寒中お見舞い申し上げます。

寒中お見舞い申し上げます。
皆さまはどのようなお正月をすごされたでしょうか。
七草粥も食べ、さ~あ、今年も健康で過ごしましょう!などとつぶやいている私です。


元旦は家族で祝い2日、3日はそう・・・私にとって欠かせない「箱根駅伝」の応援です。毎年ドラマがあり若者たちの熱き思いとひたむきさには観ているこちらが勇気と感動をいただきます。
それにしても・・・今年の5区を走破した神野選手には驚きました。青山学院の選手一人ひとりが今までのマラソンのイメージを大きく変えましたね。監督は選手たちと寝食を共にし、現代の若者に理解できる指導があったればこそ、と思いました。参加した選手、それぞれにドラマがあり私たちに爽やかな力を与えてくれます。ありがとう!


そして、箱根神社に参拝。年末年始の初詣はすごい人なのです。私は毎年4日夜明けとともに静謐な中、神社へと向かいます。凍てつく芦ノ湖周辺を歩き、冬ざれの墨絵のような世界・・・。山の木々は葉を落とし、身の引きしまった空気がたまらなく好きです。
昨年71歳になったとき運転免許書を返納しました。「これからの20年は、よりいっそうスローな暮らしを楽しめばいい。旅もローカル線でいい。」不要なものを整理して、生活を縮小することで、すっきりするだけでなく、エネルギーを蓄えられるような気もします。よどんでいた空気がなくなり、新たに気が巡りだしたような気持ちがします。


箱根で静かに暮らすのが、私の幸せのひとつの形。それは確かなのですが、ただ静かにしているのを私はまだまだ望んではいないのでしょう。昨年の冬はとりわけ箱根に雪が多かったのですが、今年はどうでしょうか。でも、箱根のこの山の中に暮らすことで、光が木々の枝の間からきらきらと差込み、青空の中に雪山が白く明るく光り出すたびに、私は毎回、再生のイメージを感じます。10年後の光を目指して、再スタートしてみたいと思ったりもするのです。


“皆さまにとって今年も幸多かれとお祈り申し上げます”

クリスマスクルーズ横浜

24日・25日と「ぱしふぃっくびいなす」でワンナイトクルーズをしてまいりました。雑誌”ゆうゆう”の読者の皆さまとご一緒に1泊2日の短い旅でしたが充実した時間でした。


雲ひとつない青空に真っ白い翼を広げているような優美な船の姿に吸い込まれるように乗船。出港までの時間をお借りし、編集長のリードで読者の皆さまにお話をさせていただきました。


全国からお集まりの皆さま。50代、60代、70代、そして84歳のお元気で素敵なご主人とご一緒に参加なさった奥さま。お一人おひとりがそれぞれの人生を歩んでこられ今回の旅は”ご自分へのご褒美”なのでしょう・・・きっと。
華やかな生演奏と共に、いつもと違った特別なクリスマス。メインダイニングでの夕食。楽隊がパレードして周遊してくれます。船内では映画やダンス、そしてメリークリスマスコンサートなど等。日常をつかの間忘れ楽しみました。


私は25日の午前中は船内で映画を観ました。以前一度観た映画ですが『カルテット!人生のオペラハウス』。監督ダスティン・ホフマン。引退した音楽家たちが暮らす「ビーチャム・ハウス」には、カルテット(四重奏)3人の仲間達が暮らしている。そこへもう一人新たな入居者がやってきた。彼女はかつて仲間たちを裏切り、傷つけ、大スターであったころの影を引きずり心から寄り添えない葛藤をかかえ・・・その先はこれからご覧になる方もおられるかもしれないので、ここまで。2度目だからでしょうか、より内容の機微が深く感じられました。監督は”全ての音楽家に捧げる”そんな思いで撮った映画だそうです。仕事収めの25日にこの映画を観られたのも幸せでした。そして、何よりも同世代の読者の皆さんとお茶をしながらお互いに語り合えたこと・・・嬉しかったです。今年も人々に出会い、ものに教えられ、旅することも多かった年です。
明日何が起こるかわからない、もしかしたら元気なまま駆け抜けていくかもしれない・・・文字通り、まったく予測がつかない年代、それが70代だと思っています。80代へ向かい、いくつもやりたいことはあります。自分にとって大切に思っていることをさらに追求したいとも思いはじめました。船旅、観た映画のせいでしょうか・・・「命に限りがあることを深く実感」できる年齢になった今だからこそ、新たに感じたり考えたりできることがあるのではないかしら・・・そんなことを思いました。


