近畿大学の学生と若狭でのフィールドワーク

4月から始まった近畿大学での授業も無事終了し、福井県若狭の我が家でのフィールドワークをしてきました。2泊3日、好天に恵まれ学生達は大阪から直通バスで我が町まで。町の中の移動は全て自転車です。
我が家は福井県大飯町三森にあります。
ここは近くの村から農家を移築した家です。
授業では「「自分らしさの発見―暮らし・食・農・旅がもたらすもの」をテーマにしました。
私自身これまで素晴らしい先人から、たくさんのことを学んできました。
こうした魂に響くような出会いが、今の私を作ってくれました。
授業では
「現場を歩く大切さ」
「食は命」
「食料の自給できない国は独立国ではない」 故ド・ゴール大統領
「寝屋子制度」
など優れたビデオ作品を見ながらの勉強でした。
自然に囲まれた我が家の囲炉裏端では、米農家を営む私の農業の先生、松井栄治さんから農業の現状をじっくり伺えましたし、松井農園、酪農家を見学したり、夜は農家の若者にも参加してもらいバーベキューをしながら、若者同士、和やかななかにも現場で働いている彼らの話は学生達にとって意義ある話でした。
何よりも満天の星空・天の川も見え、流れ星に感激し、虫の鳴き声を聞きながらの夜。松井さんご一家や集落の方々の優しさに学生達は”何か”を感じてくれたことでしょう。

朝の山歩き

心と頭の調整が音楽だとすれば、身体の調整を担っているのは、私の場合、毎朝の山歩きです。骨祖しょう予防を兼ねて、始めた箱根の山歩き。木々の枝の間から朝の光りがスーッと差し込んで、とても気持ちいいのです。

ひと晩眠って、前日の疲れがすっきり解消されるのが理想ですが、年を重ねるにつれ、身体がすっきり目覚める朝ばかりではありません。身体を動かすことによって身体が活性化して、不調の部分が解消されます。

そして、毎朝歩くことで、箱根の山のエネルギーをもらっているような気がします。
背中を痛めて、身体の筋肉を鍛える大切さを知り、必要に迫られて始めた山歩きでしたが、筋肉作りだけではなく、心身の調整にまで役立ってくれているようです。
「この場所が好き!」と思える散歩コースがあると、それだけで元気になれますよ。この楽しみにはお金はかかりません。歩きやすいスニカーが一足あればそれで十分ですものね。

亜麻の花咲く町

北海道・当別町に行ってまいりました。
「浜さ~ん、亜麻の花が咲きましたよ!」とのお誘いを頂きました。
“亜麻色の髪の乙女”という歌がありましたよね。どんな色なのかしらと、ず~と思っておりました。亜麻色の髪というのは花の色ではなく、花が散ったあとの種子と茎が栗色、あるいは金色で、花は薄紫にブルーがかかったような色です。この美しい一輪の花の命は はかなく早朝から半日で散ってしまいます。
亜麻の種が日本に入ってきた年代ははっきりしないのですが、2つの説があると言われています。一つは元禄時代に薬物植物として江戸王子の薬草園で栽培されていた。もう一つはキリスト教伝来時(1549年)、西洋医術と同時にオランダ船により輸入されていた。どちらの説とも古い歴史があります。
古代ギリシャの医学の父、ヒポクラテスは「亜麻種子」を食べると胃腸の不快を解消するとして栽培を推奨したようですし、古代エジプトでは亜麻の布は「月光で織られた布」と呼ばれ広く神事にも使われていたそうです。かつてエジプトではミイラを包む布として、また女性の下着やシーツなどリネンとして肌触りがソフトだったので使われていたとか。
じつはこの町は、私も審査委員をしております”美の里づくりコンクール”で審査会特別賞を受賞されているのです。途絶えてしまった亜麻をもう一度復元させようと、農家の若手が立ち上がり、民間企業と農家が連携して亜麻の生産が始まりました。それを行政がサポートする。無農薬での栽培ですから、雑草や害虫との闘い。熱心なリーダーのもとで様々な活動が評価されたのです。
亜麻を全国に発信し、収益も上げ始めたそうです。札幌の大学生も時には除草の手伝いにみえるとか。
地域づくりはこうした連携プレーが大事なのですね。今後、亜麻の花を見に来る方、亜麻のオイルやリネンが全国に知られるように・・・と願っております。
私が伺ったときも初夏、花の開花期に合せて「亜麻まつり・イン 当別」が開催され、都市と農村の交流が行われていました。
よみがえれ!亜麻の花

