映画のハシゴ

ゴールデン・ウイーク、皆さまはどのようにお過ごしでしょうか。旅に出かけた方もいらっしゃるでしょう。私は先週、今週と映画のハシゴをしました。
「あなたを抱きしめる日まで」
「美しい絵の崩壊(試写)」
「8月の家族たち」
そして見落していた「大統領執事の涙」
ひょんなことで女優になってしまった私。そう、スカウトされたのです。私は中学を出てすぐ働いていました。一年間、バスの車掌になりました。必要に迫られて働きました。 生きることに一生懸命でした。生活がかかっていましたから。中卒でできる仕事というのは、あの時代でも非常にすくなかったのです。バスの車掌になり三年間勤め上げると、試験を受けて、ガイドになることができたのです。なによりもお給料がよかったのです。大卒の方が一万二千円の時代に、私は九千円いただいていました。
それまでに観た映画は「路傍の石」と「赤い靴」ぐらいでした。才能もなければ、基礎の勉強もしていなかった私は、一方でやめたほうがいいのではないかという思いも捨てきれずにあったのです。
そんな頃、仕事で画家の岩田専太郎先生に出会いました。
私はおもわず先生にこう申し上げたのです。
「私、女優をやめたいのです。才能もないし、ちっとも上手なわけもありません。女優を辞めても今なら違う職業につけそうな気がします」と。
すると先生は、「そうだね。君はへただねぇ」とおっしゃるじゃありませんか。先生は、こうもおっしゃいました。「浜君、人生というものは、生涯学ぶものだよ。何をやってもいい。仕事を替えてもいいよ。君は女優として、あまりうまくないから、大成しないかもしれない。でもね、365日、365人の人に出会いなさい。会うことで、キミは何かをみつけていくだろう。答えは自分で探すしかないのだから」・・・と。今、思うと、そのときの岩田先生の言葉が私を前へと進ませてくれたのだと思います。
映画もそうですね。
歳を重ねてから観るとより深く、より愛おしく、そして感動を与えてくれます。
10代から観続けてきた映画。映画のない人生って考えられません。
本と映画が私の青春でした。でも70歳になってから観てこそ胸にさらに響いたのでしょうか。
ストーリーはあえて載せませんが、ハシゴした映画を少しご紹介。
あなたを抱きしめる日まで
50年間隠し続けた秘密を告白し、奪い去られた息子を探す旅に出た主婦フィロミナ。主演はイギリスを代表する女優ジュディ・デンチ。旅を共にする皮肉屋で信仰心がない元エリート記者はスティーヴ・クーガン。監督はやはりイギリスを代表する・スティーヴン・フリアーズ。
美しい絵の崩壊
原作は歴代最高齢(88歳)でノーベル文学賞を受賞した英国の女性作家ドリス・レッシング。彼女が83歳の時の作品。これほどまでに瑞々しい感性にただただ感動しました。美しい絵はいかにして崩壊し、どんな結末を迎えるのか。親友同士の母親と、その若き息子たち。純粋ゆえに禁断の愛の行方は。(5月31日ロードショー)
8月の家族たち
主演はメリル・ストリープとジュリア・ロバーツ。この二人の名前を聞くだけで胸がドキドキします。彼女たちの芝居・演技はただ息を呑むばかり。豊かでリアルで確かな演技力には、最近観た映画の中でも圧巻。信じられない贅沢な2時間でした。家族とは何か?を考えさせられるテーマです。
大統領執事の涙
オバマ大統領が来日したその時間に観ていた映画です。人権問題をこのような角度から捉えた映画も少ないし、見終わった後に生きる強さ、忍耐、優しさ・・・さまざまなことを与えてくれました。
そう、5月10日ロードショーのアカデミー賞主演女優賞受賞のウディ・アレン監督最新作の『ブルージャスミン』も観たいです。
演ずるという女優を卒業し30年がたちますが、ますます映画が愛おしくなります。

