので、この数値がとても高いのが日本なのです。日本はそれだけ遠くの国から食べ物を運んでいます。運ぶためには飛行機や船やトラックなどを使うため、沢山のガソリンが必要となり、その結果CO2排出量が増えてしまうのです。
フードマイレージを小さくするために一番良いのが「地産地消」なのです。皆さんが地元のお野菜などを進んで食べるようにしていただけると、この数値がどんどん減って環境への負担も軽くなります。
それから皆さんにお願いしたいのはご飯を残さず食べること。生ごみを出さないということもエコ活動につながります。
お父さん、お母さん達にも是非お願いしたいことがあって、実行されている方も多いようですが、日ごろからエコバックを持ち歩いて欲しいということです。
エコ活動は何も難しいことではなくて、こういった日々の生活の身近な部分にも私たちができることは沢山あります。大切なのは一人ひとりがちょっと気をつけること。皆んなで頑張っていきましょう。」
と、このような話をさせて頂きました。
ドイツの環境規制は世界一厳しいといわれます。
私も、グリーンツーリズムの旅で何度もお邪魔していますが、その徹底ぶりにはいつも舌をまいています。ドイツも、日本同様、戦後、環境破壊が進みました。しかし1980年代に入って、国をあげて自然環境保護に取り組むようになったのです。今、ドイツに広がる緑豊かな森の多くは、破壊から再生への道をたどったものだそうです。
こうした、自然環境保護を支えるのが、環境教育です。
子どもたちに自然を身近に感じてもらうために多くの学校が環境に配慮した校庭づくりをし、そこにビオトープ(生物の生息場所)を作っています。自然を身近に感じることが、自然を大切にすることの原点であるという思想がそこにあるような気がします。
ご一緒した50名の小学生の皆さんが”何か”を感じてくれたはずです。
皆さんには、この日のために特別に、特製地産地消弁当とロマンスカー・MSEランチボックスが用意され、のんびり楽しい旅でした。

寒椿の似合う壷

生きることは ひとすじがよし 寒椿
この句は、私たち映画界の大先輩である五所平之助監督が詠まれたものということです。
箱根の山々に吹く風も初春を感じるようになりましたが、まだまだ肌寒く、この季節に自然とその大好きな句が思い出されます。
朝、まだ冬枯れの庭にでてみると、霜柱が立っています。そんな庭に、ひときわ鮮やかに咲き誇る寒椿の花。寒風に吹かされながらも凛と華やかな薄紅色の花弁は、ひとすじに生きることの美しさと尊さを教えてくれるようです。
モノトーンの風景のなかにあでやかに咲く寒椿にしばし見惚れ、そのひと枝を手折って家の内に戻ると、囲炉裏のある部屋の窓辺に、小さな壷が待っています。
すでに45年間私と共にあって、ずっと私の半生を見守り続けてきてくれた信楽の壷「蹲」うずくまる・・・。その素朴で荒削りな、それでいて繊細さも併せ持った花器には、冬の寒椿が一番似合うのです。
春や秋の季節にその壷に花が生けられることはほとんどなく、いつもただじっと窓辺の同じ場所に蹲って、寒椿の挿される冬を、ただひとすじに待ちつづけます。薄暗い部屋のそこだけに灯りがともったよう・・・、私はしばしその場に寄り添いながら、「蹲」と出逢った遠い昔の冬の日のことを思いだします。
この壷はかっては種壷として使われていたとか。

ばっちゃんからの贈り物

大切なものは、土と太陽の匂いがする
ばっちゃん・・・ふるさとだよりの品々が届きましたよ!
栗の渋皮煮、豆糖(みそ味)手づくりジャム、凍りもち(ついた餅を寒風で乾燥させ、砂糖醤油で味付けしたもの)おたっしゃ豆(まめで達者での願いを込めて)にんにく醤油・・・そして、おみ漬け(山形名物のつけ物・青菜の浅漬けは、納豆を混ぜたりお茶漬けでも美味しいとか)


