伊勢湾に浮かぶ「答志島」への旅

大阪の近畿大学、総合社会学部の客員教授として講義を受け持って、今年で4年目になります。
私が大切にしていることは、机を前にして考えることも大事ですが、自分の足で歩き、体感し、考えることです。
最初の年から最も取り組みたかったフィールドワーク。
今年も「寝屋子制度」(ねやこせいど)を学びに答志島に学生達と行ってまいりました。

授業を終えて、近鉄で三重県鳥羽市へ。
そこから離島・答志島へは船で約30分です。
大都会で暮らす彼らはまず、その自然の風にふかれ磯の匂いに心地良さそうです。
答志島の答志町答志地区に古くから伝わる寝屋子制度。
この制度は何時からかは判明していませんが、百年以上前からこのしきたりが続いています。
かつては西日本には何箇所かあったようですが、現在はここだけに残っている制度です。
寝屋子という若者宿は、高校(かつては中学校)を卒業した同年齢の子を集め仲間を作り、受け入れを承諾してくれた寝屋親の自宅で寝起きをし、夜の共同生活を一緒に体験し、適齢期を迎えるまで共に暮らします。20代半ばとされる解散後も親密な関係は継続されます。

農業や漁業が生活の基盤であった時代には、人びとはお互いに助け合わなければ生きていけなかったのです。
現在は少子化で形は変えていても存続している制度です。
NHK連続テレビ小説「あまちゃん」でも話題の海女漁ですから夫婦単位の漁業です。「命綱」を夫に託して潜ります。何かが生じた場合は、仲間が駆けつけます。
『血のつながった親子ではないけれど、生涯、親子のようにつきあいます』
ネヤコ同士も死ぬまで兄弟です。
なぜ、このような制度が現在まで続いているのでしょうか。
社会構造の変化などで、共同体の崩壊が進み、地域の子供は地域が育てる
という「地域の教育力」が低下しているといわれますが、学生達と泊まった民宿の下が空き地になっていて、元気な男の子達の遊ぶ声がし、見守る大人たち。

毎回私たちを迎えてくださる、かつて寝屋親の山下正弥さんはおっしゃいます。
「自分勝手な人間にならん様に生きているのは自分も誰かに支えられていると言う事。それを忘れずに助け合いながら生きていくのが寝屋子です」・・・と
学生たちに優しく語りかけてくださいます。

一日、島を案内してくださり、島の人たちに声をかけられ、心のこもった料理を食べ、学生達の心のなかに”何かが”残ったはずです。
現地に赴き、その人たちの話を聞く。その実際を肌で感じてみる。
そこで得た知識、知恵、経験をもとに、共同体的な関係を切り捨てる近代化ではなく、共同体的な関係が生きている近代化をもう少し模索しても良いのではないでしょうか。
私はとても大切なことだと思います。
一泊二日でしたが、今回も学生達と素晴らしい旅が出来、優しさに包まれ幸せな時を過ごせました。

島の皆さん! ありがとうございました。

「伊勢湾に浮かぶ「答志島」への旅」への2件のフィードバック

  1. 答志島の寝屋子制度のお話を聞くのも、今年で3回目です。
    いいお話ですね。
    これに参加した学生さん達が、その後、どんな時に、この経験を思い出すのでしょうね。
    若者に期待するだけじゃなく、まだまだ私達、熟女(?)も頑張れそうな気がします。
    今朝のウォーキングで、コースの蓮畑に、可愛い蕾をみつけました。
    毎日が感動の瞬間にと!心掛けています。
    出会う人に、《笑顔の挨拶》は、浜さんのような《素敵な笑顔づくり》の練習です。
    今日も有難うございました。

  2. ☆のかけらさん
    ブログへのコメントありがとうございました。
    あれから帰り、学生達が感想文を寄せてくれました。
    皆さんが一応に言っていることは「助け合いの精神」が
    いかに大切かを実感したようです。
    島の人たちが皆んな優しかった、なぜなのか・・・
    本当の美味しい料理(魚・ごはん・煮物)をたべた!!!など等。
    民俗学としても貴重な制度ですし、私はこれからも追い続けたいと
    思っております。
    浜美枝

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