仕事帰りの寄り道 美術館

いつもより早く仕事が終わったら
美術館目指して歩いてみよう。
ちょっと遠回りでも
ちょっと面倒でも
子どもの頃のように「寄り道」してみよう。
きっと、心の宝物に出会えるよ。

(自由国民社「仕事帰りの寄り道 美術館」 プロローグより)
そうですね、私はお気にいりの美術館をいくつも心の中のリストに持っています。ちょっと疲れたとき、何となく鬱々しているとき、美術館の建築をみたいとき、美術館にはオシャレなカフェも併設されていて、ときにはそこでお茶をいただくときも。
私にとって夢のような美術館から現実の暮らしに戻る、さながら架け橋のような存在が美術館です。素敵な本に出会いました。
それが「仕事帰りの寄り道美術館」です。
たしかに、この20年近くで街にはアートがあふれ身近な存在になりました。
大きな展覧会だけではなく日常的にアートにふれる機会ができました。だから・・・ふらっと寄り道がしやすくなりました。この本には東京の美術館がエリアごとに写真とイラストマップ付きで掲載されています。カフェの情報も素敵です。仕事、仕事、仕事・・・そんな日常、隠れ家的なアートスペースから、明治期のオフィスビルが復元された展示室、新しい才能を発掘しつづける美術館など等、満載です。
つい先日気になっていた展覧会に仕事を早めに終えて娘と一緒に丸の内にある「三菱一号館美術館」に行ってきました。


ここの素晴らしいところは、作品との距離が近く、じっくり作品と向き合えるところ、明治の建築が素晴らしく建物、廊下、鉄筋階段、天井など、まるで個人の館に招かれたよう。
9月23日で終わってしまう『冷たい炎の画家 ヴァロットン展』です。
1865年ローザンヌで生まれ、一時期フランスに帰化し、「アンダーグランドのスイス人」ともいわれ、20年ほど前にブリジストン美術館で版画作品を観て感動したことを覚えています。けっして、広く知られてはいませんが、今回のこれほど大きな回顧展は日本で始めてです。しかも「三菱一号館美術館」での開催はもっともふさわしい場所のような気がいたします。絵の感想は申し上げません。ただ本にあるように「仕事帰りの寄り道」にはふさわしい美術館です。なぜって、アートの余韻をたっぷり楽しめるカフェがあるからです。


クラシカルな雰囲気の中で、明治時代のハイカラ文化も味わえ、私は”白ワインとナポリタン”をいただきました。陽が落ちての中庭のライトアップも素敵でした。心がとても豊かになりました。


ラジオ「浜美枝のいつかあなたと」に出版社・自由国民社の徳田祐子さんにご出演いただき企画された意図などお話を伺いました。
『夕方の美術館は、自分を見つめる場所かもしれませんね』というお話が印象てきでした。
放送は文化放送・9月21日(日曜・10時半~11時)
「浜 美枝のいつかあなたと」