片岡鶴太郎展『こころ色』

今年の夏も箱根やまぼうしで片岡鶴太郎展『こころ色』を開催することになりました。
画業15年目を迎える鶴太郎さん。多彩なキャリアをお持ちですが、ますます芸術の世界での鶴太郎さんは魅力を増されています。1954年生まれ、56歳を迎える鶴太郎さんは以前こんな話をしてくださったことがあります。
「40歳で初めて絵を発表したのですが、40歳は僕にとって人生の区切りでした。これからの人生、何を頼りに、何を求めて生きたらいいのか・・・人生の中にポツンと置かれた孤独、焦り・・・そんな日々がありました」・・・と。
よく分かります。
私自身も40歳が人生の大きなターニングポイントでした。
時には立ちつくしたり・・・ひとつ山を越えたとホッとして顔をあげると、また別な山が。目の前にあるのはいつだって曲がりくねった道でした。
でも、年を重ねるって素敵なこと。
鶴太郎さんの作品を拝見していると、いくつもの山を越え、寂しさも、悲しさもそして喜びもが作品に表現されているのです。どうぞ箱根の我が家で鶴太郎さんの積み重ねていらした人生を、作品をご覧ください。
詳しくはHPで。
http://www.mies-living.jp/events/10kokoroiro.html

近畿大学・答志島へのフィールドワーク

三重県鳥羽市にある離島、答志島に行ってきました。
4月から近畿大学の客員教授として講義を受け持っています。
テーマは「自分らしさの発見―暮らし・食・農・旅がもたらすもの」
一回目は「現場を歩く大切さ」についてでした。
机を前にして考えることも大切ですが、机の上の資料には限界があり、現場を足で歩かない限り見えてこないことがあることを、40年以上農山漁村を歩き回ったフィールドワークから私は実感しました。
現場を歩くなかで、人は一人で生きているのではない、多くの人に支えられて生きているのだということを、学生に感じとってほしい・・との願いがあります。他者を理解することは、自分を理解すること。大地を歩き、人に出逢い、話を聞き、語り合い、その中から見えてくる切実な現実から導きだされた問題解決法にこそ、真の力が宿るということを知ってほしいのです。
そこで、以前授業で観た民族文化映像研究所の「寝屋子」について「現場に行きたい!」との要望が学生からあり行ってきました。この島の歴史は古く、持統天皇の伊勢行幸にあたって都に残った柿本人麻呂が
「釧着く答志の先に今日もかも大宮人の玉藻刈るらむ」
と万葉集で詠んだ地です。
そこに「若者宿」とよばれる「寝屋子制度」があります。かつては、中学を卒業した男子が仲間を作り、頼んでどこかの家をヤド(宿)にそこに寝泊りするのです。日本には古くからあるシステムでしたが、大正期を境に減少。現存するのは、答志地区のみになってしまいました。