鎌倉路地フェスタ

鎌倉は四季折々、何度訪ねても新しい発見があり出逢いがあります。


今回はおしゃれ雑貨店からおいしい食事処など、鎌倉駅から路地マップ片手に散策し、スタンプラリーを押していただきながら楽しい一日を過ごしてきました。


7番目は娘のショップ「フローラル」では普段は英国アンティークを中心に作家ものの素敵なアクセサリーを扱っておりますが、フェスタ用に「リバティープリント・ビンテージファブリックとミャンマーの職人さんが手づくりで作ったカゴ」を出品していました。私はカゴが大好き、リバティーの布もラブリーで大好き!思わずひとつ購入してしまいました。


カフェでは美味しいコーヒーを飲み、鎌倉の路地を満喫いたしました。路地ってそこに暮らす人々の匂いがしますし、咲いている日常の花を愛でる・・・素敵な空間だと思います。


そうそう、鎌倉といえば一度はいただきたかった美鈴の和菓子。鎌倉の茶人御用達の名店で知られています。出来上がったばかりの美しい春の生菓子を買い、茅ヶ崎の息子夫婦のところに寄り、コーヒーでいただきました。
花より団子・・・ではないのですが、鎌倉の神社は花を愛でるには「花神社散策」も素敵ですね。桜が終わり今の季節ですと妙本寺の「カイドウ」、光照寺の「レンギョ」、そして4月下旬になれば安養院の「ツツジ」。浄智寺の「シャガ」梅雨どきの「花ショウブ」。大好きな光明寺の「ハス」・・・。
私の住む箱根は今、コメ桜とコブシが満開です。
いつか小さな旅、鎌倉に泊まって「早朝座禅」も経験してみたいです。
4月19日から4月29日まで

春の野菜

初春も過ぎ、日差しが増し、湖を渡る風もきらきらと輝いているような季節。
「風光る」この季節は春の野菜も長かった冬からいっきに輝きを増します。
週末に来客があるので、久しぶりに築地市場に行ってきました。子どもたちが小さいころは東京と箱根を往復し、築地での買い物が楽しみでもありました。
私たちの体は食べもので作られます。体だけでなく、心のもちようも、食事の内容で変わってくると思います。
心も?
そう。食べたもので、人の気持ちも変化しますよね。
「食って大切だなぁ」とつくづく思います。
とくに春先の苦味、えぐみ、そして新芽や芽ぶきの香りがします。
これって日本の食の大切な味だと思うのです。
今回のお客さまはレバノンからご夫妻で我が家にお越しくださいます。イスラムの方なので豚は召し上がりません。そして、日本人の方。
市場には春の豆類がいっぱい。絹さや、スナップえんどう、そら豆、グリンピース、やわらかな緑色をした春の豆類は美しいですね。山菜も出回っています。新じゃがと新玉ねぎも美味しいですね。そう、新じゃがと鶏肉のごま煮。きゅうりと鮭のおすしにグリンピースを散らしましょう。野菜がお好きなご夫妻なので、日本の春の野菜をたっぷり召し上がっていただきましょう。根菜のマリネもいいですね。
と、書いておりますが今年の冬は関東も大雪が降り、生産者の方々に甚大な被害を与えました。今回の雪害で農業をリタイアする農家も出てきていると聞きます。
野菜農家も高齢化が進んでいます。重くて、収穫作業が大変な、だいこん、白菜などはとくにそうだといいます。農業者の平均年齢は67歳か68歳です。いつリタイアしてもおかしくないのですが、きつい作業でも黙々と野菜作りをしてくださっています。市場で美味しそうな野菜を見ながら、ふと、これからの日本の農業の未来を考えてしまいました。栽培面積がこれ以上減らないように・・・どうしたらよいのでしょうか。
さぁ「いただく命」を大切に料理をしましょう。旬の野菜で。


