かか座を彩るもの-琉球新報「南風」

箱根の私の家は、古民家を12軒、譲り受けて作った。今でこそ、古民家再生という言葉があるが、当時は、多くの人から「なぜ、新しい家を建てないの?」と尋ねられた。世は、日本列島改造時代。新しいものがよくて、古いものがダメとされる時代だった。私と古民家も、まさにそうした時代ゆえに出会ったといっていい。
もう30数年前にもなるが、山陰を訪ねていたとき、突然「助けて」という悲鳴が聞こえた気がした。かけつけると、かやぶきの家がまさに壊されようとしている現場に辿りついた。悲鳴だと思ったのは、チェーンソーの音だったのである。
そのとき、この家を壊して燃やしてしまってはダメだという気持ちが不思議なくらい強く胸にこみあげてきた。気がつくと「もう切らないで!」と叫び、その場で家を丸ごと譲っていただくことにしていたのである。 
さて、この廃材をどうしよう。古民家の廃材を前に、ふと私の脳裏に浮かんだのが、イギリスの田舎家だった。日本ならではの、過去と現在がつながり、和と洋のエッセンスが調和した家を作りたいと思った。最初は家の枠だけを、それからひと部屋ひと部屋、仕上げていった。なんとか生活できるまでに3年、手直しを含めれば20年以上かけてつくりあげたのだから、我ながら気の長い話だと思う。その家で4人の子どもを育てあげた。そして4人とも社会人となって巣立った今、また手をいれている。
私がいちばん気に入っているのは、家の中心である囲炉裏の部屋だ。炭をおこし、かか座に座ると、それだけで体から余分な力が抜ける気がする。
囲炉裏の脇には芭蕉布のスタンドとクースーの壺、すぐそばにおいた水屋の上にはシーサーが置いてある。家族や友人と共に過ごす時間を、これら沖縄のものがほっこりと優しく見守ってくれているのも、嬉しい。
琉球新報「南風」2006年8月1日掲載