小さな島の小さな挑戦~沖縄・伊是名島

伊是名島(いぜなじま)に行ってきました。

名護・運天港から船で約50分で伊是名島の仲田港に到着。
なんと・・・途中「ざとうくじら」を見ることができました。
沖縄本島の北方、周囲約16km、人口約1600人。
島に着くと暖かな風を感じます。

オジイ、オバアの笑顔。
「まあ~茶でも飲んで」と屋根の先の雨はしの下の縁側にはサンピン茶と黒糖のお茶うけが用意されています。朝起きると「一番に茶を入れる」と話してくださったのは仲田初江さん(80歳)

この島は家に鍵をかける習慣がありません。
村の中を元気に走りまわる子供たち。
「豪華ではないけれど、贅沢ではないけれど暖かい島民の息遣いが伝わる島。この島を旅人が訪れたとき現代社会の中でどこかに置き忘れてきた、落っことしてきた大切なものが見つかるようなな、そんな島づくりをめざします」
(古民家再生プロジェクトを行っているNPO法人・島の風より)
琉球王朝文化、尚円王生誕の地で歴史・文化のある島です。
おもに農業ではサトウキビのほか、各種野菜が栽培され、水産業はモズクの養殖が盛んに行われ、美味しいモズクをたっぷり頂きました。

なんといってもこの島には伝統的沖縄民家がまだまだ残されています。
珊瑚の垣根と常緑広葉樹。
自然との折り合いををつけての暮らしが島民たちの笑顔になるのでしょう。
離島振興法が施行されてから約60年。
このような美しい島でも離島が抱える問題は決して解決していません。
離島人口は2000年にはほぼ半減したと言われますし、高齢化も進行しています。空家もでてきました。老朽化も進んでいます。
そこで始まったのが「古民家再生プロジェクト」です。
変わりゆく島の風景を守り、老朽化し放置されている家を再生し、まず島の人たちが大事にしてきた「暮らし」を維持し、島民の生活やそこに流れるコミュニティーの文化を含め残し伝えることを大切にしながらの再生です。

伊是名島には宝がいっぱいありました。
人、歴史、文化、自然や景観 かけがえのないものばかりです。
はじけるような笑顔の子供たちにつないでいってほしい・・・そして観光客はそっと「おじゃまさせていただく」ことを大切に。

あんまー(お母さん)の普段の食事、美味しかった!!!。
ご馳走さま。
また行きますね。
その時は昔ながらの古民家に泊めてくださいね。
そして「島のこしが島おこし」になりますように。

うたたねの湯・古湯温泉

佐賀市富士町・古湯温泉に行ってまいりました。
38℃ほどの「ぬる湯」が湧く、山あいの静かな温泉郷です。

旅館主、地域住民、商業者の皆さんを中心に行政も一体となり、どうしたら来てくださったお客さまたちに喜んでいただけるか、どのような「おもてなし」ができるのかを官民一体となり熱心に研究なさっています。
そんな勉強会にお招きをいただきました。
温泉地域活性化をテーマに「田舎らしさ」をアピールしていきたい。
地域住民が自主的にまちづくりをしていきたい。と、皆さん本当に熱心です。

旅館の女将会が中心となり、地域の農家と連携し「日曜朝市」も開催しています。千曲荘の若女将・岸川恵女さんは、女将仲間と市内のアロマサロンとアロマオイルを共同開発。アロママッサージの研修も終えてお客様に施術もしているそうです。
佐賀市街から30分~40分くらいで到着。
約2200年前から湯治場として栄え、画家の青木繁や歌人・斉藤茂吉らにも愛されたと伺いました。

当日は佐賀では珍しい雪景色でした。
嘉瀬川沿いに12軒の旅館があります。
15分も歩けば一周できるほどのこじんまりとした温泉地です。

古湯には「もてなしの心」がありました。
歴史も文化もあり、そして何より豊かな自然があります。
とかく日本人はもてなし下手といわれますが、この「喜んでもらえたら嬉しい」という気持ちこそ、本来日本人が昔からもっていたものではないでしょうか。
そして、今回、素晴らしい出会いがありました。
出発するまで宿でコーヒーを飲みながら話をした行政の若者達です。
佐賀市商業振興課の 田代 健二さん、辻田 朋群さん。
佐賀市保険年金課の 菅 祐亮さん
どの地域でも官民一体というのは非常に難しいものです。でも全国を歩いていて感じることは、ネクタイを外し、住民の中に飛び込み情熱をもってその町のために汗をかいている若者達が必ずいるということ。心強いではありませんか。
今回もそんな爽やかな若者達にお会いできたこと、とても嬉しく思いました。
どうぞ、これからも頑張ってください。
そして貴方達が描く「ふる里・古湯」にまた伺いたいです。