湯布院映画祭

先日、大分県湯布院で『第39回湯布院映画祭』が開催され行ってまいりました。「東宝映画特集」でした。


かつて助監督で活躍され、その後湯布院に戻られ、お父さまの跡を継がれ名旅館「亀の井別荘」のご主人として、また町づくりの中心的存在で活躍された中谷健太郎さんからご案内状が送られてきました。東宝の60年代から70年代の映画19本が上映されるとのこと。「懐かしい・・・行ってみたいわ」と思いました。60年安保、ヌーベルバーグの嵐。
私は、10代の終わりから20代半ばにかけての7年間に、「日本一のホラ吹き男」「ホラ吹き太閤記」「日本一のゴマすり男」など14本の映画に、植木等さんの相手役としてご一緒させていただきました。前夜際では広場にシートを敷いて、湯布院駅前に大きなスクリーンを設置して・・・映画を観る。”懐かしいわ~”皆さんご記憶にありますか?野原の大きなスクリーンを座り込んで観た映画。私は多分「路傍の石」だったと記憶しております。その前夜祭で「日本一のホラ吹き男」が上映されました。
暗くなってから8時スタート。
周りの商店街では上映に協力し全ての照明を消してくださいます。
「映画館のない町、湯布院」での映画祭。皆さん町のボランティアの方々で運営されています。素晴らしいですね。60年代、70年代・・・60年安保を撮影所の食堂で見つめていたり、ヌーベルバーグの嵐、等など。50年前の自分自身に対面しました。映像というのは、時空を超えるものなのですね。
実はあのころの私は、いつも居心地の悪さを感じていたのです。演技の勉強をしたわけでもなく、女優志願でもなく、スカウトされるまま映画に出ることになってしまって、これで私はいいのか、私がいるべき場所はここではないのではないか・・・。けれど、画面の中の私は、そんな愁いのようなものは全く感じさせず、つたない演技を、ぴちぴち弾けるような若さで補って輝いていました。あのころの私も、精一杯頑張っていたんだなぁと胸が熱くなりました。そんな風に若かった自分をいとしく思ったのは、もしかしたら初めてかもしれません。約半世紀という時間のおかげで、ようやく客観的になれたのかもしれないと思います。
ばかばかしいといわれればそれまでですけれど、人のかわいさ、おかしさをお客さまも喜んでくださり、映画を観ながらお腹を抱えて大声で笑ったりできる時代でした。無我夢中で生きたあの頃に胸が熱くなりました。「せっかくですから、シンポジュームにゲストとして出てください」と、事務局からのお誘いに、同時代を一緒に映画作りをした監督やシナリオライターの方、中谷さんとお話をさせていただきました。公民館のホールには全国から映画好きの方々が会場をうめて和やかな一日でした。


翌日は仲代達矢さんもお越しになられました。早朝には宿屋の周り金鱗湖や裏道などを散策し、幸せをかみしめました。


ボランティアの方々が湯布院駅に見送りに来てくださいました。
湯布院の皆さま”ありがとうございました”
私の『追憶の旅』はこうして終わり帰路につきました。


【お知らせ】
先週のお伝えした「徹子の部屋」は9月25日の放送になりました。
ぜひご覧下さいませ。

徹子の部屋

テレビ朝日 『徹子の部屋』にお招きいただきました。
(放送日は9月25日になりました)
9年ぶりの出演です。
1週間ほど前にお声をかけてくださった局のMデレクターが箱根の我が家に打ち合わせにお越しくださいました。「あのとき、10年後の浜さんをお招きしたいと思っていました」と。
子ども時代の空襲で焼け出されたこと、川崎での長屋暮らしのこと、戦争がやっと終わり、ものはないけれども、みんな貧しかったけれど、元気に働いて・・・・・。
昭和がすべてよかったなどとは思いませんし、戦争にとられて死ぬ人がひとりもいない平成には、それだけでかけがいのない素晴らしさがあると感じる・・・こと。
子供たちが社会へと巣立っていき、ハッと気が付くと、60代に。65歳になったとき、今後のことを考え、自分のスペースのリフォームに着手したこと。70代に入ってからいっそう丁寧にくらしたいと思うようになったこと。これからも人々と出会い、ものに教えられ、思索し、旅に出たいです・・・・とそんなお話をさせて頂きました。
当日、スタジオで徹子さんに久しぶりにお目にかかりました。ひとつの番組をあれだけ長く続けておられるのには大変なご努力があられるでしょう。相手を気遣い、”本音”を引き出す話術はやはりプロです。どんな内容が放送されるかは、な・い・しょ!
ただ私は40歳で演ずることを卒業しているので、テレビ出演はやはり緊張いたします。あんなにテレビにお世話になっていたのに・・・。
久しぶりのテレビ出演、ご覧くださいませ。
あ~~終わってよかった。
ホッとしてその日はひとりワインで乾杯!しました。

