NHKラジオ深夜便-「大人の旅ガイド・明治神宮」

六月の杜(もり)は花菖蒲が見事です。今夜ご紹介する場所は東京、原宿にある明治神宮です。
都会に緑がないなんてウソ、と、思えるくらい鬱蒼とした森が東京のど真ん中にあるんです。
私はこの森が大好き。ニューヨークのセントラルパークや、パリのブローニュに負けない、いや、勝っているかもしれない美しい森です。
先週、私は行ってまいりました。原宿駅に降り立ち、神宮橋を渡り、右手奥に第一鳥居が見えてきます。この鳥居をくぐると、もう一瞬のうちに森に抱かれる感じがして、心がゆったりとしてきます。椎の木、樫の木、楠の木などが、豊な葉をしげらせて私たちを迎えてくれます。
この明治神宮は、大正九年(1920年)今から88年前に、明治天皇と昭憲皇太后を祀るために造られた神宮です。面積約83、000平方メートル。当時、この辺は代々木御料地のあった所で武蔵野の一部だったそうです。
おしゃれの町、原宿も原宿村だったんですね。この辺り一帯は、農地や草地で林は少ししかなく、荘厳な神社を造るためには、林の造成が必要だったのですね。樹木の多くは全国の篤志家の献木だったそうです。
荘厳な森林というのは、すぐにできるわけではありません。神宮造園のために、当時の最先端の林学・農学・植物学者から造園家まで、多くの人々がこの神宮の森造りに参加しました。
テーマは「永遠の杜づくり」だったそうです。今でこそ車や電車、地下鉄で多くの人々が行き交う原宿ですが、その頃、この辺りは畑と雑木林の淋しい寒村だったといいます。農業を営む人もおりました。
庭園というより、もっと昔の森林の状態を再現する方向ではじまりました。植木の寄付というのが全国規模であったそうです。当時の資料によると、東京市の小学生児童の献木が五千件以上あったそうです。それらの樹木が、今の神宮の南北両参道に植えられたそうです。参道を歩いていると、88年前にここに木を植えてと、小さな手でこの造成現場に献木を持って行った小学生の姿が目に浮かびます。
今、鬱蒼たる樹木がこうしてあるのも、多くの人の献木のお陰なんですね。”昔、昔のみなさん、ありがとう”今、明治神宮の豊かな樹木を見ると、思わず大正時代の多くの先達に感謝したくなります。

六月はなんといっても菖蒲です。
ここの菖蒲は明治26年(1893)年、明治天皇の思し召しにより昭憲皇太后のために、植えられました。優秀な品種を集め、当時は、江戸系の48種だったそうですが、現在は150種にも増え、大株が1500株。今こそ見にいらしてください。
あまりの美しさに息を飲む、そんな感動が体験できます。
花菖蒲といっても一様ではなく、素敵な名前がついているんですよ。
王昭君(おうしょうくん)、立田川(たつたがわ)、九十九髪(つくもがみ)、鶴毛衣(つるのけころも)、五湖遊(ごこあそび)、(写生区域のところに植えられています)雨後の空(うごのそら)、小町娘、江戸自慢、加茂川、利根川、小豆島、酔美人(すいびじん)。この酔美人は、花は小さめですが、白と薄紫が楚々として美しく、私は大好きです。ほかに朝神楽とか大江戸、浦安の舞いなど。
日を追うほどに次々といろいろな菖蒲が咲き誇ります。この菖蒲園を管理し、あれこれお世話なさる方に、感謝したい見事に丹精された菖蒲園です。今週、来週にかけてが一番美しいと思います。私のお勧めタイムは、やはり朝。
私は箱根を早朝に出て開門と同時くらいに行きました。(菖蒲苑開門・8時半)静かでゆっくりお花を見ることができるでしょう。写真を撮る方、写生する方・・・皆さんの眼差しの優しいこと。

さて、明治神宮をお参りしてから、表参道をぶらりぶらり明治通り方向へ行くと。『浮世絵・太田記念美術館』の看板があります。その看板の所を左へ行くと左手にすぐ見つかります。
6月26日まで特別展「蜀山人 大田南畝(しょくさんじん おおたなんぼ)-大江戸マルチ文化人交遊録」が開催されています。
大田南畝は、狂歌師や戯作者、また学者として活躍した多彩な文化人。
絵師、戯曲者、狂歌師、詩人、歌舞伎役者など、さまざまな人々との交流関係が分かる素敵な展覧会です。午前10時半からですから、明治神宮で花菖蒲をゆっくりご鑑賞されてから、こちらに回るのも一興です。(広重も『名所江戸百景』浮世絵の堀切小高園の花菖蒲を描いておりますね)
旅の足
JR山の手線「原宿」駅「代々木駅」
小田急線「参宮橋駅」
地下鉄千代田線「明治神宮前駅」
大江戸線「代々木駅」