血のつながった親子ではないけれど、生涯、親子のように付き合う。
寝屋子同士も死ぬまで兄弟同然。
その背景には漁業という命をかけた仕事には、地域の人びとの関係性、共同性、結びつきが大切だということがあります。今も島ではこの制度は住民の精神的な居場所であると共に、地域の教育力の基盤になっています。もちろん時代の流れの中で少しの変化を経ても、「住民が助け合う」文化は受け継がれています。
インターンシップのレポートでは
「寝屋子の制度は日本の宝といえる文化だと思う」
「日本で薄れてしまっている人と人との関わりの大切さを実感した」
「子供たちに限らず大人たちにも人のつながり、仲間はすごく大切な存在なんだと改めて感じた」
「現在、農村や漁村では少子高齢化によって、後継者となる子供が減少しており、より一層過疎化が進むなかで寝屋子制度にヒントがあるかもしれない」
など、皆さん感想を寄せてくれました。
さて、ビデオを観て感じたことを実際に「現場を歩き」どのような思いがしたでしょう。次回の授業で聞かせてもらいます。
梅雨の中、当日は眩しいほどの太陽が海を渡ってくる風も心地よく、船着き場でかつて寝屋親であり大勢の子供たちの親だった山下正弥さんが、船が見えなくなるまで手をふって見送ってくださった姿に、暖かな人のぬくもりを感じた答志島の旅でした。

浜美枝のいつかあなたと ~嵐山光三郎さん

文化放送「浜美枝のいつかあなたと」(日曜10時30分~11時)
今回は2週に分けてゲストに作家の嵐山光三郎さんをスタジオにお招きいたしました。
嵐山光三郎さんは雑誌「太陽」の編集長をつとめられたのち、作家活動にはいられました。旅や食、文人に関する執筆が多く、これまで書かれたご本に「素人包丁記」、「悪党芭蕉」など多数。現在、文春文庫から発売中のご本「とっておきの銀座」から東京を代表する町、「銀座」の魅力をたっぷり聴かせていただきました。
スタジオには、帽子に下駄姿。帽子は多分「トラヤ帽子店」のでしょう。初夏にふさわしいアイボリィーのソフト帽。そして、やはりアイボリィーのジャケット。何でも今まで5つのソフト帽を買い全てがボルサリィーノとか・・・。おしゃれ!
下駄ひとつ買って涼しき銀座かな
                      嵐山光三郎
老舗「ぜん屋」の下駄。
まず下駄の板をきめて、それに合わせて好みの鼻緒をすげるとか。
「毎日はいていると1ヶ月ですりきれちゃいますよ」と。
下駄には嵐山さんは様々なエピソードをお持ちです。
それにしても粋ですね!
番組では銀座の食べ物屋さんや、甘み処、便箋から傘まで。奥が深い大人の街のお話が満載です。
そして、2本目は「新廃線紀行」から今まで歩かれた廃線跡のお話。帯には「廃線旅行は、ノスタルジアではなく、命がけの探検となる」書かれています。嵐山さんはこれまでにも松尾芭蕉の足跡を訪ねる旅をされたり、温泉(秘湯)を訪ねる旅をされたり・・・旅好きの私はため息ばかり・・・。
もちろん旅先での食べ物のお話もたっぷり伺いました。
あとはラジオをお聴きください。放送日(7月4日、11日)

