「小林桂樹さん お別れの会」に出席してまいりました。
小林桂樹さんは86歳でご逝去されました。
映画、テレビ、舞台と俳優道ひとすじに歩まれてこられました。
18歳で俳優としての人生を歩み始め、翌年徴兵され戦場へ。
会では多くの方が故人を偲び献花しご冥福をお祈りいたしました。
俳優の中井貴一さんは、大学生の時に小林さんと出会われ、40日間撮影でご一緒になり、毎晩夕食を共にし「俳優の道」に進むことを決断されたことなど、祭壇の着物姿であの優しい微笑みの小林さんに語りかけられておられました。八千草薫さんはご主人を亡くされた時に励まされたことなど、しみじみと語られておられました。
私はひょんなことで女優になって「若い素肌」でデビューしました。
右も左も分からず、私の生活は一気に嵐のような春を迎えました。
急に眩しいライトの下に身をおくことになりました。
そんな私を小林さんは昼休みなど、さりげなく声をかけてくださいました。
「大丈夫?困ったことはないですか・・・」と。
それから「社長シリーズ」などでご一緒させていただきました。どんな役をなさっても、そこには庶民の人間としての優しさに溢れた素晴らしい演技があり、多くのことを学ばせていただきました。
安らかにお眠りください。 合掌
浜美枝のいつかあなたと ~夏木陽介さん
浜美枝のいつかあなたと(文化放送日曜10時半~11時)
今回はお客さまに俳優の夏木陽介さんにお越しいただきました。
夏木さんは1936年、東京のお生まれ。東宝からデビューをされました。
「密告者誰か」「用心棒」など数多くの作品に出演。
70年代にはテレビドラマの「Gメン75」にながらく出演されました。
現在、講談社から夏木さんの足跡を作家の轟夕起夫さんがまとめられた自叙伝「好き勝手 夏木陽介 スタアの時代」が発売中です。
スタジオにお入りになった瞬間「懐かしいね!浜さん」・・・とお声をかけてくださいました。そう、私は夏木さんより2年後輩にあたり青春時代を東宝撮影所でご一緒させていただきました。1961年に公開された「ゲンと不動明王」という作品で恋人役を演じました。監督は稲垣浩さんでした。
当時のエピソードを語ってくださいましたし、1950年代から60年にかけての映画界のお話も私の知らないことばかり。撮影所の真ん中に噴水があり、お昼休みになると俳優さん、女優達がおしゃべりなどしている横を原節子さんが横切っていらっしゃるのです。「オーラがありましたね」・・・と。
三船敏郎さん、先日、お亡くなりになった小林桂樹さん、加藤大介さん、加山雄三さんや司葉子さんなど、日本映画の黄金時代でした。私はもっぱら植木等さんなど「クレイジーキャッツ」の皆さまとの共演が数多くありました。
黒澤明監督の「用心棒」の撮影中のエピソードや数々の巨匠たちとの仕事。そして三船敏郎さんや巨匠たちとの永遠の別れ。貴重なお話を2回にわたり放送いたします。(11月14日、21日)
どうぞお楽しみに!

NAGISAコンサート「馬頭琴が奏でるモンゴルの風」

先週末、我が家の「やまぼうし」でNAGISAさんの奏でる馬頭琴
の音色が広間に響きわたりました。
ユーラシア大陸に広がる草原の国、モンゴル。遊牧民族は家畜
とともに暮らし、家族同様、馬に愛情を注いできました。
「馬頭琴」は草原のチェロとも呼ばれ、哀愁をおびた美しい音色。
馬頭琴の由来といわれているモンゴルの民話「スーホの白い馬」を
私が朗読いたしました。