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長野・善光寺への旅

「食アメ二ティー・コンテスト」がスタートしたのは、平成三年のことでした。
当時は「アメニティーってなんですか?」というご質問をいただくこともたびたびでした。
私は40年にわたり、全国の農山漁村を歩いてまいりました。
そんな中で気がついたことがあります。
それは地域の活性化に果たす女性の役割が非常に大きいこと。
特に女性が司る食の果たしている役割が非常に重要であるということです。
新しいチャレンジは、なかなか理解されにくいものです。
それが大変素晴らしいことであっても、家族や近所の人は、日常を共にしているがゆえに、その素晴らしさに気がつかないこともあります。
もし、日本の様々な場所で、女性たちがそれぞれひたむきに活動していることに光りをあてることができたら、活動している人たちを元気づけ、今から活動したいと思っている人たちを励ますことができるのではないかしら。そして、そのような女性たちを指導している人、サポートしている人たち・・・皆んなで力をあわせれば、「日本の農業を元気にすることができる」・・・と思いました。
今でこそ、農村女性に光があたり六次産業化も普通になりました。それでも、表に出たくても出られない女性たちが大勢います。「農業を影で支えているのが女性」であっても。そこで国と農村開発企画委員会の方々のご賛同を頂き生まれたのがこの「食アメコンテスト」という事業でした。
伝統食を守り、地域の食を守り、新たなビジネスを起こし・・・などなど素晴らしい活動がこの20年で活発に動きだしました。
「自分の銀行口座」をもつ人も現れました。
自分たちのための変化だけではありません。
農山漁村の女性たちが、新しいことにチャレンジし、活発に動き出したために、地域全体が活性化し、生きがいを見つけ、生き生きとした表情で都会の消費者との交流を持ち、意見交換を活発にし、この20年やってまいりました。
そんな中から「もっと勉強がしたいわ」と仲間が集い「食アメネットワーク」の会も生まれました。ヨーロッパや韓国などグリーンツーリズムの勉強や農村女性との交流など多くのことを学んでまいりました。
この会も「そろそろ卒業ね」と私は申し出て一昨年解散しました。
でもこの友情には終わりがありません。
「ハッピースマイルを訪ねる会」として80歳以上のお元気な仲間を訪ねる旅に変わりました。昨年は熊本・天草にお訪ねし、今年は長野で集合しました。
遠く、沖縄から、天草から全国から参集し幸せな2泊3日の旅でした。


今回は宿坊に泊まりました。
善光寺永代宿坊・常智院。
夜はお寺の奥さまの手づくりの精進料理です。


弥生 桃の膳
お迎えは さくら茶 結びこぶ さくら餅 かきあられ
夕食は甘酒で乾杯
向付 くるみのおさしみ 生こんにゃく 生わかめ じゃが芋のなます
梅ぶ 胡麻豆腐 黒豆の含め煮 クコの実 山椒の佃煮
汁 おぼろ月夜汁 わらび豆腐 しら玉 菜の花 おぼろこぶ
そして桃ごはん
八寸風 湯麩田楽 ふきのとう天ぷら くず桜せんべい
煮物 生うど 高松産生うどの豆乳ピーナツクリームかけ
最後のデザートは杏仁寄せ いちごペースト添 杏のシロップ漬けでした。
朝食の精進おとしも、それはそれは美味しくいただきました。
ご縁をいただきまして本当にありがとうございました。



翌朝は早朝4時に起き「善光寺の朝」を静かに迎えました。
善光寺が一日のうちで最も生き生きとその本来の姿を見せるのは朝だといわれます。古(いにしえ)より伝えられてきた信仰の息吹を、五感で感じられます。太陽が昇ってきます。
法要の前には本堂前で「お数珠頂戴」といって導師を務める住職が数珠を頭に撫でてくださいます。
日の出とともに始まる「お朝事」一時間の毎朝のお勤め。私たちも本堂でご参拝させて頂き朝の清新な空気、静謐な空間。堂内に響き渡る読経や木魚の音を体いっぱいに取り入れ農村女性たちと、すべてに感謝し手を合わせました。
命の輝きを温かく見守るような優しさで、あせらずたゆまず、困難なことも多いかもしれませんが、一歩一歩、大地を踏みしめるように歩んでいる貴女たち。
けっして派手ではありません。
華やかでもありません。
けれど、春が近づいたときに、くっと大地から首を伸ばして、寒風にもめげずに、あたり一面に甘い香りを漂わせながら咲き誇る、一本の水仙の花のように。これからも手をたずさえ、私たちの愛しい日本のために生きていきましょう。
みなさん、ありがとう。素敵な旅でした。