船は駿河湾を抜け三浦半島から浦賀水道を通りベイブリッジの下を通過し横浜港へと静かに入港しました。
来年は私の干支”未年”です。
このダイアリーをご覧いただきありがとうございました。皆さまにとって来る年も佳い年でありますように。寒さ厳しき折から、いっそう御自愛のうえ、よいお正月をお迎えくださいますようお祈りいたします。

東京都庭園美術館

この日をどんなに待ち望んでいたことでしょう。約3年に及ぶ休館から11月22日にリニューアルオープンした東京都庭園美術館。
この美術館は建物も庭も本当に素敵です。
建物は旧・朝香宮邸で、アールデコ様式。
ルネ・ラリックのガラスのレリーフや照明器具。
壁面をおおうアンリ・ラバンの油彩画、壁や天井、階段の手すりなどのモチーフのおもしろさ、照明器具の見事さ、窓の美しい曲線・・・建物全体が宝石といってもいいほどです。
都会の真ん中にこのような美しい美術館があるなんて・・・。
何度この美術館を訪れたことでしょうか。
その空間に自分を置く、そこのソファーに座って自分を休める。
それだけで充分幸せなのです。


その日は霧雨が降り傘をさしながら目黒駅から歩いて約10分。
初冬の紅葉の名残を踏みしめながら足早になってしまいます。
今回は12月25日までは本館のみ撮影が許されています。
自分の宝箱にしまいたくて、どうしても早く行きたかったのです。
休館中に行なった調査・修復活動から朝香宮邸建築に携わったアーキテクツ(設計・技術者たち)がどのような思いで建設を行い、その改修に携わったかを観られるということです。


まず外壁の塗りなおしが美しいのです。
「リシン掻き落とし」の手法が見事です。
正面玄関ガラスレリーフの扉はルネ・ラリックの作品。
床全体のモザイクは細かい天然石。
応接室の寄木張り、壁紙、照明器具、隅棚は今回修復されたものだそうです。
各部屋の修復にはどれ程、職人さんたちの情熱と技と愛情が注ぎこまれていることでしょうか。日仏合作の美術館。ひと部屋・ひと部屋を目を凝らしながら見ても、まだまだ観たりません。当時の人でしかできなかったであろう技術を現代に蘇えらせ、輝きを放ってそこに存在している空間。こればかりはぜひ・ぜひ、ご自分で体験してみてください。


新館には、新たなショップとカフェがオープンしました。
そして小さな子どもたちを美術館に誘うプログラムも用意されています。
これは嬉しいですね。パリの美術館などで子どもたちが床に座り静かに絵を鑑賞している姿は素敵です。カフェでシフォンケーキとコーヒーでリラックス。
至福のひととき、ルネ・ラリックの作品に見送られ帰路につきました。