こうして昨年から始めた、ここ「やまぼうし」でのコンサートや展覧会。
この家は壊される運命にあった古い農家を移築し、和洋折衷の家を造りました。どこかイギリスの田舎家のような・・・、そんな日本の良さと大好きなイギリスの古い家が一緒になったような家です。
子育て真っ只中の昔、「ねえ、聞いてくれる?」 眠れない夜、私は我が家に住むたくさんの柱や梁、床や戸棚、多くの木とおしゃべりをしたものです。木々たちはなにしろ何百年も生きているからものしりで、私のわからなさを諭したり、ときには眠ったふりをして答えてくれなかったり。
そうそう・・・もうずい分前のことですが、我が家の木々たちの本当に得意顔を思いだします。だって世界的なヴァイオリニスト、ウィーン・フィルのコンサートマスターをつとめるライナー・キュッヒルさんがみえて、この大きな梁の下であのストラディバリウスを弾いてくださいました。
和ろうそくに火を灯し、静かに、静かに弾き始めました。
“バッハ・無伴奏パルティータ第ニ番”
澄んだ音は家の中を走り、天井のすみずみにひびき、木と戯れていました。
「ね、家の木々たち。よかったね、この家へのすてきなプレゼントだったね」
ほんとうに贅沢な木々たち。
馬頭琴の音色や美しいランプ、そして明日16日からは
「石井麻子のニットアート展 夢を編む 藍を編む」が始まります。
http://www.mies-living.jp/events/knitart.html
ブログをご覧の皆さま、お暇があったら我が家の木々に会いにいらしてください。
日本酒で乾杯 推進会議
「日本酒で乾杯 推進会議」のフォーラムに参加してまいりました。
この会は「100人委員会」がメンバーとなり、日本酒の消費拡大・・といったことが目的の会ではありません。現在、会員は全国2万4千人を超えました。
代表は国立民族学博物館名誉会長の石毛直道氏。
委員には酒を愛し、日本文化を考える各界の方々。
私も末席におります。
「最近のニッポン人には日本がたりない」と危惧し、日本が誇りとすべき伝統的な食文化や伝統芸能、伝承していくべき作法や風習、そのような素晴らしい文化をしっかりと守り育てていきましょう、というような趣旨です。
「日本酒で乾杯!」という言葉の背景には特別の宗教心ではなく、私たちの人知や人間の力を超えたすべてに対して謙虚に祈るのではないか。
石毛代表は
「日本酒を通して日本文化を考えましょう!」
「酒は神さまと人さまの縁を結ぶ」
「人と人の連帯を深める」
そこには「作法と振舞いがある」とおっしゃいます。
フォーラムでは冒頭に神崎宣武氏(民俗学者)のプレゼンテーションがありました。
「酒は私たちが神に捧げる・授かるもの。日本文化の中核に日本酒がある。酒・祭り・祈祷・なおらい(清め)・芸能。無礼講の前には礼講があり、現代社会は無礼講から始まることが多いのではないか・・・」というお話もありました。
そして津軽三味線演奏家の高橋竹山さんの素晴らしい演奏。今年は初代・高橋竹山生誕100年にあたります。私は以前文化放送の番組に初代にご出演いただき感激したことを覚えております。
演奏の後は「伝えたい言霊文化」をテーマに西舘好子さんと竹山さんの対談。初代竹山さんの知られざる一面や、2代目を女性が継ぐことへの想いなど興味深いお話を伺えました。私は新潟 糸魚川に住む竹山さんの大ファンなのです。
飛び入りで小沢昭一さんが壇上にあがられ相変わらず、洒脱なおしゃべりに会場は笑いの渦でした。
その後は日本全国の「日本酒」で懇親パーティー。
あらたまった礼講からにぎやかな無礼講に移るとき、私達は「乾杯!」します。
ほろ酔い気分で小田原からバスに乗り箱根の我が家に戻りました。
この国に生まれ暮らす幸せをしみじみとかみしめた宵でもありました。