種蔵棚田の村・宮川村を訪ねて

春の足音があちこちから聞かれるというのにこの大雪。
箱根に住んで40年になりますが初めての経験です。
家の前の道路は1m以上の雪・庭は歩けないほどの雪。
車も通れず、バスは運休。陸の孤島状態が5日間ほど続き、こういう時って”ご近所の力”ですね。皆さん総出でまず歩ける小路の雪かき。
私などはなんの役にも立たず息子に委ねました。
そんな中、中頓別から旭川、そして飛騨の奥へ、そのまま羽田のホテルに泊まり、サッポロへ。前日まで猛吹雪の札幌でしたが私が出発する日は晴天に恵まれ、結局すべての仕事をクリアできました。奇跡ですね。
でも・・・1週間は帰宅できず自然の猛威には人間はなすすべはありませんね。今でも孤立している集落があります。雪とともに暮らしている雪国の方は知恵もありますが、慣れていないとほんとうに大変です。
「棚田と板倉の里  ~伝えたいこの香り、残したい風景~」
板倉が並ぶ風景と石積みされた棚田は深い雪にすっぽり埋まり美しい冬景色。今回も「美の里づくりコンクール」の現地調査で伺いました。


岐阜県の北部、飛騨市宮川町にある種蔵(たねくら)集落は、石積みの棚田と板倉郡が特徴的な、日本の原風景とも言うべき農村風景が残り大変美しい山里です。
宮川町内の有志で組織される会「種蔵を守り育む会」はやはり高齢化が進み、地域では管理できなくなったた急峻な斜面や荒廃地などの草刈作業が、ボランティアの人たちによって行なわれています。
不耕作地の水田を利用し植虫環境のためのビオトープの造成、不耕作地は高冷地に適している蕎麦・あぶらえ或いは大豆など昔から種蔵集落にしかない紅かぶ等の栽培をしています。冬の3月には田の石積みの雪庇落などを行い、種蔵集落の保存に集落住民ボランティア・行政が一丸となって守る姿に頭が下がります。
この村で生まれ育ち、最長老のおじいちゃんは95歳、近くの集落から嫁いできたおばあちゃんは93歳。炬燵に入れていただきながら昔の集落、種蔵のことなどお話が伺えました。
人間の背丈ほど積もっている雪。
人口11世帯22人
この美しい集落を次世代に伝えていくために、周辺地域住民や都市住民とともに飛騨文化の原風景守っていただきたい・・・と切望いたしました。
春、深い雪に覆われていた石積み棚田が、雪解けとともに顔を出し始めます。雪解けに始まり桜、夏は深緑に鮎、秋は紅葉、冬は雪景色と自然豊かな村です。
以前お邪魔したのは夏、夕立を待っていましたとばかりにカエルが「ゲコゲコ」と鳴きだし夕焼けに映える棚田の美しさに息をのむ思いがしました。
風のように迫る緑に夏を感じ、ミズバショウの群生地、ブナ林・・・五感で感じることの素晴らしさ。
こうした”村の宝”を私たちはどう守り伝えていったら良いのでしょうか。
宮川村までのアクセスは高山本線坂上駅下車。列車の到着時刻に合わせて村営バスが運行されています。新宿からは車ですと約5時間です。
新芽がむくむくと伸びる音が聞こえてきそうです。
おじいちゃん・おばあちゃん、いつまでもお元気で!

音威子府そして中頓別町へ

音威子府・・・と書いて「オトイネップ」と発音するその村の語源はやはりアイヌ語からきているのでしょうか。
旭川から宗谷本線の列車に乗り北上していきます。
アナウンスがかかり「途中野生の蝦夷シカが飛び出し、急ブレーキがかかることもありますからご注意ください」・・・と。
いいな~こういう旅って。
北海道の北の果て、そんな慣れない呼び名の森林の村。
人口826人の村。
列車は天塩川に沿って走ります。
一度は訪れたかった村です。