『柳家三三師匠落語会』のお知らせ

『柳家三三師匠落語会』のお知らせ
箱根「やまぼうし」で4月3日三三さんの落語会を開催いたします。
ご存知のように三三さんは柳家小三治師匠のお弟子さんです。
小三治師匠の”追っかけ”の私は、三三さんの落語もよく聴かせていただいておりました。
お若いのにその芸はまさに正統派。
小三治師匠とはまた違った芸風に見えます。
しかし、やっぱり師弟。
どこか似ています。
ここ箱根で以前、小三治師匠の落語を聴かせていただいた時には会場となった大広間の時計が止まっていたのです。
そこから師匠の自在な「まくら」から始まりました。
三三さんが同じ空間でどんな落語を聴かせてくださるか・・・。
楽しみです。
会場の都合で30名限定とさせていただきます。
落語終了後、師匠を囲んで軽いお酒と食事をご用意しております。
もちろん、私もご一緒させていただきます。
詳しくはやまぼうしのHPをご覧ください。
http://www.mies-living.jp/events/hakone_sanza_rakugokai.html

伊勢市横輪町をお訪ねしました

この桜、ご覧ください、見事でしょ。
と言っても今年の桜ではなく昨年、見事に開花した横輪桜です。横輪桜は、今から150年ほど前に、集落の桂林寺にあったものを村人が各々の家に持ち帰り増やしていったそうです。特徴はおしべが変化し、花びらになり、開花とおなじくして葉も付き始めるとのこと。花の大きさもソメイヨシノの2~3倍はあるそうです。

横輪町は三重県伊勢市の南部に位置する山々に囲まれた谷あいの隠れ里。人口は97人で、その4割が65歳以上の高齢者です。
「このままでは自分達の地域が崩壊してしまう」
という危機感から立ち上がりました。
「地域を、文化を次世代に継承していきたい」
「経済的に活性化し、若い人達の就労場所を確保したい」
前回ご紹介した周南市もそうですが、こうした気運が全国に広がり始めました。地域の活性化は一朝一夕にできるものではありません。何よりもそこに住む住民の「熱き思い」が大切です。この横輪にはそうした人達ばかりなのです。
その道のりは簡単ではなく、苦難の道のりも「地元を良くしたい、何とかしたい」という強い思いがあったからこそ。この町の石垣の景観は見事です。それは強風から家屋を守るだけではなく、田畑にも多く存在します。よく見ると、石組みの間には風穴があり先人の技がしっかりとあります。しかし、そうした石工もいまではいなくなりこれからが大変です。
「正直、活性化を始める前は辺地であるという劣等感が多くありました。しかし、活性化がマスメディアで報じられると自信につながるのです。最近は「横輪の人達頑張っていますね」・・・と声をかけられると、自信と誇りがもてるようになりました」と皆さんがおっしゃいます。いまでは桜の季節には7万5千人ほどの人が集まるようになりました。

四季を通じたイベントを開催し、横輪の桜まつり、夏にはホタルまつり、秋にはお月見会など、また活動拠点「郷の恵・風輪」もオープン。積極的に情報発信をし、都市との交流も行われています。
「しかし・・・これからが大事です。今は過渡期です」とおっしゃいます。
そうなのです。ゼロからスタートし、来訪者の増加は地域への経済的メリットにとどまらず、耕作放棄地の減少や「景観の保全」「高齢者の生きがいづくり」などにつながります。相乗効果が増加するでしょう。
今回も「美の里コンクール」の審査でお邪魔させていただきました。
その日は珍しく横輪の冬の西風もなく穏やかな一日でした。
横輪のお芋で伊勢うどんや、五平餅も美味しかったです。
風と共に生き、人の手と知恵によって美しい風景が創られてきました。
皆さん住民の方々の”ふるさと”です。
日本中が、熱気を欠き、心の拠りどころを失って、ポカン顔しているような昨今。横輪の方々のいきいきした表情の、なんと眩しかったことか。他力本願せず、おもねず、甘えず、寄り掛からず、人のせいにせず、しっかりと自分達の足で立つことで、「横輪」という誇らしい集落を作りあげてきたのでしょう。
今の日本人に、今の日本に、必要なことはこうした自立のありようだと思うのです。戦後60年、日本が政治・経済・私たち一人一人の意識も変革を求められている今日。
これからも美しい横輪の町が都市の方々との交流の輪を広め”ふるさと”を守ってほしい・・・と願いました。