山口県下松(くだまつ)市を訪ねて

下松市制施行75周年記念講演及びシンポジュームにお邪魔してまいりました。
下松市は工業で栄え人口も県内では増加傾向にありますが、これからは第一産業の農業にも力を入れていきたいと町全体で取り組んでいます。”にんにく”の生産・加工にも取り組まれています。
『「まち」と「さと」が共に発展する下松を目指して』がテーマです。
私は「都市農村交流・6次産業における女性の活躍の重要性」について話させていただきました。ちょっと硬いテーマですが、要は「農村は私たちの心の故郷」、そしてそこには女性が担う役割が大きい。女性の活動・活躍なくしてこれからの農村は再生できません」ということです。
日本の農業は勢いを失いつつあります。他方では新たな「農業のあり方」も考えはじめられ行動に移されております。私は、これまで全国各地の農村女性たちと夜を徹して明日の暮らしを語りあってきました。「農」は自然・環境・食・伝統・歴史・政治・未来・人間・美・健康・教育などあらゆる方向から考えられるテーマです。
農は食であり、食の先には人々の暮らしがあります。どこで、どんな風に育てられた食材を、どう調理して、誰といつ食べているのか、といった食文化は、すなわち日本という国のあり方を物語るものです。さらに土、水、生物によって支えられる農業は、自然循環機能を基礎とするものであり、環境の動脈といってもいいほど非常に重要です。自然災害の多い昨今、だからといって「工場」で生産し、効率をアップ、それでよいのでしょうか。今、食を取り巻く状況は確実に変化しつつあります。大量に生産し市場に流す、一過性のイベントにたよるのではなく、新たなムーブメントが生まれてきました。地元の食材を活かした加工品や料理を生み出すことで地域内に人と人のつながりが生まれ、雇用や起業を促進するレストランやカフェも生まれています。そこに都会の人が訪れ、生産者と消費者をつなぐ・・・そのような役割に「女性の活躍」が大きいのです。
私は3つの事例をご紹介しました。萩・「地域に根ざし三見(さんみ)シーマザースの活動」。”海のおかあさんたち”という意味ですね。浜の人口は630人、高齢化率も40パーセントを超えていますが、様々な工夫がみてとれます。何よりも”美味しい”し皆さんお元気です!
そして、岐阜県山県市の美山地区に残る伝統素材「桑の木豆」を地域の味として伝えていこうと頑張っている「ふれあいバザール」の女性たち。1997年4月のオープン以来の黒字経営です。生産者に85%支払い、残りの15%で市から借りている建物の家賃やスタッフの人件費などすべてまかなっている、つまり「行政に頼らず自立している」そこが素晴らしいのです。他県からも大勢のサポーターがみえます。非常にバランスのとれた「人と産業と環境」を感じ、「農のある暮らし」を、いわゆる観光地とは一味も二味も違う、暮らしの広がりと農村の未来がそこにはありました。こうした活動は全国各地にあり、”女性が主役”です。
今回どうしても訪ねたい場所がありました。下松からおよそ1時間。高齢化率 日本一の島に現われた人気店です。民俗学者の宮本常一の故郷でもある周防大島。『瀬戸内ジャムズガーデン』「よく、ま~こんな不便なところに・こんなお店を・・・」と気になっておりました。正直、全国どこでも作られている「手づくりジャム。」スーパーにはお手ごろのジャムが棚にずら~と並んでいます。何がどう違うのでしょうか。週末などカフェには人が入りきれないほどですし、平日私がお訪ねした時はバスでお客さんがみえていました。


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ご主人の松嶋匡史さん、奥さまの智明さん。京都出身のサラリーマンだった彼は新婚旅行で入ったパリのジャム屋さんに驚き、品数の多さ、組みあわせの美しさに魅せられます。いつかは・・・・と夢を持ち続け、奥さまの故郷の島での開業。実家はお寺さん。副住職でもある智明さん。お産で実家に帰ったとき、島には豊富な柑橘類があることに気づきます。お産後すぐにジャム作りに挑戦。いまでは年間120種類のジャムが店内に並べられています。
人気の秘密はフレッシュな季節のジャムが試食もでき、不要な添加物は一切使用しない。砂糖は種子島の黒糖。ジャムの原料は島特産のミカンを中心に契約農家から買い入れる(52軒)。普通、加工用ミカンの出荷価格は1キロ10円ほどにしかならなかったのがジャム作りに適した果実を栽培してもらい、1キロ約100円で買い取る。農家もある程度保障され、意欲が増し、若者も農業へ参入。カフェにはパテェシエの女性も。島の若者とコラボして消費者の嗜好にあった商品開発続けています。
『ここでしかできないことを』
そう、起業する場合は都会の真似をしてもだめですよね。やはり大切なことは足元にある地域資源を活かし、雇用を生む。地方の時代といわれていますが、そこに暮らす人たちが、自分たちの暮らす土地に愛着と新しい発見なくして、輝きに満ちた街づくりはできませんよね。
冬は「東和金時」の美味しい季節。
「焼きジャム」は冬の定番商品。
最後の別れぎわにご夫妻はおっしゃられます。
「島へ移住する人や島で何かをしようとする人を応援することで恩に報いたいです」・・・と。この優しさがジャムにこめられているように思いました。お客さまもその優しさを感じるのでしょう。カフェの前の美しい瀬戸内の海を見ながら、ジャムを抱え幸せな気持ちになりました。そんな女性やご夫婦の活動をご報告させていただいたシンポジュームでした。


