かか座を彩るもの-琉球新報「南風」

箱根の私の家は、古民家を12軒、譲り受けて作った。今でこそ、古民家再生という言葉があるが、当時は、多くの人から「なぜ、新しい家を建てないの?」と尋ねられた。世は、日本列島改造時代。新しいものがよくて、古いものがダメとされる時代だった。私と古民家も、まさにそうした時代ゆえに出会ったといっていい。
もう30数年前にもなるが、山陰を訪ねていたとき、突然「助けて」という悲鳴が聞こえた気がした。かけつけると、かやぶきの家がまさに壊されようとしている現場に辿りついた。悲鳴だと思ったのは、チェーンソーの音だったのである。
そのとき、この家を壊して燃やしてしまってはダメだという気持ちが不思議なくらい強く胸にこみあげてきた。気がつくと「もう切らないで!」と叫び、その場で家を丸ごと譲っていただくことにしていたのである。 
さて、この廃材をどうしよう。古民家の廃材を前に、ふと私の脳裏に浮かんだのが、イギリスの田舎家だった。日本ならではの、過去と現在がつながり、和と洋のエッセンスが調和した家を作りたいと思った。最初は家の枠だけを、それからひと部屋ひと部屋、仕上げていった。なんとか生活できるまでに3年、手直しを含めれば20年以上かけてつくりあげたのだから、我ながら気の長い話だと思う。その家で4人の子どもを育てあげた。そして4人とも社会人となって巣立った今、また手をいれている。
私がいちばん気に入っているのは、家の中心である囲炉裏の部屋だ。炭をおこし、かか座に座ると、それだけで体から余分な力が抜ける気がする。
囲炉裏の脇には芭蕉布のスタンドとクースーの壺、すぐそばにおいた水屋の上にはシーサーが置いてある。家族や友人と共に過ごす時間を、これら沖縄のものがほっこりと優しく見守ってくれているのも、嬉しい。
琉球新報「南風」2006年8月1日掲載

花織に思う-琉球新報「南風」

私の宝物のひとつに、与那嶺貞さんの花織の着物がある。
ご存知の方も多いと思うが、貞さんは、琉球王府の美の象徴であり、民族の誇りでもあるこの花織を、見事に、復元した女性である。
私は、民芸を訪ねる中で、彼女と出会う幸運に恵まれ、以来、ことあるごとに、お訪ねさせていただいたのだった。
彼女の人生は、多くの沖縄の女性と同様、過酷なものだった。第二次世界大戦で夫をなくし、自分は銃火の中を三人の子どもを抱えて逃げまわられた。終戦後、女手ひとつで三人の子どもを必死で育てられた。
そして、その子育ても終わった55歳のときに、貞さんは古い花織のちゃんちゃんこに出会ったのである。琉球王府の御用布であったにもかかわらず、工程の複雑さ、煩雑さから、伝統が途絶えてしまった花織だった。
その復元を決意した貞さんは、幾多の苦労を経てなしとげ、ついには人間国宝となり、2003年の1月に94歳でその生涯を終えられた。
今も、ふとした折に、私は貞さんの口癖を思い出す。
「女の人生はザリガナ。だからザリガナ サバチ ヌヌナスル イナグでないとね」
ザリガナとはもつれた糸。ザリガナ サバチ ヌヌナスル イナグは、もつれた糸をほぐして布にする女性のことだと、聞いた。
貞さんのこの言葉と、その生き方に、私はどれほど励まされてきたことだろう。根気よく糸をほぐすためには、辛抱も優しさも必要だ。そればかりではなく、ほぐした後にどんな織物を織ろうかと、未来へつなぐ希望も感じられる。
辛抱、優しさ、希望のすべてが含まれたこの言葉は、今の世の中にもっとも必要な教えのひとつではないだろうか。
琉球新報「南風」2006年7月18日掲載

八分茶碗のこころ-琉球新報「南風」

私が沖縄を最初にお訪ねしたのは、昭和37年、まだパスポートがいる時代だった。中学時代から民芸の柳宗悦先生に心酔していた私は、先生が著書の中で琉球文化と工芸品の素晴らしさに言及なさっているのを読み、かねてから恋い焦がれていたのだ。
この地に最初に降り立った日のことを、私は忘れることができない。苛烈な戦火にも沖縄の工芸は生き残ってくれていた。陶芸、織物、かごやザルなどの生活道具。目にするたび、手で触れるたびに、体が震えるような感動をおぼえた。
それ以降、何度も何度も、通わせていただいた。そして、気がつくと、いつしか沖縄にすっかり魅了され、心を許せる友人にもめぐり合い、沖縄は私の第二の故郷とも思う地となっていたのである。
工芸品の中で、強く印象に残っているもののひとつに、中国から渡り、この地に長く伝えられてきた八分茶碗がある。名前の通り、八分目のところに穴があいていて、穴すれすれに水をいれても、水はこぼれないのに、それ以上いれてしまうと、1滴残らず水がなくなってしまうという、不思議な茶碗だ。
人間の欲望は限りない。だからこそ「腹八分目、医者いらず」という言葉があるように、八分目でとどめる節度を、この茶碗はしっかりと体現しているのだろう。
やがて、沖縄を深く知るにつれ、八分目という考え方が、暮らしのすみずみにまで彩られていることに気がついた。
身の丈を知り、八分目を良しとし、他者をも生かす、共生共栄の考え方がここにはある。
これは、21世紀、人々にもっとも必要とされる思想ではないだろうか。そして、これが、沖縄に私がひかれてやまない大きな理由のひとつだと、感じずにはいられない。
琉球新報「南風」2006年7月4日掲載