免疫力について

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時)
今回は医学博士・管理栄養士の本多京子さんをお招きいたしました。
「免疫力を高めるための生活習慣」についてお話を伺いました。
「食は社会を反映している・食の状況が病気に反映される」と本多さんはおっしゃいます。
近頃よく耳にするのが「人間の免疫力」。
私たちが健康に暮らすためには「免疫力を高める」ことが大事だと言われます。そして意外なのが免疫力は低すぎても、高すぎてもよくないそうです。
「免疫」と「アレルギー」は大きな関係があるとか。
現代社会は「アレルギーを抱える人」が多い時代です。
子供のころの食生活。
衛生的すぎる環境もおおいに関係していると話されます。
免疫力を高めるには、食生活、生活リズム、習慣も大事とか。
ストレスがたまると免疫力は低下する。
特に男性は医学的にみてストレスには弱いとのこと。
『どんな生活を心がけるのが大事か』など詳しくうかがいました。
ぜひラジオをお聴きください。
(放送・6月5日10時半~11時)
お楽しみに!

アファンの森を歩いて

長野・黒姫の「アファンの森」を訪ねてきました。

CW・ニコルさんは25年前に荒れた森を再生させるために黒姫に森を購入しました。アファンとはケルトの言葉で”風が通るところ”という意味だそうです。
私が最初にお邪魔させていただいたのが23年程前でしょうか。
彼は生物多様性豊かな森づくりを実践してきました。
森には四季を通じて様々な花が咲き、クマ、ヤマメ、ハクビシン、タヌキ、キツネ、ウサギなどたくさんの動物たちが生息しています。

ニコルさんはおっしゃいます。
「動物でも、生き物は急には病気にはならないのです。小さいばい菌や小さな傷からだんだん悪くなる。治るときも同じです。元気がいいところが少しあったら、そこから少しづつ治るのですよ」・・・と。
初めて森を訪ねたとき私に語ってくださいました。
「美枝さん。木を切って始まる文化もあるけれど、それによって文化を失うこともあるよね。森を失ったら文化は滅びます。」
その時分かりやすく、森の大切さについて語ってくれました。日本の面積の約7割は森林です。原生林はわずか1%、日本列島の太古を語る大切な証言者です。
産業革命は私たちをたしかに豊かにしてくれました。
森はどうでしょうか。
戦のさなかも、木を切り、それを炭に代えて、また無数の家の復興に使い、森は一心に人間に寄与しました。国破れて山河あり。自然に助けられて私達の今があるのだと思うのです。
ニコルさんは1995年、日本に帰化して日本人になりました。1962年、「この国から何かを学びたい、勉強したい」との思いから50年の歳月がたちます。
そして2002年、「(財)C・Wニコル・アファンの森財団」を設立しました。
「森が心をはぐくむ」という(五感)プロジェクトがあります。
目が不自由だとか、心身に傷をもった子供たちも、この森の樹木にふれたり、木に登ったり、みるみる元気になる姿を見ていると、森がその手助けをしてくれるのです。」
森の再生、復元にはたくさんの時間、手間、そして愛情が必要です。
「僕は日本の国を愛しています。でも、ときどき思うのです。僕が愛した日本はこんなものだろうかとも・・・。」
私も日本人の「美意識」は素晴らしいと思い続けてきました。
3万坪の森の再生から始まった小さな「アファンの森」。
今では9万坪の見事な森へと変化しつづけています。
それは、日本の未来の可能性を信じて多くの方々が参加しているからでしょう。
私が訪ねた日は天候に恵まれ山々も美しく、穏やかな風が森を吹き抜けます。燦燦と降りそそぐ美しい森を案内してくれた 「森の番人、松木さん(80歳)」は植林や間伐、花の名前などを教えてくださいました。
今回の散策は財団の支援者9名でした。
10時半スタート。
森の入り口には紅紫色のシラネアオイが迎えてくれます。
アズマイチゲ、リューリンカ、ニリンソウ、エンレイリク、そして可憐なスミレなどなど・・・

『アファンの森は蘇えっていました』
日本の森が蘇えることを願いつつ黒姫をあとにしました。
(財)C・Wニコル・アファンの森財団へのお問い合わせ
〒389-1316 長野県上水内郡信濃町大井43-2
TEL: 026-254-8081
FAX: 026-254-8082
E-Mail: info@afan.or.jp
WEB: http://www.afan.or.jp