HPでも商品は購入できます。
瀬戸内ジャムズガーデン

会津若松

先日、会津若松商工会議所のお招きで講演に行ってまいりました。
私は地方にお邪魔する時はできる限り前日に入り街を散策いたします。その街の風、匂い、人々の暮らしを拝見いたします。身体にその街の空気が・・・そっと私を包んでくれます。今回も新幹線で郡山へ。


駅で”ふくしま路・おとなの秋ごはん”を買い磐越西線快速で会津若松へと向かいました。美しい山々を見ながらの駅弁は最高!です。福島県を三つの地域に分けたとき、もっとも内陸部にあり、猪苗代湖や磐梯山などに囲まれ、四季折々、風光明媚な景色が広がる会津地方。磐梯山はうっすらと雪をかぶり、紅葉した木々、伺うたびにその美しさに胸が震えるようで会津には日本の原風景があるなぁといつも関心させられます。


ホテルに荷物を置き町中を散策しました。鶴ヶ城には400年前の石垣が残っております。「絵ろうそく」の名人のおじいちゃんとよもやま話をし、酒蔵や奥会津で採れるぜんまいを買ったり、そしてぜったいに外せない味噌の満田屋さんで”みそ田楽”と地酒を少々いただきました。満田屋さんは江戸末期創業の味噌専門店です。実は我が家の味噌は30年ほど前からこちらの味噌を愛用させていただいているのです。店内に囲炉裏があり秘伝の味噌だれをぬり、炭火で焼いてくれます。香ばしく懐かしい味が広がります。「会津さこらっしょ」・・・囲炉裏を囲んで”みそ田楽”と書いてあります。
そしてまた街の散策。七日町駅からの散策路はほんとうに歩いていて楽しいのです。夜はちょっと秘密ですが・・・女将さんひとりでやっている居酒屋に。おでんと日本酒を燗していただき1合だけ。至福のときです。
さて、今回は「会津と日本~食といのち」というテーマでお話しをさせていただきました。じつは事前に関係者の方から2011年3月11日の東日本大震災や放射能事故による風評被害がひどく、農産物を含めその他の商品が売れず、また観光客を含めた来街者も風評被害で少なくなっている状態と伺っておりました。あれからもうすぐ四年の月日がたちますが、今もまだ家に戻れず会津若松で避難生活をなさっている方々がいらっしゃることを、私たちはいつも胸に刻んでいかなくてはならないと思いました。
会津若松は福島第一原発から100kmと離れており、原発と会津の間には阿武隈山系、奥羽山脈など大きな山脈が連なっていて、それが盾になってくれたことなどから、放射線量も東京よりもほんのわずかに高いだけの基準にとどまっています。最初はきちんとした情報が消費者に伝わらなかったこともあり風評被害という未曾有の危機にさらされました。
会津は幕末のときも、本当に大変な思いをなさいましたが、大震災までは、人口約12万5000の地方都市に毎年平均350万人もの観光客が訪れておりました。とくに修学旅行などの教育旅行に関しては大勢訪れておりました。さすが、オンリーワンの歴史と文化を持つ町だと感じさせます。大河ドラマ”八重の桜”効果で放映中は一時、わっと人がおしかけ、おすなおすな状態になっても、放映が終わりしばらくすると人の興味が移ってしまい、波がひくように観光客が減ってしまいます。
もう一度会津に行きたい。
あの町を散策したい。
あの風景を見て、会津の風にふかれたい。
会津の人々に会いたい、あの言葉を耳にしたい。
あの味を味わいたい。
そんな日はそこまで来ています。何よりも町の方々の熱いふる里への想い、情熱があり、「風評被害・・・なんて後ろ向きではいけませんよね!前を向き美しい街、里山を守っていきます」と力強く語ってくださった表情は輝いていました。しなやかな強さを持つ会津人気質。豊かな風土。時間はかかってもいい方向へとしっかり進んでいかれることでしょう。素晴らしい旅をさせていただきました。
『おあいなはんしょ』(いらっしゃいませ)
『よぐきらったなし』(よくおいでくださいました)
この美しい会津弁に魅せられます。

