浜美枝のいつかあなたと ~柳家三三さん

文化放送 浜美枝のいつかあなたと (日曜10時半~11時)
先日、来年お正月明け(9日)放送分の収録をいたしました。
お客さまは、落語家の柳家三三さんです。
柳家三三さんは1974年、神奈川県・小田原のお生まれ。
1993年、柳家小三治師匠に入門。
1996年に二つ目昇進し、柳家三三(さんざ)と改名。
2006年、真打昇進されています。
若手落語家の実力者として早くから注目をあつめ、これまでに文化庁芸術祭「大衆芸能部門 新人賞」、国立演芸場「花形演芸大賞」などを受賞され、寄席や高座や、全国の独演会、落語会で大活躍なさっています。
何度かブログにも書きましたが、私は三三さんの師匠の柳家小三治師匠の
“おっかけ”に夢中です。師匠の高座を拝見したとたんに、ときめきが始まったのです。「もう恋なのかもしれない・・・というときめき。そんな小三治師匠の高座で三三さんの落語を聴く機会に恵まれました。
今、年間600以上の仕事をこなす”売れっ子”
この番組には、過去二回、小三治師匠においでいただいたことがあります。以前、「小さん師匠からは落語の稽古を受けていない」と仰っていましたが三三さんもそうだそうです。三三さんの落語は「クラシカルだけどモダンな落語」と言われていますが、まさにそうです。小三治師匠とはまた違った芸風。そして、見えないところで努力の人。古典落語の舞台になった土地に出向き、その空気、風景など体で感じ取ってくることなど興味深いお話を伺いました。詳しくはラジオをお聴きください。
文化放送・1月9日(日曜10時半~11時)
それから・・・8年ほど前になるでしょうか。ここ箱根「やまぼうし」でなんと小三治師匠に落語を聴かせていただいたことがあります。今思えば何と贅沢なことだったでしょうか。知らない強み、あつかましさ。30名限定でした。
そのことを三三さんもご存知で「箱根・三三落語会」をやってくださいませんか?との申し出に「いいですよ」!・・・とのお返事。これから年に春・秋と2回はさせて頂きたいと思っております。お楽しみに。
大の甘党の三三さん、当日はどんな春のお菓子をご用意いたしましょう。

ナイルの畔で~タペストリーとキャンドルで迎えるクリスマス

ネフェルギャラリーのオーナー・金田理恵さんが箱根「やまぼうし」で素敵な展覧会を開催してくださいました。

エジプトカイロ近郊のしばらく行ったところにハラニアという小さな村があります。この村にエジプトの田舎の風景を色鮮やかに織りなす機織りの職人がいます。全て天然のもので。なんと美しいことでしょうか。そこには清らかな泉があります。その泉は知恵と愛情がいっぱいの暮らしから生まれます。豊かさの中にいる私たちは、地球の自然の営みからはたして彼らのような「美しい営み」を紡ぎだせるでしょうか。
いさかいのない世界
人々のぬくもりを感じ、キャンドルを灯してともに祈りました。

金田さんはご主人の仕事の都合でエジプト・スペイン・インドなどで暮らされました。エジプトは観光で成り立っている国ですが、私たちの目にはふれることのない部分もあるそうです。
女性や子供の生活環境はかなり厳しく、過疎地域では狭い家に大人数の家族が住み、かまどのすぐ近くで寝ていたりしていて、目が行きとどかないためにかまどに落ちてしまう事故や虐待も後をたたず、悲惨な状況が続いているのです。
今回の展示会に合わせ展示したクリスマスの人形とオーナメントの収益金135,600円の全額は、金田さんが支援しているミニアの火傷施設に寄付されます。
今回展示したタペストリーや刺繍製品などの多くがエジプトの女性たちが経済的な自立への第一歩として作ったものが多く、どれもほんとうに素敵な作品でした。現地の女性や子供をただ単に援助するのではなく、その次のステップとしての自立も視野に入れながら活動されている金田さん。まさにこれこそが「ソーシャル・ビジネス」の在り方のような気がいたします。
そして、今回も大勢の方々が箱根「やまぼうし」にお越しくださいました。
ありがとうございました。