新米の季節
「いただきます」という時、私はいつも合掌します。
子育てが一段落した頃、10年間でしたが米作りを学びました。
素人が米作りに挑戦するのは並大抵のことではありません。
けれど、私にはどうしても「作りたい」という意思、そして夢がありました。
私の農業に対する敬意が、作ることで表せるような気がしたから・・・。
まず準備として拠点となる農家を福井県若狭三森に移築。
田んぼをお借りして、地元で農業を営む米作りの名人松井栄治・よし子さん夫婦を師と仰ぎ、農業のイロハから手ほどきいただきました。
近くに佐分利川と鎮守の森。日本の原風景ともいうべき美しいところです。
若狭での農業体験は熱く、力強い日々でした。
師匠の松井さんは減農薬・無科学肥料栽培で見事なお米を作っています。
全国各地のお米好きから注文がくる名人です。
私の田んぼはわずか七畝でしたけれど美味しいお米が収穫でき刈り取りの日、初めて手にしたとき、思わず涙がこぼれました。
「いただきますといって手を合わせるのはね、お米を作ってくれたお百姓さんやお日さまに感謝するためなのよ」・・・と母や祖母に言われたものです。
実際、農業ほど、暮らしと密接に結びついている生業はありません。
「食べるということは生きること。食は命そのもの」
そして、環境。
土の力、水や日光、森、雨、風・・・すべて、農を支えるもの。
水田の農地は、水をたたえることで保水の役割をはたすなど、自然の景観の一部をにない、自然をサポートしていたりもします。
「農」を考えることは、何より、未来を考えることではないでしょうか。
その農村の、日本の原風景が大きく変化している今日です。
この季節、ご飯がいっそう愛しくなります。
お米の力ですね。艶と適度な粘り、ほのかな甘み、噛むほどに味わい深い若狭・松井さんのお米。
「浜美枝のひとめぼれ」は松井さんが1ヘクタールほどの田んぼで「安全」と「安心」を心がけ作ってくださいます。宜しければ召し上がれ。
詳しくはHP「正直な作り手の味」にアクセスしてください。
http://www.mies-living.jp/honestfood/hitomebore/index.html

ギャルリー田澤展を終えて
「燈とテーブルウェア」展が昨日終了いたしました。
ランプの好きな方々が遠方からも大勢お越しくださり、箱根の我が家「やまぼうし」にはギャルリー田澤の空間が広がりました。
“和魂洋彩”を唱える田澤ご夫妻は、美の名プロデュサーです。
京都のギャルリー田澤は私の憧れの場所でした。
我が家の囲炉裏の部屋にひとりいる時、四十数年にわたり集めてきた器や道具が、かすかな声でおしゃべりしているような気がするのです。それはけっして怖いものではなく、私にとっては、美の世界に誘われているような、心のときめきを感じるむしろ甘美な瞬間です。
よく考えてみると、ものが長い年月を、生まれたときの形を保ちながら生きつづけているということは、小さな奇跡ではないでしょうか。人を魅了する力があったから、大切に丁寧に、人から人へと伝えられてきたのではないかしら。そんなふうに思います。
2006年より始めた展覧会も今年で5回目、”最終章”でした。
箱根の秋に映えるあたたかな燈・あかり・・・を皆さまとご一緒に楽しませていただきました。感謝申し上げます。
はじめて日本にランプがともったのは万延元年(1860)、エドワルド・スネルという商人によってとか・・・。
田澤さんは、現代の宗達だと私は思います。道具を道具としてとらえるだけではない、使い方のセンス、生き方をひっくるめての空間づくり。
また京都にお邪魔させていただきます。





日常~くらし~の遊び展 「燈とテーブルウエア」
先週の土曜日から京都の”ギャルリー田澤の展覧会を箱根「やまぼうし」で開催しております。
田澤長生さんが、長年にわたり収集してきた秘蔵の洋燈(ランプ)、灯火器、燭台、天吊り燈、シャンデリア、そしてテーブルランプなどテーブルセッティングと共に我が家の空間を、それはそれは素敵に演出してくださいました。
私自身、燈かりが大好きで、これまで美術館で見てまいりましたが、これほど、明治の人々が燈りに薀蓄があり、西洋のランプを見事に新たな文明として取り入れていることに驚きと同時に、日本人の美意識に改めて感動を覚えました。
古くは平安時代、江戸時代・・・蝋燭から始まった、「あかり」。
現代の電気の生活からはけっして感じとれない、そこには温もりのあるあかりの世界が広がります。
日曜日まで開催しております。
移りゆく自然の中で、ゆったりとした時間をお楽しみいただけたらとご案内いたします。

ぱしふぃっくびいなすの船旅
船旅
船旅に 擬えるなら 兎に角に 私の船は
甘やかな 港を後に 帆をたてて 錨を上げて
海へ出た 荒ぶる海へ
小椋 桂
そう、私、船旅をしてきました。
と、言っても仕事でですが2泊3日の。
「ぱしふぃっく びいなす・秋の日本一周クルーズ」に横浜港から乗船。このクルーズは、海からめぐる日本の風景。歴史を紡いできたその風景に浸るをテーマに、横浜から、神戸、明石海峡大橋、瀬戸大橋をくぐり、ゆっくりと瀬戸内海を通って佐世保港へ。