先日、山形県西村山郡大江町に伺ってまいりました。
県のほぼ中央に位置する村山盆地。
柏倉吉代さん(74歳)、横山みつよさん(77歳)、JA高取部長さんをはじめ30代・40代の女性達「JAさがえ西村山」のみなさまの活動を知ることができました。
加工所がある18才(じゅうはっさい)という集落名は、月布川に注ぐ十八番目の沢「十八沢」に由来したとも言われていますが、ばっちゃん達はまさに18歳!そのもの。
28年前にはじめた「もったいない、無駄なく」との思いはまさに今、求められていること。
地域の伝統を大切にし、大江町らしさをだした女性ならではの知恵と技によって、「我が家に伝わる秘伝の味」「子や孫に食べさせたい味」をモットーに受け継がれてきたのです。
“おみ漬け”・・・のなんと美味しいこと。
山形青菜はボカシ肥をいれた土づくりを条件にしているそうです。

「土」が総てを知っています。
私は40年にわたり、日本の農山漁村を訪ねてきました。
最初は民藝に惹かれての旅でした。
やがて、農山漁村の現場を知ることになりました。
第一次生産者が誇りをもって農業・漁業・酪農などに従事できるように、そして消費者が確かな目を育てられるように、ひいては「安らぎの食卓」を支える安全な食品を誰もが当り前に手に入れるようになればと、私なりに情報を発信し、提案を重ねてきたつもりでおりました。
ですから、近年続出した食をめぐる数々の事故・事件は衝撃そのものです。「損得」でビジネスを考えるのではなく、「善悪」という視点から捉え、信頼で生産者と販売者と消費者が互いに切磋琢磨できる関係を作り上げる。
「体に悪いものは作らない・売らない・買わない」という関係をつくりましょうよ。
けっして夢物語ではありません。
だって”ばっちゃんの贈り物”が証明してくれていますもの・・・。
全国には、こうした”正直な味”がたくさんあります。

成人の日によせて・・・ “どんぐりに乾杯”

我が家の子ども達はとうに巣立っていきました。
次女が成人の日を迎えた時の写真が仕事部屋に飾ってあります。
そう、あれはその頃の話です。
森を歩くことは人生を歩むことに似ていると、その日もしみじみ思ったことでした。軽井沢の野鳥の森で馬場さんという森の先生にお会いしました。野鳥の名前や習性や木々のはなし・・・。うかがいながら歩く森は、生き生きと生きる森。なかでもドングリの話は、本当に感動的でした。
ドングリの実って、ほら、先がつんととんがって、まあるく台座にのっかっていますね。あの形にはワケがあるのだそうです。
馬場さんのお話によると、こうです。
「ドングリが地面におちるときが種の旅立ちです。どうおちるかで、種の生存、繁栄が約束されます。もしドングリがただまんまるというのでは、溝やくぼみにはまって枯れてしまう。まんまるではないことで、ドングリは遠くへころがっていけるのです。親木の下にいたのでは、葉が繁ってくると成長できません。できるだけ遠くへ飛んでいくことで、ドングリはぐんぐん成長できるのです」
すごい話だと思いませんか。
“親は永遠に思い続ける”
子育てには、3つの段階があるのではないでしょうか。
おなかに命を宿してから、小学校に入るくらいまでは、親にとって子どもは守ってあげなければならない存在です。そして、小学校2~3年生から17~18歳までは親子が共に育っていく時期。子どもは反抗期などを経験しながら自分自身を発見していく時期であり、親はそうした子どもと正面からぶつかり合うことが求められるのではないでしょうか。それから、20~22・3歳までは、子どもが自立して大人になるのを、親は陰ながら見守る時期だと思うのです。
これら「肉体・精神そのすべてを守る→共に育つ→精神的に見守る」という3段階を通して、親は子どもを社会に送り出すことを、私は4人の子育てを通して学びました。そうはいっても、子育ては1本の道ではありませんから、悩んだり苦しんだり、ときには立ち止まったりしました。
子育てを通して、自分の至らなさも見えました。子どもが自立して親の元を離れていくのが、寂しいという人がいますが、私の場合はむしろ安堵感のほうがはるかに大きかった感じがします。そう思えるのは、子どもが巣立っても、母親としての役目は完全に終わるわけではないと思っているからかもしれません。
永遠に親は親であり、子どもの幸せを願い続けるものなのでしょう。
“成人の日”
親は、遠くから「がんばって」と祈るだけでいいのではないでしょうか。それ以上の親の介入は、子どもにとって障壁になりかねないものではないでしょうか。 ”ドングリの世界のように”

