『なぜ競馬学校には「茶道教室」があるのか』
13日は阪神競馬場で桜花賞、来週は中山競馬場で皐月賞があり、3歳クラシック戦線の開幕です。
なんて、私が競馬に詳しいとお思いでしょうか。
いえいえ、まったく疎いのですが、たまにテレビ観戦をしている時に「なんて馬も騎乗している選手も”美しいのかしら”」と魅せられることがあります。その答えが分かる本に出会いました。
それが「なぜ競馬学校には「茶道教室」があるのか: 勝利は綺麗なお辞儀から」を上梓なさった原千代江さん。
原さんは1947年、新潟生まれ。
1982年に設立された、JRA(日本中央競馬会)の競馬学校で、今も茶道を教えています。
『心の整え方 勝負の作法』
心との向き合い方、無駄のない騎乗フォーム・競馬にかかわる人たちへの感謝
「僕は先生に授業から全てを学んだ」と帯で武豊さんが語っておられます。
第一線で活躍するジョッキーたちが、いまなお心に残る授業としてこの茶道教室をあげるそうで、競馬と茶道には、関係がなさそうに見えて、実は相通じるものが非常にあることが、原さんのお話を伺って分かりました。
わずか十五歳にして、覚悟を持って入ってくる新しい生徒たち。騎手という勝負の世界で生きる選択した彼らに必要なのは、お茶の技術ではなく、お茶の礼儀作法や美しい所作です。そして、それはそのまま、現在失われつつある日本人の心でもあります。と仰られます。
最初は「お茶の授業?騎手になんでお茶なんだよ」
イガグリ頭で、ちょっとむさ苦しい男の子たちが、口を尖らせてわたしの前に迫ってくる・・・。それが、JRA競馬学校の第一期生との出逢いだったそうです。
「競馬学校でお茶ですか?」
「いや、そんなに堅苦しくかんがえないでください」
「でも、生徒にお茶を教えるんですよね?」
「騎手を目指している子どもたちに、お茶が必要なんですか」
「お菓子の食べ方だけでいいんです」
原さんは頭の中に「?」がたくさん飛び交ったそうです。
お菓子のいただき方にも作法があります。
それを覚えるだけでも大変なことです。
「こんなの、指でつまんで、そのままパクッと食べればいいじゃん」
そんな彼らに、どうすれば、この子たちに分かってもらえるかしら。
力の入れ加減で型が崩れてしまう、和菓子職人の心を、自分たちの手で扱うことを知ってほしい、など等。一頭の子馬を誕生から育成まで、あらんかぎりの愛情を注いで育てあげる幾人もの方々の気持ちが分かる騎手になってほしい。
そんな思いではじまる授業ですが、掛けた軸、活けた野の花、彼らジャージやジーンズでのイガグリ頭の子供たちも正座には「うおっ・・・」「もう、だめ・・・」「無理・・・」転げまっていても回をかさねていくと驚くほどの早いスピードで、自然に美しいフォームになります。正座の綺麗な生徒は、馬に乗ったときのフォームも綺麗とか。お辞儀も、回をかさねるとごとに美しくなるそうです。
そんな彼らのなかで突然の別れもきます。レース中に起きた事故で亡くなった
競馬学校卒業生。命をかけて生きる若者たち。暖かな眼差しで茶道を教える原さん。スタジオでお話を伺っていると、茶道を通じて、彼らになにを感じとってほしいのかが分かります。
お辞儀が綺麗な人は心も綺麗ですし、人にも自分にも、ときには厳しく、ときには優しくなれます。
お辞儀には、男も女もありません。騎手も、子どもを育てているお母さんも、会社の社長さんもみんな同じです。とおっしゃいます。
背筋を伸ばし、馬に騎乗する選手のたゆまぬ見えないところでの努力は、人に感動を与えてくれるのですね。
ラジオではたっぷりお話を伺いました。
そして、原さんの人生を重ね合わせて読む本に心打たれました。
放送は4月13日・文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」
日曜日・10時半~11時です。
「Rana Chalabi展 OUDの奏~楽隊とともに」