「JA横浜・FOODで風土フェア」

先週末、晩秋・晴天の下、素敵なフェアに参加してまいりました。
「食と農のとの距離を近づけるために」をテーマに消費者と生産者が一緒になり、収穫体験をいたしました。ご存知ですか?神奈川県の中でも横浜は農地と住宅街が混在した都市なのです。「横浜のどこに農地があるの?」と首をかしげるかも知れません。それが、びっくり!ランドマークなどの商業施設が並ぶ西地区を除いてすべての区に農地があるのです。野菜・果樹に花き・畜産。港町ヨコハマのもうひとつの顔は「農業都市」でもあるのですね。

当日は仲町台の駅に皆さん合流しました。今回の催しに文化放送の「浜美枝のいつかあなたと」も参加してくださいました。番組リスナーの方、一般から応募された方、150名のご参加です。寺島アナウンサーの号令のもと歩いて、いざ畑へ。「コマツナ・ニンジン・ダイコン・ホウレン草・」を収穫。生産者の方に収穫の仕方を教えていただき、子供連れの皆さんも一生懸命収穫。

そして、JAよこはま きた総合センターに集合し、生産者の方から生産する喜びや大変さ、心がけや工夫などお話をうかがい、消費者の方からも熱心に質問がありました。私も「食と農への想い」についてお話させていただきました。
その後「ヨコハマ・ヤサイ・ワークショップ」が行われました。
講師は 柴田香織さん(フード&コミュニケーション代表)
ヨコハマ・ヤサイと食文化
ヨコハマ・ヤサイと日本の伝統
ヨコハマ・ヤサイの強み
手づくりトマトケチャップのテイスチィングや大根・ホウレン草の食べ比べなど新鮮な野菜(採れたて)がこれほど”美味しい”の!との声・声・声。
賢く食べるのは、よりよく生きること。
農は命に直結している。
と私は考えています。
生産者・消費者という枠を超えて「食は命を育む」・・・こと、と実感した一日でした。生産者の平野フキさん、城田朝成さん、そして柴田香織さん。寺島アナウンサー、JAの皆さま、参加してくださった皆さま。有意義で楽しい一日を有難うございました。
抱えきれないほど野菜を手に帰路につく皆さんの笑顔が眩しかったです。

67歳の誕生日

奈良を旅してまいりました。
賑わう奈良の街から離れたところにある奥深い山と渓谷に囲まれた室生の地、女人高野・室生寺。かつて土門拳先生が1ヶ月近く、雪舞う室生寺を撮影するために逗留した橋本旅館の前を歩きながら・・・想いました。
「魅かれるものに魅かれるままジーッと眺める。モノを長く眺めれば眺めるほど、それがそのまま胸にジーンとしみて、僕なりの見解が湧く」
(私の美学・あとがきより)
先生はどんな思いでシャッターをおされたのでしょうか・・・。

奈良から桜井、そして近鉄(大阪線)で室生口大野へ。
バスで15分ほどで室生寺へ到着します。
大自然と調和して、いつ訪れても四季おりおり移ろう佇みの美しさ。
楓の紅葉や銀杏の黄葉が深山の緑に錦を織り、夏に訪ねた涼風とはまた違った室生寺。

石段を上ると金堂(平安初期・国宝)へ。一本造りの御本尊、釈迦如来立像(平安初期・国宝)、薬師如来像、そして地蔵菩薩像。檜皮葺きの屋根、朱塗りの柱や白壁の五重塔(平安時代初期・国宝)が私を迎えてくれます。
私のもっとも好きな客仏の釈迦如来坐像が静かに・静かに佇まれており、じっくり対話ができました。
幸せな67歳の誕生日。
限りある命であることを正面から受け止めなくてはならない辛さもあるでしょう。でも、そうした孤独もつきつめていくと、その奥には、生きていることに感謝する気持ちが隠れているのですね。私は奈良の旅でそれに気づいたとき、それまでよりもいっそう、人が恋しくなったような気がします。
なにごとも、いいことだけではなく、悪いことだけでもないということなのでしょう。自分の生命を丸ごと慈しみ、おもしろがり、楽しんでいきたいと思っております。