謹賀新年

2009年、新春のお慶びを申し上げます。
みなさまはどのような新年をお迎えでしょうか。

年の初めというものは自分自身の進むべき道をいつになく真面目に考えて、希望がわき上がる反面、心が揺れたり理由もなく不安になったりするもの。そんな癖は、私だけのことでしょうか。
子どもたちが巣立った後に、これからは思いきり自分自身のための人生に出発しなければ・・・この辺でもう一度自分をみつめ直さなければいけないな・・・とそんなことを考えつづけてきた年の初め。
今は亡き「松本民芸家具」の創始者である、池田三四郎先生のことを思いだします。先生にお会いしてたっぷりとお話をうかがうと、いつも魔法をかけられたように元気になって箱根の山に戻ることができました。
ある晴れたお正月、新宿から「あずさ号」に飛び乗り松本まで。
駅前の喫茶店に入り、クラッシックを聴きながら香ばしいコーヒーの香りを楽しみ、心のウオーミングアップをするのです。
富山県八尾の入母屋造りの大きな農家を移築して、昭和44年に建った家。
私はよく先生のお伴をして周辺の山々が見渡せる丘に登ります。
民藝運動の創始者、柳宗悦も、また、宗悦に心酔していた版画家の棟方志功も同じ丘に登っては、ただじっと一点をみつめたまま「自然というのは、仏か、仏でないか」、「自然以上の自然が描けたら、それが、まさに芸術と呼ぶに値するものだろうなあ」と繰り返していたといいます。
秀れた先人たちは皆、自然に対して深い畏敬の念を抱きながら、大自然を父として、母として生きてきたのです。
そして池田三四郎先生はそのご著書のなかでこう書かれています。
「人間が自己の力を過度に評価し、科学を過信し、一切を知性によって合理的に究め得ると錯覚した時代は、その後の日本が歩いた道であった。自然に対する人間の勝利とは虚妄の勝利であったのではないか。近代精神のもたらしたものは人間の傲慢であった。その傲慢さの故に、自己の創った科学文明のために自分自身が復讐されつつあるとは言えないか・・・」と。
しかし、目の前の先生はストーブに薪をくべながら
「一本のねぎにも、一本の大根にも、この世の自然の創造物のどんなものにも美があるんだ。問題は、人間がそれを美しいと感じる心を身体で会得しているかどうかなんだ」
と淡々と語られました。
私は、年の始めに自分自身の過去と未来を見つめ直しているうちに、この先どういう場所に身を置くべきかを考えます。
いたずらに過ぎてしまった過去や未知の未来を思い慕うよりも、
いま自分の手にしている現在を、いま身の回りにあるものを真摯にみつめて、それらを大切に暮らしていきたいと思います。

世界中から、戦争がなくなりますように・・・。
人々の暮らしが穏やかでいられる世の中でありますように・・・。
そんなことを願った新年です。
2009年がみなさまにとって良き年になりますように。

“ゆうゆう読者”とのクリスマス

年の終わりに。
みなさまにとって今年はどんな年だったでしょうか。
私は今朝も、箱根の山を1時間たっぷり歩いてきました。
初冬の凛とした空気の中での山歩きが日課になって3年近くになりました。杉の木立の道、杉の枝の間から朝の光が差し込み、とても気持ちがよいのです。空気は冴え冴えと冷たく真っ白に雪化粧をした富士山。
以前は、ただ美しいとだけ思っていた風景が、年々深く心にしみるようになりました。
この度、4年間連載してきた雑誌”ゆうゆう”を本にまとめ、等身大の自分と向き合うことができました。
このまま、50代のスピードで走り続けていくことが私にとって幸せなのか・・・
明日もまた、今日と同じような日々が続く・・・それが当たり前だと心のどこかで思っていました。しかし、65歳になり山歩きをしながら、箱根の山のエネルギーをもらい、お気に入りの木に触って「おはよう!」と声をかけ、絶景ポイントで、ストレッチをやって・・・歩いているうちに、心からはよけいな澱みのようなものがはがれ落ち、やがて心も体も軽くなってくるのです。
今年もたくさんの旅にでました。
素敵な出会いもいただきました。
自分を見つめ、心の荷物を整理することができました。