そう、この森林の村で、森の風倒木や海に流れ着いた流木を使って木の彫刻を続けている芸術家がいることを、しかもその人がイギリス人であることを、私はまったくしりませんでした。 衝撃的な出会いはいつもそんな風に、あの日鎌倉に吹いていた心地よい初夏の風のように、さり気なく、そして思いがけなく訪れるようです。
真っ白な雪の上で朽ちた木が赤々と燃える色彩のコントラスト。
積み重ねた流氷の炉の中で威勢よく炎をあげる立枯れた木々。そして、ナラやニレ、ダテカンパなどの風倒木を彫って作った数々の造形物・・・。
その鎌倉の展覧会で見たデビット・ナッシュの芸術世界は、木を素材に選び、自然界を制作の場に選びながら決してありきたりな自然主義者としては片づけられない、ダイナミックな、まさに人の心を魅きつけずにはおかないものでした。
英国はウエールズ地方の鉱山の町に生まれ育ったというナッシュ。
彼が日本の自然に魅せられて、音威子府の森を創作現場に選んだのは単なる思いつきではないようです。その地に生きる村人たちと深い交流を重ねながら、枯れ木や流木や風倒木といった死に行く木々に、新たな生命力を与え続けたナッシュの芸術世界。
鎌倉近代美術館でそれを目の当たりにした私は、何故かいつまでもその場を立ち去ることができませんでした。そう・・・20年ほど前のことです。
音威子府・・・いつかは訪ねたいと思っていました。
今回はさらにその先にある魅力的な町、中頓別町(なかとんべつちょう)に招かれて伺いました。列車は音威子府で降り車で40分ほど走ると宗谷地方の南部に位置する開拓の町。8割が森林です。
町名の由来は、アイヌ語の「トー・ウン・ペッ」(湖からでる川)。
酪農の町でもあります。
人口1,911人。四方を山に囲まれ唯一海に面していない町です。


まず最初に迎えてくれたのは中頓別町で捕獲された大きな熊。
公民館には雪深い中、300名近い住民の方々が待っていてくださいました。


時には-37℃・・・などとニュースになる町でもあります。四季の自然の中で大地を耕しながら自分たちの暮らしの文化を大事に守り続ける人たち。
こういった町にお邪魔すると、拠って立つ所を見失いがちな都会に住む私たちよりも、豊かさの中に日本人の原点やアイデンティティを持っていらっしゃる・・・そう感じました。
帰り際、この会をお手伝いくださったお母さんたちと1時間ほどおしゃべりをさせて頂きました。手づくりのお新香や絞りたての牛乳、その牛乳で作った熱々のお豆腐のなんと美味しかったことか。


“ご馳走さまでした!”
またお会いしたいですね。

テーブルウエア・フェスティバル2014

東京ドームで「テーブルウエア・フェスティバル2014」が開催されています。
暮らしらしを彩る器展~ (2月2日~10日まで)
テーブルセッティングによる食空間提案で、石坂浩二さんや料理研究家の江上栄子さんなど各界の著名人が、個性豊かなテーブルセッティングを披露されていますし、食空間コンテストも開催され会期中は約30万人の方々が入場されます。私も15年程前に4回ほど参加いたしました。


今回はその中に沖縄のブースが設けられ、沖縄の工芸品を使っての作品の数々を見ていただいています。
沖縄の工芸に魅せられ通い始めて40年以上がたちます。
柳宗悦の著書の中に「沖縄は民芸のふるさと」と記されていました。
織物・染色・ガラス・漆・焼き物・シーサーなど・・・魅力的な工芸がたくさんあります。


今回は私の大切な「パナリ焼き」をお貸しし会場に展示してあります。19世紀中頃まではつくられていたパナリ焼き。八重山に生まれた焼き物。素朴ですが、かたつむりや貝殻を練りこみ、手捻りてつくられているからでしょうか、素朴な中にも気品と暖かさがありとても好きです。
初日の日にトークイベントに参加いたしました。


沖縄では、「うとぅいむち(おもてなし)」の心で親子孫たびを応援しています。
ヒガン桜が咲く春キャンペーンとして三世代の方に沖縄の旅を楽しんで
いただきたいという趣旨で、私も昨年からお手伝いしております。
来年は二人の孫を息子夫婦と一緒に連れて行きたいと思っています。
そんな沖縄の魅力を会場でお話させて頂きました。
と同時に素晴らしい沖縄の工芸の魅力も一緒に。
週末、ご興味のある方はお出かけください。