箱根の森の中に家を建てて、もう40年になろうとしています。
ここでは日時計がなくて、年時計があって、春が来るたびにひとまわりするような大きな時計に支配されているような感覚があります。
淡い春の訪れが、樹々の色みの変化で知らされます。
若葉がチラッと目につく前に、全山ぼおっとうす赤くなるんです。
芽吹く前に一瞬の恥じらいを見せるかのような、こんな季節のひとときが好きです。
箱根やまぼうしでの展覧会やコンサート、落語会などたくさんの方々がお越しくださいます。そして、四季おりおりの季節を楽しんでくださいます。
春の「Rana Chalabi展 OUDの奏~楽隊とともに」のお知らせです。
皆さまは中東を代表する楽器・ウード(OUD)ってご存知ですか。
リュートや琵琶の祖先とも言われアラブ音楽にはかかせないウード。
その音色を一度聴くと、その旋律に魅了させられます。
そのウードに合わせて踊る美しい女性の壁画もあるそうです。
エジプトではこのウードのヒエログリフ(神聖文字)を「美しい」=「NEFER(ネフェル)」と呼んだとか。
今回の展覧会はシリア系レバノン人のRanaさんの作品で、静寂の中にも躍動感が溢れています。白黒で表現されている絵には、なにか・・・日本の「禅」の世界を想像いたします。彼女の「平和への祈り」がメッセージとして伝わってきます。
会期初日にはRanaさんをレバノンからお迎えいたします。
そして初日4月19日(土)は日本では数少ないウード奏者、常味裕司さんのスペシャル・コンサートをお楽しみいただけます。
常味さんはチュニジアに渡りアラブ世界を代表するウード奏者のアリ・スリティ氏に師事し世界中で演奏活動をなさっています。
箱根の森の中、春の訪れを絵画と音楽でご一緒しませんか。
同時開催としてエジプトの大地の色で染められた綿織物のテーブルクロスや
クッション等も展示いたします。
詳しくはホームページをご覧ください。
初日は私もご一緒させていただきます。
お越しをお待ち申し上げております。
http://www.mies-living.jp/events/2014/0419rana.html
セラピスト
うつ病患者は100万人を突破したといわれています。
今、日本には心の病で悩んでいる人が増え、誰にも相談できないという方が多いと言われています。
ラジオのゲストにノンフィクション作家、最相葉月さんをお迎えしお話を伺いました。
最相さんは、1963年の生まれ。兵庫県・神戸市出身。
関西学院大学・法学部卒業。
これまでの著書に、小学館ノンフィクション大賞を受賞した「絶対音感」、大佛次郎賞や講談社ノンフィクション賞などを受賞した「星新一 0一0一話をつくった人」、「東京大学応援部物語」、「ビヨンド・エジソン12人の博士が見つめる未来」などがあります。
この度、自らカウンセリングを受け、心の治療のあり方を綿密に記した本
「セラピスト」を上梓なさいました。
私は約1週間かけてこの本を拝読しました。正直申し上げて、最初はまったく理解できず、しかし大変興味深く読み進めていくうちに今、日本には心の病で悩んでいる人が増え、誰にも相談できない方がこんなに多くいらっしゃることを知りました。
カウンセラーという人たちが何を考え、どんな風に患者さんと向き合っているのかを明らかにした一冊です。
箱庭療法、絵画療法、風景構成法・・・
河合隼雄さんを特集した雑誌に掲載されていた木村晴子さんの論文から「あなたもこの世界を取材するなら、自分のことを知らなきゃならないわね」と言われご自信もカウンセリングを受けました。
「心の治療のあり方」は簡単にはご説明できません。
自分のことってわかりませんよね。
なぜ最相さんは専門機関に通い、大学で講義を受け 「人はなぜ病むのかではなく、なぜ回復するのか」を知ろうとしたのでしょうか。
ぜひお読みください。
私の言葉の世界ではじゅうぶんにご説明できません。