箱根便り~路線バス

私は新幹線よりは特急列車、特急列車よりは普通列車が好き。
なぜなら、そこに、それぞれの土地に暮らす人々の匂いがより濃く感じられるからです。
我が家は小田原からタクシーで箱根新道を通ると約30分なのですが、同じ理由で、ときには行き帰りに路線バスを使うこともあります。小田原―箱根は路線バスでは約1時間。時間はかかりますが、乗降する乗客の様子や国道1号線道の四季の変化ある風景が楽しめます。
路線バスに魅かれる理由は、もうひとつあります。私は女優になる前の1年間、バスの車掌として働いていました。早朝に出社し、隅から隅までバスを掃除し、お釣り用のお札と小銭を揃え、運転手さんと挨拶を交わし、糊のかかった白い襟をピッとたて、「発車、オーライ!」 そのせいなのか運転席の左側一番前の席に座るとわくわくしてしまうのです。
路線バスの利用者の多くはマイカーを運転しない年配の方や子どもさんです。「あら、久しぶり」「元気だったかね」 顔見知りの人を見つけると、たちまちバスの中でおしゃべりがはじまります。また近年、路線バスを利用する観光客も増えてきました。子育てを終えた女性グループ、リタイアしたばかりかと思わせる熟年のご夫婦、学生さんたち、外国人……。
箱根という土地柄、車内には、観光客をもてなそうという雰囲気も漂っています。バスが満員になることもありますが、そんなときにはバス会社の人が「お仲間ですから、もう少し詰めていただけませんか」と声をかけてくれます。お仲間という言葉に心がほぐされ、混んでいても車内に穏やかな空気が漂うのも嬉しいところです。
特に、ここ数年は外国人の姿が目立って多くなったような気がします。富士山、芦の湖、箱根神社、温泉。「箱根には、日本の美しいものが凝縮している」と教えてくれたのは、私の韓国の友人のお嬢さんでした。彼女は箱根の我が家に何度も遊びにきていたのですが、数年前、ついに一家で箱根に居を構えました。「遊びにくるのではなく、箱根に住みたい」と。
そして今、宮ノ下で「マダム・スン」(0460-82-2122)という韓国家庭料理のお店を営んでいます。
日本の美しいものが凝縮している箱根……これから散策やハイキングに最適な季節が続きます。路線バスを利用するときには、乗り降り自由の1日乗車券(大人1,700円、小人850円 有効期間:1日間)が便利です。

(豊かな無駄時間を楽しむ大人のコミニュティ・マガジン「コモ・レ・バ?」より)

箱根便り~箱根の山は天下の険

「箱根の山は天下の険~~」という歌があるように、箱根はいつの時代も、
東国と西国とを結ぶ要所であり、難所でありました。平安・奈良時代には、
明神が岳を通る碓氷道や足柄峠をこえる足柄道が使われていたそうです。
そのためか、万葉集にも「箱根」や「足柄」が出てくる歌がいくつかあります。
中で私がとても心惹かれるものが
「足柄の、箱根飛び越え、行く鶴の、羨)しき見れば、大和し思ほゆ」
という歌。
直訳すると、「足柄の箱根を飛び越えてゆく鶴の、羨ましい姿を見ると、大和のことが思われます」となります。
作者は不明なのですが、おそらく都から坂東に派遣された人についてきた従者なのでしょう。当時の旅は文字通り命をかけざるをえない大変な行程だったはずです。無事に東国についたものの、帰路には病気になるかもしれないし、けがをするかもしれず、あるいは東国にいる間に健康を害することだってあり、元気な姿で再び大和の地を踏める保証はどこにもありません。
作者は愛おしい人を大和に残してきたのではないでしょうか。その人を思い、家族を思い、大和での平安な暮らしを懐かしみ、箱根の空を悠然と飛ぶ鶴の美しい姿に、ああ、鶴が羨ましいと、胸にあふれる切なさを歌にしたと思われます。
今朝、春の訪れを感じさせる青く澄んだ空の中に、真っ白に雪で染まった富士山がそれはそれは美しく輝いて見えました。ふと、この歌を思い出したのは、富士山の雪と鶴の白い姿が重なって思えたからでしょうか。万葉集のこの歌を思い出し、小さく口ずさんでみたら、風景がさらに鮮やかさを増したような気がしました。
ところで箱根だけでなく、足柄峠も富士山を東側から見晴らす絶景ポイントとして知られています。特に足柄城址から見る富士山は壮大で、南は箱根、東は足柄平野や遠くに相模湾が見渡せます。また、奈良時代の「足柄古道」として、足柄の峠道を見ることもできます。
足柄城址からすぐ近くにある足柄万葉公園では、ハギやナデシコなど万葉集に登場する草花を植樹し、万葉集のゆかりの歌碑も立てられています。
空気の冷たさが緩んだら、万葉集を携えて、春の箱根、春の足柄にぜひ足を延ばしてみてはいかがでしょう。