-高野山

念願がかない高野山に行ってまいりました。
宗教を深く勉強しているわけでもなく、なぜ高野山なの・・・と自分に問うても分かりません。『お大師さまを慕って』の旅でした。
14、5年前になるでしょうか。一冊の本に出会いました。「空海・日本人こころの言葉」(村上保壽著)です。現代語訳つきでしたので読みやすく心に響く言葉がちりばめられていました。
『人は必ず何かのご縁にめぐりあう』
『現状が変わる時節は必ずくる』
『そもそも冬枯れの樹木は、いつまでも枯れているのではありません。春になれば、芽ばえて花が咲きます。厚い氷でも、いつまでも凍っていることはありません。夏になれば解けて流れだします』(現代語訳)
『生あるものすべてが親である』・・・など。
「この世にいるのも今や残り少なくなった。そなたたちよ、よく暮らして慎んで仏法を守るがよい。わたしは永く山にかえるであろう」と弟子たちに言い残し、御年62歳で高野山奥之院に入定されます。


大阪・難波から特急に乗り1時間20分、終点の極楽橋に着きます。そしてケーブルカーに乗り換え高野山駅までわずか5分。特急は深山幽谷の深い山間を抜け、ケーブルカーは800m、勾配は急なところで30度。車窓から永年の風雪にたえたヒノキの巨木林・高山植物などを見ながらのぼります。冬はその険しい道を修行僧は歩いて登るとか。日本語の案内の後フランス語での案内。ケーブルでもフランス人が家族でいらしていました。大自然にかこまれた高野山駅。夏の涼風が身体の疲れを包み込んでくれます。弘法大師をここで身近に感じます。きっと今も昔も変わらないのでしょうね、駅って。駅からはバスでそれぞれの宿坊に向かいます。周囲1000メートル級の峰々にかこまれた曼荼羅浄土。


宿坊に着くと若いお坊さんが「お風呂にはいられますか、それとも夕食を先になさいますか」と丁寧にたずねられましたが「すみません大門まで行ってきます」と、早々に歩いて行きました。夕陽に映える壮麗な大門を見たく、坂を駆け上りました。
「わぁ~間に合った!」数秒ごとに違った色を映し出す大門。千年の昔からこの絶妙な夕陽を目にした人々。高野山の街並みの西端に国の重要文化財大門。両脇に配置された仁王さまは江戸の名工・仏師による大作、三百年近くの永きにわたり参拝者を温かくお迎えしてくれているのですね、睨みをきかして。ここが『聖地への入口』ということを感じさせてくれます。


人口約4000人、そのうちお坊さまが1000人。
暮六つを告げる六時の鐘の音を聞きながらの夕食は高野山名物の精進料理。翌朝は宿坊での勤行、そして朝ごはん。東西6キロ、南北3キロの盆地に117の寺院、役場や銀行に学校、そしてコンビニもあります。「一山境内地」、総本山の境内に全てが存在します。


まず向かった先は「壇上伽藍」。ここはお大師さまが高野山を開いたときに最初に整備した神聖な場所だと聞きました。そして「金堂」裏堂の曼荼羅は平清盛が自らの額を割った血で中尊を描かせた「血曼荼羅」。まだ参拝客も少なく森厳な空気がひろがります。そして「根本大塔」。巨大な朱色の外観だけでなく燦然と輝く大日如来、まわりを取り囲む四仏、柱の十六菩提。壇上伽藍を抜け、通りにでると左手に金剛峯寺など見どころがたくさんあります。天皇・上皇の応接間である書院上段の間、四季の花や鳥、弘法大師入唐の模様が描かれています。豊臣秀次が自決した柳の間、そして2千人分の食事をまかなう台所。奥へ進むと「ひと休みなさいませ」とお茶とお菓子をいただきながら庭をながめ、次は高野山1200年の至宝が見られる「霊宝館」へ。世界遺産高野山に現存する貴重な仏像・仏画をはじめとした文化遺産が収蔵され、一般公開されています。