浜美枝のいつかあなたと ~近藤文夫さん

文化放送 浜美枝のいつかあなたと (日曜10時半~11時)
今回は銀座「てんぷら近藤」のご主人・近藤文夫さんをスタジオにお招きいたしました。
近藤文夫さんは1947年、東京都足立区のお生まれ。
高校卒業後、「山の上ホテル」に就職。天ぷらや和食の料理人として修行を積まれ1991年に独立し、銀座に「てんぷら近藤」を開店。お店は多くのファンをもつ名店として知られています。
山の上ホテルの時代から、作家の池波正太郎さんとの交流があり、現在、池波さんとの思い出を綴られたご本『池波正太郎に届ける「おせち」』(筑摩書房)が発売中です。
近藤さんが台所に立ったのは6歳の頃。
お父さまを早く亡くされ、4歳年上のお兄さまとで家事を受けもっていらしたそうです。(私もその頃からカマドでご飯を炊き、いわしの煮付けなど家事を任されていました)
日本にはこんなに美味しい野菜がたくさんあるのに、どうしてそれを使わないのだろう。自国の野菜を天ぷらに!それが「海老と野菜の天ぷら」として生まれ、天ぷらを進化させたのです。
池波正太郎の随筆にはたびたび近藤さんのことが書かれていました。
「先生と僕が親しくなれたのは、僕の”失敗”がきっかけです」と語られる近藤さん。心底、先生を尊敬されていらっしゃることがスタジオでも伝わってきます。ある時「未熟ということが大切なんだ。僕だって未熟だよ。天狗になったらおしまいだよ」と池波正太郎さんはカウンターごしに語られたそうです。
そして、池波正太郎さんは、最期に急性白血病で入院されたとき、近藤さんの「天丼」を食べたいとおっしゃられ病院の入り口まで届けていただいたそうです。独自の薄衣でからりと揚げられたホクホクの空豆と海老の天丼。それが最後の近藤さんと池波さんをつなぐ届け物。
早朝から魚河岸に行き、ある時は生産者を訪ねて北海道まで。
「池波先生がいつ訪ねてきてくださっても召し上がっていただけるよう、皆さまに心こめて揚げています」・・・と。
師走の第二週目。十二月十日からおせち作りが始まるそうです。
本の写真はカラーでそれは美味しそう。
素晴らしいお話を近藤さんからたくさん伺いました。
ラジオを聴いてくださいね。(放送日1月16日)

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映画「クレアモントホテル」

映画「クレアモントホテル」を観てまいりました。
ロンドンの古い街角にある、時代から取り残された小さなホテル。
その小さなホテルでくりひろげられる人間ドラマ。
主人公パルフリー夫人が語ります。
「これまでの人生、私はずっと誰かの娘で、誰かの妻で、誰かの母親だった。だから残りの人生は、私として生きたい」・・・と。
初老の未亡人と青年との出会い。
主人公パルフリー夫人を演じるのは、アカデミー賞ノミネートやトニー賞を受賞したベテラン、ジョーン・プロウライト。(故ローレンス・オリビエ夫人)
原作 エリザベス・テイラー(イギリス人作家)
監督 ダン・アイアランド
青年役にはロンドン生まれのルパート・フレンド
老夫人と青年の心あたたまる交流が描かれています。そこには限りない愛が存在します。孤独と、より良い人生を静かに演ずる主人公の生き方に、私自身の生き方を重ねてみます。
歌手の小椋桂さんがテレビ番組のインタビューに答えておられました。「人生年を重ねれば、坂道を下りてゆきます。ただ、その道を上がり道と捕らえるか、下がり道と捕らえるかで随分違う。もう・・・なのか、まだ・・なのかでも違う」と。
私は、箱根の山を時間が許すかぎり歩いておりますが、ときにはだらだら道を歩いておりますと、足元に咲く可憐なスミレを見つけたり、急な山道を息を切らしながら上がっていると、雲の流れに目を奪われたり、その日、その日の自然を体ごと受け止めている自分に気づきます。
そうなのですね。この映画は、いかに自分らしく行き抜くかを問われているように感じました。そして、最後まで自立して生きる。あきらめない。そこには老いも若さも互いに共有できる愛があるのです。気品ある生き方に感動いたしました。