出雲への旅

息子夫婦と三人で出雲へ旅してきました。今回の旅の目的は、出雲大社への参拝と「民芸のふるさと出雲の窯を訪ねる」旅でした。
昨年は二回、ひとりで大社に詣でました。
不思議なことがあります。
かならずお参りする早朝は真っ赤な太陽が社殿の間から照らしてくれます。
まだ夜が明ける前に駅前から一番のバスで「正門前」で下車します。
夜明け前の静謐な空気がとても好きなのです。
遅くなっても前日に駅前のビジネスホテルに泊まります。
そうすると朝一番の駅前から出る6時36分のバスに乗れます。
出雲大社は昨年「平成の大遷宮」「本殿遷座祭」が60年ぶりに行なわれました。バスを降り大鳥居をくぐり、玉砂利を踏みしめ本殿へと向かいます。
行燈の灯りが足元を照らし、そして朝焼けの雲が向かえてくれます。


今回は息子がカメラを持参してくれたので、私がいつも旅用のコンパクトカメラではなく、写真が素敵。
どこからともなく”蝋梅”のなんともよい匂いが漂ってきます。
花の少ない極寒期の蝋梅、その在りかを探したくなります。


拝殿から本殿へ。
二拝四拍手一拝の作法で拝礼します。
天照大神の子の天穂日命を祖とする大社。
本殿内北西には御客座五神が祀られています。


本殿の周りを一周して神楽殿の注蓮綱はそれは見事です。
お参りをすませて一畑電車・電鉄出雲駅から9時08分の電車で川跡駅で乗り換え出雲市駅に向かいます。
そうそう・・・今回大発見がありました。
私がひとりの時はレトロな駅でのんびり電車を待つのですが、二人が近くのパン屋さんを見つけ、焼きたてのパンを買ってきれくれました。熱々のカレーパンの”美味しかった”こと。早くから開いているのですね。次回は自分で行ってみましょう。


午後からは穏やかな田園地帯のなかに窯元があります。
出西窯。風景に馴染む日本家屋の工房で誰でも自由に見学ができ、工房の東側にはレンガを積み上げた大きな登り窯があり現在でも使われています。
明日の暮らしもままならない戦後まもない頃、地元の幼馴染の青年たち5人が「何もないここから、自分たちで何かできないか」と。最初から陶芸に特別な想いがあったわけではないようです。
ある日松江の工芸家に「君たちの仕事には、美しさも志もない」と指摘され、民芸運動の創設者・柳宗悦の本を渡されたそうです。出西窯を訪れた陶芸家の濱田庄司、河井寛次郎から指導を受けます。後にバーナード・リーチらとも交流をもち 「日常に溶けこむ、気取りのない存在感」を五人の青年たちが探し続けて「用の美」へと辿りつき現在へとつながっています。
私も柳宗悦に出会って50年。
「用の美」を追い求め続けています。
今回息子夫婦とこのような旅ができる幸せをかみしめました。
お嫁さんは目を輝かせ普段使いの器を選びます。
鮮やかな瑠璃色は「出西ブルー」と呼ばれ人気があります。
美意識の革命によって生まれた新しい価値観
暮らしを豊かにする民芸の美
と書かれていました。


帰りがけ出雲の豪農、山本家の屋敷を一部改装し藍染め、木工品、農具など暮らしの民芸館を拝見しました。ご当主が遠くで大豆を干し収穫している姿に日本の暮らしの美を感じました。


そして・・・夜は居酒屋さんへ。
宍道湖のシジミ、ウナギ、のどぐろの一夜干し、大山の焼き鳥。
お酒は地酒で出雲富士と豊の秋。
翌日は寒風にまじってちらりと舞い降りる雪、”風花”に見送られ家路へとつきました。