『近江・京都への旅』

GWの休みを利用し滋賀県・近江、京都を旅してきました。
今回は東日本に想いを馳せながらの旅でした。
京都でワンルームのウイクリィーマンションを借り、自炊をしながらの旅。
京都から近江へは電車が便利なので、毎日通いながらのコースでした。
まず最初に向かったのは、琵琶湖の北部に位置する竹生島。
この島は古より神の棲む島として崇められ、西国三十三ヶ所の
霊場・「宝厳寺」があり多くの人々の信仰を集めています。
京都から東海道本線(琵琶湖線)に乗り、長浜からは船で渡ります。
爽やかな風が湖面を渡り、ひとり旅、のんびりした旅の始まりです。
そして『祈りの旅』のはじまりです。
下船し165段の石段を上り五重石塔、そして「宝厳寺本堂(弁才天堂)」へ。
まさに「祈りの階段」です。
歴史の深さと雄大な景色が心を落ち着かせてくれます。
沖合約6kmに浮かぶ周囲2kmあまりの小島です。
「深緑竹生島の沈影」として琵琶湖八景の一つにも数えられています。
参拝を済ませ、長浜へ。

彦根から近江鉄道に乗り換え、多賀大社に向かうローカル線をちょっと足を伸ばし「かわべのもり・川辺の森」駅で道草。
無人駅のこの町は気になっていた町でした。
琵琶湖の水を汚さない・・・という思いで、減農薬・無農薬での米作りをしている町です。一面田んぼの真ん中に立つと、その農民たちの想いが伝わってきます。

またローカル線で高宮まで戻り、多賀大社へ。
夕暮れ近かったので人も少なく、うっそうと生い茂る森に囲まれた大社で心ゆくまでお参りができ、清清しい気持ちで京都に戻りました。

翌日は京都から京阪石山坂本線で、日吉大社に向かいました。
比叡山麓に佇む、岩座をご神体とする大社で、秀吉が寄進したとされる大宮川にかかる石橋を見ながら、樹木茂る参道を国宝の本殿に向かいます。
玉砂利を踏みしめながら歩いていると、身も心も清められていくようです。
西本宮から、樹下宮のご祭神である東本宮へ。
比叡の山の神様です。
その建築美に魅せられます。
ゆっくり境内を2時間くらいかけてのお参りでした。
神社から近い坂本ケーブルを15分ほど乗り下車。比叡山延暦寺までは徒歩で約15分。延暦寺から聞こえてくる鐘の音が心を鎮めてくれます。
「根本中堂」では開創以来1200年消えることなく法灯が灯り続けています。
一段低くなっている内陣。
本尊や法灯が目の高さにあるからでしょうか、仏と人が一体になっている感じがし、仏様に抱かれているようです。
はじめて訪ねた比叡山。
帰りのケーブルから眼下に琵琶湖が広がります。

坂本駅からまた京阪で戻り、石山寺に向かいます。
駅から徒歩ゆっくり20分かけて石山寺へ。
歴史の香り漂う 花の寺は藤、山吹、牡丹などが咲く、まさに花の寺です。
淀殿(茶々)が現世と来世の安楽を願って再興したといわれる石山寺です。
紫式部は、この寺で「源氏物語」の構想を練ったといわれます。
創建は奈良時代後期。
本堂のほか、源頼朝が寄進したという多宝塔などが国宝に指定されています。
この多宝塔の建築様式の美しさ・・・。
私がいままで見た多宝塔の中で一番美しい塔だと思いました。
時間のたつのも忘れ佇んでおりました。
ここまでが、近江の旅です。