商店街の酒屋へ寄り道し「地酒は何がありますか?」と聞き、本場のごま豆腐や高野豆腐などなど帰りに買うお土産の下調べ。


さぁ~いよいよお大師さまのおわします奥之院へと向かいます。


奥之院に通じる表参道は静寂そのものです。見上げればあたりを埋め尽くすような杉。あたりはひんやりとした空気に包まれ静寂のひとこと。一歩一歩歩いていくと両側には苔むした石塔が延々と続きます。石塔には皇族や公家、大名などに加え企業の名まであります。始まりの一の橋はたった数メートルの橋ですが、ここから聖地がはじまる・・・と思わず帽子を取り一礼し、歩くことおよそ40分。いよいよ御廟に到着です。合掌、礼拝し、橋を渡り灯篭堂を抜け、お大師まの御廟の前へ。私はここに辿りつくまで何年の月日が経ったのでしょうか。
観光客や外国の人もいらっしゃるし、遍路姿の人、そしてお年寄りや若者も。
私は今回なぜ高野山に行ったのでしょうか。
空海という方はどんな方だったのでしょうか。
宗教を超えプロデューサー的な役割を果たした方・・そう思えました。
「空海・日本人のこころの言葉」の最後にこう記されています。
空海の祈り 高野山万灯会と入定
八三二年(天長九)八月二十二日、空海は、思いをこめて「高野山万灯会の願文(がんもん)」を書き、弟子たちを率いて万灯万華会を修法します。
『虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願いも尽きん』
(生きとし生けるすべてのものが悟りを得て幸せになれば私の願いも尽きるであろう)
人は自らの心に迷う、と空海は述べていますが、迷いの原因が自らの心の中にあることを知れば、人生ってけっこう面白く、興味深く、また優しく生きることができるかも知れません。
行きと同じようにケーブルカーに乗り、特急に乗り、大阪から箱根の山に戻りました。同じ杉の木立をバスの車窓から眺めていたら、”お大師さまを慕って”の旅が身近な旅に感じられ”理屈”はどうでもよく、心の中を心地よい風が吹いていました。

普段着のパリ

パリから戻りました。
昨年は9月に遅い夏休みをアパートを借りパリで過ごし、とても快適だったので、今年は少し早い夏休みを昨年同様アパートを借り9日間過ごしました。着いたらすぐに荷物を置き近所のスーパーで、水・ミルク・くだもの、パン屋さんでクロワッサンとパン・オ・レザンを買います。これは大好きなパンです。今回見つけたコーヒー豆屋さんで1週間分の豆を挽いてもらい、日本から持参したテーブルクロスをテーブルにかけてできあがり。そうそう、お花屋さんで一輪のバラを買えば幸せな気分になれます。


翌日からはまず美術館めぐり。パリにいると一日、5~6時間はあるきます。20世紀初頭の印象派の殿堂「オルセー美術館」はかつての駅舎を再利用した美術館。ポール・セザンヌの「りんごとオレンジ」、ミレーの「落穂拾い」、ゴッホが療養のために過ごした村の教会を描いた「オーヴェルの教会」などなど。見逃せないのがアール・ヌーボーの家具。時間が経つのも忘れ4時間たっぷり見てからセーヌ川に沿ってシテ島へ。


ゴシック建築の傑作「ノートルダム寺院」は観光客でいっぱいなのでパスし、裏側から見る寺院の美しさにいつも感動します。そして、サンルイ島に渡りウィンドーショッピング。お昼はオニオングラタンスープが美味しかったです。


私はパリでは友人と会っての会食はお昼。早寝早起きで快適です。最後の日の夕食をのぞいて、もったいないかもしれませんが夕食は抜き。軽く部屋でチーズと赤ワインを一杯でじゅうぶん。
翌日はオランジェリー美術館へ。オープン30分前に並び一番で入るようにします。静謐な空気の中で絵と向き合うと心が豊かになります。今回もモネの「睡蓮」の前でイスに座り「水平線も岸辺もなく、波紋によって果てしないすべての幻想」を表現したといわれる絵の前で、かつて戦争に傷ついた人々に自然の前で瞑想へと誘う安らぎの場を提供したモネ。淀んだ水に花咲く睡蓮の佇む風景には心が穏やかになり、私も疲れが肩からスーと抜けていきます。幸せ・・・。