ラジオでご本人の言葉でお聴きください。
カウンセリングが戦後日本に持ち込まれてから、まもなく65年になるそうです。セラピストの方々のそのご努力に心から敬意を表したいと実感した本でした。
そして・・・悔やまれることがあります。
文化庁長官でいらした、今は亡き河合隼雄先生に2度お目にかからせて頂いたのになんと無知な私だったのでしょう。
その至福の時間はあまりにも心地よく、懐の深さに甘えてしまったのでしょうね。
放送は3月30日「文化放送 浜 美枝のいつかあなたと」
日曜10時半~11時です。
ぜひお聴き下さい。
長野・善光寺への旅
「食アメ二ティー・コンテスト」がスタートしたのは、平成三年のことでした。
当時は「アメニティーってなんですか?」というご質問をいただくこともたびたびでした。
私は40年にわたり、全国の農山漁村を歩いてまいりました。
そんな中で気がついたことがあります。
それは地域の活性化に果たす女性の役割が非常に大きいこと。
特に女性が司る食の果たしている役割が非常に重要であるということです。
新しいチャレンジは、なかなか理解されにくいものです。
それが大変素晴らしいことであっても、家族や近所の人は、日常を共にしているがゆえに、その素晴らしさに気がつかないこともあります。
もし、日本の様々な場所で、女性たちがそれぞれひたむきに活動していることに光りをあてることができたら、活動している人たちを元気づけ、今から活動したいと思っている人たちを励ますことができるのではないかしら。そして、そのような女性たちを指導している人、サポートしている人たち・・・皆んなで力をあわせれば、「日本の農業を元気にすることができる」・・・と思いました。
今でこそ、農村女性に光があたり六次産業化も普通になりました。それでも、表に出たくても出られない女性たちが大勢います。「農業を影で支えているのが女性」であっても。そこで国と農村開発企画委員会の方々のご賛同を頂き生まれたのがこの「食アメコンテスト」という事業でした。
伝統食を守り、地域の食を守り、新たなビジネスを起こし・・・などなど素晴らしい活動がこの20年で活発に動きだしました。
「自分の銀行口座」をもつ人も現れました。
自分たちのための変化だけではありません。
農山漁村の女性たちが、新しいことにチャレンジし、活発に動き出したために、地域全体が活性化し、生きがいを見つけ、生き生きとした表情で都会の消費者との交流を持ち、意見交換を活発にし、この20年やってまいりました。
そんな中から「もっと勉強がしたいわ」と仲間が集い「食アメネットワーク」の会も生まれました。ヨーロッパや韓国などグリーンツーリズムの勉強や農村女性との交流など多くのことを学んでまいりました。
この会も「そろそろ卒業ね」と私は申し出て一昨年解散しました。
でもこの友情には終わりがありません。
「ハッピースマイルを訪ねる会」として80歳以上のお元気な仲間を訪ねる旅に変わりました。昨年は熊本・天草にお訪ねし、今年は長野で集合しました。
遠く、沖縄から、天草から全国から参集し幸せな2泊3日の旅でした。
今回は宿坊に泊まりました。
善光寺永代宿坊・常智院。
夜はお寺の奥さまの手づくりの精進料理です。
弥生 桃の膳
お迎えは さくら茶 結びこぶ さくら餅 かきあられ
夕食は甘酒で乾杯
向付 くるみのおさしみ 生こんにゃく 生わかめ じゃが芋のなます
梅ぶ 胡麻豆腐 黒豆の含め煮 クコの実 山椒の佃煮
汁 おぼろ月夜汁 わらび豆腐 しら玉 菜の花 おぼろこぶ
そして桃ごはん
八寸風 湯麩田楽 ふきのとう天ぷら くず桜せんべい
煮物 生うど 高松産生うどの豆乳ピーナツクリームかけ
最後のデザートは杏仁寄せ いちごペースト添 杏のシロップ漬けでした。
朝食の精進おとしも、それはそれは美味しくいただきました。
ご縁をいただきまして本当にありがとうございました。
翌朝は早朝4時に起き「善光寺の朝」を静かに迎えました。