今回の旅でどうしても行ってみたかったお寺が「神護寺」と「法然院」でした。
まず最初に向かったのは「神護寺」京都駅からバスで高尾山まで約1時間。
朝早いバスで出かけました。
京都市街の北西、愛宕山山系の高尾山の中腹に位置する山岳寺院です。
バスを下車してから石段を徒歩で約20分(350段)上っていきます。
箱根での山歩きに慣れているとはいえ、石段ですから滑らないように気をつけながら、清滝川に架かる高尾橋から長い参道を歩いた先の山中に金堂、多宝塔、大師堂などがあります。
今回どうしても行きたかったのは、5日間だけ開催されている国宝を拝見できると知ったからです。
虫干しのために1年に1回だけ「源頼朝像」「絹本著色釈迦如来像」など顔を近づけて拝見できるのです。
そして、お坊さまが丁寧に一点一点ご案内くださいました。
唐から帰国した空海も14年間ここで密教を教えていたそうです。
金堂本尊には、像高170センチ、カヤ材の一木造、「木造薬師如来立像」。
唇に朱を、眉、瞳などに墨が塗られ、目を細めたお姿に荘厳さが感じられちょっと緊張いたしました。
周りの新緑が眩しいほどでした。
次回は紅葉が楽しめそうなので秋にまた行きたいです。
ようやく20分歩いてバス停まできたらお腹がすいてきました。
バス停の横の食堂できつねうどんを食べ、町に戻ってきました。
午後は国立近代美術館で開催されている「パウル・クレー」を見に行きました。若い人たちが多く、故郷のスイス・ベルンには何度か行っているので、ドイツで成功したクレーですが、私はやはり自然をテーマにした故郷の作品に惹かれます。「パルナッソス山へ」はとりわけ好きです。
そして、最終日は「法然院」へ。
やはり朝早く出かけました。
法然院は鹿ヶ谷、哲学の道の近くにある浄土宗系の単立寺院です。
茅葺きの山門や白砂を盛った白砂壇が静かに迎えてくれます。
始めて訪ねた寺院です。作家の谷崎潤一郎、哲学者の九鬼周造など文化人や学者の墓も数多くあります。
私が興味を持ったのは法然院貫主の梶田真章(かじたしんしょう)さんの「ありのまま」を読んだのがきっかけです。
総門といっても門扉はありません。
「法然院」と刻まれた石柱が立っているだけです。
竹林からさわさわと笹の葉の鳴る音が聞こえてくる・・・静寂なお寺です。
山門を一歩くぐると、ゆったりと時が流れています。
人もまだ少ない時間。お寺の方でしょうか、庭を掃く箒のかすかな音さえ日常と異なるのです。
境内では音楽やアートなどさまざまな催しも行われるそうです。
運良くその日の朝、梶田貫主さまの法話をお聞きすることができました。
「法然・親鸞の人間観~善人・悪人~」
貫主さまのお話は分かりやすく、心に染みいるお話でした。
そして、今回の東日本の震災にふれられました。
思わず涙がこぼれました。
『生まれる前も死んだ後も、変わらずあり続けている世界のあり方、それを「真理」とも呼ぶのです。私たちは、生かされ、生きているのです』・・・と。
一輪の花を供える旅でもありました。
                                  合掌

浜美枝のいつかあなたと ~山田太一さん

文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時)に
脚本家・小説家の山田太一さんをスタジオにお招きいたしました。
山田さんは昭和9年浅草のお生まれ。
昭和33年、松竹映画に入社され、木下恵介監督に師事されました。
テレビドラマの分野で多くの脚本を執筆され、「岸辺のアルバム」、
「早春スケッチブック」、「ふぞろいの林檎たち」などがあります。
山田さんはおっしゃいます。
「もう願いごともいくらも果たせない齢になり、あと一つだけ小説を書いておきたかった」と。
それは二十代の青年が語る七十代にならなければ書けない物語である。
老いを見つめる小説「空也上人がいた」です。(朝日新聞出版)
20代の青年と80代の老人、そして40代の女性が織りなす、切実でちょっと風変わりな現代の物語です。
スタジオでは小説を通して「過去の罪」を抱えた人物像についてや、ご自身が70代になられて見えてきたことなど、山田さんの優しいまなざしが感じられ齢を重ねる素敵さを実感いたしました。
「人間、誰しも何かを抱えているはず、不安になった時に永続的に故郷や国家とつながりたいと思うのですよ。」
大震災後の日本人の言動、「自粛」の範囲や「デマ」など、今私たちが考えなければならないことなどをお話いただきました。
そして、戦争、戦後から学ぶ「これからの日本」についても。
どうぞラジオをお聴きください。
(放送は5月8日と15日です)

映画 『木漏れ日の家で』

「木漏れ日の家で」という映画を観てきました。
岩波ホール、開場まえからかなりの長い列ができていました。
ポーランド映画界から、新たな珠玉の名作が誕生しました。
ワルシャワ郊外の森、木漏れ日の中、91歳のアニュラと愛犬の物語です。
主人公はアニュラと同じ91歳のダヌタ・シャフラスカ出演。
芸歴は83年におよびます。
木漏れ日に一面のガラス窓が輝き、その窓際から外を眺めています。
年老いても瑞々しい感性、ひとりで誇りを持って生きる姿に胸をうたれます。
社会との関わりをもち、時には息子との縁を切っても、この思い出のある建物を守り続け、自らの人生の終焉を迎えます。
モノクロームのもつ陰影が見事です。新鮮です。
今ではそのほうが、はるかに手間がかかるのに。
ラストシーンではじめて「木漏れ日」を通して樹々の優しさに触れた時、はじめて監督のドロタ・ケンジェジャフスカは語っている言葉の意味を理解します。
「アニュラほど前向きで、勇敢で、実際的な人はほんの少ししかいません。また、誠実な(せめて自分自身にたいして)人もごくわずかです。だからこそ私は、一般には敗北者と思われている老いた女性、しかし、人生最後の日々においてすら、他の人々に善を与えることのできる女性について物語ることが、自分の義務であるとおもったのです。」・・・と。
素晴らしい映画を観ました。
ゴールデンウイーク、お勧めの一本です。