帰りの骨董屋さんや、ギャラリーのお店が並ぶサンジェルマンデュプレまでの散歩も落ちつきます。


日曜日はオーガニック専門のビオマルシェへ。石鹸、ナッツなどをお土産に買いました。


パリに来たら1度は行くレトロな雰囲気漂うアーケード街、パサージュ。ガラス張りのドーム天井や足元のタイルのモザイクが美しいのです。今回は1826年にオープンしたギャラリー・ヴィヴィエンヌへ。


そして7月14日の革命記念日にパリにいたので、凱旋門からコンコルド広場までのパレードを見るために、アパートから1時間近く歩き(周辺は地下鉄もストップ)シャンゼリゼ通り沿いの柵の近くでパレードが見れました。パリ人、地方からパレードを見に来た人、私のような観光客、人で溢れています。騎馬隊の美しい行進が大統領を乗せた車を護衛します。上空には戦闘機がフランスの国旗、三色の色を轟音とともに駆け抜けていきます。今年は第一次世界大戦から100年目の大きな節目の年。テーマは「戦争と平和」でした。各国からパレードに参列していましたが、日本も自衛隊が3名参加したことに私は少なからずショックを覚えました。初めての参加とのこと・・・。


夜は暗くなる11時からエッフェル塔を中心に花火大会。私もエッフェル塔が良く見える友人の家に招かれ花火を見学しました。テーマはやはり「戦争と平和」でした。夜空に月も美しく輝いていました。打ち上げられる花火を見ながら、”どうぞ、紛争のない平和な世界になりますように”と祈りました。


この季節はセールの時期でもあります。私はとても気にいった手袋を買いました。秋が来るのが楽しみです。今回の旅も移動はほとんどバスでした。外の風景を眺めながら楽しめました。疲れたらひとやすみ。カフェーでコーヒーを飲みながら街行く人を眺めながら時間が止まったような不思議な気分にしてくれるパリ。時に中世の路地の残る街に迷いこむと「ここがパリ?」という信じられない静けさに出逢います。


今回の旅は、平和について考える旅でもありました。日常生活に埋没しているとついつい忘れがちのこと・・・。
そして、長年の友情にも感謝した旅でした。

「花咲く ラリックと金唐紙」

箱根ラリック美術館 特別企画展で素敵なルネ・ラリックの作品と金唐紙作品のマリアージュ。
ご案内には「花咲き、鳥たちが歌う。「花鳥風月」の世界あふれるルネ・ラリックの作品。それは自然をこよなく愛する彼がたどり着いた美の境地でした。明治時代、西洋に日本からもたらされた日本工芸の粋、金唐紙。自然の草花から生まれたきらびやかに浮きたつ文様は、まるでラリックに直接影響を与えたかのようです。洋と和の名品が織りなすハーモニーをお楽しみいただけます。」
金唐紙については漠然とは知っていました。江戸末期から明治にかけて日本で発展した工芸和紙。旧岩崎邸や旧前田公爵邸などに使われていて海外に輸出品としてイギリスなど海外でも高く評価されていた和紙。日本国内でも鹿鳴館や国会議事堂といった建築物の壁紙としても使用されていましたが、アール・ヌーボーの衰退、ライフスタイルの変化、その後はあまり見かけることはなくなりました。
もともとはヨーロッパの金唐皮(ギルトレザー)をルーツとしてその皮の質感を手漉きの和紙で表現された高級和紙。1873年にウイーン万博で話題を集めたとの事。その後その金唐紙がどのような道をたどったのでしょうか。
今回の展覧会で謎がとけました。二十世紀半ばに生産が途切れた金唐紙を見事に復元したのが今年80歳になられる上田尚さんです。30年の歳月をかけ復元に取り込まれてきました。明治、大正期の金唐紙は上田氏によって新たな命を吹き込まれました。