善光寺が一日のうちで最も生き生きとその本来の姿を見せるのは朝だといわれます。古(いにしえ)より伝えられてきた信仰の息吹を、五感で感じられます。太陽が昇ってきます。
法要の前には本堂前で「お数珠頂戴」といって導師を務める住職が数珠を頭に撫でてくださいます。
日の出とともに始まる「お朝事」一時間の毎朝のお勤め。私たちも本堂でご参拝させて頂き朝の清新な空気、静謐な空間。堂内に響き渡る読経や木魚の音を体いっぱいに取り入れ農村女性たちと、すべてに感謝し手を合わせました。
命の輝きを温かく見守るような優しさで、あせらずたゆまず、困難なことも多いかもしれませんが、一歩一歩、大地を踏みしめるように歩んでいる貴女たち。
けっして派手ではありません。
華やかでもありません。
けれど、春が近づいたときに、くっと大地から首を伸ばして、寒風にもめげずに、あたり一面に甘い香りを漂わせながら咲き誇る、一本の水仙の花のように。これからも手をたずさえ、私たちの愛しい日本のために生きていきましょう。
みなさん、ありがとう。素敵な旅でした。
「おばさん 四十八歳 小説家になりました」
素敵なお客様をラジオのゲストにお招きいたしました。
歴史小説家の植松 三十里(みどり)さんです。
植松さんは静岡市出身。
東京女子大学・史学科を卒業後、出版社勤務、結婚を機にご主人の赴任先のアメリカへ。
二児の母になり、子育てにも悩みはいろいろあったそうですが、何しろ植松さんは、おおらか・・・いえ肝っ玉母さんで、子育てが終わった後に、何をしたらいいのか、分からなくなってしまう女性がいるというけれど、「人のためになる道を探すといいと思うの」・・・と。
植松さんはライター経験はあるものの、カルチャーセンターの小説講座に
通います。そして48歳でデビュー。子どものころから書くことが好きで、お話を書く人になりたかったそうです。本気で修業を始めたのが42歳。すごいですよね。それも歴史小説に焦点を絞ったそうです。でも、講師に罵倒され「もう、もう、それはむかっ腹が立ち悔しい思いをしましたが、指摘されたところを直すと質は格段に上がるの。」
植松さんの書くのは時代に翻弄されて名前も刻めなかった無名の人。こうも仰いました。読者から「元気を貰えました」とか「勇気がでました」と言われるけれど作品の中で「頑張れ」とか「元気出せ」とか、ひと言も
書いた覚えはない。私は無名であるけれど、実際に頑張った人を描く。つらさをこらえて頑張った結果が、たとえうまくいかなかったとしても、それは無駄ではなかったと結ぶ。
たしかに、無名な人には、自分を重ね自分自身を励ます力があるのかも
知れません。スタジオの植松さんには、人を幸せにしてくれるオーラがあります。そして、人生はいくつになってもスタートは切れるということですよね。
2003年、「桑港(サンフランシスコ)にて」で第27回歴史文学賞を受賞。2009年、「群青―日本海軍の礎を築いた男
」で第28回新田次郎文学賞受賞。「辛夷開花
」、「黒鉄の志士たち
」など、多くの作品があります。
これまでに、30数冊の本を出しています。
今回の本「おばさん四十八歳 小説家になりました」は植松さんにとってまた新たな挑戦なのではないでしょうか。
「年齢を重ねていくことで、幸せについて考えが変わってきた」とおっしゃいます。そうですね、私も歳を重ねたことで幸せのあり方が変わってきました。素敵なお話をありがとうございました。
どうぞ、じっくりラジオをお聴きください。
文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」
日曜日10時半~11時まで。
放送は3月23日です。
8時間睡眠のウソ
8時間睡眠のウソ
~日本人の眠り、8つの新常識~
皆さまは睡眠についてお悩みはありませんか。
なかなか眠れない・・・。
睡眠がこま切れになってしまう・・・。