12月4日(土)より、東京・岩波ホールで公開。
オフィシャルHP http://www.cl-hotel.com/

浜美枝のいつかあなたと ~天沼寿子さん

文化放送いつかあなたと(文化放送日曜10時半~11時)
今回はお客さまにインテリアやアンティーク雑貨の専門家・天沼寿子さんをスタジオにお迎えいたしました。
天沼さんは東京のお生まれ。
大学を卒業後、貿易会社勤務などを経て、アメリカに移住。
8年間のニューヨーク滞在の経験を生かし、帰国されてからはカントリーショップ「デポー39」を設立され、現在はインテリアのアドバイザーとして活動され、
これまで書かれたご本には
カントリーアンティークの家づくり
デポー39ものがたり
などがあります。
現在は最新刊の「人生をリセットする、部屋の片づけと模様替え」(主婦の友社)が発売中です。
今年もあと2ヶ月。そろそろお家の片付けや大掃除を計画なさっていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。私は12月の半ばの週で、1週間かけて計画的にしようと思っております。
そこでスタジオでは天沼さんにお家の片付けや、本のタイトルにもあるように「人生をリセットする、部屋の片付けと模様替え」についてお話を伺いました。
このご本は中高年をターゲットに書かれたそうです。
私もそうですが実際、人生の後半(中高年以降)になってくると「子供の独立」や「夫の定年退職」、「家族との別れ」など生活自体に変化が起きます。そんなとき、どう生活をリセットするかなど具体的にお話を伺いました。
なかなか私達の年齢は物を「捨てられない」世代。
そこで「自分自身のライフスタイルの見直し、リセット」・・・大変参考になりましたのでぜひラジオをお聴きください。
私は子どもたちが巣立った60歳のとき、家族との思い出がたくさんつまった家から人生の荷物を整理して「小さな暮らし」を始めることにしました。残りの人生を大切に、軽やかに生きられたら・・・そんな思いでした。これからは自分の時間を大切に生きたいとも思っております。
天沼さんとはかれこれ30年来のお付き合い。
「デポー39」には随分と通わせていただきました。
イギリス・アメリカのアンティークはすべて天沼さんの審美眼で選びぬかれた物ばかり。
“家を癒しの空間”にするちょっとした工夫。
年末にかけての計画をなさってみてください!
放送は12月12日です。

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「小林桂樹さん お別れの会」

「小林桂樹さん お別れの会」に出席してまいりました。
小林桂樹さんは86歳でご逝去されました。
映画、テレビ、舞台と俳優道ひとすじに歩まれてこられました。
18歳で俳優としての人生を歩み始め、翌年徴兵され戦場へ。
会では多くの方が故人を偲び献花しご冥福をお祈りいたしました。
俳優の中井貴一さんは、大学生の時に小林さんと出会われ、40日間撮影でご一緒になり、毎晩夕食を共にし「俳優の道」に進むことを決断されたことなど、祭壇の着物姿であの優しい微笑みの小林さんに語りかけられておられました。八千草薫さんはご主人を亡くされた時に励まされたことなど、しみじみと語られておられました。
私はひょんなことで女優になって「若い素肌」でデビューしました。 
右も左も分からず、私の生活は一気に嵐のような春を迎えました。
急に眩しいライトの下に身をおくことになりました。
そんな私を小林さんは昼休みなど、さりげなく声をかけてくださいました。
「大丈夫?困ったことはないですか・・・」と。
それから「社長シリーズ」などでご一緒させていただきました。どんな役をなさっても、そこには庶民の人間としての優しさに溢れた素晴らしい演技があり、多くのことを学ばせていただきました。
安らかにお眠りください。         合掌