マダム・マロリーと魔法のスパイス

素敵な映画に出逢いました。
私は月に2回はかならずラジオの収録のために山を降り東京に向かいます。素敵なゲストとのトーク、その高揚感のあとはコーヒーを飲みながらひと息。そのあと時には映画であったり展覧会、そしてチケットが取れていれば”追っかけ”をしている柳家小三治師匠の落語を聴きに。音楽会・芝居・・・など等。幸せな時間です。まっすぐに山に戻ることはほとんどありません。それもひとりで・・・。
今回は映画です。美しい南フランスを舞台に『ショコラ』の名匠ラッセ・ハルストレムが監督、スティーヴン・スピルバーグが制作。おいしい料理が心に奇跡をおこします。
マダム・マロリーのフランス料理店の向かいにインド料理店がオープン。オープニングから美しい田園風景に釘付けになり、やがて文化や習慣の異なる人々のやりとり。映画ですから詳しくは書きませんね。でも、未知の世界の料理でも、それは人の心と技が織りなす料理。もうもう・・・映画が終わったらそのままインド料理かフランス料理が食べたくなります。
ミッシェランの星に輝く名店を守る、誇り高き女主人マダム・マロリーを演ずるのは世界的な名女優・ロンドン生まれでエリザベス二世に扮した「クイーン」でアカデミー賞主演女優賞に輝いたヘレン・ミレン。
フランスでインド料理店を成功させたい頑固な家長にはインドを代表する俳優オム・プリ。子どもたちや小さな街に暮らす人々。監督・脚本・撮影監督・美術・音楽、特に料理も主役でもありますし、素材がなによりも命。実際にこの映画が撮影された小さな田舎町には、本物のマルシェが週一度ひらかれるそうです。マルシェをお目あてに国境を越えてお買い物に来るひともいるとか。料理や素材の撮影はとても難しいし、食べる姿はもっと難しいと思うのですが、変にアップにはせず、日常の一コマのよう。しかし厨房はリズミカルでスピーディー。画面は繊細で静かな表現が印象的です。何よりも映画を観終わったあと、とても幸せな気分にしてくれることです。グローバリズムが浸透し、多くの人が希望を胸に世界各地に移民している時代。習慣・歴史・文化の異なる人たちを理解するのには、料理を通して知ることも大切なのかもしれません。
お薦めの映画です。
角川シネマ有楽町他で12月12日まで。
マダム・マロリーと魔法のスパイス