工芸からKOGEIへ

これまで、私の生活にはりをもたせてくれ、ときに慰めてくた工芸。
美しいと愛でる心を育んでくれた工芸。
私は以前、毎日放送ワイド番組「八木治朗ショー・いい朝8時」に3年出演し、このショーのなかで追いつづけた「手づくり旅情~日本の伝統工芸を訪ねて」は私の旅への想いのすべてをかけたものだったと自負しています。
お訪ねした家々、何軒になるでしょう。
みつめさせていただいた手づくりする人々の手元、一体幾人になるでしょう。
私が旅というものの得もいわれぬ魅力にのめりこんで三十年余り。自分の足と目で探し歩いてきたものが”日本の日本的なるもの”に気づいて以来、私はこの小さな島国日本にかぎりない愛着を持ちはじめました。
いろいろなヒトやモノとの出逢いもありました。
その方が人間国宝であったり、倉敷・花むしろであったり、大島紬であったり、京都の樽、西陣織、那智黒硯。そして北海道・平取のアイヌの花ござ・・・数えきれないほどの素晴らしいヒトとモノとの出逢い。美しいものをもとめ、日本中を旅してまいりました。
私の胸のなかで浮かんでは光を放ち、また浮かんでは光を放ち・・・・・。
新しいモノがどんどん生産され、あきれば捨てられ、消費することが豊かさであると信じた時代もありました。
ひとつの道具を愛して、使いこみ、人から人へ、そしてつぎの時代に伝えていく「モノとの濃密な関係」が、失われつつあった時代。
暮らしの技や知恵を教えていただくための旅を70歳になった今でも続けています。人恋しく、風景恋しく、モノ恋しく旅行鞄を引っ張り出す私。
先日、北の丸公園の東京国立近代美術館工芸館で開催されている
『工芸からKOGEIへ』を見にいってきました。
日本伝統工芸展60回記念し、「伝統工芸の”今”、そして”未来”を考える」
シンポジュームもひらかれました。


出品作家97名。
陶芸、染色、漆芸、金工、木工、竹工、人形、など日本を代表する方々です。
『工芸からKOGEIへ』
どんな思いでこのタイトルになさったのでしょうか。
それは見る側、一人ひとりの思いだとおもいます。
会場には外国人が熱心に覗き込み、日本の美に魅せられていたのが印象的でした。
千鳥が淵を散策し、冬の木漏れ日が心地よい昼下がりのひとときでした。
2月23日まで開催されています。

『寒月』と『穏やかな海』

冷え冷えとした箱根の夜、庭に出て月を眺めるのが好きです。
コートをはおり、研ぎ澄まされた三月月を見ながらその美しさに見惚れてしまいます。
そして朝の凛とした空気に「何だか穏やかな海が見たいわ」・・・と思ってしまう私。
このごろ時間が出来ると鎌倉に行くことが多くなりました。バスで下山し、小田原から東海道本線に乗り湘南の海を眺めながら大船で乗り換え鎌倉へ。
娘が鶴岡八幡宮からほど近く、鎌倉宮に向かう美しい散歩道を歩いていくと静かな住宅街の中に小さなショップをオープンしました。
『FLORAL』


イギリスのアンティーク・ビンテージをメインにアジア、中東の手づくりの
中々素敵な作品がおいてあるのです。
お昼休みに近くのイタリアンでランチをしながらおしゃべり。
ここはお薦めです。
ランチコースで前菜からパスタ・メインそして夜にはぜったい無理なデザートまでいただきました。


観光スポットから少し外れているので比較的静かですが、それでも満席でした。
今回の目的の一つは近くの荏柄天神社へのお参りです。
友人たち二人のお子さんが受験生です。
荏柄天神社は学問の神様。


桜並木の散策道を抜けると左手にあります。
石段を上ると荏柄天神社。
境内には樹齢九百年のご神木の大銀杏と梅の木が小さな蕾をいっぱいつけ一輪が咲き始めていました。


源頼朝が鎌倉幕府開府にあたり鬼門の方向の守護社として社殿を造営、さらに徳川家康が豊臣秀吉の命で社殿の造営を行なったそうです。
学問成就に霊験があると鎌倉時代より信奉され、福岡の太宰府天満宮、京都の北野天満宮とこの鎌倉の荏柄天神社が有名です。
受験シーズンだからでしょうか、親御さんや、おばあちゃん・おじいちゃん、そして受験生でいっぱいでした。私にも子どもが4人おりますので、よく分かります。親が出来ることって、夜食に暖かな、消化によいものを作ってあげる・・・
それぐらいしか出来ませんよね。
そして、お参り。
風邪をひかないように、普段通りで受験に望んでほしい。
友人のお子さんたちに、お守りと祈願鉛筆を買って帰ってまいりました。
そうそう・・・帰り道、娘のショップの近くの八百屋さんで「焼き芋」が焼けて
いました。ホクホクのお芋をバックにしのばせて夕暮れの芦ノ湖を見ながら家路につきました。