自然と人のダイアローグ

この絵の前でどれほどの時間佇んでいたことでしょう。他の方の邪魔にならないように……フィンセント・ファン・ゴッホ(1853~1890)人生でもう出逢えないと、諦めにちかい気持でおりました。うねるような麦畑。農民が一人もくもくと鎌を振るって刈り入れをしています。夏の炎天下。初来日となりました。「刈り入れ(刈り入れをする人のいるサン=ポール病院裏の麦畑)」1889年。

私は中学卒業後、バスの車掌になりました。川崎の工場街を走る路線を担当。バスの中は働く人たちの汗と油のにおいがし、連帯感のようなものを感じ「労働の喜びとつらさ」も体で感じました。そして、女優という未知の世界へと飛び込み、不安と緊張に押しつぶされそうになり、”もう、やめようこの仕事”と思い、ひとり旅にでました。

18歳の秋です。わずかなお金しか持たず、でもイタリア・イギリス・そしてオランダへ。ゴッホのことは中学の授業で知ったくらいでした。(ひまわりの画家)としての認識くらいでしたが、でも、”何だか”気になる画家でした。60年ほど前、アムステルダムのまだ古い「ゴッホ美術館」に朝一番で出かけました。

ギシギシと軋む木の階段を上ると、天窓から朝の光を浴び「馬鈴薯を食べる人々」の絵が目に入ってきました。テーブルの上にふかしたジャガイモを一家で囲み、ランプの灯りがほのぼのと暖かく、労働を終えた家族の一枚の絵の前でクギ付けになりました。「あの、ひまわりのゴッホがこのような絵を描いていたの!」と驚き、それ以来沢山の本を読み、ゴッホの人生をしりました。その一枚の絵に出逢えたことで、女優を続けていく勇気をもらえました。

南仏アルルで芸術家村の夢に破れたゴッホは、入退院を繰り返した後、サン・レミの精神療養所に移り、そこで母や妹のために描いた習作をもとに描かれたのが本作品です。多くの人は「死」のイメージを見たといいます。そして、ゴッホは「この死のなかには何ら悲哀はなく(中略)明るい光のなかで行われている」と記し、その翌年の夏、自ら命を絶ちました。

展覧会が開催されている「国立西洋美術館」は、2016年に世界文化遺産に登録され、同館は前庭を創建当時(1959年)のル・コルビュジェの構想に近づける工事が行われました。すっきりとした広場にロダンの彫刻。今回リニューアルオープン記念としての展覧会です。

本展は同館と、今年開館100周年を迎えるドイツ・エッセンのホォルクヴァン美術館とのコラボレーション企画です。ドイツには何度か訪ねているのに、チャンスを逃し、もう諦めていたところに朗報でした。「会える!ゴッホの刈り入れに」と感動しました。「馬鈴薯を食べるひとびと」に”生きる勇気と、労働の喜び”を。そして、今回は”人生はままならない”ことを教えられました。芸術って素晴らしいですね。

私は雲を見つめるのがとても好きです。この絵も。ゲルハルト・リヒター「雲」1970年

産業や科学など急速な近代化が進んだ19世紀から20世紀。芸術家たちはどのように自然と向き合っていたのでしょうか。素晴らしい作品の数々。今回の展覧会は一部を除いてほとんどが撮影可でした。

クロード・モネ、アンリ・マティス、フェルディナント・ホドラー、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ、カミーユ・ピサロ、ギュスターヴ・クールベ、オディロン・ルドン、エドヴァルド・ムンクそして

フィンセント・ファン・ゴッホなど等。

最後に病室の窓から眺めた「ばら」の風景の絵をしっかり瞼におさめ会場を後にしました。18歳で出会った一枚の絵に勇気を与えてもらい、70代終わりに、炎天下の麦畑と農民の姿に見入り、人生を見つめることのできた展覧会でした。

自然と人のダイアローグ展
https://nature2022.jp/

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