強羅から施設巡りバスに乗り、ひめしゃら林道、こもれび坂を抜けるとポーラ美術館、星の王子さまミュージアム、ガラスの森ミュージアムを経てラリック美術館に着きます。我が家からバスを乗り継いで約1時間。「花咲く ラリックと金唐紙」展に行ってまいりました。梅雨の日の合間の晴れた日、木漏れ日が心地よく「幸せだわ~」とつぶやいていました。室内に入ると「花鳥風月」の世界。ルネ・ラリックの花器「きんぽうげ」と金唐紙「鳥とアイリス」。春夏秋冬の上田氏の作品の前にラリックの花器。西洋と日本、和と洋がこんなに似合うなんて・・・明治時代にタイムスリップしたかのようです。

ラリック美術館の企画展にはいつも魅了させられます。ゆっくり時間をかけ拝見できました。そして・・・その後のお楽しみ。年に数回ではありますが、美術館に併設されてある”カフェ・レストラン LYS”でのひととき。遅いランチをいただきます。ひとり庭を眺めながらのシャンパン。至福のひとときです。「明日からの仕事頑張ろう~」などとかってにつぶやき、冷製トウモロコシのポタージュ、和牛フィレ肉グリエ香草マデラソース、そして・・・普段めったに頂かないデザートはタルトフロマージュ”ル・リアン”美味しいのです、とてもとても。チーズケーキでこんな美味しいの始めてです。山本シェフ、ご馳走さまでした。ティータイムも素敵そうですね。


美しい作品に出逢い、美味しい食事ができて・・・本当に幸せです。70代に入ってからはこのような時間を大切にしたいと心から思うようになりました。「本物と出会う」ことの大切さをしみじみ実感できた”小さな旅”でした。
皆さまも箱根ラリック美術館にお越しになりませんか。
期間 2014年6月14日(土)~12月7日(日)
夏の箱根、紅葉の箱根、初冬の箱根、どの季節でも素敵です。
http://www.lalique-museum.com/

生誕120年記念  濱田庄司展

駒場東大前の「日本民藝館」で濱田庄司 生誕120年を記念して展覧会が開催されており、初日に行ってまいりました。


作家言「個人の作家の仕事には香りが欲しい」  濱田庄司
民藝運動の創始者・柳宗悦は「私の解する限り、濱田ほどすべてに均整にとれた人物はすくない」と濱田を賞し、濱田自身は「自分は或技術を修得するのに十年みっしりかかった。しかし、それを洗い去るのに二十年でも足りない」と語る。「このという事こそ作家としての大きな良心だと言って良い」と柳宗悦は語っています。
十代で民藝(民衆的工芸)運動に出会い、民衆の(地方の)日用雑器の中から美を見出した民藝運動。柳宗悦を中心に濱田庄司、河井寛次郎、バーナード・リーチなどその友情は生涯続き、民藝館の初代館長が柳宗悦。そして柳亡き後二代目館長を務めたのが濱田庄司です。


民藝館の玄関に立つとそのざわめきが聞こえてきます。
生前濱田庄司の奥様を益子に訪ねたことがあります。「夜遅く、からころからころ・・・と下駄の足音でお客さまの人数が分かり大忙しで酒のつまみを用意したものですよ」と優しく微笑みお話してくださったことが忘れられません。
濱田は二十二歳の時に河井のいる京都へ。そしてリーチとともに渡英。セント・アイヴィスという古い小さな港町の丘に日本風の窯を築き、リーチと共に作陶生活を三年半にわたり続けます。陶芸家というよりご本人は「陶工」と称していたそうです。沖縄・英国・京都・益子・・・それぞれの土地でその土地の土・空気・水で作られた作品の数々。蒐集した作品。それらは無垢の美に裏打ちされています。観るものの心にその美がどれほど大切か・・・を語りかけてくれます。暮らしの大切さを教えてくれます。
時間をかけてのんびり民藝館にいらしたらいかがでしょうか。椅子にかけ吹き抜ける風の爽やかなこと。
五十年、慕いつづけてきた民藝の世界。幸せなひとときでした。
2014年6月17日(火)~8月31日(日)まで
開館時間 10時ー午後5時(入館は16時30分まで)
休館日   月曜日(ただし祝日の場合は開館し、翌日振替休館)
京王井の頭線駒場東大前西口から徒歩7分