そうした悩みを抱えている方って結構いらっしゃるのですよね。
でも、睡眠についての研究は、この20年で格段に進歩しているそうです。
個々人によって睡眠は違うし、ライフスタイルも異なるし、現代社会では朝、夜明けと共に起き、8時過ぎには寝る・・・なんて考えられません。それにパソコンの光やコンビニの光・・・24時間光の中で暮らす都会。体内時計はどうなっているのかしら。
地下鉄などに乗ると、男女とも、こっくりこっくりしている方の多いこと。「治安がいいから安心して寝ていられるのね、日本は」などと思っていた私ですが、”目からウロコ”の本に出会いラジオのゲストにお招きし、お話を伺いました。
文筆家の川端裕人さんが、国立精神・神経医療研究センター部長の三島和夫さんからの聞き書きの形をとって、またさまざまな資料や論文をもとに上梓されました。
三島さんは、1963年、秋田県生まれ。
秋田大学医学部・医学科を卒業後、助教授などを経てアメリカに渡りました。バージンア大学・時間生物学・研究センター研究員、スタンフォード大学医学部・睡眠研究センター客員准教授を務め現在にいたります。
「新常識」
日本人は世界屈指の睡眠不足
「深い睡眠」が「良い睡眠」とは限らない
睡眠時間は人それぞれ、年齢でも変化する
シフトワークは生活習慣病やがん、うつ病のリスクを高める
日本人の体内時計は平均で24時間10分
眠くなるまで寝床に向かってはならない
「不眠=不眠症」ではない
こま切れの睡眠はNG
高齢者の睡眠は、それほど眠る必要がないのに寝床にいる場合いが多いそうです。70歳近くなら正味6時間の睡眠が普通ですが、日本の65歳の平均は9時間も寝床にいるため、不眠が悪化するとのこと。トイレに行く回数など気にする必要はなし。昼間に問題なく生活ができれば心配はないそうです。出来たらお昼寝は20分から30分以内が理想的。
つまり、眠れなければ、絶対ベットにいてはダメ。
辛くても、正味眠れる就床時間まで寝ない。
そうそう・・・大事なこと
晩酌と寝酒は別で、アルコールを飲んで、バタン・キューはよくないそうで、できたら4時間はあけてから寝る。う~ん、これは難しいですよね。
子育てをしながら仕事も持っているお母さんが一番寝不足で、子どもの就寝時間も遅くなる。添い寝の際、可能なら一緒に寝たほうがいい。とのことですが、これも難しいのですが、家事は少し手抜きしても睡眠のほうが大事ですよね。私にも経験があります。なんだかいつも立って寝ていたような気がしたものです。
朝起きるタイミングをきちんと合わせ、午前中に光を浴び、食事、運動が大切だと先生はおっしゃいます。
睡眠薬は医師の指示で正しく使えば安心。
「睡眠薬って、日本の皆さんは怖がるんですが、1950年代から70年代に使われた古いタイプの睡眠薬は、安全性や依存に陥りやすかったが、最近ここ10年くらいに開発された薬は、長期間飲んでも、耐性、つまり効果が減弱したりすることもなく、正しいやり方をすれば不眠症が治った時に減薬や休薬することもできます。」とおっしゃいます。
「すべてを完璧にはできませんが、たったひとつでもいいから手をつけてみてはどうでしょうか」とアドバイスをいただきました。無理は逆効果ですよね。
それにしても「睡眠科学は奥が深い」です。
そして「睡眠学は面白い」です。
私は医師から処方された軽い睡眠導入剤を飲み、寝る体制を整えてから、だいたい11時にはベットに入り、5時には起床し太陽が出ている時にはしっかり太陽を浴び、軽く山歩きをしてから一日がはじまります。
とにかく三島先生のお話をお聴きください。
そして、ご興味があったらご本をお読みください。
文化放送「浜美枝のいつかあなたと」(日曜日:10時半~11時)
放送は3月16日です。
種蔵棚田の村・宮川村を訪ねて
春の足音があちこちから聞かれるというのにこの大雪。
箱根に住んで40年になりますが初めての経験です。
家の前の道路は1m以上の雪・庭は歩けないほどの雪。
