寒椿の似合う壷

生きることは ひとすじがよし 寒椿
この句は、私たち映画界の大先輩である五所平之助監督が詠まれたものということです。
箱根の山々に吹く風も初春を感じるようになりましたが、まだまだ肌寒く、この季節に自然とその大好きな句が思い出されます。
朝、まだ冬枯れの庭にでてみると、霜柱が立っています。そんな庭に、ひときわ鮮やかに咲き誇る寒椿の花。寒風に吹かされながらも凛と華やかな薄紅色の花弁は、ひとすじに生きることの美しさと尊さを教えてくれるようです。
モノトーンの風景のなかにあでやかに咲く寒椿にしばし見惚れ、そのひと枝を手折って家の内に戻ると、囲炉裏のある部屋の窓辺に、小さな壷が待っています。
すでに45年間私と共にあって、ずっと私の半生を見守り続けてきてくれた信楽の壷「蹲」うずくまる・・・。その素朴で荒削りな、それでいて繊細さも併せ持った花器には、冬の寒椿が一番似合うのです。
春や秋の季節にその壷に花が生けられることはほとんどなく、いつもただじっと窓辺の同じ場所に蹲って、寒椿の挿される冬を、ただひとすじに待ちつづけます。薄暗い部屋のそこだけに灯りがともったよう・・・、私はしばしその場に寄り添いながら、「蹲」と出逢った遠い昔の冬の日のことを思いだします。
この壷はかっては種壷として使われていたとか。