近畿大学

明日(23日)から昨年に続き近畿大学「総合社会学部」での講義が始まります。
『現代の先達に学ぶ~自分らしさの発見ー暮らし・食・農・旅がもたらすもの』をテーマに昨年は授業を致しました。特に「現場を歩く大切さ」について学生たちと学びました。
机を前にして考えることも大切ですが、机の上の資料には限界があり、現場を足で歩かない限り見えてこないことがあることを、40年近く農山漁村を歩き回ったフィールドワークから感じた実感です。
現場を歩くなかで、人は一人生きているのではない、多くの人に支えられて生きているのだということを、学生に感じ取ってほしい・・・との願いがあります。
 ”他者を理解することは、自分を理解すること。”
大地を歩き、人に出逢い、話を聞き、語り合い、その中から見えてくる切実な現実から導きだされた問題解決法にこそ、真の力が宿るということを知ってほしいのです。
フィールドワークでは、伊勢湾に浮かぶ「答志島での寝屋子制度」について学びました。
若狭の我が家では合宿をし、地元の方々と語り合いました。きっと、「何か」をつかんでくれたことでしょう。
今年は日本観測史上最大の地震・津波・原発事故と戦後最大の困難に立ち向かっています。
「共同体」というもののあり方を改めて考えさせられる時代です。
学生たちと「新しい歴史のときに立つ」・・・をテーマに、この美しいキャンパスを港として、みなさん、どんどんフィールドワークに出かけましょう!と呼びかけるつもりです。
明日、どのような学生に出逢えるか・・・楽しみです。

浜美枝のいつかあなたと ~増田明美さん

文化放送「浜美枝のいつかあなたと」(日曜10時半~11時)
お客さまにスポーツ・ジャーナリストの増田明美さんをお迎えいたしました。
増田明美さんは1964年、千葉県のお生まれ。
高校に在学中、長距離種目で日本新記録を樹立。 注目を集めます。
92年にマラソン選手の現役引退されるまで、数々の最高記録を更新されています。
現在はスポーツ・ジャーナリストとしてマラソン解説や多方面でご活躍です。
現役を引退して20年近くがたつ現在も、ご主人と一緒に毎日10キロはランニングされているそうです。
今頃は目黒川沿いの桜がさぞ美しいことでしょう。
日々走ることは肉体的の維持だけではなく、精神的な充実も味わえるとおっしゃいます。
私がお会いしたい・・・とかねがね思っておりましたことに、増田さんの解説なさる”日本語の美しさ”です。その秘密はラジオでお聴きくださいね。
そして、増田さんの人間的な優しさはどこから生まれるのかしら・・・ということです。増田さんはラオス(インドシナ半島)の子供たちを支援されています。(NGOプラン・ジャパン)では学校建設、予防接種、など特に増田さんは「幼稚園」の建設に力を注がれています。
ラオスでは公用語の他に民族言語があり、慣れない子は小学校進学をあきらめてしまうそうです、特に女の子は。
明美さんには「マラソン」「走る」という技術があります。
最初は中々打ち解けてくれなかった子供たちが「あの坂の上まで走ろうか」というと花びらのような笑顔で走り始め、足元をみると、裸足の子供が多く、小さな子どもが泣いてしまうと少し大きな子がなだめて・・・又走る。
赤土の道を一緒に走っていると「私が幸せをもらえる」とおっしゃいます。
スポーツって言葉以上の心を通わせる力を持っているのですね。
収録の日もご主人とご一緒にスタジオに入られ、スポーツマンの彼はマネジャーとして彼女をサポートしています。
とても・とても、お幸せそうでした。
豊かなこと=幸せ”ではないし
貧しいこと=不幸ではない
とおっしゃいます。
素敵な時間でした。
明美さん、ありがとうございました。
「放送は4月17日と24日、2回です」  お楽しみに!