私は瀬戸内海、小豆島を航行中あたりで乗船されている皆さまの前で、この四方を海に囲まれた日本の豊かな自然や暮らし・・・などを話させていただきました。
佐世保、萩、能登半島、秋田の男鹿半島、室蘭を回り横浜に戻ってきます。それぞれの寄港地では九十九島や日本海に面した萩では伝統と文化、情緒溢れる城下町など、輪島では朝市や漆塗り、千枚田。男鹿半島では美しい夕日に出逢えるでしょうか。
そういえば私もいつからか「夕焼け探し」の旅にでるようになりました。ある所へ仕事があっていく時、前の日の午後に出かけ、ちょうど夕焼け時にその地にいるようにすののですが、これが実は大変なのです。”運がよけりゃ、いい夕日に会える”・・・と思いつつ列車に乗り込みます。
男鹿半島の夕焼けは今でも忘れられないのです。太陽が沈む直前のあの真っ赤な光りに包まれた太陽。津軽線に乗って見た夕焼けの素晴らしさも忘れられません。
どこかで夕焼けに出逢ったら、その夕焼けのドラマは、今、自分が地球のどこにいるのだろうと、呆然とすることがあります。
たくさんの旅をしながらいつも思うのです。
旅は未来であり、過去であり、そして今であり・・・。
日常の生活時間とは違う時間と空間の中に飛び込むと、私という旅人は、現実の私から旅立ったもう一人の自分と旅しているのに気づきます。
旅する先が、何百年もの歴史が現在も色濃く漂う場所に立つと、私はタイムマシーンに乗ってきたトラベラーという感じになります。
北前船の航路をたどったこともありましたっけ。
海路をたよりに流通された交易。
港、港にドラマがあります。
北前衆の表むきの仕事を支えているのは女たちだったのです。
「でも、過去帳に、女の名前はございませんね」と、ぽつりと語ったおばあちゃん。
このひと言が私の胸にひびきます。
海を見ながら思います。
生物を育てるあらゆる出発点に水があります。
水は生命の命綱であり、その命綱は森です。
その森をこれ以上壊していいのでしょうか。
目の前の経済的な利益を優先して、森を壊していいのでしょうか。
壊れるのを知っていて、そのままにしていいのでしょうか。
森、山、川、海、生物の命、そして私たちの命。
その全てが連鎖しています。
ほんとうに美しい日本の海。
日本一周をするお客さま、クルーの方々。
素晴らしい2泊3日の海の旅をご一緒させていただきました。
皆さま楽しい10日間の旅を!Bon Voyage!
いつの日か ゆったりと列島を巡る船旅をしたい・・・と心から思いました。

奈良・唐招提寺へ
サントリー「セサミンE」のコマーシャル撮影で奈良・吉野に行ってきました。
全国各地の「郷土ごはん」を訪ねて。
番組は10月から1年かけて、全国各地で放映されます。
今回、私はナビゲーターをつとめます。
日本の郷土料理を知るたびに先人の知恵、磨きぬかれた技に感謝の気持ちでいっぱいになります。
奈良は「茶がゆ」(茶がい)を訪ねて。
撮影の始まる前日、少し早めに奈良入りして「唐招提寺」を訪ねました。
ご承知のように奈良は「平城遷都1300年祭」で大変な賑わいです。
私はお寺を巡るときは開門すぐか、閉門間際に行くようにしています。
「唐招提寺」も閉門1時間前。
ほとんど人はおらず、奈良時代建立の金堂(国宝)は10年の歳月をかけ
創建以来最大規模の大修理が行われ、南大門の正面を静かに進むと、
息を呑んでしまいそうなダイナミックな立ち姿、そして簡素ななかに優美な姿。

「大寺のまろき柱の月かげを土に踏みつつものをこそ思へ」(会津八一)
本尊乾漆盧舎那仏、薬師如来、千手観音、梵釈二天、四天王。
内陣の仏が静かに佇んでおられます。
これら全てが国宝です。