お伊勢さんへお参り

みなさま~。聞いてください。わたくし、ショックです。
せっかくお伊勢参りをするからには五十鈴川を渡る宇治橋からの朝焼けを見たくて朝4時に起き、神聖な景色と澄んだ空気に感激しながら内宮、外宮と歩き、何枚も何枚もシャッターをきったはずなのに、写っていなかったのです。
原因は…いつもより長めにしていた爪のせいでシャッターが上手に押せていなかったようです。ショックです。
お伊勢さんにお参りをなさった方は、あの美しい情景を思い出しながら、まだの方は想像をなさりながら、今日のブログはお読みいただければ幸いです。
私も近いうちにもう一度、お参りをしにいってまいります。今度こそ。
大寒の20日、夜明けとともに伊勢神宮に参拝してまいりました。
私の母方の祖母は伊勢の出身。幼いころ祖母に手をつながれて「お伊勢さん」にお参りしたことが記憶の奥深くにあります。
ず~っと昔、遥か昔、大和の国。古代にあっては、太陽の昇る地、
それが伊勢の国。
倭姫命はなぜ天照大神を伊勢の地に祀ることにしたのでしょう。
清らかな水の流れ・・・ゆったり、ゆったりと流れる五十鈴川。
その川にかかる宇治橋を渡り、朝日に輝く参道へと進みます。
その前に五十鈴川にそっと手を入れてみました。
そこから眺める上流の景色は素晴らしいです。
宇治橋は、人の世と神さまの聖地をつなぐ橋だそうです。
まぶしいほどに輝いていました。
五十鈴川のほとりに鎮まる伊勢神宮内宮。
長い参道の奥にあります。
三十段あまりの石段を上り、参拝するのは南御門の前。
拝殿はありません。
神さまが住まい、人々が祈りを捧げる社殿。
高床の穀倉を思わせる社殿の前でからだごと、五感の隅々までが清められていくようです。
その前にたたずむと、自然に頭が下がります。
神さまは20年に一回お引越しをなさいます。次は平成25年。再来年ですね。
20年に一度の「式年遷宮」、東から西へ、西から東へと神さまはお移りになられるのです。
神宮の森を抜け参道に戻ると「ここは神さまをお迎えする森なのだわ。木霊が宿っている」とつぶやきました。
9時すぎの参道は人で溢れています。五十鈴川のほとりのカフェで一休み。
陽だまりが暖かく幸せな気分になり、またぼんやりと五十鈴川の流れに見ほれていました。
「そうだ、お昼は牛丼だわ!牛鍋かな・・・」というわけで、早起きしたので11時にはお腹がすいてきました。「豚捨」で「牛鍋とお酒をお燗していただき少々いい気分」、「こんな贅沢していてはいけませんよ!・・でも、去年よく働いたご褒美です」などと言い訳をして神さまの食を司る「外宮」へ。
1500年間、毎日欠かさず1日2回、神さまにお食事を差し上げる祭りがあります。この外宮はJR伊勢駅から歩いて5分ほどです。
外宮は「農業の神さま」でもあるのです。
お供えする食事は原則的には自給自足だそうです。
縄文時代後期に日本に伝わった稲作文化。
でも私達の食習慣は大きく変わりました。
米の消費量はますます少なくなってきました。
高度成長期がもたらした食事の変化。
でも、この外宮では神職が1500年変わらず神さまに差し上げておられるのです。「米は神さまからお預かりしたもの」といわれます。
森の木々、石には人知を超えた何かがあります。耳を澄まし、触り、小声で話しかけると応えてくれます。それが”お伊勢さん”なのです。
最後に五十鈴川の河口から白砂青松の浜へ。夫婦のように二つの岩が並ぶ「夫婦岩」は「岩の鳥居」の役目をはたしています。二見浦はあまりの美しい景色に倭姫命が名残惜しく、二度も返り見られたことでついた名前といわれています。
私の伊勢神宮参拝は全て逆のコースでまわりました。
でも、宇治橋から伊勢湾に浮かぶ夫婦岩まで、心おきなく大和の国を旅させていただきました。
日本人の旅の原点、お伊勢参りができました。

この記事をご覧いただいたブログの読者の北本朋子さんが、昨年に伊勢神宮へ行かれた際のお写真をお送りくださいました。
北本さん、夜明けの鳥居、五十鈴川など・・・本当に素敵な写真をありがとうございました!