ミラノ 霧の風景

「須賀敦子の世界展」を見に神奈川近大文学館に行ってまいりました。


横浜からみなとみらい線に乗り元町駅下車、アメリカ公園を抜け、外国人墓地を見ながら海の見える丘公園へ。公園から横浜港が一望できます。その先に文学館があります。


私が須賀敦子さんの文章に出逢ったのは2001年11月だったと記憶しております。「ミラノ 霧の風景」を手にとり「なんて美しい世界・文章・そしてご自分で歩かれ描いたミラノ、人々なの」と感動したことを鮮明に覚えています。今回はそんな須賀敦子さんの人生と文学を紹介する本格的な展覧会です。
1929年(昭和4年)生まれ。大家族に囲まれ、何不自由なく育った幼少期。野山を駆け回って過ごしたといわれます。大学卒業後パリ留学。そしてローマ留学。ご主人との出逢い、結婚、新たな家族、そして死別。1998年に69歳で死去。
「ミラノ 霧の風景」で女流文学賞を受賞。61歳でのデビューです。
解説に大庭みな子さんが書かれています。
「今まで馴染みのない人の作品に、突然深い霧の中から見たことのない山肌が清々しく立ち現われたというようなものがあった。知識がすがすがしい感性をまとって立ち現われているといった魅力にうたれた」と。
私が初めてイタリアに行ったのが1962年11月、19歳のヨーロッパ一人旅でした。お金もなく南回りでまずローマへ。そしてアッシジ・フィレンツェ・ミラノへ。ミラノから日帰りでコモ湖までの列車の中からは霧が深く、幻想的な湖でした。「なんて、霧の深い国なの・・・」と多少のため息をもらしながら。その後も何度かイタリアを訪ねましたが、ミラノからモモという穀倉地帯の小さな村では「カエルのリゾット」が美味しくて・・・。でもやはり霧が深かったです。今はそうでもないようですが、11月は霧が出るため欠航便がでます。
そんな私の旅と須賀さんの文章が重なり、今まで生きてきた自分自身と出逢った気がしました。翻訳家としても素晴らしいお仕事をなさり、私は今回はじめて「コルシア書店の仲間たち」を読んでいます。ミラノの都心、サン・カルロ教会の物置を改造してはじめた小さな本屋さんに迎い入れられ、人々との交流を描いたエッセイ。どの人物も魅力的です。何だかわかりませんが、熱いものが溢れてきます。
そんな須賀敦子さんに生前にお逢いしたかった・・・。
でもわかりました、今回の展覧会で。
手紙の文字の美しさ。戦時下に青春を送った人の学問への飢え、夫との別れ、そして仲間達との強い絆。
「ミラノに霧の日は少なくなったというけれど、記憶の中のミラノには、いまも
あの霧が静かに流れている」
会場には写真、手紙などを熱心に目をこらして眺める人たちが大勢いらっしゃいました。ファンが多いのですね。人はそれぞれ孤独の中にいます。その孤独は私が初めて旅をしたミラノでは理解できなかったことを教えてくれる・・・そんな展覧会でした。
11月24日まで。

アンティークフェアーIN新宿

10月10日(金)から12日(日)までの3日間、アンティークフェアが新
宿で開催されます。
娘の鎌倉のショップ「FLORAL」(フローラル)も初めて出店いたします。
FLORALは小さなスペースですが、西洋アンティークから和骨董まで、160もの店舗が出店するそうです。とても楽しそうなので、これから私も店番をかねて行ってみようと思います。今日(10日)はお昼ごろから夕方まで。明日(11日)はお昼頃数時間行く予定です。フローラルはエリア「B」だそうです。
私がアンティークに目覚めたのはいつの頃からでしょうか。
「なぜ骨董がすきなのですか?民芸に惹かれるのですか?」
これまで多くの方から尋ねられました。
私は骨董だからいいとか、民芸だから好きとか、思いこんでいるわけではあ
りません。ただ、私が「いいなあ」とため息をついたり、ちょっと無理してで
もほしいと思うものが、アンティークだったり民芸のものだったりすることが多
いのです。
でも考えてみると、ものが長い年月を、生まれたときの形を保ちながらいきつづけているということは、小さな奇跡ではないでしょうか。そのものに、人を魅了する力があったから、たいせつに丁寧に、グラス・器なら器が人から人へと伝えられてきたのではないかしら。そんなふうに思います。
気が向いたら覗いてみてください。
その前に「FLORAL」のブログをご覧ください。
新宿でお逢いできたら嬉しいです。
http://blog.floral-antiques.jp/

日本酒で乾杯

10月1日、「日本酒で乾杯推進会議」が明治記念館で開催されそのフォーラムに私も出席させていただきました。
テーマは『和食と日本酒~日本のかたち、日本のこころ~』です。