そして、今夜はクリスマスイブ

先日、ゆうゆうの読者の皆さんと「箱根のクリスマス」を楽しみました。
今年も大勢の方々がご参加くださり、同世代・ちょっと下の世代の方・・・女同士のおしゃべりを楽しみました。夜のパーティーではこんなご質問も。
「浜さんの健康の秘訣はなんですか?」・・・と。
私は「まず、歩くこと。歩いて新鮮な空気と”気”を取り入れること。あとは、くよくよしない!今日嫌なことがあっても、明日にはきれいに忘れることですね」と申し上げました。
今年は暗いニュースが多かった中、日々の生活を大切にし、一歩一歩、前に進んで参りましょう。

みなさま・・・どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。

【写真提供:主婦の友社 ゆうゆう

宮城の旅

宮城を旅してまいりました。
今年、6月7,8日と「食アメ」の皆さんと鳴子を旅し、地元の方々との素晴らしい出会いの場がありました。
それから1週間後の14日8時43分ころ、岩手、宮城で震度6強の地震が発生。その後が気になっていましたが、12月26日に仙台で開催されるイベントのため、宮城を一巡り・・・というチャンスに恵まれ伺ってまいりました。鳴子温泉・鬼首(おにこうべ)の方々との再会は逆に私が勇気づけられるほどのものでした。
鬼首の取り組みについては来週「NHKラジオ深夜便」で詳しくお話いたします。
東京から”はやて”で古川へ。
そこから陸羽東線リゾート列車で晩秋の柔らかな日射しの中を鳴子温泉へと向かいます。現代の湯治について熱く語る大沼さんと、これからの湯治について語り合い、農家レストラン「土風里」ではどぶろくと地元野菜の料理を堪能。ここにも豊な食材と笑顔の美しい女性たち、そして、海の豊かさを育む人たちとの出会いがあります。

美味しい牡蠣を作るために、志津川では漁師が山に木を植えています。
“森の栄養が川や海の命を育てる”
「森は海の恋人」という素敵な本に出会ったのは20年ほど前のこと。
主人公は、唐桑町在住の牡蠣養殖業者・畠山重篤さん。畠山さんは、父から継いだ牡蠣やホタテ貝の養殖をしているのですが、1965年頃から、目に見えて海の力が衰えてきたことに気がついたそうです。
「なぜ、海がこんなに力を失ってしまったのだろう」と考えた畠山さんの脳裏に浮かんできたのが、かつて視察で訪ねたフランスのブルターニュ地方の風景だったそうです。ロワール川の河口には、見事な牡蠣が育っています。干潟にはカニや小エビ、ナマコがたわむれていました。その海を見たとき、畠山さんは「これはかつての宮城の海だ!」と感激したそうです。
それから一心に考えました。宮城の海とブルターニュの海と、一体、何が違うか。
“それは、森”
ブルターニュの山々は広葉樹の森が広がっています。
海の源は川であり、川の源は森ではないのか。
もう一度、宮城の海を生き返らせよう、そのために山の森を再生しようという運動を始め「牡蠣の森を慕う会」が生まれ、気仙沼湾に注ぐ大川上流の山に集い、広葉樹の植林を行ってきました。
その村は岩手県の室根村でした。
その思いが志津川の漁師たちにも受け継がれているのです。
現代の日本は、林業という産業が成り立ちにくい社会になっています。
森の豊富な栄養分が水に溶け、川を通って海に注がれ、海の生物たちを育てていくのです。農村の山々の自然が、海の自然に大きく影響していくのです。水は流れ、地球を循環していくということを、私達は忘れてはならないのです。
森、山、川、海、生物の命、そして私たちの命。そのすべてが連鎖しています。
宮城の美しい海がいつまでも守られますように・・・と願いました。
採れたての牡蠣・アワビを船上で食べ、「美味しい!」と思わず叫んでしまいました。

塩竈では”ひがしもの”(塩竈のブランドメバチマグロ)談義。
美味しいネタとは新鮮なだけではなく、寿司屋とマグロを選ぶ「目利き」の仲買人の存在が大きいことを知りました。地酒とひがしもの・・・ごちそうさまでした!