(豊かな無駄時間を楽しむ大人のコミニュティ・マガジン「コモ・レ・バ?」より)

箱根便り~箱根とアート

自然の美しさと東京へのアクセスのよさに惹かれて箱根に居を構えたのですが、実際に暮らしてみて、箱根のもうひとつの魅力に気がつきました。
それは素敵な美術館に囲まれていること。
以来、箱根の美術館巡りが私の日常の1ページとして加わりました。
子どもたちが小さいときにしょっちゅうお訪ねしたのは、箱根の山々が望める彫刻の森美術館でした。こちらは国内ではじめての野外美術館であり、
近・現代を代表する彫刻家の名作が広大な敷地に常設展示されています。
ロダン、ブールデル、ミロ、そしてヘンリー・ムーア。またピカソの陶芸作品を中心に、絵画や版画、彫刻などが展示されたピカソ館も見逃せません。
ムーアは「彫刻の置かれる背景として空以上にふさわしいものはない」と語ったそうですが、その意味するところが、この美術館に身をおくとわかるような気がします。子供連れでも気後れすることなく、親子ともども楽しめるというのも嬉しいところです。
焼き物に興味があるのなら、箱根美術館がお勧めです。
日本の古陶磁、常滑焼・瀬戸焼・越前焼・信楽焼・丹波焼・備前焼などの
「六古窯」を中心に、素晴らしい作品が常設展示されています。
モネ、ゴッホ、ルノワール、セザンヌ、シャガール、ピカソなど、日本屈指の
西洋絵画のコレクションが揃っているのはポーラ美術館。
先日、企画展「ボナールの庭、マティスの室内 日常という魅惑」(3月7日まで)を見に行き、日常の空間が画家に着想を与え、突き動かす力動を感じてきました。
そして私がもっとも身近に感じているのが、我が家から車ですぐの場所にある箱根ラリック美術館です。
ラリックはアール・ヌーヴォーからアール・デコへと変わる時代、ガラス工芸を芸術まで高めた芸術家。もともと私はラリックの作品が大好きということもあり、2005年のオープン以来、頻繁に通っています。
そこにはまさしく芸術家のイマジネーションから紡ぎだされた光溢れるガラスの美の世界が広がっています。すぐに帰るのが惜しいようなときには、施設内のレストラン「LYS(リス)」でランチをいただくことも。3面がガラス張りのこのレストランで、ラリックの余韻を味わいながら1杯のシャンパンをいただくのも至福の時間です。
この時期、ラリックが室内装飾に関わったオリエント急行の車窓から、ライトアップされたラリックの作品を堪能できる「ラリック ウインターライト レビュー」(3月31日まで)も開催されています。
心の重力を解き放ち、憂いを押し流し、生きる喜びを倍加させ、静かに確実に精神をリフレッシュさせてくれる力のあるアートを訪ねに、箱根にいらっしゃいませんか。

(豊かな無駄時間を楽しむ大人のコミニュティ・マガジン「コモ・レ・バ?」より)

ワークショップ

箱根の我が家でワークショップを始めました。
「好奇心を満たす集いの空間」
 箱根で触れる大人の遊び
7月10日(土)は「和の香り体験講座」の時間。
私は香の世界はまったくの素人。でも憧れていました。
箱根の静けさの中で香木が放つ洗練された香りを楽しみたい・・・
そんな個人的な興味からの発想でした。
前回は12名でゆったりとした空間の中でのレッスン。
ランチボックスも好評でした。

そして7月24日(土)は「水彩色鉛筆で旅先スケッチ」です。
私は絵が苦手。でもこれだけ旅の日々、スケッチができたらいいな・・・
といつも思っておりました。
箱根で暮らしはじめて、34年になりました。子供たちも成人し巣立っていった今、日常に彩りもたらすような企画を催しながら、我が家に皆さまをご案内させていただき、私自身が楽しみたいのです。
詳しくはホームページをご覧ください。
http://www.mies-living.jp/workshop/index.html