基調講演は西村幸夫氏(東京大学副学長)、テーマは「世界文化遺産と無形文化遺産のこれまでとこれから」でした。大変興味深く、世界の文化遺産の知らない世界のお話を聴かせていただきました。
パネルディスカッションのテーマは「祭りと酒菜」。料亭「青柳」のご主人、小山裕久氏と京都大学大学院農学研究科教授の伏木亨氏。コーディネータは民俗学者の神埼宣武氏。そうそうたる方々ですが「和食と日本酒」について楽しく分かりやすいお話でした。
そもそも、この推進会議は私たち”最近のニッポン人には日本が足りない”、”多くの心ある日本人は今日の日本、明日の日本に危惧の念をいだいているのではないか・・・”ということで日本酒造組合中央会を中心に「100人委員会」が10年前に発足しました。各界の方々が参加し、日本文化や良き伝統を守りたい・・・という思いで生まれました。
日本酒は美味しく飲む前にまず、神仏にお供えします。そこから始まる文化ですよね。日本の四季の行事には、やはり日本酒は欠かせません。そういう意味で日本酒は非常に身近であるのと同時に、特別なお酒だという思いが私の中にはあります。だからでしょうか、私は日本酒をいただきながら、「人々の祈り」たとえば「人々の幸福を願ったり」「人とのつながりを大切にしたい」といった「美しい」心みたいなものを一緒に味わっているような気がすることがあります。こんなお酒はほかにはありません。
私が日本酒をたしなむようになったのは民藝の柳宗悦先生の考え方に憧れ、先生の足跡を追うようになった頃からです。美しい暮らしの道具が見られるのは地方が多くお酒の場のお誘いをいただくようになりました。共にお酒をいただくことで、人は非常に親しくなれることを知りました。そのお宅のおばあちゃんがナスやキュウリの漬物をどんぶりにどっさりだしてくれるんですけど、ほんとうに美味しい!こういう酒の肴が最高です。
それから強く印象に残っているのは、30歳のころ、女性6~7人でで金沢を旅して芸者さんにも来ていただいて(女性割引!があるのですよ(笑))踊りやお三味線、笛などをそのお座敷で聞きながら、懐石料理と日本酒をいただきました。日本酒の作法といいましょうか、飲み方の美しさを、そのときに学びました。以来、人と親しく交わり、美しくいただく。それが私の憧れる日本酒の飲み方となりました。
「和食」がユネスコ無形文化遺産に登録されました。日本人の食生活も大きく変化してきました。日本では、世界中の料理、お酒を飲むことができます。そこでもう一度『國酒』としての日本酒を考えてもいいかもしれませんね。日本の風土の恵みの米と水でつくられているお酒。「地産地消」そのものですものね。日本酒の海外への輸出も増えているそうですが、それは「日本文化」の輸出でもあります。
女性も日本酒を粋に飲んでみませんか。
シャンパン・ビールで乾杯も素敵ですが「日本酒で乾杯!」なんてお洒落ですよね。皆さんのお話を伺いながら、あらためて「和食と日本酒~日本のかたち、日本のこころ~」を考えました。

『柳家小三治独演会』

箱根の山から小田原~東京~上野、そして三ノ輪。
サンパール荒川の大ホールに落語を聴きに行ってまいりました。
ネットで必死に取って手に入れた貴重な一枚。今回はなんと前から2番目、端の席でしたが師匠の表情がよく拝見できます。私、浜美枝は落語家の柳家小三治師匠のおっかけに夢中です。「もう恋なのかもしれない」と想うほどの”ときめき”です。
15年ほど前でしょうか、友人に誘われて師匠の高座を拝見したとたんに、胸がときめきました。この年で出会えるとは思いませんでした。新宿末廣亭、上野の鈴本演芸場の高座に上がられるときにはもちろん、独演会にも駆けつけます。人間国宝になられても、あの飄々とした語り口、何ともいえない可笑しみ、師匠がまくらを語りはじめるともう舞台の上には『柳家小三治の世界』が広がります。
24日は「え~又聞きの又聞きのそのまた又聞きの話によるとですね、2050年の世界はえらく変わるそうですよ」からはじまり、目覚まし時計の話、師匠の暮らしぶりから見えてくるさり気ない日常。とにかくワクワクするおかしさ・・・。
会場のファンは古典落語はもちろんですが、この”まくら”も大きな魅力のひとつなのです。いったいいつお考えになるのかしら、と思っていると「何にも考えちゃ~いませんよ、本当に思ったことをこうしておしゃべりしているだけです」と。
そして師匠が落語を話し始めると、登場人物のもつ空気感というものまでじんわりと伝わってきます。その人物像、時代背景、場所の雰囲気、人々の息遣いまで感じ取れるのです。高座が進むうちに、こちらもどんどんのめり込んでいき、気がつくと首を伸ばして、体を前に傾けて、目で耳で一心にその世界を堪能させていただいて・・・そして師匠の扇子を持つ姿、お茶の飲み方などのしぐさにも胸がキュンとしたりして。落語のハつぁん、熊さんの世界は今の時代には貴重ですし、必要なのかも知れませんね。今回の演目は 「小言念仏」と「転宅」でした。
同じようにして山に戻り、しばらくはその余韻に浸り眠りにつきました。
至福の夜でした。