車も通れず、バスは運休。陸の孤島状態が5日間ほど続き、こういう時って”ご近所の力”ですね。皆さん総出でまず歩ける小路の雪かき。
私などはなんの役にも立たず息子に委ねました。
そんな中、中頓別から旭川、そして飛騨の奥へ、そのまま羽田のホテルに泊まり、サッポロへ。前日まで猛吹雪の札幌でしたが私が出発する日は晴天に恵まれ、結局すべての仕事をクリアできました。奇跡ですね。
でも・・・1週間は帰宅できず自然の猛威には人間はなすすべはありませんね。今でも孤立している集落があります。雪とともに暮らしている雪国の方は知恵もありますが、慣れていないとほんとうに大変です。
「棚田と板倉の里 ~伝えたいこの香り、残したい風景~」
板倉が並ぶ風景と石積みされた棚田は深い雪にすっぽり埋まり美しい冬景色。今回も「美の里づくりコンクール」の現地調査で伺いました。
岐阜県の北部、飛騨市宮川町にある種蔵(たねくら)集落は、石積みの棚田と板倉郡が特徴的な、日本の原風景とも言うべき農村風景が残り大変美しい山里です。
宮川町内の有志で組織される会「種蔵を守り育む会」はやはり高齢化が進み、地域では管理できなくなったた急峻な斜面や荒廃地などの草刈作業が、ボランティアの人たちによって行なわれています。
不耕作地の水田を利用し植虫環境のためのビオトープの造成、不耕作地は高冷地に適している蕎麦・あぶらえ或いは大豆など昔から種蔵集落にしかない紅かぶ等の栽培をしています。冬の3月には田の石積みの雪庇落などを行い、種蔵集落の保存に集落住民ボランティア・行政が一丸となって守る姿に頭が下がります。
この村で生まれ育ち、最長老のおじいちゃんは95歳、近くの集落から嫁いできたおばあちゃんは93歳。炬燵に入れていただきながら昔の集落、種蔵のことなどお話が伺えました。
人間の背丈ほど積もっている雪。
人口11世帯22人
この美しい集落を次世代に伝えていくために、周辺地域住民や都市住民とともに飛騨文化の原風景守っていただきたい・・・と切望いたしました。
春、深い雪に覆われていた石積み棚田が、雪解けとともに顔を出し始めます。雪解けに始まり桜、夏は深緑に鮎、秋は紅葉、冬は雪景色と自然豊かな村です。
以前お邪魔したのは夏、夕立を待っていましたとばかりにカエルが「ゲコゲコ」と鳴きだし夕焼けに映える棚田の美しさに息をのむ思いがしました。
風のように迫る緑に夏を感じ、ミズバショウの群生地、ブナ林・・・五感で感じることの素晴らしさ。
こうした”村の宝”を私たちはどう守り伝えていったら良いのでしょうか。
宮川村までのアクセスは高山本線坂上駅下車。列車の到着時刻に合わせて村営バスが運行されています。新宿からは車ですと約5時間です。
新芽がむくむくと伸びる音が聞こえてきそうです。
おじいちゃん・おばあちゃん、いつまでもお元気で!
音威子府そして中頓別町へ
音威子府・・・と書いて「オトイネップ」と発音するその村の語源はやはりアイヌ語からきているのでしょうか。
旭川から宗谷本線の列車に乗り北上していきます。
アナウンスがかかり「途中野生の蝦夷シカが飛び出し、急ブレーキがかかることもありますからご注意ください」・・・と。
いいな~こういう旅って。
北海道の北の果て、そんな慣れない呼び名の森林の村。
人口826人の村。
列車は天塩川に沿って走ります。
一度は訪れたかった村です。
そう、この森林の村で、森の風倒木や海に流れ着いた流木を使って木の彫刻を続けている芸術家がいることを、しかもその人がイギリス人であることを、私はまったくしりませんでした。 衝撃的な出会いはいつもそんな風に、あの日鎌倉に吹いていた心地よい初夏の風のように、さり気なく、そして思いがけなく訪れるようです。
真っ白な雪の上で朽ちた木が赤々と燃える色彩のコントラスト。
積み重ねた流氷の炉の中で威勢よく炎をあげる立枯れた木々。そして、ナラやニレ、ダテカンパなどの風倒木を彫って作った数々の造形物・・・。
