八分茶碗のこころ-琉球新報「南風」

私が沖縄を最初にお訪ねしたのは、昭和37年、まだパスポートがいる時代だった。中学時代から民芸の柳宗悦先生に心酔していた私は、先生が著書の中で琉球文化と工芸品の素晴らしさに言及なさっているのを読み、かねてから恋い焦がれていたのだ。
この地に最初に降り立った日のことを、私は忘れることができない。苛烈な戦火にも沖縄の工芸は生き残ってくれていた。陶芸、織物、かごやザルなどの生活道具。目にするたび、手で触れるたびに、体が震えるような感動をおぼえた。
それ以降、何度も何度も、通わせていただいた。そして、気がつくと、いつしか沖縄にすっかり魅了され、心を許せる友人にもめぐり合い、沖縄は私の第二の故郷とも思う地となっていたのである。
工芸品の中で、強く印象に残っているもののひとつに、中国から渡り、この地に長く伝えられてきた八分茶碗がある。名前の通り、八分目のところに穴があいていて、穴すれすれに水をいれても、水はこぼれないのに、それ以上いれてしまうと、1滴残らず水がなくなってしまうという、不思議な茶碗だ。
人間の欲望は限りない。だからこそ「腹八分目、医者いらず」という言葉があるように、八分目でとどめる節度を、この茶碗はしっかりと体現しているのだろう。
やがて、沖縄を深く知るにつれ、八分目という考え方が、暮らしのすみずみにまで彩られていることに気がついた。
身の丈を知り、八分目を良しとし、他者をも生かす、共生共栄の考え方がここにはある。
これは、21世紀、人々にもっとも必要とされる思想ではないだろうか。そして、これが、沖縄に私がひかれてやまない大きな理由のひとつだと、感じずにはいられない。
琉球新報「南風」2006年7月4日掲載