美しい棚田

すり鉢状に広がる棚田。山口県周南市中須北集落にお邪魔してきました。
5集落全住民を会員として「棚田清流の会」が平成13年に発足し、
“やすらぎの里づくり~くらしがいをみつけられる郷へ~”を実践しています。
「なんて美しい棚田なの」・・・と思わず声がでました。
村の方が「ここは基盤整備していない自然の棚田ですよ」と教えてくださいました。先人のご苦労がしのばれます。
この美しい集落は農林水産省と農村開発企画委員会主催のコンテストで選ばれ、我々も現地調査でお訪ねしました。「美の里づくりコンクール」以前の「農村アメニティーコンクール」をあわせると今年で26年目を迎えます。私は1回目からの審査員をおおせつかっておりますから、随分と全国の農山漁村をお訪ねしていることになります。
標高300メートルの中山間盆地。
5つの集落は、幾重にも広がる田んぼで結ばれています。
「ご先祖さんから受け継いだすり鉢の米づくり、不便と言やぁ不便だが昔しゃこれが当たり前。米が実のりゃ苦労も癒える。うまい飯にゃぁ幸せ宿る」・・・と。住民の暮らしや農地を自らの手で守る、つまり自主活動なのです。
「中須の棚田自然米」のファンが増えているそうです。米の名前は中須にひっかけて「泣かす米」だそうです。なかなかウイットがあり素敵です。
都市交流やオーナー制度も導入されています。「若手が(といっても50代・60代)生産グループに加入し世代交代が円滑に進んでいますよ」とおっしゃるリーダーの佐伯伴章さん(51)の本業は獣医。兼業農家です。「コミニケーションを大切にしよう、自分達もやればできる!という自信ももてました」と佐伯さんはおっしゃいます。
お昼ごはんは全て村のおばあちゃんたちの手づくりです。「このこんにゃくも豆腐も、しいたけも野菜もぜん~ぶ、味噌も私らが作ったんよ。食べてみて、美味しいよ!自給自足だね。なんも買ってないよ」と元気よく笑顔でおっしゃいます。
地域の絆が深い集落です。
しかし、全国各地過疎化・高齢化が進む中、「私らは生涯現役」と話してくれたおばあちゃんは82歳。
神事を大切にし、美しい黒石川の清流を守り、棚田を守る。田植えの頃の満々と水をたたえた水田は古来日本の原風景として日本人の心に刻まれてきました。
「TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)」が盛んに議論されています。工業と農業がお互いに対立ではなく共存し、支えあっていくことは不可能なのでしょうか。
米を食糧、とだけ捕らえていいのでしょうか。
日本の食糧の安全保障はどうなるのでしょうか。
さまざまな事を考えさせられた今回の中須北集落への旅でした。

この美しい棚田の風景がおさめられたポストカードは「棚田清流の会」を通じて販売されているそうです。ご興味のある方は周南市役所「いのち育む里づくり課」(0834-22-8245)までお問い合わせください。

仕事はじめ

今年の仕事はじめは1月7日。
「週刊ポスト・古都 逍遥」で建仁寺の庭での撮影と対談です。
小雪舞う両足院書院庭園は想像していたよりずっと男性的。
詳しくは1月最終のポストをご覧ください。
対談のお相手は随筆家の白洲信哉さん。
早朝からの撮影でしたので対談は場所をホテルに移し行われました。
「不思議ですね、今日は祖母(白洲正子さん)の生誕101年。1月7日は誕生日なのです」・・・と。ほんとうに不思議です。「20年ほど前にご自宅に伺い鴨なべをご馳走になったのですよ」と申し上げました。とても緊張していたことをよく覚えています。
仕事が早く終了したので、「今日はこれから何処にいったらいいでしょうか?」と信哉さんに伺うと「上賀茂神社などいいかもしれませんよ」と教えてくださいました。