JR奈良駅からわずか10分ほどの郊外にある唐招提寺。
唐の国から来朝した高僧鑑真大和上によって創建された建物。
御影堂には和上尊像。そして、画家東山魁夷画伯の障壁画「山雲」「濤声」などが奉納されております。
私は以前NHKの番組で和上尊像、そして壁画を拝見したことがあります。和上の波乱にみちた人生を想う時、おのずから襟を正したくなり、また心穏やかに迎えてくれた仏像に感謝しました。
鐘楼、講堂、舎利殿、そして和上御影堂へと進みました。

帰り道、蝉時雨の鳴くなか、蓮池には淡い色の蓮がそっと見送ってくれました。紅葉の季節、雪景の季節、それぞれ素敵でしょうね。
中秋の名月には、ライトアップされた金堂三尊が闇に浮かびあがるとか。
イギリスへの旅 ~ Part2
今回の旅は先週も載せましたように、10月からオープンする「やまぼうし」のアンティークショップの買い付け。と言っても小さなショップ。こちらは娘の担当です。友人の天沼寿子さんのご案内で、ライやペトワーズの美しい田舎街へ私はバカンス気分です。

どこも印象的でしたが、中でも素晴らしかったのはピーターシャムナーサリーでのランチ。ガラスの温室の中で昼食。足の下はもちろん土。ダリアが満開で、あまりの素敵さに天沼さんとシャンパンで乾杯!
電車でロンドンに戻ってきました。

はじめは中心から少し離れたハムステッドのB&Bに宿泊しました。
小さいけれどスタッフも優しく家庭的な宿でした。

最後の日だけは、ロンドンの中心、コペントガーデン近くにあるとてもお洒落なホテルへ。「お互いこれまで頑張ってきたのですもの・・・1泊ぐらいちょっと贅沢しましょう!」と。
インテリアがとても素敵なホテル。
ここでのイングリッシュ・ブレックファーストは素晴らしかったです。
食事中、室内がざわざわ・・・ある有名な俳優さんが入っていらして隅のほうで食事をしていらっしゃいました。
ロンドン・・・といえば、たくさんの思い出がつまった街です。
もう、43年も前のことになります。
映画「007は2度死ぬ」の撮影で約7ヶ月滞在した街。
この007の経験は降って湧いたような、おとぎ話のような経験でした。
私の22歳から23歳にかけての仕事でした。
ショーンさんは当時、30代半ばくらいだったでしょうか。
まだ若かった私にとって”おじさま”という印象でした。
苦労なさった方でしたから、スタッフにも私達にも絶えず気をつかってくださいました。
ただ、辛かったことは007に出演する女優はロンドンでも最も由緒ある「ドーチェスターホテル」に泊まることになっていました。女王陛下もお泊りになるようなホテルでしたから、ジーンズで入るなんてとんでもない。きちんとハイヒールを履いていなければなりません。当時のイギリスでは、格式というものがとても厳密だったのです。
その上、私には英国の映画に出演するにあたって、いかめしい英語の教師がつきました。毎日、毎日レッスンが終わると泣きべそをかいていましたっけ。とうとうストを起こし、ホテルを台所付きのフラットに変えてもらうこと。英語の先生を若い女性に変えてほしいと訴えました。
それでハイドパークの近くに移りました。
ようやく自炊生活をすることが出来ました。
でも、「ドーチェスターホテル」での忘れられない思い出。そう、悲しくなってロビーに下りて行きボーとしていた時のことです。回転ドアが回り美しい女性が入っていらっしゃいました。辺りをオーラが輝き笑みをたたえた女性(ひと)・・・は、オードリーヘップパーンさんだったのです。
「なんて美しいの、なんてエレガントなの・・・」
悲しさなんて飛んでいってしまいました。
と、ロンドンにはたくさんの青春時代の思い出がつまっています。
ホテルの内装はすっかり変わりましたが、ロンドンに行く度にホテルの前に佇む私がいます。


今回感じたことは、ロンドン市内にオーガニックを扱うショップやカフェやレストランが増えたこと。そこには単なる流行ではなくきちんとしたポリシーがあること。そこが素敵です。しかも、しっかりした味、お洒落なディスプレイ、健康な土、太陽、水。世界的に地産地消の時代になってきたのでしょうね。

最後はスコーンと紅茶のクリームティーでお茶をし、機上の人となりました。