その鎌倉の展覧会で見たデビット・ナッシュの芸術世界は、木を素材に選び、自然界を制作の場に選びながら決してありきたりな自然主義者としては片づけられない、ダイナミックな、まさに人の心を魅きつけずにはおかないものでした。
英国はウエールズ地方の鉱山の町に生まれ育ったというナッシュ。
彼が日本の自然に魅せられて、音威子府の森を創作現場に選んだのは単なる思いつきではないようです。その地に生きる村人たちと深い交流を重ねながら、枯れ木や流木や風倒木といった死に行く木々に、新たな生命力を与え続けたナッシュの芸術世界。
鎌倉近代美術館でそれを目の当たりにした私は、何故かいつまでもその場を立ち去ることができませんでした。そう・・・20年ほど前のことです。
音威子府・・・いつかは訪ねたいと思っていました。
今回はさらにその先にある魅力的な町、中頓別町(なかとんべつちょう)に招かれて伺いました。列車は音威子府で降り車で40分ほど走ると宗谷地方の南部に位置する開拓の町。8割が森林です。
町名の由来は、アイヌ語の「トー・ウン・ペッ」(湖からでる川)。
酪農の町でもあります。
人口1,911人。四方を山に囲まれ唯一海に面していない町です。
まず最初に迎えてくれたのは中頓別町で捕獲された大きな熊。
公民館には雪深い中、300名近い住民の方々が待っていてくださいました。
時には-37℃・・・などとニュースになる町でもあります。四季の自然の中で大地を耕しながら自分たちの暮らしの文化を大事に守り続ける人たち。
こういった町にお邪魔すると、拠って立つ所を見失いがちな都会に住む私たちよりも、豊かさの中に日本人の原点やアイデンティティを持っていらっしゃる・・・そう感じました。
帰り際、この会をお手伝いくださったお母さんたちと1時間ほどおしゃべりをさせて頂きました。手づくりのお新香や絞りたての牛乳、その牛乳で作った熱々のお豆腐のなんと美味しかったことか。
“ご馳走さまでした!”
またお会いしたいですね。
『闇学』入門
『闇学』入門 (集英社新書)
~日本人は「闇遊び」の達人だった~
大変興味深いお話を伺いました。
ラジオのゲストに体験作家の中野純さんをお招きいたしました。
中野さんは、1961年、東京のお生まれ。
「闇」に関する本を数多く発表する一方、夜の山や街を歩く「闇歩きガイド」としても活動中。主な著書に「闇と暮らす。」、「東京「夜」散歩
」、「闇を歩く
」などがあります。
光と闇だったら、私たちはどうしても光のある方に寄って行ってしまいがちですが、あらためて「闇」の魅力を考えました。
風俗、健康法から文学世界、信仰まで。
高度成長期以降の日本は、すべてが明るくなり、江戸時代やそれ以前の庶民の暮らしは、夜なべしごとがなければ、夕方に夕食をすませたら8時ころには寝ていたといわれます。
東日本大震災の後、東京の夜が暗くなり不安にかられましたが、今はそんなこともなく明るさが戻ってきました。私はあの暗闇の中で蝋燭の灯りで過ごしてみて、「あ~子ども時代の明かり、懐かしい」と思いました。
海外を旅すると、世界中で煌々とこんなに明るいのは日本だけではないでしょうか。それは、中野さんがおっしゃるには、戦時中のB-29の影響。闇の恐ろしさを味わい、それで高度成長期へ突入し、蛍光灯が普及したとのこと。
”昔は夜が豊かだった”・・・とおっしゃいます。
お祭りは夜やるもの、月待ち、蛍狩り、虫聴きなど。ささやかな光の闇の存在感をより強くしたと。花火大会、夜桜見物は江戸時代から広まったとのこと。
今も続く青森のねぶた(ねぷた)なども、光をとりまく闇を見せるもの。
講中登山(集団で夜明け前に登りご来光を拝む)
百物語(闇の部屋に集まり、百の怪談を語る)
などのレジャー、それに通夜。死者に付き添って夜を明かすものではなく、神仏への祈願、祈祷のためにお堂で徹夜する通夜も盛んだったそうです。
