FOUJITA フジタ~色彩への旅

旅先こそがレオナール・フジタのアトリエと言われるほど、フジタは世界中を旅しました。今回の箱根町のポーラ美術館で開催中の展覧会はパリを離れ、中南北米、中国大陸や東南アジア、ニューヨークへと旅を続け、行く先々の色彩に興味を覚えたフジタ。その旅路と色彩に集点があてられ見ごたえのある展覧会です。

コロナ禍の中で自由に旅ができないことは寂しいのですが、箱根に暮す私は近くに美術館がいくつもあり、観るだけで旅気分を味わえるのは幸せなことです。強羅から木漏れ日坂を抜けると”ポーラ美術館”があります。緑に囲まれた初夏、新緑が眩しいほど美しい朝、バスで出かけてきました。(あなたもご一緒しませんか!)

1913年、26歳で渡仏したフジタは1920年にパリの女性をモデルに透けるような乳白色の肌の裸婦を描いてパリ画壇で人気の画家になります。晩年には少年少女の世界を描くのですが、それは何故なのでしょうか。

「戦争協力者」と指弾されても弁明をせず、祖国を去ります。ひたすら子供を描いたフジタ。でも、その子供たちは東洋人でも西洋人でもなく、つり上がった目に出っ張ったおでこが強調されただ可愛いだけの存在ではありません。私にはフジタが晩年、この子供たちに夢を託したように思えてなりません。

旅先で目にした風景や人物、その色彩はその国の歴史や文化、風俗などを身体で感覚的に受け止め、キャンバスに描きます。

会場に入るとまず目に入るのが「皮のトランク(遺品)」です。世界を旅したこのトランクには何が詰められていたのでしょうか。ここから旅気分を味わえます。「メキシコに於けるマドレーヌ」は白い帽子やドレスを身につけた姿。バックにサボテンや空の濃厚な色彩は、乳白色のフジタではありません。

会場を一点一点眺めながら、フジタと共に旅した気分が味わえます。ふっと、「あれは何年前だったかしら?」ポーラ美術館で「藤田嗣治の手しごと」展を見たのは。そして、パリ近郊エソンヌ県の小さな村ヴィリエ・ル・ハクルにあるフジタ晩年の旧宅「メゾン・アトリエ・フジタ」を訪ねました。『祈りの旅』でもありました。

2011年9月23日のブログに掲載しております。このブログをお読みいただいてる皆さまとご一緒にもう一度フジタのアトリエを訪ねましょう。

http://hamamie.com/2011/09/23/post_224/

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