韓国への旅

3泊4日の旅でした。
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明日4月7日(土)、全国ロードショーにさきがけ、池袋コミュニティ・カレッジで映画『道~白磁の人~』(監督・高橋伴明)を観ながら、淺川巧の話しをいたします。ナビゲーターは近衛はなさん、私はゲストとして出演いたします。
変革の今が求める”真のグローバリズム”淺川巧。
歴史に秘められたヒューマンストーリーが、明かされる!とあります。
何度も何度も通い続けた韓国。
7年前、コスモスの季節にも韓国に行き、ソウルのインチョム空港から東に80キロ、忘憂里(マウーリィー)の丘にある淺川巧の墓に詣でました。
朝鮮人を愛し、朝鮮人に愛された人・浅川巧。
朝鮮の土となった日本人」(高崎宗司著)を読み、どうしてもお墓参りがしたかったのです。巧は1931年4月2日、40歳(1891~1931)の若さで世を去ります。
民芸の創始者である柳宗悦に朝鮮の器や鉢、そして白磁の美しさを紹介し、「用の美」に対する目を開かせたのは、淺川巧だといわれています。
朝鮮総監府の技手であった巧は、緑化運動に成果を上げるかたわら朝鮮民族文化の美を見出し、朝鮮陶磁器の研究家である兄伯教と共に朝鮮半島の何百もの窯跡を調査し「朝鮮の膳」「朝鮮陶磁器名考」といった本を著し、日本に紹介しました。
私は、美しい暮らしに惹かれ、道具を愛するひとりにすぎません。
しかしこれらの体験の中で、ひとつ思ったことは、朝鮮の美はやはり民族の歴史と無縁ではないということ。巧は、普段から朝鮮服を身につけ、朝鮮料理を食べ、朝鮮語をマスターすることにより朝鮮の人からも慕われ、時には朝鮮人と間違われることもあったそうです。巧は荒廃した山野に植林をし、山林を緑化復元し、わずかの給料から貧しい子供たちに与え学校に通わせました。
7年前に訪ねた林業試験場。
住んでいた家の前でお話を伺ったり、真冬の零下15、6度の寒空の下で偶然出会った淺川巧の墓守をしている韓さんからのお話。あちらでは人が亡くなったとき、三角形のお煎餅を配る習慣があるのですが、巧の葬儀の日、大勢の人々が見送りにきてくださり、ソウル中の煎餅がすっかりなくなったという逸話を聞きました。それほどまでに人々に愛された人でした。
私が韓国を訪ねる際にまず行くところは下町の「銭湯と市場」です。
私が子供時代に銭湯に行くと、母が娘の、娘が母の背中を流す姿を目にしました。その光景が今の韓国にはそのまま残っているのです。
懐かしさと暖かさで心がいっぱいになります。
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市場では元気なお母さん達に出会い、屋台で欲しいものを指さし、いただく・・・
大満足です。
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かつて景福宮の中にあった「朝鮮民族美術館」は現在「韓国民族博物館」として内外の人々が多く訪れます。蒐集された「陶磁器」などは「国立博物館」へと移されていました。
懐かしいソウルにに出会いたくて「北村韓国村」(プッチョン・ハンオクマウル)を歩き、韓国刺繍を展示する私設博物館や食堂で韓国のり巻きを食べたり・・・と巧ゆかりの土地を訪ね、彼がみたであろう山や川を目に焼きつけ、風の匂いを感じました。かつて彼が通った林業試験場はテニスコートになっておりました・・・。
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命日の前日、巧が眠る忘憂里の丘でお墓参りができました。
李朝白磁の壷がかたどられて巧の墓の傍らに『韓国の山と民芸を愛して、韓国の人の心の中に暮らして生きて去った日本人。ここ韓国の土になりました。』とハングル文字で刻まれています。
墓には韓国の人が献花されていました。
民族の美はその民族固有のものですが、国境を越え、厳しい政治状況さえ超えてその美を味わい、敬愛することはできるのですね。
美というものは、変わることなき人類の共通言語だと感じることのできた旅でした。