ホテルからバスに乗り久しぶりの上賀茂神社へ。
「そうだ!今日は7日、七草粥がいただける日だわ」とこれまた偶然の出会いです。
上賀茂神社(賀茂別雷神社)は下鴨神社(賀茂御祖神社)と共に、賀茂氏の氏神を祀る神社で、葵祭りで賑わいますね。境内を進むと競馬会の馬が迎えてくれます。「手水舎」で清め、桜門をくぐり御祭神に手を合わせ、境内を流れる御手洗川の清い水にそっと手を入れると、何だかすごく幸せな気分になり、七草粥をいただき下鴨神社に向かいました。

私は下鴨神社の「たたずの森」をゆっくり歩くのが好きです。
緑深い木々には精霊が宿っているようです。
砂利道を進むと遊歩道があり、神話の世界に足を踏み入れたよう。
そして東西の二殿の本殿はともに国宝。
冬の暖かな陽射しの中の散策でした。
1月18日、文化放送の私の番組に白洲信哉さんがご出演くださいます。小学館から出版された「白洲家としきたり (小学館101ビジュアル新書)」についてや、旅、日本の美など伺いたいことばかり。
そうそう、御著書の中に大阪・堺市の大鳥神社のことが書かれておりました。「日本武尊」は故郷を見ることなく望郷の歌を詠んで戦死したこと、人気のあった「日本武尊」は人々に悲しまれ、埋葬しても、埋葬しても魂は白鳥になって飛び立ったそうです。大島神社の起源はこの白鳥に由来すると信哉さんのご本に書かれています。
やっぱり行きたい!ということで京都から大阪へ。天王寺からJR阪和腺「鳳駅」下車。そこから歩いて5、6分で着きました。大鳥神社でもお参りができました。
来週は伊勢市に仕事で行くので「お伊勢さん」にもお参りしたい・・・と何だか今年の新年は神様のお導きがあるようです。
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箱根駅伝

私のお正月は箱根駅伝で始まります。
今年も新春の箱根路を選手達がゴールめがけて登ってきました。私はコースとなる国道1号をバスで家路につきますから、そのコースがとてつもない山路であることを承知しております。
今年も往路では東洋大学の柏原竜二選手が「3度目」に挑み、見事逆転劇を演じました。東洋大は往路新記録樹立。「やったぞ、田中」と叫んでいた彼のインタビューを聞き思わず涙がこぼれました。

一昨年の3日早朝、スタート地点で復路を走る仲間を見つめていた彼の姿が思い出されます。そして、どれほどのプレッシャーがあったことでしょう。その精神力は彼だけではなく箱根駅伝を走る全ての選手達に言えることです。
復路は東洋無念・・・21秒届かず早稲田大学が箱根駅伝18年ぶりの優勝。渡辺監督、おめでとうございます。努力がむくわれましたね!シード権を得た10校。逃した大学は来年に向けもうスタートしていることでしょう。「箱根駅伝」にはドラマがあります。みなさんのひたむきな姿にどれほど励まされたか。
選手の皆さん、ありがとう

そして、4日早朝、夜明けと同時に私は箱根神社に参拝いたしました。
三が日が過ぎ静謐な神社境内。心静かに「今日まで生きてきた道すじは、本当にこれで良かったのかしら」と、年の始めというのは自分自身の進むべき道をいつになく真面目に考えてしまいます。希望がわき上がる反面、心が揺れたり理由もなく不安になったり・・・。
「そう・・・昨日の選手達のように前を向いて進もう!」
そんなことを考えました。

夜は上野・鈴本演芸場へ。
平成23年正月初席「吉例落語協会初顔見世特別公演」。
5時半から始まる客席は立ち見のでる盛況。
柳家三三さんから、はん治、権太郎師匠。ものまねの江戸家猫八さん。
お正月らしい太神楽、紙切りの正楽さん。
そして、トリは柳家小三治師匠!
最高でした。
小三治師匠は今年の干支・うさぎ年生まれなのだそうです。
今年もおおいに”追っかけ”させていただきます。
皆さま 今年も宜しくお願いいたします。