「白洲正子の世界」

世田谷美術館で開催されている「白洲正子 神と仏、自然への祈り」を観てまいりました。
入り口のアプローチは熊野古道から。
生誕百年を記念しての特別展。
亡くなられてとうに13年が過ぎているのですね。
3月11日以来心がざわついていました。
白洲正子が神や仏を訪ね歩いた足跡を辿って自然への祈りを追体験してきました。

「旅の楽しさは道草をくうことにある」と何度も随筆で読みました。
春から夏へ、秋から冬へと移り変わる「日月山水図屏風」は室町時代のもの。
「かくれ里」「十一面観音巡礼」などを拝見すると正子さんほど”旅の名人”はいらっしゃらないと思います。
そんな旅の中で出会った 石仏・観音さま、近江の山河・・・
そして能面のかずかず。
心がほっこりしました。
生前、一度だけ鶴川の白洲邸にお招きいただきました。
囲炉裏端でご馳走になった鴨鍋の美味しかったこと。
そして食事の終わるころ、囲炉裏に香が焚かれたこと。
生涯の思い出です。
公園に出ると桜が間もなく満開になる季節。
人々は桜の木の下で静かにお花見をしていました。

美しい世界を堪能させていただいた展覧会でした。
足元にもおよびませんが、私も旅にでたくなりました。
      白洲正子「神と仏、自然への祈り

全国農業新聞写真コンクール

「全国農業新聞写真コンクール」の審査委員を仰せつかって随分とたちます。
審査委員長 写真家の南良和氏
審査委員  映画監督の神山征二郎氏
審査委員  全国農業会議所事務局長の中園良行氏
そして私です。

今年も素晴らしい作品が出品されました。
1枚の写真にその時代の問題提起、活動、そして農村風景から見えてくる人の営みや柔らかな土やお日様の香り、緑の葉に美しく照り映える光、優しく頬をなでる風など、日本は「農の国」と実感いたします。
昨年第27回の大賞は「ばあちゃんは牛が大好き」でした。
撮影者は秋田の五十嵐清光さん。
「旧盆行事を撮りに行った際、知り合った牛好きのおばあちゃん。
3年前まで夫と2人で牛を飼っていたが、今は一人で飼っているとのこと。
黙々と働いている姿がとてもたくましく、また優しく感動しました」
と仰います。
私はこのような講評をさせて頂きました。
「応募された作品のどれもが、農村の暮らしや人々の営みをしっかりとらえていた。中でも五十嵐さんの作品は素晴らしい。夫に先立たれた今も、ひとり、ひたむきに牛の世話をするおばあちゃん。その牛を見つめる目の優しさ、手のたくましさ、背中の温かさ、神々しさ・・・農業を支えてきた人々の聖なる心が表れていると感じた。今、日本の農業は岐路にある。しかし、農業は工業と違う。農業が生むのは命である。おばあちゃんの姿に体現されているものが農業には必要なのだ。この心がこれからも日本の農業や農村、人の絆を守り続けていくことを願いたい」
昨年のコメントです。
日本列島が未曾有の災害に見舞われた東日本大震災。
かけがいのない多くの命と営々と築きあげた暮らしが一瞬にして失われ、あの豊かな大地が、美しい海が、そして動物たちとともに生きてきた場所が・・・
人々の笑顔が一日も早く戻りますように。
そして、私たち一人ひとりが手をたずさえて乗り越えてまいりましょう。

人の絆、そしてコミュニティー

かけがえのない多くの人命と営々と築きあげた暮らしが一瞬にして失われ、数十万もの人々が被災しました。日本観測史上最大の地震であり、第2次大戦直後の困難にも匹敵する災害ともいわれています。
これからもずっと生きていくはずだった多くの人々の無念さ、そしてその家族や友人のことを思うと、その哀しみの重さと深さに胸がつまります。
この小さな島国で、それは私やあなたであったかもしれないのです。
その中で、日本人の行動やモラルに賞賛の声が世界中から寄せられています。他国ならこうした状況下で、混乱に乗じて起きうる略奪や暴力がなく、人々は肩を寄せ合い、礼節を以って互いに助けあっている。
地域共同体が今も生きていたに違いない地域だけでなく、地方の主要都市でもまた、人々は集団を作り、集団が個人を守りつつ、困難さに立ち向かっています。
共同体というものを信じる気持ちが日本人の誰の中にも残されていたということを、はからずも知らされたような気がします。
この国で「人の絆、そしてコミュニティー」は必ず再生できます。
人々の笑顔が輝く日を取り戻すために私たちに何ができるか、ひとりひとりが問いかけてほしいと願います。