浜美枝のいつかあなたと ~夏木陽介さん

浜美枝のいつかあなたと(文化放送日曜10時半~11時)
今回はお客さまに俳優の夏木陽介さんにお越しいただきました。
夏木さんは1936年、東京のお生まれ。東宝からデビューをされました。
「密告者誰か」「用心棒」など数多くの作品に出演。
70年代にはテレビドラマの「Gメン75」にながらく出演されました。
現在、講談社から夏木さんの足跡を作家の轟夕起夫さんがまとめられた自叙伝「好き勝手 夏木陽介 スタアの時代」が発売中です。
スタジオにお入りになった瞬間「懐かしいね!浜さん」・・・とお声をかけてくださいました。そう、私は夏木さんより2年後輩にあたり青春時代を東宝撮影所でご一緒させていただきました。1961年に公開された「ゲンと不動明王」という作品で恋人役を演じました。監督は稲垣浩さんでした。
当時のエピソードを語ってくださいましたし、1950年代から60年にかけての映画界のお話も私の知らないことばかり。撮影所の真ん中に噴水があり、お昼休みになると俳優さん、女優達がおしゃべりなどしている横を原節子さんが横切っていらっしゃるのです。「オーラがありましたね」・・・と。
三船敏郎さん、先日、お亡くなりになった小林桂樹さん、加藤大介さん、加山雄三さんや司葉子さんなど、日本映画の黄金時代でした。私はもっぱら植木等さんなど「クレイジーキャッツ」の皆さまとの共演が数多くありました。
黒澤明監督の「用心棒」の撮影中のエピソードや数々の巨匠たちとの仕事。そして三船敏郎さんや巨匠たちとの永遠の別れ。貴重なお話を2回にわたり放送いたします。(11月14日、21日)
どうぞお楽しみに!

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NAGISAコンサート「馬頭琴が奏でるモンゴルの風」

先週末、我が家の「やまぼうし」でNAGISAさんの奏でる馬頭琴
の音色が広間に響きわたりました。
ユーラシア大陸に広がる草原の国、モンゴル。遊牧民族は家畜
とともに暮らし、家族同様、馬に愛情を注いできました。
「馬頭琴」は草原のチェロとも呼ばれ、哀愁をおびた美しい音色。
馬頭琴の由来といわれているモンゴルの民話「スーホの白い馬」を
私が朗読いたしました。

こうして昨年から始めた、ここ「やまぼうし」でのコンサートや展覧会。
この家は壊される運命にあった古い農家を移築し、和洋折衷の家を造りました。どこかイギリスの田舎家のような・・・、そんな日本の良さと大好きなイギリスの古い家が一緒になったような家です。
子育て真っ只中の昔、「ねえ、聞いてくれる?」 眠れない夜、私は我が家に住むたくさんの柱や梁、床や戸棚、多くの木とおしゃべりをしたものです。木々たちはなにしろ何百年も生きているからものしりで、私のわからなさを諭したり、ときには眠ったふりをして答えてくれなかったり。
そうそう・・・もうずい分前のことですが、我が家の木々たちの本当に得意顔を思いだします。だって世界的なヴァイオリニスト、ウィーン・フィルのコンサートマスターをつとめるライナー・キュッヒルさんがみえて、この大きな梁の下であのストラディバリウスを弾いてくださいました。
和ろうそくに火を灯し、静かに、静かに弾き始めました。
“バッハ・無伴奏パルティータ第ニ番”
澄んだ音は家の中を走り、天井のすみずみにひびき、木と戯れていました。
「ね、家の木々たち。よかったね、この家へのすてきなプレゼントだったね」
ほんとうに贅沢な木々たち。
馬頭琴の音色や美しいランプ、そして明日16日からは
「石井麻子のニットアート展 夢を編む 藍を編む」が始まります。
http://www.mies-living.jp/events/knitart.html
ブログをご覧の皆さま、お暇があったら我が家の木々に会いにいらしてください。