新年を迎えて

生きることは  ひとすじがよし  寒椿
この句は、私たち映画界の大先輩である五所平之助監督が詠まれたものということですが、箱根の山々に木枯しの吹く季節になると、自然とその大好きな句が思い出されます。
朝、冬枯れの庭に出てみると、木々の枝にうっすらと雪が積もっているなかで、ひときわ鮮やかに咲き誇る寒椿の花。強い寒風に吹かれながらも凛と華やかな薄紅色の花弁は、ひとすじに生きることの美しさと尊さを教えてくれているようです。
いま、新しい年を迎え、私たちが生きて暮らしているこの日本という国を、「誇りに思っている」と胸を張っていえる人がどれだけいるでしょうか。
物質的には恵まれた豊かさの中にあり、情報もふんだんに溢れ、平和も、自由も、世界の国々に比して少しも引けをとらない程に手にしているのに、なぜ私たちはいまの暮らしを心から「幸福」と思うことができないのでしょうか。
ずっとそのことを考え続けておりました。
私たちがそれぞれ心に再び取り戻すべきもの、誇りをもって子や孫の世代に受け継ぐべきもの、それはこの日本が戦後のあいだに捨て去ってきたものの中にあったのです。
戦後の日本はまさに「物」と「お金」だけを必死に追い求めた時代でした。そしてそれを得ただけでは人間は心から幸福になれないことに私達は気づきました。
かつては人びとの暮らしの中に当たり前のようにあった文化や、自然の理に適った習慣や、四季の移ろいによって美しく変化する国の景観や・・・そうしたものこそが尊く、人びとの心の拠りどころであったはずなのに、知らぬ間に軽んじてきました。
私たちの世代は「美しい日本の暮らし」の片鱗を、幼いころに経験した最後の世代であるならば、それを次世代に受け継ぐべき大事な使命を担っているように思います。
「此ん頃はてんごりもあまり見られんようになったなぁ」
と聞いたことがあります。「てんごり」という耳慣れない言葉は、「手間がわり」という語源を持ち、
「互いに手伝い合う」という意味を持つ若狭地方独特の方言です。農村社会においては重要なこと。都会でもお互いさま。どんなに近代化が進んでも「てんごり」の精神だけはいつまでも守り続けていきたいものです。
今年も「食・農・美しい暮らし」をテーマに歩んでまいります。
新しい年が皆さまにとって佳き年でありますよう、お祈り申し上げます。
2011年1月1日 浜 美枝

那須への旅

あれは秋深い、風の心地良い朝のことでした。
那須を訪れた時のことです。那須は十数年ぶり。
朝食をとるために階下のレストランに行くと、目に入ってきた美しい「ワインクーラー」。シャンパンが入れられ、グレープジュースと一緒に飲みました。
「このワインクーラーはどなたが作れれたのでしょう」と伺うと那須在住の若手作家とのこと。魅せられました。ダイナミックで、そしてエレガント。色は軽やか。
「このワインクーラーにシャンパンをいれクリスマスに飲みたい!」
そんな思いがいたしました。
そこで今週はじめに、その作家の方をお訪ねしてまいりました。雑木林の中にたつアトリエ。でも、作品からは海の香りがするのです。
沓沢佐知子(くつさわさちこ)さんは1976年三重県尾鷲のご出身。
子供時代を海のそばで暮らされたとのこと。
全関西美術展 彫刻 第一席受賞。
京都教育大美術科 大学院終了。
かずかずの立体個展をなさってこられたのです。
ご縁って不思議ですね。美しいものを探すきっかけってこうして出逢うのですね。美術館に収められている作品ももちろん素敵です。でも、私は毎日使うことが大事で、そこに遊び心があったら申し分なし。新しいとか古いというよりも、「自分の好きなもの」に心惹かれるのです。

アトリエの作品を拝見すると、海の匂いと森の空気が融合しているのです。そして、横には素敵なバーがあるのです。声楽家だったご主人が料理を学び、カクテルをつくり、そこには”大人の空間”がひろがります。
箱根の森の「やまぼうし」で展覧会をしてください!佐知子さんの作品、ご主人のカクテルに料理で。とお願いをさせていただきました。「湘南の海で貝殻や砂など素材をさがしますね」と佐知子さん。
再来年の夏の終わり虫のすだく声を聞きながらの展覧会。
きっと素敵だと思います。
楽しみにしていてくださいね。
その前に・・・来年のクリスマスイブまでにキリッっとシャンパンを冷やすワインクーラーをお願いいたします、佐知子さん。