ささやかな光はあったものの、特別な夜には、いろんな闇へ繰り出して闇に親しみ闇と遊んだ、私たちの暮らし。「闇」があったからこそ、ささやかな光を五感でも感じられたとでしょう。
そういえば・・・私も「闇」を深く実感したことがあります。
私は箱根の山の中に暮らしていますから、夜バスを降り家までの道すがら、夜空を眺めれば星や月、虫の声を聴くこともよくあります。でも、それとは違う感覚・・・そうもう20年ほど前でしょうか。
金沢に行った時のこと。金沢城の門のところでした。
門の所に立つと闇の中で、いろんな音が聞こえてきます。
自転車のブレーキの音、靴の音、下駄の音・・・・・その闇の中には音しかありません。ヒタヒタと歩く草履、いや、昔のひとのワラジ? 音のドラマは耳をそばだてる私を不思議な世界に連れていってくれました。
そして、次に金沢市内からすぐ近くにある大乗寺というお寺です。
そこもまっくら。夏でしたから蛍がポッと明かりを灯すだけ。
真っ暗な廊下を歩き、暗い庭に出ると、お月さんが出ていないけれど、いくらか明るい闇がありました。その闇の濃淡の中で、いい匂いに出会いました。庭に茂る草の匂いです。日中歩いていて、はたしてこのようなデリケートなことが見えたでしょうか。
花虫風月、夜の虫を愛でる文化・・・・
ただ暗いだけで五感が敏感になる・・・と中野さんはおっしゃいます。
私たちの現代の暮らしは、スマホやケータイ、パソコン、携帯ゲーム、タブレット様々な光に頼っています。
中野さんはこうもおっしゃいます。
「夜の山では、自分自身の五感が鋭くなると同時に、人間活動がつくりだす騒音、騒臭、などからも遠ざけるために、微かな音やにおいを自分でもびっくりするほど感じ取ることができ、山百合のにおいも、梅の香りもよくわかるります」
志賀直哉も宮沢賢治もナイトハイカーだったそうです。
しかし、日本人は光が大好きだった。光をふんだんに使ったイベントを好むが
それはあくまで、深い闇の中の光だった・・・と。
『闇と音と匂い、そして光』
疲れたからだにこれほどの優しさはないように思います。
文化放送「浜 美枝のいつかあなたと」日曜10時半~11時まで
3月9日放送です。詳しくはラジオをお聴きください。

テーブルウエア・フェスティバル2014
東京ドームで「テーブルウエア・フェスティバル2014」が開催されています。
~暮らしらしを彩る器展~ (2月2日~10日まで)
テーブルセッティングによる食空間提案で、石坂浩二さんや料理研究家の江上栄子さんなど各界の著名人が、個性豊かなテーブルセッティングを披露されていますし、食空間コンテストも開催され会期中は約30万人の方々が入場されます。私も15年程前に4回ほど参加いたしました。
今回はその中に沖縄のブースが設けられ、沖縄の工芸品を使っての作品の数々を見ていただいています。
沖縄の工芸に魅せられ通い始めて40年以上がたちます。
柳宗悦の著書の中に「沖縄は民芸のふるさと」と記されていました。
織物・染色・ガラス・漆・焼き物・シーサーなど・・・魅力的な工芸がたくさんあります。
今回は私の大切な「パナリ焼き」をお貸しし会場に展示してあります。19世紀中頃まではつくられていたパナリ焼き。八重山に生まれた焼き物。素朴ですが、かたつむりや貝殻を練りこみ、手捻りてつくられているからでしょうか、素朴な中にも気品と暖かさがありとても好きです。
初日の日にトークイベントに参加いたしました。
沖縄では、「うとぅいむち(おもてなし)」の心で親子孫たびを応援しています。
ヒガン桜が咲く春キャンペーンとして三世代の方に沖縄の旅を楽しんで
いただきたいという趣旨で、私も昨年からお手伝いしております。
来年は二人の孫を息子夫婦と一緒に連れて行きたいと思っています。
そんな沖縄の魅力を会場でお話させて頂きました。
と同時に素晴らしい沖縄の工芸の魅力も一緒に。
週末、ご興味のある方はお出かけください。


