12月26日は杜の都「仙台」を”伊達”に演出するイベント「仙台・宮城デスティネーションキャンペーン・ファイナルイベント」に参加いたします。

「凛として、箱根暮らし」

これまであまりプライベートについて語ってこなかった私ですが、働く女性として感じたことや子育てをしながら感じてきたこと、あるいは母でも妻でも女優でもない、ひとりの人間として感じたことなど、等身大の私を、これまで雑誌「ゆうゆう」で連載してきました。その連載を「凛として、箱根暮らし」(写真:大倉舜二氏)として一冊の本にまとめ、その作業を通して、自分に真摯に向き合うことができました。
またこの本の出版を契機に、私の愛する箱根の家に新たな風を呼び込むような活動をスタートさせたいと強く思い始めました。今後は農と食の仕事を続けながら、日々の暮らしを豊にする様々な提案を箱根の家から行っていくつもりです。
私の10代は、生きるために何かをつかまなければと必死になった時代。
20代は自分の居場所を作ろうともがいていた時代。
そして30代は、仕事や家族のことなど、このままでいいのかと思いつつ、体力気力で何とか乗り切った時代。
40代は家族との関係も変化し、同時に次々に4人の子供たちが思春期を迎え、時に立ちつくしたりもした時代。
50代はそれまでの心の整理をしたりして、元気を取り戻した時代。
ひとつ山を乗り越えたとホッとして、顔を上げると、また別の山が前に控えているような人生を私も送ってきました。けれど連載を通して自分を振り返ることで、私自身、しっかりリセットできたように思います。
「ゆうゆう」の連載をしている4年の間に私も60歳から秋に65歳になりました。時は過ぎゆくのだとしみじみ感じます。私も、思い出が鮮やかさを増す年齢に入ったのでしょう。
いつしか孤独を感じる自分をいとしい・・・と思うことができるようになりました。その裏に、私がこうして今、生きていることに感謝する気持ちが隠れていることにも気づかされました。
これからも私らしく。
10年後の光を目指して、身の丈の暮らしをもとめてまいりたいと思います。
本日12月5日から 書店に並びます。
発行 主婦の友社 「凛として、箱根暮らし

美の里づくりコンクール~岐阜県下呂市

私は、「美の里づくりコンクール」~景観を育み、生かす農村アメニティー~の審査委員として全国各地にお訪ねしております。
物質生活水準がある程度達成された今日、私たちの価値観は経済優先から生活充実優先へ、成長思考から安定志向へ、さらに物の豊かさから心の充実へと大きくシフトしてきました。量的な満足感から、より良い質を求める暮らしへと変化してきたのではないでしょうか。
現在、さまざまな景気の揺れによって多少の傾きはあるものの、暮らしの質への追求はさらに先鋭化していくでしょう。
やすらぎや快適な空間享受の経験は、私たちが手放したくないアメニティーの一つです。緑の環境下で暮らすこと、ゆとりや心地よさは誰もが願う事です。都市生活者の土離れが顕著であるのに対して、農村のアメニティー=居住快適性はより大きな暮らしの価値観になっています。
このコンクールは、農村の快適居住性を評価するものであり、当然その評価の中に住民の自主的努力が環境の保全ならびに新たな形成の動きも示していて、この表彰事業が継続されています。この20年あまりの調査において、その概念の理解とそれへ向けての努力の足跡は目をみはるものがあります。
ひるがえって見れば、都市部においてそのような、暮らしの改善や工夫、よりクリエイティブなアメニティーへの取り組みがどの位あったでしょうか。
幾多の山並みと清流の織り成す自然環境に恵まれ、先人から受け継がれてきた歴史的に価値ある文化遺産が多く残されている、そんな集落の数々をお訪ねしてきました。
岐阜県下呂市・・・馬瀬(ませ)地域。
人口1、545人、地域の95%が森林で占められています。平成8年には「馬瀬川エコリバーシステムによる清流文化創造の村づくり構想」を策定し、「山村景観」や「自然環境」の保全を展開してきたところです。
馬瀬は下呂温泉郷から、15キロ山間に入ったところ。
平成19年9月には、全国の清流の鮎の質を競う品評会「全国利き鮎会スペシャル」が東京において開催され、馬瀬川上流の鮎がグランドチャンピオン(日本一)に輝きました。観光客は釣りの4万人から30万人に急増したそうです。都会からの子どもも含め地元の子供達の夏の川遊びが脅かされつつあるといっていいかもしれません。
「日本で最も美しい村」連合に加わる馬瀬地域・西村地区では住民らが「ホタル同好会」を結成し、蛍の餌になるカワニナ保護活動も始めたそうです。
【馬瀬地方自然公園・住民憲法】も策定され、住民が一丸となって美しい環境保全に取り組んでいる姿に私は胸が熱くなる思いがいたしました。
“森が魚を育て、川が郷(むら)を興す。
旅人は静かに・・静かに・・訪ねてください。