映画 アイヌモシリ

スクリーンに映し出された阿寒湖はどこまでも静謐でした。湖を取り巻く森や集落も、ゆったりと時を刻んでいました。主人公の少年は14歳。中学を卒業したら村を出て、高校に進みたいと考えています。多感な少年の澄み切った瞳が、画面いっぱいに広がります。

映画「アイヌモシリ」は、静かな熱気をはらんでいました。そして1時間半、ドキュメンタリー作品と勘違いするような不思議な感覚に包まれました。

少年はアイヌコタン(アイヌの人々が住むムラ)で民芸品店を営む母親と暮しています。学校ではバンド活動に夢中ですが、自分はアイヌとしての誇りを持ちながら、これからどう生きていくのか?自分が自分であること、つまりアイデンティティーを求める旅を始めたばかりの揺れ動く少年なのです。

この映画がなぜ真実味をもって迫ってくるのか?主人公の少年も、その母親も、そして多くの登場人物も、アイヌの人たちが演じているのです。母親役と息子役の二人は、実の親子です。作り込んだ”芝居”を軽々と飛び越えた世界が、そこにありました。

この映画を作った福永荘志監督は、「特別な演技指導はしていない」と語っています。「できるだけ普段の言葉で話してもらった」とも振り返っています。これこそがリアリティの源泉であり、出演した方々を全面的に信頼していたのですね。

福永監督は北海道生まれですが、20年近く前からニューヨークで映像制作を続けてきました。今回はその経験を活かして、カメラや音声、そして照明などスタッフをニューヨークの友人たちで固めたということです。アイヌに対する固定観念を持たない人たちが必要だ、という強い思いが伝わったのでしょう。出演者やスタッフに共通する姿勢は、国際性も相まって、作品に幅と奥行きをもたらしています。

少年の母親が営む店には、「あなた、日本語うまいね!」という無邪気に話しかけてくる観光客が登場します。母親は、「一生懸命、勉強したから!」と微笑んで返します。これはおそらく、実話を元にした挿話でしょう。あまりに自然すぎるシーンなのです。

熊の魂を神さまの元へ送り返すという厳粛な儀式に、少年は複雑な思いを抱きます。なぜなら、そのために人の手で熊の命を奪わなければならないからです。映画の最後には、「制作にあたり、いかなる動物も危害を加えられていない」旨の字幕がでました。

これからの時代を生きる主人公の少年は、これまでの歴史と文化にどう向き合っていくのか。悩みながら、躓きながら歩んで行く、彼の決意なのかもしれません。単なる静けさだけではけっしてない、凛々しさも感じさせる旅立ちと受け止めました。

とても示唆的なエンディングの映像、心憎いスタッフの感性です。

映画公式サイト
http://ainumosir-movie.jp/

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