やまぼうし


やまぼうしの花が満開です
箱根の山が
ふんわりと
山法師の花で
おおわれる初夏
見事な開花は
十年に一度とか
結婚して四人生んで
たちまち流れた十年の歳月
私も山法師(やまぼうし)のように
咲きたいのです
これは32年前、育児エッセイ「やまぼうしの花咲いた」という本を出したときに冒頭で書いたことばです。
箱根の森の中に家を建てて、40年になります。
“やまぼうし”は十年に一度見事に開花すると聞き、私もそうありたいと願ったことでした。今年はその十年の一度にあたるのでしょうか・・・。庭一面、箱根の山全体にまるで夏の真っ白な帽子をかぶったように美しく咲き誇っています。中央の丸い花穂を坊主頭に、4枚の白い花びらを白い頭巾に見立て、比叡山延暦寺の「山法師」になぞられたとか。中国では「四照花」。枝いっぱいに花が咲いたときの、四方を照らす様子を表現しているそうです。花言葉は「友情」。
子どもたちは次々に社会へ巣立っていきました。ハッと気が付くと60代でした。さらに、70代になった現在明日何が起きるかわからない、もしかしたら元気なまま駆け抜けていくかもしれなし・・・文字通り、まったく予想がつかない年代、それが70代です。
自分たちの時代から次の世代へ世の中が移り変わるという一抹のさみしさをふと感じたりすることもありますが、息子たちと住みはじめ、家がもう一度、若やぎ、華やぎはじめました。何百年もの間、人々の暮らしを見守ってきた柱や梁を使った12軒の家に宿っていた”木の精”がそこここに優しく息づいているような・・・そんな家での暮らし。70代に入ってからいっそう丁寧に日々暮らしたいと思うようにもなりました。これからの十年、いくつもやりたいことはありますが、もっとも心惹かれるのはやはり私の原点「本物と出会う旅」といえそうです。
人々に出会い、ものに教えられ、思索する・・・旅は私にとって学びの場。命に限りがあることを深く実感できる年齢になった今だからこそ、新たに感じたり考えたりできることがあるのではないかしら。そう信じながら、常に新鮮な気持ちで、でも無理をせずにこれからも進んでいきたいとおもいます。
この「箱根やまぼうし」はパブリックスペースとして、アーティストたちなど広く活用していただいております。そう・・・80代になったら、90代になっても皆さまを笑顔でお迎えできるよう、せっせと山歩きもいたしましょう。 やまぼうしの花を愛でながら。

横浜イングリッシュガーデン

まるで絵本の中に紛れ込んだよう、イギリスの田舎のガーデンにいるようです。先日早朝オープンが6月8日までと知り行ってまいりました。
(8:00~9:30まで)通常は10:00~18:00までです。


植物に出逢うのは早朝にかぎります。庭一面、バラの香りに包まれていい匂い。ローズウォーターのシャワーを浴びているようです。横浜駅からわずか15分の都会の中にこんな素敵なガーデンがあるなんて。初めて行きました。1100品種、1600本以上のバラを中心に、横浜の気候風土にあった草花や樹木がちりばめられています。


色ごとに5つのエリアに分かれて植栽されています。白バラを主役に、白いろの宿根草や白の植物の組み合わせは楚々とした美しさです。純白・象牙色・酔白・青白・・・なんて素敵なの。クレマチス、箱根の紫陽花はこれからですが、アジサイとバラの競演も初夏の装いです。ピンク、紫、黄色、ブルー、オレンジさまざまな色の組み合わせがほんとうに素晴らしいです。早朝だったのでカメラのシャッターを押す方々が6名。そして私と娘。


帰り際ガーデナーの方々が脚立に乗り、剪定をしている姿を拝見し、細やかな手入れがなされていることをしりました。


植物は私たちに心の豊かさ、優しさ、潤いを与えてくれます。7月、8月、9月はエキナセアやカンナやダリア・トロピカルブランツなどが見頃だそうです。横浜駅から無料直通バスが運行しているのでアクセスも便利です。
素敵なお花を皆さまにおすそ分け。

鎌倉散策~鎌倉文学館と報国寺

新緑を揺らす風が心地よく鎌倉まで行ってまいりました。


まず向かったのが娘の小さなアンティークショップ「フローラル」。
私自身がこういうショップをやるのが夢でしたからついつい足が向きます。


そして、歩いて10分ほどの報国寺へ。ここは鎌倉竹の寺として知られ、海外の人にも人気のスポットです(ミッシェラン・三ツ星)。
境内に一歩入ると見事な竹林。
爽やかな5月の風が吹きぬけ気持ちよいお寺の庭です。
そして”やぐら”と呼ばれる鎌倉時代の墳墓も素晴らしいです。
散策はゆっくり抹茶でも頂きながら過ごしたかったのですが、午後は鎌倉文学館に行く予定でしたので、今回は庭散策だけでした。
(鎌倉駅から京急バス乗車10分、浄明寺バス停下車徒歩3分)


そして、お薦めは道路反対側の釜めし「多可邑(たかむら)」の海鮮釜めし。
もう・・・絶品です。
あぶらとり一枚もらふ薄厚かな    日野草城


そんな汗ばむような陽気でしたが、釜めしをフウフウ言いながら娘とお昼を食べて駅まで戻り、江ノ電で鎌倉文学館へと向かいました。
鎌倉文学館は、国登録有形文化財で旧前田公爵家別邸。鎌倉ゆかりの文学者の展示がされており、建物に入るまでの道のりが素敵。青葉を渡る風に”薫風”とでもいうのでしょうか、かぐわしい香りを運んでくれ、心地よいこと。


今回、文学館では特別展「愛とブンガク」が開催されていたのです。
夏目漱石、芥川龍之介、三島由紀夫、立原正秋、川端康成・・・など館内のご挨拶に「江戸から明治へ時代が移り、西洋から近代的な”愛”の概念が輸入され、日本に”恋愛”という言葉が誕生したといわれます。
それから100年有余年、「ブンガク」の大きなテーマ”愛”について多くの小説が書かれてきました。そうした作品を、現代の女性作家が見つめなおします」このように書かれていました。
中沢けい、高樹のぶ子、小川洋子、角田光代、柳美里など現代を代表する女性作家の方々の解釈が大変興味深かったです。
私、恋愛小説って大好きです。トルストイの『アンナ・カレーニナ』など意味も分からず読んだ少女時代。もちろん、いろいろなジャンルの小説は好きです。柳美里さんは、芥川龍之介を「小説の中の”暮らし”」と題して書かれています。
高樹のぶ子さんは立原正秋を「花と刃(やいば)」と題して書かれています。
立原正秋の「薪能」は好きな小説です。
館内を回ると作家の直筆の原稿を見ることができます。そこに作家の息づかいや、空気間、鼓動など五感が感じられ至福のひとときでした。
愛は一直線である。  夏目漱石「野分」より


そして何より気持ちがよかったのが、広大な敷地に手入れされた庭園とバラ園の散策。ほぼ満開に近いバラ。その薔薇の種類は194種、234株に及ぶそうです。


心地よい風に送られて、江ノ電に乗り鎌倉の散策を終えて箱根の山に戻りました。小さな旅気分。
「愛とブンガク」特別展は7月6日まで。
バラまつりは5月14日から6月8日まで。